私は、「1Q84」に何を考えていたのだろうか。

思い返してみると、村上春樹とは全然無縁に、イギリスの作家ジョージ・オウエルの小説『1984年』の中のように、スターリン髭をたくわえたビッグブラザーが、監視カメラで僕らをすみずみまで監視しているはずでした。

恐怖な政治が本当にやってきたら、どうしようかと漠然と考えていましたが、いくつか予想を裏切る出来事が起きました。

一つは、ビッグブラザー率いる「社会主義」体制が予想以上に早く疲弊して、1986年にチェルノブイリ原発事故を起こしてしまい、核戦争をする前に、核で自爆してしまいました。そして、旧ソ連邦は情報通信技術やそれを利用した制御技術の遅れが目立ち、人々を監視し尽くす力は残っていませんでした。

その一方で、資本主義のチャンピオンであるアングロサクソン諸国(米英両国)では、1980年を前後して、「新自由主義」を掲げるサッチャー政権やレーガン政権が誕生しました。サッチャー政権が、1982年にアルゼンチンとの間でフォークランド紛争を引き起こし、事もあろうに、英国国内でジョン・レノンの「イマジン」を放送禁止にしました。自己責任と自由を謳う政権が、同時に「強い国家」の主張者でもあって、警察を強化したり戦争をしかけたりして自由を抑圧するものであることが分かりました。

ちょうどこの年に、私自身は東大の社会科学研究所の助手をクビになって、池袋の職業安定所(今のハローワーク)に通う羽目に陥ってしまいました。私の失業は、新自由主義の経済政策の直接的影響ではないけれども、とりあえず、自分が職安通いになってみて分かったことは、食えないことには自由も民主主義もないってことでした。

冷戦体制が終わり、ビッグブラザー率いる「社会主義」が滅び、誰でも「自由」を謳歌できる時代が始まったはずでした。

ところが、新自由主義を掲げるブッシュ・ジュニア政権が「対テロ戦争」を始めてから、街中いたる所に監視カメラが設置されるようになってきました。そう、僕はテロリストなんかじゃないから、監視カメラが僕を守ってくれている、だからジャンジャン監視カメラを設置しようぜ……。でも、いつの間にか、逆立ちが始まる危険性も否定できません。監視カメラに常に見られているので、テロリストや犯人と疑われては困るからと、どんどん自由な政治的発言や振る舞いを自己抑制していくことになります。そう、デモなんかして、監視カメラで見られたらヤバイじゃんってね。

それでも、僕らは情報通信技術の発達で、いつでもどこでも様々な情報を自由に手に入れられるから、ビッグブラザーに支配されることはなくなるはずだと考える人も多いはずです。

事実、電子端末機はどんどん進化して、いつでもどこでも自由にたくさんの情報が入る時代となりました。携帯電話のiPhoneに続いて、電子書籍など多くの機能が搭載されたiPadがアップルから出て、電子書籍ではアマゾンのキンドルという端末やグーグルと組んだソニーリーダーなどが米国では売れています。おまけに、膨大なデータは端末機ではなくクラウドにため込まれるので、電子端末機はそれほど大きくなったり重くなったりしません。

そんな電子端末機の進化の中で、グーグルはかねてから図書館プロジェクトとして著作権の切れた本をウェブにのせて、世界中どこからでも読めるようにする事業をすすめてきました。この図書館の本のウェブ化については、世界の大学図書館をつなぎ、世界をまたぐ規模で進んでいます。いずれグーグルを使えば、誰でも無料で世界中の本が読めることになります。なんて便利な時代がやってきたんだろう……。

さらにグーグルは、著作権は切れていないが、絶版になったり入手できなくなったりしている本についても、グーグルがウェッブにのせ出しました。ところが、これに対して、著作権の侵害だという非難がでてきて裁判となりました。2008年5月に、アメリカの一地方裁判所においてグーグルとアメリカ作家団体と出版者協会の「和解案」が出ました。

この「和解」案は、『新興衰退国ニッポン』(講談社)第8章でも書いたように、米国特有な著作権の考え方を前提としたもので、他の国々にとって衝撃的なものでした。

この訴訟の中で、グーグル側は自社の行為は著作権の「フェアユース」に当たると主張したからです。「フェアユース」とは、紛争になってから事後的に訴訟の対象となったケースを裁判所が判断して、適法か違法かを決めていいという考え方です。つまり、使用目的などによっては、許諾なしに人の著作を使っていい場合があるということです。例えば、ニューヨーク南部の連邦地裁が「絶版や入手できない本をウェブで読めれば社会の利益になる」と判断すれば、グーグルがウェブにのせていいことになります。

実は、この「フェアユース」についての裁判は前例があります。

一番有名な判決が出たのは、まさに「1984年」でした。

その裁判は、ソニーが家庭用ビデオ機を売り出した時に、ユニバーサルスタジオが著作権侵害を訴えたものでした。アメリカの最高裁は「フェアユース」と判定して、ビデオ機は家庭でテレビに映る映画などを録画できるようになりました。

同じように、グーグルによると、これまで電子化した700万冊中、6−7割は絶版または市販されていないといいます。こうした本をグーグルのサイトで読めるようにすることを「フェアユース」だとグーグルは主張したのです。

しかもインターネットは世界的に開かれたメディアですから、この米国特有の著作権の考え方が世界中に及んでいくことになります。今回の「和解」案では、外国の出版物は対象外となりましたが、無許可でデジタル化される著作物については、著作者が別途措置をとらないかぎり、削除されないまま残ることになってしまいます。

そのために、フランスでは、大手出版社のラ・マルティニエールがグーグルによる電子化が著作権を侵害しているとして訴え、パリ大審判は2009年暮れにグーグルに賠償支払いを命じました。さらに、サイトからこれらの本を削除するまで、毎日の賠償金支払いを命令したのです。

やがて「入手できない」「入手しにくい」が拡大解釈されて、インターネットには国境がないので世界で遠い地域で書籍が電子化されて、ウェブ上で誰でも見られるようになっていく可能性があります。放っておけば何をするか分からないのが、米国の一国決定主義(ユニラテラリズム)の世界です。

業者も抜け道はいくらでもあります。ちょうど多くのエロサイトが米国など外国のサーバを使っており、取り締まりが困難なのと似ています。問題は、いちいち米国の地方裁判所に訴えなければ,それを削除できずに誰でも読めてしまうことです。どう見ても、日本で出版されている本が、アメリカの地方都市で入手可能かといえばほとんど不可能です。それが「フェアユース」かどうかを、アメリカの一地裁が決定できるというのはいかにも強引すぎます。

これまでグーグルは、マイクロソフトに対抗して、誰にでもオープンかつ自由に使えるオープンアーキテクチャーを理念として伸びてきました。またグーグルは広告料収入を基本とするビジネスモデルなので、読者からすれば、ちょうどテレビの民放みたいにカネなんか支払う必要がなく、無料でどんどん読者が自由に読めるようになれば、いいことじゃん、となります。

でも、タダほど怖いモノはない。

問題は、そうなれば、コストをかけて作った作品の著作者は、そのコストを回収できなくなる場合が出てきます。「誰でもただで読める便利さ」には大きな落とし穴が隠れています。有料だからいいものが生み出されるとは限りませんが、やがて安手の作品だけが行き交うようになり、インターネットで見られるものはほとんどクズ同然の情報ばかりになってしまいます。餌を食い尽くしてしまうと、ライオンも生きていけなくなるのと同じ理屈ですね。こうした状況は新聞やテレビですでに起き始めていますが、それはやがて出版文化を滅ぼしてしまうでしょう。真剣にルール作りを急がないと、自分で自分の首を絞めてしまうのです。

実は、問題は著作権の問題だけではありません。とくに気になるのは、グーグルもアマゾンも利用した人の個人情報を集積し利用しようとしている点です。

アマゾンは本を売るだけでなく、買った人の情報を集積して「おすすめの本」を提示したり、本のレビューを集めて星5つでランキングしたりしています。考えようによっては、その人の思想傾向や嗜好をチェックしているのです。その一方で、アマゾンは電子化されていない書籍販売でも、米国のインターネット・サービスだということで、日本では税金を支払おうとせず、国税庁から納税を要求されました。おそらく電子書籍化すれば、公然とそうするでしょう。

他方、グーグルはG-mailというメールサービスを提供していますが、グーグルがメールの内容を検索し利用することに「同意する」ことを求めています。試しに、G-mailの同意書の頁をのぞいて見てください。

グーグルやアマゾンに集積される個人情報の保護は一体どうなるのでしょうか?

どうしても不安が取り除けません。というのは、グーグルという一私企業は、収益性という企業の論理を優先するのであって、「言論の自由」という公共目的の守り手であり続ける保証はどこにもないからです。そして実際に、そういうことが起きているのです。

2010年1月半ば、グーグルは中国の人権活動家のG-mailを一つのターゲットにした大規模なサイバー攻撃と検閲協力を理由に、中国撤退をほのめかしました。日本のメディアでは、グーグル=「言論の自由」の守り手、中国政府=「言論統制」の主体という単純な構図が作られましたが、「百度」という検索エンジンが支配的な中国にグーグルが進出する際に、中国政府の求めに応じて、自ら進んで天安門事件、チベット問題から、食品毒物、就職難から党人事まで、中国政府の気に入らない項目は検閲し、カットしてきたのもグーグル自身なのです。儲けるために、です。

この行為を、魂を売り払ったと見なすか、私企業としては当然と考えるか、はたまた危険と考えるかは、議論の重要な分岐点です。しかし確実に言えることは、集積された個人情報をいったん悪意に使い出したら、取り返しのつかない事態を生むかもしれないということです。しかも日本では、yahooがグーグルと提携したために、8~9割の利用者の個人情報がつかめてしまうのです。それが利益追求のために悪用されないか。中国での検閲は深刻な問題を投げかけています。

やはり、タダより怖いモノはありません。

多くの日本人が「便利さ」を強調するだけで、ルールを支配しようとする米国巨大IT企業に、自ら進んで身をゆだねていくのは、かなり「1984」的です。国際ルールが未成熟な下では、「自由で公開、しかもタダ」という名目で、自由を抑圧することも起こりうるからです。日本政府は国家戦略的にルール作りを急がないといけません。

これまで、グーグルやアマゾンの問題を指摘しましたが、明日起きたら、いつの間にか、このブログが消されていたなんてことになったら、本当に怖いですね。

そうなったら、ジョージ・オウエルの小説『1984』に出てくるビッグブラザーは、実はグーグルとアマゾンだったということになりますから……。