「探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も 机の中も
探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですか?」
1973年3月に出た、井上陽水の「夢の中へ」の出だしです。
情緒的な言い方ですが、当時は、巨大な喪失感が日本中を覆っていたように思います。実際に、それまでの国際秩序は大きく動揺していましたが、なかなか新しい国際的国内的な秩序が見えてきませんでした。
1960年代末から国際通貨体制が動揺し、ニクソンショックがあり、ついに固定相場制が壊れていきます。この後、2度の石油ショックが襲います。
一方、大学闘争はさまざまな価値の転換を生み落としましたが、闘争自体は目標を失って、やがて内ゲバ殺人が起き、覚醒剤におぼれるヒッピーが流行ったりしました。その後は、やがて社会的に声を上げること自体が「危険」な行為だと見なされるようになりました。
結局、固定相場制は変動相場制になり、米英諸国が先頭に立って金融自由化を進めました。
先進諸国は「G7」という国際協調体制を作り、各国中央銀行が協調した金融緩和策によって、世界同時不況を防ぐようになりました。
一方、IEAの設置とアラブの産油国への懐柔によって、石油価格が抑えられました。
その間に、団塊の世代は社会性を失って私生活中心主義になり、行政改革などを通じて「新自由主義」を受け入れ、やがてバブルに酔っ払うようになります。
しかし今や、この石油ショック後にできた枠組みも全て崩れ始めています。
変動相場制と金融自由化、そしてG7体制と金融緩和政策は、バブル循環を生み落とし、ついに100年に一度の世界金融危機に行き着きました。
新興国の成長と石油需要の拡大が進む中で、イラク戦争はかえって石油価格の高騰をもたらしました。そして巨大なバブル崩壊と石油ショックが一緒に到来したのです。
さらに、石油のためのイラク戦争は、米国の覇権を著しく傷つけ、国連安保理を機能不全に陥らせています。たしかにG20はできましたが、それが新しい国際秩序を創り出すとは思えません。
そういう中で、再び巨大な喪失感が日本を襲っています。
従来の国の仕組みや政策では立ち行かなくなる中、民主党はマニフェストを掲げて政権を獲得しました。90年代初めの7党連立政権と違って、戦後初めての本格的な政権交代と言ってよいでしょう。ところが、2010年を通して政権交代への期待が失望に変わっていきました。実際、民主党政権がマニフェストを次々と後退させ、党内抗争ばかりが目立つようになりました。
菅政権の外交安保政策は、「東アジア共同体構想」から遠ざかり「日米同盟」重視へますます傾いています。自公政権時代の普天間基地の辺野古移設案への逆戻りも、米国主導のTPP(環太平洋連携協定)推進を打ち出したのもその一つです。
内政でも、八ツ場ダム中止は「コンクリートから人へ」という政策の象徴でしたが、馬淵澄夫国交相は、前原誠司前国交相が打ち出した「中止の方向性」には「一切言及せず、一切の予断を持たずに再検証する」としました。ダム建設見直しの見直しです。
環境エネルギー政策でもひどい後退は続いています。メキシコのカンクンでのCOP16(国連気候変動枠組み条約第16回締結国会議)で、日本政府は米国と中国が参加しないかぎり、京都議定書の延長に絶対反対の立場をとり、顰蹙(ひんしゅく)を買いました。
その間、「総量削減型の排出量取引」は先送りになり、再生可能エネルギーの「全量固定価格買取制度」は一般家庭用の太陽光発電の余剰電力買取価格だけが突出して高く、他の再生可能エネルギーの買取価格は同一で低く、それぞれのコストにあっていません。民主党が総選挙で公約した環境エネルギー政策は、経産省主導でつぎつぎと骨抜きにされているのです。
何のための政権交代だったのかと思わせるほど、あらゆる政策分野でバックラッシュ(揺り戻し)が起きています。だが、これまで失敗してきた道に今さら逆戻りしても、うまくゆくはずがありません。期待が大きかった分だけ、人々を覆っている民主党への失望感は巨大な喪失感へとつながっています。
しかし、原因はもっと深い所にあるように思います。政権交代の背後にあったのは日本社会の行き詰まりです。
それは、戦後日本社会が大前提としてきた3つの条件が崩れたからではないでしょうか?
3つの条件とは、①経済成長、②核家族モデル、③米国追随モデルです。日本は、この大前提が崩れたため、社会としても個人としても生きるモデルを見失ってしまったのではないでしょうか。
まず第一に、戦後日本が一貫して追求してきた経済成長が止まってしまいました。
「これからは脱成長である」とか「支え合い」や「分かち合い」が必要であるといった主張をよく目にするようになりました。しかし、こうした議論は、どこかでまだ日本は豊かで、成長していることを前提としており、過去の成功体験から抜け切れていません。
この20年間、特にバブル崩壊が本格化した1990年代半ば以降、日本の名目GDP(国内総生産)はほとんど伸びていません。一人当たりのGDPをとると、世界3位から20位前後まで落ちてきています。むしろ衰退が始まっているのです。成長していないのに、脱成長はありえないはずです。韓国・中国の追い上げも激しく、アジアで一番の先進国というアイデンティティも揺らいでいます。
たしかに社会保障政策や雇用政策によって、消費性向の高い、若い低所得層に所得を再分配することで、より消費を刺激する効果が高くなります。なので、分かち合いが決して意味がないわけではありません。
しかし実際の若者の雇用喪失状況を見れば、この国は確実に衰退過程に入っています。分かち合いだけでは限界があります。雇用がないと、人は社会から必要とされていないと感じ、尊厳を傷つけられます。人は食べていけなくなると、守るべき将来も夢も失くして、しばしば自暴自棄になっていきます。
ところが、規制緩和や民営化などの「構造改革」を繰り返しても、決して新しい産業は生まれてこないことも分かりました。
後で述べますが、新しい考え方、新しいビジョンが求められているのです。
つぎに、戦後の核家族モデルが崩壊しました。
この間、ただ貧困や格差が広がっているだけではありません。独居老人、母子家庭、孤立した若者、知的障害や心の病を抱えている者など、家族の支えもなく社会的に孤立している人々がたくさん生まれていますが、それを支える仕組みがありません。家族が解体を始めると、家族の支えがないために貧困も多様化し深刻化してしまうのです。
もちろん、今さら核家族も支えにならないでしょう。一人ひとりの個別の困難な事情に丁寧に対応し、援助していくパーソナル・アシスタンスをベースにした新しい福祉システムを作っていかないといけません。そのためには、税負担が避けられないでしょう。
戦後日本は、米国をモデルに模倣し、外交軍事でも米国についていけばよかったと言ってよいでしょう。日本が戦争で負けた米国の豊かさは、日本人にとって否応なしに受け入れざるをえない現実でした。
しかし、米国のグローバリズムは、イラク戦争・アフガン戦争に失敗して国連安保理も機能不全に陥らせてしまいました。また、これを契機に石油価格が急上昇するという石油ショックが訪れています。そして米国の住宅バブル崩壊は、ついに世界金融危機をもたらしました。
実際、米国ではリーマンショック以降、経営破綻した銀行は300行を超え、非公式の問題銀行リストも920行を超えました。住宅ローン担保証券の買い戻し請求が来るなど、大手銀行の一部も危ないと言われています。
失業率も9~10%に高止まりしたままで、戦後の不況の中で最も長く回復していません。
11月2日の中間選挙の結果、与野党がねじれてしまったために、下院ではオバマ政権の政策はほとんど通らなくなりました。結局、FRBの金融緩和策に頼らざるをえませんが、それは、再び石油や穀物の価格上昇をもたらし始めています。
まだまだ世界金融危機も石油危機も終わっていないのです。
米国についていけばよいという時代が終わりました。
いま、日本は目指すべき方向を見失っています。
この巨大な喪失感を埋め合わせることができるのは、21世紀の新しい資本主義のあり方しかありません。いま問われているのは、脱成長ではなく経済成長のあり方なのです。
何より、儲けるためなら何でもありで、バブルとバブル崩壊を繰り返す金融資本主義の時代は終わりました。この間、自己責任でやれとか、努力したものが報われるといった主張が繰り返されてきましたが、世界金融危機をもたらしたのに、ひどく高い報酬を未だにもらっているウォール街の金融機関は「正義」や「公正さ」にもとっています。
もっと正確に言えば、バブル循環をもたらす金融資本主義の時代を終わらせる必要があります。紆余曲折はあるでしょうが、再びバブルが起きないように、新しい国際金融規制や国際通貨制度を作っていくために力を尽くすことが大事です。
そのうえで、社会に役立つことで生業を成り立たせていく公共的な資本主義を目指すべきです。それは、狭い意味でNPOやNGOといった経済主体をさすだけではありません。
世界の流れを考えれば、地球温暖化を防ぎ未来世代を守るために、環境エネルギー革命を推進していくことが大事です。再生可能エネルギー産業、スマートグリッドと双方向的な送配電網、学校・病院・事務所などの断熱化とエネルギー自給、スマートシティの建設、エコカーやエコ家電などの耐久消費財の技術革新と更新需要などなど、環境エネルギー革命は最も波及効果が高い分野です。そして、それはバブル崩壊と石油ショックを同時に解決することのできる唯一の道です。
もちろん、他にも公共的な資本主義の分野はたくさんあります。高齢社会の中で人命を救ったり苦痛を和らげたりする、医療介護・医療機器・医薬などの分野もそうです。
こうした分野で世界一を目指してイノベーションを進め、新しい環境エネルギーや医療・医薬で産業や雇用を作ることが大事になってきます。
要するに、公共的な資本主義とは、社会に役に立つ仕事で所得が得られる社会にしていくことなのです。
さらに言えば、環境エネルギー革命に基づく21世紀の資本主義のあり方は、地域分散型経済にならざるをえません。再生可能エネルギーは地域的に偏在せず、ネットワーク型の送配電網で自給が基本になります。エネルギーの地産地消です。
もし電力料金に一定負担額を乗せて、再生可能エネルギーを十分な固定価格で買い取る制度ができれば、地域の中小企業家、農業者を始め誰でも発電でき、地域の余剰電力を都市に送り、その売電収入が入ってくるようになります。
一方、東アジア、日本特有の中小零細農業は、地域を面とした地域農業として再生することが必要となります。食料も地産地消を基盤にして、地域全体で6次産業化していくことで、付加価値と雇用を生み出す必要があります。そのうえで、安心・安全のルールを整えながら、日本の都市部だけでなく中国はじめ東アジア諸国に輸出していきます。
食とエネルギーの地産地消を基盤とする地域分散型経済は、さらに地産外商で収入を地域にもたらすことで地域を豊かにしていくのです。そこで、初めて地域主権が現実化するのです。
過去だけを振り向き、過去のすでに死んだモノに支配されているからこそ、大きな喪失感が生まれるのです。今の民主党政権もそうです。政官財学界もそうです。実は、前が見えないのではなく、前を見ていないだけなのです。
井上陽水の「夢の中へ」は、こう続きます。
「それより僕と踊りませんか? 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?」
それは新しいユートピアのように聞こえるかもしれませんが、それは決して「夢」ではなく、実現可能なものなのです。
1973年3月に出た、井上陽水の「夢の中へ」の出だしです。
情緒的な言い方ですが、当時は、巨大な喪失感が日本中を覆っていたように思います。実際に、それまでの国際秩序は大きく動揺していましたが、なかなか新しい国際的国内的な秩序が見えてきませんでした。
1960年代末から国際通貨体制が動揺し、ニクソンショックがあり、ついに固定相場制が壊れていきます。この後、2度の石油ショックが襲います。
一方、大学闘争はさまざまな価値の転換を生み落としましたが、闘争自体は目標を失って、やがて内ゲバ殺人が起き、覚醒剤におぼれるヒッピーが流行ったりしました。その後は、やがて社会的に声を上げること自体が「危険」な行為だと見なされるようになりました。
結局、固定相場制は変動相場制になり、米英諸国が先頭に立って金融自由化を進めました。
先進諸国は「G7」という国際協調体制を作り、各国中央銀行が協調した金融緩和策によって、世界同時不況を防ぐようになりました。
一方、IEAの設置とアラブの産油国への懐柔によって、石油価格が抑えられました。
その間に、団塊の世代は社会性を失って私生活中心主義になり、行政改革などを通じて「新自由主義」を受け入れ、やがてバブルに酔っ払うようになります。
しかし今や、この石油ショック後にできた枠組みも全て崩れ始めています。
変動相場制と金融自由化、そしてG7体制と金融緩和政策は、バブル循環を生み落とし、ついに100年に一度の世界金融危機に行き着きました。
新興国の成長と石油需要の拡大が進む中で、イラク戦争はかえって石油価格の高騰をもたらしました。そして巨大なバブル崩壊と石油ショックが一緒に到来したのです。
さらに、石油のためのイラク戦争は、米国の覇権を著しく傷つけ、国連安保理を機能不全に陥らせています。たしかにG20はできましたが、それが新しい国際秩序を創り出すとは思えません。
そういう中で、再び巨大な喪失感が日本を襲っています。
従来の国の仕組みや政策では立ち行かなくなる中、民主党はマニフェストを掲げて政権を獲得しました。90年代初めの7党連立政権と違って、戦後初めての本格的な政権交代と言ってよいでしょう。ところが、2010年を通して政権交代への期待が失望に変わっていきました。実際、民主党政権がマニフェストを次々と後退させ、党内抗争ばかりが目立つようになりました。
菅政権の外交安保政策は、「東アジア共同体構想」から遠ざかり「日米同盟」重視へますます傾いています。自公政権時代の普天間基地の辺野古移設案への逆戻りも、米国主導のTPP(環太平洋連携協定)推進を打ち出したのもその一つです。
内政でも、八ツ場ダム中止は「コンクリートから人へ」という政策の象徴でしたが、馬淵澄夫国交相は、前原誠司前国交相が打ち出した「中止の方向性」には「一切言及せず、一切の予断を持たずに再検証する」としました。ダム建設見直しの見直しです。
環境エネルギー政策でもひどい後退は続いています。メキシコのカンクンでのCOP16(国連気候変動枠組み条約第16回締結国会議)で、日本政府は米国と中国が参加しないかぎり、京都議定書の延長に絶対反対の立場をとり、顰蹙(ひんしゅく)を買いました。
その間、「総量削減型の排出量取引」は先送りになり、再生可能エネルギーの「全量固定価格買取制度」は一般家庭用の太陽光発電の余剰電力買取価格だけが突出して高く、他の再生可能エネルギーの買取価格は同一で低く、それぞれのコストにあっていません。民主党が総選挙で公約した環境エネルギー政策は、経産省主導でつぎつぎと骨抜きにされているのです。
何のための政権交代だったのかと思わせるほど、あらゆる政策分野でバックラッシュ(揺り戻し)が起きています。だが、これまで失敗してきた道に今さら逆戻りしても、うまくゆくはずがありません。期待が大きかった分だけ、人々を覆っている民主党への失望感は巨大な喪失感へとつながっています。
しかし、原因はもっと深い所にあるように思います。政権交代の背後にあったのは日本社会の行き詰まりです。
それは、戦後日本社会が大前提としてきた3つの条件が崩れたからではないでしょうか?
3つの条件とは、①経済成長、②核家族モデル、③米国追随モデルです。日本は、この大前提が崩れたため、社会としても個人としても生きるモデルを見失ってしまったのではないでしょうか。
まず第一に、戦後日本が一貫して追求してきた経済成長が止まってしまいました。
「これからは脱成長である」とか「支え合い」や「分かち合い」が必要であるといった主張をよく目にするようになりました。しかし、こうした議論は、どこかでまだ日本は豊かで、成長していることを前提としており、過去の成功体験から抜け切れていません。
この20年間、特にバブル崩壊が本格化した1990年代半ば以降、日本の名目GDP(国内総生産)はほとんど伸びていません。一人当たりのGDPをとると、世界3位から20位前後まで落ちてきています。むしろ衰退が始まっているのです。成長していないのに、脱成長はありえないはずです。韓国・中国の追い上げも激しく、アジアで一番の先進国というアイデンティティも揺らいでいます。
たしかに社会保障政策や雇用政策によって、消費性向の高い、若い低所得層に所得を再分配することで、より消費を刺激する効果が高くなります。なので、分かち合いが決して意味がないわけではありません。
しかし実際の若者の雇用喪失状況を見れば、この国は確実に衰退過程に入っています。分かち合いだけでは限界があります。雇用がないと、人は社会から必要とされていないと感じ、尊厳を傷つけられます。人は食べていけなくなると、守るべき将来も夢も失くして、しばしば自暴自棄になっていきます。
ところが、規制緩和や民営化などの「構造改革」を繰り返しても、決して新しい産業は生まれてこないことも分かりました。
後で述べますが、新しい考え方、新しいビジョンが求められているのです。
つぎに、戦後の核家族モデルが崩壊しました。
この間、ただ貧困や格差が広がっているだけではありません。独居老人、母子家庭、孤立した若者、知的障害や心の病を抱えている者など、家族の支えもなく社会的に孤立している人々がたくさん生まれていますが、それを支える仕組みがありません。家族が解体を始めると、家族の支えがないために貧困も多様化し深刻化してしまうのです。
もちろん、今さら核家族も支えにならないでしょう。一人ひとりの個別の困難な事情に丁寧に対応し、援助していくパーソナル・アシスタンスをベースにした新しい福祉システムを作っていかないといけません。そのためには、税負担が避けられないでしょう。
戦後日本は、米国をモデルに模倣し、外交軍事でも米国についていけばよかったと言ってよいでしょう。日本が戦争で負けた米国の豊かさは、日本人にとって否応なしに受け入れざるをえない現実でした。
しかし、米国のグローバリズムは、イラク戦争・アフガン戦争に失敗して国連安保理も機能不全に陥らせてしまいました。また、これを契機に石油価格が急上昇するという石油ショックが訪れています。そして米国の住宅バブル崩壊は、ついに世界金融危機をもたらしました。
実際、米国ではリーマンショック以降、経営破綻した銀行は300行を超え、非公式の問題銀行リストも920行を超えました。住宅ローン担保証券の買い戻し請求が来るなど、大手銀行の一部も危ないと言われています。
失業率も9~10%に高止まりしたままで、戦後の不況の中で最も長く回復していません。
11月2日の中間選挙の結果、与野党がねじれてしまったために、下院ではオバマ政権の政策はほとんど通らなくなりました。結局、FRBの金融緩和策に頼らざるをえませんが、それは、再び石油や穀物の価格上昇をもたらし始めています。
まだまだ世界金融危機も石油危機も終わっていないのです。
米国についていけばよいという時代が終わりました。
いま、日本は目指すべき方向を見失っています。
この巨大な喪失感を埋め合わせることができるのは、21世紀の新しい資本主義のあり方しかありません。いま問われているのは、脱成長ではなく経済成長のあり方なのです。
何より、儲けるためなら何でもありで、バブルとバブル崩壊を繰り返す金融資本主義の時代は終わりました。この間、自己責任でやれとか、努力したものが報われるといった主張が繰り返されてきましたが、世界金融危機をもたらしたのに、ひどく高い報酬を未だにもらっているウォール街の金融機関は「正義」や「公正さ」にもとっています。
もっと正確に言えば、バブル循環をもたらす金融資本主義の時代を終わらせる必要があります。紆余曲折はあるでしょうが、再びバブルが起きないように、新しい国際金融規制や国際通貨制度を作っていくために力を尽くすことが大事です。
そのうえで、社会に役立つことで生業を成り立たせていく公共的な資本主義を目指すべきです。それは、狭い意味でNPOやNGOといった経済主体をさすだけではありません。
世界の流れを考えれば、地球温暖化を防ぎ未来世代を守るために、環境エネルギー革命を推進していくことが大事です。再生可能エネルギー産業、スマートグリッドと双方向的な送配電網、学校・病院・事務所などの断熱化とエネルギー自給、スマートシティの建設、エコカーやエコ家電などの耐久消費財の技術革新と更新需要などなど、環境エネルギー革命は最も波及効果が高い分野です。そして、それはバブル崩壊と石油ショックを同時に解決することのできる唯一の道です。
もちろん、他にも公共的な資本主義の分野はたくさんあります。高齢社会の中で人命を救ったり苦痛を和らげたりする、医療介護・医療機器・医薬などの分野もそうです。
こうした分野で世界一を目指してイノベーションを進め、新しい環境エネルギーや医療・医薬で産業や雇用を作ることが大事になってきます。
要するに、公共的な資本主義とは、社会に役に立つ仕事で所得が得られる社会にしていくことなのです。
さらに言えば、環境エネルギー革命に基づく21世紀の資本主義のあり方は、地域分散型経済にならざるをえません。再生可能エネルギーは地域的に偏在せず、ネットワーク型の送配電網で自給が基本になります。エネルギーの地産地消です。
もし電力料金に一定負担額を乗せて、再生可能エネルギーを十分な固定価格で買い取る制度ができれば、地域の中小企業家、農業者を始め誰でも発電でき、地域の余剰電力を都市に送り、その売電収入が入ってくるようになります。
一方、東アジア、日本特有の中小零細農業は、地域を面とした地域農業として再生することが必要となります。食料も地産地消を基盤にして、地域全体で6次産業化していくことで、付加価値と雇用を生み出す必要があります。そのうえで、安心・安全のルールを整えながら、日本の都市部だけでなく中国はじめ東アジア諸国に輸出していきます。
食とエネルギーの地産地消を基盤とする地域分散型経済は、さらに地産外商で収入を地域にもたらすことで地域を豊かにしていくのです。そこで、初めて地域主権が現実化するのです。
過去だけを振り向き、過去のすでに死んだモノに支配されているからこそ、大きな喪失感が生まれるのです。今の民主党政権もそうです。政官財学界もそうです。実は、前が見えないのではなく、前を見ていないだけなのです。
井上陽水の「夢の中へ」は、こう続きます。
「それより僕と踊りませんか? 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?」
それは新しいユートピアのように聞こえるかもしれませんが、それは決して「夢」ではなく、実現可能なものなのです。