阿久悠物語

2017年08月28日

10年後の『阿久悠物語』

24時間テレビ枠内で放送された亀梨和也の『阿久悠物語』で、10年前に僕が田辺誠一で撮った『阿久悠物語』の一部が使用されていた。

それは画面の中のテレビで放送されているヴィレッジシンガーズの「バラ色の雲」で、音源はオリジナルだが、それに合わせて口パクで当時作ったものが使われていた。

これは、使用許諾を取らなくても良いものと判断されたのであろう。
画面比率から言っても5分の1くらいだし、オンエア一回きりという約束で納品しているので、著作隣接権があるわけでも無い。
そこまで調べたか分からないが、映っていたのは芸能界を引退した野木太郎と新津勇気であり、ヴィレッジシンガーズ本人たちの映像使用許諾を取るより遥かに経済的ということだったのであろう。
僕も別に不快に思うことも無く、報告されなくても構わないと思うが、書かないと誰も気づかないだろうから書いただけで、僕のやつがもう一回やらんかな、とも思うが、無理なのであろう、諸権利の問題で。

父親から“映画キチガイ”とからかわれていた高校生の頃に見ていた『スター誕生!』では、審査員長・阿久悠の言葉が耳に残った。

「映画監督になりたければ映画ばっかり見ていては駄目で、いろんな事を経験しなければならない」

・・・それは、歌手を目指す参加者に「歌ばっかり歌ってても駄目だ」という意味で激励したのだろうけど、自分に言われたような気がしていた。他にも覚えている言葉はあるが、「君は主役は無理だが、主役の妹なら出来ると思う」というのもあって、実はこれが初めてマイクの前に立った山口百恵に言った言葉だったと後に知る。

”主役の妹”で認知させる作戦を覚えていた映画小僧はン十年後『デスノート』で満島ひかりに応用した。

が、百恵さんは二十歳で引退の時に書いた『蒼い時』で「私がスター誕生に14歳で初めて挑戦した時、ある審査員から主役の妹しか出来ないと言われて小さなプライドが傷ついた」というような事を書き残す。

「阿久悠先生から言われた」という笑い話では無く「ある審査員から言われた」という書き方が百恵的な重いものを感じさせ、これが「阿久悠が山口百恵に一曲も歌詞を提供しなかった理由だった」と言われていた時、阿久さんも「いや、あれは即戦力という意味も含んでいたのだ」と雑誌に書いた。

そしてピンクレディ「UFO」がレコード大賞を受賞した時に「プレイバックPART2」だった山口百恵はピンクレディの歌の途中立ち上がって会場を後にするのを、トロフィーを手にした阿久さんは壇上から見つめ「黒いドレスが喪服に見えた。通路が凍てつく気配が伝わって来た」と書いている。

そこで、自分が『阿久悠物語』を撮った時、そのシーンをやりたくて、百恵さんを演じた星野真里の言葉は僕の想像だが、宇崎竜童に「紅白がありますのでお先に失礼します」と言わせたが、宇崎さんには確認していない・・・勿論、百恵さんにも。百恵さんの前でカチンコ打っていた時は、この話は知らなかった訳だし・・・

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2008年08月20日

ケータイ捜査官納涼会

実は、『ヒットメーカー阿久悠物語』のMA(最後の仕上げの音楽効果音入れ作業)の翌日が、『ケータイ捜査官』のクランクインという無茶なスケジュールであった。

で、「ケータイ」の撮影やってから、また阿久悠物語に戻り、問題の出た部分を直し、オンエアとなった次第。

フラフラになったか、というとそうでもない。
結構タフなワタシ……
ただ、セットがやたら暑かった。
冷房が無く、汐の匂いの漂う港の空き倉庫に、アンカー本部と主人公の家のパーマネントセットを建てているからね。誰が決めたんじゃ、こんな場所。
やっぱり、暑さでフラフラになったな……

先日は、渋谷で『ケータイ捜査官』の中打ち上げ納涼会があり、関係者が集まった。

大学映研の先輩である押井守さんとも久しぶりに会った。

両方の編集を担当している矢船陽介君に聞くと、僕と押井さんは、どこかしら似ているそうである。

そう言えば樋口真嗣もそんな事言ってたな。

いや、押井さんが僕に似ている訳では無く、大学でダラダラ映画の話ばっかりしているうちに押井さんの喋り癖がうつったんじゃないだろうか、話のポイントで頭をかくタイミングとか……

学芸大学で、僕が一年二年の時、押井さんは五年六年。
映研の部員は3人だけ。
ダラダラ映画の話ばかりしていた思い出……

映画の助監督になるには体力が必要だ、と言って、急にグランドを走り出し、一日でやめた押井さん。

映画への道を一度は諦め、教師になると宣言したのに、友達に採用試験の申し込みを頼んで、その友達が忘れちゃったから教師になれなかった押井さん。

でも、その友達のおかげで現在があるのよね。

あ……
僕のアホな事をバラされるとまずいから、このくらいで止めておこう……


When I was a student I met Mamoru Oshii at movie club which had only three members. He was 4 years older than me but he was staying at the college in that age.We had talked about movies movies movies....Our college had only education department, so a guraduate would be a teacher normaly,but Oshii asked my friend send his paper to the exam, my friend forgotten to send that,so he lost the way to became a teacher.

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2008年08月11日

『ヒットメーカー阿久悠物語』の放送も終わり

『ヒットメーカー阿久悠物語』の放送も終わり、暖かい皆さんの言葉と好視聴率の連絡を受けて喜んでいると、そういえば阿久悠先生にお礼してない、と思い、翌日のNHK阿久悠特集を見ながら供養した。

皆さん、阿久悠さん、本当にありがとうございます。

意外に心配していた突っ込みは無く……

例えば「美空ひばりは『悲しき口笛』の方が『東京キッド』より先のはずだろ」とか、「宣光社で寺脇康文が『テレビ局行ってストッキング宣伝してこい』と言われてから、実際宣伝するシーンまで数年経ってるだろ」とか……

これは、シームレスストッキングが発売された年が結構アトだったんで、年代的に月光仮面と絡めなられなくなってしまい、寺脇さんの「シームレスストッキングってのが出たんだよ」というセリフを撮ったんだけど、カットしたのである。

つまり、台本上では、上司に言われてスグにテレビ局へ行ったということだが、完成版では何年もストッキングの宣伝していて、ザ・ピーナッツが『恋のバカンス』を歌う頃になって、新商品のシームレスストッキングが出たという「言い訳け」が出来るようになっているのである。
まあ、その辺り、気にならないように編集したんですが。
普通に見たら、上司に言われてスグにテレビ局へ行った、と見えますよね。

しかし、あのシーンでは、我が家にあった謄写版とソックリなものがあって、涙チョチョ切れた。
小学校三年生の時、その謄写版で、週刊個人新聞を発行していたので。
毎週日曜日の夜に印刷して、月曜日の朝にクラス全員の机の上に置く、というビラのような形態の「かぜのこ」新聞。
一年続いて、アカハタ日曜版が取り上げて記事にしていたのも、家を整理したら出て来た。「幡代小学校の金子修介君の新聞が一年続きました」という。
……若い人には、なんのことやら分からんかのぉ。

山口百恵が東宝の『潮騒』で桜田淳子が松竹の『スプーン一杯の幸せ』でゴールデンウイーク映画対決した事を皆で話しているシーンで、岩崎宏美のポスターが貼ってあるのは、一年ズレていて、岩崎宏美のデビューは翌年のはず、という突っ込みも無かったな。
……若い人には、なんのことやら分からんかのぉ。

現場でいいポスターが無くて、やむなく貼ったんですが。

あと、通行人たちが「ピンポンパン体操」の音楽に合わせて踊るシーンで、ナレーションが「1970年代、人々はいい音楽が聞こえると、路上で踊ったものである」というところには、「そんなことはなかったんじゃないだろうか」という真面目な突っ込みがあった。

これ、ギャグだったんですけど、滑ったかな……
「そんなバカな〜」と笑って見て下されば……

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2008年08月01日

『ヒットメーカー阿久悠物語』直前ブログ

ついこのあいだまで撮影やっていたかと思ったら、もう本日放送。
しかも、映像使用の権利関係で再放送もDVDも有り得ない、と言われ、おそらく今日一日だけの「祭り」となるであろう。
何か文句言われても、あとの祭り。

山口百恵さんも見てくれるであろうか……?

百恵さんには一つの思い出がある。

『炎の舞』の現場でのこと。
僕はフォースのカチンコ助監督。サードは手塚昌明さん。
セカンドは那須博之さん。チーフはプロデューサーに転身した中川好久さん。

あれは、日曜日の日活撮影所の昼休み。

日曜日だから、他の撮影は無く、我々『炎の舞』チームだけがセットに入っていたから昼休みはガラガラなんで、キャッチボールをしていた。相手は誰だったか忘れてしまったが、ボールが何往復かしている間に、投げている相手の方向から少し外れた左側、食堂脇に百恵さんが、突然、現れた。

おそらく控え室から衣装部に戻ろうとしている時で、内藤マネージャーとメイクの人の三人くらいと一緒だったであろうか。

普通なら、傍でキャッチボールしているからといっても、全く危険な位置では無い。

しかし、当然、注意して投げなければいけない……と思って意識し過ぎたあまりか、百恵さんにいいとこ見せて三浦友和に対抗しようと思ったのか、単にもとからコントロールが無いからなのか、人の運動神経と心理の関係は謎だが、僕の投げた球は一直線に百恵さんに向かっていった。それこそ狙って当たれば素晴らしいコントロールかと言えるほどの一直線であった。

ああ!球が百恵さんに当たってしまう!百恵さんは気付かない!誰かが「アーッ!」と声をあげた。それは僕だったかも知れない。

その瞬間、僕の目が一瞬ズームアップしたところによると、百恵さんは、ほんの数メートルの距離で気付き、驚くべき敏捷さで首をヒョイと曲げて球を避けたのであった。

事なきを得たが、その場の空気は氷ついた。

周囲の人々が僕と百恵さんを見比べている。百恵さんの周りの人たちは、「なんてことをしたんだ、このぺーぺー助監督は!」と目を丸くしている。
僕は脚を震わせながら、百恵さんのところへ走った。

「すいません!」
としか、言葉は無い。
周囲の人たちは息を呑んでフリーズしているかのように見えた。

すると百恵さんは、少し微笑んで、「ワン!」と犬の真似をした。

「このことは冗談にしときましょう」という雰囲気で、それを合図にしたように、百恵さんの周りの人たちも笑い、「ばかもん」「何やってんだ」「気をつけろよ」……というようなことを言ったんであろうが、それはまるで覚えていない。「ワン!」しか覚えてませんよ……

という三十年前の思い出である。

このこととドラマは直接関係無いが、星野真里さんは、ちょうどその年の百恵さんのイメージなのである。
この年の大晦日に、『阿久悠物語』はクライマックスを迎えるのだ。


本日、夜九時、日本テレビにチャンネルを!

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2008年07月28日

『ヒットメーカー阿久悠物語』速報PART6

本日、日本テレビのホールにて『ヒットメーカー阿久悠物語』の完成披露試写があり、田辺誠一、及川光博、池内博之、鈴木愛理らとともに、会見挨拶をした。
記者会見








なんと言っても、会見をリードしたのはミッチーこと及川光博さん。
司会者が「池田文雄役、及川光博さん」と言い終わるか終わらないかの瞬間にスクッと椅子から立ち上がり、「ハイ、ミッチーです!」と先制。
田辺さんをタナベッチと呼んで、現場の楽しさを伝えてくれた。
普段はおっとりしているように見える田辺さんも、その空気につられてか、饒舌に。
池内君も「熱いドラマ」を強調。
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桜田淳子役の鈴木愛理は、記者会見は初めてなんです、と舞台袖では緊張しまくっていたが、いったんマイクをふられると、しっかり見所を伝え、司会者に「鈴木さんが話すと、爽やかな風が吹いて来ますね〜」と言わせた。
お母さんが、桜田淳子さんのファンだそうで。


僕は、「楽しいことばっかりじゃなくて、タイヘンなことも多くて、テレビでは言えない、タイヘンなことばっかりで、芸能界の謎と言うか、山あり、谷あり、壁あり、沼ありでして、も〜タイヘン……」
と言ったんだが、二度とマイクをふられなかった。
何か、危険な発言をしそうに思われたに違いない。
別に危険な発言をするつもりもなかったんだが、司会者の表情が、警戒するような感じに思えた。
でも、何が危険か、良く分かってないから、やっぱり危険なのかも。


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2008年07月12日

『ヒットメーカー阿久悠物語』速報PART4

阿久悠の作詞リストを見ると、桜田淳子へ提供したものが圧倒的に多い。
僕でも知らない歌は多いんだが、シングルだけでなく、アルバムへも提供しているから、この数になるのであろう。

また、桜田淳子を秋田予選で見た衝撃というものを、1972年9月何日というふうに日付入りで書いてある随筆もあり、「出場者の中で一人だけ浮き上がって見え、淡い蛍光色に光っている少女がいた」「彼女自身が発散している彼女自身も気付かぬ何かがたちのぼっているとしか言いようがない」という表現で、その衝撃の大きさを描いている。

この秋田予選の映像というものが今も残っていて、ドラマでも抜粋して使うが、確かに他の出場者が歌っている時でも、椅子に座って待っている素人の淳子へカメラが吸い寄せられてゆくと思うほど、彼女は目立っている。
「淡い蛍光色」はカメラには写ってはいないけれど……

要するにカワイイから目立つ、という事なんだが、そう言ってしまうと身も蓋も無い。「淡い蛍光色に光る」という表現が出来るから、大作詞家になれた訳で。

この「淡い蛍光色に光る少女」をお芝居で表現出来る人は誰か、と思った時、℃-ute (キュート)の鈴木愛理がふと浮かんだ。

顔立ちは違うが、何か共通するイメージがある。

演技経験は少ないが、キャスティングはトントン拍子に進み、鈴木愛理さんが衣装合わせに来てエンゼルハットを被った時、スタッフは皆、納得したのである。

桜田淳子と鈴木愛理を両方とも良く知っている、という人は少ないだろうが、双方のファンが喜んでくれるシーンが撮れたと思う。

ただ、ひとつ計算違いが……

前述の文章に阿久悠は「音痴でなきゃいいが、と思った」と書いてあるし、桜田淳子さんは、決して歌が素晴らしく上手いというタイプでは無い。

鈴木愛理さんの歌はたいへん上手かったのである。
音程は安定しているし、声に伸びがあり、本格的である。
彼女の「わたしの青い鳥」は、心地良い。CD出したら売れるんじゃないか。

歌い方も、お母さんから教わった、ということで、桜田淳子の鼻にかかった歌い方を上手く真似していた。
ビデオを見せながら、「どうぞいかないで」の辺りはちょっと切なそうな顔をするんだよ、と教えると、耳を赤くしながら頷く愛理さんの周りを、淡い蛍光色の光が包んでいた……

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2008年07月08日

『ヒットメーカー阿久悠物語』速報PART3

実在の人物を映像化する時、「似ているかどうか」という事を先ずは考えるのが普通だろうが、「そっくりショー」をやろうとしている訳では無いので、あるところで考えの矛先を変える。

実在の人物が持っているイメージを、俳優が、本人の個性を使って拡大なり、変化させ、それが面白かったり、納得出来たりする時、「OK」となるのである。

ただ、キャスティングの時には、オーディションで無い場合、それぞれの俳優のキャリアを参考に演技を想像するしかないから、これは難しい。

田辺誠一サンも阿久悠サンとは余り似てはいないんだが、計算出来るものがあり、監督としては、「意外性」というところに賭けてみたかった。

結果、これは、とても面白い阿久悠像が立体化され、視聴者の反応が楽しみである。

ザ・ピーナッツは、双子の美人女優・奈津子&亜希子さんにやってもらっているが、ハッキリ言って、御本人とは似ていない。
でも、納得して貰えると思う。

『スター誕生』から出た最初のスターである森昌子さんは、オーディションをやろう、という事になって、多くの少女に来てもらい、朝から晩まで「せんせい」を聴いたが、人生でこんなに多く「せんせい」を聴く日は今までに無かったし、これからも無いであろう。
……それはせんせえい〜……耳にこびりついたよ。

想像はしていたが、やはり40年近く経つと、日本人の顔は変わっていて、当時の森昌子さんに似ている人は全くいない。体型も変わってしまっている。

その中で、「レミゼラブル」の舞台も経験していた平塚あみさんは、抜群の演技力と素朴さとで、森昌子が合格した時の雰囲気を再現、「これだよ、これ!」と思ったんである。

しかし、肩まで髪があって、森昌子と言えばベリーショートというイメージ、平塚さんのレジュメを見ると「ショートNG」と書かれているではないか。
どうすんの……

と、思っていると、平塚さんは、その髪をバッサリ切ったのであった。

……森昌子が現れた!と、みんな思いました。

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2008年07月05日

『ヒットメーカー阿久悠物語』速報PART2

『ヒットメーカー阿久悠物語』(8月1日放送)は、懐かしき70年代アイドルたちの秘蔵映像満載であるが、そればかりでなく、今の役者に当時のアイドルを演じてもらっている部分も多々ある。

そのなかで、ピンクレディを演じてくれたのが、「モーニング娘。」のリーダー・高橋愛さんとサブリーダー・新垣里沙さんである。

二人が衣装メイクして現場にやって来る時って、遠くの方から徐々に「オハヨウゴザイマス」「ヨロシクオネガイシマス」という声と供にアイドルオーラが近づいて来る、という感じがするよ。

ハッキリ言って、とても可愛いです。

モーニング娘。と言えば、昔はフルメンバー言えるどころか、脱退加入も把握していたんだが、今は怪しい。15代将軍はまだ言えるが。

「ガメラ3」の脚本書いていた時は、「モーニングコーヒー」聴いてたもんな。
矢田亜希子で「クロスファイア」撮っていた時期は、那須さんが「ピンチランナー」撮っていて、映画のラストは石川梨華とか加護亜依とかが新加入するシーンだった。

高橋・新垣は2001年に加入していて、今21才と19才だから、二人とも人生の半分近くをモーニング娘。やってることになる。

でも、二人とも実にちゃんとしている。良く出来たアイドルだ。

歴史が好きだという高橋愛さんと、「大化の改新」や「聖徳太子はいなかった」説の話をチョコッとした。監督特権ね。

二人の「ペッパー警部」に御期待下さい。もちろんホンモノにも御登頂きます。



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2008年06月25日

『ヒットメーカー・阿久悠物語』速報

『ヒットメーカー・阿久悠物語』は、8月1日の日本テレビ金曜ロードショー特別枠での放送に向けて、連日ハードな撮影をしております。

阿久悠役の田辺誠一さんは、矢口史靖監督の『ハッピーフライト』を終わったばかりでこちらに来て、阿久悠が乗り移ったようなカリスマ的演技を見せてくれている。
……そのために名誉の負傷をしてしまったが……

監督不注意ですいません。
奥様、寧々様、ご心配をおかけしました。

一方、我が古巣である日活撮影所には、『スター誕生』のセットを再現し、生バンドを入れて当時の雰囲気を醸し出している。
これが、とても懐かしい。タイムスリップしたようだ。

drawing





ただ、時々、監督の僕が歌謡曲文化に対してマニアックな性格なもので、スタッフが着いて来られない時があるみたいなのである。

桜田淳子のデビュー曲が『天使も夢見る』で二曲目が『天使の初恋』、有名な『私の青い鳥』は実は三曲目なんだ、ってことは、まだナントカ理解されるんだが、森昌子のデビュー曲は『せんせい』で二曲目は『同級生』で三曲目は『中学三年生』なんだってことになると、かなりトリビアルらしく、『おかあさん』を役者に口ずさんでもらおうとすると、全く知らないから、僕が歌って聴かせなければならなかった。

……でも、なんでこんなに覚えてるんだ、俺?




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2008年06月13日

ヒットメーカー・阿久悠物語クランクイン

『ヒットメーカー・阿久悠物語』は無事クランクイン。

今日(6月13日)のスポーツ報知と日刊スポーツで発表となった。

阿久悠役は御本人より男前の田辺誠一
都倉俊一役は御本人並み男前の内田朝陽
敏腕池田プロデューサー役は『プライド』に続いての男前、及川光博
アシスタントプロデューサーは甘い男前の黄川田将也
豪腕ディレクターは野性的男前の池内博之
振り付け土居先生はギリギリ男前の榊英雄
ADからDに出世し後にPに転身する男前は青山草太

という具合に男前軍団が芸能界の裏を闊歩しヒットを飛ばしアイドルを産み出す新機軸サクセスストーリーであります。

なんだ、男ばっかりじゃないか、という御仁は、徐々に明らかにされる女優・アイドル陣の詳細を待たれよ。

カメラマンは名手・長田勇市!

心配した煙草の煙も、長田さんが持って来てくれた身体に良い煙を出すエコマシーンのお陰で快適。

演出部も『プライド』から引き続き、猪腰チームが現場を引っ張ってくれるから安心である。

毎朝早いが、朝早い方が身体に良い。
こないだは、新宿スバル前で『ケイタイ捜査官』のチームと一緒になり、主役の少年と初顔合わせとなった。

熱い撮影の日々が始まった……


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2008年06月07日

心配なこと

『ヒットメーカー・阿久悠物語』のクランクインが迫っているが、心配な事がひとつ。

70年代のマスコミ人を描く場合、みんな煙草を吸っている訳で、恐らく会議室なんか、煙モウモウになっているであろうから、それを再現しなければならないが、僕は人生で煙草というものを未だ一本しか吸った事が無いので、あの煙が苦手である。

その一本の煙草とは、30才の時で、一本まるまる吸ったんだが、結構美味かった。

毒が毛細血管を動き回るような快感があり、煙草を吸う人の気持ちが多少分かったが、それ以来病み付きになる、というようほどの魅力は無かった。

子供の頃といえば、両親とも煙草を吸っていたが、便所が臭くなるので、「禁煙」と張り紙をしたのは小学三年生くらいの事だったろうか。

中高生くらいになると、友達が粋がってワルぶって吸い出すんだが、それが本当にバカに見え、嫌悪し、遂に「煙草の誘惑」というものを理解することが無かった。
どうして「身体に悪い」と言われてんのに吸うんだろう?という疑問に答える状況は遂になかった。

それが、なんで30才で一本吸ったか、というと、ある美女に勧められたからで、「さあ、吸ってみなさい。肺の奥まで入れるのよ、そうよ、そう」と言われるままに吸ったんである……

まあ、とにかく煙草は止めましょう。
早死にした映画の仲間を思い出すと、みんな吸っていたからね。

I’ve smoked only one time in my life. It was the day 30 . A beautiful lady recommended me strongly almost ordered as “ Hey boy, smoke this into your lungs OK!!.” I was fun to smoke that feld poison went through all my blood vessels.


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2008年06月01日

『デスノート』アメリカ上映&『ヒットメーカー・阿久悠物語』

5/20と21、二日で二回だけの『デスノート』アメリカ上映は、6万5千人の観客を集め、the phenomenal success だったそうである。

“Death Note” got 65,000 people on the twice show in America.
NCM said it’s the phenomenal success.

『ヒットメーカー・阿久悠物語』は、準備も佳境。

往年のテレビ番組『スター誕生』を再現しようと、セットをプランニングしているんだが、残っている映像が意外に少ない。
と言うか、初期はビデオなど残していないのである。
だから、写真と、当時のスタッフへの取材などで、調べてゆくしかない。

前に若いスタッフと話した時に、「昔、日本では、歌手は『スター』と呼ばれてたんだよ」と言うと、「だって歌うだけの人でしょ、なんでそれが『スター』なんですか?」と驚かれたことがあるんだが、この『スター誕生』の頃から、テレビで歌う若い人たちの事を「スター」とは呼ばなくなって、「アイドル」と呼ぶようになって来たんである。

In 60’s singers were called “star” generally, but from 70’ they have been called “idol”.


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