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金子勝ブログ

慶應義塾大学経済学部教授金子勝のオフィシャルブログです。

2010年08月

12 8月

ただより怖いモノはない

私は、「1Q84」に何を考えていたのだろうか。

思い返してみると、村上春樹とは全然無縁に、イギリスの作家ジョージ・オウエルの小説『1984年』の中のように、スターリン髭をたくわえたビッグブラザーが、監視カメラで僕らをすみずみまで監視しているはずでした。

恐怖な政治が本当にやってきたら、どうしようかと漠然と考えていましたが、いくつか予想を裏切る出来事が起きました。

一つは、ビッグブラザー率いる「社会主義」体制が予想以上に早く疲弊して、1986年にチェルノブイリ原発事故を起こしてしまい、核戦争をする前に、核で自爆してしまいました。そして、旧ソ連邦は情報通信技術やそれを利用した制御技術の遅れが目立ち、人々を監視し尽くす力は残っていませんでした。

その一方で、資本主義のチャンピオンであるアングロサクソン諸国(米英両国)では、1980年を前後して、「新自由主義」を掲げるサッチャー政権やレーガン政権が誕生しました。サッチャー政権が、1982年にアルゼンチンとの間でフォークランド紛争を引き起こし、事もあろうに、英国国内でジョン・レノンの「イマジン」を放送禁止にしました。自己責任と自由を謳う政権が、同時に「強い国家」の主張者でもあって、警察を強化したり戦争をしかけたりして自由を抑圧するものであることが分かりました。

ちょうどこの年に、私自身は東大の社会科学研究所の助手をクビになって、池袋の職業安定所(今のハローワーク)に通う羽目に陥ってしまいました。私の失業は、新自由主義の経済政策の直接的影響ではないけれども、とりあえず、自分が職安通いになってみて分かったことは、食えないことには自由も民主主義もないってことでした。

冷戦体制が終わり、ビッグブラザー率いる「社会主義」が滅び、誰でも「自由」を謳歌できる時代が始まったはずでした。

ところが、新自由主義を掲げるブッシュ・ジュニア政権が「対テロ戦争」を始めてから、街中いたる所に監視カメラが設置されるようになってきました。そう、僕はテロリストなんかじゃないから、監視カメラが僕を守ってくれている、だからジャンジャン監視カメラを設置しようぜ……。でも、いつの間にか、逆立ちが始まる危険性も否定できません。監視カメラに常に見られているので、テロリストや犯人と疑われては困るからと、どんどん自由な政治的発言や振る舞いを自己抑制していくことになります。そう、デモなんかして、監視カメラで見られたらヤバイじゃんってね。

それでも、僕らは情報通信技術の発達で、いつでもどこでも様々な情報を自由に手に入れられるから、ビッグブラザーに支配されることはなくなるはずだと考える人も多いはずです。

事実、電子端末機はどんどん進化して、いつでもどこでも自由にたくさんの情報が入る時代となりました。携帯電話のiPhoneに続いて、電子書籍など多くの機能が搭載されたiPadがアップルから出て、電子書籍ではアマゾンのキンドルという端末やグーグルと組んだソニーリーダーなどが米国では売れています。おまけに、膨大なデータは端末機ではなくクラウドにため込まれるので、電子端末機はそれほど大きくなったり重くなったりしません。

そんな電子端末機の進化の中で、グーグルはかねてから図書館プロジェクトとして著作権の切れた本をウェブにのせて、世界中どこからでも読めるようにする事業をすすめてきました。この図書館の本のウェブ化については、世界の大学図書館をつなぎ、世界をまたぐ規模で進んでいます。いずれグーグルを使えば、誰でも無料で世界中の本が読めることになります。なんて便利な時代がやってきたんだろう……。

さらにグーグルは、著作権は切れていないが、絶版になったり入手できなくなったりしている本についても、グーグルがウェッブにのせ出しました。ところが、これに対して、著作権の侵害だという非難がでてきて裁判となりました。2008年5月に、アメリカの一地方裁判所においてグーグルとアメリカ作家団体と出版者協会の「和解案」が出ました。

この「和解」案は、『新興衰退国ニッポン』(講談社)第8章でも書いたように、米国特有な著作権の考え方を前提としたもので、他の国々にとって衝撃的なものでした。

この訴訟の中で、グーグル側は自社の行為は著作権の「フェアユース」に当たると主張したからです。「フェアユース」とは、紛争になってから事後的に訴訟の対象となったケースを裁判所が判断して、適法か違法かを決めていいという考え方です。つまり、使用目的などによっては、許諾なしに人の著作を使っていい場合があるということです。例えば、ニューヨーク南部の連邦地裁が「絶版や入手できない本をウェブで読めれば社会の利益になる」と判断すれば、グーグルがウェブにのせていいことになります。

実は、この「フェアユース」についての裁判は前例があります。

一番有名な判決が出たのは、まさに「1984年」でした。

その裁判は、ソニーが家庭用ビデオ機を売り出した時に、ユニバーサルスタジオが著作権侵害を訴えたものでした。アメリカの最高裁は「フェアユース」と判定して、ビデオ機は家庭でテレビに映る映画などを録画できるようになりました。

同じように、グーグルによると、これまで電子化した700万冊中、6−7割は絶版または市販されていないといいます。こうした本をグーグルのサイトで読めるようにすることを「フェアユース」だとグーグルは主張したのです。

しかもインターネットは世界的に開かれたメディアですから、この米国特有の著作権の考え方が世界中に及んでいくことになります。今回の「和解」案では、外国の出版物は対象外となりましたが、無許可でデジタル化される著作物については、著作者が別途措置をとらないかぎり、削除されないまま残ることになってしまいます。

そのために、フランスでは、大手出版社のラ・マルティニエールがグーグルによる電子化が著作権を侵害しているとして訴え、パリ大審判は2009年暮れにグーグルに賠償支払いを命じました。さらに、サイトからこれらの本を削除するまで、毎日の賠償金支払いを命令したのです。

やがて「入手できない」「入手しにくい」が拡大解釈されて、インターネットには国境がないので世界で遠い地域で書籍が電子化されて、ウェブ上で誰でも見られるようになっていく可能性があります。放っておけば何をするか分からないのが、米国の一国決定主義(ユニラテラリズム)の世界です。

業者も抜け道はいくらでもあります。ちょうど多くのエロサイトが米国など外国のサーバを使っており、取り締まりが困難なのと似ています。問題は、いちいち米国の地方裁判所に訴えなければ,それを削除できずに誰でも読めてしまうことです。どう見ても、日本で出版されている本が、アメリカの地方都市で入手可能かといえばほとんど不可能です。それが「フェアユース」かどうかを、アメリカの一地裁が決定できるというのはいかにも強引すぎます。

これまでグーグルは、マイクロソフトに対抗して、誰にでもオープンかつ自由に使えるオープンアーキテクチャーを理念として伸びてきました。またグーグルは広告料収入を基本とするビジネスモデルなので、読者からすれば、ちょうどテレビの民放みたいにカネなんか支払う必要がなく、無料でどんどん読者が自由に読めるようになれば、いいことじゃん、となります。

でも、タダほど怖いモノはない。

問題は、そうなれば、コストをかけて作った作品の著作者は、そのコストを回収できなくなる場合が出てきます。「誰でもただで読める便利さ」には大きな落とし穴が隠れています。有料だからいいものが生み出されるとは限りませんが、やがて安手の作品だけが行き交うようになり、インターネットで見られるものはほとんどクズ同然の情報ばかりになってしまいます。餌を食い尽くしてしまうと、ライオンも生きていけなくなるのと同じ理屈ですね。こうした状況は新聞やテレビですでに起き始めていますが、それはやがて出版文化を滅ぼしてしまうでしょう。真剣にルール作りを急がないと、自分で自分の首を絞めてしまうのです。

実は、問題は著作権の問題だけではありません。とくに気になるのは、グーグルもアマゾンも利用した人の個人情報を集積し利用しようとしている点です。

アマゾンは本を売るだけでなく、買った人の情報を集積して「おすすめの本」を提示したり、本のレビューを集めて星5つでランキングしたりしています。考えようによっては、その人の思想傾向や嗜好をチェックしているのです。その一方で、アマゾンは電子化されていない書籍販売でも、米国のインターネット・サービスだということで、日本では税金を支払おうとせず、国税庁から納税を要求されました。おそらく電子書籍化すれば、公然とそうするでしょう。

他方、グーグルはG-mailというメールサービスを提供していますが、グーグルがメールの内容を検索し利用することに「同意する」ことを求めています。試しに、G-mailの同意書の頁をのぞいて見てください。

グーグルやアマゾンに集積される個人情報の保護は一体どうなるのでしょうか?

どうしても不安が取り除けません。というのは、グーグルという一私企業は、収益性という企業の論理を優先するのであって、「言論の自由」という公共目的の守り手であり続ける保証はどこにもないからです。そして実際に、そういうことが起きているのです。

2010年1月半ば、グーグルは中国の人権活動家のG-mailを一つのターゲットにした大規模なサイバー攻撃と検閲協力を理由に、中国撤退をほのめかしました。日本のメディアでは、グーグル=「言論の自由」の守り手、中国政府=「言論統制」の主体という単純な構図が作られましたが、「百度」という検索エンジンが支配的な中国にグーグルが進出する際に、中国政府の求めに応じて、自ら進んで天安門事件、チベット問題から、食品毒物、就職難から党人事まで、中国政府の気に入らない項目は検閲し、カットしてきたのもグーグル自身なのです。儲けるために、です。

この行為を、魂を売り払ったと見なすか、私企業としては当然と考えるか、はたまた危険と考えるかは、議論の重要な分岐点です。しかし確実に言えることは、集積された個人情報をいったん悪意に使い出したら、取り返しのつかない事態を生むかもしれないということです。しかも日本では、yahooがグーグルと提携したために、8~9割の利用者の個人情報がつかめてしまうのです。それが利益追求のために悪用されないか。中国での検閲は深刻な問題を投げかけています。

やはり、タダより怖いモノはありません。

多くの日本人が「便利さ」を強調するだけで、ルールを支配しようとする米国巨大IT企業に、自ら進んで身をゆだねていくのは、かなり「1984」的です。国際ルールが未成熟な下では、「自由で公開、しかもタダ」という名目で、自由を抑圧することも起こりうるからです。日本政府は国家戦略的にルール作りを急がないといけません。

これまで、グーグルやアマゾンの問題を指摘しましたが、明日起きたら、いつの間にか、このブログが消されていたなんてことになったら、本当に怖いですね。

そうなったら、ジョージ・オウエルの小説『1984』に出てくるビッグブラザーは、実はグーグルとアマゾンだったということになりますから……。
3 8月

飛びます✈ 飛びます✈ 飛びます✈

参議院選挙では、米国タリーズの日本フランチャイズの元経営者が立候補して、ホリエモンが応援し、若い人がボランティアで支えて選挙運動する姿を見て、なんかNHKの「なつかしのメロディー」を見ているようでした。

だって、「みんなの党」って政策の中身は、①議員定数・公務員数の削減、②規制緩和や法人税減税で成長? ③地方分権で「小さな政府」、といった具合で、完全に小泉「構造改革」の焼き直しなんですから。

そう、小林旭の「昔の名前で出ています」ですね。

ついでにコント55号の坂上二郎風に言えば、
飛びます✈ 飛びます✈ 論理が飛びます✈
ですね。

でも、こんな20~30年も前のオヤジ・ギャグをわざわざ使ったのは、相変わらず若いオヤジ型思考が行き交い、規制緩和すればイノベーションが生まれるとか、ベンチャーが生まれるとかいった<呪文>が繰り返されているからです。

思い切って飛ぶのはいいんだけれど、飛んじゃいけないのは論理ですよね。

2008年9月のリーマンショック以降、世界金融危機に陥りましたね。でも、なぜ金融自由化(金融市場の規制緩和)がこうした深刻な金融危機をもたらしたのか、みんな口をつぐんでいます。

いまの主流経済学は、どこか、旧ソ連邦が崩壊する直前のマルクス経済学に似ています。

そもそも資本主義にはバブルが必然だなんていう輩もいますが、論外ですね。明らかに、金融自由化(金融市場の規制緩和)が本格化した1980年代以降になって、世界的にバブルとバブル崩壊を繰り返すバブル循環の時代に入ったからです。

他方で、いや「情報の非対称」で説明しているよ、という人もいるかもしれません。もちろんスティグリッツみたいに、情報の非対称が存在するから金融市場はそもそも不完全で、政府規制が有効なんだという立場でずっと一貫していれば、それなりに許されるでしょう。しかし日本の場合、「情報の非対称」が御都合主義的に使われてきました。

2000年代に入り、なおも日本のバブル崩壊が長引く中、「情報の非対称」が大好きな人たちが、銀行が大量の不良債権をため込んだのは日本の「間接金融」に問題があるとして、米国型金融システムをモデルにして、ファンドなどの機関投資家を育成するとともに証券化を推し進めることを主張したのです。まさに「市場型間接金融」の考え方です。

ところが,世界金融危機が発生すると、一転して、毒入り証券化商品が作られたのは,売却する者と購入する者の間に「情報の非対称」が存在するからだとされ、結局、格付け会社がいかんのだということになってしまいます。だったら、何で推進したの???

頭のいい多くの主流経済学者は、ただ事態が過ぎ去るのをひたすら待っています。
が、教科書を薄めて小泉「構造改革」の焼き直しを未だに大声で語り、メディアがそれを喜んで取り上げています。何ともカルトっぽい感じです。

昔は,主流経済学者の中にも「私はモデル屋さんですから」と自嘲気味に言う、知的教養の「ため」みたいなものがあったように思いますが、最近はモデルの世界が現実だと思っている若いオヤジ学者がいることに驚かされます。自分を「勝ち組」だと錯覚したい若い人もいっぱいいますので、そういう「言論」も成り立つんでしょうね。

繰り返しになりますが、事実をきちんと確認しておきましょうね。
まず何より、小泉「構造改革」路線がとられている間、日本の1人当たりGDPが急速に落ち込みました。1990年代にはおおむね2~5位を保っており、小泉政権誕生直前の2000年には3位でした。しかし、小泉政権とともにフリーフォールのように落ち込み、小泉政権が終わった翌年の2007年には19位、08年には23位にまで急落下しました。

医療や介護が崩壊する地域が増え、格差や貧困の増大によって内需不足とデフレ経済を定着させました。もっとも、その責任をほうかむりしたい人は、デフレは貨幣現象だって中央銀行バッシングに励んでいますが…。

むしろ「構造改革」論者たちが進めた「金融立国」路線が、モデルとなった米国が世界金融危機をもたらして失敗し、規制緩和政策は新しい成長産業も生まなかったのです。
生まれたのは村上ファンドやホリエモン、あるいはグッドウィルくらいでしょうか。

結局、市場原理主義に基づく「構造改革」路線は「失われた20年」をもたらし、世界金融危機を迎えたことで完全に破綻したと言ってよいでしょう。

個別の産業を見ても、1990年代まで世界一のシェアを誇っていた日本製品は2000年代に入ってシェアを急速に落としています。電気製品、スーパーコンピュータ、太陽電池、鉄鋼、半導体など、多くの産業分野で日本は世界シェアを著しく低下させています。詳しくは、金子勝・児玉龍彦『新興衰退国ニッポン』講談社を参照してください。

バブル崩壊後の不良債権処理の失敗が第一波だとすれば、小泉=竹中路線による失敗が第二波となって「失われた20年」がもたらされたのです。百歩譲っても、なぜ「構造改革」路線をとっている間に、このような急速な国際競争力の低下が発生したかを説明する必要があります。よく「改革が足りなかった」というのですが、それではほとんど悪質な新興宗教と同じです。この国は、原爆を2個落とされるまで負けを認めない国とはいえ、恐ろしいほど真剣な反省がありません。

自分が小金持ちになりたい、自分だけはなれるかもしれないと思うのはいいけれど、日本社会全体を沈めるのだけは止めてもらいたいものです。

「構造改革」論が問題なのは、「風が吹けば桶屋がもうかる」式の「論理」に基づいています。たとえば、規制緩和を行えば、イノベーション(技術革新)が起きたり、新しい成長産業が生まれたりするというのは本当でしょうか。

たしかに古い規制が邪魔をしてイノベーションが起こりにくくなっている分野もあります。電力(とくに発電)がその典型です。しかし、おおむね日本の安っぽい規制緩和論者はそういうことは触れたがりません。だって電力は財界の中枢ですからね。こういう連中は「日本の環境技術は世界一だ」とか「乾いた雑巾だ」とか言って、自ら「抵抗勢力」となっているのですね。

日本の現状を考えてみましょう。技術革新は、義務教育から高等教育まで、その基盤となる人材育成のための国家支出を必要としますが、この国は「構造改革」路線でそれを削減してきました。研究や技術開発だけでなく子どもの学力まで低下しています。

とくにIT化やデジタル化とともにソフトやコンテンツを創造する人材が決定的な役割を果たしますが、しばしばリナックスやノキアを生み出したフィンランドが例に出されるのも、こうした背景からです。教育における国の役割は高まっているのに、この国は「構造改革」論によってまったく逆の方向を向いてきました。それだけではありません。雇用流動化が強まる中、日本のSE(システムエンジニア)は賃金水準が低いだけでなく、使い捨てる傾向が強いのです。

ところが、自分だけは「小金持ちになりたい」だけの「構造改革」論者たちが、日本のIT革命をポータルサイト運営会社の株価つり上げに矮小化してしまったのです。日本の電気製品などの競争力低下も根深いものがあります。

研究のインセンティブを高めると称して、大学では博士取得後も3年契約の有期雇用、いわゆるポスドクであふれるようになっています。彼らは明らかに使い捨てられています。企業も雇用削減で若い技術者を雇いません。企業合併を繰り返しては研究所を閉鎖していきます。

これで、どうして規制緩和で技術革新が起きるのでしょうか?

そもそも経済学が言う市場モデルで、研究や技術開発を理解するのは困難です。技術革新は数多くの失敗のうえに生まれてきます。「何をしたらダメかがわかる」、こういう失敗が財産になるのです。研究や技術開発は短期の視点では測れないし、費用対効果で単純に表せないものです。ところが、インセンティブという名前で、国立大学の独法化と予算削減も続いています。でも、短期的成果を求めれば求めるほど、骨太な研究開発ができなくなるのは当然です。

企業も同じです。日本では、企業がR&Dで大きな役割を果たしてきました。が、株主資本主義とか経営インセンティブとかを建前に、経営者の目的が短期的利益の追求になれば、こうした無駄の多い研究開発をおろそかにする傾向が出てきます。規制緩和や法人税減税は、たしかに短期的には企業利益を高めます。が、それが技術革新を生むための決定的条件かどうか非常に疑わしいのです。

中にはとんでもないことを言う人も現れています。最近では、安全基準という規制が強いから、医薬品や電気自動車の開発ができないといった議論です。先進諸国では、むしろ安全基準は強まる傾向にあります。

過剰品質という議論も似ています。新興国ではスペックを基本的なものに絞らないと、所得水準に合わせたものが作れません。そういうものは新興国に行って、残念ながら現地化する以外にないのです。その意味では、価格破壊が世界的に進行しているのは確かです。しかし、イノベーションがなければないほど、この価格破壊に巻き込まれていかざるをえないのです。

ところが、世界的な技術開発競争は、国家戦略抜きの「市場任せ」などではとても勝てません。世界の産業動向を踏まえ、デファクトスタンダード(国際基準)を握る体系的な国家戦略と具体的な産業政策がなければ、国際的な技術開発競争には勝てないのです。

再生可能エネルギーの全量固定価格買取制度などの官民一体による人為的な市場創出があれば、エネルギーの地産地消ですから地方の中小企業などの投資先が広がります。6月29日付のブログでも書いたように、官民一体によるインフラ輸出やレアメタルなどの資源確保の動きも強まっています。

アメリカのカルフォルニア民主党は環境エネルギー革命において「規制行動主義」をとっています。かつてのマスキー法(自動車の排ガス規制)のように、環境規制を強化することによって、環境技術の開発投資やイノベーションを誘導する動きと同じです。世界では、規制は経済活動を阻害するという新自由主義とは正反対の考え方が起きているのです。

アメリカでベンチャーが次々現れて、どんどん成功していくという物語も過剰な嘘で満ちています。アメリカでも、ほとんどのベンチャー企業は経営赤字に耐えられず、資金がショートして潰れていきます。世界的なベンチャーが「ビンボウ人」から生まれるなんて幻想です。ご存じのように、ビルゲイツは裕福な家庭に生まれました。アマゾンだって長い間の赤字を支えたのは、大手ヘッジファンドのDEショーです。あるいは、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグもハーバード出身で私的ファンドがバックにいます。少なくとも製造業派遣を規制緩和しても、ベンチャーなんか生まれません。

日本では最近、中小企業から大企業に育ったのは京セラでしょうか。アメリカのような金持ちやファンドに代わって、京セラを支えたのは政府系金融機関でした。「構造改革」論者はこれも民営化させてしまいました。むしろ大事なのは規制緩和より、日本でリスクをカバーする仕組みをどう再構築するかです。

このままでは、民主党政権は、官僚の政治任命ができず、国家戦略もなく、大臣たちが省益に縛られている中で、ねじれ国会で妥協、妥協を繰り返して、民主党の自民党化が進む危険性が高まっています。

そうなれば、「みんなの党」による官僚バッシングが強まるでしょう。劣化したメディアによって、ポピュリズム政治がますます進みます。橋本「構造改革」、小泉「構造改革」についで、渡辺「構造改革」っていうことになるんでしょうか。
その時は、貧困者相手にデフレ商売で儲ける一握りの金持ちが闊歩する世の中です。

そうなったら、できる若者たちがアジアへ、世界へと逃げていくために…
飛びます✈ 飛びます✈ 飛びます✈
日本も本当にご臨終かもしれませんね。
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