20141214日に衆議院選挙がありました。

投票率は戦後最低の52.66%。

自民党の得票率は48%で、有権者のわすか25%の支持で議席の76%を独占しました。

 

総選挙中、「アベノミクス」という「ワンフレーズ」が繰り返されましたが、小泉政権の時のような「熱狂」もないまま、自公両党は憲法改悪が可能な326議席を獲得したのです。

しかも若者の投票率は30%前後にすぎません。

明らかに政治は若者に見捨てられています。

このことだけを見ても、この結果が「未来のない選択」であったことを示しています。

 

過去の歴史を振り返って考えると、「静かなファショ」の時代に入ったのかもしれません。

人々は、議会制民主主義にほとんど期待しなくなりました。

今後は、特定秘密保護法をバックにして、これまで以上に、直接間接にメディアへの言論抑制が行われるでしょう。

それでも、多くの人々は、この愚かな選択に自ら気づくことになると思います。

 

「アベノミクス」の下で、膨大なマネー供給によって物価上昇期待を上げれば、消費が増えるとしてきましたが、2013年半ばから一貫して実質賃金が下がり続け、家計消費が減少を続けているからです。皮肉なことに、消費が増えたのは消費税増税前の駆け込み需要だけです。インフレターゲット論の「理論」が正しくて現実が間違っていることはないのです。

 

たしかに異次元の金融緩和は株高をもたらしました。しかし、潤うのは一部大企業と富裕層だけです。

今後は、原発再稼働と再エネ妨害によって、エネルギーや産業構造の転換は遅れて、日本企業の国際競争力はますます落ち、「岩盤規制」を壊すという名の下に雇用や社会保障が破壊されて、猛烈な格差社会が訪れることが想定されます。

金融緩和と「構造改革」の組み合わせが最も格差を拡大させるのです。

必要なのは、大転換期にふさわしい産業構造の転換――集中メインフレーム型から地域分散ネットワーク型へ――を一気に促す産業政策(雇用創出)ですが、それもありません。

小泉「構造改革」の時と同じです。

このままでは痛みだけがやってきて、日本は「失われた30年」になります。

 

しかし、こうした動きを反転するには、私たちの思考そのものを革新していかないといけません。

201412月に上梓した『社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか』(同友館)は、そのささやかな試みです。政策的オルタナティブとして書いた『儲かる農業論 エネエルギー兼業農家』(集英社新書)と合わせて、ご一読いただければ幸いです。

 

『社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか』の前文(はしがき)を掲載します。

 

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「いま世界は混沌としている。

それをどう認識し、どう立ち向かったらよいのだろうか。

 

ひょっとすると、私たちは古い「常識」に縛られて、重大な見落としをしているかもしれない。あるいは根本的に誤った思考を繰り返しているかもしれない。そして「正しい」とされている考え方が、実は時代の閉塞をもたらしているのかもしれない。それは体制を擁護する側だけでなく、体制を批判するリベラル派や左派にも当てはまりうる。こうした状況は、時代の転換期にはよく起こることである。本書に「社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか」という書名をつけたのは、自省を込めてこういう反省から出発したいがゆえである。

 

実際、1980年代以降、世界の資本主義は大きく変質した。先進諸国の景気循環をよく観察してみれば、経済学のテキストが想定していないバブルとバブルの崩壊を繰り返すものに変質している。そしてグローバリズムに基づく金融資本主義とでも呼ぶべき現象は、2008915日のリーマン・ショックに行き着いた。バブルの崩壊は、巨額の不良債権を産み落とす。そして会計粉飾を横行させ、政府や中央銀行による救済を恒常化させる。その結果、いまや米日欧の中央銀行の政策金利はほぼゼロになり、「異次元」「異例」「非伝統的」といった形容のもとに、未曾有の量的金融緩和政策が実行されている。金利がゼロで、世界中マネーであふれている状況は、近代資本主義の歴史にはなかったことである。

 

それは市場が実は自律性を有しておらず、制度や信頼なしに成り立ちえないことを白日の下にさらす。制度や信頼が崩れ、メガバンクや経済界の中枢企業の経営責任を問えないままズルズルと救済を続けていくと、中長期的に産業構造の転換が妨げられていき、長期停滞から脱することはできなくなる。それは金融分野だけでなく、福島第1原発事故とエネルギー分野にも当てはまることである。

 

グローバリズムに基づく金融資本主義は、新自由主義や新保守主義を横行させるだけなく、政治の手法そのものを変えていく。その中で、格差と貧困は世界中で広がり、人々の生存権を脅かしている。家族や雇用のあり方が大きく変化してしまうと、格差や貧困も多様化し、それにいかに対処していくべきかという問題を引き起こす。他者への想像力が欠如すると、私たちの意識には知らぬうちに「上」から見下ろす思考が浸透していく。たとえば、生活保護をもらって酒を飲むとは何事だといった非難が典型的だが、格差が拡大すると、多くの人にとってストレスの高い社会になり、しかも社会の底辺に追いやられた人々ほどストレスからくる健康格差に苦しめられているのが現実である。 

 

パターナリスティックな福祉国家を否定し、社会的排除を防ぐために「自立支援」という考え方が登場した。しかし実は、「自立支援」は紙一重で「自己責任」論に変わりうる。新自由主義的思考が忍び込み、誰もが「自立した経営者」あるいは「自立すべき経営者」であるという暗黙の前提がいつの間にか入り込むと、「自立支援」はたちまち全く逆の強制や抑圧の装置になりうるからである。丁寧な思考が求められている。

 

一方、格差や貧困が拡大し社会の紐帯が壊れていけばいくほど、ナショナリズムが台頭する。世界は、いまやウクライナ、シリア、ガザ、イラクと、かつて超大国が支配していた東西が接する地域で戦争が引き起こされている。「戦争のある」時代に入っている。その中で、EU議会選挙では極右勢力が台頭し、米国でもキリスト教原理主義がなお根強くはびこっている。日本では、安倍政権が登場し、アベノミクスというスローガンで経済回復への期待を集めながら、集団的自衛権行使容認の閣議決定、武器輸出3原則の見直し、特定秘密保護法の実施とメディアへの公然・非公然の圧力などが起きている。「戦争のできる」国作りが進められ、国民的合意なき原発再稼働や原発輸出が行われようとしている。

 

民主党政権の失敗もあって議会制民主主義は機能麻痺に陥り始め、ナショナリズムはネット右翼というバーチャルな世界から出て「街場」の世界に現れ、ヘイトスピーチに見られる「行動右翼」が生まれている。だが、リベラル派も左派も四分五裂している。恐ろしいほどの古い思考が依然として行き交い、戦後続いてきたさまざまな運動の分裂と弱体化がなおも進んでいる。このような状況を克服するには、どのような思考が必要なのか、真剣に問い直さなければならない地点に立たされている。

 

この本は、これらの諸問題をどのように認識し、どのように立ち向かっていけばいいのかについて考察している。筆者たちは10年間にわたって研究会で議論を重ねてきたが、こうした思考は「狭い空間」を超えて、ひろく街場の議論の中で鍛えられなければならない。本書を上梓することが、民主主義社会実現のきっかけのひとつになれればいいと筆者一同は願っている。

 

金子勝

竹田茂夫

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