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金子勝ブログ

慶應義塾大学経済学部教授金子勝のオフィシャルブログです。

2010年12月

30

この巨大な喪失感は何か?:21世紀の新しい資本主義へ

「探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も 机の中も
探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですか?」

1973年3月に出た、井上陽水の「夢の中へ」の出だしです。
情緒的な言い方ですが、当時は、巨大な喪失感が日本中を覆っていたように思います。実際に、それまでの国際秩序は大きく動揺していましたが、なかなか新しい国際的国内的な秩序が見えてきませんでした。

1960年代末から国際通貨体制が動揺し、ニクソンショックがあり、ついに固定相場制が壊れていきます。この後、2度の石油ショックが襲います。

一方、大学闘争はさまざまな価値の転換を生み落としましたが、闘争自体は目標を失って、やがて内ゲバ殺人が起き、覚醒剤におぼれるヒッピーが流行ったりしました。その後は、やがて社会的に声を上げること自体が「危険」な行為だと見なされるようになりました。

結局、固定相場制は変動相場制になり、米英諸国が先頭に立って金融自由化を進めました。
先進諸国は「G7」という国際協調体制を作り、各国中央銀行が協調した金融緩和策によって、世界同時不況を防ぐようになりました。

一方、IEAの設置とアラブの産油国への懐柔によって、石油価格が抑えられました。
その間に、団塊の世代は社会性を失って私生活中心主義になり、行政改革などを通じて「新自由主義」を受け入れ、やがてバブルに酔っ払うようになります。

しかし今や、この石油ショック後にできた枠組みも全て崩れ始めています。
変動相場制と金融自由化、そしてG7体制と金融緩和政策は、バブル循環を生み落とし、ついに100年に一度の世界金融危機に行き着きました。
新興国の成長と石油需要の拡大が進む中で、イラク戦争はかえって石油価格の高騰をもたらしました。そして巨大なバブル崩壊と石油ショックが一緒に到来したのです。

さらに、石油のためのイラク戦争は、米国の覇権を著しく傷つけ、国連安保理を機能不全に陥らせています。たしかにG20はできましたが、それが新しい国際秩序を創り出すとは思えません。

そういう中で、再び巨大な喪失感が日本を襲っています。

従来の国の仕組みや政策では立ち行かなくなる中、民主党はマニフェストを掲げて政権を獲得しました。90年代初めの7党連立政権と違って、戦後初めての本格的な政権交代と言ってよいでしょう。ところが、2010年を通して政権交代への期待が失望に変わっていきました。実際、民主党政権がマニフェストを次々と後退させ、党内抗争ばかりが目立つようになりました。

菅政権の外交安保政策は、「東アジア共同体構想」から遠ざかり「日米同盟」重視へますます傾いています。自公政権時代の普天間基地の辺野古移設案への逆戻りも、米国主導のTPP(環太平洋連携協定)推進を打ち出したのもその一つです。

内政でも、八ツ場ダム中止は「コンクリートから人へ」という政策の象徴でしたが、馬淵澄夫国交相は、前原誠司前国交相が打ち出した「中止の方向性」には「一切言及せず、一切の予断を持たずに再検証する」としました。ダム建設見直しの見直しです。

環境エネルギー政策でもひどい後退は続いています。メキシコのカンクンでのCOP16(国連気候変動枠組み条約第16回締結国会議)で、日本政府は米国と中国が参加しないかぎり、京都議定書の延長に絶対反対の立場をとり、顰蹙(ひんしゅく)を買いました。

その間、「総量削減型の排出量取引」は先送りになり、再生可能エネルギーの「全量固定価格買取制度」は一般家庭用の太陽光発電の余剰電力買取価格だけが突出して高く、他の再生可能エネルギーの買取価格は同一で低く、それぞれのコストにあっていません。民主党が総選挙で公約した環境エネルギー政策は、経産省主導でつぎつぎと骨抜きにされているのです。

何のための政権交代だったのかと思わせるほど、あらゆる政策分野でバックラッシュ(揺り戻し)が起きています。だが、これまで失敗してきた道に今さら逆戻りしても、うまくゆくはずがありません。期待が大きかった分だけ、人々を覆っている民主党への失望感は巨大な喪失感へとつながっています。

しかし、原因はもっと深い所にあるように思います。政権交代の背後にあったのは日本社会の行き詰まりです。

それは、戦後日本社会が大前提としてきた3つの条件が崩れたからではないでしょうか?
3つの条件とは、①経済成長、②核家族モデル、③米国追随モデルです。日本は、この大前提が崩れたため、社会としても個人としても生きるモデルを見失ってしまったのではないでしょうか。

まず第一に、戦後日本が一貫して追求してきた経済成長が止まってしまいました。
「これからは脱成長である」とか「支え合い」や「分かち合い」が必要であるといった主張をよく目にするようになりました。しかし、こうした議論は、どこかでまだ日本は豊かで、成長していることを前提としており、過去の成功体験から抜け切れていません。

この20年間、特にバブル崩壊が本格化した1990年代半ば以降、日本の名目GDP(国内総生産)はほとんど伸びていません。一人当たりのGDPをとると、世界3位から20位前後まで落ちてきています。むしろ衰退が始まっているのです。成長していないのに、脱成長はありえないはずです。韓国・中国の追い上げも激しく、アジアで一番の先進国というアイデンティティも揺らいでいます。

たしかに社会保障政策や雇用政策によって、消費性向の高い、若い低所得層に所得を再分配することで、より消費を刺激する効果が高くなります。なので、分かち合いが決して意味がないわけではありません。

しかし実際の若者の雇用喪失状況を見れば、この国は確実に衰退過程に入っています。分かち合いだけでは限界があります。雇用がないと、人は社会から必要とされていないと感じ、尊厳を傷つけられます。人は食べていけなくなると、守るべき将来も夢も失くして、しばしば自暴自棄になっていきます。

ところが、規制緩和や民営化などの「構造改革」を繰り返しても、決して新しい産業は生まれてこないことも分かりました。
後で述べますが、新しい考え方、新しいビジョンが求められているのです。

つぎに、戦後の核家族モデルが崩壊しました。
この間、ただ貧困や格差が広がっているだけではありません。独居老人、母子家庭、孤立した若者、知的障害や心の病を抱えている者など、家族の支えもなく社会的に孤立している人々がたくさん生まれていますが、それを支える仕組みがありません。家族が解体を始めると、家族の支えがないために貧困も多様化し深刻化してしまうのです。

もちろん、今さら核家族も支えにならないでしょう。一人ひとりの個別の困難な事情に丁寧に対応し、援助していくパーソナル・アシスタンスをベースにした新しい福祉システムを作っていかないといけません。そのためには、税負担が避けられないでしょう。

戦後日本は、米国をモデルに模倣し、外交軍事でも米国についていけばよかったと言ってよいでしょう。日本が戦争で負けた米国の豊かさは、日本人にとって否応なしに受け入れざるをえない現実でした。

しかし、米国のグローバリズムは、イラク戦争・アフガン戦争に失敗して国連安保理も機能不全に陥らせてしまいました。また、これを契機に石油価格が急上昇するという石油ショックが訪れています。そして米国の住宅バブル崩壊は、ついに世界金融危機をもたらしました。

実際、米国ではリーマンショック以降、経営破綻した銀行は300行を超え、非公式の問題銀行リストも920行を超えました。住宅ローン担保証券の買い戻し請求が来るなど、大手銀行の一部も危ないと言われています。
失業率も9~10%に高止まりしたままで、戦後の不況の中で最も長く回復していません。
11月2日の中間選挙の結果、与野党がねじれてしまったために、下院ではオバマ政権の政策はほとんど通らなくなりました。結局、FRBの金融緩和策に頼らざるをえませんが、それは、再び石油や穀物の価格上昇をもたらし始めています。
まだまだ世界金融危機も石油危機も終わっていないのです。

米国についていけばよいという時代が終わりました。

いま、日本は目指すべき方向を見失っています。
この巨大な喪失感を埋め合わせることができるのは、21世紀の新しい資本主義のあり方しかありません。いま問われているのは、脱成長ではなく経済成長のあり方なのです。

何より、儲けるためなら何でもありで、バブルとバブル崩壊を繰り返す金融資本主義の時代は終わりました。この間、自己責任でやれとか、努力したものが報われるといった主張が繰り返されてきましたが、世界金融危機をもたらしたのに、ひどく高い報酬を未だにもらっているウォール街の金融機関は「正義」や「公正さ」にもとっています。

もっと正確に言えば、バブル循環をもたらす金融資本主義の時代を終わらせる必要があります。紆余曲折はあるでしょうが、再びバブルが起きないように、新しい国際金融規制や国際通貨制度を作っていくために力を尽くすことが大事です。

そのうえで、社会に役立つことで生業を成り立たせていく公共的な資本主義を目指すべきです。それは、狭い意味でNPOやNGOといった経済主体をさすだけではありません。

世界の流れを考えれば、地球温暖化を防ぎ未来世代を守るために、環境エネルギー革命を推進していくことが大事です。再生可能エネルギー産業、スマートグリッドと双方向的な送配電網、学校・病院・事務所などの断熱化とエネルギー自給、スマートシティの建設、エコカーやエコ家電などの耐久消費財の技術革新と更新需要などなど、環境エネルギー革命は最も波及効果が高い分野です。そして、それはバブル崩壊と石油ショックを同時に解決することのできる唯一の道です。

もちろん、他にも公共的な資本主義の分野はたくさんあります。高齢社会の中で人命を救ったり苦痛を和らげたりする、医療介護・医療機器・医薬などの分野もそうです。
こうした分野で世界一を目指してイノベーションを進め、新しい環境エネルギーや医療・医薬で産業や雇用を作ることが大事になってきます。

要するに、公共的な資本主義とは、社会に役に立つ仕事で所得が得られる社会にしていくことなのです。

さらに言えば、環境エネルギー革命に基づく21世紀の資本主義のあり方は、地域分散型経済にならざるをえません。再生可能エネルギーは地域的に偏在せず、ネットワーク型の送配電網で自給が基本になります。エネルギーの地産地消です。

もし電力料金に一定負担額を乗せて、再生可能エネルギーを十分な固定価格で買い取る制度ができれば、地域の中小企業家、農業者を始め誰でも発電でき、地域の余剰電力を都市に送り、その売電収入が入ってくるようになります。

一方、東アジア、日本特有の中小零細農業は、地域を面とした地域農業として再生することが必要となります。食料も地産地消を基盤にして、地域全体で6次産業化していくことで、付加価値と雇用を生み出す必要があります。そのうえで、安心・安全のルールを整えながら、日本の都市部だけでなく中国はじめ東アジア諸国に輸出していきます。

食とエネルギーの地産地消を基盤とする地域分散型経済は、さらに地産外商で収入を地域にもたらすことで地域を豊かにしていくのです。そこで、初めて地域主権が現実化するのです。

過去だけを振り向き、過去のすでに死んだモノに支配されているからこそ、大きな喪失感が生まれるのです。今の民主党政権もそうです。政官財学界もそうです。実は、前が見えないのではなく、前を見ていないだけなのです。

井上陽水の「夢の中へ」は、こう続きます。
「それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?」

それは新しいユートピアのように聞こえるかもしれませんが、それは決して「夢」ではなく、実現可能なものなのです。
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歴史の中の「自由貿易」:錦の御旗を立ててみたけれど…

やりたいことと正反対の理由をあげて、やろうとすることを正当化する…。
戦争を仕掛ける側がしばしば「平和」や「正義」を口にするように、世の中にはよくあることです。
最近、進められているEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)も同じ。それは「自由貿易」という名の「市場囲い込み競争」かもしれません。

菅直人総理も、TPP(環太平洋連携協定)への参加を「平成の開国」と呼び、「自由貿易」を錦の御旗としています。どうもTPPを考えるには、そもそも「自由貿易」にまで立ち返って考えてみないといけないのかもしれません。

通常、経済学では、昔デビッド・リカードが唱えた「比較生産費」説という考え方に基づいて「自由貿易」を正しいと教えます。比較生産費説とは、簡潔に言えば、各国は比較優位のある財に特化して輸出し、代わりに比較劣位にある財を輸入した方が、お互いに一国だったらできない量の生産と消費が可能になるという考え方です。

しかし、実際の歴史的事実に即してみると、自由貿易という考え方は絶対的とは言えない面が見えてきます。自由貿易主義の起源をたどっていくと、国家主導の重商主義を批判して、自由貿易の効用を説いたイギリスの経済学者アダム・スミスに行き着きます。しかし、これに対して、後発国のドイツでは、フリードリッヒ・リストが自国の産業の育成のために「保護貿易主義」を掲げて、先進国の「自由貿易主義」に対抗しました。

イギリスは穀物条例と航海条例を廃止して自由貿易を達成したと言われます。しかし現実には、通説とは異なり、イギリスも保護貿易主義をとって産業を育成しました。当時の基軸産業であったのはイギリス綿工業。その最大のライバルはインドの綿織物工業でしたが、イギリスは競争力をつけるまで、インドからの綿織物に対して高い関税をかけて保護していました。

つまり、歴史的事実としては、どの国もまず「保護貿易主義」を採り、自国の産業が強くなった途端に「自由貿易主義」を訴えるようになります。それが自国産業に最も有利だからです。当たり前のことですが、自由貿易は弱肉強食になりますから、国際競争力のある国には断然有利ですが、これから自国の産業を育成しようという国は、丸裸で市場にさらされると負けてしまいます。

自国の産業競争力が低い、あるいは幼稚産業や農業など弱い産業を抱える、経済が発展途上の段階にある国々では、「産業」を主語にして経済政策が語られる傾向があります。日本の戦後もそうでした。大学にも工業経済論、農業経済論、労働経済論といった産業論の講義がたくさんありました。ところが、国際競争力をつけると、途端に「市場」を主語にして「自由貿易主義」が語られるようになります。後からついてくる後発国に保護貿易主義をとらせないことが、自国の産業の優位を確保できるからです。最近でも、ケンブリッジのハジュン・チャンの『はしごを外せ―蹴落とされる発展途上国(Kicking Away the Ladder)』(日本評論社)が改めてこうした視点を掘り起こしています。

このように現実を見ると、関税ゼロが普遍的に正しいといった原理主義的な説明は必ずしも正しいとは言えず、それは発展段階の異なる国同士の国際的な力関係を表しているというリアルな認識が必要です。

考えてみれば、日本の戦後も同じプロセスをたどってきました。日本はアメリカに対して、弱い自国産業を保護しながら、国際競争力をつけるにつれて、徐々に自由化をしてきました。ところが、しだいに競争力をつけるにつれて、今度はアメリカから「公正貿易」という形で、対日要求がつきつけられるようになってきました。それは関税引き下げだけにとどまりません。アメリカが参加できない日本の市場そのものが「不公正」なのだから、制度そのものをアメリカにそろえろとか、アメリカ企業に市場を割り当てろと言った強引な要求がなされるようになります。

日本側も、バブル崩壊後、護送船団方式に対する批判や、日本のシステムは「社会主義」的だなどという声が強まり、日本は米国の要求にしたがって「自由貿易」「市場主義」を選んできました。そこには郵政の民営化のように世界的に普遍的とは言えないような対日要求も含まれていました。対米輸出が多くなる限りで、それは正当化されました。が、今は米国についていくメリットは次第に失われ、もはや中国をはじめアジア諸国が輸出先としては圧倒的に高い比重を占めるようになってきました。

さらに、これまで対米交渉のたびに、いつも農業が保護主義のやり玉に挙げられてきました。農産物が米国の重要な輸出品だからです。実は、その結果、コメ、コンニャクなどの関税は例外的に高いものの、農産物の平均関税率は10%ほどで、EU諸国より低くなっています。農家の戸別所得補償も欧州諸国は粗生産額の8割も出しており、欧米諸国に比べて非常に低い水準にあります。むしろ米国への譲歩を繰り返すうちに、日本の農業はほとんど裸同然にされてしまったというのが正確な実態です。それゆえに農業が衰退してきたと言ってもいいかもしれません。世の中ではきちんと検証しないで、まったく逆のイメージを流布するイデオロギーむき出しの議論が横行しています。

最近では、中国や韓国が日本と同じ道をたどって成長してきています。日本は小泉「構造改革」がとられた2000年代以降に、産業の国際競争力を著しく低下させています。まだ規制緩和、市場任せで、中国・韓国などの国家資本主義に対抗できると思っている人は、日本の産業競争力の危機的状況を認識していないと言わざるをえません。

では、今日、なぜ自由貿易がこのように強調されるのでしょうか。その一つの理由は大恐慌期の教訓から来ています。80年前の大恐慌の時、列強各国は、為替切り下げ競争という「近隣窮乏化」政策をとり、宗主国が植民地市場を囲い込む「ブロック経済」政策を採りました。要するに自分さえ良ければよいという「自国中心主義」に走ったわけです。世界中が一斉に保護貿易に走ると、世界市場が縮小して不況を一層悪化させてしまい、その結果、世界大戦に突入してしまいました。その反省からいま「自由貿易」の必要性が唱えられているのです。

ところが、過去の歴史を振り返ると、最も強い国が率先して貿易を開き、弱い国や産業にはセーフティネットとして一定の例外規定を認める国際的自由貿易体制ができないと、国際経済は安定しないというのが正しいのです。それが実現したのは、パックス・ブリタニカやパクス・アメリカ―ナの全盛期くらいでしょうか。

しかしEPAやFTAも、よく考えると、二国間・少数国間だけで「自由貿易」を推進する協定であって、その他の国々には高い関税などを課すものです。本来的に世界中の多国間で自由貿易主義を推進するのはWTOです。実は、WTOという国際自由貿易体制が十分に機能できない中で、EPAやFTAは「自由貿易」という名を借りた「市場の囲い込み競争」という面を持っているのです。それは、ブロック経済の現代版と言えなくもありません。TPPも基本的に同じです。まさに、やりたいことと正反対の理由をあげて、やろうとすることを正当化するやり方です。

しかし、あちこちでEPAやFTAが次々始まったら、日本だけ締結をしないわけにはいかず、どんどん追い込まれてしまいます。しかし、そうであるなら、なおさら割り切って自国の利益になるかどうかをしっかり見据えなければならないはずです。

まずTPPが「国を開くか開かないのか」という選択だと、インチキな恫喝をかけるメディアがありますが、それは本当でしょうか。TPPにはロシアはもちろん、ASEAN+3でFTAを進めてきた中国は、米国主導のTPPには乗らないでしょう。また米国とFTAを締結した韓国も参加しないでしょう。実は、米韓FTAではコメが例外品目ですが、TPPではそれが許されませんから。今や世界で最も成長し、実際にも日本の輸出先として圧倒的に重要な中国などの東アジア市場でしょう。その中国や東アジア諸国が加わらないのに、TPPが「国を開くか開かないのか」という恫喝はないでしょう。これらの国々と個別にEPA、FTAを結んだ方が日本にとってずっと得です。

しかも、中国・韓国などとEPAやFTAをする際には、農業利害の衝突も起こりにくいのです。とくに中国は水田中心で平均耕作面積が1haにも満たない状態で、小麦・トウモロコシなどの穀物、畜産、砂糖などで競合せず、むしろ米や果物など日本の農産物の輸出の可能性が切り拓かれます。実際、中国最大の農業国営企業の中国農業発展集団と20万トンの日本米の輸出契約への取り組みが行われようとしています。

じゃあ、TPPで日本の農産物が壊滅的な打撃を被る一方で、日本の製造業品の輸出が伸びればいいのかもしれません。しかし、日本の製造業品の対米輸出が本当に伸びるんでしょうか。どうも、それも期待できそうにありません。オバマ政権は中間選挙で大敗したため、議会は機能しない中で、再び、金融危機が再燃する恐れが強まっているからです。オバマ政権が取りうる経済政策は限られています。そこで、オバマ政権は、今後5年間に輸出を倍増して雇用を200万人増やすと表明しています。つまりTPPは米国の輸出を倍増する計画の一環なのであって、決して日本の対米輸出を増やすものではないのです。

そう考えると、TPPで問題になるのは、実は農業だけではありません。実はTPPは単なる輸入関税の話ではなく、より広範なパートナーシップを目指したものであり、さまざまな分野が協議の対象となるかもしれないのです。いくつかの可能性があります。

①公共事業などの入札に関しては、すでにWTOルールにしたがって事業金額規模に基づいて政府調達へ海外企業の参加条件が決まっています。その金額の引き下げが求められてくるかもしれません。
②金融分野で門戸開放も含まれる可能性があります。このテーマであれば、民主党が2009年マニフェストで掲げた郵政民営化見直しも含まれると考えるのが自然でしょう。米国政府の要求は「自由貿易」というより「公正貿易」なので、米国企業が参入していないこと自体が問題だということになります。郵貯や簡保資金の運用に関して、米国金融機関への割り当てをよこせということになるかもしれません。
③BSE絡みで米国産牛肉は月齢20ヶ月という輸入条件がありますが、その条件の緩和が要求される可能性もあります。
④労働市場の開放によって、ベトナムなどから移民労働を受け入れる問題も出てくる可能性もあります。

まだ分かりませんが、米国が「年次改革要望書」であげる対日要求のどれが出てもおかしくないでしょう。TPPに乗ることで、先に挙げた対日要求が強まり、むしろ日本は犠牲だけを強いられるのではないでしょうか。米国が「不公正慣行」だといえば、財界は諸手を挙げてそれに賛成するのでしょうか?今の日本にそんなゆとりがあるとは思えません。とりあえず民主党内の反対で、菅政権がTPPで米国が何を求めてくるのか、まず情報を収集するとして、何も考えていない菅首相の失点は防がれました。

今は、折からの尖閣問題や朝鮮半島の緊張もあって、民主党政権は、当初のマニフェストで掲げた東アジア共同体構想から、旧来の自公政権による「日米同盟」重視の路線へと乗り換えつつあります。しかし、TPPの議論の過程を見ていると、イラク戦争に突っ込んで失敗したプロセスとそっくりです。米国について行けば、うまくいくという思考停止に陥っているからです。この歴史的転換期にそれでは、国の進路を誤ってしまう危険があります。

そういえば、証拠がないのに始めたイラク戦争も「中東平和のための戦争」だったはずですね。やりたいことと正反対の理由をあげて、やろうとすることを正当化するやり方でした…。バイアスを排して、状況を冷静に見て判断することが大事です。
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