何度も同じ大きな失敗を繰り返す者を「愚か者」と言います。
愚か者は決して自分より優れた者を後継者にしようとはしません。愚か者は自分の責任を追求しない、自分以上の愚か者に後を継がせようとします。どんな国も組織も、こうして衰退が加速していくのです。それが「失われた20年」の後にある、この国の現実です。

愚かなリーダーは、あまりに過酷すぎる事態に直面すると、目の前にある責任逃れに必死になります。そうして、人間の生命と生活を守るのが最優先だという、どんな組織や社会でも守らなければいけない最後のより所となる倫理規範さえ無視していきます。

校庭の年間被曝許容量が、当初20ミリシーベルトにされたのが典型的です。それは通常、原発で作業員が防護服をし、マスクをして作業する時の基準でもあります。ましてや子どもに良いわけがありません。それ自体、異常な事態なのに、官庁はいったん間違えると、謝罪もせずなかなか直そうとしません。それをメディアは子どもの健康を心配するよりも、「定説がない」と間違いを正当化する説明を平気で垂れ流します。

未だに放射線量に従った避難区域設定や対策が行われていません。20~30km圏で線量が低いところでは住民が帰り始めているのに、学校も病院も閉鎖させたままです。その一方で、(6月16日になってようやく「特定避難勧奨地点」が導入されたもののごく一部に限られ)30km以遠で放射線量が高い地域ではほとんど何らの指示もなく、自主避難しても補償がありません。どうせ、癌の発生率が高く出たとしてもずっと先のことだ、どうせ、その頃に私はリタイアしていないだろう…とでも思っているのでしょうか。

こうした状況の中で、ついに自治体が独自に放射線量の測定を始めました。慌てて、国は統一基準で測りましょう、と後追いで言い出しました。要するに、人の命や健康を守るという最低限の国家の役割さえ壊れているのが、今の日本なのです。

なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。
大地震と津波は福島第1原発を壊しました。原発が壊れて、日本の仕組みが壊れてしまいました。事の本質はここにあります。

まず注目すべきは、3.11後の状況が「失われた20年」の起点となった1990年代初めと非常に酷似している点です。

1990年代初めにバブルが崩壊した時は、金融市場の中核にいる大手銀行と財務省が危機管理能力の欠如を露呈させました。経済界と官僚たちは、責任逃れのために、発生しているリスクの大きさを隠します。そして、誰も責任をとって事態の根本的解決を図ろうとせずに、既得権益に固執して蓄積する不良債権を隠し続けます。事態がどんどん悪化して収拾がつかなくなって初めて、実はこんなひどい状態でしたと、情報を小出しに修正していきます。そして最後は、「大きすぎて潰せない(too big to fail)」だろう、と開き直るのです。

2011年3.11の福島第1原発事故処理も、事態の推移も酷似しています。今度は、財界の中枢にいる東京電力と経済産業省(原子力安全・保安院)や原子力安全委員会などが危機管理能力の欠如を露呈させました。実は初日からメルトダウンしているのに、発表したのは2ヶ月後でした。その間に、事態が少しずつ悪化しているかのように、情報を小出しにします。そして最後は、東電を潰せば、電力が足りなくなるとか、金融市場が混乱するとか言って、「大きすぎて潰せない」だろうと開き直っています。

政治の混乱のパターンもよく似ています。
1990年代初めも、戦後長く政権についてきた自民党が交代して、新たな政権が誕生しました。しかし、本当はバブル崩壊処理が市場任せで解決なんできるはずもないのに、「例外なき規制緩和」といった本質問題から目をそらす方向へと政策がすり替えられていきました。そのうち、政権は内部対立の様相を呈して、政治が機能不全に陥ってしまいました。

今回の政治的混乱も原発や核燃料サイクルを推進してきた自公両党が仕掛け、事故賠償問題やエネルギー転換のために必要な発送電改革などの電力改革問題が隠され、むき出しの権力闘争で民主党は内部対立が拡大していきました。今回はかろうじて90年代の二の舞は避けられていますが、政党政治はますます機能不全に陥り始めています。事態の展開がそっくりなのには、驚かされます。

「失われた20年」の間、政官財のリーダーたちは何も変わりませんでした。いや、90年代は金融市場を麻痺状態に陥らせた大手金融機関と財務省、そして3.11以降は原発事故を引き起こし収拾つかなくした東電=財界と経産省というように、政官財における権力のど真ん中がどんどんと壊れてきているのです。
いまや、戦後レジームはかつてないほどの危機的状況に陥っています。

6月14日に閣議決定された原発事故賠償スキーム(原子力損害賠償支援機構法案)の枠組みは、この政官財のリーダーたちの無責任体制を集約的に表しています。

その枠組みを簡単に見てみましょう。
政府の賠償スキームでは、原子力損害賠償支援機構が新設されます。この機構には、
①原発を持つ電力会社が負担金を出し、
②金融機関は政府保証付きの融資を行い、
③政府は現金化できる交付国債を出します。
このように、政府は、原子力損害賠償保険の地震免責に当たる1200億円を負担しますが、交付国債分については東京電力が返済することを予定しています。つまり、東電の賠償支払いによって政府の財政負担は生じないことになっているのです。
この点で、財務省の「利益」にそっていると言えます。

この賠償スキームでは、東電自体は生き残り、現行の電力10社地域独占体制を温存することを前提としています。この点では、過去の原子力行政の誤りをごまかし、財界55年体制を護持し、電力改革を必死に避けようとする経産省の「利益」に沿っています。

しかし、この賠償スキームはこのままでは持続可能とは考えられません。

まず何より、原発事故の深刻さを無視しています。1~3号機がメルトダウンし、かつ水素爆発を起こしており、建屋内は放射性物質で汚染が深刻です。4号機は建屋が傾き、余震による崩壊のリスクを抱えています。工程表通りに、原子炉の循環冷却による冷温停止を実現することは非常に困難でしょう。

格納容器ないし圧力抑制室に穴が空いており、注水をすれば、放射性物質が出て作業ができません。さりとて、注水を止めれば、また水素爆発を引き起こす危険性があります。その間に、大量の高濃度汚染水が原子炉から出続け、たまっていきます。
仮にウルトラCで冷温停止状態にできたとしましょう。では溶け落ちた燃料をどうやって取り出し、どこへ持って行くのでしょうか。
仮にそれができたとしても、解体・撤去するには、放射性物質で汚染したガレキや建屋、汚染した土壌を取り除く必要があります。どれだけの時間とコストを要するか分かりません。

そんな中、日本経済研究センターが1~4号機の廃炉コストを10年間で6~20兆円になり、東電は支払い可能であるとする試算結果を発表しました。しかし、これまで述べたように、このままでは水素爆発した原発を廃炉にするのに10年では終わらないでしょう。
また、この試算には農業や漁業への賠償や土壌汚染の処理費は含まれていません。
このままでは、廃炉に至るまで膨大な費用が東電に重くのしかかっていくことが予想されます。この枠組みの下では、電気料金の相当の引き上げか、巨額の税金を投入する以外にありません。人の噂も75日で、人々が忘れるのを待っているとしか考えられません。

さらに、東電には賠償費用がのしかかっていきます。当初、この原発賠償スキームにおいて賠償費用は4兆円とされましたが、これは何の根拠もない数字でした。
考えれば当然です。
  1. 福島第1原発の周辺地域はいつ戻れるか予測がつきません。もし長い年月戻れないとすれば、場合によってはこの地域の住民の土地を買い上げ、所得補償や慰謝料などを支払う必要が出てきますが、どのくらいになるか予測がつきません。
  2. 今も福島のみならず全国で、セシウム137などによる土壌汚染が増加し、汚染の範囲がしだいに広域化しています。しかも、3月14日の水素爆発後の15日に大量の放射性物質が飛散したにもかかわらず、放射線量の測定が不十分であったり、データが隠されたりしており、被害額を予測するのが困難になっています。
  3. 前に述べたとおり、たとえば南相馬の20~30km圏では、放射線量の値が低く、人が戻ってきている地域もあり、ここは人口の7割が集中し帰宅が始まっています。にもかかわらず、災害対策本部長・菅首相の指令に基づいて、学校も病院も閉鎖されたままです。
その一方で、放射線量が高いまま対策が打たれていない地域もあり、自主的避難をしても補償されません。こうした無策が続けば、多年にわたって損害賠償訴訟で身動きがとれなくなる可能性があります。

繰り返しますが、もはや政府が決定した原発事故賠償スキームは持続可能性がありません。

この賠償スキームに基づくと、東電は、長年にわたる事故処理費用と賠償費用を支払い続けざるをえず、将来、多額の電力料金引き上げか一層の財政負担が必要となる度に、紛糾する可能性があります。そして、東電はゾンビ企業として存続するしかなく、永遠に「悪徳企業」という評判に耐えなければなりません。

こうした状況で、安全無視の原子力行政の責任逃れに必死の自民党・公明党は、事故賠償を税金で先払いさせる法案を準備していると言われています。原子力事故被災者の悲惨さを利用して、東電をずるずると国民の税金負担で救済するプランです。不良債権をごまかす銀行が、経営が悪化するたびに、小出しの公的資金が投入され、金融危機が悪化し長引いていった、あの90年の金融危機のパターンとそっくりです。これでは、日本経済を「失われた30年、40年」にしていくでしょう。間違いは2度と繰り返してはいけません。

彼らに同調する者は、東京電力は「大きすぎて潰せない」と言います。しかし、事故前の東京電力の株式時価総額は約3兆円でありましたが、原発事故後、東電の株価は急速に下落しました。2011年6月10日段階で株式時価総額は約3000億円で10分の1になっています。事故前は2000円台だった東電の株価は一時140円台を記録しました。原子力損害賠償支援機構法の閣議決定によって少し株価が上昇しましたが、賠償スキームに持続可能性がないことがやがて明らかになるたびに、株価は動揺を繰り返すでしょう。
その意味では、株式市場は東電の経営破綻、あるいは資産売却による経営解体は、しだいに折り込み済みになってきています。

たしかに、東電の債務問題は残ります。2009年末で、社債発行高は5兆1,691億円、長期借入高は1兆7,922億円、短期借入金は3,580億円など債務残高は7兆3,844億円になります。いきなり破綻すれば、一部金融機関は多額の公的資金が必要とされるかもしれないという「脅し」がかかります。

しかし、むしろ電力改革を避ければ避けるほど、国民負担は重くなり、社債のデフォルトの危険性はますます高まっていくでしょう。その点で賠償スキームの見直しと電力改革は避けられないと考えられます。

国民負担をできるだけ少なくするために検討すべき、いくつかの論点が浮かび上がります。
  1. 本来、エネルギー転換にとって必要な発電と送配電の分離改革を実施すると、東電は送配電網を売却して賠償費用にすることができるようになります。
  2. 使用済み核燃料の再処理(核燃料サイクル)政策を見直せば、かなりの賠償費用が捻出できます。実際、核燃料サイクル政策は大失敗しています。15年ぶりに再開した高速増殖炉もんじゅは、事故を起こし、冷却しているだけで1日5500万円、年間200億円もかかっています。核燃料サイクル政策を止めて、原発埋蔵金(原子力環境整備促進・資金管理センター)の積立金2~3兆円、そして毎年3000億円に上る開発費を賠償費用に充てることができます。
  3. 賠償スキームにも一部入ってきていますが、全国の原発に対する国の関与をさらに強め、安全基準を改め安全投資をします。新設を停止すれば、漸進的原発廃止が可能となります。そのうえで原発に負担金を課し、事故処理費用に充てることができます。
  4. 原子力災害を最小化させ事故賠償問題を長引かせないためには、できるだけ早くデータを取ったり出したりすると同時に、放射線量に基づく避難区域の見直しして(とくにグレーゾーンをなくす)対策を打ち、線量の低い地域の復興を支援することです。できるかぎり人命を尊重し被害を食い止めることが、問題を長引かせないために不可欠なのです。
  5. もちろん、こうしたことを考える際に、東電の経営者責任は避けらないことは言うまでもないことです。
今のリーダーたちは、問題の立て方が逆立ちしています。責任逃れに走れば走るほど、事態の収拾が困難になっていくのです。そしてツケは未来の若者に転嫁されていくのです。
忘れてはいけません。
それは、ほんの10数年前に起きたことなのです。