2009年11月03日

大激怒!『RiP!リミックス宣言』IN山形ドキュメンタリー映画祭 Object to『RiP A Remix Manifesto』in Yamagata

10/15のネットニュースに出たんで、ニュースとしてはちょっと古いんですが、カナダの若手監督ブレッド・ゲイラーBrett Gaylorと山形ドキュメンタリー映画祭の会場で、ちょっとしたバトルをやっちまいました。その経過と報告です。かなり長いです。

先ず、記事(シネマトゥデイ)の引用から。

『デスノート』の金子監督大激怒!リミックスの著作権はどうなっているんだ!
 
(略)映画監督協会が初参加したことによって、今年は新鮮かつ刺激的な風が(山形ドキュメンタリー)映画祭に吹き込まれた。賞の新設を記念して行われたシンポジウム「著作権とは、オリジナリティーとは何か」では、コンペティション部門に出品していたカナダ映画『RiP! リミックス宣言』のブレッド・ゲイラー監督と金子監督が大バトルを展開。

 同協会は長年現行の著作権法が定める「映画の著作権は出資した製作者にある」に異を唱え、「監督は映画の著作権者である」と主張。同協会70周年記念には、この問題を考える映画『映画監督って何だ!』を製作、知的財産の保護には敏感だ。しかしゲイラー監督の映画は、既存の映画や音楽をリミックスした新しいアートが生まれていることを奨励し、彼らの前に立ちふさがる古い著作権法を見直すべきという内容で、世界中の映画祭で物議を醸している。

 そのゲイラー監督に対して、金子監督は「コンピューターの中でいじられているオリジナルの映画を作っている者として、あなたの映画は許すことはできないし、その映画を観て拍手している観客もどうかと思う。ゲイラー監督もコンピューターの前から離れて、一から映画を作ってみたらいい」と発言。それに対して ゲイラー監督は鼻で「フフッ」と笑った後「映画を作ったことはありますよ」と挑発し、会場は一気に険悪ムードになった。しかし崔監督が「われわれとゲイラー監督の違いは明確に出ているが、向かう敵は権利を持つ大企業であることは変わらない。いずれ同じように語れる時期が来るでしょう」とまとめ、その場は事なきを得た。

 しかし金子監督の怒りは収まらないようで、日本映画監督協会賞の受賞者会見で再び「ゲイラー監督がやっていることは海賊版と同じ!」と議論を蒸し返し、 隣にいた恩地監督から「しつこいな」とツッコまれていた。その恩地監督も表彰式で日本映画監督協会賞を発表する際、「できるなら日本の若い監督を見出したいと思ったが、そこに幸福な出会いはなかった。映画は時代を写す鏡というが、現代の日本からいい映画が出て来ないのは、緩い社会が原因かもしれない」と痛烈にコメントし、ベテラン監督の味を見せた。崔監督は、今後も協会として山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加していくことを明言。同映画祭に参加する若手監督にとっては怖い存在となりそうだ。なお同映画祭は、15日の受賞作の上映をもって閉幕する。(取材・文:中山治美)

と、いうわけで、この映画『RiP!リミックス宣言』は、「映画の著作権を過剰に守っていたら新しい表現が出来なくなるから考え直せ」と主張しているドキュメンタリーだ。

日本では映画監督にはもともと著作権というものが無いんで、彼の主張をそのまま受け入れると、現在、僅かに日本の監督に残されている「著作者人格権」すら無意味なものとなり、誰か知らない人に自分の映画を編集されても文句が言えない、という事になってしまう。
彼自身は、日本映画監督協会に対しては「著作権を獲得するために頑張って下さい」とエールを送るなど態度は紳士的で、逆に僕の方がケンカふっかけてるように見えたようだ。
しかし、ですね……

『RiP!リミックス宣言』は、テンポ良く面白く見せるので、なるほどその通りだ、と思う人もいるだろう。
特に、ディズニープロダクションへの批判は、僕も頷ける。
もともとミッキーマウスなんてバスター・キートンのパロディだったのに、当時キートンへは1ドルも払っていない。そのディズニーが、今になって、誰かがミッキーを間違って使ったらスグ裁判にしてとんでもない金額を奪っていくのはおかしいだろ、と指摘する。
「ミッキーマウス解放戦線」なるバッヂを配って市民運動まで展開している。
著作権を過剰に保護すると、新しい表現が失われてしまう、という主張だ。

確かにそれは言う通りで、巨大な権力を持っているディズニーに一人で立ち向かってゆく姿はカッコ良く、彼を応援したくなる気持ちも分かる。
僕も発言の中で「ディズニーに対する批判は同感だ」と言っている。
最終的には「自由な社会を創るためには過去からのコントロールを制限しければならない」とまとめ、こう言うと、誰でも真っ向からは反対しにくい。

だが、この分かり易い主張の背景にチョロッと描かれているから見過ごされてしまうかも知れないが、僕には見過ごせない部分があったのである。

ネットに流出している映像をダウンロードして作家には無許可で編集し、関係無い効果音などを付けてそれを「新たな作品だ」とし、そういう行為を奨励している部分である。

具体的には『スターウォーズ・ジェダイの復讐』の“ダーズベイダーの最期を看取るルークの場面”がまるごと盗用され、そこにハモニカの音をダビングして重ねている。ダースベイダーの口の部分がハモニカに似ているところから、あたかもそれを吹いているかのようにコンピューター上で動きも変えられ、コミカルに小刻みに動くダースベイダーが、確かに笑えておかしい。
これはユーチューブでも見れる“Darth Blues”というやつだ。
映画は、ルーカスがこれに許可を与えたかどうかは一切触れず、著作権をフリーにすれば、こんな面白いモノが作れるんだよ、というふうに続けてゆくから、こういう「無制限な盗用行為」を奨励している、と解釈するしかない。

彼が生まれた年にインターネットが誕生し、今や、ネットの情報は世界共有の財産であり、それを使って新たな作品を作って何が悪い、とも言っている。

ちょっと待ってくれよ、そうなると、新作映画のDVDを買って来て匿名でユーチューブに投稿して「これはすでに世界共有の財産なんだから黙って使っても良いだろう」とダウンロードして編集し直して「新たな作品」にしてしまう事も可能になるじゃないの。

気に入らない主張のドキュメンタリーを、同じ映像を使って、全く逆の主張にすり替える事も、パソコン上で出来てしまう。
僕の映画を使って、ゲイラー版『ゴジラVSガメラ』も作れてしまう。
遊びならいいかも知れないが、こういうことが大手をふって行われるようになったら、一番傷つくのは、もとの映像を作った人々ではないのか。
著作権どうこう言う前に、オリジナルの映像を作った人々への敬意は何も無いのか?、と憤慨したのだ。
著作権に対する理屈より、その前に、先ずは君には先輩たちへの敬意ってものはあるのか?と問い正したかったのである。彼の映画には、それが感じられなかった。

だから、黙っていられず、シンポジウムの時に客席から発言したんである。

シンポジウムは監督協会の作った『映画監督って何だ!』という伊藤俊也監督の「著作権を映画監督に」という主張を持った映画の後にあったので、当然著作権についてディスカッションだったが、僕はこれにパネラーで参加していた訳では無いので、いち観客としての発言である。

話が複雑になるので、以下は、この「無制限な盗用行為」と「著作権の問題」とは切り離す。

ゲイラー君は、だが、再び著作権の問題にしようとして長い解説をするから、「そんな立派な事を言う前にパソコンから離れて、映画1本作ってみたらどうなんだ」と突っ込んだら、フフッと笑って「作ったよ」と言うんで、こっちはそれ以上言えなくなってしまった。

だが、シンポジウムの後で「君はどんな映画を作ったんだ?」と彼に聞いたら、作ったというのはドキュメンタリー1本だけで、役者に芝居をつけたり、劇映画を作ったりすることには「全く興味が無い」という事であった。

また会場で「アナタがガメラやゴジラの監督なら、どこかで海賊版が出ているはずでしょう」と言うので、心配してくれてんの?案外いい奴なのか、と一瞬思ったが、これも後で聞いたら、「海賊版が出ているんだから、俺がネットで盗用しても同じことだろ」という意味で言っていたんだと分かって、再びコイツ〜!と思った次第。
まあ、そんなような兄ちゃんなんですよ、ゲイラー君は。
自分のやっている事の危険性に気付かず、考えついた面白い論理で議論を巻き起こし、世界を駆け回って自分を売り出す事が、今は楽しいんだろう。
だが、これは凄く危険な遊びだ。
遊びでやっているうちはいいが、いつかトンでもない事が起きる。
どんなとんでもないことまでは想像は出来ないが、強いて想像するなら、いつか権力が彼らをテロリスト扱いするであろう、という事だ。
権力の行使する「力」とは、要するに暴力だ。
「そして、遂に戦争が始まった」という歴史が何度もある。
本当は、君の事を心配してやってんだよ、ゲイラー君。
先ず「無制限な盗用行為を奨励する」姿勢を改めよ、と言いたい。
著作権の話はそれからだ。

そんなこんなで、バトルトークの後は監督協会の面々と、崔洋一理事長も交えて鍋になり、最後には彼とは握手して別れた。

ところが、このことが記事になったりすると、やはり、小さな波が立つ。
僕のゲイラー君への発言に対して「そう言う金子修介は山本鈴美香に原作料を払ったんだろうかね」と、ある筋から指摘された。
僕のデビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』は『エースを狙え!』のパロディになってるんだが、これは、「そういう事も、ちゃんと覚えて押さえてますよ」というエールと受け止めるべきなのか。

でも、僕はディズニープロダクションみたいに大企業になってる訳じゃない個人商店主だし、パロディと盗用行為が違うのは当たり前でしょう、と思ったら、映画批評の観点からは「パロディも盗用も同じ」という考え方も成り立つらしい。

「映画を見る」という行為は、見た人の記憶の中に「新たな映画」を作る。その記憶の中で、映画は自由に変えらてしまう事を誰しも止められない。そして、この世に真のオリジナルと呼べるものは、もはや無い。
だとするなら、パロディも盗用行為も、同質のものとして考える事は出来る。

……しかしですね、これは主観的な「思考実験」みたいなもので、その過程で「理論」による「現実のすり替え」が起きているのに気付いて欲しいのですよ。

更に、「マンガの原作を使って映画を作っている金子が、オリジナル云々言う資格は無い」みたいな事を言う人も出てきちゃう。
これも、明らかに話の次元が違うんで、アタマがこんがらがって来ますよ。

「映画=見るだけのもの」の立場に立つと、「パロディ≒盗用」に成りうるが、「現実の映画製作と公開」の世界にいる人間にとって、この理論と戦ったら消耗するだけで実りは無いから、そういう考え方もあり得るんだ、と感心しつつ呆れるしかない。

逆に僕の方が、自分の事は棚に上げて話しているように見え、盗人が盗人を批判している、と滑稽に感じたのだろうか。
映画文化ぜんたいの事を考えて発言したつもりなんだが、そう思われてはもう仕方無い。
暫く冷静に考えてみたが、この「盗用行為の論議」のうえでは、「パロディと盗用行為は全く別なものだ」と、もう一度言っておきたい。

同時に「著作者人格権」という日本の監督に残されている唯一の権利についての無知もある、と分かった。
日本の現行法のもとでは、監督の許諾無くしては、何人も映画を勝手に「編集変え」してはならないのである。
だが、ゲイラー君の奨励している世界では、その唯一の権利も失われる。
だから、その世界は、我々にとっては、恐怖なのだ。
かの発言は「今でも東宝と角川が充分なお金を払えば、(金子監督には無許可でも)ゲイラー版『ゴジラVSガメラ』が編集可能なんですよね」という認識からだったが、今の日本では、幾らお金を積んでも、それだけが出来ないのである。
ゲイラー君の主張に従うと、僅かに残った「それだけ」がブッ飛ばされる。
その恐怖を、「映画=見るだけのもの」の人々に伝えるのは難しい。

一人で戦っている新しい才能を、監督協会という圧力団体の力を借りて潰そうとする古い分からず屋みたいに思われたようで、そう思われながら映画理論の蛸壺にはまって論争すると、僕はただの道化師になってしまう。それはバカバカしい。

こんなんだったら、ゲイラー君とトークバトルしていた方が、まだ気分が良い。
彼も、異論反論は歓迎するぜ、とファイティングポーズをとるんで、こっちも受けて立つぞと、写真を撮った。
ゲイラー



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ドネルモ RiP! プロジェクトとは... 創造性と著作権保護に関するドキュメ...

この記事へのコメント

1. Posted by コメディ映画祭観客   2009年11月04日 07:11
なるほどと思うことしきりですね。
でも、Y氏の指摘は単なる揶揄ですよ、きっと。
それはともかくせっかく熱のこもった記事なのに、誤字があってはつまらないあげ足取りにひっかかってしまいます。
「最後」が「最期」ではね〜。
ま、単なる変換ミスだとは思いますが。
前のエントリにも同じミスがありますが、「最期」では幸せの渦中に前田愛が死んでしまいます!
すみやかに訂正を!
あら捜しのつもりはないので、確認されたら、このコメントは削除してください。
2. Posted by 浅野琢也   2009年11月05日 19:48
著作権に関する意見好感は、真剣に読ませて戴きました。万国著作権条約(方式主義)とベルヌ条約(無方式主義)の批准の関係で確定日付の立証が困難なため、方法特許という絶対権で著作権の特定日付の立証方法を以前に特許出願しました。著作権には同一性保持性があり改ざんを禁じています。権利期間を経過した場合はアレンジ可能です。アートで言いますとコラージュという手法で工業製品としての印刷物をコピーしないで購入した実物を改造して使う手法です。概念としては、新車を改造してボディーに絵を描くのに近いと思います。これが映画になりますとフィルムが原画であり他人の作品を切り裂くことですから著作権に触れると私は解釈します。
(続きがあります)
3. Posted by 浅野琢也   2009年11月05日 19:50
(続きです)
大量にプリントされた作品をフィルムという物で切って張り合わせて作品化すると印刷物に近いかも知れませんがニューシネマ・パラダイスに登場した映写技師が残してくれたフィルムみたい感じになるかも知れません。リードだらけの状態です。それをプリント(コピー)すると著作権違反になるのではないかと思われます。
ウォルトディズニーは、若い時にラッキーラビットのオズワルドというキャラクターを売ってしまい後で大変苦労した方です。その経験から当時、万国著作権条約のみ批准していたアメリカで登録する中で特許出願でトーキーの技術を守ったりしています。そのウォルト・ディズニーは著作権の期限が切れたパブリックドメインを上手に活用したり原作の著作権を買い上げたりしています。「子犬物語」という犬がデートしてミートボールのパスタを食べるシーンが有名なアニメが原作から作ったオリジナル作品です。ただ著作権の期間が著作権者の死後50年から80年に延長されると参考や応用しずらいと思います。「星の王子さま」は監督入札制で制作されましたが墜落した飛行機が発見されたので死亡が確認され50年以上経過しているのでパブリックドメインとなりましたから原作をアレンジして映画でもアニメでも作れるということになるハズです。今年の夏に公開された「蟹工船」では沈没する秩父丸の乗組員数が約500から250に変えられていました。長文ですが何か参考になる部分があれば幸いです。
PS.デーモンを複数にするとレギオンになると最近知りました。ガメラは古代の地球防衛用の巨大生物兵器だとやっと解りました。更なるご活躍期待しています。浅野琢也
4. Posted by 浅野琢也   2009年11月06日 07:54
著作権について書き忘れました。工業製品として大量にプリントされたフィルムを加工してもフィルム自体の展示は可能ですが興行目的で上映すると複数の上映権を侵害することになります。引用の度を越えているのではないかと予測できます。「映画祭の出品要項に作者または、制作団体(制作委員会)が著作権を有する作品」と入れてあるハズです。特許の世界では、スティーブンソンの汽車は、ピストンの発明者が使用を断り遊星歯車で動力を伝えていました。蒸気船ウィリーでジャズシンガーのバイタフォン方式の音ズレをフィルムとシンクロさせる技術でエイトトラックにするらしいのですが資料が無いので曖昧な記憶です。【今月は静枝様の一周忌でもあると思います】長文失礼しました。浅野琢也
5. Posted by 映画監督・竹内英孝   2009年11月06日 20:42
5 お疲れ様です。

訳あってシンポジウムの次の日に山形入りしましたが、何とか金子さんのバトルを見たかったと、後悔してます。

「リミックス宣言」はまだ見てません。
パロディは好きですが、本家の映像そのものを使うのでなく、自分で映像は作るべきだと思います。
マイケル・ジャクソンの許可の元、パロっていたアル・ヤンコビックはとても面白かったです。

ユーチューブに関しては、予告編を勝手にアップしてるのが多くありますが、勝手に宣伝してくれて嬉しいという製作者もいて、予告編に関しては、あまりうるさく言いたくない部分もあります。
6. Posted by 浅野琢也   2009年11月08日 06:20
 アジアの映画制作会社が作品をコピーされて、字幕まで付けられているので、翻訳して字幕を付ける必要がある映画祭にコピーされて字幕の付けられた物を提出して作業工程を減らしたなんて話を読んだ気がします。
その時に当然、サーバーからの削除の手続きを取ったと思います。「リミックス宣言」は、製薬会社の特許権を皮肉った部分があるそうですがWTOの条約に貧困国に対して国家的危機の場合はロイヤリティーを免除する条文があります。南アフリカはHIVの薬を自国で生産しているらしいです。「リミックス宣言」のアイデアの元は「ザッツ・エンタティーメント」のマネをドキュメンタリーで行ったのかもしれません。若い人の中には先人が、すでにやったことを知らず同じアイデアを繰り返すタイプが多いように思えます。 浅野琢也
 
7. Posted by m-maki   2009年11月29日 15:23
金子監督は大物ですな。(これは素直にほめ言葉として)
ゲイラーさんは自分の小者さ加減に気づいていませんね。(これはゲイラーさんがもちろん日本語も読めると仮定して・笑)

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