2012年01月19日

二俣事件の真犯人について

今日放送された「奇跡体験!アンビリバボー」の山崎兵八氏の話は、私が3年前に『実録 この殺人はすごい!』(洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)に書いた「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」という記事を参考にして、番組スタッフが独自に取材したもので、私はまったく関与していないのですが、一点だけどうしても見過ごせない部分があったので指摘しておきます。

山崎氏の本で二俣事件の真犯人ではないかとされている男について、スタジオでは何を勘違いしたのか「隣の人」という表現をされていましたが、この人物は隣に住んでいたわけではないので、この点はくれぐれも間違えないようにお願いいたします。実際に隣に住んでいた方に多大なる迷惑が掛りますので。
VTRのほうにはそのような表現はありましたかね。

なお、山崎氏の本『現場刑事の告発 二俣事件の真相』はこの人物について名指しされているだけではなく、被害者のプライバシーに関することも詳細に書かれていて、そのまま出版するのは絶対に無理です。
どこかで手に入れて読む機会のある方は、その点を考慮いただいて、被害者のことなどいたずらに流布したりすることはなきようにお願いいたします。

そもそも、この名指しされた人物が真犯人である可能性はかなり低いと、私は見ています。その理由は多少込み入った話になるので、いま準備している二俣事件とその元凶になった浜松9人連続殺人事件についての本に書くつもりです。
この本を準備していたときにまったく偶然にテレビで取り上げたいという話があったので、本が出るまでは協力したくないという利己的な態度を取ったのでした。間に合うかと思ってましたが、間に合いませんでしたな。
真犯人が誰かなんてことよりも、山崎氏の執念と生き様だけを感じ取っていただければと思います。

『戦前の少年犯罪』の続編はこの本が出たあとということになってしまいます。関係各位には長年に渡る不義理をいたしましてまことに恐縮です。もうすぐではあります。たぶん…。この続編のほうは、私の能力を遥かに超えたとんでもないことをやらかすつもりで、難航しております。
これだけに四年も掛けているうちに、矢尽き刀折れ、兵糧も途絶えて餓死が目前に迫ってきたので、やむなく他の本を先に出そうとして、これまた雑誌に書いた記事をまとめるだけだからすぐだと思っていたら掘れば掘るほど驚くべき事実が次々顕れて収拾がつかなくなるという泥沼の現状であります。  
Posted by 管賀江留郎 at 22:19Comments(14)TrackBack(0)雑記

2010年12月04日

就職は大恐慌時より今のほうが厳しいのです

昭和初期の映像がちょっと話題になっていたようです。
映像は結構なものですが、最近つけたとおぼしいナレーションで、大恐慌時は「大学卒業生の9割が就職口を得ることができなかった」なんて出鱈目を云ってるのはまことに困ったものですな。



文部省の統計によりますと、世界大恐慌に直撃された昭和5年(1930)の大卒就職率は前年より5.3%下がって55.8%。就職氷河期だった平成15年は大卒55.1%ですから、それより良かったのです。
しかも翌年の満州事変により始まった軍需景気と満州景気、高橋是清の見事なデフレ対策で大恐慌からいち早く脱して就職率もすぐに上向きとなり、昭和10年には69.5%まで回復しています。
一番底だった昭和5年に大卒で進学する人と兵役に就く人は合わせて10.5%。統計では一緒になってますのでそれぞれの数値は判りませんが、平成15年の大学院への進学率は大卒の11%ですから、就職からの待避率も同じようなもんですね。
疑問を持つ方もいるやもしれませんから一応云っておきますと、大卒に限らず日本の徴兵率は昭和19年以降の短期間を除いて極めて低くて、国民皆兵というのはまったくの嘘ですから。
つまり、平成15年やそれよりも大変だと云われている現在の就職氷河期は、昭和初期の大恐慌時よりも厳しいのです。ここを決して間違ってはなりません。現在の問題を見る上での、これがもっとも重要な前提です。

私が戦前の就職率の典拠としているのは、文部省が昭和32年に出した『大学と就職』で、さらにその大元は戦前も毎年出していた『文部省年報』掲載のデータですが、『大学と就職』はたんに統計をまとめただけではなく、将来予測も含めてかなり多角的な分析をしていて、就職率の推移を考察するには必読の書です。

竹内洋さんのように、戦前の就職率に関しては、内務省の中央職業紹介事務局調査による『知識階級就職に関する資料』の統計を利用する人が多いように思いますが、昭和10年以前は大卒と高等専門学校卒が一緒くたになってるうえに、各学校に調査表を送って返ってきたものを集計してるだけなのに、一番の基準となる卒業生数が文部省の就職率統計よりも何割も少なくて、どうも回収率が悪いので、このデータを使うのはいかがなものかと私は思います。
中央職業紹介事務局は昭和13年に内務省から分離された厚生省に移り、文部省とは違った観点からの調査ではあるものの、独自に動いた調査ならともかく、こんな学校任せの調査方法なら素直に文部省からデータをもらってくればいいようなもんで、縄張り争いでもあったのでしょうか。
いずれにせよ、文部省管轄である学校からの受け身の報告で文部省に敵うわけがありませんし、何よりも現在の就職率は文部科学省の統計なんですから、比較するなら文部省のものが自然でしょう。

戦前の超エリートだった大卒といまの大卒を比べるのはいかがなものかというようなご意見もあろうかと思いますので、高等専門学校卒も合わせて提示しておきます。
ご覧のように大卒よりもずっとよかったのです。昭和7年以降落ちてるのは、『大学と就職』によりますと、それまで官立(国立)専門学校のデータだけだったのが、その年から公私立の数字が加わったためだそうです。
さらに低学歴の実業学校卒はこれよりもっと就職率は高くて、大卒だけでも現代よりマシなのに、全部まとめるといまの若者は大恐慌時の若者よりも何倍も大変な時代を生きてるわけです。五・一五事件や二・二六事件、帝大生らが宗教リーダーの指示で財界トップを暗殺した血盟団事件なんかがよく起きないもんです。





















 大学卒 高等専門学校卒
卒業年次 就職率進学と兵役就職未定と不詳 就職率進学と兵役就職未定と不詳
1926昭和157.19.233.8 73.413.912.7
1927昭和258.710.930.4 77.710.212.1
1928昭和362.110.227.7 75.412.212.4
1929昭和461.111.027.9 77.512.110.4
1930昭和555.810.533.7 71.912.915.2
1931昭和656.411.332.3 70.111.118.8
1932昭和758.010.331.7 57.912.529.6
1933昭和859.79.930.4 66.511.921.6
1934昭和963.68.128.3 64.012.123.9
1935昭和1069.59.820.7 63.314.122.6
1936昭和1170.810.418.8 61.015.423.6
1937昭和1272.012.615.4 63.416.620.0
1938昭和1374.113.912.0 66.221.012.8
1939昭和1475.816.87.4 63.822.713.5
1940昭和1575.916.57.6 63.923.113.0
1941昭和1677.115.67.3 66.724.88.5
1942昭和1765.523.311.2 61.627.211.2
1943昭和1870.719.49.9 65.116.818.1


一番高学歴である大卒の就職率が特に下がったのは、第一次世界大戦による好景気で大卒就職率が80%を越えたような大正バブル期に、大学や旧制高校が増設され、不況になった昭和の初めに大学を卒業したので大卒数が一挙に増え、団塊ジュニアが大学を出た頃にちょうど不況とぶつかったのと同じ事態が起きたからでした。
小津安二郎監督の『大学は出たけれど』の公開は昭和4年(1929)ですが、こういう時代背景です。

戦後にもちょっと似た状況があり、新制大学一期生が卒業した昭和28年には大卒が前年の二倍に増え、朝鮮戦争特需の終了と重なって就職難だと大騒ぎしていたのですが、昭和28年79.8%、29年80.3%。昭和29年の金融引き締めによる<吉田デフレ>から人為的に引き起こされた不況で、昭和30年の就職率は大幅低下で大変だ! と新聞はこの世の終わりのような論調だったのですが、それでも大卒73.9%なのです。あれだけ浮かれてたバブル期でさえ80%以下がほとんどで、一番就職が良かった1991年は81.3%なんですが。
その後の高度成長で、昭和30年代後半はバブル期よりも高い大卒85%以上、中卒でさえ<金の卵>と呼ばれて服やカバンをプレゼントして青田買いするなんて超売り手市場となったために、直前の世代は自分たちがものすごく悲惨な就職難に遭ったと勘違いしてるのですが、いまと比べると天国のような状態だったのです。
過去の就職難というのはこの高度成長直前と大恐慌時のことが語られるわけですが、漠然としたイメージによる歪んだ記憶でいまより酷かったと思い込んでいるだけで、こうやってデータを元に俯瞰で見ると実際にはいまが一番大変なわけです。

小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』なんて本を読んでいましたら、大島渚が卒業した昭和29年の京大卒業者の就職率が驚くほど低くて法学部でさえ55%、文学部に至っては13.7%だったという大島渚の本の記述を元にして、当時の若者は大変だったなんて話が出てきて呆れ果てました。
大島渚が典拠としているのは『京都大学新聞』(当時のタイトルは『学園新聞』)昭和29年1月25日の記事でその時点での集計の話です。3月22日には〔各学部とも意外と好調〕なんて記事があって、世間の就職難予想の論調に反して就職戦線絶好調だった様子が判ります。
文学部は自治体の予算の都合で採用決定が遅い教員志望が多いのでこの時点でさえ最終的な就職率が判明しておらず、1月の集計に何の意味もありません。1月25日の記事でも文学部は3月下旬までがヤマだと記されているので、大島渚も記事をまともに読まずに適当なことを書いてるわけです。
翌年4月25日の記事によると、デフレ不況で前年よりも遥かに厳しくなった昭和30年京大卒業者は、就職を諦めて大学院進学や留年に切り替えた者がいるもののほぼ全員の行き先が決まって「完全なルンペンは極少ないと(京大)厚生課では見ている」ということなので、昭和29年はまず好調でしょう。
大島渚が同期の文学部卒業者として名前を出してる小松左京のように、共産党員の籍が残ってたために就職に苦労した人はいますが、共産党が武装闘争路線を放棄する前のテロ組織だった時代なんですからそれは当然です。
だいたい、文部省統計を見れば上記のように昭和29年大卒就職率80.3%とバブル最盛期並みだったことはすぐに判ることなのに、こういう最も基本的な時代背景さえ理解できていない人が、なんの裏も取らずに適当に本から孫引きするだけで本というのは書かれていて、なんのチェックも受けないままに出版されているのです。
それをまたなんの検証もせずにそのまま読んで鵜呑みにする読者がいて、読書なんて害毒しかありません。文学部13.7%の数字を得意気に出している学者なんかもおりました。少なくとも、学者には本を読むことを禁止したほうがいいんではないかと私は真剣に思います。本を元に書かれた本なぞ、まったくの無意味無価値です。
ちなみに、『京大新聞』の記事では文学部17%なんですが、『〈民主〉と〈愛国〉』は大島渚の写し間違いをそのまま裏を取らずに孫引きしてるのです。どっちの数字にせよ、戦後史の基本を理解していたら、すぐにおかしいと気づくはずのことなんですが。
中小企業を嫌って大卒エリートに相応しい大企業ばかりを希望していたからこんなに就職率が低かったと大島渚の本にもちゃんと書かれているのに、『〈民主〉と〈愛国〉』ではそれを隠して当時の若者は困難に見舞われてたなんてことになるんですから、孫引きのうえに都合のいい部分だけのつまみ食いでまったくたちが悪い。
『京大新聞』の記事でも学生は中小企業をまるっきり相手にしてなかったことが判ります。それでもバブル並みの好調だったのです。小松左京なんかも大手新聞社だけを受けてたから「苦労」したわけで。高度成長期とのギャップでイメージが歪んでいる人の本を孫引きしても何も判りません。
大島渚も当時大人気の一流企業である松竹に就職してるわけで、バブル期にテレビ局に就職したバブリー親爺が「オレたちも就職では苦労したんだよねー」と云ってるようなもんです。
京大の昭和29年の学部別就職率は京大には資料があるでしょうから、どなたかまとめておいていただければ。

高度成長期前のバーチャル就職難とは違い大恐慌時はいまよりマシだとは云え、やはり困難な時代で、しかしノンキに遊んでいた若者も一杯いたわけで、そのあたりのことは拙著『戦前の少年犯罪』を読んでいただければ。

ところで、『文部省年報』は昭和12年以前の大卒就職データが見当たらないのですが、『大学と就職』の統計は何を元にしてるのかお判りの方はご教示いただければ。
私はなんか見落としておりますかね。学校別の卒業のところにないですよね。

※追記 やっぱり見落としておりました。ちゃんとありました。
しかし、誰ひとりとして教えてくれんな。これだけ話題になってて、ひとりも一次資料に遡って検証してないんですかね。困ったもんだ。日本には情報の消費者しかいないんですかね。
なお、『文部省年報』の統計は卒業の翌年の3月1日現在の状況でした。卒業から1年近く後のデータですね。実際に1年後に学校に報告する卒業生はあんまりいないと思いますので、卒業後2ヶ月ほど後の5月10日現在の状況を調査してる『知識階級就職に関する資料』と時期の差による違いはあまりなく、就職率の違いはほかの問題だと思いますが。

「昔の新聞を読んで本にあなたの名を刻もう」 も、引き続きよろしく!



  
Posted by 管賀江留郎 at 22:49Comments(51)TrackBack(3)雑記

2010年11月27日

ストーカー殺人事件

今年の2月12日に取り上げていた事件が裁判員裁判で死刑判決が出たということで、その記事をしつこく三度再アップしておきます。
ここにも書いてるように、昔はこの手のストーカー殺人事件が成人も含めると毎日起きてまして、恋人や妻以外の人を巻き添えで殺す事件も毎週のように起きてました。
二人以上殺すのもざらで、しかしそれで死刑になるというのはそれほど記憶にありません。死刑になるのは強盗殺人や強姦殺人で、殺人罪だけで死刑になることは昔はあまりなかったですから。五人以上殺すような事件は死刑になってるとは思いますが。
そのあたりを確認しようと、過去の死刑情報を網羅したサイトEXECUTION1224を見ようと思ったら、いつの間にかややこしい公開の仕方になっていたのですな。ここが気軽に活用できんと困るな。とくに昔の無期懲役のリストは他にありますかね。
まあ、ここを見ても、ストーカー殺人で何人までなら無期とかはいちいち抽出しないとすぐには判らんし、無期以下ならますます判らんし、誰がまとめておいてもらえませんかね。
下のリストで掲げている
昭和46年(1971).8.2〔19歳ストーカーが一家4人殺傷〕
の自衛隊員がどのような判決になったのかご存じの方もご教示をよろしく。


宮城、2人刺殺し少女連れ逃走 18歳少年ら逮捕 2010/02/10 21:39 【共同通信】
ということで、2005年11月12日の記事を再アップしておきます。
昭和40年代くらいまで、別れ話をした恋人や結婚相手を殺す事件は、成人も含めると文字通り毎日起きてまして、何故か関係ない人を殺す事件も頻発してました。最近はめっきりなくなってしまいましたけど、いまの人は昔の人と比べて情が薄くなってしまったのでしょうか。
小田晋教授の仰るように、昔は「征服欲を満たすため、妨害するものを排除しなければいけないという考えが蔓延して」、「自己中心的な考え方を矯正されずに成長してしまった」人が多かったことも大きいのですが。
江戸時代のモテない男の無差別殺人事件も参照していただければ。


<町田女子高生殺人>同級生の男子生徒を逮捕(毎日新聞) - 11月12日3時13分
ということでストーカー殺人事件を集めてみました。
少年犯罪データベース 異常犯罪も参照してください。



※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる

昭和6年(1931).11.4〔20歳(満18〜19歳)が少女をストーカー殺人〕
 埼玉県北埼玉郡の路上で、男(20)が下校中の小学校高等2年生女子(14)を待ち伏せて、首を日本刀で斬って殺害、すぐに逮捕された。同じ村の次男で、想いを寄せていたが相手にされなかったため。小学校高等2年は現在の中2に相当。満12〜13歳。

昭和12年(1937).9.2〔20歳(満18〜19歳)ストーカーが逆恨みして傷害〕
 東京市蒲田区の牛肉屋に朝4時、向かいの鰻屋の従業員(20)が押し入り、寝ている従業員(19)を日本刀で10数回めった斬りにして3週間の傷害を負わせて放火、鰻割きで自分の首を突いて重体となって病院に運ばれた。5年前に栃木から上京して鰻屋に勤め、牛肉屋の女中(21)に片思いして脅迫していたが、女中が違う店に逃げたのを被害者のせいだと思い込んで恨んだもの。

昭和19年(1944).7.29〔中4(満16〜17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
 神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
 近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
 昭和20年9月5日に死刑が確定したが、昭和23年10月に恩赦で無期懲役に減刑された。

昭和22年(1947).3.10〔21歳(満19〜20歳)が結婚を断られ相手家族を惨殺〕
 栃木県上都賀郡で、建築金物商(50)と次男の慶応大予科生(19)が隣家の六男(21)に薪割りや刃物で殺害された。次女に結婚を申し込んだが断られ、家族からも冷たくされたのを恨んでいたもの。建築金物一家は疎開中で、東京に引っ越す前日だった。

昭和31年(1956).4.29〔18歳がストーカー殺人未遂〕
 埼玉県北足立郡の民家に深夜3時過ぎ、肉屋店員(18)が侵入し、恋人(18)とその母親を包丁とナタで切って5日間の傷害を負わせ、ナタで自分の頭を叩いて自殺を図ったが死に切れずに殺人未遂で逮捕された。結婚の約束をしていたが破談となり、たびたび押し掛けて結婚を迫っていた。

昭和32年(1957).1.13〔19歳が美空ひばりに塩酸かける〕
 東京都浅草国際劇場の舞台脇で美空ひばり(19)が「花吹雪おしどり絵巻」の出番を待っていたところ、客席から上がってきた女中(19)に突然塩酸300グラムを浴びせかけられた。左顔面、胸、背中に3週間のヤケド。
 「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど、みにくい顔にしてみたい」と書かれたメモがバックのなかにあった。

昭和32年(1957).3.1〔16歳が島倉千代子殺害計画〕
 神奈川県横須賀市の無職少年(16)が国電品川駅で無賃乗車で捕まったが、ナイフを持っており、島倉千代子を殺すつもりだったと自供した。これまで何十回も電話して自宅まで訪れて逢うように求めたが拒絶されガラス戸をこわしたりしたが、とうとう殺害を計画しナイフを買って上京したところだった。

昭和33年(1958).2.18〔18歳がレイプ殺人してさらに強盗殺人〕
 北海道稚内市の牧場で、使用人(18)が日頃から想いを寄せていた主人の二女(16)にキスをしようとして拒否されカッとして手拭いで絞殺後にレイプ、金庫を開けようとしているところを主人の妹(24)に見つかりマサカリで頭部を殴って殺害、現金、株券、カメラのほかに猟銃を盗んで逃走した。翌日、山中で警官隊に追い詰められ猟銃を構えて対峙していたが、空き缶に散弾を詰めて火を付け爆発させて自殺を図り1週間のヤケドを負って逮捕された。
 兵庫県有馬温泉の菓子屋の4人兄弟の長男で、中卒後に全国を放浪しながら窃盗を続け少年院にも入っていた。3ヶ月前に前科を隠して牧童として雇われ、家族同然のあつかいを受けていた。

昭和33年(1958).10.2〔17歳が片想いの幼なじみを駅で惨殺〕
 福島県伊達郡の保原駅ホームで、土木作業員(17)が高校3年生女子(17)を電車から引きずり出してシノ(とび職の道具)で数回突き刺した。手を洗って煙草を吸ってから倒れている女子の周りをうろうろして「警察を呼べ」とわめき、「これでもか!思い知ったか!」と叫びながらさらに20数回めった刺しにして殺害、その場で逮捕された。夜のラッシュ時で大勢の乗客や駅員がいたが誰も留めようとはしなかった。
 隣り同士の家で小中学校の同級生。貧しい家庭の5人兄妹の3男で、中卒後は各地で出稼ぎをしてたが、たびたび帰郷して女子への想いを募らせ、酒に溺れて自殺未遂もしていた。オート三輪を親に買ってやるため貯金していた4万円を渡して、二度と戻らないつもりで家を出たが、電車でたまたま登校中の女子を見て、帰宅を駅で待ち伏せて好きだと告白したが相手にされなかったため逆上したもの。取り調べにも煙草を吸って平然としている。女子は成績優秀、美人で評判だった。

昭和33年(1958).12.19〔19歳女がストーカー殺人未遂〕
 富山県高岡市で、無職女(19)が工員(24)の頭部を出刃包丁で数回刺し、重体として殺人未遂で逮捕された。同棲していたが、きつい性格のため5月に別れ話をされて、未練から自宅に押し掛けて玄関で刺したもの。

昭和34年(1959).2.1〔18歳らストーカー2人が女子高生を誘拐レイプ〕
 東京都文京区の高校2年生女子(17)に交際を迫ったが断られた無職男(21)と無職少年(18)が、女子高生が家を出たところを無理やりタクシーに押し込み地下鉄大手町駅の入り口で「カタワにしてやる」と殴る蹴るの暴行を加え、旅館などを連れ廻したが3日目になっても言うことを聞かないので「ほかの男と口がきけなくしてやる」と唇の下をナイフで切り、池袋の旅館でレイプ、4日に救出された。

昭和35年(1960).1.23〔16歳が島倉千代子に爆弾〕
 東京都港区の島倉千代子(22)を脅した工員(16)が捕った。高知県須崎市の中学を卒業して上京してから熱狂的ファンとなり、3日から「家を爆破する」という脅迫状を4通出し、10日には自作のダイナマイトを投げ入れ玄関で爆発させていた。23日に自作のダイナマイトを持って家の前をうろついているところを警官に見つかり、ナイフで切りつけてきたが逮捕された。

昭和35年(1960).11.13〔19歳が自動車で無理心中〕
 東京都文京区で深夜0時前、トラックに対抗車がライトを消したまま突っ込んで追突、運転していた店員(19)が1週間のケガ、女性(26)が1ヶ月の重傷を負った。女性が冷たくなったのでレンタカーで無理心中をしようとしたもの。

昭和40年(1965)..〔思慕する女性の寝姿をみようと侵入して傷害を与えた事案〕
 山間の平和な町で、一見問題性がないと思われるA県立高校生(17才)が平素から思慕する女性(24才)の寝姿を見ようと、深夜女の自宅に侵入したが、家人に発見されたため自制心を失ない、所携の出刃包丁をもって、同女および両親の3人に対して切りつけ、それぞれ頭部、顔、腕、背中などに全治20日から1ヶ月問の刺切創の重傷を与えた。
 少年の家庭は実父母と妹の4人暮しで生活は中流である。性格は明朗で素直であったようであるが、少年が10才のとき幼い妹を子守中に過って落し、それが原因で死亡したこと、また次の妹の手足を熱湯で火傷させるなどの過失事故を起し、母から「お前も一緒に殺してやる。」など厳しく叱られたことがあった。鑑別の結果によると家族との情緒的結びつきの必要性がとりあげられている。知能指数は110であるがものの考え方がかなり独断的で独りよがりなところがあった。中学2年ごろから自慰行為を覚え、学業成績も低下していた。(兵庫県) 警察庁「昭和40年の犯罪」引用。

昭和41年(1966).5.9〔18歳がこまどり姉妹と心中図る〕
 鳥取県倉吉市の市福祉会館で公演中の舞台で、農業手伝いの少年(18)がこまどり姉妹の並木葉子さん(26)を刺し、1ヶ月の重傷を負わせた。心中を図って、自身も舞台上で腹を刺し1ヶ月の重傷。これまで何度も結婚を迫る手紙を出していた。性格はやや内向的だが、ごく普通の少年だった。

昭和41年(1966).7.29〔19歳日大生が都はるみの妹刺傷〕
 東京都港区の都はるみ(18)宅で、日大法学部2年生(19)が都はるみの妹(16)に切りつけて2週間の傷害を負わせて逃走、8.1に逮捕された。熱狂的ファンで、これまでもたびたびやって来ていたが、家族がドアチェーンをしたまま応対することに腹を立て、10日前に包丁を買って復讐にきたもの。「入れてくれないのが悔しくて。後のことは何も考えなかった」と自供。

昭和42年(1967).10.12〔17歳が園まりと心中する練習のため殺人と通り魔〕
 埼玉県南埼玉郡八潮町の食品店で、工員(17)が顔なじみの主人(29)を刺殺。鉄棒で妻(27)を殴打して3週間のケガを負わせた。6.4には路上で女子工員(20)を鉄棒で殴りつけ3ヶ月の重傷を負わせていた。
 福岡県糸島郡の農家の末っ子で、中卒後は埼玉の工場でまじめに働いていたが、園まりのファンになってから性格が一変。他のファンに負けじと借金をしてまでがんばっていたが、次第に「独り占めにしたい。その為には殺すしかない」と思い詰め、度胸をつける練習のため一連の犯行を犯したもの。

昭和46年(1971).8.2〔19歳ストーカーが一家4人殺傷〕
 静岡県掛川市の民家で、自衛隊二等陸士(19)が短大2年生の次女(19)の寝姿を見ようと深夜2時に上半身裸で侵入したところを見つかり、父親(48)を包丁で20回めった刺しにして殺害、母親(45)と長女(21)に3週間のケガを負わせ、祖父(71)を階段から蹴落として頭蓋骨骨折の重体とし、逃走したがすぐに逮捕された。
 中学時代の同級生の次女に想いを寄せていたが相手にされていなかった。次女は旅行でこの日は家にいなかった。

昭和49年(1974).11.19〔18歳テレビタレントの女が不倫相手の妻惨殺〕
 東京都板橋区のマンション自室で、主婦(29)がテレビタレントの女(18)に殺害された。夫のバンドマン(24)と半年前から交際しており、家にやって来て妻に離婚するように迫って拒絶されたり、またバンドマンからも冷たくされて追い詰められ、包丁を持って押し掛け自殺しようとしたが、とめようとする妻と揉み合いとなって妻のほうに包丁が刺さった。「人殺し」と言われて逆上し、全身を40回もめった刺しにしたもの。しかし、部屋を荒らして強盗を装うなど計画的な面があるので、最初から殺すつもりだったと見られている。

昭和51年(1976).7.3〔19歳が彼女を絞殺〕
 神奈川県鎌倉市の運転手(19)が短大生の彼女(18)を絞殺して自首した。彼女の態度が冷たくなり、交際を続けるように申し入れたものの、受け入れられなかったため逆上した。

昭和52年(1977).9.22〔高3が同性の片思いの相手をワラ人形殺人〕
 埼玉県浦和市で私立高校3年生(18)が登校中の同級生(18)を待ち伏せして殺害した。牛刀で心臓と腹を刺したもの。現場には血の付いていないもう1本の牛刀と、30センチの「丑の刻参りのワラ人形」が残されていた。24日に高3生は「人をあやめてしまった。ゆるしてください」という遺書を書いて自宅で首吊り自殺。
 被害者はサッカー選手で、人気があった。内気な高3生はあこがれていたが相手にされず、ペレの引退試合チケットを贈ろうとしても無視されたため、恨むようになっていた。「殺してやる」という脅迫状を2度出していたが、裏に「I love you」と綴られていた。
 弁護士と女流画家の二男。マンガや推理小説のファンで、映画「八つ墓村」「獄門島」のパンフレットが部屋の屑籠から見つかった。

昭和53年(1978).6.23〔高2ストーカーがレイプ殺人〕
 北海道後志支庁の農家に高校2年生(16)が侵入、3女の高校2年生(16)を絞殺し全裸にしてレイプ、逃走したが8.2に捕まった。中学の時の同級生で、片思いの女子の寝姿を見たいと思って無免許のバイクで深夜に向かい部屋に潜んだが見つかったため、マフラーで首を絞めたもの。

昭和53年(1978).12.1〔高3ストーカーが一家皆殺し未遂〕
 島根県簸川郡で、県立高校3年生(18)が深夜に、3年生女子(18)宅のプロパンガスを細工してビニールテープで目張りしてガスを充満させ、女子を一家ごと殺害しようと謀ったが失敗、12.15に逮捕された。
 同じ応援団員でチアガールの女子にラブレターを送ったが、女子が野球部員と交際するようになったため、7.23に野球部室にガソリンをまいて全焼させていた。さらに迫ったが相手にされず、殺人計画を立てたもの。

昭和56年(1981).7.3〔高2女子がふられた相手を教室で刺殺〕
 愛媛県西条市の県立農業高校で、高校2年女子(16)が、自宅から持ってきた刺身包丁で同級生男子(16)の腹部を刺し殺害した。男子は同じ美術部で人気があり、好意を持ち積極的に接近を図ったが、このことを友人に話すなど冷たい態度をとられ「交際はあきらめてくれ」と言われ死にたいと思い、どうせなら相手も殺そうと決意したもの。

昭和56年(1981).9.1〔高3が幼なじみをストーカー殺人〕
 青森県八戸市の民家で、私立高校3年生(17)が昼の11時に侵入、高校3年生女子(17)を殺害、逃走したがその日に逮捕された。日頃から想いを寄せている女子をレイプしようと計画、電話で被害者の弟を外出させ、女子に隣の家の子供が交通事故で入院したと告げさせて隣家も留守になってから覆面で侵入し、いきなりバットで頭部を殴った。女子は自室に逃げて家具で扉をふさいだが、無理やり押し入りレイプしようとしたが激しく抵抗して顔も見られたのでコードで絞殺してから台所にあった包丁でめった刺しにしたもの。親戚関係で近所に住んでいた幼なじみ。

昭和59年(1984).7.11〔高3ストーカーがふられた復讐に小包爆弾〕
 神奈川県大和市の女子高校生(17)が届いた郵便小包を開けると爆発し、顔や手に1ヶ月の重傷を負った。翌日に愛知県西尾市の高校3年生(17)が逮捕。
 中学の1年先輩の短大生(18)に手紙20通を出したりたびたび電話して交際を申し込んだが断わられ、1月にもう一度呼び出すとボーイフレンドとやって来たため恨み、「腕の一本も吹き飛べば不幸になる」と自分の犯行を隠蔽するため第3者を経由して短大生に小包爆弾が届くように計画、女性を装って文通中だった女子高校生に不幸の手紙のようにして郵送したところ、女子高校生が中身を確かめようと小包を開封したため爆発したもの。

昭和60年(1985).1.15〔高2が恋人殺すピストル奪うためボーガンで警官を襲う〕
 東京都杉並区で深夜2時に、高校2年生(17)が派出所にいた巡査(31)に2メートルの距離からボーガンを撃って逃げた。矢は巡査の胸に命中したが、制服の下に厚着をしていたので助かり跡を追った。高2生はナイフを振り回し暴れ、巡査は3週間のケガを負い、威嚇射撃をしてもさらに抵抗するので右足を撃ち、「いたいよ。いたいよ」と言いながら倒れたところを騒ぎに集まってきた住民10人と取り押さえた。
 成績優秀でまじめな性格、信頼もあったため学校では驚いている。「恋人が最近冷たくなったので、ピストルを奪って彼女を殺し、自分も死のうとおもった」と供述。

昭和62年(1987).2.27〔19歳が交際拒否され殺人〕
 千葉県千葉市のラブホテルで、専門学校生女性(19)が浴槽に沈められ殺害され、浪人生(19)が捕まった。高校の同級生で、交際を求めたが拒否されカッとなって殺したもの。

昭和62年(1987).4.12〔18歳がストーカー殺人〕
 東京都台東区浅草のマンション自室で、継母(32)が絞殺され、長女(18)と交際していた無職少年(18)が15日に逮捕された。2年前から交際していたが、長女が去ったため寄りを戻そうと押し掛けて激昂したもの。

昭和62年(1987).5.10〔16歳2人が児童相談所職員殺し少女連れ去る〕
 青森県の児童相談所で、無職少年(16)2人が侵入し、中学2年生の少女(13)をレイプするため連れ出そうとしたが、当直の職員に気付かれたため、暴行を加え、内臓破裂により殺害した。

平成8年(1996).7.2〔17歳が冷たくなった恋人殺害〕
 茨城県伊奈町戸茂の自宅で、高校2年生女子(17)が交際している無職少年(17)に殺害された。態度が冷たくなったことに立腹しモンキースパナで頭を殴打し、紐で絞殺したもの。

平成8年(1996).8.27〔高校生による殺人、死体遺棄事件〕
 福島県郡山市の高校2年生(17)は、交際中の高校2年女子(16)と別れ話からケンカとなり、金槌で頭部を殴打しさらに、両手で首を締めて殺害した。母親(35)と共謀の上、死体を車で運んで山林内に遺棄した。

平成8年(1996).9.20〔18歳がストーカー殺人放火〕
 大阪府枚方市で、専門学校生(18)が片想いの女性に交際を追るため民家に侵入し、女性の妹の高校1年生(16)に発見されて騒がれたため、金属バットで頭部を殴打して殺害、証拠隠滅のために油を撒いて放火した。高校時代に野球部員で、マネージャーだった女性が部員みんなに親切にするのを自分に好意があるからだと思い込んで付きまとっていた。

平成11年(1999).1.19〔19歳東大生がストーカー刺傷〕
 東京都目黒区駒場の路上で、東京大学教養学部2年生(19)が同じ学部の2年生女子(20)を包丁で何度も刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕された。茨城県の高校の同級生で、想いを寄せていたが相手にされず「一生忘れられない傷を負わせたかった」と殺意を否定したが、東京地裁は懲役3年6ヶ月の判決を出した。

平成11年(1999).8.9〔17歳ストーカーが女子高校生殺人〕
 愛知県西尾市志籠谷町で、無職少年(17)が元同級生の高校2年生女子(16)を登校日に待ち伏せして、果物ナイフで胸や背中を刺して殺害した。好意を抱いて2年前からつけ回していたが、他の男性と交際しているのを知って殺そうと計画したもの。


オマケ・成人のストーカー殺人事件
もちろん、全部ではありません。

昭和29年(1954).6.19〔32歳ニートがストーカー殺人〕※参考
 東京都墨田区のガラス工場で、経営者の長男(32)が女工(18)を刺殺した。働かずにぶらぶらしており、4月に就職した女工に結婚を迫ったが何度も拒絶されて、出刃包丁で殺して青酸カリで自殺するつもりが怖くなって自首したもの。

昭和32年(1957).5.15〔20歳大学生がストーカー無理心中〕※参考
 千葉県市川市の日大歯科1年生(20)が、中大法学部4年生女性(22)を絞殺、服毒してナイフで自分の首を突いたが命を取り留めた。片想いで無理心中しようとしたもの。

昭和33年(1958).2.9〔22歳ニートがストーカー殺人〕※参考
 東京都北区の会社員宅で、深夜3時過ぎに埼玉県騎西町の無職(22)が押し入り、包丁で長男(28)を刺して重傷を負わせ、長女(19)を刺殺した。長女と交際していたが、異常な性格からふられて復讐したもの。18歳だった昭和28年12月にも殺人を犯している。

昭和37年(1962).7.17〔20歳卒業生が授業中の女高生を射殺〕※参考
 富山県東砺波郡の県立高校の授業中の教室に、無職(20)が猟銃2丁と弾帯を持って侵入、教師と生徒18人を黒板の前に整列させて、女子高生(18)に2発撃って殺害、逃走して橋の中央で銃を構えて立てこもったが、説得されてすぐに逮捕された。
 3月までこの高校に通っており、殺した女子高生に片思いしていたが相手にされていなかった。農家の6男で、国体で活躍するスキー選手だが、凶暴性があり学校でもたびたび暴力事件を起こし、卒業後はぶらぶらしていた。銃は近所の家から盗んだもの。




  
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2010年08月18日

史上最年少の自殺者

何故か最年少の自殺は何歳なのか知りたいという人が多いみたいですので、まとめておきます。

私が収集したデータでは小2が最年少で、それ以下はありません。
小2の事例は結構あるのに、小1以下はまったく見つけられていないというのは、そこに何らかの境界があると、とりあえず考えていいのではないでしょうか。
小2の中でも7歳はひとりだけですから、これが最年少ということになります。自殺の意志ははっきりしてますし、その理由もかなり特異なものです。

昭和38年(1963).8.7〔小2が賭けに負けた腹いせに服毒自殺〕

なお、山本健治「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」にはこういう事例が載っていますが、具体的にどのような事件だったのか確認はしていません。

昭和49年(1974).6.29〔奈良県で小1、駅構内で首つりごっこ〕

小学生の自殺事例は子どもの犯罪被害データベース 子どもの自殺を、
中学生以上も含めた少年の自殺事例は少年犯罪データベース 少年の自殺事件を、
いじめに関することは少年犯罪データベース いじめ事件をご覧ください。

厚生労働省の自殺統計を見ますと、5〜9歳の自殺者はどの時代も結構いまして、特に昭和22年は19人と突出していますので、この年には7歳以下もいたのかも知れません。

※追記
産経新聞が
9歳以下の自殺は厚生労働省の人口動態調査でみると、昭和25年から平成20年までの58年間で14人とごくわずかだ。
なんて出鱈目な記事を出してますね。
実際には、厚生労働省の人口動態統計書を見ると、昭和25年から平成20年までの58年間で71人です。その他に昭和22年から24年だけで27人いますから、戦後の9歳以下の自殺者は合計98人です。
戦後の自殺統計は昭和22年からあるのに、昭和25年からという半端な区切り方をしているのは、おそらく五年ごとの統計だけを見てこれがすべてだと思っているのでしょう。昭和25年から五年ごとにデータを拾って、2005年から後だけ毎年のデータを足すと、ちょうど14人になります。
このように、新聞記事というのは中学生レベルの調査能力も判断能力もない人が適当に書いていて、それをまたチェックできる体制も人もいない組織によって適当に印刷されて売られているのです。


昭和34年(1959).1.15〔小2が首つり自殺〕
 香川県三豊郡の自宅で、小学2年生(8)が首つり自殺した。母親に叱られて。

昭和38年(1963).8.7〔小2が賭けに負けた腹いせに服毒自殺〕
 茨城県新沼郡の自宅で、小学2年生(7)が自殺した。捕まえたセミが飛べるかどうかの賭けをして「飛べたら5円やる」と云ったとたんにセミは飛翔。「農薬を飲んで死んで見せる」と友人を自宅に連れてきて、本当に飲んだもの。農業組合員(51)の長男。性格は明るかったが、母親は5年前に農薬を飲んで自殺をしていた。

昭和47年(1972).7.8〔小2が父親と逢えないこと苦に自殺〕
 愛知県の自宅で、小学2年生(8)が首と手首を刃物で切って自殺した。父親と逢えずにさびしいと。

昭和55年(1980).2.〔小2が自殺〕
 男子小学2年生(8歳)は、両親が喫茶店を経営していて父親の帰りが遅く、平素から鉄道模型を買うことや旅行に出かけるなどの約束を守ってくれず、たまたま午後9時ごろ帰宅した父親が実家に行く際、一諸に行きたいとせがんだが夜遅いということで聞き入れてくれなかったことから衝動的に自殺した。(福井、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。

昭和57年(1982).3.11〔小2が万引き注意され自殺〕
 男子小学2年生(8歳)は、クラスの反省会で友人から粘土を万引きしたことを発表され、そのことで担任の教師から注意を受けたのを苦にして首つり自殺した。(山口、3月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


公立小学校児童の自殺者数統計



197719781979198019811982198319841985198619871988
昭52昭53昭54昭55昭56昭57昭58昭59昭60昭61昭62昭63
1091110886121114510



198919901991199219931994199519961997199819992000
平1平2平3平4平5平6平7平8平9平10平11平12
1553410396424



20012002200320042005200620072008
平13平14平15平16平17平18平19平20
43543230
文部科学省の統計による。
昭和62年までは年間の数,昭和63年以降は年度間の数。



  
Posted by 管賀江留郎 at 23:59Comments(11)TrackBack(1)ニュース

2010年08月10日

児童虐待についての基本データ

私は少年犯罪データベース主宰であるとともに、子どもの犯罪被害データベース主宰でもありますので、ここらで児童虐待についての基本的なデータを示しておきます。
『非行臨床の現場からとらえた子どもの成長と自律』の著者のひとりである前島知子さんが、掲載論文のために厚生労働省の人口動態統計にある死因のうちの年齢別他殺被害者数統計をまとめたものを送ってきていただき、それに刺激されて幼児の中でも殺され方の性質がまったく違う0歳児(嬰児)だけを別に分けたものを私が追加したものがちょうどできあがったところでしたので。

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当サイトではすでに嬰児殺(赤ちゃん殺し)と幼児殺人被害者数統計というのをアップしておりますがこちらは警察統計で、昭和47年以降しかありませんし、また未遂事件も含まれています。
厚生労働省の統計は完全に殺された者だけの数が判りますし、戦後を網羅しているのでこちらのほうがデータとして活用範囲が広いのではないかと思います。
ただ、5歳きざみですので、小学生や小学校入学前などの分類は判りませんが。10〜14歳のデータを入れても、1〜9歳とグラフの軌跡はほぼ変わりませんで省きました。中学生になりますと他殺の内容もかなり変わってきますし。

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人口比に関しましては、0歳児人口の推移をまとめたものが見つからず、統計から各年のデータをひとつづつ拾っていくのは手間ですので、やむなく各年の出生数で代用(1〜9歳は0〜9歳の人口から出生数を引いたもので代用)していますので多少ズレているはずです。
こんな基本的な統計がまとめられていないとはまことに嘆かわしいことです。どなたか、正しい0歳児人口(各年の10月1日現在推計値)を基に集計し直していただければ。
まあ、この場合はズレても0.01程度でしょうから、過去と現在の比較には問題ありません。0歳児は生まれてすぐに殺されることがほとんどですから、人口よりも出生数のほうが実情を反映しているような気もしますし。

9歳以下の幼児を殺すのはほとんどが親か祖父母です。これで戦後の親の子殺しが概観できます。
グラフをご覧いただければお判りのように、殺される1〜9歳は昭和30年の12分の1、バブル期と比べてさえ、6分の1ほどに減っています。人口比で見ても、昭和30年の7分の1、バブル期と比べてさえ、4分の1ほどに激減しています。

厚生労働省の人口動態統計は各県の統計をまとめたものですから、各県の年齢別死因統計と照らし合わせながら地方紙の記事や各県警資料を精査すると、児童虐待などによる死亡事件や重大事件についてはおそらくほぼすべての事件内容をつかむことができます。
昔の新聞も子どもが殺されるような事件には飛びついて、まずすべて記事にしていますので。全国紙の縮刷版は基本的に東京周辺の事件しか載っていませんから、各県の地方紙を見る必要はありますが。
統計を見れば判るように、1980年前までは9歳以下だけでも毎年500人前後が殺されていますから、当時の新聞を読むと、実子を殴って殺したり、おねしょをしたからと熱湯をかけて殺したり、食事をあたえずに餓死させたりといった陰惨な事件が文字通り毎日、新聞に出ています。
そのごくごく一部は子供の犯罪被害データーベース 親による虐待・子殺しにまとめていますが、こういう無作為抽出みたいな半端なものではなく、すべての事件内容を把握することは極めて重要なことです。
たとえば、昭和三十年代の新聞記事や各県警資料で具体的内容をひとつひとつ見ていくと、こういう事件を起す家庭のうち統計上は貧困家庭となっているものも、じつは働くのが嫌いな親ニートだったり、働いていても酒やパチンコなどに入れあげているために貧困になっている家庭がほとんどであることが判ります。病気で働けない家庭などは生活保護を受けて、ギャンブルなどに使わない限り最低限は食べられますし。
過去の新聞記事や各県警資料を精査するなんてことは中学生レベルの能力があれば簡単にできることですから、こんな基本的なことをやっていない者は小学生レベルの能力しかないということでして、そういう方は軽々しく児童虐待問題などについて発言すべきではありません。いくらなんでも最低限必要な知識とデータはあります。まさしく、考える前にやるべきことはあるだろということです。ワイドショーで適当なこと云ってるコメンテーターを笑えません。
つーか、ワイドショーに出てくるエセ学者やブロガーなんかはともかくとして、いままでこんな基本的なことをどの学者もやっていないというのは驚くべきことです。日本の大学の学者がやってる研究などというのはママゴト遊びに過ぎません。基礎データがない処に、どのように立派な研究を積み上げようともすべては無意味無価値です。中学生レベルの能力さえない、小学生のお遊戯です。
ポスドクでまともな就職先がない方なんかは、就職活動としてぜひともやっていただければ。このような網羅的事例データペースを構築するだけでも、あなたは斯界の第一人者となりますが、それらのデータを基にすれば、あなたの論文は既存の学者のものなんか一蹴できる精度の高いものとなって、なによりその精度の高さが誰の目にもすぐ判るようになります。
児童虐待はいま流行の問題ですから、大学だけではなくあらゆる方面で引っ張りだこになりますよ。
こんなことはチームを組めば一年でできることなんですけどねえ。少なくとも研究と関係ないバイトなんかするよりもよろしいかと思いますし、いろんな人に勧めたりもしているのですが、誰もやらないのはまことに不可思議なることです。現代日本の研究者養成では、基礎データを集めることよりも愚にも付かない感想文の類を綴ることが研究だと教えているんでしょうか。
現状はこんなレベルでさえなく、私みたいなもんがしこしこ作業しないと人口動態統計さえまとまっていないというお粗末さではあります。
現代は情報氾濫時代みたいなことを云う人がいますが、実際にはこんな基本的な情報さえない、情報貧困時代なのです。その原因は、あなたが基本的なことをさぼってノイズを増やすことにしかならない無意味無内容な感想文を綴っているからなのです。

なお、親が育児を放棄したような事件は、警察庁『犯罪統計書』の少年の福祉を害する犯罪のうち「保護責任者による幼者遺棄」の統計で判ります。いまたまたま手元にある資料から検挙者数を見てみますと、昭和34年80人、昭和36年64人、昭和37年80人、昭和39年68人、昭和40年67人で、最近はと云いますと、平成18年20人、平成19年16人、平成20年18人となっています。親が子どもの養育を放棄して逮捕されるのは四分の一まで減ってます。子供の数は半分ほどになっているので、子供の人口比でも半分に減ってますな。
虐待につきましては、同じく少年の福祉を害する犯罪のうち「保護者等による第二七章(傷害)の罪」を見れば判りますが、検挙者数は昭和34年110人、昭和36年84人、昭和37年35人、昭和39年57人、昭和40年78人で、この「保護者等」というのがどこまでの範囲なのかよく判りませんが、実父母、養父母、継父母、内縁関係、祖父母などその他の保護者を含めた児童(18歳未満)への傷害罪の平成20年の検挙者数は、144人となっています。
飛んでる年は、資料洪水の中、いまコピーがどっかに行ってしまいました。昭和33年以降は警察庁『犯罪統計書』に毎年載っているはずですから、どなたかまとめておいてください。
これらも当時の地方紙の記事と県警資料を集めれば、傷害と云ってもどの程度のものなのか、おそらくほとんどすべての事件内容を把握できて、たんなる統計の数字だけではなくかなり精密に過去と現在の比較をすることができます。
私が読んだ範囲では、昔は焼け火箸で全身に繰り返しヤケドを負わせる事例がやたらと多いですが、現代はどの程度で逮捕されてるのか、たかだか百件ほどですから、どなたかまとめておいていただければ。
過去との比較は、単に増えたか減ったかというような問題ではなく、個々の事例の違いや時代背景の変化による違いを客観的に分析して、原因や対策のシミュレーションになることが重要なのです。現在の目に付く事例だけを見て原因を考察して対策を立てても、狭い視野によるの場当たり的なものにしかなりません。統計だけ見ても、上記のように時代による基準が違うので意味はなく、網羅的事例データペースと統計を突き合わせた分析が極めて有効です。

統計の中でも時代による基準のぶれがないのは他殺統計くらいですが、改めてグラフを見てみますと、0歳児も1〜9歳児も、1980年直前までは人口比でも殺される率は、驚くべきことに戦後すぐと同じレベルだったことが判ります。
成人も含めた全体の他殺被害率を見ますと、

G-TasatuSousuu1

日本の経済成長に合わせるように昭和三十年代半ばから順調に減っているのに、子どもの場合は、同じく昭和三十年代半ばから一度は減ったように見えて、団塊世代が親になると数だけではなくて率でもまた元の水準に戻ってしまうのです。団塊ジュニアの受難はこんな時からすでに始まっていたのでした。
もっとも、団塊ジュニアの親は団塊世代よりもひとつ上の戦前戦中生まれのアプレ世代が多いそうで、あらゆる面で凶悪凶暴なこの世代の本領が発揮されたということなのやもしれません。
このあたりも具体的にどんな原因があったのか、網羅的事例データペースがあれば解明できるかと思います。とくに加害者である親の年齢は完全につかめるはずですから、世代が判るだけでもかなり大きいのではないかと。

グラフの元になってる統計データはこちらのページをご覧ください。
また、子どもを放置して餓死させたような事件も一応下に提示しておきます。これらはごくごく一部にしか過ぎませんが。



※追記
このクソ忙しいのにわざわざ人口動態統計書60冊以上から苦労してデータをひとつひとつ拾って0歳児と1〜9歳児を別けたのに、ふたつ並べると7分の1も減ってるのに減り方が判りにくいグラフになってしまって、がっくりきていたんですが、やはり気になるのでグラフをふたつに分けて、それに合わせて文章も削りました。

ついでに、はてブにお返事。
doopylily55さん。湯沢2003、内田2009とは、湯沢雍彦『データで読む家族問題』と、内田良『「児童虐待」へのまなざし』のことでありましょうか。
二冊とも、警察庁の嬰児殺統計のグラフで、ここで出しているのとは性質の違うものですし、しかもこちらのページにアップしているような元の統計データもありませんが、どこかで公表しているのでしょうか。共有も検証もできないただのグラフに意味はありません。
内田2009はひょっとすると湯沢2003のグラフを検証しないでそのまま転載してるんですかね。6年分のデータを追加していないので、検証していないように見えますが、検証しているのなら自分の責任で出せるはずですから、データを公開して共有できるようにしていただかないと困りますね。
しかも、この記事で問題にしているのはそんな統計ではないのです。ここで示している基本データというのは網羅的事例データベースのことで、統計などその構築のための手掛かりに過ぎません。
「9割が復活」云々は例えばの話で、そういうことも含めて網羅的な基本データを精査しないと、一切なにも判らないということです。
新聞記事や県警資料の事例をすべて集めて、さらにそれでも不充分なら現地調査をする必要が当然あります。年間500件、戦後65年で3万件程度ならすべて現地調査は可能です。
ごく常識的に考えて、ここまでデータを揃えてから、初めて研究の第一歩がはじまると思うのですが、日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを云うことが研究だとやはり考えられているのでしょうか。

sionsuzukazeさん。統計から読み取れることはたかが知れてますので、網羅的事例データベースの構築が重要だと、貧困家庭の例などを掲げて訴えた記事ですので、できればもう一度読んでいただければ幸いです。
団塊ジュニアが生まれた頃に何故また率が上がったのか、しかも戦後すぐとほぼ同じ率になったことになんらかの意味があるのか、統計だけではなにも判りません。現在のことも判りません。
その前に当然、統計を誰でも活用できるようにまとめておくのは大前提ではありますが。

deep_oneさん。一応、研究者やその志望者に向けて書いたものですが、べつに誰でもできることですので、できれば皆さんやってもらえれば。
何から始めればいいのか判らない方は、昔の新聞を読んで本にあなたの名を刻もうに参加していただけると名前も残るし本もゲットできますよ、という宣伝でありました。

なお、私は有用なデータを提供しようなどとはさらさら思っておらず、みんなちゃんと基本的なことをやれっ!というのがこの記事の趣旨ですので、そこのところをお間違えなきように。
私の活動は、基礎的情報システムをまず最初に構築せよと訴えるのがメインで、少年犯罪や児童虐待などはそのためのサンプルにしか過ぎず、それらにまったく興味はありません。
人としてもっとも基本的な欲求である世界の真理を解き明かしたいという渇望を満たすためには、そのような基礎的情報基盤が必要だという当たり前のことを云ってるだけで、とくに研究者にとっては云うまでもない当然の話で、上から目線とか云われても困るのですが。
以前にも記しました阿久悠作詞の歌をここでもう一度。
「不思議の謎を解かねばならぬ」ねばならぬのだよ。
「ある日突然、眠りを覚まし地球を襲う神秘の影に誰かがむかっていかねばならぬ」ねばならぬのだよ!
以上です。


○子どもを放置して餓死させたような事件
 その他の事件は子どもの犯罪被害データベースをご覧ください。

昭和26年(1951).2.18〔父親が妻に逃げられ長男虐待〕
 東京都で父親(26)が、妻に逃げられ長男(5)を虐待して殺人未遂で逮捕。元暴力団員で働かずに妻に暴行を加え続けて、昨年の2月に妻が逃げてから長男に食事も与えず大ヤケドになっても医者に見せず虐待、路上で倒れていたのを近所の人が病院に運んで発覚したもの。

昭和27年(1952).10.14〔父親と継母が幼女虐待〕
 熊本県人吉市で、父親(33)と継母(33)が長女(3)を虐待していることが発覚し、逮捕された。継母には連れ子があり、6月に夫婦の子どもが生まれたこともあって辛く当たり、食事をほとんど与えず体重わずか7キロの骨と皮状態で、おねしょをすると焼け火箸を押し付けるなどして全身数十ヶ所に火傷や傷跡があった。2人とも懲役5年が求刑されたが、熊本地裁は懲役2年6ヶ月の判決。

昭和28年(1953).1.24〔祖母が孫娘を餓死させる〕
 兵庫県城崎郡の自宅で、祖母(56)が孫娘(1)を餓死させた。母親(37)は祖母に子どもを預けて芸者をしながら養育費を送っていたが、祖母はその金で暮らしていながら孫を邪魔扱いにして食事も与えていなかった。

昭和30年(1955).1.26〔母親が長女虐待で重態〕
 神奈川県三浦市の自宅で、母親(28)が長女(8)を虐待して傷害容疑で逮捕された。結婚せずに産んだ長女をすぐに施設に預けて働き、5年前に違う男と結婚して次女を産み、去年長女を引き取った。しかし、なつかないため夫のいない時は焼き火箸を押し当てたり殴る蹴るの暴力を加え、食事も与えず、体重は10キロもなく重態。路上のミカンの皮を食べているのを見た近所の住民が通報したもの。

昭和41年(1966).1.22〔愛人に逃げられ、赤ちゃん放置し餓死させる〕
 東京都で愛人に逃げられ、赤ちゃん放置し餓死させる。

昭和42年(1967).11.21〔父親が実子二人を餓死させる〕
 岩手県岩手郡の農家で、父親(32)が長男(3)と長女(1)を自宅に放置して玄関や窓の鍵を閉めて東京に行き二人とも餓死させ、11.29に舞い戻ったところを逮捕された。妻に逃げられて養育に困ったもの。最高裁で殺人罪懲役12年確定。

昭和42年(1967).11.29〔両親が先妻の子を虐待〕
 福島県郡山市で、牛乳配達員の父親(42)とバーホステスの内縁の妻(23)が、長男(5)と長女(4)を七月から食事もろくに与えずに物置で生活させ栄養失調として、11.29に保護責任者による幼者遺棄容疑で取り調べ。一年前に離婚した先妻の子を虐待していたもの。近所の人の通報で発覚。

昭和45年(1970).3.6〔カゼの1歳の長男を放置、死なせ、埋めた母逮捕〕
 長野県安曇村の主婦(22)がカゼの長男(1)を放置して男友達と遊び歩いているうちに、長男を死なせた。夫に浮気がバレると困るため親戚に預けたとウソを付き、死体に床下に埋めたが、発見され逮捕。

昭和46年(1971).3.12〔両親が食事も与えずせっかん死させる〕
 神奈川県川崎市の自宅で、無職の父親(29)と母親(28)が次女(4)に昨年秋頃からほとんど食事も与えずに自宅に監禁してせっかんを続けて衰弱死させ、過失致死と保護責任者による幼者遺棄容疑で逮捕された。いたずら好きで云うことをきかないため懲らしめようとしたもの。

昭和47年(1972).10.7〔母親が自宅を釘づけ2児置き去り餓死寸前にする〕
 栃木県宇都宮市の自宅で、ホステスの母親(34)が雨戸を釘づけにして長男(3)と次男(2)を置き去り、男友達と三日間遊び歩いて二人を餓死寸前として、10.7に保護責任者による幼者遺棄容疑で逮捕された。父親は詐欺で服役中。家主が子どもをあずかると云っても、「躾の邪魔になる」と断わっていた。

昭和50年(1975).5.8〔障害もつ娘もてあまし、妻の留守中、父が餓死させる〕
 東京都で障害もつ娘もてあまし、妻の留守中、父が餓死させる。

昭和51年(1976).4.27〔21歳継母が幼児を虐待殺人〕
 千葉県千葉市の自宅で、母親(21)が長男(5)を殺害、5.11に傷害致死で逮捕。2年前に結婚した夫(35)の連れ子で半年前から食事を与えず縛って殴る蹴るの虐待しており、脳内出血させたもの。長女がおり、妊娠中。近所の人も虐待を知っていた。

昭和51年(1976).12.3〔新しい愛人でき、子供邪魔と餓死させる〕
 静岡県で新しい愛人でき、子供邪魔と餓死させる。

昭和53年(1978).11.15〔別れた夫への恨み、2歳のわが子をせっかん餓死させた母逮捕〕
 北海道で別れた夫への恨み、2歳のわが子をせっかん餓死させた母逮捕。

昭和55年(1980).12.3〔6歳と3歳置き去り、残飯でしのぐ、母逮捕〕
 宮崎県で6歳と3歳置き去り、残飯でしのぐ、母逮捕。

昭和56年(1981).8.18〔介護疲れの母、障害もつ子に食事あたえず、死なす〕
 高知県で介護疲れの母、障害もつ子に食事あたえず、死なす。

昭和57年(1982).5.12〔食事あたえず、わが子殺した両親逮捕〕
 茨城県で食事あたえず、わが子殺した両親逮捕。

昭和57年(1982).6.12〔家事手伝い両親不在、幼い5姉妹1週間自炊、赤ちゃん餓死〕
 大分県で家事手伝い両親不在、幼い5姉妹1週間自炊、赤ちゃん餓死。

昭和58年(1983).2.25〔食事あたえぬせっかん、5才児衰弱死、両親逮捕〕
 大阪府で食事あたえぬせっかん、5才児衰弱死、両親逮捕。

昭和59年(1984).1.21〔養護施設の前に2児置き去り、母スキーに〕
 千葉県で養護施設の前に2児置き去り、母スキーに。

昭和59年(1984).4.17〔母親が赤ちゃん放置して遊び歩き餓死させる〕
 千葉県市川市の自宅で、無職の母親(24)が、長男(2)と次男(生後五ヶ月)を放置して男友達と三日間遊び歩き、次男を餓死させ、死体をビニール袋に入れて押入に隠してその後も一週間遊び歩いていたが自首した。一ヶ月前に離婚していた。千葉地裁は、保護責任者遺棄致死と死体遺棄罪で懲役2年6ヶ月の判決。

昭和63年(1988).7.22〔中1ら3人が母蒸発の家で幼い妹せっかん殺害〕
 東京都豊島区のマンションで、押入から次男(生後数ヶ月)の死体が発見され、次女(2)も殺害されていることが発覚した。母親(40)は離婚して他の男の元へ走り、仕送りはしていたがまったく家に帰っていなかった。子供達は出生届も出さず、小学校にもまったく行っていない長男(14)が自炊して長女(3)と次女を養っていた。
 長男の友人の中学1年生2人が自分たちのラーメンを食べたとして、次女を持ち上げ何度も床に落とし、長男にもやるように強要して、次女は死亡、秩父の山に遺棄した。次男は殺していないと自供。

平成11年(1999).5.15〔18歳母親が赤ちゃん衰弱死させる〕
 千葉県市川市の飲食店女従業員(18)は、長女(1)に1カ月間も食事を与えず衰弱死させ、保護責任者遺棄致死で捕まった。平均体重が11キロなのに対し、5キロしかなかった。

平成12年(2000).8.〔殺人〜両親による幼児殺入事件〕
 実父(25歳)と実母(23歳)は、被害児童(3歳男児)に対して、日頃から食事を満足に与えないなど看護を怠り、栄養失調による慢性的な衰弱状態に陥らせ、同児童が死亡するおそれがあることを知りながら、医師の診察等の看護の措置を取らず、低栄養により死亡させた。(8月、山形) 警察庁「少年非行等の概要」引用。

平成12年(2000).12.〔殺人〜両親による幼児殺害事件〕
 実父(21歳)と実母(21歳)は、被害児童(3歳女児)が、栄養失調のため生存に必要な保護が必要であるにもかかわらず、児童に十分な食事を与えず、医師の診断を受けさせる等の療養看護もすることなく、自宅台所に必要な保護を加えず放置し餓死させた。(12月、愛知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。


  
Posted by 管賀江留郎 at 22:52Comments(36)TrackBack(4)ニュース