【ソウル聯合ニュース】1923年の関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺事件の被害者遺族が30日に遺族会を立ち上げ、韓国と日本の政府に真相解明と賠償を求めていく。事件をテーマにしたドキュメンタリー映画の製作に取り組む在日コリアンの呉充功(オ・チュンゴン)監督や釜山・エビン教会のキム・ホンスル牧師が21日、伝えた。
関東大震災発生直後、「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」などのデマが流れ、約6000人の朝鮮人が日本人により殺害されたといわれる。昨年8月20日にソウル中心地で行われた被害者追悼式の様子(資料写真)=(聯合ニュース)。 (抜粋)
『東京府統計書』大正11年版によると1922年末時の東京在住の朝鮮人は4631人に過ぎません。神奈川のデーターは推計で3000人強言われているので、東京・神奈川で8000人。震災時は恐らく9000人を超える朝鮮人が住んでいたと推計されます。そんな状態で3人に2人が殺されたって、、、あり得ません。
人口統計では1920年が502万2818人で1925年の東京と神奈川の人口は511万6220人ですから1923年の東京・神奈川の人口は推計で507万8859人。東京・神奈川の死者・行方不明者が10万3225人なのでおよそ人口の2%もの方が亡くなられています。
後述しますが、震災における朝鮮人の死者・行方不明者は832人です。9000人のうち832人ですから9.2%もの方が亡くなったことになります。このように死者・行方不明者割合だけを見ると、朝鮮人の方が日本人よりも4.6倍弱もの被害率だという事が分かります。ですが、こういった事が起きた理由は既に判明していて、その理由は家屋の倒壊や火災の特に酷かった地域に私たち朝鮮人が固まって住んでいたからです。
例えば、本所区(現、墨田区)では日本人も含めて住民が全滅、とされています。また、浅草区、神田区、京橋区、深川区なども全家屋が焼失し、住民も全滅に近かった。特に浅草区と深川区には朝鮮人が集まる飯場があり、ここも全滅しているので、この3区に住んでいた朝鮮人は日本人同様ほぼ全員が犠牲になった可能性が高いのです。尚、この3区に住んでいた朝鮮人だけで584人。震災時には700人近かった事でしょう。
そうなると、この本所区・浅草区・深川区以外での死者・行方不明率は日本人と変わりないことが分かります。大量虐殺なんてあり得ないんですよ。
832人という数字は朝鮮総督府官房外事課所収の『関東地方震災時に於ける朝鮮人問題』に掲載されています。震災があった事は数日で朝鮮半島に伝えられ、身内の安否確認が殺到したようです。そこで、当時の日本政府は朝鮮人の死者・行方不明者を漏れがないように割り出し、その遺族全員に弔慰金を支給しているのですね。漏れがあると後から何を言われるか分かったものではないのですから、それこそ詳細を調査したようです。
日本人にはこの弔慰金が16円でした。なぜ、この時、朝鮮人には200円という当時としては大金が支払われたのかというと、この時、既に日本人による大虐殺というデマが流布していたからです。そういった騒動を収めるために、大金を支払ってしまったの。私たち朝鮮人は、この時からゆすりの名人だったのです。
尚、民団によると関東大震災の前年、日本に在住していた朝鮮人は5万9722人でしたが、震災が起きた大正12年末には8万415人にまで増えている。虐殺されたハズなのに、朝鮮人が2万人以上も日本に押し寄せるってどう思いますか?
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