ファンがアイドルを襲う事件は昔のほうが多いのです。

シンガーソングライターの女性がストーカーに刺されて重傷を負った事件で、何故だかマスコミはヲタがアイドルを殺そうとしたという誤った図式を前提として報道していてケシカランという話があるようです。
「アイドルでもないしヲタでもない!小金井刺傷事件の報道に感じるモヤモヤ|ほぼ週刊吉田豪」

そんなマスコミの出鱈目さを非難している方々も、近頃はアイドルとファンの距離が近くなったためにこのような事件が起るという見方をしている人が多いようです。
しかし、芸能人が雲の上の存在だった昔のほうが、女優や歌手を襲う事件は多かったのです。
ストーカーだけではなく、金目的の犯行も含めて下に並べましたので、ご覧いただければ。
これはあくまでも少年犯罪の一部だけです。
昭和38年にファンの男(26)が吉永小百合(18)に自分の名前をイレズミするため針と墨汁を持って自宅に侵入、駆け付けた警官を手製のピストルで撃って重傷を負わせ、逃げようとした小百合さんは階段から転げて捻挫したりと、成人の犯行は何倍もあります。
昔の雑誌はファンレターの宛先として芸能人の自宅住所をそのまま載せていたということもありますが、昭和38年に橋幸夫(20)がステージ上で劣等感を晴らそうとした男(32)に軍刀で斬られるとかコンサート会場で襲う事件も多いので、それだけが理由ではないのです。
昔はストーカー殺人が連日のようにあったので、芸能人を襲う事件は比較的少なかったとも云えるのですが。
また、江戸時代のアイドルだった遊女を殺そうとする事件が頻発していたことは、「江戸時代のモテない男の無差別殺人事件」を読めばお判りいただけるかと。

マスコミだけではなく、人前で何事かを語ろうとする方は、この程度の基礎的データは踏まえて発言していただかないと、誤った前提を基に社会制度が作られたりすることにもなるので大変困ります。
データの裏付けがないまま出鱈目なことを云うのは、宇宙人の電波を脳内に受けて訳の判らないことを口走る危ない人と変わりません。
いまはどこの図書館でも全国紙の過去記事が検索できますし、少年犯罪データベースを見れば、ここに掲げた事件はすべて載っていて、手軽に知るこができるわけですから。

人は何故か、すぐに調べれば判るような目の前の現実を無視して、一見もっともらしい図式に飛びついて、それを正しいと思い込んでしまいます。これは、じつは何百万年に渡る進化から形成された人間の本性であることを、新著『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』で解き明しております。
さらに、振られたり、ちょっとしたことでカッとして人を殺そうとするのも、じつは進化が人間にもたらした道徳感情から来る行動だということも説いております。
ほかの動物ではほとんど見られない<間接互恵性>の<評判>獲得意識と、その評価のために身に着いた<因果推察>能力が関係しているのです。
<間接互恵性>は人間社会を成り立たせるために大切なものですが、それによって現実が視えなくなって、社会全体に大きなダメージを与えることもあります。
克服するには拙著にも記したように、客観的データをできるだけ多く集めて判断することが重要です。
情報の蓄積こそが文明の基礎ですが、国家などの大きな組織ができてまだ一万年で、身体や脳の進化が追いつかない部分をこういう仕組みで補うことで、人類は辛うじて滅亡せずに生き延びたわけです。
皆様方も文明の担い手のひとりとして、なにか発言する場合は必ずデータの裏付けを持ち、データを持たない場合は発言を慎むようにいたしましょう。

ストーカー殺人を含めて殺人事件が大幅に減ったのは、社会構造の変化により、<評判>の位置づけが変わってきたためだということを、『戦前の少年犯罪』の続編である戦後編で解明することになるのですが、これがなかなか厄介で、頭が痛いです。
進化心理学を探究して、<間接互恵性>の<評判>や<因果推察>についてよく知り、道徳感情に突き動かされてこういう事件を起してしまう人間をうまくコントロールすればストーカー殺人などもさらに減らすことができるのですが、そのためにも一番大切なのは正しいデータの蓄積なのです。


昭和29年(1954).2.9〔17歳が女優宅にストーカー放火〕
 東京都世田谷区で、コック見習い(17)が女優の嵯峨美智子(20)が下宿している家の板塀にガソリンをかけて放火しタクシーで逃走、翌日に新聞で家が燃えなかったことを知って「またやるから覚悟しろ」と脅迫電話をかけ、2.11に逮捕された。たびたびファンレターを出していたが返事が一度しかなかったのを恨み、放火すると脅迫状を出していた。

昭和31年(1956).6.26〔高2が川上哲治選手を脅迫〕
 東京都世田谷区で、都立高校2年生が川上哲治選手(36)に「友人が会社の金を落とし、娘を芸者に売って穴埋めしようとしている。あなたの力で貸してくれないか」という手紙を出し、「金をもらいに行くから用意しておけ」という脅迫電話をしてから自宅にやって来たので張り込んでいた警官に逮捕された。
 父親が病気のため授業料を払えなかった上に、上級生から金を貸せと脅されて、投資信託で大儲けした川上選手なら出すと思ったと自供。

昭和32年(1957).1.13〔19歳が美空ひばりに塩酸かける〕
 東京都台東区の浅草国際劇場で、女中(19)が客席から上がって舞台脇で出番を待っていた美空ひばり(19)に、塩酸300グラムを浴びせかけた。左顔面、胸、背中に3週間のヤケド。
「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど、みにくい顔にしてみたい」と書かれたメモがバックのなかにあった。

昭和32年(1957).2.27〔19歳2人が京マチ子を脅す〕
 東京都世田谷区で、法政大1年生(19)と店員(19)が京マチ子(32)に「13万5千円を持ってこい。警察に知らせると硫酸をぶっかけるかダイナマイトで自動車ごと吹っ飛ばす」という脅迫状を出し、脅迫電話も掛けた。京マチ子そっくりの女優が現金を持って指定場所で待っていると、2人で現れたので逮捕された。
「成功すればその金で家を借り、不良を集めてさらに大々的に有名人を脅迫するつもりだった」と自供。2.10に中日の西沢道夫選手を「十万円よこさないと硫酸かける」と脅して逮捕された無職(26)の記事を読んで、自分ならもっとうまくやると思ったもの。裕福な工場経営者の息子で、月に7千円のこづかいをもらい、風俗店や銀座のバーに通っていたが金には困っていなかった。この年の大卒銀行員初任給1万2700円。

昭和32年(1957).3.1〔16歳が島倉千代子殺害計画〕
 神奈川県横須賀市の無職少年(16)が、国電品川駅で無賃乗車で捕まったが、ナイフを所持しており、島倉千代子(18)を殺すつもりだったと自供した。これまで何十回も電話して自宅まで訪れて逢うように求めたが拒絶されガラス戸をこわしたりしたが、とうとう殺害を計画しナイフを買って上京したところだった。

昭和32年(1957).12.16〔18歳が甥を誘拐殺人〕
 愛知県碧南市で、無職(18)が兄の息子(6)を誘拐して絞殺、小学校内の貯水池に沈めてから「60万円よこせ」という脅迫状が何通も出したが、警察の警戒が厳重で金を受け取ることはできなかった。翌年5.21に小学4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、死体を発見、重しとして結びつけられていた鉄棒が無職のものだったため逮捕された。
 6.17に雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所。風俗嬢と結婚する資金を得るため、石原慎太郎・主演の映画「危険な英雄」にヒントを得て、誘拐してすぐに殺害してから身代金を取る計画を立てたもの。警察は最初から無職が犯人だと睨んでいたが証拠がなく、兄は絶対に違うとかばい続けていた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。

昭和33年(1958).12.26〔17歳が淡島千景宅に強盗〕
 東京都大田区で、無職(17)が淡島千景(34)の自宅に強盗に入り、女中を脅して現金2千4百円を奪ったが、すぐに逮捕された。24日に岡山県御津郡から上京するも金がなくなり、雑誌で知った女優にめぼしをつけてオモチャの拳銃を使って押入ったもの。

昭和34年(1959).4.15〔家出少年ふえる 歌手や俳優志願 断わられると強盗も 読売新聞引用〕
(前略)昨年は都内で保護された家出少年が1万5839人、三十二年より3142人も多く、家出人総数(2万209人)のうちで占めた割合が73.72%と戦後の最高を記録した。家出の動機をみると、東京へのあこがれと職さがしが40%に達しているが、これにつぐ新しい傾向としてでてきたのがノド自慢大会などの流行による“芸能人になりたい"“顔をみたい"などの家出。
このため同課(※警視庁少年課)が都内各署を通じ歌手、俳優、舞踏家、落語家など芸能人873人の協力を求めてさらに調べたところ、昨年中の“あこがれ少年"の訪問数は4418人で、この大部分が家出少年とわかった。この統計によると、15歳が25%で886人、14歳が15.4%となっているが、半数は中学生、ついで高校生、小学生、商店員、女中の順で大学生も15人いた。
訪問の目的は“顔がみたかった"という単純なものが93.6%、また再三ファン・レターを出したが、返事をくれないので山口県から出てきた少女(18)などもいるが、“芸能人になりたくて"(5.3%)のなかには、農村の生活にあきたらず、声がいいとおだてられて青森県から家出したもの、断られてもなにか他に仕事を世話してくれるだろうと石原裕次郎を頼って富山県から出てきた少年などもある。
あこがれる芸能人の順序は歌手がトップに俳優、プロレス、野球選手と続き、家出少年の出身地は全国的だが、大阪、新潟、青森、愛知各県が目立っている。もちろんほとんど門前払いで保護者、児童相談所に引き渡しているが、強引に粘って女中として俳優に引き取られた少女が一人、浪曲、プロレスの弟子入りもそれぞれ一人ずついる。また逆に面会強要で検挙されたのが二十人、ヤケのあまり芸能人宅で強盗、窃盗、恐かつ、投石などのいたずらを働いたもの六人。
そのおもな例としては▽千葉県の無職少年(16)は昨年四月二日、十二月三十日の二回少女歌手の松島トモ子さんに脅迫状を送り「二百万円送らねば命をもらう」とおどし碑文谷署で検挙。また▽目黒区高校二年生(17)は歌手にあこがれ、楽器やテープレコーダほしさから昨年十二月までに歌手大津美子さんら数人の歌手宅の郵便箱をこじあけ、現金入りのファン・レターなど二十万円を盗み、本年一月二十四日検挙、などがある。(後略)
(読売新聞4・15夕刊)

昭和35年(1960).1.23〔16歳が島倉千代子に爆弾〕
 東京都港区で、工員(16)が島倉千代子(22)の自宅を爆破しようとして逮捕された。高知県須崎市の中学を卒業して上京してから熱狂的ファンとなり、1.3から「家を爆破する」という脅迫状を4通出し、1.10には自作のダイナマイトを投げ入れ玄関で爆発させていた。1.23に自作のダイナマイトを持って家の前をうろついているところを警官に見つかり、ナイフで切りつけてきたが取り押さえられたもの。

昭和36年(1961).5.7〔18歳が丘さとみ殺害計画〕
 京都府京都市で、工員(18)が女優の丘さとみ(25)を殺すつもりでナイフを所持していたため殺人予備罪で逮捕された。東映時代劇のお姫様役で大人気だった丘さとみの熱狂的ファンとなり、映画はすべて観て、ファンレターも出していたが、殺さなければ自分が破滅すると思い込み、4.28に埼玉県大宮市から京都にやってきて丘さとみの自宅前の電話ボックスで毎日待ち伏せたが、常に母親や友人と連れ立って出入りするので実行できず、警察署を訪れて金を送るように家に連絡して欲しいと頼み、取り調べられたもの。
「私はある人を殺しに京都へきた。わたしはこの人に心をひかれてこれまでにも、しばしば京都にやってきたが、今度はその人を殺して自分のものにするつもりだった。しかしいいチャンスがなかったので目的を乗たさなかった」という手紙を逮捕された日に投げ込んでいた。手紙は京都新聞5.8夕刊引用。

昭和41年(1966).5.9〔18歳がこまどり姉妹と心中図る〕
 鳥取県倉吉市の市福祉会館で公演中の舞台で、農業手伝いの少年(18)がこまどり姉妹の並木葉子さん(26)を刃物で刺し、1ヶ月の重傷を負わせた。心中を図って、自身も舞台上で腹を刺し1ヶ月の重傷。これまで何度も結婚を迫る手紙を出していた。性格はやや内向的だが、ごく普通の少年だった。広島高裁で2〜5年の不定期刑となったが、1年後に首吊り自殺。

昭和41年(1966).7.29〔19歳日大生が都はるみの妹刺傷〕
 東京都港区で、日大法学部2年生(19)が都はるみ(18)の自宅に押しかけ、都はるみの妹(16)に切りつけて2週間の傷害を負わせて逃走、8.1に逮捕された。熱狂的ファンで、これまでもたびたびやって来ていたが、家族がドアチェーンをしたまま応対することに腹を立て、10日前に包丁を買って復讐にきたもの。「入れてくれないのが悔しくて。後のことは何も考えなかった」と自供。

昭和42年(1967).10.12〔17歳が園まりと心中する練習のため殺人と通り魔〕
 埼玉県南埼玉郡の食品店で、工員(17)が顔なじみの主人(29)を刺殺。鉄棒で妻(27)を殴打して3週間のケガを負わせた。6.4には路上で女子工員(20)を鉄棒で殴りつけ3ヶ月の重傷を負わせていた。
 福岡県糸島郡の農家の末っ子で、中卒後は埼玉の工場でまじめに働いていたが、園まり(23)のファンになってから性格が一変。他のファンに負けじと借金をしてまでがんばっていたが、次第に「独り占めにしたい。その為には殺すしかない」と思い詰め、度胸をつける練習のため一連の犯行を犯したもの。

昭和48年(1973).10.7〔16歳ら5人が長嶋茂雄誘拐計画〕
 神奈川県川崎市の社員寮に住む少年工員(16,18)と工員(22,24,25)の5人組が、長嶋茂雄選手(37)の誘拐計画を立てて逮捕された。「どうせやるなら世間をあっと言わせてやろう」と天地真理(21)を狙ったが所在が判らないため長嶋に変更、車に追突して出てきた長島選手をナイフで脅して家族を縛って現金を奪う計画で実行したが車を見失って失敗。19歳が弱気になって警察に届けたもの。主犯の24歳は去年に大阪の金物屋に日本刀で強盗に入り40万円を強奪していた。

昭和58年(1983).3.28〔19歳が松田聖子を殴る〕
 沖縄県沖縄市の体育館で、少年(19)がコンサート中のステージに上がって松田聖子(21)の頭を金属棒で数回殴って軽い打撲傷を与え、取り押さえられた。彼女の大ファンで、事件を放送して有名になりたいと自供。高校卒業後からノイローゼで精神病院に入院しており、外出許可を取って埼玉県入間市から来ていた。

昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(44)、母親(40)、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを頼まれて朝4時にやって来たが、中2生が祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、目を覚ました父親にバットを取り上げられると包丁で、父親37回、母親72回、祖母56回めった刺しにしたもの。別の友人に犯行を打ち明けて死体を見せ、この友人が教師に告げて警察に通報され逮捕された。
 サッカー部に所属し、礼儀正しく明るい性格で人気者だったので周囲は皆驚くが、数ヶ月前から友達数人には親を殺すと話していた。また、大ファンだった南野陽子をレイプして自殺するが、迷惑を掛けるので先に家族を殺すと1週間前に打ち明けており、南野陽子のスケジュールを調べて7.8をその決行日と決めていた。初等少年院に長期収容となった。






世界のすべてを知りたい人は、管賀江留郎『正しい心』を読みましょう

正しい心久しく以前から予告しておりました<浜松事件>と<二俣事件>、そして山崎兵八刑事の生き様を描く本を、『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』というタイトルでようやく出版する運びとなりました。

原型となる雑誌記事を書いてから、じつに8年の歳月が経過しております。その間、人としての営みのことごとくを放棄させられ、この一冊だけに全身全霊を吸い取られてうつろな脱穀になってしまうということになってしまいました。
なにゆえこんなに時間が掛ってしまったのかは、詳しい内容説明の入った序章を下に丸ごとアップしましたので、一読すればお判りいただけるでしょう。

良識ある諸姉諸兄に於かれましては、大風呂敷を広げたこの序章だけでも呆れ果てることでありましょうが、なあに大丈夫だいじょうぶ。本論はこれの数百倍とんでもないことになっていて、みなさんひっくり返ることになりますから。
私は犯罪だの殺人だのにはまったく興味がなく、同じく犯罪や殺人に興味のない方々にこそ読んでいただきたいと思っています。
当方としましては世界のすべてを解き明した総合知の本であると考えておりまして、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』なんかを面白く読んだ方に手に取っていただければ。
ただ、ジャレド本よりは拡げる風呂敷が大きいうえに、我々ひとりひとりの心の中と取り巻く環境、さらには生死にも直結する、遥かに切実なる問いを追及しております。

参考文献リストを除いても、じつに524ページ。定価2500円+消費税。
お値段と分厚さは通常の本の二倍。しかしながら、とても通常とは云えない本10冊分以上の内容をぶち込んで濃縮しております。
つまり、お金も時間も大幅に節約しつつ、歴史や人間の心の成り立ちを余すとこなく識ることができ、居ながらにして世界のすべてを手に入れることができてしまうという、まことに現代社会にふさわしい経済的でお得な一冊です。
じつのところ、帯の惹句には、「ニーチェもカントもプラトンも超えた!」くらいの文言は入れたかったのですが、担当編集にそれだけは勘弁してくれと懇願されましたので、今日はこのくらいにしといたるわという感じです。
こんなにも煽ってしまって大丈夫かいなと心配する方は、とりあえず、以下の序章を最後までご笑覧いただければ幸いです。

    
  道徳感情はなぜ人を誤らせるのか
  冤罪、虐殺、正しい心
管賀江留郎     

  序 捻転迷宮の入口

 シャーロック・ホームズの物語を読んで、かの有名な探偵が天才であることを否定する者はいないだろう。では、ホームズの天才的な能力とは、いったいなんなのだろうか?
 突拍子もない切り口から真相に迫る彼の推理の冴えに驚き、常人にはまねのできないアクロバチックな論理の展開を見せる思考能力に天才性を感ずる読者もいるかもしれない。しかし、その物語をよくよく読んでみれば、名探偵ホームズは精密な観察により、目の前の現実をただありのまま受け止めているに過ぎないことに気づかされるはずである。ワトソンを初めとする他の登場人物や読者たちも彼と同じ物を目にしているはずなのだが、何故だか目の前の現実をありのままに見ることができない。この能力の差こそが、凡人と天才とを分けている決定的な違いなのである。
 シャーロック・ホームズは架空の人物であって物語世界を創造した作者の分身なのだから、真実を、手品のタネをあらかじめ知っていて、何も知らないワトソンや読者を驚かしているだけだと仰る方もいるに違いない。ではそれならば、現実にいるホームズではどうだろうか。
 名探偵シャーロック・ホームズが我々の生きているこの現実世界に存在する? 驚くべきことに、ホームズとまったく同じ天才的能力を持った犯罪分析官が、この日本でかつて実際に大活躍していたのである。どういうわけだか、いまでは完全に忘れ去られてしまっているのだが。
 この実在した天才分析官と、彼の分析をどうしても呑み込めなかった捜査官たちとの対比により、アクロバチックな論理の展開を見せる思考能力を発揮するのはじつは凡人の側であって、そのために目の前の現実がありのままに見えなくなってしまうことが証明されるのだ。論理の飛躍を排し、ただ目の前の現実をありのままに受け止めているだけのホームズが、とてつもない天才に見える理由がここにある。
 なにゆえに、こんなことが起きてしまうのだろうか。忘れ去られた天才分析官は、この本の主役のひとりに過ぎない。幾人もの主役たちの姿を追うにつれ、その根源が自ずと明らかとなっていくはずである。
 いや、凡人が間違っていることを示そうというのではない。極めて稀な天才の出現は隕石の直撃の如きたんなる偶発的な事故に過ぎないが、多数派である凡人の能力には、そうでなければならない必然があるのだ。目の前の現実をありのままに受け止められない凡人が正しく、天才のほうが人間として間違っているのである。この人間の本性こそが、ときに恐ろしい結果を招いてしまうことにもなるのだが。

 探偵が現実をありのまま見ることに失敗すれば、犯人を取り逃してしまうだろう。それだけならまだしも、無実の人間を犯人として捕まえてしまう可能性も出てくることになる。ここに冤罪が発生する根本原理がある。
 冤罪とは、人間が自分を取り囲む現実世界をどのように認識しているかをそのまま炙り出す問題なのである。だからこそ、これは殺人や冤罪について書かれた本ではあるのだが、嫌でもそこから大きくはみ出すことになってしまうのだ。
 人間の認識の歪みが引き起こす悲劇。さらには、その歪みを引き起こす人間の正しい心を解き明かそうとする試みである。
 また、そのどうしようもなく正しい心を、なんとかして克服する道を探し求めた人々の記録ともなっている。我々ひとりひとりの心の変革を迫り、その眼に映る現実世界を歪ませることなく、ありのまま見えるようにするにはどうすればよいのかという、人間の本性への途方もない挑戦をした人々がここにいるのである。

 最初から、そんな大それた目論見があったわけではない。17歳の少年が九人を次々と殺害、四人に瀕死の重傷を負わせ二人を軽傷とした<浜松事件>。そもそもは、この事件解明への取り組みからはじまったのだった。
 戦時中に一年と二ヶ月にも渡って浜松周辺を未曽有の恐慌に陥れた<浜松事件>は、間違いなく史上最大の少年犯罪である。成人の犯行を含めても<津山三十人殺し>に次ぐ、いや、発生と同時に解決した<津山事件>とは比べものにならぬ、遥かに深刻なる歴史上の重大変事のはずであった。
 にも関わらず、これまでまとまった記事が書かれたことはほとんどなく、短い記述も間違いが多い。そのため、七〇年以上も誰ひとりとして全貌を掴むことがなかった<浜松事件>解明には相当な困難が予想された。しかし、そこに付随するもうひとつの変事がここまで捨て置かれているとは想いも寄らなかったのである。
 あれほど人々の耳目を集め戦後を騒がした事件であったのに。これまで繰り返し繰り返し綴られてきたにも関わらず。
 それは、<浜松事件>に関わった刑事のその後を描写するために挿入する、ひとつのエピソードに過ぎないはずだったのだが。

 <浜松事件>という戦前最大の難事件。連続無差別大量殺人ゆえに次は自分が標的になるのではないかと地元の人々が心安まることもなく、恐怖の余りの発狂者まで出した死の順番待ちを見事に断ち切った名捜査官として全国にその名が響き渡った紅林麻雄刑事。彼はまた戦後になって、<幸浦事件><二俣事件><小島事件>という悪名高き冤罪事件を立て続けに引き起こした人物としても知られている。
 彼の部下の手になる<島田事件><丸正事件>、さらにその後も続く<袴田事件>など、静岡県で異様に多い冤罪事件の、紅林刑事こそは元凶であるとも云われている。そのいくつかは再審請求が通ることなく、<拷問王>と呼ばれる彼の残したあまりに大きな過ちは、現在に至ってもまだ解決を見ていないのである。
 後日譚として軽く触れておかねばならぬだろうと少しばかり調べているうちに、<二俣事件>について半世紀近くも経てから関係者の衝撃の告白があり、しかもそれが誰ひとりとして取り上げずに見逃されていることを知って驚愕、<浜松事件>探求はいったん打切り急遽大きく舵を切ることとなったのであった。

 紅林刑事が引き起こした<二俣事件>。彼に立ち向かい我が身を捨て、それだけでは足らずに妻も子も不幸のどん底に叩き落とし、しかしそれでも縁もゆかりもない少年を死刑から救おうとしたもうひとりの刑事がいた。無実は証明され、死刑寸前で少年は確かに救われた。ここまでの経緯は幾冊もの本に書かれ、すでに読み知っている方もおられることだろう。
 だが、刑事は、いやとっくに警察を追放された山崎兵八元刑事は、その後のあまりに過酷なる仕打ちから生じた妄執に生涯苛まれることになったのである。そんな彼が渾身の力を振り絞って刻んだ著作。そこに<二俣事件>の核心を暴かんとする記述を遺したのだった。
 ところが、思わぬ顛末から手に取った一冊の本に導かれ、我知らず足を踏み入れていくうち、そんな衝撃の告白さえ霞んでしまうが如き特異なる人々の織りなす迷宮が忽然と立ち顕われ、深みに引きずり込まれてしまったのである。そして、その果てに垣間見えたのは、口を広げて暗く深遠なる淵を覗かせている恐るべき歴史の裏面であったのだ。
 ここにあるのは、昭和史の裏に隠されていた謎を、七〇年目にして初めて解き明かそうという試みでもある。人間の世界認識の歪みは、個々の事件だけではなく、歴史の奔流をも突き動かしていたのだ。山崎兵八という類い希なる人物の執念に絡め獲られ、読者諸氏も否応なくその錯綜を極めた迷宮に迷い込んでいただくこととなるのである。

 <浜松事件>と<二俣事件>。このふたつの事件に関わったのは紅林刑事ばかりでない。<浜松事件>で怪物刑事の誕生の瞬間に立ち会い、一生を懸けて対決するもうひとりの元刑事がそこにはいたのだ。この老探偵、南部清松が残した記録によって<浜松事件>と紅林刑事の解明は完全なものとなった。山崎氏に惹かれて<二俣事件>を経由しなければ南部探偵との邂逅もなく、謎は永遠に閉ざされたままだっただろう。
 そこで明らかとされたのは、紅林刑事に授けられし検事総長賞の決定的な影響力なのである。これがなければ、そもそも紅林刑事は警察に残ることさえできず、戦後の冤罪事件もなかったというのだ。
 帝国憲法を巡って、戦時中の東條英機首相と真っ向対立した松阪広政検事総長。彼が史上初の検事総長賞を<浜松事件>解決の功労者、紅林刑事に授与してその名を全国に高らしめたことが、捻れた作用によって思いも掛けぬ災厄を生むこととなる。また、その表彰こそは、内務省と司法省(現在の法務省)、そして憲兵隊による激烈な主導権争いの、奇妙なる落とし児でもあったのだ。紅林刑事の跡を追ってゆくと、日本を支配した<官庁の中の官庁>内務省や戦時体制の、それまで明かされることのなかった真の実態が浮かび上がってしまったのである。
 この省庁生き残りを賭けた闘争の一環として、日本初、いやおそらくは世界初のプロファイラー、内務省の吉川澄一技師も<浜松事件>に投入されることとなる。神業的な犯罪分析を展開して戦前の難事件を次々と解決したこの天才分析官は、<浜松事件>でも驚くほど的確なプロファイリングを披露しながら、なにゆえ解決には失敗したのか? それこそは、冤罪発生の根本原因ともなる人間の<認知バイアス>の恐ろしさを指し示してくれるのだ。
 彼とともに<浜松事件>に加わる、もう一方の犯罪捜査の権威がいた。小説や映画のモデルともなった社交界の花形、同時に数多くの難事件にも関わりマスコミを賑わせ続けた法医学者小宮喬介博士。博士のプロファイリングとサービス精神が<浜松事件>に思わぬ波紋を広げ、巻き込まれた南部清松刑事に冤罪と闘うきっかけをも与えることになるのである。
 そして、巨額M資金詐欺疑惑で小宮博士が学界を追われ、吉川技師という犯罪捜査の切り札をも同時に失ない変質した戦後警察の元、<二俣事件>など数々の冤罪事件が続発することになる。国家警察と自治体警察に分かれていた時代だからこそ冤罪が多発したというこれまでの単純なる図式的定説を、この戦後警察システムのプロファイリングによって根底から覆すことになる。これも内務省と他省庁との対立が生んだ、歴史を故意に歪ませる目眩ましの神話に過ぎなかったのだ。
 また、犯罪捜査の権威ふたりが去った空隙を埋めて、古畑種基博士という新たなる権威が君臨、<ベイズ確率>など最新の科学を駆使して冤罪被害を増幅させていったのだった。しかし、古畑博士の<二俣事件>への意外な関わりを見れば、権力に迎合して法医学鑑定結果を曲げたなどという見方も浅はかなる図式的理解であり、真実は捻れて遥かに恐ろしい処にあることが知れるのである。
 さらに、安保条約を強行採決し憲法改正をも目指す衆議院議長という権力中枢の座にありながら、<二俣事件>を無罪に導くことで、もうひとつの図式的理解を覆してくれる清瀬一郎弁護士。彼こそは青年将校たちの<昭和維新運動>や近衛文麿の<新体制運動>に加わり、帝国憲法改正をも目指したその戦前の政治姿勢から、<認知バイアス>のもう一方の恐ろしさを垣間見せてくれるのだった。それは、<認知バイアス>とともに冤罪の原因ともなるもうひとつの人間の本性にも密接に関わってくるのである。また、この清瀬との関係から、紅林刑事が戦後体制や憲法に奇妙な、そして極めて大きい影響を与えていた可能性も見えてくることとなる。
 同じく、<二俣事件>を無罪へと導いた最高裁判事たち。<司法権独立>死守の生け贄として冤罪により辞職寸前まで追い詰められた彼ら裁判官の姿によって、<司法権独立>を巧みに利用しようとした司法省の手練手管が浮き彫りとなる。その司法省の暗躍が、<浜松事件>と<二俣事件>に思わぬ連鎖から、しかし決して見逃せぬ一撃を加えたのであった。結果的に、彼ら最高裁判事たちが史上唯一の正しい訓練を受けることとなったため<認知バイアス>を克服、目の前の現実がありのまま見えるようになってしまったのだ。

 <浜松事件>と<二俣事件>、誰にも望まれぬまま時代の脇腹に打ち込まれた二本の捻れたこの楔。同時に引き抜こうとするや、絲が絡み合ったまま根刮ぎ手繰り寄せられ、このふたつの事件を軸に図らずも昭和史のすべてが読み解けるようになったのである。いや、それまで図式的理解という<認知バイアス>により、歴史がいかに歪まされて見えていたのかに気づかされるのである。
 それらすべての中心に位置した紅林麻雄刑事。彼が<浜松事件>で果たした驚くべき役割とはいったい何だったのか? そして、彼を巡って天を摩しそそり立った虚像と、彼への意想外な反応から、<認知バイアス>よりも遥かに厄介で、冤罪の元凶となりうるのが、ほかでもない、人間の<道徳感情>そのものであることを思い知らされることになるのだ。
 <道徳感情>は、たかだか一万年ほどの文明が、宗教や教育によって人々に身に着けさせた薄くて軽い布切れではない。数百万年に渡る進化が骨の髄に刻みつけた、拭うに拭えない人間の本性なのである。これがなければ、人類は宗教の発生する遙か以前に絶滅していたであろう、生存のための第一原理なのである。最新の進化生物学は<道徳感情>の成り立ちを完全に解き明しており、逆に本書の冤罪発生原因の分析でこの進化心理学の正しさを裏付けることになる。
 そこから、冤罪とは、取調べの可視化など、警察や裁判システムの小手先の変革だけでは克服し得ない、人間の本質と絡み合った問題であることも明らかとなるのだ。
 それだけではない。十五人を次々と殺傷した<浜松事件>の少年の動機も、驚くべきことに<道徳感情>から起因しているのだった。道徳や感情が欠落しているはずの<サイコパス>の恐るべき連続殺人が、<道徳感情>とどのように結びついているというのか。はたまた、正常なはずの人間が<サイコパス>的思考に陥ることにより、冤罪を発生させ、また清瀬一郎が関わったような国家を崩壊させる歴史上の悲劇を引き起こすのも、この<道徳感情>と<認知バイアス>の組み合わせから発している。その人間の心の成り立ちを説くことになる。
 その上で、ここまで身に絡みついた本性を脱する困難を極める唯一の道筋が、二五〇年前にすでに提示されていたことも再発見させられることとなるのである。

 しかしまた、そのような巨大なる歴史や組織、人間の本性さえも凌駕してしまうかの如くの瞠目すべき個人もいるのだった。
 為す術もなく運命の奔流へと填り込んでいくに任せるだけではなく、たとえ敗れはしても一生を懸けてあらがい続け、時代に爪痕を遺さんとする執念の人がいたことを、これからこの迷宮を経巡る読者諸氏は知ることとなるであろう。




さてさて、ご興味を抱かれた方は、『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』で、続きを読んでいただければ。
帯の惹句には「21世紀の道徳感情論!」と謳い、さらにあとがきでは、「冤罪や殺人だけではなく、大恐慌や戦争、テロや革命に至る人間の歴史を動かす原理がじつは<道徳感情>であるなどという、その悲劇の克服法までをも含めた人間の本性についての壮大なる統一理論を展開する羽目になってしまいました」なんてなことも書いておりますが、実際にはその範囲さえ大きく超えた内容となっております。
表紙はラファエロ「堕天使を駆逐する聖ミカエル」。なにゆえこの絵を配したのか、最後まで読んでいただければその意味をお判りいただけることもあるでしょう。



Honya Clubhontoなどのネット書店では在庫があります。
全国の書店でも並び始めていて、紀伊國屋書店ジュンク堂の店頭では、すぐに入手できます。
続けて3刷、4刷を準備してますので、アマゾンでも、間もなく補充されます。





フーリガンが新宿で通行人女性の下着を引き裂く

W杯恒例の渋谷の騒ぎで、痴漢が出たそうで、この早慶戦の記事を出してくる人がいるかと思ったんですが、どうも誰も出してないようなので、しょうがないからアップしておきます。
被害者の名前は書き替えてます。

〔新宿もみくちゃ 早大優勝、通行人にも被害〕 読売新聞 昭和30年11月8日
 
(前略)
○この夜新宿に流れ込んだ学生はおよそ八千人(淀橋、四谷署調べ)これに先輩だとか一般人が加わって総人出は一万数千人となり、表通りは一面スクラムの波。ラッパを吹き、躍ったり、歌ったりで武蔵野館一体の交通はオールストップ。スクラムに踏みつけられて病院に担ぎ込まれた学生も二、三人いた。
○売り出し中の街の飾りつけも被害続出で映画館の広告板ははぎ取られてプラカードに早変わりし、ビヤホールは百数十個のジョッキが姿を消した。
淀橋、四谷両署に同夜十二時までに届けられた被害は、店員A子さん(19)が武蔵野館前でスクラムにまきこまれコートをはがされ、下着をさかれ、ハンドバッグとクツを奪われたほか店員B子さん(24)がサイフ、定期券、サラリーマン氏が腕時計一個など計三十件に達した。


昭和三十年代の早慶戦での街中の騒ぎは、石原慎太郎原作の太陽族映画『処刑の部屋』なんかでも実際の映像を見ることができますが、まさしくスクラムの波で、なかなか凄いものがあります。
巻き込まれたら最後です。下着を破かれるんですから、乳を揉まれるどころではありません。
この日の読売夕刊に載った〔優勝祝の行過ぎ〕という記事の淀橋署長談話によりますと、この三十件は若い女性に対するものが多く、
「女性をスクラムにまきこんで持物を奪い、イタズラして体に傷をつけたり、着物を破ったりした」
と、傷も負わしています。
まあ、大勢で揉みくちゃにして下着を引き裂いたりすれば、当然、傷もつくでしょう。
あくまで、警察に届けがあった分だけでこれです。
ところが、検挙はできなかったので、次回の早慶戦からはちゃんと取り締まると、淀橋署長はなかなか呑気なことを仰ってます。
ちなみに、淀橋署はいまの新宿署です。
これまではこんな具合だったそうで。
「早慶戦当夜の新宿では学生の無礼講が伝統となっており、警察も形だけの警戒ですませるのが例になっていた」

しかし、この年の前回の早慶戦でもこんな具合でした。
〔早慶戦の興奮 新宿に押し出す〕 読売新聞 昭和30年6月14日
 
(前略)
十時を過ぎるころには新宿駅東口交番は「足をひっかけられて歩けない」と泣きこむおっさん。「これを見てくれ」とビリビリに裂かれた女給のスカートを持ってがなりこむキャバレーのマスター。「ジョッキを片端から持って行かれる」とお巡りさんを引っ張り出しにくるビヤホールのバーテンなどなどで大にぎわい。
このさわぎで武蔵野館は一足先にヨロイ戸をおろして最終回の上演を中止、せっかくのお客をフイにしたが"これも年中行事"となかばあきらめ顔だった。


どうも、早慶野球サポーターの皆さんは、女性の服を破ったりするのが好きだったみたいです。
昔の女学生は逞しかったですから、被害に遭うだけではなく、こういうこともやってたんですが。
「そのなかには気負い立った女子学生の姿もチラホラみえ、男にまじってタクシーをとりかこんで胴上げにせんばかりの勢い」
この記事には、タクシーを引っ繰り返そうとしているような写真も載ってます。
これには非難する投書なんかも新聞に載りましたけど、まだまだ擁護する意見が多くを占めてました。

〔夜の早慶戦を大目に〕 読売新聞 昭和30年6月18日 著作家 権田権太郎

私もかつて銀座へ押しだした一人なのであの気持ちはよくわかる。十余年後の今日までも楽しい思い出として残っている。ガラス窓をこわしたり、スカートを破ったのはまことに遺憾であるが、昔とくらべておとなしいものだ、と当局も言っている通り、全体的にみてさしたる実害もないのではないかと思う。
縁もゆかりもない第三者の方から見ればずいぶん得て勝ってな言いぐさと受け取られようが、やれ汚職だ、ヒロポンだというような今の世に、若い血をもて余している学生たちに、せめて年に二回のあの程度のバカ騒ぎは大目に見過ごしてやっていただきたい。


警察も「昔とくらべておとなしいものだ」と云うくらいで、戦前はもっと激しく暴れてたのでした。
朝日新聞昭和8年10月23日〔夜の銀座脅す 校歌合戦から衝突へ〕 なんかを読むと、早慶戦の夜に銀座で暴れて路面電車や自動車を留めてしまって、制止しようとした警官隊を袋叩きにしています。別の記事では、酒屋を大勢で襲って、酒を大量に略奪したりしてます。
早慶ばかりではなく、一高(東大)と三高(京大)の対抗戦では、毎回街中で何百人が乱闘するのが恒例になって、刃物を振り回して相手を斬ったりなんかしてたことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第16章「戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代」に詳しく書いてますので、読んでいただければ。
年に数回しかないこういう試合のときだけではなく、旧制高校生は毎晩街中で暴れて、商店の窓ガラスを割って廻ったり、交差点の真ん中で歌って踊って、路面電車を長時間留めたりしていたのですけどね。
たいていは黙認で、たまに逮捕されたりしても説教だけですぐに帰され、戦前は若い者に寛大でした。

一時期、ツイッターで莫迦ないたずらを披露して炎上したりするのを、底辺の生態が表面化したものだと云ってる人が多くてどうかと思ったのですが、本来こういう無茶苦茶はエリートがやるのが日本の伝統なのでした。
戦前だとか、昭和三十年代とかを懐かしんで、その精神を取り戻そうと主張している方は、まずこういう騒ぎを自ら率先して起すか、あるいはそういう若いもんを温かく見護って、どんどんやれと焚き付けるべきでしょう。
それが、当時の正しい大人のあり方でした。
古き良き精神を忘れて、大らかなる心を失った輩が増えたのは、まことにけしからんことであります。

また、こういう過去の記録を参照する方がまったくいないのはどうしたもんでしょうか。
文明の基礎は情報の蓄積にあるんですが、過去の情報を踏まえずにそのつど目の前で起る事象に適当な感想を吐くだけでは動物と同じで、これでは文明の一員とはとても云えません。
ちょっと前までは、新聞を調べるのはなかなか大変で私のような物好きしかできないようなことでしたが、いまではどこの図書館でも全国紙の検索は簡単にできるようになってますから、みなさんも文明の担い手のひとりになって、いろいろと情報を蓄積していただければ。
地方紙も読めば、もっと面白い記事が見つかりますので。




大学はいったいどういうことになっておるのかね

『社会学ワンダーランド』という本の一章21ページに、当方のブログについての記述があるとメールで教えてくれた方がおりました。
「児童虐待についての基本データ」
「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを云うことが研究だとやはり考えられているのでしょうか」
という文章について、突っ込まれてるから訂正したほうがよろしいのではないかというのです。
訂正を促すとなると、<網羅的事例データベース>はすでに学者の手によって構築されているということなのかな。まさか、『青少年非行・犯罪史資料』あたりの資料を指して云ってるわけではないだろなとかいろいろ思いつつも、近所の図書館にその本はなく、国会図書館ではほかの調べ物に手一杯で、半年ほど読めなかったのですが、先日ようやく見てみました。予想の斜め下というやつで、いささか驚きました。

学者さん数人が執筆した社会学の入門書らしいんですが、一章は佐藤俊樹東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授という方が担当されてます。そこでは、少年による殺人は減ってるのに社会学者は都合のいい証拠だけを集めて増えたように煽ってるとパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』なんかで莫迦にしてるけど、実際にはちゃんと減ってると云ってた人もいましたよという話を出して、その注釈としてこんなことを書いておられます。

こうした常識も強固らしく.たとえば私は2008年に「事件を語る現代」(前出大澤編「アキハバラ発』所収)で「少年犯罪データベース」を紹介して図も引用させてもらいましたが,その少年犯罪データベースドアに「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを云う」とあったりします(2010年8月10日付)。

つまり、私のあの文章を、殺人が減ってるのに増えてると社会学者が主張してると私が書いてる、と読み取ったわけなんですかね。
しかし、「統計を見て」いるのなら、増えてるか減ってるかくらいは判るでしょう。
統計なんかではなく、<網羅的事例データベース>をまず構築して精査しないと研究にならないということを何度も強調しているのですから、そんな話ではないことは普通の読解力があれば判ることだと思うのですが。

あの記事では最初から、グラフは厚生労働省の人口動態の死因統計であって警察統計とは性質がまったく違うことをわざわざ説明しているのに、その私のサイトにはすでに何年も前からアップして、あの記事にもリンクを張ってる警察統計と同じものを出してきて「ガイシュツ」とか、はてブに書く人がいて驚いたのですが、社会学の方はデータを読み取る以前に、まともに文章を読み取る力がないということなのでしょうか。
はてブの人も、湯沢2003とか内田2009とか読んでるということは少なくとも社会学の読者ではあるでしょうし、すぐにどの本か判らないこんな不便でいい加減やめるべき書式の使用から大学関係の方なんでしょう。
メールの人も含めると社会学の方が文章を読み取れないサンプルが三例となりました。ほかに社会学の知り合いもおりませんので、私の中でははてブを見た時の疑問が確信に変わりつつあります。
メールの方にはあの記事をどのように読み取り、どのような訂正を求められたのかを問うてみたのですが返事がありません。まあ、半年も前のメールに対する返信で、捨てアドなら読んでないのは致し方ないので、ブログにもアップした次第です。

この本を読んで、佐藤氏という方が当サイトのグラフを『アキハバラ発 <00年代>への問い』という本に引用していることを初めて知りましたが、あれはなんの検証もせずに転載しているのですな。検証しているのなら、引用なぞせずに自身で作成したグラフとして載せることができるはずですから。犯罪統計は警察庁の犯罪統計書なり犯罪白書なりを基にすればいいので、当サイトを経由する意味はまったくありません。
これもまた驚きました。学問の基本についてなんの訓練も受けていないのでしょうか。
「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを」云々の直前には、検証もせずにグラフをただ転載することを批判しておいたのに、こんなことをドヤ顔で著作で述べるとは、私の理解を超えております。
これでは確かに、「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを」云々は訂正して、「日本の社会学とやらでは統計さえ見ない」としなければいけなくなってしまいます。
『アキハバラ発』で佐藤氏は、
「すでに「少年犯罪データベース」のような、かなり信頼できる情報源がある」
なんてことも記してますが、いったい何をどう検証して信頼できると結論づけたのか。もし、何割かでも検証したと仰るのなら、まず絶対にあるはずの間違いを指摘してくれんと困まります。そういうフィードバックによってのみ研究なり学問なりは発展させることができるわけです。

拙著『戦前の少年犯罪』を出したときに、一般読者は間違いを指摘してくれたり建設的な意見が多かったのですが、学者さんは「この事件の出典はなんですか」とか「出典表示のないものは研究として認められない」というような見当外れのものばかりで、いったいどうなってるのかと驚きました。
あの本や当サイトのデータはすべて県名と年月日を出してますから、出典にはすぐに辿り着けるようになってます。戦時統制以降はひとつの県に地方紙は一紙だけ、それ以前も主要なものはせいぜい二紙、全国紙の地方版三紙と合せても五紙、検証のためには五紙すべて見るのは当然のことです。当方のデータに事件にとっては本質的でない逮捕日を必ず入れてるのは、記事への指標になるからです。日付は五紙バラバラだし、複数出ることもあるので、煩雑だからいちいち表記はしてません。文章をそのまま引用する場合は本では明記してます。サイトではなかなか追っつきませんが。新聞以外の出典は書いてますし。
ちゃんと検証できるようになってることが重要で、形式なんかにまったく意味はない。狭い村の意味のない約束事なんか関係なく、真面目に学問やってる方には判ることです。
こういう反応を見て、どうもいまどきの学者さんは自分で典拠を検証することに慣れてない。それ以前に、出典表示とはなんのためにあるのか、きちんと学んでいないのではないかと感じました。出典表示は遡って自分の眼で検証するためにあるのに、孫引きのための便利な道具だと思ってるらしいんです。

「就職は大恐慌時より今のほうが厳しいのです」に於いて
「学者には本を読むことを禁止したほうがいいんではないかと私は真剣に思います。本を元に書かれた本なぞ、まったくの無意味無価値です」
なんてことを記したのは、このことなんですね。出典表示だけではなくて、本なんてもんはすべて原典データに辿り着くためのたんなる案内に過ぎなくて、きちんと検証してフィードバックするのが学問だと理解しているのなら、べつに本なんかいくら読んでもいいんですけど。いまどきの学者さんは、学問のいろはのイについて訓練を受けていないようなんです。ノイズを増やすようなことしかやってない。大学はいったい何をやってるんでしょうか。

「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを云うことが研究だとやはり考えられているのでしょうか」
に対する突っ込みがあるとしたら、この二種しかないはずです。
「<網羅的事例データベース>はすでに構築してるよ」
「<網羅的事例データベース>なんて必要ないよ」
もし、後者であるのなら、フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』だとか、長尾真氏提唱するところの<第三次近似>だとか持ち出して、そもそも学問とは何かという基本から教育してやらねばいかんかのーと、この半年ほど手ぐすね引いてたのですが、どうもそういう高尚な段階でもなかったようです。愚かなる私は世の中を甘く見ておりました。

学問の基本としては、<網羅的事例データベース>構築が必須ですが、統計さえまともに構築せずに、当方のサイトのグラフなぞを頼るようではそれ以前の話です。
あの記事では、
「日本の大学の学者がやってる研究などというのはママゴト遊びに過ぎません」
なんてことも書きましたが、ママゴト遊びはもうちょっと真剣なもので、これではママゴト以下です。

社会学を志す学生さんなり研究者さんなりは、まず初歩の初歩たる出来合いの統計構築からやっていただければ。
『人口動態統計』や、『文部省年報』をエクセルデータにしてウェブにアップして皆で共用できるようにしていただきたいと何度も呼び掛けているのに、反応がまったくないのはなんでなんですかね。
つい数年前までは膨大なる時間と金を使ってコピーしてからの作業なので大変だったのに、いまでは長尾真館長のおかげでこうして戦前分だけでもすべて国会図書館サイトで画像が閲覧やダウンロードができるようになって、夢みたいに便利になったというのに。犯罪統計書も戦前分は『内務省統計報告』で全部見れます。
私なんかに云われるまでなく、大学ではなんでこういうことをさっさとやらんのですかね。それともすでにどっかがやってますか。やってるなら教えていただければ。この手のは別々に二箇所以上でやって付き合わせなければいけませんが。

誰かが作成した統計やグラフを眺めてるだけでなく、この程度の単純作業でも自分の手でやると見えてくることが結構あります。項目毎に時系列で並べて、年齢別は10歳毎にまとめたりすれば特に。
学生さんの教育には最適かと思いますが、こういう状況ではまず学者さんにやらせたほうがいいですね。ママゴト遊びを脱して、初歩ながらも学問とは何かを知るいい機会かと思います。
これで初めて、
「日本の社会学とやらでは統計を見て適当なことを云うことが研究だとやはり考えられているのでしょうか」
の段階にようやく到達して、<網羅的事例データベース>はその先の話ですが。
このままではまた無報酬の私が統計までやらんといけなくなります。それを、給料もらってる学者さんが「かなり信頼できる情報源」とか云いつつ検証もせずに引用したりするんですかね。

てなことを思ってるときに、たまたま山形浩生氏の「ニコニコ学会ベータでの失望」というのを読みました。
はてブでは、
「マネタイズできない学問は死ね」っていうホリエモンの意見って、研究・学問に対する冒涜でしょ
なんて云ってる方もおりますが、どっちかというとマネタイズで研究・学問を冒涜してるのはあの大学の学者さんのほうではないですかね。
自分が給料もらえるマネタイズの仕組みを維持するために、理屈をつけてるだけですから。そんなに大切なものなら、給料なんかもらわずに自分の金でやればいいのに。
どこからも金をもらわずに自腹で少年犯罪データベースを十年以上やってる私なんかには、この手の話はどうもよく理解できんことです。
学問マネタイズシステムとしても、学者養成機関としても、大学は無駄が多過ぎます。いやもう全部無駄のような気もします。
山形氏も大学に寄付なんかするより、研究者個人へ寄付すればいいのに。どうせなら、大学以外で埋もれている研究を発掘して、金を集めて流すキュレーターみたいな役とかのほうが有益でしょう。
ニコニコ学会って何やってるのかまったく知りませんけど、そういう研究者個人へ金を流す支援システムとかはやるんですかね。

じつは少年犯罪データベースも、「ご協力のお願い。あるいはぶっちゃけ金よこせ。」をアップしたときに寄付を申し出てくれた方がおひとりだけおりまして、三年で3万円いただきました。あれは助かりました。
新聞報道や警察資料を集めてるだけなのに、犯罪をあつかってる当サイトはグーグルアドセンスの審査がどうしても通らないらしいのです。実入りはかなり少ないけど審査基準のゆるい忍者AdMaxというのを一年前に教えていただき、これで経費くらいは賄えるようになるかと思ったんですが、同時期からアマゾンが紹介料率をぐっと引き下げ、売り上げ減少もあり、結局は差し引き変わらずのままです。
経費くらいはなんとかしたいもの。国会図書館の食堂でランチが食えるようになるのは遠い夢であります。

寄付は金だけではなく、データや情報、フィードバックなども歓迎します。訂正を促すメールが一番ありがたい。間違いを正すことができれば、当方も進化できますので。情報を出してるのは、人様に何かを教えようなんてことではなくて、こっちが情報を知りたいからなんです。特に統計の間違いを指摘してくれる方が少ないので困ってます。
そう云えば、長谷川眞理子氏が殺人事件のデータベースを作成していると昔なんかに書いておられましたけど、あれはどうなったんですかね。ご存じの方はご教示いただければ。

※こちらの記事も参照してください。
グラフを更新したついでに、リンゴとミカンはどっちが多いかについても


2014/1/6追記
寄付の話は少年犯罪データベースを活用されている方に向けて書いたものです。
山形浩生氏に関する記述は、べつに当方に寄付を促すつもりで書いたわけではないのですが(そもそも、山形氏が少年犯罪データベースや『戦前の少年犯罪』を読んでおられるとは思ってなかったですから)、山形氏から寄付を申し出ていただき、かなりの額を賜りました。
次の本の執筆に何年も掛かり切りになってしまったためいささか困窮し餓死も目前に迫る事態となっていたのですが、これで本か出るまでなんとか生き延びられそうです。少年犯罪データベース作成の経費も賄えて、まことにありがたいことです。
ゆめゆめ徒消することなく、必ずや真理究明のため活用する所存でおります。
なお、山形氏はすでに大学だけではなく研究者個人にも寄付をされているそうです。







グラフを更新したついでに、リンゴとミカンはどっちが多いかについても

幼女レイプ被害者数統計を6年間も放置していたので、いいかげん誰かが更新するだろうと思っていたのですが、誰もやってないみたいなので、しょうがないから2012年までの最新版に更新しました。
ご覧のように更新した部分は横這いですから、あんまし意味はないのですが。
これらのグラフは自由に使用していただいて結構なんですが、画像の直リンは勘弁してください。幼女レイプ被害者数統計ページにリンクを張るか、画像を使いたい方は、コピペして持っていって貼り付けて、うちのサイトにリンクも張っておいていただければ。
この手のものは、グラフをただ眺めるだけではなく、基となった数値データを見て検証することが肝心ですので。

G-youjyoR2012


また、いまだに少子化がどうとか云ってる人が多いので、小学生数に対する比率グラフも作ってみました。
ご覧のように、団塊世代が全員小学校を卒業した昭和38年以降は、実数グラフに概ね沿っているので、こっちもあんまし意味はないのですが。

G-youjyoR2012hiritu


そもそも、団塊世代が在籍していて小学生数が一番多かった昭和33年でさえ、2012年の1.99倍で二倍もいないのですから、それより人数の変化がない団塊卒業以降はほとんど重なることになるのは当たり前なんですけどね。一方の被害者数の変化は十倍以上なんですから。
団塊でさえ二倍もいないのは、団塊世代というが三年間しかおらず、その前後はあんまり多くはないので、十代とか、小学校6年間とかの幅を持たせると薄まって少なくなるからです。
もっとも、団塊のなかでも一番多い昭和24年生れの出生数だけピンポイントでみても2012年の2.6倍ほどで、昔は乳幼児の死亡率が高かったですから、小学校に入るころには2.3倍まで下がってまして、そんなにとんでもなく多いわけではないんですが。
これらには返還前の沖縄の数字が入っていないことも関係します。ただ、昔の沖縄は犯罪全般が極めて多かったので、沖縄のデータを含めると、返還された昭和47年以前の比率はもっと上がるだろうと推測します。
団塊卒業以降でもっとも多い、団塊ジュニアが在籍した1981年の小学生数は、2012年の1.76倍。被害者数は四倍もいたので、比率はずっと高かったのでした。

小学生数や、年齢別人口などは、政府統計サイトに行けば時系列ですべて揃ってるものがすぐダウンロードできるので、流し込めば数分でこんなグラフは作成できるのに、誰もやろうとしないのは驚くべきことです。少子化ガーとか云ってる人はあんなにたくさんいるというのに。
疑問を持ってもすぐに解決しようとしない、やろうとする者がたったひとりもいないというのは、やはり教育になにか根本的欠陥があるとしか思えません。
少子化の影響はどうなんだろうと疑問を持って、そこから自分の手を使って確認しようとしなかった方は、なにゆえ数分で済む検証を自分はやらなかったのかを、結論が出るまで突き詰めて説明していただけると幸いです。
また、最近のもろもろの基本問題である正確な人口変動くらいは、国民の基礎知識として共有しておくべきでしょう。基礎的データの認識の歪みが、いろんな問題を余計にややこしくしてると思います。

これで思い出したのが、人員不足やそれに伴う能力低下なんかでIT業界が危機を迎えているという一年前のブログ記事に対する、このはてなブックマークでして、私はIT業界だとかシステムインテグレーターだとかにまったく興味はないんですが、ご覧のように7百人以上ものブックマークが付いてたので、なんだろなと思って読んでみたのです。
その元のブログにはこういう記述があります。

そもそも供給サイドの母体になるべき人員の供給が、若年層の人口減とともに圧倒的に減少しているということです。詳細な統計データを見るまでもなく、25-35歳の就労人口は1990年を基準とすると2010年以降は、実に50%近くにさがります。いいですか?1970年の高度経済成長期との比較ではないですよ。これは実際に体感されている人や薄々勘づいている人も多いと思います。

「SI屋さんとSIと、直近の課題について。」急がば回れ、選ぶなら近道引用

「25-35歳の就労人口」というのは何を意味するのか曖昧ですが、単純に「日本の25-35歳の人口」のことなんでしょう。
システムエンジニアが現在の6%程度しか存在しなかった1970年が、いまよりもずっと多いように云ってるわけですから、システムエンジニア全体なり、システムインテグレーター従事者なりということはありえません。まあ、「若年層の人口減」と連動していると云ってるのですから、人口全体でも、システムインテグレーター業界だけの人口でも、増減に関してはどっちでも同じことです。
さて、その「日本の25-35歳の人口」ですが、政府統計とか見ればすぐに判るんですが、1990年は1757万人、2010年は1770万7千人です。
「実に50%近くにさが」るどころか、13万7千人増えてますよ。

これは単純なことで、1990年の「日本の25-35歳の人口」は団塊と団塊ジュニアの狭間ですから、そんなに多くないのです。しかし、もの凄く多かったように記されている1970年は1914万4千人ですから、こっちと比べても7.5%しか減ってないんですけどね。1970年は団塊がまだ25歳になってませんから。
まあ、「2010年以降」ということですから、最新のデータで、このブログが書かれた2012年を見てみると、1660万人ですから、1990年と比べて5.5%ほどは減ってます。
このブログが書かれた時点で、すでに「若年層の人口減とともに圧倒的に減少している」「実際に体感されている」と云うには、いささか心許ない数値ではあります。
団塊以降で一番多い2002年と比べると、1990年と2010年の「日本の25-35歳の人口」は共に15%ほど低いので、両年ともシステムインテグレーターへの就業者数なり能力なりが2002年より低くならないとこんな論は成り立ちません。
若年層人口の上下動さえ把握してない方が立てた論ですから、仮にデータを精査して人口との相関が見つかったとしても、それは出鱈目に投げた石がたまたま当たっただけに過ぎません。

いや、まあ、なかにはこの程度のデータさえ扱えずに粗雑な論をブログに書く人がひとりぐらいいてもべつにいいし、これだけなら個人のブログにいちいち野暮なツッコミなんか入れないんですけど、問題はこのブログではなくて、はてブのほうです。
この記事をブックマークした7百人以上の大半は、システムエンジニアなんかのプロの方だろうと思うのですが、誰ひとりとして、ウェブ上で公開されていて数分で確認できるこの程度のデータさえ参照せず、人のブログを鵜呑みにしています。それでいて、システムエンジニアの能力低下を嘆いてたりなんかしている。
私は冗談抜きで背筋が寒くなりました。これでは、日本でまともなソフトウェアが生れないわけです。少子化とか関係ありません。35歳以下しかブクマしてないなんてことはないでしょう。「もう猿だか、猫だかわからないような人員」とは、いったい誰のことなのか。
それ以前の話として、この人たちは、己が文明の担い手であるという自覚や、そのための基本的な能力がないのでしょうか。

べつにビッグデータを解析するとか複雑な統計手法の話ではなくて、小学校に入ったときに一番最初に習う、「このリンゴとミカンはどっちが多いでしょうか」とかいうレベルの問題なんですが。、
リンゴとミカンとどっちが多いかは、両方の数を数えて比較することよって、初めて確定するわけです。
「体感され」たり、「薄々勘づい」たり、あるいは誰かがリンゴのほうが多いと云ってたよ、なんてことでは、たまたま当たることもありますが、かなりの割合で間違えるのです。日常生活ではそれで済む場面も多いですが、そういうやり方で建てられた高層ビルに住んだり、そういうやり方で設計されたソフトウェアに生命財産を預けてたりしたら、命がいくつあっても足りません。ソフトウェアとは、法律なんかも含まれます。

なにゆえ、小学校に入ったときに一番最初に「このリンゴとミカンはどっちが多いでしょうか」という問題と遭遇することになっているのかは、存外に深い話です。
人間の世界認識力の根本を問うているところがあります。
また、その世界認識を構築し直して、文明の担い手となる第一歩として、この技法を身に着けておくことが絶対に必要だと、先人が見抜いて教育の入り口に導入し、必ずここを通り抜けるようにしたのでしょう。
そして、その偉大なる先人の狙いは、現在、見事に失敗しているわけです。

人間が長い狩猟採集時代に進化的に染みついた、多少の間違いに目をつぶっても素早く危険から逃れることを優先したり、因果関係をでっち上げたりする直感的思考と、文明を築くようになった最近に身に着けつつあってまだ充分使いこなしていない客観的データを元にした論理的思考がぶつかり合った人間の不合理な行動を、近頃は二重過程理論とかで説明するみたいですが、そんな小難しいことよりももうちょっと根源的な話に思えます。
疑問にも思わないというのならともかく、疑問を持っているのに、すぐできる確認をやらないというのは、狩猟採集時代でも危険で淘汰されるでしょう。複雑で抽象的な統計分析なんかは呑み込みにくいですが、どっちが数が多いかなんて程度なら、いわゆるシステム1の直感でも判るはずです。データを確認するかどうかだけで。
そもそも、自分の眼で見てどっちが多いか判断するなんて、狩猟採集には一番有用な行動のはずで、どうも、二重過程理論ではシステム1がシステム2を阻害することばかりが取り上げられますが、逆の影響も見たほうがいいような。人間には両方必要なはずで、環境が変わってまだ1万年しか経ってない進化の過渡期のために、あるいは正しいフィードバックが行われていないために、バランスを崩している可能性はあります。
逆に云うと、この手のリンゴとミカンはどっちが多いかレベルのデータを確認するだけで、自分の思考の間違いに気づいて、一歩進化できるフィードバックを得ることができるわけです。
少年犯罪データベースも煎じ詰めれば、リンゴとミカンはどっちが多いかを示すための活動でありまして、少年犯罪にまったく興味のない私が少年犯罪データベースなんかやってるのも、それも統計よりも個別の具体事例を網羅することに力を入れてるのも、まあこういうことですね。
少年犯罪自体はたんなるサンプルで、己の世界認識に歪みがあることを自覚できるのなら対象は何でも良いわけです。いや、どっちかというと、単純なほうがいい。
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』なんかで取り上げられてるような、じっくり考えないと間違いに気づかない、まさしくシステム2の高度な問題ではなく、システム1の直感でも判るはずのリンゴとミカンはどっちが多いかレベルの問題で、我々の世界認識はいかに大きく歪んでいるのかに気づくほうが意味がある、また文明の担い手としてじつはそっちのほうが重要ではないかと見ているのです。
現代社会の数多くの問題は、この程度の世界認識の歪みに気づくだけで解決することがほとんどのような気さえしているのです。考える前にやるべきことはあるだろというのは、こういうことでもあります。

知識そのものよりも、疑問を持ったらすぐにデータを確認することが重要で、とくに人口変動なんてのはすでにまとまったデータがウェブ上にあって数分でできるので、やらないのは困ります。
もっとも、人口変動くらい基礎的なものなら、九九のように暗記させて二重過程思考のギャップを埋めておくほうが、無駄な間違いを排除できていいような気もしますが。一番多い時でさえ二倍程度、団塊と団塊ジュニアの間、あるいは団塊以前はいまとそんなに大きくは変わらないという大まかな流れくらいは。昔はとんでもなく子どもが多かったと思い込んでいるような基礎的データの認識の歪みが、いろんな問題を余計にややこしくしてると思います。

こういう時系列統計と違って、年齢別強姦統計なんかは各年バラバラのデータしかなく、まとめるは少々手間です。それでも最近の統計はエクセルデータで出されるようになったので、マクロを組めば自動で更新できるようになりましたが。
しかし、比較するためにはリンゴだけではなくミカンの数も必要ですので、過去のデータをまとめなくてはなりません。これはなかなか面倒です。
それでも最近は、国会図書館サイトに戦前の統計だけはアップされるようになったので、膨大なコピー代と時間が節約できて、ずいぶん便利になりました。
でも、画像データですからそのままではあつかえないので、どなたかテキスト化とエクセルデータ化をしておいてくれませんかね。

たとえば、当ブログの「就職は大恐慌時より今のほうが厳しいのです」で取り上げた『文部省年報』も、いまは戦前分すべて閲覧やダウンロードができます。
この私の記事に対して、いろいろと疑問をぶつけてくる方がおりましたけど、学校毎のかなり詳細な就職先が掲載されていますので、集計してそのあたりも御自分の目で検証してみていただければ。詳細統計は上巻にあります。
疑問をそのまま放置していてはいけません。ついでにすべてのエクセルデータをアップしておけば、みんながいろんな検証をできるようになります。
私としては、『人口動態統計』の「原因(中分類)及年齡階級別死亡」にある、自殺と他殺の年齢別統計はまとめておいていただけるとありがたいのですが。
戦前は1歳毎に詳細を載せてるので、じつに面倒なんですよ。OCRもうまく通らんし。エクセルデータにして、10歳毎にまとめておいていただけると幸い。

できあいの統計やグラフを眺めてるだけでなく、この程度の単純作業でも自分の手でやると見えてくることが結構あります。
文明の第一歩は情報の蓄積にありまして、ほんとはこんなことはとっくにまとまって活用できるようになってないとおかしいんですが、この国の学者は愚にも付かない感想文を綴って、ママゴト遊びをすることしか能がないので苦労することになります。それとも、私が知らないだけで、すでにどっかにありますかね。
誰かがやらねばならぬことですので、あなたのお力を貸していただければ。
たびたび出している阿久悠作詞の歌をここでもう一度。
「不思議の謎を解かねばならぬ」
ねばならぬのだよ。
「ある日突然、眠りを覚まし地球を襲う神秘の影に誰かがむかっていかねばならぬ」
ねばならぬのだよ!





ところで、リブレオフィスはまた一段とグラフが作りにくくなってますな。
うちのグラフは項目説明を入れるために、データ範囲の最後に余裕を持たせてるんですが、勝手にそのデータ範囲を限定しようとするんです。
とくにこの強姦被害者統計のようにデータのはじまりがバラバラのものは、短い方に意地でも合せようとして、最後の空白も切られてしまいます。
一括で修正ができないので、七つのデータ範囲ひとつひとつを手動で修正して、ようやくこういう具合になってやれやれと思っていたら、画像としてコピペするとなんとこんな具合に元に戻った画像になってる。

G-goukan2012s → G-goukan2012s


単純にちょん切れるだけではなくて幅が調整されてたりして、なんか知らんが、そっちのほうが技術的に高度やんか!なんでこんな複雑な処理をするものやら。
どうやっても直らんし、PDFに出力するとデータ範囲は大丈夫なんだけど、何故かサイズが大きくなってふたつに分割されてしまうし。
なんともならんので、昔使ってたオープンオフィスを引っ張り出してきてなんとかなったんですが、しかし、オープンオフィスも3は凡例の大きさが何故か固定化したりして、すこぶる使いにくい。2辺りはこんなややこしいことがなくてもっとマシだったような気がするけど、もう入手できんのですかね。
少子化とは関係ない、ある日突然、眠りを覚まし地球を襲う神秘の影かなにかの因果で、劣化が進んでいるんでしょうか。
なんか、やり方が間違ってるような気もしますが、私は文明を使いこなす能力がないみたいです。文明に参加する基礎である金がなくて、無料のソフトしか使えないことが根本にあるのですが。
グラフの更新を滅多にやらない一番の理由はこんなとこにあったりします。
進化への道は遠いのう。




『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

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少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか
 冤罪、虐殺、正しい心』


冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!




少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の本が出ました。

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戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
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学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!
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