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金子勝ブログ

慶應義塾大学経済学部教授金子勝のオフィシャルブログです。

2010年03月

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潮目が変わる時こそ、「常識」破りのアイデアを先行させる

またまた本が出てしまいました。岩波ブックレットで『グローバル資本主義と日本の選択 富と貧困の拡大のなかで』です。シンポジウムの記録なので、中身は話し言葉。非常に読みやすくできています。このシンポは、昨年(2009年)11月3日に、東北大学文学研究科のグローバルCOE「社会階層と不平等教育研究拠点の世界的展開」によって企画され、東北大学東京分室会議室で開催されたものです。

 シンポジウムのパネラーは、橘木俊詔氏(同志社大学経済学部教授)と武者稜司氏(武者リサーチ代表)です。お二人とは以前から既知の間柄ですが、今回改めて議論して、お互いの違いが認識できて有意義でした。

武者さんとは、日本の不良債権問題が深刻化している中で、一緒になったことがあります。日本の不良債権問題が深刻である点で認識が一致しておりました。その後、武者さんは日本の不良債権処理がようやく目途が立ち、新興国の経済成長が目立ってきたところで、そこに資本主義のダイナミズムを見いだして「楽観論」に転じていきます。今回議論していて再認識したことは、武者さんは実物経済で経済変動を見て、金融で脱出口を見いだしている議論の立て方です。これに対して、私は、金融面、もっと言うと「バブル循環」を軸に景気循環を見てきました(その点で通説とは決定的に違っています)。そして、それが米国発の世界金融危機に行き着いた時点で、「環境エネルギー革命」を主軸とした実物経済の領域で脱出する以外にないと論じてきました。つまり私は、金融あるいは資産価格で経済変動を見て、脱出口を実物経済に求めます。ついでに言えば新興国の経済成長は中長期的には期待できますが、当面は世界中の過剰流動性が流れ込んで、バブルになっている危険な面もあることになります。こうした点が、あらためて明確になった点です。

 格差論争を提起した橘木さんからは学ぶことも多いのですが、これまで違いも多くありました。私は「セーフティネット」論を対置して小泉「構造改革」路線を批判してきたのですが、『セーフティネットの政治経済学』(ちくま新書)を出して伝統的な「セーフティネット」概念に対しても批判的な議論を展開してきました。それに対して、橘木さんはセーフティネット概念をむしろ正統な考え方に戻すような議論を出しました。年金改革に関しても、神野直彦さんと私が共同で出した所得比例年金への一元化論に対して、橘木さんは消費税15%で基礎年金を全部まかなう基礎年金全額税方式を主張しました。でも、今回はこうした論点でなく、「効率性と公平性のトレードオフ」という伝統的な考え方をめぐってでした。

 橘木さんはこの正統的な考え方に基づいて、成長よりも今は分配を重視すべきであると主張されます。何より、非人間的な貧困や格差が広がっている事態に対して、経済学者としてその解決を優先すべきという考え方には、ある意味で敬意を表しています。環境問題も含めて議論する広井良典さんの「定常社会」という議論も共通性があります。広井さんからも多くを勉強させてもらいましたが、格差の是正や福祉の充実を主張する方々は、どこかで社会民主主義の「伝統」を引き継いでいるように思うのは誤解でしょうか。

 しかし私は、こうした「効率性と公平性のトレードオフ」というステレオタイプな議論には与しません。「効率性と公平性のトレードオフ」論と裏表の関係にある「大きな政府か小さな政府か」という議論に対しても同じです。現実には、所得再分配で公平を重視する北欧諸国も、不平等が進んでも「市場」を重視する米国も、ともにこれまで経済成長率が高かったのであってトレードオフだったわけではありません。また「大きな政府か小さな政府か」という点はさしあたり経済成長とは関係ありません。当たり前ですが、経済成長の要因はたくさんあるからです。加えて、格差を作り出すのは比較的簡単なのに対して、それを元に戻すには数世代にわたり、膨大にコストがかかるという「時間の非対称」という問題を抱えています。

そもそも伝統的な「社会民主主義」が成立したのは資本主義の黄金時代でしたから、成長を考えずにひたすら分配だけを考えていればよかったのです。「効率性と公平性のトレードオフ」という考え方は、この冷戦時代の遺物なのです。

 いまや雇用や社会保障制度の再建を考えようとすると、同時に新しい産業と雇用を作り出さないといけない時代に入りました。しかし、ただ金融自由化をしてバブルで稼ごうというわけではありません。将来の新しい価値を組み入れた「成長」をどう実現するかが問われているのです。北欧諸国は教育や技術に力を入れてIT化に成功しました。いまは環境エネルギー革命が焦点になります。ここでもパラダイム転換が起きています。これまでは「成長すると環境を悪くする」でしたが、いまは「環境エネルギー革命」を通じて、雇用と産業を作り出す政策も同時に実行しなといけない時代に入りました。その際に、従来の「市場か政府介入か」といった古くさいパラダイムを乗り越え、環境などの新しい社会的価値を埋め込んで、いかに人々が生活できるようにするのかを考え抜くことです。ドイツの「第3次産業革命」やオバマ政権の「グリーンニューディール」も、こうした新しい流れにそったものです。ここでは「環境を守ることで成長する」にパラダイムが転換しているのです。

橘木さんには、金子は「成長主義者」なのかと驚かれましたが、いつも言っているように、「構造改革」こそがこの国の産業競争力を決定的に落としてしまったのです。ついに工作機械分野でも中国に抜かれて世界第3位に転落しました。「効率性と公平性のトレードオフ」という古いパラダイムに縛られているかぎり、こうした問題が見えてこないのです。

今年は、すでに『新・反グローバリズム』と『日本再生の国家戦略を急げ!』を出しましたが、まだまだ本を出します。潮目の変わり目というんでしょうか。こういう時は、いつも以上にたくさん本を出してきたように思います。ちょうど10年ほど前がそうでした。不良債権処理に失敗して日本経済にデフレに突入し始めた1999年に、『セーフティネットの政治経済学』(ちくま新書)、『反グローバリズム』(岩波書店)、『市場』(岩波書店)、『反経済学』(新書館)、『「福祉政府へ」の提言』(岩波書店)など、共編著を含めると、8冊も出しました。いずれも爆発的には売れず、当初はそこそこしか売れないのですが、その後も長く売れ続け、次第に浸透していくものが多かったと思います。「常識」から外れた、新しいアイデアがたくさん含まれているので、そうなってしまうのは仕方がないのかもしれません。ともあれ、「ここで言っておかないといけない」時期であることは確かです。学術書を書きたいので、早く終わらせたいと思っていますが…。
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もっと、いいあだ名をくれませんか

私にはいろいろな「あだ名」がついています。しかし、あまりいいものがありません。

誰にも想像できないでしょうが、小さい頃は「まぁ~ちゃん」と呼ばれていました。もちろん「まあまあ、でいいや」という意味ではない。「まぁ~ちゃん」はすぐわかるように、名前の「まさる」から来ている。いま考えると、とても気持ち悪いですが、この憎たらしい私にもかわいい頃はあったのです!あのワイルドな楽天イーグルスの田中将大投手も「まあ~くん」なので、納得してください。田中投手、ごめんなさい。ちなみに大学の頃は、逆に「かねこ」から「ねこ」「ねこ」と言われていました。もしかしたら、「我が輩は猫である」みたいに偉そうにしていたからかもしれません。

 よく考えると、「かねこまさる」から「か」と「ま」をとると、「猫」と「猿」です。つまり、私の名前から、「かまっ気」をとれば、動物的な「猫猿」になるということです。よく考え抜いた名前だなあ、と自分ながら感心しています。

 が、私が生まれた時、父親が真面目に名前をつけようという気がなく、当時、ラジオドラマの主人公だった「金太」という名前にしようとしたらしい。母親がそれはまずいと、祖父に頼んで姓名判断で「勝」になったということらしい。たぶん「金太」だったら、「金子金太」。――私の人生は、小学校で挫折していたでしょう。それにしても、お金の子供で勝利者というのに、億万長者になれないのはなぜだろうか?

その後、メディアに出るようになってから、いろんな「あだ名」をもらうようになりました。自虐的に使っているうちに、みんな本当のことだと思っているらしい。う~ん、です。一応、紹介しておきます。どうでもいい話なので、時間のない方は読まずに飛ばしてください。

▼「ラテン系経済学者」……TBSラジオ(たぶん「アクセス」だったと思います)に出た時、「いつも暗い話ばかりですね」みたいな振られ方をしたので、「いや、実はラテン系なんですよ」と答えて、速射砲トークでしゃべり倒したら、エンディングで「ラテン系経済学者の金子勝さんでした」とまとめられてしまった。その後、2度3度と出た際に、冒頭から「本日のゲストは、ラテン系経済学者の金子勝さんです」と紹介され、「ハイ」と答えてしまう私がいました。私は学者の子ではなく、やはり商売人の子なのかもしれません。

▼「知識の安売り王」……これはだいぶ前に、朝日新聞の文化欄で、最近出てきた「評論家」みたいな人物を紹介する記事で、中島さんという記者に「知識の安売り王」と名付けられました。たしかに、ドンキホーテの売り場みたいに、雑然とした知識を脈絡なく安売りする自分ですから仕方ありません。ただ「なるほどなあ」と感心してしまった自分が情けないです。ちなみに、朝日新聞の人生相談「悩みのるつぼ」は、この中島記者(ともう1人の社会部記者の知り合い)に頼まれました。う~ん、やっぱり私は「知識の安売り王」かあ~。

▼「悪魔の予言者」……その後、悪い経済予測をどんどん当てるので、これもTBSラジオのアクセスで、そう呼ばれたのがきっかけでした。思い起こせば、97年11月の拓銀や山一証券の経営破綻に伴う本格的バブル崩壊をぴたりと当て、不良債権処理の失敗と景気楽観論を否定していたことが、「悪魔の予言者」の始まりでした。その後もITバブル崩壊を当てたり、今日のように小泉「構造改革」が悲惨な結果をもたすことも、イラク戦争の失敗もそれに伴う石油価格の上昇も当てたりしたうえに、このリーマン・ショックに至る住宅バブル崩壊と世界金融危機も、早い段階から警鐘を鳴らし続けて、ぴたりと当てました。ただ、通常の経済学者と違って、バブル循環で景気循環を見ていただけのことですが。とはいえ、おそらく悪いことを当てることでは一番なのかもしれません。しかし、当てることが、みな「悪いこと」なので、誰にも感謝されません。う~ん、哀しい。

▼「学界のアルカイーダ」……そのうち、「アルカイーダみたですね」と言われ、「そうですね。学界のアルカイーダです」と答え、さらに「毎日が自爆テロみたいなもんです」とジョークを返しました。しかし、イラク戦争で本当に自爆テロがどんどん起きるようになって、こりゃ不謹慎だなと自粛しています。

そもそも研究者は、エコノミストやアナリストのように「予測」をしてはいけないもののようで、実証的に確定できることを書くのを生業とするものだとされています。なので、「予測」的なことを断定形で言ったり書いたりすることは好ましくないのです。しかし、「と言えなくもない」とか「こうも言えるし、ああも言える」といった発言は下町育ちだったせいか、性に合いません。その意味で、掟破りの人生を歩んでいます。なので、あだ名は仕方がないのです。

▼自称「歩くサンドバッグ」……ということで、よくたたかれます。しかし、あまりに態度がでかいせいか、ああいうのに関わりたくないと陰口ばかりが多いですが…。ということで、私はたたかれ強い「歩くサンドバッグ」なのです。同じく掟破りで「歩くサンドバッグ」のような方々には、頑張ってほしいと思う、今日この頃です。
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1度目は悲劇として、2度目は喜劇として

 あ~あ、自民党はどうしたんでしょうか。

 3月12日の参議院予算委員会で、こともあろうに舛添要一議員が、民主党政権が昨年末に出した「新成長戦略~基本方針」の批判した私の主張を取り上げて、質問していました。おそらく『日本再生の国家戦略を急げ!』(小学館)か雑誌『世界』の拙稿を都合よく抜き出して読み上げたものと思われます。まったく私の文脈を無視した質問でした。舛添議員は、さんざんぱら、法人税率引き下げ、インフレターゲット論による日銀の量的金融緩和によるデフレの「克服」を主張したあげくに、私の民主党「新成長戦略」批判を文脈抜きに引用したのです。小泉「構造改革」の失敗を総括できずに沈んでいく自民党には、何がどうなっているのか、もう分からないんでしょうね。

 鳩山首相が法人税率引き下げを打ち出したと報道されていますが、鳩山首相は課税ベースを広げることをいっていたので、フェアな報道ではありません。だけど、鳩山首相も舛添議員も、日本において企業の社会保障負担が低いことをご存じなんでしょうか。

 その一方で、菅直人財務大臣は「需要サイドにたった全く新しい成長戦略だ」と胸を張っておりました。相変わらず、冷戦時代の古い頭ですね。需要の中身を、ただコンクリートからヒトに変えればよいのでしょうか。

 それは物事の半分にすぎません。ただ総需要の不足を埋めているだけでは、経済は新しい成長軌道に乗っていきません。問題の本質は、「市場」を主語とする経済学から消えてしまった産業政策のあり方にかかわっています。私の批判も、民主党が環境エネルギー革命を推し進める「日本版グリーン・ニュディール」構想、あるいは6次産業化などの農業政策など、大胆な政策転換をマニフェストで打ち出していたのに、それがどんどん後退していることに私は怒っているのです。

 ここで、舛添議員の言う「法人税引き下げ+インフレターゲット」という小泉時代の主張について、少し考えてみましょう。この間、何よりインフレターゲット論は現実に裏切られてきたあらです。まず、不良債権を確定しないずるずる処理を行っている状況で、いくら中央銀行がマネーサプライを増加させえても信用収縮は止まりませんでした。かつての日本がそうでしたが、いまのアメリカでも、これだけ流動性を供給しているにもかかわらず、信用乗数は上がってきません。そのうちに、貸し渋りによって他セクターが犠牲になって、アメリカも日本のように、経済の長期停滞を招いてしまう危険性が高いのです。

 現在の日本のように、「構造改革」によってこれだけ雇用と社会保障が破壊されてしまうと、消費をするにも消費はできません。この状況を放置してマネーサプライをいくら増やしても、デフレはそう簡単には克服できないのです。今日の状況こそ、小泉政権時代の「構造改革」+「インフレターゲット」論がもたらした帰結なのです。それに関して、舛添議員というより自民党は正面から反省していません。だから、多くの国民から見放されてしまったのはないでしょうか。その意味で、小泉「構造改革」は自民党をぶっ壊してしてくれました。

 実際、「構造改革」論者たちのご本尊であるアメリカの金融危機はなおも続いています。いくつかのデータや情報を集めてみると、少なくとも今後1~2年は困難な事態に変わりはないでしょう。

 何より、住宅バブルの崩壊はまだ止まっていません。住宅ローンの債務不履行率は10%を超えたが、今後2年半くらいにわたって、いわゆる「ゆとりローン」の期限がきて、金利が上昇する住宅ローンがかなり多額に上っています。実際、2010年から2012年まで、2500億米ドル(約22兆5千万円)のオプションARM、1637億米ドル(約14兆8千万円)のオルトAなどの変動金利型住宅ローン(合計は1兆米ドル以上)がリセット/リキャストします。FRBが政策金利を上げましたが、実際に市場金利が上昇すれば、債務不履行率が高まるでしょう。

 それでは、米国政府はどのようにして、住宅バブルの崩壊をもたせているのでしょうか。まず再国有化されたファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)が、銀行の住宅ローンを保証したり買い取って証券化したりして、銀行をもうけさせています。その結果、これらの公社(GSE)にツケがどんどんたまってきています。債務不履行になって競売にかけられても売れずに、公社の在庫になっている住宅の数が急増しており、またファニーメイの住宅ローンの債務不履行率も急増しています。これではファニーメイもフレディマックもいずれ破綻してしまいます。

 そこで、中央銀行であるFRB が、公社が発行する債券や公社が持っている不動産担保証券を買い取る政策を拡大しています。インターネットでFRBのバランスシートを引き、アセットの欄を見てみましょう。そうすると、公社の発行債券や不動産担保証券の最後の買い手は中央銀行だとはっきり分かります。その額は、今年の第一四半期の終わりまでになんと1.25兆米ドル(100兆円以上)に達する見込みになっていると推測されています。

 つまり、再国有化された住宅関連公社に住宅ローンを買わせ、公社が発行した不動産担保証券を中央銀行が直接買い取って、何とか住宅ローン市場をもたせ、大手銀行に利益をあげさせている状況なのであり、今後1~2年は本格的に回復することは困難でしょう。むしろ、公社やドルがもつのかどうか、が懸念されます。実際に、インタゲ派が想定するのとは違って、FRBが低金利政策を続けて巨額の不動産担保証券を買い取っているにもかかわらず、貸し渋り(信用収縮)が止まらず、信用乗数は上がっていません。

 ここで気づくのは、かつての日本の“ずるずる不良債権処理策”といくつかの共通点を見いだせる点です。当時を思い起こしてみましょう。まず銀行は合併を繰り返して「大きすぎて潰せない too big to fail」になりました。日銀はゼロ金利政策を採り続け、銀行の資金調達コストを著しく低くする一方で、銀行の国債を際限なく買い取る量的金融緩和政策をとりました。そこからあがる薄い利益をもとに、銀行は隠れた不良債権の処理を続けます。その間、貸し渋り(信用収縮)が起きて、金融セクター以外のセクターが犠牲になっていきます。実は、住宅ローンと不動産担保証券という違いはありますが、現在のアメリカもかつての日本と非常に似ています。そして、これは今の日本と同じように、アメリカ経済の体力を奪っていくでしょう。

 現にアメリカの地域経済は壊れ始め、中小銀行は非常に苦しくなってきています、2月末時点でみると、FDIC(米国預金保険公社)などの公開された情報から集められた非正式の米国における「問題銀行」の数は先週の617機関が急に644機関まで急増しています。景気悪化と商業不動産ローンの焦げ付きも背景にあります。1990年代初めに、地方の中小金融機関の破綻は181行にのぼり、戦後最大の金融危機と言われましたが、おそらく今回はそれを上回ることは確実でしょう。

米国において一応不良債権の処理が峠を越しても、日本と同じように長期停滞に入る可能性があります。金融と情報通信に偏った産業構造では、再び環境投資バブルをする以外に、一気に元に戻ることができないからです。

 日米両国ともに沈んでいくシナリオが非現実的とは言えないのが苦しいところです。最初は、日本がアメリカについて行ってはまり、つぎはアメリカが日本の後をついてきているのです。何という歴史の皮肉でしょうか。

 ここで思い起こすのは、「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という言葉です。依然としてアメリカについていくしかないと主張している人々は、いまや喜劇役者になっていると言ってよいでしょう。そして、小泉「構造改革」は若い世代を徹底的に痛めつけたにもかかわらず、そういう言説を信じている若い世代は悲劇です。彼らが壮年になる頃は、日本の経済も社会も相当にひどいことになっているでしょう。若い世代こそが社会を革新させる原動力ですが、無責任なリーダーのオヤジたちが逃げ切るために犠牲者となっています。こんな社会がよくなるはずがありません。
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この国は「神の国」になった

 政界ではようやく55年体制が崩れてきたが、経済界の55年体制はなおも崩れていません。そして、民主党政権が出した妥協的なCO2削減政策でさえ、財界はこぞって反対しています。自分の狭い利害ばかりを主張し、将来の日本を示す能力をもった経済界のリーダーはいなくなりました。これでは、日本の産業の競争力が低下していくのも当然です。なんと言うことでしょうか。

 2月に今はミドウエイ海戦後の日本だと書きましたが、小泉「構造改革」路線をとったにもかかわらず、というより市場任せの小泉「構造改革」路線ゆえに日本の産業の衰退は目を覆わんばかりになっています。実際、90年代まで世界一だった日本製品は、どんどん地位を低下させています。いくつか、例をあげてみましょう。

▼半導体では、マイクロプロセッサーではインテルの寡占状態が続き、日本が得意だったDRAMやフラッシュメモリーでは、今や台湾、韓国についで世界第3位にまで落ちています。日本のトップ3が束になっても、韓国のサムスンにかなわないのです。

▼液晶などの薄型テレビでも市場を大きく失い、サムソン、LGなどの韓国勢、ビジオなど世界を股にかける組み立て安売りメーカーが中心になっています。

▼鉄鋼では、かつて粗鋼生産で世界一だった新日鉄は、アルセロール・ミタルの1/3の規模まで落ちています。さらに中国、韓国が3、4位となり、追い上げています。かつて新日鉄は、自動車用に薄板では圧倒的な競争力を保ってきましたが、いまやアルセロールに支配力を奪われ、日本の優位は完全に終わってしまいました。

▼90年代まで世界一であったスーパー・コンピュータも計算速度では31位まで転落しています。世界はスカラー型に移り、ヘクター型という旧型でやっているのは日本くらい。

▼太陽光電池で世界一だったシャープは世界4位まで転落しています。

▼そしてトヨタのリコール問題が起きた。社長自らが認めるように、グローバリズムに乗っかってトヨタ生産方式の良さが失われてしまったようです。トヨタ問題は、諸外国には日本の経済力の低下と映り、日本の国力の低下ととらえられ、日本の「ソフトパワー」はどんどん落ちていくに違いありません。

 にもかかわらず、「構造改革」路線の失敗組がぞろぞろと無内容な中身に再登場しています。よく考えてみれば、「市場原理主義」ほど、戦略を考える能力ない無能なリーダーたちにとって都合よい道具はありません。市場の「神の手」に任せればよいので、戦略など考える必要などなくなるからです。経済成長が鈍れば規制緩和が足りない、経済成長が回復すれば規制緩和のおかげ。これでは反証不能な命題の繰り返しです。交通事故にあえば信心が足りない、宝くじに当たれば信心のおかげと言っているのと同じで、およそ、まっとうな人間が口にする言葉ではありません。ところが、新聞や経済誌を含めて、メディアも「構造改革」路線を煽ってきたので、この無責任な言説を垂れ流す輩を重用するしかありません。

 この国は「神の国」になってしまったのでしょうか。そして、信心がない私は「国賊」ということになるのでしょう。なんということでしょうか。

 国際環境が目立った改善がない中で、日本の産業競争力は急低下していることが非常に懸念されます。ずっと先になるだろう世界経済の景気回復を待って、これまでのように、輸出が伸びれば何とか元通りになるという訳にはいかないことを意味しています。日本経済の衰退を止め、持続可能性を回復させる、きちんとした経済再生戦略を再構築しないと、日本経済は本当に落ち込んでいくことになります。

 民主党政権は放っておけば、どんどん見せかけのメディアパフォーマンスに流れるばかりでしたが、ここにきて排出量取引や環境税などの方向を打ち出したり、年金改革のためのタスクフォースを立ち上げたりして、ようやく少しずつ舵を切り始めました。しかし、再生可能エネルギーの固定価格買取制度や農業政策など、まだまだ不十分です。昨年末に急場で作った「新成長戦略」を根本的に見直していかないと、大変なことになってしまいます。

 そういう問題意識から書いたのが武本俊彦氏との共著『日本再生の国家戦略を急げ!』(小学館)で、多くの民主党議員の方々にも拙著を送りましたが、自分なりにいいタイミングだったと思っています。もちろん、小沢一郎氏の政治資金問題で民主党政権の尻に火がついたことも大きいので、私たちの本の影響力はほんのささやかなものです。が、引き続き、オバマ政権と同じようにならないために民主党政権がきちんとマニフェストを戦略に高める努力をしているかどうか、厳しく監視していくつもりです。
7

炎上日記:私はヒールが好き

 私は天の邪鬼、ヒール(悪役)が大好きなんです。最近、私のパソコンの壁紙は朝青龍です。朝青龍が「ほうら、どうだ」と言わんばかりの憎たらしい顔つきで、土俵上で仁王立ちしている姿がいい。それを見るたびに、原稿がよく進むんです。みんなが「横綱の品格がなんたらかんたら」と騒ぐたびに、朝青龍が好きになってくるから不思議です。「品格」を言うなら、そもそも「国技」に外国人力士を入れて「国際化」すること自体に無理がありませんか。柔道もJUDOになって、日本的に言えば、レスリングまがいの品格のない外国人選手の技ばかりでしょう。 

 こんなことを言うと、「何だ、おまえ。あの暴力事件を容認するのか」などいった非難が聞こえてきそうです。もちろん、暴力事件は示談になったんだからそれでいいと言っているわけでもないし、何らかの処分は避けられなかったでしょう。が、これが外国人横綱でなく日本人横綱だったら、どうだったでしょうか。ボクシングの亀田兄弟みたいに、1年間くらい出場停止とか自粛とかになり、メディアが苦渋をなめた日本人横綱が再起するまでの「物語」を作ってしまい、再起の場所で大もうけを企むなんてことになりかねなかったような気がするのは、うがった見方でしょうか。そもそも「公正な処分ルールも原則もない」のが問題なのであって、「品格」などという、どうにでも解釈できる曖昧で、無責任な議論でごまかそうとすることに腹が立つんです。ともあれ、後味の悪さが残ります。 

もっとも、こう言っている私の以前のパソコンの壁紙は、酒井法子だったし、その前は民主党新人議員の田中美絵子だったし、さらにその前は沢尻エリカ様でした。要するに、私はヒールが好きなのです。酒井法子が介護関係の大学に通い、その場でカメラを向けられると、身についたアイドルの「癖」なのか、ニコッと笑う姿に「凄み」を感じるのは私だけでしょうか。ひょっとすると、彼女は今もドラマと現実の区別がつかずに、悲劇のヒロインを演じているかのように錯覚させます。彼女は朝青龍と違って、実際にカムバックを考えているように見えます。「物語」はいくらでも用意できます。しかし実際、子供を抱えて、介護士で生きていけるなんて「幻想」です。介護士が非常に低い賃金水準で苦しんでいることを彼女は知っているんでしょうか。少なくとも、彼女自身が、そのことを多少とも実体験してほしいものです。 

 田中美絵子議員は映画で裸になったり風俗ライターをやったりしただけのことで、よく考えれば法律違反も何もしていない。裏金をしこたま受け取っている大ボスたちより、すっとマシです。これからの議員活動で結果を示すしかないでしょう。風俗ライターで鍛えた筆致で、自身のブログで国会の「卑猥さ」を伝えていただければできれば、経験が生きるかもしれません。そのくらい図太くないと、魑魅魍魎の世界では生きていけません。そして、田中議員が国会で颯爽と労働者派遣法の改正を訴える姿が見たいです。元気を出して頑張ってください。 

 沢尻エリカ様は、「別に」発言でバッシングされてから好きになりました。それに、私が井筒監督の「パッチギ!」が好きだったので、何でこうまで言われなきゃいけないの、という感じでしょうか。でも、私、この人、自分があまりないというか、とても男性に影響されやすい弱いタイプにしか見えないんですが……。「別に」発言のお詫び会見ではかわいそうに思えました。しかし、なぜか今も女王様扱い。よくわかりません。 

 ついでに言ってしまえば、バンクーバー五輪でのハーフパイプの國保選手の格好のどこが悪いのか、よくわかりません。國保選手も「これは最新ファッションです」と言い切ってしまえばいいものを、協会に言われて、イヤイヤやった記者会見が格好悪かったので、壁紙中止でした。男に厳しい私です。 

 ということで、私のパソコンの壁紙はいつもヒールでいっぱい。だいたい、世の中の「常識」にしたがっていては創造的な文化は生まれないし、反時代性がなければ革新も起きません。どんな偉大な思想家も最初は、あまりに常識に反しているので、受け入れられないことがしばしばです。ヒールであることは、創造的な仕事をするのに必要条件です。ですが、私にとって残念なことは、ヒールであることは必ずしも十分条件をも満たさない……。ということで、当初、このブログは書き込み自由の「炎上日記」というタイトルにしようかな、と思ったくらいです。友達にそのことを言ったら、「挑発的すぎるでしょ、本当にみんなよってたかって来るよ」とか「やめた方がいい、管理者に迷惑がかかるから」と言われて止めました。う~ん、本当に、日本は変なイジメ社会になりました。 

 よく若い人に、「あんなに言われてよく平気ですね」とか「孤立して怖くないんですか」とか、聞かれます。でも、一番強い権力に寄りかかってギャーギャー言ってくるヤツって、いじめっ子のボスの周りで「やっちゃえ」とか言っている群れみたいなもので、格好悪いと思いません?どうせ大した人生でもないなら、言いたいことを言い切って死んでいきたいものです。

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