漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

#2

孟浩然 登鹿門山懐古 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

登鹿門山懐古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

 
 孟略然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。この詩は、内容からして孟浩然の若いころの作品である。

卷159_35 登鹿門山懐古孟浩然


登鹿門山懐古孟浩然
#1
清曉因興來,乘流越江峴。沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
漸至鹿門山,山明翠微淺。岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
昔聞龐德公,采藥遂不返。
#2
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
探討意未窮,回艇夕陽晚。

鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。

#1
清暁 興来るに因り、流れに乗りて江峴を越ゆ。
沙禽 近づきて方に識り、浦樹 遙かに辨ずる莫し
漸く鹿門山に至れば、山明らかにして翠微浅し。
岩潭 屈曲多く、舟楫 屡々回り転ず。
昔聞く 龐徳公、業を採りて遂に返らずと。
#2
金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。


現代語訳と訳註
(本文) #2

金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
探討意未窮,回艇夕陽晚。


(下し文)#2
金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。


(現代語訳)
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。


(訳註)
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。

金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。
黄金に輝く谷川の透きとった水際に貴重な薬草を育てている。その岩壁には緑の苔がびっしり生えている。
金澗 谷川の透きとった水の巌底に太陽光線が当たった景色をいう。王維『遊化感寺』「瓊峰當戸拆、金澗透林鳴。」(瓊峰 戸に当たりて拆け、金澗 林を透して鳴る。)『澗南園即時貽皎上入』  孟浩然 
養芝朮 貴重な薬草をそだてる。


紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
紛として 吾 耆舊(ききゅう)に感じ、攬を結びて攀踐(はんせん)を事とす。
わたしの心の中では複雑なものがある。「襄陽耆舊記」の龐德公のように生きたいとは思っている。もう一方では、家族からも期待されている頭髪を束ねて結い直し、官位に付き上り詰めるということも考えるのである。
 入り混じること。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。○結攬 攬結 刈り取った稲束のようにとりまとめる。とりあつめる。【攬】[漢字項目]の意味は?国語辞書。 [音]ラン(呉)(漢) 取り集めて持つ。手中に収める。「 収攬 ・ 総攬 」○攀踐 官位に付き上り詰めること。孟浩然は『高士』にあこがれる。


隱跡今尚存,高風邈已遠。
隠跡 今尚は存するも、高風 邈(ばく)として已に遠し。
確かに、龐德公が隠棲された史蹟は今なお残っているのであるが、『高士』の風はぼんやりとして来て今や遠くなりつつあるのだ。


白雲何時去,丹桂空偃蹇。
白雲 何れの時にか去らん、丹桂 空しく偃蹇(えんけん)たり。
龐德公の隠棲という雰囲気を残した白雲がいつしかきえさって、その丹桂遺跡はその場所に空しく広がっているだけなのである。
丹桂 鹿門山にある龐徳公の隠居跡。○偃蹇(えんけん)  1 物が延び広がったり高くそびえたりしているさま。また、多く盛んなさま。2 おごり高ぶるさま。


探討意未窮,回艇夕陽晚。
探討 意未だ窮まらず、艇を回らす 夕陽の晩。
鹿門山のあちこちを奥深く隅々までさぐり調べたのだがその気持ちはいまだ窮まってはいない。今すぐ隠棲するわけではないので夕日が落ちて暮れてきているなかで、船を廻して帰ろうと思う。
探討 奥深く隅々までさぐり調べること。調べ究めること。探究。

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北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304


北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
草木不可餐,饑飲零露漿。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
何日王道平,開顏睹天光。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。


#2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


現代語訳と訳註
(本文) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。


(下し文) #2
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。


(現代語訳)
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか。

黄河二首 杜甫

(訳注) #2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
惨戚(さんせき)たり 冰雪の裏、悲しみ号(さけ)びて中腸を絶たつ。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
惨戚 惨と戚のどちらも、ひどく悲しむいみをもっている。悲惨を極めるひどい悲しみという意味。


尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
尺布(せきふ)は体を掩(おお)わず、皮膚は枯れし桑よりも劇(はげ)し。

着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
 わずか。六尺。ものさし。


汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
水を汲むには 澗谷(かんこく)に阻(へだ)てられ、薪を采るには 隴坂 長し。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
澗穀 谷川沿いのこと。・穀は谷。○  地形が険しい。「険阻」 2 遮り止める。はばむ。○ おか。あぜ。隴山。
黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193
黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194
彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1 

猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。

猛虎は 又 尾を掉(ふる)い、牙を磨きて 秋霜よりも皓(しろ)し。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
【掉尾】ちょうび 《尾を振る意。慣用読みで「とうび」とも》物事が、最後になって勢いの盛んになること。


草木不可餐,饑飲零露漿。
草木 餐(くら)う可からざれば、飢えて零(こぼ)れし露の漿(しる)を飲む。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
 飢える。 ○零露 しずく。つゆ。○漿 みずをのむこと。


歎此北上苦,停驂爲之傷。
此の北上の苦しみを嘆き、驂(さん)を停(とど)めて 之が為に傷む。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
爲之傷 このことについて傷をつけることと為す。


何日王道平,開顏睹天光。
何れの日か 王道平らかにして、開顔 天光を覩みん。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか
○叛乱軍のために、各地で、武者狩りをしていたし、略奪、盗賊が横行したのである。安禄山の軍には1/4ぐらい異民族の兵がいた。

nat0002

李白の安禄山の叛乱について情報が少なかったのか、他の詩人の叛乱をとらえた詩とは違っている。特に杜甫の詩と違うのは、杜甫は蘆子関や長安の叛乱軍にとらえられ、拘束されたこと、自分の目で見て確認したことを詩にしていることが違うのである。
 李白は叛乱軍に掴まっていたら、まともではおれなかったであろう。この詩「北上行」は聞いた話を詩にしているのである。李白らしい詩である。

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留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301

留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301
3分割の2回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。


留別廣陵諸公
憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
宮島(3)

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文) #2

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」

(下し文)#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」


(現代語訳)
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。


(訳注)#2
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。

中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
聖明  天子が徳にすぐれて聡明なこと。○ 翰墨】かんぼく. 筆と墨。 「翰墨を座右に置く」; 文学のこと。 書いたもの。文章のこと。 筆跡。 【翰林】かんりん. 学者・文人の仲間。文書の集まっている所の意から。 「学林・儒林」; 「 翰林院 ( かんりんいん ) 」1.の略


騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
騎虎 虎(とら)の背に乗ること。『隋書』「独孤皇后伝」虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ。


還家守清真,孤節勵秋蟬。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます


煉丹費火石,採藥窮山川。」
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
煉丹 道教の隠遁者を夢見ていた李白の詩には金丹のこと、仙薬のことは50首以上多くある。時代としては、媚薬、回春薬というに対しての嫌悪というものはなかったようである。


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金陵江上遇蓬池隱者 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286

金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286
金陵の江上にて蓬池隱者に遇う


金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上

心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
空言不成歡、強笑惜日晚。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』
#2
共語一執手、留連夜將久。
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
水影弄月色、清光奈愁何。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 蔽龍山。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』
#2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。 清光 愁 奈何。
明晨 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。

宮島(1)

 現代語訳と訳註
(本文) #2
 久。酒。/歌、多。何。波。
共語一執手、留連夜將久。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
水影弄月色、清光奈愁何。
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』


(下し文) #2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。清光に愁う奈何(いかならん)。
明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。


(現代語訳)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


(訳注)
共語一執手、留連夜將久。

(共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
○留連 遊興にふけって、家に帰るのを忘れること。中国では「大安」:「奉安」と言われ「友引」は「先負」と「先勝」の間で「ひきわけ」(共引)ということで、「留連」:「友引」とも表現されていた。


解我紫綺裘、且換金陵酒
(我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換す。)
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
紫綺裳烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○「紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。」官吏の服で権威を示して酒にしたのかもしれない。長安以外の地方ではでたまにしか、官吏の服を見ない、税金の取り立て位の権威をもって酒にしたので、質に入れて金にしたのではない。


酒來笑復歌、興酣樂事多。
(酒 來りて笑い復た歌う。興 酣(たけなわ) 樂しむ事 多し。)
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
興酣 酔って最高の気分、それが風流の内であること。李白の気分の乗った時の常套語。李白は琵琶、琴、笙を奏でたのでいろいろしたのであろう。
 
水影弄月色、清光奈愁何。
(水影 月色に弄ぶ。 清光に愁う奈何(いかならん)。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
奈愁何 押韻のため奈何愁を奈愁何としたもの。

明晨挂帆席、離恨滿滄波。
(明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。)
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。
離恨 別離の悲しみ。人と別れるつらさ。○滄波 隠遁生活にあこがれを持つ李白は、その生活を連想させる滄海とともにこの語をよく使う。

(1)金陵における李白
金陵のエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである


(2)羅浮麻姑台。
麻姑の名は『神仙伝』の巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に見られるが、麻姑に関する部分の記述はほとんど同じである。
漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、使者をやって麻姑を呼び寄せた。麻姑は蔡経の弟の妻が出産数日後であることを遠目から知ると、しばらく近づかぬように言いつけ、清めのために少量の米粒を持ってこさせた。このとき地面に撒いた米は、悉く丹砂(巻七では真珠)に変わったという。
蔡経は麻姑の爪が鳥のように伸びているのを見ると、彼女が神人であるにもかかわらず、心中「この爪で背中を掻けたら気持ちが良いだろう」と考えた。この心を見抜いた王遠は蔡経を捕まえて怒った。このとき蔡経は背を鞭で打たれたが、鞭を打つ人の姿は見えなかったという。
また同様の話は三国時代の『列異伝』にも見られ、この書では、麻姑の爪で背中を掻きたいと思った蔡経は彼女の怒りを買って地に倒れ、両目から血を流したという。


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その2回目
宮島(5)

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
( 玉一作長 )
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』

#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。

猛虎の行 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』

(下し文)
頗 似て楚漢の時。 翻覆して定むる止むることなし。

朝に博浪の沙を過ぎる。 暮に淮陰の市に入る。
張良 未だ韓信の貧しきに遇わず。劉項存亡在兩臣。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲として 古きこと此くの如し。今時 亦た青云の士 棄る。
策 有りて 敢て龍鱗を犯さず。竄身 南國に胡塵を避く。
寶書 玉劍 高閣に挂かる。金鞍 駿馬 故人に散す。』

(現代語訳)#2
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。


(訳注)#2
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。○翻覆 上に向けたり、下に向けること。変わりやすいこと。


朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。李白『經下邳圯橋懷張子房』「椎秦博浪沙」
漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
淮陰市 韓信が人生を変えた漂母と出会った街。


張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良・韓信 張良・蕭何・韓信で漢の三傑。○劉項 秦軍を撃破した漢の劉邦、楚の項羽
鴻門の会 咸陽占領を巡る項羽と劉邦の咸陽城外での講和会議。懐王はかねて咸陽を陥落させた者を関中王とすると宣していたが、咸陽を開城させた劉邦は項羽の接近に対して関門を閉じ、一時は交戦となるところを張良・項伯の周旋で鴻門での和睦となった。会盟中、項羽の軍師の范増は劉邦暗殺を謀ったが、項伯・樊噲・張良の機転で果たせず、散会後に項羽を「豎子、ともに図るに足りず」と罵り、これが後の項羽と范増の不和の最初になったという。   

暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
○この聯は 注釈を参照。
經下邳圯橋懷張子房 李白-272

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3215

淮陰書懷寄王宗成李白350-199

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
○賢【賢哲】 (名・形動) [文]ナリ [1]賢人と哲人。[2]賢明で道理に通じていること。
棲棲 いそがしいさま。落ち着かないさま。あくせくする。○青云士
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 李白-217-2

古風五十九首 其四十 李白198


有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
龍鱗 下句の胡塵が対句であるから、ここでは、唐王朝、天子を指す。李白は、玄宗から追放を受けた訳で、龍:玄宗と鱗:粛宗ともいえるが、のち、永王鄰の軍に参加することを考えると、兄弟仲があまり良くなかった:粛宗で、:永王璘というのが妥当であろうと思う。




寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。
寶書 翰林院の大切な宝のような書物。○挂高閣 朝廷内の高閣に置いている。それを生かし切ることができないことをいう。金鞍 貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍。 ○駿馬 優れて走り抜ける馬。 ○故人 長安時代の友人、官僚の友人をいう。




○張子房 張良のこと。子房はそのあざな。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漠の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して晴箸を求め、秦の始皇帝を警うと決意した。

家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。かれは捨海君という異民族の夏に力の強い男を芸してもらい、大きな鉄のハンマーをつくり、案の始皇帝が博浪汐という所に行幸したのを狙撃させた。狙いは外れて予備の車にあたった。始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。張良は変名して下警身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。

いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、おりで靴を警て来い」張良はびっくりした。殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして→りてゆき靴を拾った。じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。誓まずいて、はかせてやった。じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。

「小僧、警がいのある奴だ。音のち、明け方にわしと此所で会晋」張良は怪しみながらも「はい」と答えた。音たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。そして怒って言う。「老人と約束七で遅れるとは何事だー・」去りながら言った。「音のち、朝早く会おう」こんどは妄鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。また怒って言う。「おくれるとは何事だー三富のち、もっと早く来い」張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニ…コした。「こうこなくちゃいかん」-警書を菅出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出掌る。

十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふきに見つけるであろう、黄石がつま。わしなんだ」言い至ると、さっと姿晶した。夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思い、いつ登れを詞読した。

やがて高祖が兵をあげる主柄豊てたが、十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色
の石を見つけたので、警できてそれをまつったということであった。



淮陰書懷寄王宗成 李白
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
○漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首
飢從漂母食。閑綴羽陵簡。
●后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。
●漂母 韓 信(かん しん、生未詳 - 紀元前196年)は、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」といわれた。老女が真綿を晒す老女であったことから、漂母という。
●丹徒の布衣者と一斛いっこくの檳榔びんろう
 劉 穆之(りゅう ぼくし、360年 - 417年)は、中国五胡十六国時代の東晋末期に劉裕(宋の武帝)に仕えた政治家のことさす。若く貧しかった頃は、妻の兄である江氏の家に食事を乞いに行っては、しばしば辱められ、妻にも行くのを止められたが、これを恥としなかった。後に劉穆之は江氏の祝いの宴会に赴き、食後の消化に檳榔を求めたが、江氏の兄弟に「いつも腹を空かしているのにそんなものがいるのか」とからかわれた。妻は髪を切った金で兄弟に代わり劉穆之に食事を出したが、これ以後、劉穆之の身繕いをしなくなった。後に劉穆之は丹陽尹となると、妻の兄弟を呼び寄せようとした。妻が泣いて劉穆之に謝ると、劉穆之は「もともと怨んでもいないのだから、心配することもない」といい、食事で満腹になると金の盆に盛った1斛の檳榔を彼らに進めたという。

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -228


望廬山瀑布水二首 其一
#1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
#2
空中亂潀射。左右洗青壁。
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
而我樂名山。對之心益閑。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
仙人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。
 

西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として飛電(ひでん)の 来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の 起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の 落ちて、半(なか)ば 雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うた)た 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(ま)た 空(くう)なり。』

空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは得たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う 人間(じんかん)を辞する を。




望廬山瀑布水二首 其一 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

(下し文)
空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは得たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う 人間(じんかん)を辞する を。

(現代語訳)
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。
仙人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る。
これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。


(訳注)
空中亂潀射。左右洗青壁。
水のかたまりがどっと流れ落る、空中でぶつかり、いりみだれ、打ち合っている、そして左右に砕けて、青苔のむす岩壁に降りかかり洗う。
 水があつまること。

飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
とびちる水玉はうすい霞にかわってゆく、水泡まじりのながれは大岩の中から沸騰して湧き出ているようだ。
○穹 大岩。

而我樂名山。對之心益閑。
これほどの景色の中でわたしは名山をこころから楽しむことができる、山とむかいあっていると心が落ち着きのびのびするのである。

無論漱瓊液。且得洗塵顏。
人の玉の薬液で口をそそいるのではない、ここにある滝のしぶき、水で俗世界の塵にまみれた顔を洗うことが出来る
 仙人の薬。○塵頗 俗讐まみれた顔。

且諧宿所好。永愿辭人間。』
これはともかく、自分の元から一番気に入った場所なのだ。永久に人のすむ世界にわかれをつげ隠遁したいと思うのだ。
 1 調和する。やわらぐ。「諧声・諧調・諧和/和諧」 2 冗談。ユーモア。「諧謔(かいぎゃく)/俳諧」 [名のり]なリ・ゆき。3.気に入る。○ つつしむ。ひかえる。隠遁する意味に使う。○人間 俗人のすむ世界。



まとめ

望廬山瀑布水二首 其一
#1
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
#2
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

(一般下し文)
西のかた香炉峰(こうろほう)に登り、南のかた瀑布(ばくふ)の水を見る。』
流れを掛くること三百丈、壑(たに)に噴(ふ)くこと数十里。
歘(くつ)として 飛電(ひでん)の 来(きた)るが如く、隠(いん)として白虹(はくこう)の 起(た)つが若(ごと)し。
初めは驚く  河漢(かかん)の 落ちて、半(なかば) 雲天(うんてん)の裏(うち)より灑(そそ)ぐかと。』
仰ぎ観(み)れば   勢い転(うたた) 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(また) 空(くう)なり。』
#2
空中に乱れて潨射(そうせき)し、左右(さゆう)  青壁(せいへき)を洗う。
飛珠(ひしゅ)  軽霞(けいか)を散じ、流沫(りゅうまつ)  穹石(きゅうせき)に沸(わ)く。』
而(しこう)して  我(われ)は名山を楽しみ、之に対して心益々閑(のびやか)なり。
論ずる無かれ  瓊液(けいえき)に漱(すす)ぐを、且つは 得 たり  塵顔(じんがん)を洗う を。
且つは 諧(かなう)  宿(もとよ)り好む所、永(ひさし)く願う   人間(じんかん)を辞する を。』


(現代語下し文)廬山の瀑布を望む 二首其の一
西のかた  香炉峰に登ると、南に瀧の落ちるのが見える。』
岸壁にかかる高さは三百丈、谷間のしぶきは数十里にわたる。
稲妻のように落ちるかと思えば、朦朧として白い虹が立つようだ。
はじめは 銀河が落ちるかと驚き、雲海から注ぐかと息をのむ。』
仰ぎ見れば  勢いはますます強く、大自然の壮大な力に圧倒される。
海からの風にも 吹きちぎられることはなく、江上の月の光は なすところなく照っている。』
水は乱れて 空中でぶつかり合い、苔むすあたりの岩肌を洗う。
飛び散る水は 軽やかな霞となって広がり、流れる飛沫は 岩にあたって舞いあがる。』
かくて私は 名山に遊び、山と向かい合って 心はますますのどかである。
清らかな水で 口を漱ぐのは当然のこと、俗塵にまみれた顔を 洗うこともできるのだ。
かねてからの私の好みに合っているところだ、俗世から辞してつつましくすることが  永い間の願いであるからだ。』


(解説)
 この詩は瀧に注目し、瀧の雄大さを長江の雄大さを交えて描いている。「河漢」(銀河)が落ちるかと驚き、「雲天」(雲海)から注ぐか、と、非常に斬新な表現であらわしている。

瀧は自然の壮大な力の象徴としてさらに細かく描写し、流れ落ちる瀧の水は空中でぶつかり合い、飛沫となって舞い上がる。李白詩の強烈な表現力は、この次に集約される。


仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』

仰ぎ観(み)れば   勢い転(うたた) 雄(ゆう)なり、壮(さかん)なる哉  造化(ぞうか)の功(こう)。
海風(かいふう)  吹けども断(た)たず、江月(こうげつ)  照らすも還(また) 空(くう)なり。』

天を仰ぎ見てみると、見れば見るほど勢いは雄大である。なんとすばらしいものだろう、天の造化のたくみには感心させられる。
はるばると海辺から風がたえまなく吹きよせてくる。
この雄大な長江を照らした月のひかりは、水に反射してその光を大空にかえしている。』

「江月照還空」「飛珠散輕霞。流沫沸穹石。」李白ならではの感覚である。


安禄山の叛乱軍が各地で好き勝手なことをしていても、李白一人でできることは、叛乱軍に捕まらないことであった。「謫仙人」と都での有名人であったため、下手な動きはできなかった。李白の知っている武将たちも次々と叛乱軍に降伏していた時期である。


名山をこよなく愛した李白の感想は、山と向かい「心益々閑」となった李白は、清らかな水で口をすすぎ、俗世の塵にまみれた顔を洗い清め、「人間を辞」し、隠遁したいと願うのである。

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