2005年03月06日
那須博之監督告別式弔辞
那須さんの死は、余りに衝撃的で、初めは驚きだけで、悲しみが具体的なもの……涙にはならなかった。
が、半日ほど過ぎて、饅頭を食べてた時、突然こみあげた。
あずみ2のキャンペーンで大阪に行かねばならず、かけつけられないうち、通夜・告別式の案内がFAXで来た。
夜の大阪を車で移動中、セントラルアーツの黒澤満さんからの電話を受け、告別式で弔辞を読んでくれ、と言われ、何を言うか考えると、ぶわっと涙が溢れた。
同乗していた人は、何を突然泣いてるのかと驚いたかも知れない。
やっと通夜に行くと、夫人の真知子さんが、
「(闘病を)連絡しようとしたんだけどね、那須が、金子が来たら、オレが死ぬ時みたいじゃねえかよ、と言われて電話出来なかったの、ごめんなさいね」と、言った。
那須さんは、医者から病名と余命を告げられていたが、最後まで回復するつもりで果敢に闘病していたので、周囲には伝えられなかった、ということであった。
通夜席では、こんなに悪いとは知らなかった、入院すら知らなかった、という人々の声が多く聞かれた。
悲しみが具体的になってくると、堰き止めるものは何も無くなった。
弔辞なんて、言えるのだろうか……
翌日3日の告別式では、黒澤満さん、仲村トオルさんに続いて、以下の言葉を……記憶が新しいうちに、書き記しておきます。
昭和53年、日活撮影所に助監督として入社し、
映画の現場で、先輩助監督の那須さんと出会いました。
カチンコの叩き方を教わりました。
バイクの乗り方も教わりました。
愛用の50CCを下げてもらいました。
撮影所から、2台のバイクで、一緒に帰る時もありました。
正月休みを使って、真知子さんと三人で、インドに旅行に行きました。
僕にとっては、初めての海外旅行でした。
タイにも三人で行きましたね。
タイの荒れた道を、バイクでぶっ飛ばしましたよねえ。
那須さんといると、本当に楽しかったんです。
お葬式は、死を受け入れるための儀式ですから、
何か、言わねばならない、と思って考えると、
僕の、この人生は「那須さんと会った」という人生だった、
という言葉が、思い浮かびました。
いろいろ教えて頂き、
本当にありがとございました。
何一つ御恩に報いる事が出来ず、申し訳ありません。
撮影所からバイクで帰る別れ道、
那須さんは、ちょっと笑って振り返り、大声で、「じゃあな!」
と言って走って行きました……
……本当にありがとうございました。
が、半日ほど過ぎて、饅頭を食べてた時、突然こみあげた。
あずみ2のキャンペーンで大阪に行かねばならず、かけつけられないうち、通夜・告別式の案内がFAXで来た。
夜の大阪を車で移動中、セントラルアーツの黒澤満さんからの電話を受け、告別式で弔辞を読んでくれ、と言われ、何を言うか考えると、ぶわっと涙が溢れた。
同乗していた人は、何を突然泣いてるのかと驚いたかも知れない。
やっと通夜に行くと、夫人の真知子さんが、
「(闘病を)連絡しようとしたんだけどね、那須が、金子が来たら、オレが死ぬ時みたいじゃねえかよ、と言われて電話出来なかったの、ごめんなさいね」と、言った。
那須さんは、医者から病名と余命を告げられていたが、最後まで回復するつもりで果敢に闘病していたので、周囲には伝えられなかった、ということであった。
通夜席では、こんなに悪いとは知らなかった、入院すら知らなかった、という人々の声が多く聞かれた。
悲しみが具体的になってくると、堰き止めるものは何も無くなった。
弔辞なんて、言えるのだろうか……
翌日3日の告別式では、黒澤満さん、仲村トオルさんに続いて、以下の言葉を……記憶が新しいうちに、書き記しておきます。
昭和53年、日活撮影所に助監督として入社し、
映画の現場で、先輩助監督の那須さんと出会いました。
カチンコの叩き方を教わりました。
バイクの乗り方も教わりました。
愛用の50CCを下げてもらいました。
撮影所から、2台のバイクで、一緒に帰る時もありました。
正月休みを使って、真知子さんと三人で、インドに旅行に行きました。
僕にとっては、初めての海外旅行でした。
タイにも三人で行きましたね。
タイの荒れた道を、バイクでぶっ飛ばしましたよねえ。
那須さんといると、本当に楽しかったんです。
お葬式は、死を受け入れるための儀式ですから、
何か、言わねばならない、と思って考えると、
僕の、この人生は「那須さんと会った」という人生だった、
という言葉が、思い浮かびました。
いろいろ教えて頂き、
本当にありがとございました。
何一つ御恩に報いる事が出来ず、申し訳ありません。
撮影所からバイクで帰る別れ道、
那須さんは、ちょっと笑って振り返り、大声で、「じゃあな!」
と言って走って行きました……
……本当にありがとうございました。
kaneko_power009 at 00:04
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