在日朝鮮人から見た韓国の新聞

韓国の新聞を新米帰化人の目から見て、韓国で報道されている内容の中から気になることやウラ読みについて書き綴っていきたいと思います。

カテゴリ: 本の紹介

大変ご無沙汰しております。

管理人も無事回復して、まもなくブログも再開できると思います。
今回はこのブログのデータから管理人を割り出したのではなく、
管理人の個人的な慰安婦活動から狙われた可能性が高いと考えています。

そこで、新たな管理人をお願いして、再出発を図りたいと思います。


そして、もう一つ報告を。

5月8日、皆様のご支援のおかげで書籍を発刊する事になりました。
内容はお手に取ってからのお楽しみで。

また、今回、印税は発生せず、印税相当から
・南朝鮮に関する書籍の出版に関する費用
・日本の被災された方々に対する義損金
のみに使っていただくようになっております。
書籍を買ってくださった方の思いが、少しでも、日本のためになればと願うばかりです。

この場をもちまして、
上記のような契約を受けてくださった出版社の方々、
そして、本の執筆・編集に際して、間に入ってくれた朋友に深い感謝の意を表します。
ありがとうございました。


書籍の情報は下記の通りです。
皆様のご支援のほど宜しくお願い致します。

 金田正二


『差別された韓国で気づいたふるさと日本』
桜の花出版

 https://www.amazon.co.jp/dp/4434245104/
672E09CB-0922-4139-98D5-A140F1922B65
 

梅雨にぬれるガクアジサイ (2017.7.3 朝鮮日報)


梅雨で雨が時折降った2日午後、慶尚南道河東郡の金烏山のふもとにはガクアジサイが満開になっていた。 

IMG_0569

朝鮮半島のアジサイの自生種ってあまりなく、
・アマチャ
・耽羅アマチャ
・イワガラミ
くらいなものしか存在しないんですよ。
焼畑を日本統治時代まで行なっていて、日本が植樹したからアマチャが自生している、というお坊さんもいましたっけ。アマチャはお釈迦様の誕生日である灌仏会で飾ったり、その時に飲んでいる「甘茶」の原料で知られていますよね。ガクアジサイの変種です。イワガラミはアジサイ科ではなくユキノシタ科。

ところが、この記事にも出てくるように、今の南朝鮮には多くのアジサイを見ることができます。

それは、日本が統治時代だけでなく、終戦後も花のない私たちの国のために植樹を続けてくれたからです。特に、この写真で紹介しているガクアジサイはその典型例。日本原産のガクアジサイをこうやって愉しむ事ができるのは、日本人の花を愛でる心のお陰だったのです。


子供の頃、「무궁화 꽃이 피었습니다」と言って遊んだ事がありました。これは日本でいうダルマさんが転んだですね。それを私たちは「ムクゲの花が咲きました」とやるワケです。それほどまでに愛したムクゲですら、朝鮮半島からほぼ全滅しかけたのですね。


『朝鮮半島の山林』(土井林学振興会出版)によると、大正7年から昭和17年にかけて日本が植林を行なった面積は驚異の約17万7300ヘクタール、植樹本数は6億622万4000本にもなります。

IMG_0570

これは「朝鮮林野分布図」というもので、1910年に作成されたものです。今の南朝鮮はほぼ木がなかった事がこの地図からも分かる。6億本という、途方も無い数の植樹を日本が行ってくれたから、木槿も復活し、ガクアジサイも愛でる事ができるようになったのです。

それなので、今、南朝鮮に植わっている木槿(国花)の原産地は日本、という事になりますが、それを私たちは受け入れられるのでしょうかーーー。


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Gordon Thomas 氏という方をご存知でしょうか。

この方は1942年、現在のパプアニューギニアのラバウルで日本軍の捕虜となった人です。軍人ではなかったことから収容所に入らず、3年間もの間、日本軍、そして"慰安婦" を間近で観察する事ができた人です。その体験を1冊の手記にまとめたのが、

"Prisoners in Rabaul: Civilians Surviving Japanese Captivity: 1942:1945

という本です。
現在は入手が難しいようですが、是非、一度目を通して欲しい本の一冊なんですね。そのGordon Thomas 氏の手記を元に論文を書いたのが、ワルシャワ大学の Анджей Козловский 教授です。昨年、産経新聞がこの論文を記事にしているのでご存知の方もいると思います。

ということで、これが産経新聞で取り上げた論文です。
Settled history?

そして日本語で読める論文はこちら。
慰安婦問題は解決済み

この論文は結構なボリュームなので、直接的に「強制連行があったか」に関して核心的な一文を英文の方から紹介しましょう。


P10:There is little evidence that the Japanese military abducted or was directly involved in entrapping women in Korea, which had been a Japanese colony for decades when the war began…

10ページ目:日本の軍隊が拉致するとか、または戦争が始まった時に数十年もの間、日本の植民地であった韓国の女性を罠にかけていたという直接的な証拠がほとんどない…。(抜粋)

ここでいう、「ほとんどない」というのは「ないとまでは現時点では言いきれない」というだけの事であり、実質「全くない」と言う表現ですね。ですから、南朝鮮が強制性を強調するときには「~~の決議では」といったものばかりで証拠を出す事ができないのです。

左巻きの "ほぼ唯一の反証" と言える白馬事件のオランダの判例を持ってきてもいいですよ。ブッタ斬りますから。やはり、日本軍による強制性はなかった事がその判例から証明できますので。


ちなみに、慰安婦の人数についても考えてみたいと思います。アジア女性基金のデータベースでは30人~150人に1人の慰安婦という数値を元に慰安婦は2万人~41万人の慰安婦がいたという計算です。これが左巻きの人の根拠となりますが、これはあくまで、そうであろう、という思い込みの数値による計算です。

ところが、このラバウルでの慰安婦の数は約100人(P17)ということが分かっています。10万人の兵士に対して100人。要するにラバウルでは1000人に対して1人の慰安婦という計算ですね。これが思い込みではなく史実による数字。すると、300万人の兵員に対して慰安婦は3000人ということになる。であれば慰安婦の数は1.5交代で4500人にしかならない。2交代だと6000人。4交代というあり得ない数字でいっても1万2000人。

そう、多くの史料を読み込むほど同じ結果となる。慰安婦の実数は驚くほど少なくなっていくのです。


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日本植民地時代の朝鮮、生きることは地獄だった (2015.10.27 朝鮮日報)


「結婚が何だ! 家が何だ! 苦労して農業やっても口にクモの巣がはるような世の中じゃないですか。いったいこの朝鮮で何をして生きていけっていうんですか? こんな地獄でもこのまま死ねなんて言われたくないでしょう」(演劇『切れ端』の青年サムジョのセリフ)

テイクアウトのコーヒーカップを手に持ったままスマートフォンをいじり、「ヘル(hell=地獄)朝鮮」などと自分の国を地獄に例える現代の若者たちでも、舞台『切れ端』(ユ・チジン作、キム・チョルリ演出)を見れば、果たして本当の「ヘル朝鮮」とは何なのかを知ることができるだろう。希望などというものはまったく見えない日本植民地時代のすさまじい人生がそこにある。

主人公ミョンソ一家は崩れかけた掘っ立て小屋で暮らしている。一家のあるじミョンソは病に倒れ、娘のグムニョは障害があるので、ミョンソの妻が畑を耕してやっとのことで生計を立てている。隣家のギョンソン一家は飢え死にしてはならないとコメを借りたが、返せなかったためにボロボロの家まで奪われ、物ごいと行商で食いつなぎ、寒い冬の夜も寝床がなく故郷を離れる。ミョンソの唯一の願いは、日本に出稼ぎに行った息子ミョンスが帰ってくることだったが、ミョンスは独立運動をして捕まり獄死、遺骨になって戻ってくる。

中略

最後のシーンで、すさまじさの極限状態の中、「兄さんの魂は私たちを見捨てないだろうから、ぐっとこらえて生きていこう」というグムニョの絶叫は、これ以上転落することのない人々が底辺から絞り出す荘厳な意志と同じだった。ここで原作にない、きちんとした服を着た男女が登場し、この状況そのものを関心なさそうに見つめるシーンが挿入されている。このシーンは作品の幅を広げてはいるものの、芝居のテーマがあいまいになるという悪い面も出てしまった。民族の受難と抵抗を語る悲劇が、突然貧富の格差という社会問題を描く作品に変わってしまったように見えた。(抜粋)

李朝時代、私たちには乗り越えることが絶対にできない貧富の格差がありました。現代も貧富の格差が広がっていると言いますが、当時は今以上の経済格差の上に、身分制度があったのです。

日本が統治をしてくれて生活水準は上がりましたが、その日本も貧富の差があり、そういった中で歳費の30%を自分の国のために使わず、私たちのために使ってくれたのです。

身分制度を廃してくれて、インフラを整備し、それにより生活ははるかに向上しましたが、だからと言って貧富の差が「0」になるはずもなく、そんな重箱の隅を突いた演劇がこれです。『外人の観たる最近の朝鮮』という本があります。そこに書いてあることを紹介しましょう。


日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあつた朝鮮と、近代文明国との間に渡橋を架けてやつた。之等の変化に照してみても、当局者の名は何と呼ばれやうが、朝鮮民衆の為には、或は多少忍耐の足らない処があるかもしれぬ。又朝鮮人の苦しみもあるかもしれぬが、日本は莫大な利益をもたらして居る事は明らかである。(抜粋)

歴史を知らず、恩を知らず、嘘ばかりを並べ立ててきたから、こんな演劇を真史と勘違いするバカが出てくるのです。


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今回はイタリア人の目から見た朝鮮人の本です。
滞在期間は短いながらも、朝鮮人の本質をよく捉えているように思います。


Savage-Landor, Henry A., Corea or Cho-sen - The Land of the Morning Calm, IndyPublish.com, 2007.
高麗もしくは朝鮮-朝の静けさの国

Cho-sen, then, is now the only name by which the country is called by the natives themselves, for the name of Korai has been entirely abandoned by the modern Coreans. The meaning of the word is very poetic, viz., "The Land of the Morning Calm," and is one well adapted to the present Coreans, since, indeed, they seem to have entirely lost the vigour and strength of their predecessors, the Koraians.
現在、朝鮮人が自国を呼ぶときの唯一の名称は朝鮮であり、高麗という国名は完全に捨て去られている。朝鮮という語が持つ意味はきわめて詩的で、「朝の静けさの国」という意味である。朝鮮という名称は現在の彼らにふさわしい。彼らは祖先である高麗人の活気と力強さを、すっかり失ってしまったようだから。

Naturally a life of this sort makes the upper classes soft, and somewhat effeminate. They are much given to sensual pleasures, and many a man of Cho-sen is reduced to a perfect wreck when he ought to be in his prime. The habit of drinking more than is proper is really a national institution, and what with over feeding, drunkenness, and other vices it is not astounding that the upper ten do not show to great advantage.
当然ながらこういった生活は、上流階級を柔和でいささか軟弱にしてしまう。朝鮮人の男は官能的な欲求に耽り、男盛りの年齢に至る時には完全に廃人のようになってしまう。適量を超えて飲酒することは全国的に制度化されており、大食い・深酒やその他の悪い習慣のために上位10パーセントの貴族がそれらしく見えないのも仕方がないことだ。

I was told that the examinations of the present day are a mere sham, and that it is not by knowledge or high achievements, in literary or other matters, that the much-coveted degree is now obtained, but by the simpler system of bribery. Men of real genius are, I was informed further, sometimes sent back in despair year after year, while pigheaded sons of nobles and wealthy people generally pass with honours, and are never or very seldom plucked.
聞くところによると、現在行われている科挙は単なるインチキで、人々が熱望する学位が得られるのは、文学その他の知識や高い成果ではなく、単純な贈収賄の結果によってである。さらに聞いたところでは、本当に才能がある男子が毎年のように絶望を感じる一方、貴族や富裕層の愚かな息子は好成績で合格し、試験に落ちることは全くもしくはほとんどないとされる。

"Morning Calm"は「朝の静けさ」と訳すのが一般的ですが、この用語を当てがった当時の朝鮮人は身の程知らずの者か、当時としては珍しく夢を見る事のできる人だったのかも知れません。

このMorningというのは「大陸でいち早く朝を迎える」と意味合いを持たせており、Calmには「静けさ」だけでなく「賢さ」という意味をも持たせており、"Morning Calm"というのは「大陸でいち早く(文明の)朝を迎えることができる聡明な知性を持つ国」という意味を持たせています。


金田は「韓国は嫌い。朝鮮は韓国よりまだマシだけど」、と書いたことがあるのですが、こういった図々しいことを平気で言えるところが嫌なんですね。


で、本題ですね。

冒頭はこのイタリア人が「朝鮮」の持つ本当の意味を知らず、表面的な意味のみを受けての感想なんですね。ただ、それは、朝鮮人の本質をうまく捉えていて、活気のない弱々しい存在の国、という意味では間違っていません。

ただ、外からの評価を気にしすぎる私たちが「朝鮮」を捨て「高麗 → 韓国」を選択したのは、これを読めば理由が分かると思います。


そして、大酒飲みは私たち民族が昔から受け継ぐ国民病で、民族的にアル中である、ということです。そのアル中が国の生産性を下げるだけでなく、ダウン症などの遺伝子病を増やすことは以前も少し書きました。この本が書かれて一世紀以上経ちますが、未だに治らない気質ということです。

そして、ズルをするのは昔からで、科挙が公正でないことは外国人ですら分かっていたことなのです。それを日本人が止めさせたのですが、ズルができないと困る層が今もいるので、ズルが大手を振って今も制度となって生き続けているのですね。


たった数ヶ月の滞在で、ここまで本質を捉えているのに、左手巻き日本人は短期滞在の外国人よりも劣る観察力ということなのでしょうか。


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この本が最初に出版された1888年、イギリスは世界の覇者であったと言えるでしょう。そのイギリス人から見た朝鮮の記述を見ると、私たちが「これは日本人による捏造だ!」と言っていたものが、史実であった事が分かります。


W. R. 칼스 지음, 신복룡 옮김, 조선풍물지, 집문당, 1999.
朝鮮風物詩

우리는 곧 일본 집들이 즐비하게 늘어선 길가를 벗어나게 되었다. 일본 집들은 최근 외국인과의 장사로 톡톡히 재미를 보고 있는 소상인들이 서둘러 지은 집들이었다. 이런 종류의 집들을 굳이 비교하자면 일본 영사관 같은 고급 집과 이곳에 일자리를 찾으러 와 잠시 거주하는 조선 사람들의 오두막집의 중간 정도였다. 일본 집은 모두 매력적인 반면에 조선 사람들의 집은 통풍 장치가 전혀 되어 있지 않고 냄새가 나는 도로변 양쪽에 제멋대로 지어 올린 초가지붕의 토담집들이었다.
私たちは間もなく、日本家屋が立ち並ぶ一帯を通り抜けることになった。これらの家屋は、最近外国人との商売で大きな利益を得ている行商人たちが建てたものだった。このような種類の家をあえて比較するならば、日本領事館のような高級建築と、そこで働きながら仮住まいをする朝鮮人たちの小屋の中間程度だった。日本家屋はすべてにおいて魅力的である反面、朝鮮人たちの小屋は、通風装置がまったくなっておらず、ひどい臭いがする道路の両側に自分勝手に乱雑に立てた、草ぶきの土塀の家だった。

신분이 낮은 다른 여인들은 아이들에게 젖을 먹이며 집 문 앞에서 서성거리거나 집안 일을 하고 있었다. 장옷을 가리지 않은 그들의 얼굴은 천연두를 앓은 혼적과 중노동의 비천한 대우를 받은 빛이 역력했다. 어깨 위로 입는 짧고 꾁 끼는 옷은 젖가슴을 드러나게 했고 그들의 누추한 옷과 모양새 없고 불결한 곳에서 사는 모습을 보며 우리는 조선 여인들에 대해 좋지 못한 인상을 받게 되었다.
身分が低い他の女性は子どもに乳を吸わせ、家の門の前をうろついたり家事をしていた。長衣を着けない彼女たちの顔は、天然痘をわずらった痕跡と、重労働の卑しい待遇を受けていることが歴然と分かる風貌をしていた。肩の上に着る短く窮屈な服は乳房をあらわになっていて、彼女たちのむさ苦しい服とみすぼらしく不潔な所に住んでいる様子を見て、私たちは朝鮮女性に対して良くない印象を受けるようになった。 

家屋に関する記事は単に他の本の記述の補強のためです。今回はもう一つの記述について。


未だに多くの南朝鮮同胞は「朝鮮人女性が胸を出しっぱなしにしている写真は日本人の捏造だ!」といいますが、完全に史実ですね。どうして、胸を露わにしているか、これにはいくつか理由があるとされており、授乳しやすいというだけでなく、男性の発情をすぐに受け止める事ができるようにするため、とも言います。

ただ、正確なところは史料が存在しないので、「と言われています」になるのが私たちらしいのですが。

何せ、現在食べられているキムチがどうやって今のような形になったかすら分かっていないのです。実際は戦後の成立ですが、風俗史も100年も前の事になると外国人の手記にたよるしか術がないというのが実態です。


もちろん、女性の地位は非常に低い事が読み取れるのですが、実はこの記述からもう一つ窺える事があるんですね。それは、朝鮮人女性の多くは知能が低く精神が病んでいた、可能性が高かったということ。


私は「うろつく」と訳しましたが、他には「そわそわする」とか「ぶらつく」といった表現なんですね。何かしらの目的があっての行動ではない、多動に近い行動であり知的に高い人が行う行動ではない、という事が分かる表現なのです。

知人の精神科医にこの記述を読んでもらったところ、文意通り、「知能が低く精神が病んでいた」可能性が高いという判断でした。

記憶は遺伝します。これは以前も少し書きましたが、とくに虐待系はDNAに刻み込まれるんですね。その上、強迫性障害の方の子供は統合失調症になりやすいことも分かっており、心の病の遺伝が言われ始めています。だから、今に生きる私たちは異常なほど精神疾患が多いのです。


李朝時代は私たちの精神を壊し、決して逃れることのできない精神崩壊を起こす頑強な基礎を作り上げた呪われた歴史です。90歳以上の人が「統治時代は幸せだった」という、DNAの治療期間があと100年、4世代ほど続けばもっとマシになったのですが、戦後よりひどくなった私たちは確実に李朝時代をなぞり、民族のDNAをさらに傷つけているのです。


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それでは現在の宗主国、アメリカ人から見た朝鮮人に対する考察を紹介しましょう。


E. 와그너 지음, 신복룡 역주, 한국의 아동 생활, 집문당, 1999.  
朝鮮の姿:朝鮮児童の生活

일반적으로 우리가 보기에 한국인들은 다소 활력이 없거나 게을러 보이지만 그들의 천성은 친절하고 자상하고 이지적이다. 그들이 저지르는 모든 실수와 악덕은 그들이 여러 세기 동안 감수해 온 압제와 무지의 결과라는 점에는 의심할 나위도 없다. 
一般的に私たちが見るに、朝鮮人は少し活力に欠け怠け者に見えるが、彼らの天性は親切でやさしく、そして理知的です。彼らがしでかすすべての間違いや悪習は、彼らが何世紀もの間甘受して来た圧制と無知の結果という点には疑いの余地はない。

조선의 가옥에 관한 문제 중에서 가장 특이한 것은 난방에 관한 문제인데, 그 방법이 비록 경제적이라고는 하더라도 통풍이라는 점에서 본다면 아주 비위생적이며 치명적이다. 
朝鮮の家屋に関する問題のうち特筆すべき事は暖房に関する問題だが、その方法は経済的とは言っても通風という点から見ればきわめて非衛生的で致命的である。

한국 여성의 생활은 결코 쉽지 않다. 어릴 때부터 그들은 지적으로나 지위, 그리고 능력에 있어서 그들보다 더 사랑을 받고 자라 온 오라버니들보다 더 열등하다는 가르침을 받는다. 그러므로 그가 생활에서 편안하고 행복하고자 한다면 일찍 결혼해서 남편과 시어머니께 철저하게 복종해야만 한다. 아내와 어머니의 역할은 그들의 삶의 가장 중용한 임무이며, 시갓댁 조상을 받들어 보실 아들을 낳음으로써만 융숭한 대접을 받을 수 있다. 
朝鮮女性の生活は決して容易ではない。幼い頃から彼女たちは、自分よりずっと愛情を受けて来た兄たちより知的にも地位そして能力においても、劣等だと教え込まれる。そして彼女が安らかで幸福になろうとするならば、早くに結婚して夫と姑に徹底して服従しなければならない。妻と母の役割は彼女たちの人生で最も重要な任務であり、嫁ぎ先の祖先を祀り仕える息子を産むことによって、ようやく丁重な待遇を受けることができる。

무지의 미신이 만연되어 있는 곳에서는 아무런 도움을 받지 못하는 어린이들의 무방비한 어깨가 항상 짓눌린다. 집을 둘러싸고 있는 매우 불결하고 비위생적인 조석들, 그리고 여러 가지 위생법과 상식을 지키지 않음으로써 모든 종류의 질병과 고통이 일어난다. 
無知と迷信が蔓延しているところでは、誰の助けも受けることができない子どもたちの無防備な肩が常に押さえつけられる。家を取り巻いているきわめて不潔で非衛生的な状態、そして様々な衛生法と常識を守らないことによって、ありとあらゆる種類の疾病と苦痛が生じる。

ここでも住宅の事が書かれていますが、日本統治を迎えるまで、私たちの祖先の大半は劣悪な住環境であった事は否定しがたい事実です。南朝鮮のネットでは、日本人が発掘した様々な事実を否定する傾向があり、そのうちの一つが住環境です。

ちなみに、こちらのサイトで李朝時代の上流階級の建物に関して紹介されていますが、多くは「~と思われる」なんですね。たった100年ほど前の事だというのに推測が多すぎる。これも歴史を正しく検証できない私たちをよく表しています。

で、アメリカ人から見ても、子供たち、特に女の子の扱いはひどかった事がこの本からよく分かります。


今までこそ、少しは女性も強くなってきた(極、ゴク一部ですが)ようですが、当時、女性は完全に奴隷。男児を産んで初めて一人の人間として見てもらえ、産めなければ捨てられていました。それがアメリカ人から見てもよく分かるほどなんですね。

しかも、大切な男児であっても、衛生観念が完全に欠落していた私たちは子をまともに大人に育て上げるにはギャンブルに近かった事でしょう。

人口が増えたのは、日本統治時代に徹底した衛生観念を叩き込んでくれたからです。それがあるから朝鮮半島の人口は李朝時代は停滞していたものが急速に増えたのです。まぁ、そんな史実も外国人に教えてもらわないと自国の歴史もままならないのも相当恥ずかしい事なんですよ。


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それでは、今度はポーランド(プロイセン)人が朝鮮を見た時の感想を紹介したいと思います。



E. J. 오페르트 지음, 신복룡・장우영 역주, 금단의 나라 조선, 집문당, 2000.
禁断の国、朝鮮

중국의 도시에서 볼 수 있는 다양한 색상으로 화려하게 장식된 큰 사원은 서울에서 찾아볼 수 없다. 가옥들은 대개 진흙으로 지어진 단층집으로서 초라하기 때문에 결코 서울이 조선과 같은 나라의 수도라고 할 만한 인상을 주지 않는다. 
中国の都市で見ることができる様々な色で華やかに装飾された大きな寺院は、ソウルで見つけることができない。多くの場合、家屋は泥で作られた平屋でありみすぼらしいので、決してソウルが朝鮮の首都であるという印象を持つことができない。

그들은 임기 동안에 주민의 안녕을 도모하는 데는 거의 관심을 갖지 않는 반면에 자신에게 불이익이 되지 않도록 오직 착취를 통해 신속하게 납세금을 징수하고 뒷돈을 챙기는 데에만 열중한다. 그들은 누구나 임기가 짧은 만큼 포괄적이고 신속하게 착취해야만 불로소득을 챙길 수 있다고 생각한다. 
彼ら(官吏)は在任期間中に住民の安寧を図ることに関してほとんど興味がない一方で、自分に不利益にならないようただ搾取を通して速やかに税金を取り立て、裏金を貯め込むことに熱中する。彼らはみな任期が短い事から、包括的で速かに搾取しなければ不労所得を溜め込めないと考えている。

조선만큼 민족의 기원이나 역사에 관한 문헌이 불완전하고 부족한 곳도 드물다. 학자연하는 조선 사람들 중 누구도 자기 나라의 역사를 기술하려 하거나 그렇게 할 수 있는 사람은 없는 듯하다. 
朝鮮ほど民族の起源や歴史に関する文献が不完全で不足している所も珍しい。学者のように振る舞う朝鮮人のうち、誰も自分の国の歴史を記述しようとしたり、それができる人はいないようだ。 

恐らく、当時の街並みに近い場所がソウルにあります。タルトンネです。そこの取材記事がありましたのでリンクしておきたいと思います。
2015082402
デイリーニュースオンラインより

日本も貧富の差が激しくなったといいますが、南朝鮮は日本の差などないに等しいくらい大きな差があるんですね。そして、李朝時代はその差が今以上に大きかった時代。だからこそ、ほんの一部の王族以外は貧しい生活をしていたんですね。

両斑も意外と貧しく、それ故、系譜を売っていたんです。

だから、当時のソウルはまさにこんな感じの家屋が乱雑に立ち並んでいたんですね。しかも、民衆の生活を少しは考えなきゃいけないはずの官吏も不正に忙しくしていたのですから、文化は愚か、環境すら改善するはずがなかったのですね。

で、面白いことに史料が読めないのは漢字がなくなったからではないようで、漢文を読めていた時代ですら、自分の国の歴史については無関心というか記述する能力がなかったようなんですね。だから、ウソの歴史書(
偽書)を信じてしまったり、書いてあることを曲解するようなことが頻繁に起こるのです。


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抗日独立運動の聖地に「日本海」表記の地図=中国・吉林省 (2015.8.21 朝鮮日報)


抗日独立運動の聖地である中国吉林省延辺朝鮮族自治州の竜井中学校の歴史記念館に東海を「日本海」と表記した「延辺朝鮮族自治州地図」が販売されていることが分かった。

京畿道抱川市在住の男性(57)が今月初めに歴史記念館を訪れたところ、問題の地図が1000ウォン(約104円)で販売されていたという。男性が実際に購入した地図には東海が日本海と表記されていた。

男性は「抗日独立運動の聖地であり、朝鮮族を教育する学校で、日本の歴史歪曲(わいきょく)の象徴である『日本海』表記の地図が販売されている事実に怒りがこみ上げた。しかし、学校側は『なぜあなただけ問題視するのか』と黙殺した」と憤った。

韓国では東海を日本海と誤記した地図を是正する試みが進む中、韓国民の歴史認識を鼓吹し、抗日独立運動に対するプライドを高めるべき中国の記念館で「日本海」表記の地図が販売されていたからだ。

民族問題研究所抱川支部のイム・マンチョル会長は「朝鮮族の学校で独立記念館であれば、日本海という表記が誤りであることを知らないはずはないのに、なぜそんな地図が販売されているのかその真意が分からない。外交部(省に相当)は国内の政争にばかり没頭せず、積極的に取り組むべきだ」と述べた。

まぁ、教科書の表紙に堂々と「日本海」と表示する国が何を言いたいのか分かりませんが。

金田の話しをしても大昔なんでアレですが若い親戚(20代)と正月に話しをした時に「日本海と習った事がある」と言ってましたけどね。

この呼称問題は1992年の地名標準化会議において問題提起するまで、普通に日本海を使っていた。問題提起したからといってスグに国民に周知なんかされるハズもなく、金田の親戚のように授業でも、そして、2009年になっても教科書に「日本海」表示の地図を表紙に使ってしまうのです。

そう、国民レベルでは今だに日本海と習った世代が中心的役割を果たしているから起こる事なんですね。


もちろん、金田は東海表記を全く滑稽な話しだと切り捨てはしません。確かに統治時代の前から東海は使われていたのですが、使われ方が違うんですね。と言う事で、当時の朝鮮人が考えていた東海について説明させてください。

朴殷植という人がいました。「大韓民国臨時政府の第2代大統領」だったと南朝鮮が主張する人物です。この人物が1915年、韓国併合から5年後に書いた『韓国痛史』というものがあります。そこに書かれているのが


「韓国は亜細亜東南の突出に在る半島国なり。その境界は東、滄海に濱日本海を隔て、西は黄海に臨んで中国の山東江蘇二省に対す」

「沿岸付近の事を東海と言い、その先には日本海が広がっている」と考えていたのですね。もちろん、これだけではありません。我らが聯合ニュースでも取り上げている、南朝鮮人にとって大切な史料の一つである葛生修亮の著書「韓海通漁指針」には次のような解釈が書かれているんですよ。

・朝鮮半島周辺の海を「韓海」として東海、南海、西海に分ける。
・「東海」は「東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山付近に至る沿海を指す」と沿岸部であると認識
・「東海」は「一大内海を形成せる日本海の一部」という認識

以前、少し書いたのですが、朝鮮人は船を作る技術は高度なものを持っていませんでした。大きな船を作れなかった私たちが、ある程度自由に動けたのは沿岸部だけなので、私たち朝鮮人にとっての「海」というのは沿岸部海域を示す言葉だったのです。


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宮中婚礼を再現 (2015.7.4 朝鮮日報)


京畿道高陽市のKINTEX第1展示館で3日午前、「協同組合週間イベント2015」が行わた。写真は、開幕イベントで伝統的な宮中婚礼パフォーマンスを行うモデルたち。
2015070402
朝鮮日報より

またまた、ウソで塗り固めているので、ブッタ斬りを。

先日、チマチョゴリの件でもでも少し書いたのですが、伝統がなければ1から作れば良いのです。どの国も、そうやって伝統を築き上げてきたのです。それをありもしない半万年前からの伝統、とやるからおかしな事になるんですね。

庶民は黄はもちろん紫、赤、青、緑、黒、灰が使えなかった。だからこそ白しか身につけられないから、白丁、という言葉が生まれる事になったんですね。チマチョゴリが色鮮やかなハズがないのです。

伝統もないのに改良韓服とかって、よほど最初のデザイナーの腕が悪かったのか、それとも伝統のなさから使い勝手を改良せざるを得なかったのか分かりませんが、不思議なものが出来上がりましたが、この宮中婚礼衣装も伝統がないから、だけでなく、歴史を軽視するから、嘘がまかり通ります。


覚えておくと良いポイントがあります。

李朝時代、黄色は中国皇帝を意味する色でしたから使用が禁じられていました。これは全ての階層での話しですから、仮に王の婚礼であっても例外ではありません。この時点でこの衣装はアリエナイ。基本、使用できたのは黒と青、そして赤。

赤は皇帝に対する服従の色であり青はその臣下の色となります。「渓陰漫筆」を読むと李朝は琉球以下の対応だった事が分かり、間違っても琉球王朝が使えた色そのままが李氏朝鮮で使えたワケではないのです。


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