就職戦線異状無し

2008年05月22日

50年前の記憶(長文)

『ヒットメーカー・阿久悠物語』の準備をしながら『プライド』も進めつつ、このあいだは早稲田大学で『1999年の夏休み』を見せてお喋りもしたが、気管支が腫れていて、喋る刺激で咳が出てしまうので困った。
早稲田なので昔そこでロケした『就職戦線異状無し』にしようかと思ったが、DVDが出ていないので『1999年の夏休み』になった訳である。つまり、35ミリの上映では無く、DVD上映だったという次第。
何を喋ろうかと迷い、20年経った今振り返って、何故こういう映画を作ろうとしたのかという話を中心にしようとすると、自分の歴史になってしまい、それをかいつまんで語る事の難しさを痛感した。
自分の心の中のキーは「学校と級友」というところにあり、幡代小学校の担任の濱野先生が学芸大学出身で、そのことで教育問題に意識的になって結局は自分も学芸大学に行くのだが、教員養成の勉強には興味が持てず全く面白く無く、それは三鷹高校生活が初めて8ミリ映画を作ったりして華やかで楽しかった反動もあり、またそれは三鷹四中生活が暗くツマラナかった反動で、またまたそれは幡代小生活が激しく面白かった反動でもあった、という連鎖であった、という事を目の前の早稲田の学生さんが興味ある事なのか迷いながら話した。
小学校5年生の終わりに、父の出身であった初台から労働組合のコネで三鷹に安い一軒家が見つかったので引っ越したが、先生と級友に別れたく無く一年間電車通学をしていたが、中学まで代々木中学に行くのは潔く無いと一代決心をして近所の三鷹四中に行く事に決め、卒業間際に先生に教壇に呼ばれ、「お前は仲間のいない中学に進学する、その心構えを言ってみろ」と言われて「はい、暗闇に聖火を持って行くような心境です」と泣きながら言うと、先生は「そこは暗闇では無いかも知れんぞ、光の国かも知れんぞ」と仰ったのである……
この先生の事を、野田秀樹は「変人教師の全人教育で性格が破綻した」と言っているし、このクラスがどれだけオカシクて楽しかったのかを語らないと通じないのは分かっているのだが、僕は中学に行っても、野田や画家の鈴木和道と会う為に月に何回かデートでもするような気分で初台に通っており、その時の僕の感覚からすると、初台に比べると三鷹はもの凄く田舎に感じられて、三鷹四中では「三鷹は田舎だ」と公言して孤立していたのであった。
しかし中二になると三鷹で初恋を覚えてしまい、それが和道への裏切りのような気がしたもので、和道はオクテだったので、その頃周りが色気づいて来たから「金子、お前女の子なんて好きになるものか?」と聞いて来た時、焦って「いやあ、そんな感情は僕には無いな」と嘘をついたのである。
これが『1999年の夏休み』のネタであった、なんて言ってしまうと白けてしまうかも知れないが、その時の感情が幾つになっても残っていたのである。勿論、その後、和道は、アッと言う間に色気付いて、僕より先にガールフレンドを作ったが。
早稲田が終わると、ちょうど和道の共同展覧会のラス日だったので銀座へ行くと、小学校の級友たちも何人か来ていた。野田は、今ロンドンらしい。
しかも、僕が来る少し前に来ていた級友たちが烏山に移動して、そこにはA子さんも混ざっている、という。
このA子さんというのは、僕とはヨセフ保育園でオムツの2才児クラスから4年間一緒だったのであるが、小学校が道路一本の差で別な地区になったので別れてから代々木中学に進学した。つまり、和道はじめ、級友らとは代々木中学で初めて出会い、その後、僕の知らない甘酸っぱい青春を共有していたに違いない。
僕は和道や野田から、中学の時にA子さんの話を聞いていて、ああヨセフ保育園の時に一緒だった彼女だ、と思い当って想像を逞しくしていたんだが、今まで会う機会は無かった。何故そんなに想像したのかというと、単純な話、可愛らしかったからである。2歳児の時のクリスマス会で、僕がヨセフ様、彼女がマリア様を演じた事があったし、お喋りすると楽しかった、という記憶があるのだ。僕は、6歳児の時にはクリスマス会では三人の博士のうちの一人に成り下がってしまい、プライドが傷ついた覚えがある。
そこで、烏山に移動してみんなが集合している寿司屋に行くと、当時と印象が余り変わらないA子さんがいたが、な、な、なんと、僕の事は覚えていない。金子修介の事は知っていたが、そいつが4年保育で一緒だったとは知らなかったし、思い出してくれない。しかも、やはり4年保育だったそば屋のヨッちゃんがタイプだったと言うではないか……まあ、仕方無い、ヨッちゃんはカッコ良かった。ヨッちゃんはカッコいいのに僕は特徴の無い普通の顔だと鏡を見ながら思った事を良く覚えている。ヨッちゃんは、運動会の時「修ちゃんちは貧乏なんだろ、オニギリあげるよ」と言って来て、ウチのお婆ちゃんに叱られた子供エリートだった。
しかし、ヨッちゃんは幡代になってから太ってしまったんだよ、とイジワルを言うと、その事は彼女は知っていた。ヨッちゃんは麻布に行ったんで、代々木中学に進学したA子さんは、まわりから聞いたのであろう。……そうか……
なんとか思い出して貰おうとして、僕たちヨセフ様とマリア様をやったんですよ、と言ったところ、彼女の表情が変わった。!!!思い出したようである!!!。
「色白の、わりと華奢な男の子がいた、細かった」……それが僕の印象らしかった。「私たち、2才の時、夫婦をやったのね」と、感動し、思い出してくれていた。

50年前の記憶であった。



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2015年09月29日

吹石・福山ビッグカップル誕生とカネコの小さな関わり

吹石一恵さんとは彼女が17歳?くらいで夕張映画祭に来ている時、移動のバスで隣りの席になり、「君のお父さんの名前は広島ファンにとっては強烈に記憶されてるんだよね」と話しかけたら「良く言われます」とニコニコしていた可愛い表情を窓外の雪景色とともに思い出す。
吹石は「江夏の21球」で知られる79年と翌80年の伝説の日本シリーズで近鉄の主力としてかなり打ち、「火吹石」とスポーツ新聞に見出しされたくらい怖いバッターであった。
福山雅治さんはデビュー当時歌っている映像を見て『就職戦線異状無し』にキャスティングしようとしたが、当面は歌を続けたいという理由で実現せず、坂上忍さんにお願いした。
ビッグカップル誕生のニュースで、火星に塩水が存在しているというNASAの発表が薄れている朝である……おめでとうございます。

kaneko_power009 at 10:55|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)