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金子勝ブログ

慶應義塾大学経済学部教授金子勝のオフィシャルブログです。

2010年09月

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お金でお金を買うって何?:歴史の中で円高を考える

ある「権威」を仲間内で互いに祭り上げて作り上げ、ネットを、それを信じ込ませる道具にしてしまったら、批判精神が表メディアから消えつつある、この国は「救い」のない国になってしまいます。

おまけに、経済学のテキストまんまの解説なのに、「何でも分かった」という謙虚さを失った説明は、ソーシャルメディアにふさわしい言説なのかしら?実は経済学にも、深く考えると、分かったようで分からないことがいっぱいあるんです。

たとえば、経済現象の一番ど真ん中にある<貨幣>、つまり<お金>って何なのか?という問題もそうです。考えてみれば、医学でも血液について分からないことがたくさんあるのと同じです。

昔から貨幣の機能については、交換したり価値を測ったりする手段として一般的に説明されています。
が、そもそもみんな1万円札がただの紙であることは知っているのに、誰もが1万円として受け取り,使うのも不思議と言えば不思議です。近代資本主義のど真ん中にある<貨幣>そのもののバックに「権威」(典型的なのは国家)に対する信用があり、また互いにそれを信用していればこそ成り立つ「共同幻想」なのです。

実際に、信用が壊れてしまうと,簡単にその「虚構」は捨てられてしまいます。最近で言えば、1998年頃に、ロシア人は自国の通貨であるルーブルをドルに換えようと、銀行に殺到しました。その国の政府が債務不履行に陥りそうになれば、通貨そのものが流通しなくなることだって起こりえます。もっとも日本でも明銭が通用した時代もあるので、これが特殊な現象だとは言い切れないかもしれません。

ここが不思議なところで、たとえば、歴史的にも存在したことですが、ハイエクは銀行券の発券の自由を唱えています。中央銀行による通貨発行の独占、あるいは貨幣のバックに国家信用なんて必要ないという考え方も、議論としてはありうるのです。望ましい通貨制度など設計しえない、だったら市場に任せた方がマシだというわけです。

ここまでいくと、実は、そもそも中央銀行がなぜ存在して、どういう役割を負うべきなのかという点も、分かったようで分からないことの一つのです。私自身は、『セーフティネットの政治経済学』や『反グローバリズム』の中で、金融恐慌の発生とセーフティネットから歴史理論的には「説明」を与えていますが、自分でも満足できるものではありません(国庫と中央銀行の関係はもう少し現実的で複雑です)。
変動相場制という為替市場で交換レートを決める仕組みは,結局、お金をお金で買って儲けることのできる世界です。ところが、上記のような状況ですから、異なる国同士が異なる通貨をどのような比率で交換するのが妥当かという問題は複雑で、答は容易には得られません。もちろん、購買力平価や実効為替レートによる説明など、いろいろとあります。しかし、その基準から見ると、かなりの期間、そこから乖離するは当たり前のことです。

結局、通貨や金融を市場に委ねた方がいいと言っていた者たちも、このように急激な円高があると、為替市場に介入しない政府・日銀を「無策だ」と批判し始めるのです。自分を棚上げにして、誰かのせいにすることでごまかす――よく起こることです。金融自由化によるグローバリゼーションを煽り、「構造改革」とイラク戦争を推進する論調を展開してきた経済ジャーナリズムも例外ではありませんね。

さて、本題に話を戻しましょう。今回は、資本主義に最適な通貨制度などないのかもしれないという前提に立って、今日の急激な円高状況を考えてみたいと思います。

2007年半ばには1ドル=120円を超えていた為替レートは、2010年9月初め時点で1ドル=83~84円まで下落し,民主党代表選で菅直人氏が勝つと、82円台に入りました。直近で見ても、4~6月の実質GDP成長率が0.4%まで落ち,景気後退傾向にあります。どう見ても、この急激な円高は日本経済の実力とは乖離しています。

この円高は、過去の円高局面とは性格が異なる点があります。実は、この急激な円高は、100年に1度と言われる世界的経済危機の現象の1つなのです。経済学者やエコノミストたちが言うことを「場当たり的」だと感じるのは、こうした歴史的視点や根本的な問いが欠けているせいです。

過去と比較した今日の円高の特徴を考えてみたいと思います。

まず1995年に1ドル=79円まで進んだ円高と比べてみましょう。
当時との違いは何でしょうか。
95年当時は、クリントン政権が、貿易赤字解消のために製造業の輸出を促進するドル安政策を進めました。日本の対米貿易黒字が大きく、日米の貿易摩擦がひどい時代でした。その後、ルービンが財務大臣になって金融中心の成長戦略に変えて、まもなくドル高円安に戻りました。今回の円高も、オバマ政権は「輸出による雇用創出」を掲げているので似ている面があります。

しかし現在は、必ずしも円をターゲットにしたドル安政策をとっているわけではありません。いまや米国にとって最大の貿易赤字国は中国ですので、むしろターゲットとなっているのは中国です。米国は中国からの輸入を抑えるとともに、中国市場への輸出を有利にしようと動いている面があります。

その一方で、米国もEU諸国もともに不況なので、金融緩和であふれるマネーを背景に、ドルとユーロが売られるのを放置して為替下落を容認しています。

こうした中で、中国は完全なドルペッグを止め、一定の幅で為替レートを変動させるようになりましたが、中国もその欧米通貨の動きに合わせて為替レートを徐々に落としていますので、結果的に日本の円だけが上昇して、中国市場あるいはアジア市場でも不利になっているのです。円高は、不況の米国やEUへの輸出が減ることより、問題なのは、成長著しい中国市場やアジア市場から日本が閉め出されるという点です。事態を放置していると、中国やアジアへの進出=国内空洞化が加速してしまう危険性があります。

つぎに、2000年代に入って小泉政権期の円安傾向と,状況の違いを比べてみましょう。

たしかに、小泉政権時代にはまず円売りドル買い介入によって円安を誘導した後、日銀はゼロ金利政策をとりつつ国債購入による金融緩和政策を続けた結果、それが一定効果を上げ、円安を誘導して輸出の増加によって、かろうじて景気をもたせました。

しかし、今日と当時は大きく条件が異なっています。日本国内では小泉「構造改革」が創り出した格差と貧困が内需不足をもたらしたために、国内の投資や需要が減少する一方で、欧米諸国では住宅バブルになっていったので、国内でだぶついたマネーは海外へ流出していきました。いわゆる円キャリートレードです。つまり、投資家は金利の安い日本市場で資金を調達して、それがバブルで熱狂する地域へ投機資金になって流出していきました。それは円を売ってドルやユーロなどを買う動きを生むので、円安が誘導されます。と同時に、バブル経済となった欧米諸国や中国などに輸出を伸ばす、という脆いけれども輸出主導の景気回復をもたらしました。

もちろん、現在のような急激な円高は日本経済にとって非常に困難をもたらすので、急激な円高を止めるために政府・日銀による介入は避けられません。菅政権が投機筋の狙い撃ちにあっている場合、それを払拭する措置が不可欠です。しかし、それがかつてのように劇的効果を上げることが難しいのも事実です。というのは、小泉政権時と違って、欧米諸国は住宅バブルではなく、むしろバブル崩壊による長期不況になっているからです。

米国では、かつての日本と同様に、外科手術を避けて、不良債権のずるずる処理と量的金融緩和(流動性供給)という誤った政策をとってきました。

まず、住宅ローン減税を背景に、大手銀行は住宅ローンを増やしてきました。それを再国有化されたGSE(フレディマックやファニーメイ)が購入して証券化したり保証したりします。そして中央銀行のFRBが、その住宅ローン担保証券(MBS)やGSE債券を1兆ドル以上も買い続けたのです。それによって、住宅ローン市場が一定回復したかに見えました。

しかし、住宅ローン減税の廃止によって、こうした政策は行き詰まりました。雇用状況は改善せず、住宅も商業用不動産もデフォルトが止まりません。きっと、これからMBSの焦げ付きも増えてくるでしょう。さらにFRBは、年間1.4兆ドルにも及ぶ膨大な財政赤字を国債買い取りでひたすら支えようとしています。

こんなことを永遠に続けられるのでしょうか。もし貨幣が「共同幻想」で成り立っているとしたら、ある時、ドルなんて危ない通貨は国際決済通貨ではありませ~ん、なんてことが起こらない保証はありません。その日がいつ来るのかわかりませんが…。

欧州もギリシャ危機がいったん沈静していますが、依然危ない状況にあります。住宅バブルが崩壊した英国のポンドも同じです。その結果、欧米諸国がこぞって為替下落を放置して、輸出を伸ばして景気後退を少しでも防ごうとしています。世界中が、かつての日本と同様な状況に陥っているのです。その結果、スイスがフラン高を防ぐように為替介入しましたが、失敗しました。日本も一国が為替介入し、金融緩和をしても限界があります。

100年に1度の世界経済危機で起きているこうした現象は、80年前の大恐慌で起きた「為替切り下げ競争」の現代版であり、近隣窮乏化政策という面をもっています。それは、金融自由化とグローバリズムの行き着いた結果です。既存の理論が立ち往生してしまうのは当然です。

また主張者たちの意図にかかわらず、一定の物価上昇目標を立てて金融緩和を続けるインフレターゲット論は、こうした現代版の為替切り下げ競争という近隣窮乏化政策を世界的に促す役割を負うことになっています。

結局、世界中の金融緩和政策が創り出す過剰なマネーは、国内に投資も需要もない状況では、投機マネーとなって次のバブルを創り出す以外にありません。その副作用も大きくなります。当面、あふれたマネーが投機資金となって石油や穀物に流れ、やがて景気回復の足を引っ張るでしょう。あるいは環境投資バブルを創り出す可能性もあります。
このように金融緩和による現代版「為替切り下げ競争」は、結局のところ、バブル循環という慢性病を生むしかありません。

日銀だけをバッシングするポピュリズム的な議論は論外としても、やはり円だけが沈んでしまうのだけは必死に食い止めなければいけません。という意味では、政府・日銀は急激な円高が望ましくないという強いメッセージを送り出す必要があります。とはいえ、劇的効果を期待できない政策を永遠に続けていくわけにもいきません。
脱出口はどこにあるのでしょうか。

今こそ民主党マニフェストが掲げていた「東アジア共同体構想」という中期的な枠組み作りに乗り出さないと、中国をはじめとする東アジア市場から日本は閉め出され、欧米諸国に食い荒らされてしまうでしょう。もちろん、尖閣列島での中国漁船問題でも冷静に毅然と対処せざるをえず、簡単なことではありませんが、かいくぐっていかないといけません。

すでに中国を中心にドルを介さない2国間通貨決済などが進んでいますが、中国やアジア通貨との間の変動幅を抑える枠組みが重要になります。さしあたり、共通の通貨介入基金設立に向かって一歩進めていくべきでしょう。

さらに、中国・アジア諸国との相互貿易を確保するために、これら諸国とのEPAやFTAを結ぶ動きが強まっています。農家の戸別所得補償や安心安全の農業への転換こそは、関税に代わる農業保護政策のあり方なのです。これまでのような製造業利害と農業利害の不毛な対立を乗りこえる道が、これによって切り開かれるのです。その上で、農産物を日本の輸出産業に育てていく視点が重要です。ところが、日本の政財界には、欧米諸国と比べて日本の農家の戸別所得補償の水準が著しく低いという認識がありません。新たな農業保護政策と輸出促進策をとる国民的な合意形成を急ぐ必要があります。

目先だけ、が一番いけません。今こそ考えておかなければいけないのは、ドル=基軸通貨体制はいつまで続くのか、です。
「なぜ神が存在するのか。みんな、神が存在すると信じているからだ」というフォイエルバッハ風の問いを立てれば、「なぜドルが通用するのか。みんな、ドルが通用すると信じているからだ」です。
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リーマン・ショックとともにやってきた大スター:米国崩壊の火花を散らすレディ・ガガ

渋谷のHMVが閉店したことが大きな話題になりました。

音楽業界もCDの売れ行きが急激に落ちています。
レコードがCDに変わり、そしてネット配信になったことが原因とされます――オヤジとしてはなかなかついて行けません。
ある人は不況で,携帯電話代の支払いで精一杯。CDまで買えなくなったと言います。

でも、音楽業界の衰退は、不況やネット配信という媒体変化が原因なんでしょうか。なんか違うんじゃない。本当は、時代を表現する音楽がなくなったからではないんでしょうか。

言論や学問と同じく、音楽も時代を表現しておらず、人々の心の渇望を歌っていないのです。

以下は、シンコーミュージック発行の音楽雑誌『ULYsses』N0.2,2010年冬季号(2010年4月1日発行)に掲載した拙稿です。

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誰もが抱く日常の渇望をなぜ歌わないのですか
拝啓 ジョン・レノンさまへ
まるで真心ブラザースの歌みたいな書き出しですみません。彼らは生まれた時にあなたがすでに死んでいたことを悔やんでいましたが、僕は、生きていたあなたが作った歌を同時代で聴いていたオヤジです。
ジョンさんが亡くなってから30年がたちますが、あなただったら、今どんな歌を作り、歌うでしょうか。いま時代を共有する音楽が見当たらないのです。創造的で爆発的な勢いのある歌もありません。カラオケのランキングを見ても、ほとんど昔流行った曲ばかり。この国は衰退しているからなんでしょうか。
僕は、あなたたちビートルズが8トラックの多重録音を始めた時はびっくりしました。とにかく創造的でした。山下達郎が自分の声を重ねて曲を作ることができるのも、あなたたちがあったればこそです。しかし、技術の進歩は恐ろしく、ほとんどコンピュータなしに曲作りは考えられなくなりました。今やあなたの音楽はもはやレコードで聞くのは困難です。おかげで、ビートルズのレコードも含めて全部CDに買い替えなくてはならなくなりました。ところが、ネット配信が増え、みんながCDショップに並んで流行のCDを競って買うこともなくなりつつあります。評論家たちは、人の嗜好が多様化したとか、デジタル化して音楽も「個化」したとか、わかったような解説をしてくれます。
しかし、こういう説明に、僕はどこか違和感を覚えます。僕はジョンさんの「反時代性」がとても好きだったのです。時代の「常識」と絶えず衝突する「非常識」からしか新しい音楽は生まれません。ジョンさんは、みながハードになっていくその時にアコースティックになったり、みなが反戦平和を歌わなくなった時に反戦歌を歌いだしたりしましたね。あなたの時代に逆らう曲が、僕の中に眠っている当たり前の渇望をかきたててくれました。
話は「高級」な音楽にかぎらず、アイドル音楽にも当てはまります。僕は、アイドルだって反時代性がなければ爆発力を持たないと思います。「モー娘。」がそうでした。「モー娘。」は、九七年七月にテレビ東京の「ASAYAN」という番組のオーディションで落選し、五人の初代「モー娘。」は「愛の種」という曲を五日間で五万枚売ることがデビューの条件とされました。実は「モー娘。」は、ホリプロのタレント・キャラバンのサクセス・ストリーとは逆に、負け組再チャレンジの物語でした。しかも、「モー娘。」は新メンバーが加わっては卒業させ、主役も入れ替わっていく世代交代が次々と起きます。時には、その対立が表面化さえします。安倍なつみと後藤真希の「対立」は有名でした。その一方で、陰湿な派閥対立の代わりに、プッチモニ、タンポポ、ミニモニ。などつぎつぎとグループ内に複数の小グループができます。つまり「モー娘。」は、若者にとって耐え難い日本の会社組織や学校組織のありようとは正反対の「組織」だったのです。
ところが、最近のAKB48は、再び「おにゃん子クラブ」に逆戻りです。しかも彼女らが来ている制服は軍服にさえ見えてきて、これでは若者は「解放感」を感じることができないでしょう。
男女の「小さな愛」を歌う、今時の盆踊りみたいなラップ系の音楽を聴いていると、何も新しいものは生まれてこないように思えます。若者は、二人に一人が非正社員、正社員になっても滅茶苦茶働かされ、いつ会社が潰れたりリストラされたりするか、わかりません。若者にとって、こんなに閉塞した状況ですから、幸せな家庭を築くことくらいしか希望を持てません。しかし、終身雇用がなくなり、それさえ保証されていないのが現実です。それは希望ではなく幻想にすぎません。
反時代的だったジョンさんだったら、どんな歌を作るでしょうか。もちろんジョンさんだったら、イラク戦争やアフガン戦争に反対するでしょうが、きっと愛の日常を歌うような気がします。今の世の中、うわべだけで若者が本当に置かれている愛の渇望を歌っているようには思えないからです。たとえば、愛し合っているのに、非正社員じゃ結婚なんてとてもできない。不安定な身分の自分には女性は決して振り向いてくれない。子ども生むと、会社を首になりそうで、保育園もなく教育費も高くて一人つくるのも精一杯で、とても子どもなんか生めやしない。その一方で、児童虐待や育児放棄で、子ども愛せない親と子の関係がありふれている。「ストロベリーフィールズ・フォエバー」は、親に「捨て」られたジョンの哀しい子どもの頃の経験を背景にした歌でした。
考えてみれば、ジョンさんはオノ・ヨーコさんとの間に子どもが生まれて、専業主夫宣言をして仕事を休みましたね。いまだに育児休業は十分に保証されていませんが、あれは三〇年以上も前のことでした。「Woman」は本当に優しい愛の歌です。今も、どの歌より新しいと思って聴いています。
敬具
金子勝より
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考えてみると、僕らオヤジ世代は、誰が未知の未来を先取りしているのか、過敏と言えるほど神経をとがらして探そうとしてきました。私がジョン・レノンに感じたのも、この未来を先取りする精神です。たとえば、イマジンは「想像してごらん。国境もない、殺す理由も死ぬ理由もない、そして宗教もない…」と歌います。そこにあるのは、巷のグローバリゼーションとは正反対のグローバリゼーションの姿です。

しかし、この文章を書きながら、書き残したものがあるなあと思っていました。

そう、レディ・ガガ(Lady Gaga)の存在です。
2008年秋のリーマン・ショックによって壊れかけた米国経済と社会のストレスの中から、大ブレークしてきたスーパースター。
レディ・ガガは、レスビアンにしてストリッパー。そして自作で作曲する。
奇抜な衣装でランチキのように踊り狂い、歌い狂う。

ララ アハハハ ロマ ロママ ガアガア ウラララ…と意味不明の歌詞から始まるBad Romance…、メチャクチャなコスチュームで踊り狂うレディ・ガガ。時には、ほとんど素っ裸でダイブするとか…。
ビヨンセとコラボしたTelephoneもなかなかの迫力です。

たしかに、壊れています。

今や、米国ではダブルディップ(二番底)が起きるかもしれないと言われています。
いや、あまりに低空飛行ゆえに、これ以上落ちようがないから二番底はないっていう人もいますけど、結局、ひどいことに変わりはありません。

バブル崩壊後の不良債権問題を流動性の供給(金融緩和政策)にすり替え、100年に1度の金融危機なのにインチキな不良債権のずるずる処理によって、ウォール街の金融機関救済に明け暮れてきたガイトナー財務長官、サマーズ国家経済会議議長、そしてバーナンキFRB議長ら。

オバマが掲げた「チェンジ」も幻だった…。
あれほど期待させたオバマの演説のうまさは、かえって詐欺師の臭いにさえ感じさせてしまい、ついにオバマへの不支持率は支持率を上回りました。ワシントン政治に妥協して多くの米国民を裏切った報いです。

しかも代わって出てくるのは、元アラスカ州知事のペイリンです。宗教原理主義者たちのようなオバカな主張でうまったティーパーティ(茶会)運動が、それを支えています。

日本ではアメリカをまた「すごい」って言って恋している人もいるけれど、アメリカは壊れています。たしかに、坂本冬美の「また君に恋してる」はなかなかいい歌だけど、もう恋人は終わっているんですね…。

実際、住宅ローン減税が終わり、1兆ドル以上もの住宅ローン担保証券(MBS)をひたすら買い続けたFRBも行き詰まってきました。きっと、これからMBSの焦げ付きも出てくるでしょう。どうするんでしょうね。さらに、年間1.4兆ドルにも及ぶ膨大な財政赤字を国債買い取りでひたすら支えようとしていますが、ドルもいつまでもつんでしょうか。
あ~あ、ニッポンとそっくり。

これから、ニッポンがモデルにしてきたアメリカも、ニッポンの真似をして壊れていくんです。そして今度は,ニッポンの民主党政権が、アメリカのオバマ民主党政権の真似をして壊れていくんです。

壊れていくモノは全て、ぶっ壊れるときに、爆発的なエネルギーを発します。明治維新が訪れる前の幕末における混乱期に、「ええじゃないか」が流行したのと同じです。
猛烈な勢いで壊れていくモノと新しく生まれてくるモノとの間にはタイムラグがあり、その間の空白は、行き場のないイラ立ちとエネルギーの発散を引き起こします。
レディ・ガガに感じるエネルギーは、それではないでしょうか。そう、レディ・ガガは「米国版ええじゃないか」じゃないでしょうか。

でも…
この国も壊れかけていますが、出てくるのはAKB48です。
韓流の少女時代やカラにも負けそう……もう終わっていますね。
この国には、新しいモノも、爆発的な崩壊エネルギーを発する歌も言論もどこにもないのです。

何が「イラ菅」ですか、私はあなたにイライラしているんです。
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