宮崎哲弥氏が今年一番の名著だと語る『正しい心』

宮崎哲弥氏が6月22日のラジオ番組『ザ・ボイス そこまで言うか!』で、拙著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』について熱く語っていただいたため、あっという間に売り切れてしまいました。
アマゾンの中古が5千円になってもバンバン売れて、一時期は8千円以上になってもまだ売れるという勢いで、半泣きになりましたよ。
中古がいくら売れても、飢え死に寸前で8年間執筆していたこちらには一円も入ってこないというのに、弾切れでは如何ともし難い。
こういう時こその電子出版なんでしょうけど、洋泉社はあくまで紙の本にこだわってる出版社で、断乎として出さないようです。
増刷もすぐに売り切れて、これではせっかくの熱い語りを紹介することもできないという事態で、歯噛みをしていた一ヶ月以上でしたが、ようやく3刷4刷も出回って、いつでも新品が手に入る状況になりましたので、ここにアップしておきます。

まだ聴いていない諸氏は、宮崎氏の語りをぜひとも聴いてみていただければ。
すでに聴いた方も、もう一度聴いてみるとなかなか凄いことを仰っておられることを再認識できるかと思います。
冒頭7分間と、番組の最後、54分からもまた語っておられますので、後半もゆめゆめお聴き逃しなきように。



「人間の思考を起動させる本です。これは」
「今年の一番の名著だと思う」
「私は三度読みました」
「まだ付箋は甘いんだ。これは」
「もう一冊持ってるけど、そっちはバラバラになってる」
等々、数多くの過分なるお言葉をちょうだいしております。

仏教に反応していただいてるのも宮崎氏ならではで、筆者として嬉しいところです。
仏教思想なり、悟りを目指すための修行なりは、たんなる観念的な言葉遊びではなく、何百万年の進化によって人間の身に着いてしまった認知バイアスとその克服法に根拠があるなんてことを本書では書いておるのですが、いままでにこんな根本的なことを喝破した人はいるんですかね。
本書の「正しい心」というのは、<道徳感情>のみならず、こういう人の心の本質を指していることを読み取っていただけるのはありがたいです。

さらに二週間後の7月6日放送でも、またもや熱く語っていただいております。
こちらもまた、なかなか大変なことを仰っておられますので、3分39秒から、ぜひともお聴きください。



「ある時代の中では読まなければならない本」
「この時に読んでなければいけない本」
「いま日本人には非常に、ひょっとすると世界的にもこの本が必要なんじゃないか。そういう政治、社会、経済状況だというふうに見ています」
格差が広がって道徳感情が刺激されると、人間は幾何学的な美しい計画に取憑かれるようになり、テロやら扇動政治家やらが蔓延するようになるといったことも本書には書いてますが、その点に反応していただけたのかもしれません。

極めて非効率で一本筋の通った思想のない民主主義が、なにゆえ明確なビジョンを掲げ意志決定も早くて効率のいいはずの独裁やエリート少数支配より優位になって、歴史上に生き残ってきたのか。
これも認知バイアスの克服に根拠があるなんてことまで本書では書いてるのですが、こんな大それたことを云い出した人は、これまでいるんですかね。
本書のテーマは、人類の進化に於ける、宗教も含めたこのような生存率を上げるシステムの形成なんですが、その中でももっとも重要なる裏テーマである憲法に言及する方が、宮崎氏以外にほとんどいないのは、当方といたしましては、いささか残念ではあります。

この手の小難しいことだけではなく、
「それ以上にね。楽しく読めるんだ、これは」
「松本清張の推理小説を読むかのように読める」
とも云っていただいて、これは完璧なる紹介でありますな。
事件や歴史の謎解き部分だけではなく、宗教と民主主義やら憲法やら経済やらを統一理論で根本から解き明してしまうという大風呂敷ぶりを笑いながら楽しんでいただければ、書き手としてはこの上ないところであります。

それにしても、この件で、ラジオの影響力はまだまだ侮れないということを思い知らされました。
宮崎哲弥氏が特別なだけかもしれませんが。
また、5千円の中古がバンバン売れる状況から、本は高いから売れないという話も嘘ではないかと思えてきました。
税込み2700円の本が安く見えて来るというのも、すごい話ではあるんですが。
これらもろもろもまた、たんなる認知バイアスに過ぎないのでしょうか。


    




『正しい心』 の増刷と修正

『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』は、おかげさまで大変好調で、入手難となって各方面にご迷惑をお掛けしました。
ようやく3刷が書店やアマゾンに並び、4刷5刷も準備してますので、概ね、いつでも簡単に入手できる状況になったかと思います。

この増刷に合せて、いろいろと修正を行っております。
そのほとんどは細かい誤字脱字ですが、2刷では13章を1ページ増やし、14章は2ページずつ後ろにずれるという大胆な改変を断行しました。
具体的な加筆内容は下の修正リストをご覧いただきたいのですが、なにゆえこんなことをやったかと申しますと、最終稿を入れたあとに各章の扉に絵を入れることが決まって、13章の最後と最終章の扉が、なんとも窮屈な状態になってしまったからです。
13章を読み終えたあとに、ページをめくって一拍置いてから余韻を持って最終章へ向かっていただきたいという、全体の流れを作るため無茶な変更をすることにしました。
ですので、1ページ増やしたと云っても、実際には5行書き足しているだけです。
じつは、この5行は最初は入れるつもりが、内容的に躊躇して削ってしまったものでした。
しかし、迷子のアリの役割としては果敢に間違える踏み込みが足りなかったのではないかという反省と、上記のような事情から戻すことにしたわけです。
なお、予算的にこれ以上ページは増やせないので、あとがきを右ページからはじめることにより、総ページ数は変わらないという荒技をやってます。

このブログなどでも、記事をアップしてから最低三度、多いときには十回以上書き替えをするのが当方の性情ではありますが、本書もつねに更新して徐々に完成を目指す<公平な観察者>的、ベイズ的、真の保守主義的、進化的アプローチを取っております。
初版を読んだ方こそは、この記事に今後も追記される変更点により、その進化具合をより一層に感じていただくことができるかと。
それはあたかも、『火の鳥 未来編』に於いて、ナメクジの進化を見届けた山之辺マサトの如き、あまり嬉しくもない特権やもしれませぬが。

あえて初版を読んで、その特権を得たいという物好きの諸氏は、町の本屋さんを探索することをお奨めいたします。
先日、西荻の今野書店にたまたま行きましたら、新品の初版が4冊も平積みされていました。
品切れで、アマゾンの中古が定価の3倍にも跳ね上がって、そんな値段でも買い求める方が大勢いたというのに、定価の新品が誰にも見つけられずに眠っていたのです。
当方の知ってる限りでも、ほかにも何軒か、まだ初版が売れ残っている町の本屋さんがあります。
小さな新刊書店はまだまだ宝の山です。ウェブばかりでなく、町を探索するのが面白いかと。
すでにプレミア価格も無くなったいま、なにやら流行りのゲームより実用的価値もなく、純粋ゲームとして愉しめます。

間違いはまだまだあるはずですから、皆様方も見つかりましたら指摘していただければ。
アマゾンレヴューにある、山崎氏の書の表記間違いとはなんでしょうかね。
指摘する場合は具体的にご教示いただければ幸いです。

ところで、あとがきには、8年前に当方が山崎兵八氏の著作『現場刑事の告発』を雑誌記事で取り上げてから、テレビ番組がひとつあっただけで、ほかには追随するものがまったくなかったと記しております。
しかし、本書を出したあとに、去年の7月に出た菅野良司『冤罪の戦後史』という本で、『現場刑事の告発』を取り上げていることを知りました。
その頃には本書の冤罪に関する部分はすべて書き終わっていたので、気付きませんでした。
あとがきの最初の部分は、それよりもだいぶ前に書いたものだということもあるのですが、いろいろと考えて、訂正せずにそのままといたします。
こうやって、図式的記述というのは為されるというサンプルです。
徳川信康の切腹の理由は諸説あるのに、本書に都合のいい冤罪説のみをわざわざ冒頭と最後に持ってきて全体を挟み込んだ仕掛けに、さらに組み合わされる不作為の図式的記述という仕掛けです。
なお、今年の4月7日中日新聞「二俣事件 冤罪の潮流」という記事で『現場刑事の告発』が取り上げられてることも、出版のあとに知りました。
これらは私が8年前に書いた雑誌記事の流れのような気もしますが、そうでもないのですかね。



『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』修正リスト


■2刷

○ p104 後ろから7行目 ※見出し
近衛の政策 → 近衛文麿の政策
※目次の見出しも同様に変更

○ p241 後ろから3行目
際に、うまく抵抗

際、役所防衛能力には圧倒的力量を備えていたはずの内務省さえ、うまく抵抗
※抵抗の主体が政府であるような文章になっていたので、主体をはっきりさせました。
吉田首相は内務省なんてどうなろうがまったく興味がなく、さらに基礎的知識もなかったので、内務省お得意のロボット操縦ができなかったのでした。

○ p273 最後の行
(藩屏は防御の囲いの意味) → ※文字を小さく
※本書では引用文以外の括弧はすべて文字を小さくしてますが、ここは見逃してました。

○ p407 後ろから2行目
積算して → 換算合計して
※元の県警資料も私の原稿も「折算」ですが、私に相談なく変更されてました。気付きませんでした。
正式の役人ではない判任官待遇期間を半分などに計算して、叙位叙勲の基準となる役人勤続年数を出すという意味ですから、積算とは違います。
換算もちょっと違うような気もしますが、折算は確かに難しいので「換算合計」にしてみました。
折算というのは役所では使われる言葉なんですかね。
判任官待遇期間を何掛けに計算するのかは決まっていたと思いますが、私にはよく判りません。
ご存じの方はご教示をよろしく。

○ p464 2行目 
社会全体を巻き込んで破滅させてしまうのである。
 また、自分にはない

社会全体を巻き込んで破滅させてしまうのである。
 株の大暴落など<ブラック・スワン>と呼ばれる突発的事態は予測不可能だと云われるが、自らリスクそれ自体を追い求める<サイコパス>の性質を計算に入れていれば、その何パーセントかは予測が付き、防止もできようになると思われる。このような破滅そのものを追い求める輩が跋扈することに、現在の市場はあまりにも無防備であった。人間がじつは不合理な存在であることを解き明しつつある行動経済学も、まだ<サイコパス>までは理論に組み込めていないのである。
 また、<サイコパス>は自分にはない
※なんでこんな変更をしたのかは、上記を参照のこと。

○ p477 10行目
操るのため → 操るため


■3刷 (以下すべて、ページと行数は2刷以降のもの)

○ p435、5行目
グルーブ → グループ


■4刷

○ 165p 7行
雖も → いえども
※この引用文では、「之」を「これ」に開いていたのに、もっと難しいここはそのままだったので、次の行を修正するついでに変更しました。

○ 165p 8行
厳呼 → 厳呼(※原文ママ)
jiyunさんの指摘に感謝いたします。
「あったししたので」も原文のままですが、こちらはそれほどおかしい言葉ではないので、注釈は入れません。方言ですかね。
「他日」は間違いではありません。

○ 350p 2行
附着してい血痕 → 附着していた血痕

○ 366p 7行
硬直 → 膠着

○ 367p 最終行
硬直化し → 行き詰まり
jiyunさんの指摘に感謝いたします。
「相まり」はそのままにしました。
語源的にはおかしいという話もあるでしょうけど、語源的には意味自体が微妙に変わってますし。
「硬直化」も意味としては通じるのに、こっちは間違えて恥ずかしいという想いがするのは、人の心というものはおかしなもんです。
じつは本書のテーマにもちょっと関連する、ミームの問題だったりするのですが、これは誰もまだうまいこと解き明してないようです。

○ 405p 後ろから2行
あまリズバズバ → あまりズバズバ 
※リをひらがなに。

○ 518p 6行
起ったりするは → 起ったりするのは


■5刷

○ p271 6行目
十二章 → 十三章
※もともと12章と13章はひとつの章だったのですが、書き足してるうちに後半部分が肥大化したので、ぎりぎり一番最後にふたつに分割しました。そのとき、ここを修正するのを見逃してました。

○ p418 6行目
伊豆半島の先端近くの → 伊豆半島の
※松崎は先端近くとは云えないと指摘を受けました。
先端近くというのは大ざっぱな意味で書きましたが、田舎に飛ばされたことを強調するための図式的記述だったかもしれません。






    




ファンがアイドルを襲う事件は昔のほうが多いのです。

シンガーソングライターの女性がストーカーに刺されて重傷を負った事件で、何故だかマスコミはヲタがアイドルを殺そうとしたという誤った図式を前提として報道していてケシカランという話があるようです。
「アイドルでもないしヲタでもない!小金井刺傷事件の報道に感じるモヤモヤ|ほぼ週刊吉田豪」

そんなマスコミの出鱈目さを非難している方々も、近頃はアイドルとファンの距離が近くなったためにこのような事件が起るという見方をしている人が多いようです。
しかし、芸能人が雲の上の存在だった昔のほうが、女優や歌手を襲う事件は多かったのです。
ストーカーだけではなく、金目的の犯行も含めて下に並べましたので、ご覧いただければ。
これはあくまでも少年犯罪の一部だけです。
昭和38年にファンの男(26)が吉永小百合(18)に自分の名前をイレズミするため針と墨汁を持って自宅に侵入、駆け付けた警官を手製のピストルで撃って重傷を負わせ、逃げようとした小百合さんは階段から転げて捻挫したりと、成人の犯行は何倍もあります。
昔の雑誌はファンレターの宛先として芸能人の自宅住所をそのまま載せていたということもありますが、昭和38年に橋幸夫(20)がステージ上で劣等感を晴らそうとした男(32)に軍刀で斬られるとかコンサート会場で襲う事件も多いので、それだけが理由ではないのです。
昔はストーカー殺人が連日のようにあったので、芸能人を襲う事件は比較的少なかったとも云えるのですが。
また、江戸時代のアイドルだった遊女を殺そうとする事件が頻発していたことは、「江戸時代のモテない男の無差別殺人事件」を読めばお判りいただけるかと。

マスコミだけではなく、人前で何事かを語ろうとする方は、この程度の基礎的データは踏まえて発言していただかないと、誤った前提を基に社会制度が作られたりすることにもなるので大変困ります。
データの裏付けがないまま出鱈目なことを云うのは、宇宙人の電波を脳内に受けて訳の判らないことを口走る危ない人と変わりません。
いまはどこの図書館でも全国紙の過去記事が検索できますし、少年犯罪データベースを見れば、ここに掲げた事件はすべて載っていて、手軽に知るこができるわけですから。

人は何故か、すぐに調べれば判るような目の前の現実を無視して、一見もっともらしい図式に飛びついて、それを正しいと思い込んでしまいます。これは、じつは何百万年に渡る進化から形成された人間の本性であることを、新著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』で解き明しております。
さらに、振られたり、ちょっとしたことでカッとして人を殺そうとするのも、じつは進化が人間にもたらした道徳感情から来る行動だということも説いております。
ほかの動物ではほとんど見られない<間接互恵性>の<評判>獲得意識と、その評価のために身に着いた<因果推察>能力が関係しているのです。
<間接互恵性>は人間社会を成り立たせるために大切なものですが、それによって現実が視えなくなって、社会全体に大きなダメージを与えることもあります。
克服するには拙著にも記したように、客観的データをできるだけ多く集めて判断することが重要です。
情報の蓄積こそが文明の基礎ですが、国家などの大きな組織ができてまだ一万年で、身体や脳の進化が追いつかない部分をこういう仕組みで補うことで、人類は辛うじて滅亡せずに生き延びたわけです。
皆様方も文明の担い手のひとりとして、なにか発言する場合は必ずデータの裏付けを持ち、データを持たない場合は発言を慎むようにいたしましょう。

ストーカー殺人を含めて殺人事件が大幅に減ったのは、社会構造の変化により、<評判>の位置づけが変わってきたためだということを、『戦前の少年犯罪』の続編である戦後編で解明することになるのですが、これがなかなか厄介で、頭が痛いです。
進化心理学を探究して、<間接互恵性>の<評判>や<因果推察>についてよく知り、道徳感情に突き動かされてこういう事件を起してしまう人間をうまくコントロールすればストーカー殺人などもさらに減らすことができるのですが、そのためにも一番大切なのは正しいデータの蓄積なのです。


昭和29年(1954).2.9〔17歳が女優宅にストーカー放火〕
 東京都世田谷区で、コック見習い(17)が女優の嵯峨美智子(20)が下宿している家の板塀にガソリンをかけて放火しタクシーで逃走、翌日に新聞で家が燃えなかったことを知って「またやるから覚悟しろ」と脅迫電話をかけ、2.11に逮捕された。たびたびファンレターを出していたが返事が一度しかなかったのを恨み、放火すると脅迫状を出していた。

昭和31年(1956).6.26〔高2が川上哲治選手を脅迫〕
 東京都世田谷区で、都立高校2年生が川上哲治選手(36)に「友人が会社の金を落とし、娘を芸者に売って穴埋めしようとしている。あなたの力で貸してくれないか」という手紙を出し、「金をもらいに行くから用意しておけ」という脅迫電話をしてから自宅にやって来たので張り込んでいた警官に逮捕された。
 父親が病気のため授業料を払えなかった上に、上級生から金を貸せと脅されて、投資信託で大儲けした川上選手なら出すと思ったと自供。

昭和32年(1957).1.13〔19歳が美空ひばりに塩酸かける〕
 東京都台東区の浅草国際劇場で、女中(19)が客席から上がって舞台脇で出番を待っていた美空ひばり(19)に、塩酸300グラムを浴びせかけた。左顔面、胸、背中に3週間のヤケド。
「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど、みにくい顔にしてみたい」と書かれたメモがバックのなかにあった。

昭和32年(1957).2.27〔19歳2人が京マチ子を脅す〕
 東京都世田谷区で、法政大1年生(19)と店員(19)が京マチ子(32)に「13万5千円を持ってこい。警察に知らせると硫酸をぶっかけるかダイナマイトで自動車ごと吹っ飛ばす」という脅迫状を出し、脅迫電話も掛けた。京マチ子そっくりの女優が現金を持って指定場所で待っていると、2人で現れたので逮捕された。
「成功すればその金で家を借り、不良を集めてさらに大々的に有名人を脅迫するつもりだった」と自供。2.10に中日の西沢道夫選手を「十万円よこさないと硫酸かける」と脅して逮捕された無職(26)の記事を読んで、自分ならもっとうまくやると思ったもの。裕福な工場経営者の息子で、月に7千円のこづかいをもらい、風俗店や銀座のバーに通っていたが金には困っていなかった。この年の大卒銀行員初任給1万2700円。

昭和32年(1957).3.1〔16歳が島倉千代子殺害計画〕
 神奈川県横須賀市の無職少年(16)が、国電品川駅で無賃乗車で捕まったが、ナイフを所持しており、島倉千代子(18)を殺すつもりだったと自供した。これまで何十回も電話して自宅まで訪れて逢うように求めたが拒絶されガラス戸をこわしたりしたが、とうとう殺害を計画しナイフを買って上京したところだった。

昭和32年(1957).12.16〔18歳が甥を誘拐殺人〕
 愛知県碧南市で、無職(18)が兄の息子(6)を誘拐して絞殺、小学校内の貯水池に沈めてから「60万円よこせ」という脅迫状が何通も出したが、警察の警戒が厳重で金を受け取ることはできなかった。翌年5.21に小学4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、死体を発見、重しとして結びつけられていた鉄棒が無職のものだったため逮捕された。
 6.17に雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所。風俗嬢と結婚する資金を得るため、石原慎太郎・主演の映画「危険な英雄」にヒントを得て、誘拐してすぐに殺害してから身代金を取る計画を立てたもの。警察は最初から無職が犯人だと睨んでいたが証拠がなく、兄は絶対に違うとかばい続けていた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。

昭和33年(1958).12.26〔17歳が淡島千景宅に強盗〕
 東京都大田区で、無職(17)が淡島千景(34)の自宅に強盗に入り、女中を脅して現金2千4百円を奪ったが、すぐに逮捕された。24日に岡山県御津郡から上京するも金がなくなり、雑誌で知った女優にめぼしをつけてオモチャの拳銃を使って押入ったもの。

昭和34年(1959).4.15〔家出少年ふえる 歌手や俳優志願 断わられると強盗も 読売新聞引用〕
(前略)昨年は都内で保護された家出少年が1万5839人、三十二年より3142人も多く、家出人総数(2万209人)のうちで占めた割合が73.72%と戦後の最高を記録した。家出の動機をみると、東京へのあこがれと職さがしが40%に達しているが、これにつぐ新しい傾向としてでてきたのがノド自慢大会などの流行による“芸能人になりたい"“顔をみたい"などの家出。
このため同課(※警視庁少年課)が都内各署を通じ歌手、俳優、舞踏家、落語家など芸能人873人の協力を求めてさらに調べたところ、昨年中の“あこがれ少年"の訪問数は4418人で、この大部分が家出少年とわかった。この統計によると、15歳が25%で886人、14歳が15.4%となっているが、半数は中学生、ついで高校生、小学生、商店員、女中の順で大学生も15人いた。
訪問の目的は“顔がみたかった"という単純なものが93.6%、また再三ファン・レターを出したが、返事をくれないので山口県から出てきた少女(18)などもいるが、“芸能人になりたくて"(5.3%)のなかには、農村の生活にあきたらず、声がいいとおだてられて青森県から家出したもの、断られてもなにか他に仕事を世話してくれるだろうと石原裕次郎を頼って富山県から出てきた少年などもある。
あこがれる芸能人の順序は歌手がトップに俳優、プロレス、野球選手と続き、家出少年の出身地は全国的だが、大阪、新潟、青森、愛知各県が目立っている。もちろんほとんど門前払いで保護者、児童相談所に引き渡しているが、強引に粘って女中として俳優に引き取られた少女が一人、浪曲、プロレスの弟子入りもそれぞれ一人ずついる。また逆に面会強要で検挙されたのが二十人、ヤケのあまり芸能人宅で強盗、窃盗、恐かつ、投石などのいたずらを働いたもの六人。
そのおもな例としては▽千葉県の無職少年(16)は昨年四月二日、十二月三十日の二回少女歌手の松島トモ子さんに脅迫状を送り「二百万円送らねば命をもらう」とおどし碑文谷署で検挙。また▽目黒区高校二年生(17)は歌手にあこがれ、楽器やテープレコーダほしさから昨年十二月までに歌手大津美子さんら数人の歌手宅の郵便箱をこじあけ、現金入りのファン・レターなど二十万円を盗み、本年一月二十四日検挙、などがある。(後略)
(読売新聞4・15夕刊)

昭和35年(1960).1.23〔16歳が島倉千代子に爆弾〕
 東京都港区で、工員(16)が島倉千代子(22)の自宅を爆破しようとして逮捕された。高知県須崎市の中学を卒業して上京してから熱狂的ファンとなり、1.3から「家を爆破する」という脅迫状を4通出し、1.10には自作のダイナマイトを投げ入れ玄関で爆発させていた。1.23に自作のダイナマイトを持って家の前をうろついているところを警官に見つかり、ナイフで切りつけてきたが取り押さえられたもの。

昭和36年(1961).5.7〔18歳が丘さとみ殺害計画〕
 京都府京都市で、工員(18)が女優の丘さとみ(25)を殺すつもりでナイフを所持していたため殺人予備罪で逮捕された。東映時代劇のお姫様役で大人気だった丘さとみの熱狂的ファンとなり、映画はすべて観て、ファンレターも出していたが、殺さなければ自分が破滅すると思い込み、4.28に埼玉県大宮市から京都にやってきて丘さとみの自宅前の電話ボックスで毎日待ち伏せたが、常に母親や友人と連れ立って出入りするので実行できず、警察署を訪れて金を送るように家に連絡して欲しいと頼み、取り調べられたもの。
「私はある人を殺しに京都へきた。わたしはこの人に心をひかれてこれまでにも、しばしば京都にやってきたが、今度はその人を殺して自分のものにするつもりだった。しかしいいチャンスがなかったので目的を乗たさなかった」という手紙を逮捕された日に投げ込んでいた。手紙は京都新聞5.8夕刊引用。

昭和41年(1966).5.9〔18歳がこまどり姉妹と心中図る〕
 鳥取県倉吉市の市福祉会館で公演中の舞台で、農業手伝いの少年(18)がこまどり姉妹の並木葉子さん(26)を刃物で刺し、1ヶ月の重傷を負わせた。心中を図って、自身も舞台上で腹を刺し1ヶ月の重傷。これまで何度も結婚を迫る手紙を出していた。性格はやや内向的だが、ごく普通の少年だった。広島高裁で2〜5年の不定期刑となったが、1年後に首吊り自殺。

昭和41年(1966).7.29〔19歳日大生が都はるみの妹刺傷〕
 東京都港区で、日大法学部2年生(19)が都はるみ(18)の自宅に押しかけ、都はるみの妹(16)に切りつけて2週間の傷害を負わせて逃走、8.1に逮捕された。熱狂的ファンで、これまでもたびたびやって来ていたが、家族がドアチェーンをしたまま応対することに腹を立て、10日前に包丁を買って復讐にきたもの。「入れてくれないのが悔しくて。後のことは何も考えなかった」と自供。

昭和42年(1967).10.12〔17歳が園まりと心中する練習のため殺人と通り魔〕
 埼玉県南埼玉郡の食品店で、工員(17)が顔なじみの主人(29)を刺殺。鉄棒で妻(27)を殴打して3週間のケガを負わせた。6.4には路上で女子工員(20)を鉄棒で殴りつけ3ヶ月の重傷を負わせていた。
 福岡県糸島郡の農家の末っ子で、中卒後は埼玉の工場でまじめに働いていたが、園まり(23)のファンになってから性格が一変。他のファンに負けじと借金をしてまでがんばっていたが、次第に「独り占めにしたい。その為には殺すしかない」と思い詰め、度胸をつける練習のため一連の犯行を犯したもの。

昭和48年(1973).10.7〔16歳ら5人が長嶋茂雄誘拐計画〕
 神奈川県川崎市の社員寮に住む少年工員(16,18)と工員(22,24,25)の5人組が、長嶋茂雄選手(37)の誘拐計画を立てて逮捕された。「どうせやるなら世間をあっと言わせてやろう」と天地真理(21)を狙ったが所在が判らないため長嶋に変更、車に追突して出てきた長島選手をナイフで脅して家族を縛って現金を奪う計画で実行したが車を見失って失敗。19歳が弱気になって警察に届けたもの。主犯の24歳は去年に大阪の金物屋に日本刀で強盗に入り40万円を強奪していた。

昭和58年(1983).3.28〔19歳が松田聖子を殴る〕
 沖縄県沖縄市の体育館で、少年(19)がコンサート中のステージに上がって松田聖子(21)の頭を金属棒で数回殴って軽い打撲傷を与え、取り押さえられた。彼女の大ファンで、事件を放送して有名になりたいと自供。高校卒業後からノイローゼで精神病院に入院しており、外出許可を取って埼玉県入間市から来ていた。

昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(44)、母親(40)、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを頼まれて朝4時にやって来たが、中2生が祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、目を覚ました父親にバットを取り上げられると包丁で、父親37回、母親72回、祖母56回めった刺しにしたもの。別の友人に犯行を打ち明けて死体を見せ、この友人が教師に告げて警察に通報され逮捕された。
 サッカー部に所属し、礼儀正しく明るい性格で人気者だったので周囲は皆驚くが、数ヶ月前から友達数人には親を殺すと話していた。また、大ファンだった南野陽子をレイプして自殺するが、迷惑を掛けるので先に家族を殺すと1週間前に打ち明けており、南野陽子のスケジュールを調べて7.8をその決行日と決めていた。初等少年院に長期収容となった。






世界のすべてを知りたい人は、管賀江留郎『正しい心』を読みましょう

正しい心久しく以前から予告しておりました<浜松事件>と<二俣事件>、そして山崎兵八刑事の生き様を描く本を、『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』というタイトルでようやく出版する運びとなりました。

原型となる雑誌記事を書いてから、じつに8年の歳月が経過しております。その間、人としての営みのことごとくを放棄させられ、この一冊だけに全身全霊を吸い取られてうつろな脱穀になってしまうということになってしまいました。
なにゆえこんなに時間が掛ってしまったのかは、詳しい内容説明の入った序章を下に丸ごとアップしましたので、一読すればお判りいただけるでしょう。

良識ある諸姉諸兄に於かれましては、大風呂敷を広げたこの序章だけでも呆れ果てることでありましょうが、なあに大丈夫だいじょうぶ。本論はこれの数百倍とんでもないことになっていて、みなさんひっくり返ることになりますから。
私は犯罪だの殺人だのにはまったく興味がなく、同じく犯罪や殺人に興味のない方々にこそ読んでいただきたいと思っています。
当方としましては世界のすべてを解き明した総合知の本であると考えておりまして、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』なんかを面白く読んだ方に手に取っていただければ。
ただ、ジャレド本よりは拡げる風呂敷が大きいうえに、我々ひとりひとりの心の中と取り巻く環境、さらには生死にも直結する、遥かに切実なる問いを追及しております。

参考文献リストを除いても、じつに524ページ。定価2500円+消費税。
お値段と分厚さは通常の本の二倍。しかしながら、とても通常とは云えない本10冊分以上の内容をぶち込んで濃縮しております。
つまり、お金も時間も大幅に節約しつつ、歴史や人間の心の成り立ちを余すとこなく識ることができ、居ながらにして世界のすべてを手に入れることができてしまうという、まことに現代社会にふさわしい経済的でお得な一冊です。
じつのところ、帯の惹句には、「ニーチェもカントもプラトンも超えた!」くらいの文言は入れたかったのですが、担当編集にそれだけは勘弁してくれと懇願されましたので、今日はこのくらいにしといたるわという感じです。
こんなにも煽ってしまって大丈夫かいなと心配する方は、とりあえず、以下の序章を最後までご笑覧いただければ幸いです。

    
  道徳感情はなぜ人を誤らせるのか
  冤罪、虐殺、正しい心
管賀江留郎     

  序 捻転迷宮の入口

 シャーロック・ホームズの物語を読んで、かの有名な探偵が天才であることを否定する者はいないだろう。では、ホームズの天才的な能力とは、いったいなんなのだろうか?
 突拍子もない切り口から真相に迫る彼の推理の冴えに驚き、常人にはまねのできないアクロバチックな論理の展開を見せる思考能力に天才性を感ずる読者もいるかもしれない。しかし、その物語をよくよく読んでみれば、名探偵ホームズは精密な観察により、目の前の現実をただありのまま受け止めているに過ぎないことに気づかされるはずである。ワトソンを初めとする他の登場人物や読者たちも彼と同じ物を目にしているはずなのだが、何故だか目の前の現実をありのままに見ることができない。この能力の差こそが、凡人と天才とを分けている決定的な違いなのである。
 シャーロック・ホームズは架空の人物であって物語世界を創造した作者の分身なのだから、真実を、手品のタネをあらかじめ知っていて、何も知らないワトソンや読者を驚かしているだけだと仰る方もいるに違いない。ではそれならば、現実にいるホームズではどうだろうか。
 名探偵シャーロック・ホームズが我々の生きているこの現実世界に存在する? 驚くべきことに、ホームズとまったく同じ天才的能力を持った犯罪分析官が、この日本でかつて実際に大活躍していたのである。どういうわけだか、いまでは完全に忘れ去られてしまっているのだが。
 この実在した天才分析官と、彼の分析をどうしても呑み込めなかった捜査官たちとの対比により、アクロバチックな論理の展開を見せる思考能力を発揮するのはじつは凡人の側であって、そのために目の前の現実がありのままに見えなくなってしまうことが証明されるのだ。論理の飛躍を排し、ただ目の前の現実をありのままに受け止めているだけのホームズが、とてつもない天才に見える理由がここにある。
 なにゆえに、こんなことが起きてしまうのだろうか。忘れ去られた天才分析官は、この本の主役のひとりに過ぎない。幾人もの主役たちの姿を追うにつれ、その根源が自ずと明らかとなっていくはずである。
 いや、凡人が間違っていることを示そうというのではない。極めて稀な天才の出現は隕石の直撃の如きたんなる偶発的な事故に過ぎないが、多数派である凡人の能力には、そうでなければならない必然があるのだ。目の前の現実をありのままに受け止められない凡人が正しく、天才のほうが人間として間違っているのである。この人間の本性こそが、ときに恐ろしい結果を招いてしまうことにもなるのだが。

 探偵が現実をありのまま見ることに失敗すれば、犯人を取り逃してしまうだろう。それだけならまだしも、無実の人間を犯人として捕まえてしまう可能性も出てくることになる。ここに冤罪が発生する根本原理がある。
 冤罪とは、人間が自分を取り囲む現実世界をどのように認識しているかをそのまま炙り出す問題なのである。だからこそ、これは殺人や冤罪について書かれた本ではあるのだが、嫌でもそこから大きくはみ出すことになってしまうのだ。
 人間の認識の歪みが引き起こす悲劇。さらには、その歪みを引き起こす人間の正しい心を解き明かそうとする試みである。
 また、そのどうしようもなく正しい心を、なんとかして克服する道を探し求めた人々の記録ともなっている。我々ひとりひとりの心の変革を迫り、その眼に映る現実世界を歪ませることなく、ありのまま見えるようにするにはどうすればよいのかという、人間の本性への途方もない挑戦をした人々がここにいるのである。

 最初から、そんな大それた目論見があったわけではない。17歳の少年が九人を次々と殺害、四人に瀕死の重傷を負わせ二人を軽傷とした<浜松事件>。そもそもは、この事件解明への取り組みからはじまったのだった。
 戦時中に一年と二ヶ月にも渡って浜松周辺を未曽有の恐慌に陥れた<浜松事件>は、間違いなく史上最大の少年犯罪である。成人の犯行を含めても<津山三十人殺し>に次ぐ、いや、発生と同時に解決した<津山事件>とは比べものにならぬ、遥かに深刻なる歴史上の重大変事のはずであった。
 にも関わらず、これまでまとまった記事が書かれたことはほとんどなく、短い記述も間違いが多い。そのため、七〇年以上も誰ひとりとして全貌を掴むことがなかった<浜松事件>解明には相当な困難が予想された。しかし、そこに付随するもうひとつの変事がここまで捨て置かれているとは想いも寄らなかったのである。
 あれほど人々の耳目を集め戦後を騒がした事件であったのに。これまで繰り返し繰り返し綴られてきたにも関わらず。
 それは、<浜松事件>に関わった刑事のその後を描写するために挿入する、ひとつのエピソードに過ぎないはずだったのだが。

 <浜松事件>という戦前最大の難事件。連続無差別大量殺人ゆえに次は自分が標的になるのではないかと地元の人々が心安まることもなく、恐怖の余りの発狂者まで出した死の順番待ちを見事に断ち切った名捜査官として全国にその名が響き渡った紅林麻雄刑事。彼はまた戦後になって、<幸浦事件><二俣事件><小島事件>という悪名高き冤罪事件を立て続けに引き起こした人物としても知られている。
 彼の部下の手になる<島田事件><丸正事件>、さらにその後も続く<袴田事件>など、静岡県で異様に多い冤罪事件の、紅林刑事こそは元凶であるとも云われている。そのいくつかは再審請求が通ることなく、<拷問王>と呼ばれる彼の残したあまりに大きな過ちは、現在に至ってもまだ解決を見ていないのである。
 後日譚として軽く触れておかねばならぬだろうと少しばかり調べているうちに、<二俣事件>について半世紀近くも経てから関係者の衝撃の告白があり、しかもそれが誰ひとりとして取り上げずに見逃されていることを知って驚愕、<浜松事件>探求はいったん打切り急遽大きく舵を切ることとなったのであった。

 紅林刑事が引き起こした<二俣事件>。彼に立ち向かい我が身を捨て、それだけでは足らずに妻も子も不幸のどん底に叩き落とし、しかしそれでも縁もゆかりもない少年を死刑から救おうとしたもうひとりの刑事がいた。無実は証明され、死刑寸前で少年は確かに救われた。ここまでの経緯は幾冊もの本に書かれ、すでに読み知っている方もおられることだろう。
 だが、刑事は、いやとっくに警察を追放された山崎兵八元刑事は、その後のあまりに過酷なる仕打ちから生じた妄執に生涯苛まれることになったのである。そんな彼が渾身の力を振り絞って刻んだ著作。そこに<二俣事件>の核心を暴かんとする記述を遺したのだった。
 ところが、思わぬ顛末から手に取った一冊の本に導かれ、我知らず足を踏み入れていくうち、そんな衝撃の告白さえ霞んでしまうが如き特異なる人々の織りなす迷宮が忽然と立ち顕われ、深みに引きずり込まれてしまったのである。そして、その果てに垣間見えたのは、口を広げて暗く深遠なる淵を覗かせている恐るべき歴史の裏面であったのだ。
 ここにあるのは、昭和史の裏に隠されていた謎を、七〇年目にして初めて解き明かそうという試みでもある。人間の世界認識の歪みは、個々の事件だけではなく、歴史の奔流をも突き動かしていたのだ。山崎兵八という類い希なる人物の執念に絡め獲られ、読者諸氏も否応なくその錯綜を極めた迷宮に迷い込んでいただくこととなるのである。

 <浜松事件>と<二俣事件>。このふたつの事件に関わったのは紅林刑事ばかりでない。<浜松事件>で怪物刑事の誕生の瞬間に立ち会い、一生を懸けて対決するもうひとりの元刑事がそこにはいたのだ。この老探偵、南部清松が残した記録によって<浜松事件>と紅林刑事の解明は完全なものとなった。山崎氏に惹かれて<二俣事件>を経由しなければ南部探偵との邂逅もなく、謎は永遠に閉ざされたままだっただろう。
 そこで明らかとされたのは、紅林刑事に授けられし検事総長賞の決定的な影響力なのである。これがなければ、そもそも紅林刑事は警察に残ることさえできず、戦後の冤罪事件もなかったというのだ。
 帝国憲法を巡って、戦時中の東條英機首相と真っ向対立した松阪広政検事総長。彼が史上初の検事総長賞を<浜松事件>解決の功労者、紅林刑事に授与してその名を全国に高らしめたことが、捻れた作用によって思いも掛けぬ災厄を生むこととなる。また、その表彰こそは、内務省と司法省(現在の法務省)、そして憲兵隊による激烈な主導権争いの、奇妙なる落とし児でもあったのだ。紅林刑事の跡を追ってゆくと、日本を支配した<官庁の中の官庁>内務省や戦時体制の、それまで明かされることのなかった真の実態が浮かび上がってしまったのである。
 この省庁生き残りを賭けた闘争の一環として、日本初、いやおそらくは世界初のプロファイラー、内務省の吉川澄一技師も<浜松事件>に投入されることとなる。神業的な犯罪分析を展開して戦前の難事件を次々と解決したこの天才分析官は、<浜松事件>でも驚くほど的確なプロファイリングを披露しながら、なにゆえ解決には失敗したのか? それこそは、冤罪発生の根本原因ともなる人間の<認知バイアス>の恐ろしさを指し示してくれるのだ。
 彼とともに<浜松事件>に加わる、もう一方の犯罪捜査の権威がいた。小説や映画のモデルともなった社交界の花形、同時に数多くの難事件にも関わりマスコミを賑わせ続けた法医学者小宮喬介博士。博士のプロファイリングとサービス精神が<浜松事件>に思わぬ波紋を広げ、巻き込まれた南部清松刑事に冤罪と闘うきっかけをも与えることになるのである。
 そして、巨額M資金詐欺疑惑で小宮博士が学界を追われ、吉川技師という犯罪捜査の切り札をも同時に失ない変質した戦後警察の元、<二俣事件>など数々の冤罪事件が続発することになる。国家警察と自治体警察に分かれていた時代だからこそ冤罪が多発したというこれまでの単純なる図式的定説を、この戦後警察システムのプロファイリングによって根底から覆すことになる。これも内務省と他省庁との対立が生んだ、歴史を故意に歪ませる目眩ましの神話に過ぎなかったのだ。
 また、犯罪捜査の権威ふたりが去った空隙を埋めて、古畑種基博士という新たなる権威が君臨、<ベイズ確率>など最新の科学を駆使して冤罪被害を増幅させていったのだった。しかし、古畑博士の<二俣事件>への意外な関わりを見れば、権力に迎合して法医学鑑定結果を曲げたなどという見方も浅はかなる図式的理解であり、真実は捻れて遥かに恐ろしい処にあることが知れるのである。
 さらに、安保条約を強行採決し憲法改正をも目指す衆議院議長という権力中枢の座にありながら、<二俣事件>を無罪に導くことで、もうひとつの図式的理解を覆してくれる清瀬一郎弁護士。彼こそは青年将校たちの<昭和維新運動>や近衛文麿の<新体制運動>に加わり、帝国憲法改正をも目指したその戦前の政治姿勢から、<認知バイアス>のもう一方の恐ろしさを垣間見せてくれるのだった。それは、<認知バイアス>とともに冤罪の原因ともなるもうひとつの人間の本性にも密接に関わってくるのである。また、この清瀬との関係から、紅林刑事が戦後体制や憲法に奇妙な、そして極めて大きい影響を与えていた可能性も見えてくることとなる。
 同じく、<二俣事件>を無罪へと導いた最高裁判事たち。<司法権独立>死守の生け贄として冤罪により辞職寸前まで追い詰められた彼ら裁判官の姿によって、<司法権独立>を巧みに利用しようとした司法省の手練手管が浮き彫りとなる。その司法省の暗躍が、<浜松事件>と<二俣事件>に思わぬ連鎖から、しかし決して見逃せぬ一撃を加えたのであった。結果的に、彼ら最高裁判事たちが史上唯一の正しい訓練を受けることとなったため<認知バイアス>を克服、目の前の現実がありのまま見えるようになってしまったのだ。

 <浜松事件>と<二俣事件>、誰にも望まれぬまま時代の脇腹に打ち込まれた二本の捻れたこの楔。同時に引き抜こうとするや、絲が絡み合ったまま根刮ぎ手繰り寄せられ、このふたつの事件を軸に図らずも昭和史のすべてが読み解けるようになったのである。いや、それまで図式的理解という<認知バイアス>により、歴史がいかに歪まされて見えていたのかに気づかされるのである。
 それらすべての中心に位置した紅林麻雄刑事。彼が<浜松事件>で果たした驚くべき役割とはいったい何だったのか? そして、彼を巡って天を摩しそそり立った虚像と、彼への意想外な反応から、<認知バイアス>よりも遥かに厄介で、冤罪の元凶となりうるのが、ほかでもない、人間の<道徳感情>そのものであることを思い知らされることになるのだ。
 <道徳感情>は、たかだか一万年ほどの文明が、宗教や教育によって人々に身に着けさせた薄くて軽い布切れではない。数百万年に渡る進化が骨の髄に刻みつけた、拭うに拭えない人間の本性なのである。これがなければ、人類は宗教の発生する遙か以前に絶滅していたであろう、生存のための第一原理なのである。最新の進化生物学は<道徳感情>の成り立ちを完全に解き明しており、逆に本書の冤罪発生原因の分析でこの進化心理学の正しさを裏付けることになる。
 そこから、冤罪とは、取調べの可視化など、警察や裁判システムの小手先の変革だけでは克服し得ない、人間の本質と絡み合った問題であることも明らかとなるのだ。
 それだけではない。十五人を次々と殺傷した<浜松事件>の少年の動機も、驚くべきことに<道徳感情>から起因しているのだった。道徳や感情が欠落しているはずの<サイコパス>の恐るべき連続殺人が、<道徳感情>とどのように結びついているというのか。はたまた、正常なはずの人間が<サイコパス>的思考に陥ることにより、冤罪を発生させ、また清瀬一郎が関わったような国家を崩壊させる歴史上の悲劇を引き起こすのも、この<道徳感情>と<認知バイアス>の組み合わせから発している。その人間の心の成り立ちを説くことになる。
 その上で、ここまで身に絡みついた本性を脱する困難を極める唯一の道筋が、二五〇年前にすでに提示されていたことも再発見させられることとなるのである。

 しかしまた、そのような巨大なる歴史や組織、人間の本性さえも凌駕してしまうかの如くの瞠目すべき個人もいるのだった。
 為す術もなく運命の奔流へと填り込んでいくに任せるだけではなく、たとえ敗れはしても一生を懸けてあらがい続け、時代に爪痕を遺さんとする執念の人がいたことを、これからこの迷宮を経巡る読者諸氏は知ることとなるであろう。




さてさて、ご興味を抱かれた方は、『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』で、続きを読んでいただければ。
帯の惹句には「21世紀の道徳感情論!」と謳い、さらにあとがきでは、「冤罪や殺人だけではなく、大恐慌や戦争、テロや革命に至る人間の歴史を動かす原理がじつは<道徳感情>であるなどという、その悲劇の克服法までをも含めた人間の本性についての壮大なる統一理論を展開する羽目になってしまいました」なんてなことも書いておりますが、実際にはその範囲さえ大きく超えた内容となっております。
表紙はラファエロ「堕天使を駆逐する聖ミカエル」。なにゆえこの絵を配したのか、最後まで読んでいただければその意味をお判りいただけることもあるでしょう。


※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。ぜひ、こちらでお聴きください。







フーリガンが新宿で通行人女性の下着を引き裂く

W杯恒例の渋谷の騒ぎで、痴漢が出たそうで、この早慶戦の記事を出してくる人がいるかと思ったんですが、どうも誰も出してないようなので、しょうがないからアップしておきます。
被害者の名前は書き替えてます。

〔新宿もみくちゃ 早大優勝、通行人にも被害〕 読売新聞 昭和30年11月8日
 
(前略)
○この夜新宿に流れ込んだ学生はおよそ八千人(淀橋、四谷署調べ)これに先輩だとか一般人が加わって総人出は一万数千人となり、表通りは一面スクラムの波。ラッパを吹き、躍ったり、歌ったりで武蔵野館一体の交通はオールストップ。スクラムに踏みつけられて病院に担ぎ込まれた学生も二、三人いた。
○売り出し中の街の飾りつけも被害続出で映画館の広告板ははぎ取られてプラカードに早変わりし、ビヤホールは百数十個のジョッキが姿を消した。
淀橋、四谷両署に同夜十二時までに届けられた被害は、店員A子さん(19)が武蔵野館前でスクラムにまきこまれコートをはがされ、下着をさかれ、ハンドバッグとクツを奪われたほか店員B子さん(24)がサイフ、定期券、サラリーマン氏が腕時計一個など計三十件に達した。


昭和三十年代の早慶戦での街中の騒ぎは、石原慎太郎原作の太陽族映画『処刑の部屋』なんかでも実際の映像を見ることができますが、まさしくスクラムの波で、なかなか凄いものがあります。
巻き込まれたら最後です。下着を破かれるんですから、乳を揉まれるどころではありません。
この日の読売夕刊に載った〔優勝祝の行過ぎ〕という記事の淀橋署長談話によりますと、この三十件は若い女性に対するものが多く、
「女性をスクラムにまきこんで持物を奪い、イタズラして体に傷をつけたり、着物を破ったりした」
と、傷も負わしています。
まあ、大勢で揉みくちゃにして下着を引き裂いたりすれば、当然、傷もつくでしょう。
あくまで、警察に届けがあった分だけでこれです。
ところが、検挙はできなかったので、次回の早慶戦からはちゃんと取り締まると、淀橋署長はなかなか呑気なことを仰ってます。
ちなみに、淀橋署はいまの新宿署です。
これまではこんな具合だったそうで。
「早慶戦当夜の新宿では学生の無礼講が伝統となっており、警察も形だけの警戒ですませるのが例になっていた」

しかし、この年の前回の早慶戦でもこんな具合でした。
〔早慶戦の興奮 新宿に押し出す〕 読売新聞 昭和30年6月14日
 
(前略)
十時を過ぎるころには新宿駅東口交番は「足をひっかけられて歩けない」と泣きこむおっさん。「これを見てくれ」とビリビリに裂かれた女給のスカートを持ってがなりこむキャバレーのマスター。「ジョッキを片端から持って行かれる」とお巡りさんを引っ張り出しにくるビヤホールのバーテンなどなどで大にぎわい。
このさわぎで武蔵野館は一足先にヨロイ戸をおろして最終回の上演を中止、せっかくのお客をフイにしたが"これも年中行事"となかばあきらめ顔だった。


どうも、早慶野球サポーターの皆さんは、女性の服を破ったりするのが好きだったみたいです。
昔の女学生は逞しかったですから、被害に遭うだけではなく、こういうこともやってたんですが。
「そのなかには気負い立った女子学生の姿もチラホラみえ、男にまじってタクシーをとりかこんで胴上げにせんばかりの勢い」
この記事には、タクシーを引っ繰り返そうとしているような写真も載ってます。
これには非難する投書なんかも新聞に載りましたけど、まだまだ擁護する意見が多くを占めてました。

〔夜の早慶戦を大目に〕 読売新聞 昭和30年6月18日 著作家 権田権太郎

私もかつて銀座へ押しだした一人なのであの気持ちはよくわかる。十余年後の今日までも楽しい思い出として残っている。ガラス窓をこわしたり、スカートを破ったのはまことに遺憾であるが、昔とくらべておとなしいものだ、と当局も言っている通り、全体的にみてさしたる実害もないのではないかと思う。
縁もゆかりもない第三者の方から見ればずいぶん得て勝ってな言いぐさと受け取られようが、やれ汚職だ、ヒロポンだというような今の世に、若い血をもて余している学生たちに、せめて年に二回のあの程度のバカ騒ぎは大目に見過ごしてやっていただきたい。


警察も「昔とくらべておとなしいものだ」と云うくらいで、戦前はもっと激しく暴れてたのでした。
朝日新聞昭和8年10月23日〔夜の銀座脅す 校歌合戦から衝突へ〕 なんかを読むと、早慶戦の夜に銀座で暴れて路面電車や自動車を留めてしまって、制止しようとした警官隊を袋叩きにしています。別の記事では、酒屋を大勢で襲って、酒を大量に略奪したりしてます。
早慶ばかりではなく、一高(東大)と三高(京大)の対抗戦では、毎回街中で何百人が乱闘するのが恒例になって、刃物を振り回して相手を斬ったりなんかしてたことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第16章「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」に詳しく書いてますので、読んでいただければ。
年に数回しかないこういう試合のときだけではなく、旧制高校生は毎晩街中で暴れて、商店の窓ガラスを割って廻ったり、交差点の真ん中で歌って踊って、路面電車を長時間留めたりしていたのですけどね。
たいていは黙認で、たまに逮捕されたりしても説教だけですぐに帰され、戦前は若い者に寛大でした。

一時期、ツイッターで莫迦ないたずらを披露して炎上したりするのを、底辺の生態が表面化したものだと云ってる人が多くてどうかと思ったのですが、本来こういう無茶苦茶はエリートがやるのが日本の伝統なのでした。
戦前だとか、昭和三十年代とかを懐かしんで、その精神を取り戻そうと主張している方は、まずこういう騒ぎを自ら率先して起すか、あるいはそういう若いもんを温かく見護って、どんどんやれと焚き付けるべきでしょう。
それが、当時の正しい大人のあり方でした。
古き良き精神を忘れて、大らかなる心を失った輩が増えたのは、まことにけしからんことであります。

また、こういう過去の記録を参照する方がまったくいないのはどうしたもんでしょうか。
文明の基礎は情報の蓄積にあるんですが、過去の情報を踏まえずにそのつど目の前で起る事象に適当な感想を吐くだけでは動物と同じで、これでは文明の一員とはとても云えません。
ちょっと前までは、新聞を調べるのはなかなか大変で私のような物好きしかできないようなことでしたが、いまではどこの図書館でも全国紙の検索は簡単にできるようになってますから、みなさんも文明の担い手のひとりになって、いろいろと情報を蓄積していただければ。
地方紙も読めば、もっと面白い記事が見つかりますので。




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少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか
 冤罪、虐殺、正しい心』


冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
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戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
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