慰安婦は実際にどの程度いたのかーーー。

これに関して色々考察がされていますが、多くの研究者が抜けている視点があります。それは、実際に、軍人たちはどの程度慰安所に行くことができたか、という経済学的な視点。


そこで、4年以上の期間がかかりましたが、実際に慰安所を利用した元日本軍人の方々に話を聞き、どの程度の利用頻度だったかを調べてみました。すでに亡くなられた方もおり、こう言った調査は急務であると思います。是非、多くの元日本軍人の方々は積極的に真実を遺して頂くことを切に願うばかりです。


調査人数  18人
慰安所利用時の階級及び人数 / 月あたりの慰安所利用回数
  少尉  1名 / 2
  曹長  1名 / 1
  軍曹  1名 / 2
  伍長  2名 / 1〜2
  兵長  2名 / 1
  上等兵  3名 / 1
  一等兵  5名 / 0〜1
  二等兵  3名 / 0〜1

平均でおよそ月に1回という利用頻度という結果でした。これに関しては金田も少ない印象を受けたのですが、慰安所の費用は実は一般に知られているような費用よりも高かったそうで、下士官だと30分で9円だったそうです。兵士だと6円。将校は11円。経済学的視点から見ると月に1回程度の利用というには妥当な数字であり、証言とも一致しているのですね。

慰安所の料金については広東に展開していた独立歩兵第13旅団の記録が残されており、裏が取れています。

4486E32D-FCBA-4DEA-B950-3F02744BE855
573858A0-859F-4EF7-B6DA-72F887E566BF

昭和20年に中国で任務について軍人の給与は、
  少尉  90円
  曹長  37円
  軍曹  30円
  二等兵  10円

程度でした。そう考えると、軍曹の2回というのはかなり刹那的というか、給与の大部分を女性に貢いでいたのだと考えられます。日本軍人は家族に送金し、貯金に励んでいたことも知られています。小野田寛郎少尉は証言で1/3送金し、1/3を貯金、そして1/3を慰安所で使用したと証言していましたが、彼であっても月に2回〜3回程度しか慰安所に行けなかった事になります。


さて、ここまで数字が揃うとかなり詳細を窺い知ることができますよね。

計算の設定ですが、戦時中、日本軍は海外におよそ300万人ほど派兵されていました。その期間を最大8年とします。また、慰安婦の交代を2年と設定します(証言から交代を3年や4年でも良さそうですけど)。慰安婦は証言から1日に20〜30人もの性処理を行っていたそうなので、25回/日とします。

すると、1日に慰安所に向かった兵士は10万人。慰安婦の数は4000人居れば十分だった事が分かります。あり得ない数字ですが、10回/日だとしても1万人ですね。8年間で3回の交代があったとしても慰安婦の総数は1万6000人〜4万人という事になるのです。


慰安婦は全員が朝鮮人だった、と考える左派もいますが、実際は日本人慰安婦が多数を占めていました。これは様々な説がありますが、上記の18名からは「慰安所は出身地の女性を求める」という話を頂いています。そう考えると、やはり日本人慰安婦が多数を占めていたという話は信憑性があります。

朝鮮人慰安婦は恐らく3割行くかどうか。3割だとしても、4800人〜1万2000人という範囲に落ち着くのです。


元慰安婦の証言が正しければ、せいぜい4800人。1年間で600人。私たちが当時、女性を売買していた人数を考えるとこの数字もまた妥当なものです。さて、反日同胞の皆様、これについてどう反論されますか?


いつもお読み下さりありがとうございます。あなたの一押しが同胞と戦う支えになります!
人気ブログランキング