3が日も終え、
正月ムードともお別れの人もいると思いますが、
金田はもう少しお休みを頂いています。
今回、少し長く南朝鮮に滞在していたのは人に会うためでした。

相当高齢ではありますが当時の日本難民の一人で、
様々な状況を知っていた人に会ってきたんですね。


1950年、日本は戦後の狂犬病流行のピークだった年です。
日本は1922年に家畜伝染病予防法が制定され、
その効果もあり1932年から戦争末期まではせいぜいあっても20件ほどと
当時の世界の中でも稀な狂犬病清浄国だった言えます。

実は、戦後の混乱期も狂犬病はあまり流行せず、
1946年、47年とも "全国で" 40件に満たない発生件数でした。
それが、なぜだか、1948年に東京で流行。
1949年には関東に流行は広がり、
そして1950年にピークを迎える事になります。

なぜ、日本で戦中~戦後も狂犬病が増えなかったかというと、
日本獣医師会によると
戦争末期では犬を飼うのはぜいたくとされたり、
軍事物資として犬の毛皮が利用されていた事もあり、
全国的に犬の数が減少していた上に、
戦後も食料事情により飼い犬や野良犬が増加しなかったからだと言います。

それなのに1948年に狂犬病が東京で流行したのは、

「日本の食料事情が改善されるとともに,イヌの数,特に野良イヌの数が増加し始め,これに伴って狂犬病の発生件数も増え始めた」

と、言いますし、多くの方がそう考えているようですが、これは大間違いです。

いいですか、
1945年10月、幣原内閣時の大蔵大臣、渋沢敬三は、
「1946年度内に餓死・病死により一千万人の日本人が死ぬ見込み」
と語り世界的に問題になるも、アメリカは日本向けの食糧輸出を渋り、
ようやく当時の完全給食のスタンダード、
「パン・ミルク・プラスアルファ」
となったのは「占領地域統治救済資金」により
1950年7月からいわゆる八大都市で実施される事になりました。

ついでに書くと、米の作付け面積が1944年と同じレベルに復活するのは1948年。
そういった事からも、日本の食糧事情が改善されたから狂犬病が増えたというのは
正しいとは到底言えないのです。


それではどうして狂犬病が増えたのでしょうか。

『産経新聞』1950年6月28日付の記事には

終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。

とあるんですね。その不法入国した在日朝鮮人の祖父母たちは、
なぜ、折角、"連行" された日本に舞い戻ったかというと
朝鮮の方が地獄だったからですね。

その密入国が増え始めたのが1948年だったのです。

で、なぜ、密入国とともに狂犬病が増えたのか。
それは "食糧" として犬を連れてきたからなんです。

それが本当だったかどうかを聞くために、
当時の密入国を実体験している人に話しを聞きに行ったのが今回の南朝鮮行きの目的の一つでした。

そして、やはり、犬を日本に連れてきていたことが分かりました。


実は、1940年代に分離された狂犬病ウイルスは
中国及びロシア由来のウイルスであることが分かっています。
アメリカ人が連れ込んだ犬が原因という説もあったりしますが、
ウイルス解析からそれは否定されるんですね。
どう考えても、その経路には朝鮮が介在する。

そして、当時、在日朝鮮人が多かったのは
六大居留地として知られる「大阪、兵庫、東京、京都、愛知、福岡」。
狂犬病の発生もなぜだかこれに被ったのは
たまたま偶然なのか、それとも必然だったのか。

故意かどうかは今となっては不明ですが、
結果として、"生物兵器テロ" であったことは確実と言えそうです。


尚、南朝鮮では毎年、狂犬病が発生していますが、
厚生労働省は台湾での発生は伝えますが南朝鮮での発生は伝えません。
これも "報道しない自由" の一種でしょうかね。

狂犬病と戦われ、命を落とされたり後遺症で苦しまれた
当時の狂犬病担当者の方々に何と申せば良いか、言葉が見つかりません。
遅まきながら、私も含め在日朝鮮人はこういった事実を認め、謝罪すべき時が来ているのです。


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