最近の政治経済状況を見ていると感じる、戦前の大恐慌と様相が似てきていていることへの不気味さ――それが私の中を突き動かすのです。もちろん、自分自身の苦い経験もあって、私は、今にも「ファシズムがやってくる」という「狼少年」のような議論をする気はありません。何か社会全体が壊れていくような感覚と言ったらわかるでしょうか。長期停滞の時代には、人が生きていく方向性が見えなくなり、経済に連動して政治も社会も崩れ始めていくものです。実際に、経済は言うまでもなく、政党政治の崩壊を予兆するようです。
こういう時は、「過去の似た事例」を注意深く比較して考えることが必要です。実は、この不況は1930年代の大恐慌とは似て非なるものです。
たとえば、大恐慌期には、小さな銀行が「伝染」によってドミノ倒しのように破綻しましたが、今は欧米のマネーセンターバンクがヨレヨレの状態です。あるいは金融のグローバル化のおかげで、アイスランド、バルト三国、ドバイ、ギリシャ、ポルトガルと、つぎつぎと国家がデフォルトになりかねない危機が襲っています。つぎは中東欧諸国が危ないといわれています。さらに、資源インフレ(石油ショック)と資産デフレ(バブル崩壊)が同時に襲う、かつて経験したことのない不況です。G7にはカネがなく、G20が新たに登場しましたが、これが新しい世界の安定的秩序になるとは思えません。これまで一度も経験したことがないような長い経済停滞と多極化した不安定な世界が続く危険性が高まっています。歴史は繰り返すように見えて、決して同じではありません。
しかも、過去の歴史解釈もまた変わるものです。ニューディール政策が大恐慌を終わらせたかのような議論が一部にありますが、虚心坦懐に見れば、戦争が景気回復をもたらしたというのが「真実」でしょう。そして戦争による破壊が戦後の膨大な更新投資、更新需要を作り出しました。その底流では、石炭から石油へのエネルギー転換が起きていました。何より第二次世界大戦は「石油による戦争」でした。軍艦も戦闘機も爆撃機も戦車も輸送車も、みな石油で動くようになったのです。戦後の航空機産業や自動車産業の成長は、この戦争抜きには考えられません。中島飛行機(富士重工)、日産あるいはドイツのBMWもみな「石油の戦争」が基礎になって生まれました。もちろん、景気回復のために戦争をしろと言っているのはありません。実際に戦前と比べれば、兵器の破壊能力は比べものにならないくらい巨大になりました。先進諸国同士の戦争は、地球の破滅を意味します。おそらく現代の戦争は、過去とは違っています。まず冷戦の終結とともに、藤原帰一氏が言うようにアフガン、ソマリアなどのアフリカ諸国といった「見捨てられた地域」が生まれ、そこで国家が溶解して「テロリストたち」がどんどん育っていっていく。彼らが先進諸国を襲うようになりました。そして、先進諸国はそれに備えて、ますます「監視国家」「管理社会」化していくという形をとって、戦争は「現実化」しつつあるように思えます。すべては似ていて、全く異なるのです。経済学にかぎらず、既存の学問が役に立たず、現実の前に立ちすくみ、説明力をますます失っています。では、何を考えるべきなのでしょうか。
いまは戦争抜きにいかにしてこの未曾有の不況を脱するのか、を真剣に考えないといけない時期なのかもしれません。私には、地球温暖化阻止という大義を掲げ、世界中でいっせいにエネルギー転換を引き起こし、爆発的な更新投資、更新需要を一気に喚起する以外に抜け道は見つからないように思えるのです。過去を本当に反省するならば、日本はその先頭に立たなければならないでしょう。たしかに、格差も貧困もひどい。だが、本当に平和や人権を守ろうとする気があるなら、決して内向きになってはいけません。同じ所をぐるぐる回っていては何も生まれてこないからです。未来に向かって、何を作り出すのか。それが、『日本再生の国家戦略を急げ!』(小学館)と『新・反グローバリズム』(岩波現代文庫)を書いた底流にある(書いていない)問題意識です。いま私は、命を使い切ってでも、将来の世界を見通したいという欲望に勝てないでいます。
こういう時は、「過去の似た事例」を注意深く比較して考えることが必要です。実は、この不況は1930年代の大恐慌とは似て非なるものです。
たとえば、大恐慌期には、小さな銀行が「伝染」によってドミノ倒しのように破綻しましたが、今は欧米のマネーセンターバンクがヨレヨレの状態です。あるいは金融のグローバル化のおかげで、アイスランド、バルト三国、ドバイ、ギリシャ、ポルトガルと、つぎつぎと国家がデフォルトになりかねない危機が襲っています。つぎは中東欧諸国が危ないといわれています。さらに、資源インフレ(石油ショック)と資産デフレ(バブル崩壊)が同時に襲う、かつて経験したことのない不況です。G7にはカネがなく、G20が新たに登場しましたが、これが新しい世界の安定的秩序になるとは思えません。これまで一度も経験したことがないような長い経済停滞と多極化した不安定な世界が続く危険性が高まっています。歴史は繰り返すように見えて、決して同じではありません。
しかも、過去の歴史解釈もまた変わるものです。ニューディール政策が大恐慌を終わらせたかのような議論が一部にありますが、虚心坦懐に見れば、戦争が景気回復をもたらしたというのが「真実」でしょう。そして戦争による破壊が戦後の膨大な更新投資、更新需要を作り出しました。その底流では、石炭から石油へのエネルギー転換が起きていました。何より第二次世界大戦は「石油による戦争」でした。軍艦も戦闘機も爆撃機も戦車も輸送車も、みな石油で動くようになったのです。戦後の航空機産業や自動車産業の成長は、この戦争抜きには考えられません。中島飛行機(富士重工)、日産あるいはドイツのBMWもみな「石油の戦争」が基礎になって生まれました。もちろん、景気回復のために戦争をしろと言っているのはありません。実際に戦前と比べれば、兵器の破壊能力は比べものにならないくらい巨大になりました。先進諸国同士の戦争は、地球の破滅を意味します。おそらく現代の戦争は、過去とは違っています。まず冷戦の終結とともに、藤原帰一氏が言うようにアフガン、ソマリアなどのアフリカ諸国といった「見捨てられた地域」が生まれ、そこで国家が溶解して「テロリストたち」がどんどん育っていっていく。彼らが先進諸国を襲うようになりました。そして、先進諸国はそれに備えて、ますます「監視国家」「管理社会」化していくという形をとって、戦争は「現実化」しつつあるように思えます。すべては似ていて、全く異なるのです。経済学にかぎらず、既存の学問が役に立たず、現実の前に立ちすくみ、説明力をますます失っています。では、何を考えるべきなのでしょうか。
いまは戦争抜きにいかにしてこの未曾有の不況を脱するのか、を真剣に考えないといけない時期なのかもしれません。私には、地球温暖化阻止という大義を掲げ、世界中でいっせいにエネルギー転換を引き起こし、爆発的な更新投資、更新需要を一気に喚起する以外に抜け道は見つからないように思えるのです。過去を本当に反省するならば、日本はその先頭に立たなければならないでしょう。たしかに、格差も貧困もひどい。だが、本当に平和や人権を守ろうとする気があるなら、決して内向きになってはいけません。同じ所をぐるぐる回っていては何も生まれてこないからです。未来に向かって、何を作り出すのか。それが、『日本再生の国家戦略を急げ!』(小学館)と『新・反グローバリズム』(岩波現代文庫)を書いた底流にある(書いていない)問題意識です。いま私は、命を使い切ってでも、将来の世界を見通したいという欲望に勝てないでいます。