2007年02月19日

『フラガール』と三鷹高校地理の授業

『フラガール』を見ると、35年前の三鷹高校1年の地理の蛭田先生の授業を思い出す。

蛭田先生は、殆ど教科書を使わず、毎回、ご自分でプリントを作って来て、それをもとに刺激的な面白い授業をしてくれた。
教室に入って来た時、黒板がきれいにされてないと、凄い勢いで怒鳴るんでびっくりするが、普段は穏やかな方だった。

それは「磐城の変化」という授業で、福島のいわき市は、かつて炭坑で栄えていたが、政府の石炭政策の転換により炭坑閉鎖が相次ぎ、街としての希望が失われつつあった時、住民はどうして切り抜けたのか、という問題を生徒に突きつけ、暫く我々が考える間を与えた後……
「住民は、“常磐ハワイアンセンター”を創ったんだよね」
と仰るので、生徒全員がドッと笑ったんである。

深刻な問題をどう解決したのか真面目に考えている時、意表をつかれる発想と、「常磐」に「ハワイ」というミスマッチに、生徒は笑ったのだった。

「炭坑夫の娘たちは、慣れないフラダンスを踊り……」と、後は映画のストーリーと同じ展開になる。映画を見ているあいだ、記憶が鮮やかに蘇り、ああ、こうだったのか、と授業の続きのような感覚があった。
蛭田先生自身も、いわきの出身であった。

日活で助監督を始めた28年前、始めて那須さんの家にご馳走になりに行った時、奥さんの真知子さんがいわき出身だと聞いて、この授業の話をしたら、そうなのよ、常磐ハワイアンセンターなのよ、と、大いに受けた。

真知子さんは、東映では、貧しい炭坑夫の娘と思われていたらしいが、実際は会社幹部の娘なんで、豊かな少女時代を送り、フラダンスは踊らなかった。

蛭田容之先生は、その後は農業高校に赴任、教育テレビで「高校地理」の講座を開いているのを見かけたことがある。

学年末試験は論文で、真剣に当時の政治問題を書いたら、10段階評価の10をくれたなあ。


kaneko_power009 at 11:15│Comments(3)雑記 

この記事へのコメント

1. Posted by 通行人です(._.*)   2007年02月22日 03:13
5 記憶に残る授業や先生っているものですね。
今年、高校卒業なので
私も将来何かがきっかけで
そんな事を思い出す時が来るのかと思うと嬉しい様な切ない様な感じです。
お仕事頑張って下さい(*^∪^*)
2. Posted by のざる   2007年02月23日 23:32
5 三鷹高校の思い出といえば…
国語の桑名先生が授業中にラジカセで
「暗い日曜日」
をかけて生徒みんなを暗い気分にさせたり
「ドンキホーテになろうよ!みんな!」
と叫んでみたり…
地理の増子先生が
「モホロビチッチ」
と言うたびに笑いがこらえきれなかったり…
そんな思い出です
3. Posted by OB   2008年01月03日 17:31
鬼の高崎、仏の斉藤ってのもいたな。

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