2009年11月07日
基地内の銃乱射事件
米テキサス州フォートフッド基地でニダル・マリク・ハサン少佐が銃を乱射し12人殺害というニュースを聞いて、この事件を改めて調べてみましたら、なかなか興味深いものがありました。
「無口で人付き合いが苦手で、自衛隊を出てからも社会でうまくやれるか不安を感じていた」「人付き合いが苦手なことから同僚に悪口を云われて、どうにでもなれ、誰でもいいから撃ってやろうと思った」と、動機をかなり分析的に自分から語っています。
25年前の加藤智大といった感じです。三人の兄は優秀なのに、自分は大阪経済法科大学を中退して工場勤めなんかもしたけどうまくいかず、いろいろ鬱屈もあったのでしょう。鬱病による心神喪失で不起訴処分となりました。
その場に居合わせた上官は、銃を持ったままの2等陸士を基地外に逃がしてしまったことで処分を受けています。演習中にいきなり後ろに向かって撃ちだした相手を逃がすなというのはなかなか酷な要求ですが、一般人を殺したりしたらえらいことですから致し方ないでしょう。なんせ、銃だけではなく新しい弾倉もひとつ奪ってから逃走してます。
警務隊はとにかく山口市街への侵入だけは阻もうとそちらのほうに網を張ってるあいだに、中学校の裏山で警察に逮捕されたということです。
2年前に外出して6日間部隊に帰ってこなかったという職場放棄で一度自衛隊をクビになってるんですが、1年前にまた優秀な成績で自衛隊に入ってまして、一度クビになったという前歴は隠したまま事件が起きるまでバレなかったんですな。
なんというか、自衛隊への引きこもりで、家庭内暴力のようなものです。職場放棄も一時の家出のような感じもします。
国会でも大問題になってますが、こんな事件があったことなんか、もうみんなきれいに忘れ去ってますな。
いまはどこでどうしているんでしょうか。また前歴を隠してどこかに潜り込んでいたりするのかもしれません。
なお、自衛隊での発砲事件はこれよりずっと前から頻発してまして、上官を撃ち殺したりといろいろあります。
もともと、日本軍は下克上が伝統で、戦時中から上官を撃ったり殴ったりする事件がよくありました。上官の云うことに素直に従ったりする者は「サラリーマン」とか呼ばれて笑われたりもしておりました。不思議なところです。
| 昭和59年(1984).2.27〔21歳自衛官が銃乱射して同僚4人死傷〕 山口県山口市の自衛隊山口駐屯所の演習場で、2等陸士(21)が射撃演習中に六四式小銃を乱射、隊員4名を撃ち1等陸士(18)を殺害、1人重体としてジープで逃走、5時間後に逮捕された。 |
「無口で人付き合いが苦手で、自衛隊を出てからも社会でうまくやれるか不安を感じていた」「人付き合いが苦手なことから同僚に悪口を云われて、どうにでもなれ、誰でもいいから撃ってやろうと思った」と、動機をかなり分析的に自分から語っています。
25年前の加藤智大といった感じです。三人の兄は優秀なのに、自分は大阪経済法科大学を中退して工場勤めなんかもしたけどうまくいかず、いろいろ鬱屈もあったのでしょう。鬱病による心神喪失で不起訴処分となりました。
その場に居合わせた上官は、銃を持ったままの2等陸士を基地外に逃がしてしまったことで処分を受けています。演習中にいきなり後ろに向かって撃ちだした相手を逃がすなというのはなかなか酷な要求ですが、一般人を殺したりしたらえらいことですから致し方ないでしょう。なんせ、銃だけではなく新しい弾倉もひとつ奪ってから逃走してます。
警務隊はとにかく山口市街への侵入だけは阻もうとそちらのほうに網を張ってるあいだに、中学校の裏山で警察に逮捕されたということです。
2年前に外出して6日間部隊に帰ってこなかったという職場放棄で一度自衛隊をクビになってるんですが、1年前にまた優秀な成績で自衛隊に入ってまして、一度クビになったという前歴は隠したまま事件が起きるまでバレなかったんですな。
なんというか、自衛隊への引きこもりで、家庭内暴力のようなものです。職場放棄も一時の家出のような感じもします。
国会でも大問題になってますが、こんな事件があったことなんか、もうみんなきれいに忘れ去ってますな。
いまはどこでどうしているんでしょうか。また前歴を隠してどこかに潜り込んでいたりするのかもしれません。
なお、自衛隊での発砲事件はこれよりずっと前から頻発してまして、上官を撃ち殺したりといろいろあります。
もともと、日本軍は下克上が伝統で、戦時中から上官を撃ったり殴ったりする事件がよくありました。上官の云うことに素直に従ったりする者は「サラリーマン」とか呼ばれて笑われたりもしておりました。不思議なところです。
2009年11月04日
小学生が放火する
10歳男児、寺に放火か 児童相談所に送致、名古屋
2009/11/04 01:27【共同通信】
「うれしそうな表情で火災を見ている男児を近所の人が見つけ通報」「物が燃えるところが見たかった。ライターで火を付けた」
ということで小学生の放火事件を集めてみました。
昔は「おもしろいから」とゲーム感覚で火を付ける子どもがたくさんいました。
触法少年(13歳以下)の放火罪補導人数
※昭和36年の484人、昭和37年の488人がピーク
昭和2年(1927).12.1〔12歳女子(満10〜11歳)がおもしろいから放火〕
兵庫県武庫郡で、女子(12)が近所の民家に放火し、火事の様子を見ながらはしゃいでいたのですぐに捕まった。数日前に酒蔵が火事になったのを見て、火事のおもしろさに夢中になったもの。
昭和8年(1933).3.18〔小5(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市本所区で、小学5年生(12)が3.18〜5.23の間に30軒以上の民家のゴミ箱に火をつけた新聞紙を放り込んで放火、5.26に捕まった。厳重な警戒網を縫ってほとんど連日のように繰り返しており、通っている小学校にも2回放火していた。父親は2歳の時に関東大震災で死亡し、母親は子供を置いて再婚したため、祖母に育てられていた。自宅前に消防署があり、消防ポンプが出動すると「あの火事は○○さんの宅だ」と祖母に話していた。
昭和8年(1933).5.15〔小5女子(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市小石川区で夜7時過ぎ、小学5年生女子(12)が8軒に放火した。1軒目の騒ぎから人々が戸外に飛び出して警戒しているなかをセーラー服姿で逃走しているのを見つけられて追いかけられながらも25分間逃げ延びてさらに次々火をつけ、自宅前でポケットにマッチが入ったセーラー服を脱ぎ捨てたため追及されて自白した。和歌山県の農家の娘だが、資産家の材木商の叔母に預けられていた。成績は普通で友達はいない。「消防ポンプが出動して大騒ぎになるのが面白くて」やったと自供。自宅の材木店にも放火していた。
昭和8年(1933).7.28〔小6(満11〜12歳)が成績表燃やすため学校放火〕
静岡県駿東郡の小学校で、6年生(13)が教室に放火した。成績が悪く、学校を焼けば7.30に渡される成績表も燃えてしまうと考えたもの。
昭和10年(1935).6.18〔小6(満11〜12歳)が学校放火〕
北海道室蘭市の小学校で、6年生(13)がテスト答案が入っていた箱に火をつけ、3時間後にも校舍に火をつけた、6.20に捕まった。勉強嫌いで学校が燃えてなくなれば休校になると考えたもの。
昭和10年(1935).9.4〔小学生女子(満10〜11歳)が級長選挙に落ち学校放火〕
東京市浅草区の小学校で、女子生徒(12)が教室に放火、恐ろしくなって職員室に駆け込んで告げたため消し止められた。主席争いをしている模範生だが、9.2の級長選挙に落ち、成績もさがったのは担任の依怙贔屓のせいだと恨んだもの。学校は内密に済ます決定をしていたが、警察に漏れて取り調べ。
昭和13年(1938).3.1〔小学生(満8〜9歳)が連続放火〕
東京市蒲田区で深夜1時過ぎ、小学生(10)が民家7軒のゴミ箱に放火、朝に捕まった。クズ屋の子供で、成績はよいが映画好きで、2.27に映画を見て父親に叱られ翌日から家出していた。騒ぎが起こるのがおもしろくて、他にも3件の放火をしていた。
昭和15年(1940).6.30〔8歳(満6〜7歳)が小学校放火〕
兵庫県神戸市の小学校で、少年(8)が放火して校舍を全焼、7.17に捕まった。これまでも近所の民家に火を付けたりしていた。
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2009/11/04 01:27【共同通信】
「うれしそうな表情で火災を見ている男児を近所の人が見つけ通報」「物が燃えるところが見たかった。ライターで火を付けた」
ということで小学生の放火事件を集めてみました。
昔は「おもしろいから」とゲーム感覚で火を付ける子どもがたくさんいました。
触法少年(13歳以下)の放火罪補導人数
| 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2008 |
| 昭25年 | 昭35年 | 昭45年 | 昭55年 | 平2年 | 平12年 | 平20年 |
| 206 | 402 | 317 | 312 | 94 | 129 | 75 |
※昭和36年の484人、昭和37年の488人がピーク
昭和2年(1927).12.1〔12歳女子(満10〜11歳)がおもしろいから放火〕
兵庫県武庫郡で、女子(12)が近所の民家に放火し、火事の様子を見ながらはしゃいでいたのですぐに捕まった。数日前に酒蔵が火事になったのを見て、火事のおもしろさに夢中になったもの。
昭和8年(1933).3.18〔小5(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市本所区で、小学5年生(12)が3.18〜5.23の間に30軒以上の民家のゴミ箱に火をつけた新聞紙を放り込んで放火、5.26に捕まった。厳重な警戒網を縫ってほとんど連日のように繰り返しており、通っている小学校にも2回放火していた。父親は2歳の時に関東大震災で死亡し、母親は子供を置いて再婚したため、祖母に育てられていた。自宅前に消防署があり、消防ポンプが出動すると「あの火事は○○さんの宅だ」と祖母に話していた。
昭和8年(1933).5.15〔小5女子(満10〜11歳)が連続放火〕
東京市小石川区で夜7時過ぎ、小学5年生女子(12)が8軒に放火した。1軒目の騒ぎから人々が戸外に飛び出して警戒しているなかをセーラー服姿で逃走しているのを見つけられて追いかけられながらも25分間逃げ延びてさらに次々火をつけ、自宅前でポケットにマッチが入ったセーラー服を脱ぎ捨てたため追及されて自白した。和歌山県の農家の娘だが、資産家の材木商の叔母に預けられていた。成績は普通で友達はいない。「消防ポンプが出動して大騒ぎになるのが面白くて」やったと自供。自宅の材木店にも放火していた。
昭和8年(1933).7.28〔小6(満11〜12歳)が成績表燃やすため学校放火〕
静岡県駿東郡の小学校で、6年生(13)が教室に放火した。成績が悪く、学校を焼けば7.30に渡される成績表も燃えてしまうと考えたもの。
昭和10年(1935).6.18〔小6(満11〜12歳)が学校放火〕
北海道室蘭市の小学校で、6年生(13)がテスト答案が入っていた箱に火をつけ、3時間後にも校舍に火をつけた、6.20に捕まった。勉強嫌いで学校が燃えてなくなれば休校になると考えたもの。
昭和10年(1935).9.4〔小学生女子(満10〜11歳)が級長選挙に落ち学校放火〕
東京市浅草区の小学校で、女子生徒(12)が教室に放火、恐ろしくなって職員室に駆け込んで告げたため消し止められた。主席争いをしている模範生だが、9.2の級長選挙に落ち、成績もさがったのは担任の依怙贔屓のせいだと恨んだもの。学校は内密に済ます決定をしていたが、警察に漏れて取り調べ。
昭和13年(1938).3.1〔小学生(満8〜9歳)が連続放火〕
東京市蒲田区で深夜1時過ぎ、小学生(10)が民家7軒のゴミ箱に放火、朝に捕まった。クズ屋の子供で、成績はよいが映画好きで、2.27に映画を見て父親に叱られ翌日から家出していた。騒ぎが起こるのがおもしろくて、他にも3件の放火をしていた。
昭和15年(1940).6.30〔8歳(満6〜7歳)が小学校放火〕
兵庫県神戸市の小学校で、少年(8)が放火して校舍を全焼、7.17に捕まった。これまでも近所の民家に火を付けたりしていた。
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2009年10月18日
少女が兄弟姉妹を刺したり殺したりする事件
| 双子の妹が姉刺す 殺人未遂で現行犯逮捕 18日午前10時45分ごろ、千葉市美浜区幸町の団地で、中学3年の妹(15)が、双子の姉(15)を刺したと父親から119番通報があった。 県警千葉西署員が現場に駆けつけたところ、妹が「姉を刺した」と認め、現場に包丁が落ちていたことから、妹を殺人未遂の現行犯で逮捕した。姉は左胸に軽傷を負った。 同署によると、当時、家には姉妹しかおらず、2人のうちのどちらかが父親に電話をかけ、「姉妹げんかが原因だ」と話したという。同署が詳しい経緯を調べている。 産経ニュース2009.10.18 14:10 引用 |
ということで、少女が兄弟姉妹を刺したり殺したりする事件を集めてみました。
兄弟以外の相手を殺す事件は少年犯罪データベース 少女の殺人事件を、また親殺し、兄弟殺人も参照してください。
昔は一家皆殺しがよくありました。げにも、家族というのは人殺しの温床であります。家族を禁止すれば殺人は半減するでしょう。
以下の事件も一緒に住んでいなければまず起こることのなかったものばかりで、家族制度という虚構空間に絡め取られて現実世界に抜け出せなかった犠牲者たちの姿です。
この世で一番恐ろしいのは家族であることを示した、この世で一番恐ろしいマンガ、山岸凉子「恐怖の甘い物一家」が絶版で読めないというのはまことに困ったことであります。
昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13〜14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
福岡県大牟田市の自宅で、中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。
昭和25年(1950).11.19〔10歳女子が弟を殺害〕
石川県鳳至郡で、女子(10)が弟(2)を殺害、行方不明になったことに不審を抱いた警察が追及すると、お腹がすいたとか寒いとか云って困らせるので川に突き落としたと自供し、捜索して12.22に溺死体を発見した。両親とも出稼ぎに出ており、村の民生委員が面倒を見ていた。
昭和26年(1951).11.7〔19歳女子が一家皆殺し〕
北海道勇払郡の農家で、次女(19)が朝食のみそ汁にヒ素剤殺虫剤ホトナートを入れ、食べた一家5人が苦しみだし、長女の夫(33)は死亡、母親(50)と長女(23)は重体、父親(55)と長女の長男(2)も重傷とした。おかずだった石ガレイを農薬が入っていたカマスに入れて運んだための事故だと処理されていたが、不審な点が多く再捜査され、翌年1.16に食べずに元気だった次女を追及すると、一家全員を毒殺しようとしたことを自供した。
長女が夫と次女の仲を疑っていざこざが絶えず、また両親が一時離婚していた時に次女が生まれたので父親が違うのではないかと長女からなじられ、父親も認めるような態度を示すなど、疎外感があったため。
昭和29年(1954).5.20〔19歳女子ら夫婦が幼い弟殺害〕
秋田県雄勝郡で、長女(19)が夫(24)と共謀して弟(2)を池に放り込み、泣き叫ぶのを押さえつけて殺害した。父親(47)は県警本部刑事部長で、男の子どもがなかったので3年前に婿養子を取ったが、その後に長男が生まれたため娘夫婦が邪魔になって暴力を振るうようになり、弟さえいなくなればと計画したもの。夫は農業を営み働き者だった。当初はたんなる水死事故として処理されていたが、父親が酔って娘夫婦が殺したと触れ回ったりして噂が広まって11月に逮捕され自供した。
昭和31年(1956).3.9〔19歳女が結婚に邪魔な家族4人を皆殺し〕
東京都江戸川区で、家族が一家心中したと女(19)が隣家に駆け込んだ。母親と小学校1年生の三男はすでに死亡。工員の長男(17)と中学2年生の次男が苦しんでおり、間もなく病院で死亡した。
「おまえは飲まなくていいよ」と母親が言ってから弟たちとジュースを飲んだと女は証言したが、追及すると勤め先の工場から拾ってきた青酸ソーダをジュースに入れて殺害したことを自白した。
昨年の夏に母親の勤め先の理髪店で知り合った青年に結婚を申し込んだが、「扶養家族が多いのは嫌だ」と断られた。そこで一家皆殺しを計画、家族でケンカをしたとき三男がジュースを飲みたいと言ったので、「それじゃ、ケンカの仲直りに」と毒入りジュースを飲ませたもの。
女は犯行が発覚しても顔色ひとつ変えず、留置されるとわかってはじめて泣き出した。父親は5年前に病死していた。
無期懲役が求刑されたが、母親とケンカしての発作的犯行であり、未成年であるため、東京地裁は懲役15年の判決を出した。
昭和33年(1958).12.21〔18歳女子が妹刺傷〕
三重県多気郡の農家で、長女(18)が次女(9)の喉を包丁で刺して1ヶ月の重傷を負わせ、自分の喉も突いて10日間の傷害を負った。両親は仕事に出ていた隙のできごとで、神経衰弱だった。
昭和37年(1962).9.1〔19歳女子が病気の妹を殺害〕
宮城県玉造郡の自宅で、四女(19)が六女(13)を殺害、ダムに飛び込んで自殺した。六女は頭の病気で中学校に行けず、不敏に思ってマフラーで首を絞めたもの。
昭和45年(1970).4.4〔3歳の長女が弟殺す〕
東京都板橋区の自宅で長女(3)と近所の女の子(6)が「赤ちゃん遊び」のために長男(生後2ヶ月)を裸にして台所の流し台の洗面器に入れた。母親が帰宅したとき水の中でぐったりしている長男を見つけて病院に運んだが死亡した。すでに近所の女の子は家に帰り、長女1人で留守番していた。母親が風呂に入れるのをマネたらしい。
昭和46年(1971).6.1〔2歳女子が妹2人にビニールかぶせて殺害〕
和歌山県和歌山市の自宅で、長女(2歳7ヶ月)が双子の2女と3女(生後55日)の顔にビニールを1枚づつかぶせて窒息死させた。母親(25)が赤ちゃん2人に掛かりっ切りとなったために嫉妬して、これまでもタオルを顔にかぶせていじめており、何度叱ってもやめなかった。
昭和47年(1972).9.〔19歳少女が姉を包丁で刺し、殺人未遂〕
姉と不仲がこうじて包丁で腹を刺し、殺人未遂で19歳の少女つかまる(板橋) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和47年(1972).11.12〔4歳の姉が邪魔な弟をバケツに閉じ込め殺害〕
宮崎県宮崎市の祖母宅で、高さ60センチのポリバケツの中で孫の男の子(2)が窒息死した。姉(4)が友達の女の子(4)と外に遊びに行こうとしたが、弟がじゃまになり、バケツに無理やり入れてフタを被せて廻転させて開かないようにして遊びに出掛け、30分後に祖母が発見したがすでに死んでいた。8月に母親が家出したため、祖母の家に預けられて、父親とも離れて暮らしていた。
昭和52年(1977).10.13〔2歳女子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻み殺害〕
岩手県東磐井郡の農家で、長女(2)が三女(生後2ヶ月)の顔をカミソリでずたずたに切り裂いて殺害した。
母親(29)が顔剃りに使っているカミソリのため、マネをしただけだという分析もあったが、祖父が気づくまで異常な泣き声を上げている赤ちゃんに17回も切り付けており、残虐性があると考えたほうが自然であろう。
この日に父親(27)が出稼ぎにでかけて、ほかの家族も畑仕事に忙しくて相手にされていなかった。赤ちゃんのことはお人形のように可愛がっていた。
昭和54年(1979).12.20〔2歳女子が赤ちゃんに薬飲ませて死なす〕
大阪府東大阪市の自宅で、長女(2)が次女(生後6ヶ月)に強心剤30錠を無理やり飲ませ、病院で手当てを受けたが吐いた薬を喉に詰めて死亡した。漢方薬百錠入りビンの残っていたすべてを飲ませたもの
昭和60年(1985).4.25〔高3姉が小5弟を刺殺〕
千葉県木更津市の山林で、高校3年生女子(17)が弟の小学5年生(10)を果物ナイフで刺し殺した。姉は当初「弟と自宅近くの山林を散歩していたところ、ナイフを持った男に突然襲われて、弟が連れ去られた」と、嘘の供述をしていた。普段から兄弟仲が悪くいじめていた。
昭和61年(1986).6.10〔高1女子が妹殺害〕
長野県下諏訪町の自宅で、県立高校1年生女子(15)は、拒食症のため入院していた病院を抜け出し、両親にかわいがられていた中学1年生の妹(12)をひもで絞殺した。
平成4年(1992).3.5〔高1女子が妹刺殺〕
高知県高知市の自宅で、私立高校1年生女子(16)が中学1年生の妹(13)の胸を包丁で刺して殺害、男が侵入して刺したと供述したが、不審な点が多いので追及されてた夜に自白し逮捕された。妹の陽気な性格を妬んで、自室で勉強していたところを襲ったもの。父親は元高校教師で公務員。日頃、仲は良かった。中等少年院送致。
平成10年(1998).4.〔無職少年による実姉殺人、放火事件〕
無職少年女子(18歳)は、日頃から恨んでいる実姉(会社員、20歳)を殺害するため自宅に放火して焼死させた。(4月、愛知) 警察庁「少年非行等の概要」引用。
2009年09月15日
教師が女生徒をレイプした事件
広島の元小学校教諭に懲役30年 教え子に乱暴、最高刑 9/14 14:23【共同通信】
ということで、教師が女生徒を強姦したり強制猥褻したりした事件を集めてみました。
レイプ以外の殺人などの教師の事件は、少年犯罪データベース 教師の犯罪をご覧ください。
今回の事件は1989年から19年間で女児27人に乱暴したということですが、ちょうど同じ広島で起こったこの事件と時期が重なっています。
平成2年(1990).3.26〔小学校教師が教え子にいたずらして殺害〕
こっちは何度も繰り返し弄んだうえに勝手な理由で殺しているのに懲役13年で、かたや懲役30年というのはなんともアンバランスなような気もいたします。
とっくに出所していると思いますが、マスコミが取り上げたりしていますでしょうか。最近は光市母子殺害事件だとか高校生首切り事件だとかがやたらと大きく扱われていますが、こっちのほうが遥かに酷い事件で、とんでもない甘い判決なのに、あまり話題にもなっていないような気がするのですが。
昔は教師が教え子と心中する事件も多発していて、ついでに載せようかと思ったのですが数が多いので別の機会にします。
※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる
昭和2年(1927).2.10〔小学校教師が女子生徒(満13歳)を繰り返しレイプ〕
埼玉県入間郡で、小学校教師(27)が高等2年生の女子生徒(15)をレイプしていて諭旨免職となった。去年の8月から落第させるぞと脅して繰り返し関係を強要していたもの。教師からの手紙を男子生徒が拾って発覚した。満13歳のときからの関係なので和姦でもレイプになるため警察も捜査開始。妻と娘がいる。
昭和2年(1927).4.29〔女学校1年(満12〜13歳)が小6から教師と付き合って自殺未遂〕
神奈川県横須賀市の自宅裏山で、船越実科女学校1年生(14)が包丁で喉を突いて自殺を図ったが父親に発見されて病院に運ばれたため2週間のケガで済んだ。小6の時から小学校教師と恋愛関係になり、ラブレターを見られて父親に叱られたため。雑貨商の長女。
昭和3年(1928).1.9〔小学校教師が6年生女子18人に猥褻〕
東京府豊島郡巣鴨町の小学校の教師(32)が、受け持ちの6年生女子60人のうち女学校進学希望者18人を放課後に受験指導する口実で2ヶ月間に渡って裸にして変態的行為を繰り返し、発覚して免職となった。妻と4人の子供がいる。
昭和5年(1930).7.23〔19歳(満17〜18歳)花嫁が教師にレイプされた過去を悲観して自殺未遂〕
和歌山県西牟妻郡で、花嫁(19)が池に飛び込んで自殺を図って意識不明となったが命を取り留めた。医者の長女で、7.20に医者と結婚したが翌日、「11歳の時に担任教師に処女の誇りを奪われた」という遺書を残して行方不明になっていた。
父親は「世の少女達のため教育界刷新のため娘を犠牲にして血涙を呑んで発表する次第です」と7.29に公表。名指しされた教師(39)は校長になっているので大問題となった。
昭和8年(1933).2.5〔小学校教師が体罰とレイプ〕
岡山県兒島郡の小学校高等科で、教師が級長を殴って3日寝込むケガを負わせたため両親が訴訟すると激怒。教師宅の商店が50銭の勘定をごまかしたと生徒全員が習字の授業で教師の名前と50銭を並べて清書したためカッとしたもの。
岡山県御津郡の小学校高等科の次席訓導(32)が、昨年12月に元の教え子である山陰高女5年生(19)を受験準備のためと旅館に連れ込みレイプ、他の教え子もこの旅館で関係したとの噂があり取り調べ。
昭和8年(1933).3.19〔小学校教師が6年生女子レイプ〕
三重県四日市市の自宅で、小学校教師(34)が教え子の6年生女子(14)を高等女学校口頭試験指導のためと連れ込みレイプ、父兄が学校と市学務に訴えたため教師は免許状剥奪、校長は懲戒処分となったが公表せずひた隠しにしている。
昭和8年(1933).7.10〔高等小学校校長が女生徒数十人をレイプ〕
愛媛県喜多郡の高等小学校で、校長(44)が赴任した8年前から1,2年生(満12〜14歳前後)の女生徒数十人をレイプしていたことが発覚して逮捕、7.10に辞表を出した。
昭和9年(1934).1.10〔小学校校長が女生徒(満12〜13歳)と関係〕
京都府愛宕郡の小学校校長(44)が、教え子と関係した上に捨てたという投書が府学務部に届き、取り調べに2ヶ月間否認していたが、昭和7年12.25〜12.28に京都市の旅館にこの女生徒(当時14歳。満12〜13歳)と泊まっていたところを警察に逮捕され関係を持ったと自供していたことが発覚した。
昭和9年(1934).4.23〔教師が修学旅行で15歳女子(満13〜14歳)をレイプ〕
鹿児島県肝属郡で、女子(18)が1年前に産んだ長男の認知を求めて昭和7年に半年間交際していた男性(27)相手に提訴したが、男性は女子には他に何人も男がいる、当時通っていた高等公民学校の教師とも関係していたと暴露した。修学旅行中に担任教師が15歳(満13〜14歳)だった女子の床に忍び入って処女を奪ったことが法廷で証明され、父親が誰か判らないので4.23に鹿児島地裁は認知請求を棄却した。
昭和9年(1934).7.13〔高等小学校校長が学校で女生徒レイプ〕
岐阜県山形郡の高等小学校の教室で、校長(49)が高等2年生女子(15)をレイプ、近くの建物から目撃した人がいたため問題となったが、県視学はそのような事実はないという調査結果を出して校長の辞表を却下。しかし、7.24になって校長が自白したため懲戒処分となった。
昭和9年(1934).8.30〔女学校校長が学校で女生徒レイプ〕
静岡県磐田郡の県立高等女学校で深夜0時前、校長が教護室に侵入して3年生女子(17)をレイプして逃走したが、女子から話を聞いた両親が警察に通報して9.1に任意同行で取り調べ。女子はバレーボール選手で、前日の運動会で胸をケガしたため教護室で寝ていたもの。
昭和10年(1935).1.2〔高等小学校校長が女生徒(満14〜15歳)と関係し袋叩き〕
大島の隣りの利島の高等小学校(現在の中学に相当)で、校長(51)が2年生女子(16)と畳敷きの教員室で夜中に明かりもつけずに一緒にいるところを、青年団6人が窓ガラスを割って押し入り殴る蹴るの暴行を加えた。校長と女生徒との関係が噂になっていたので、尾行していたもの。校長は告訴するが、青年団も校長解任を要求。
昭和10年(1935).2.15〔17歳女子(満15〜16歳)が小学校教師と関係して出産〕
大阪府豊能郡の小学校で、高等科補習科2年生女子(17)が陣痛を起こし、自宅に帰って男の子を産んだ。この家に下宿していた小学校教師(28)が2年前から肉体関係があり、昨年11月には他の女性と結婚していた。怒った両親は告訴しようとしたが、赤ちゃんを引き取って学校を辞めることで示談となった。女子は元村会議員の4女で、妊娠には両親も本人も気づいていなかった。
昭和10年(1935).3.23〔小学校教師が女子生徒数十人をレイプ〕
岩手県紫波郡の小学校で、教師(31)が、県立女子師範学校進学希望者の女生徒(14)ら数十人を放課後に受験指導する口実でレイプして逮捕された。校長(48)も同校の女性教師(24)と不倫の関係を結んでいた容疑で同時に逮捕された。
昭和22年(1947).9.7〔23歳小学校教師が教え子2人誘拐〕
埼玉県北葛飾郡で、小学校教師(23)がかつての教え子だった中学1年生女子2人を茨城県猿島郡古河町に写生に行こうと手紙で誘い出し、東武鉄道杉戸駅ホームで3人が目撃され、5時間後に教師だけが忘れ物をしたと自宅に一度帰ってから3人とも行方不明となった。教師は旧家の豪農の次男で妻子がいたが翌年離婚、昭和30年には失踪宣告され戸籍が抹消された。
※事件が解決したかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
昭和23年(1948).11.21〔小学校教師が教え子7人レイプ〕
青森県三戸郡の小学5年生の担任教師(34)が女生徒多数を宿直室でレイプして逮捕された。北海道亀田郡の小学校で女生徒3人に猥褻な行為をしてクビとなり、津軽で知り合ったPTA会長の紹介で11.1に採用されたばかりだった。判っているだけでも1週間で7人に乱暴して3人が傷害を負っている。9日には生徒が訴え出て、あわてた校長とPTA会長は11日にこの教師を岩手にやって隠蔽しようとしていた。
昭和26年(1951).3.14〔小学校教師が教え子20人以上にいたずら〕
東京都下北多摩郡保谷町の小学6年生の女生徒たちが同盟休校を計画、父親が理由を質すと、「担任の先生に汚された」と泣いて訴えた。教師(32)が「先生のするままにしていると顔も白く美しくなり、難しい学科もわかるようになるよ」と女子20数名に猥褻な行為をしていた。14日に事実を認め辞職。
昭和27年(1952).1.10〔中学校教頭が女生徒レイプして妊娠させる〕
千葉県東葛飾郡で、中学3年生女子(15)が出産した。教頭(46)がレイプしたもので、他の女生徒にも猥褻行為を繰り返していた。教頭は否定したが、辞表を出した。この中学では教師が女生徒と車座になって酒を飲んでいると、以前より村長が訴えていた。
昭和27年(1952).11.29〔小学校教師が教え子をレイプ未遂〕
兵庫県豊岡市での路上で、小学校教師(27)が帰宅中の2年生女子(9)を後ろから襲ってレイプしようとしたが通行人に見られて逃走、翌日に逮捕された。これまでも教え子3人をレイプしようとしたが未遂で終わっている。
昭和30年(1955).4.7〔小学校教師が教室で教え子連続レイプ〕
神奈川県川崎市の小学校で、教師(27)が卒業式を目前に控えた3.21〜23に6年生女子(12)3人を教室で次々強姦して逮捕され、4.7に自白した。去年の7月から数十回犯行を繰り返しており、ほかにも数名の被害者がいる見込み。神奈川師範卒で妻子がいるが、日曜に女子を学校に呼びつけ「お前は先生が好きか?」と迫るなど噂が広まっていた。被害者の母親が校長に告げたが握りつぶそうとしたためやむなく3.24に警察に届けたもの。校長は3.31にこの教師を懲戒免職ではなく依頼退職処分にしたためPTAで大問題となる。4.13に被害者の母親が告訴を取り下げたため、その日に釈放。
昭和30年(1955).6.30〔18歳女子大生が不良教師との失恋で焼身自殺〕
東京都港区青山の洋画家宅で、次女の東洋大学1年生女子(18)が石油をかぶって焼身自殺した。今春まで通っていた都立三田高校の教師(28)と在学中から関係を持っていたが、教師がほかの教え子と婚約したため。この教師は女生徒8人に手を出しており、1人は1月に睡眠薬自殺を遂げ、1人は自殺未遂。学校図書館から160冊を盗んで金にしていたので横領で逮捕されたが、微罪のため不起訴処分となった。
教師の父親が地元の有力者で校長(52)と親しかったためこれまで見過ごされていた。東京教育大卒で成績優秀。7.17に校長はガス自殺を図ったが、命を取り留めた。
昭和33年(1958).1.2〔小学校教師が教え子の4年生レイプ〕
東京都品川区のアパート自室で、小学校教師(48)が担任の4年生女子(10)を連れ込んでレイプした。懲役3年が求刑されたが12.11に東京地裁は懲役1年の判決。刑が重すぎると控訴し、翌年5.7に高裁で控訴棄却。
昭和46年(1971).10.19〔教師、学校で2女児にイタズラ、逮捕〕
大阪府で教師、学校で2女児にイタズラ、逮捕。
昭和46年(1971).12.10〔中学教師、女生徒に1年間にわたりイタズラ〕
大阪府で中学教師、女生徒に1年間にわたりイタズラ。
昭和48年(1973).9.1〔高校教師が実験薬品で女高生レイプ〕
山口県で、高校化学教師(41)が実験薬品を持ち出し、女子高生にエーテルを嗅がせて眠らせてからいたずらする事件を繰り返して逮捕。
昭和52年(1977).3.1〔小学生教師、男子学童10人にイタズラ、懲戒免職〕
兵庫県で小学生教師、男子学童10人にイタズラ、懲戒免職。
昭和55年(1980).10.5〔旅行引率教師、酔って女生徒にイタズラ〕
香川県で旅行引率教師、酔って女生徒にイタズラ。免職処分。
昭和55年(1980).10.14〔国立大教授、ハレンチ事件で辞表〕
富山県で国立大教授、ハレンチ事件で辞表。
昭和55年(1980).10.28〔高校教師、女生徒をラブホテルに連れ込む〕
東京都で高校教師、女生徒をラブホテルに連れ込む。
昭和55年(1980).10.28〔道徳教師、女児裸にして写真をとる〕
大分県で道徳教師、女児裸にして写真をとる。
昭和59年(1984).2.〔小学校教師が一年生の女子児童にいたずら〕
区立の小学校教師は「交通事故で授業が遅れているから」と補習に残した一年生の女子児童にいたずらをし,ハレンチ教師として訴えられる。(太田区) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).4.17〔小学校教師、修学旅行などで女児にイタズラ〕
新潟県で小学校教師、修学旅行などで女児にイタズラ。
昭和60年(1985).2.15〔学校寮で教え子女生徒にイタズラ教頭逮捕〕
徳島県で学校寮で教え子女生徒にイタズラ教頭逮捕。
昭和60年(1985).9.15〔体罰教師109人、わいせつ教師26人〕
文部省調査、前年度の体罰で処分受けた教師は109人、ワイセツ行為で処分された教師は26人。
昭和60年(1985).11.25〔小学校教師、担任の女児にワイセツ行為〕
奈良県で小学校教師、担任の女児にワイセツ行為。
昭和61年(1986).3.1〔小学校教師、小5女児を裸にし撮影、逮捕〕
兵庫県で小学校教師、小5女児を裸にし撮影、逮捕。
平成2年(1990).3.26〔小学校教師が教え子にいたずらして殺害〕
広島県豊田郡の小学校の教師(38)が、3年間担任をしていた6年生女子(12)を自宅から車で連れ出し絞殺した。去年の9月からこの生徒に猥褻行為をくりかえしており、他の生徒がえこひいきを非難するため猥褻行為最中の声を録音したテープを持っていたため教育委員会に追及されて3.24に辞表を出していた。「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」と自供。妻と2人の子供がいる。広島地裁で懲役13年確定。県と町は2千3百4万円の損害賠償判決。
※タイトルと本文が同じ短いデータは「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。
ということで、教師が女生徒を強姦したり強制猥褻したりした事件を集めてみました。
レイプ以外の殺人などの教師の事件は、少年犯罪データベース 教師の犯罪をご覧ください。
今回の事件は1989年から19年間で女児27人に乱暴したということですが、ちょうど同じ広島で起こったこの事件と時期が重なっています。
平成2年(1990).3.26〔小学校教師が教え子にいたずらして殺害〕
こっちは何度も繰り返し弄んだうえに勝手な理由で殺しているのに懲役13年で、かたや懲役30年というのはなんともアンバランスなような気もいたします。
とっくに出所していると思いますが、マスコミが取り上げたりしていますでしょうか。最近は光市母子殺害事件だとか高校生首切り事件だとかがやたらと大きく扱われていますが、こっちのほうが遥かに酷い事件で、とんでもない甘い判決なのに、あまり話題にもなっていないような気がするのですが。
昔は教師が教え子と心中する事件も多発していて、ついでに載せようかと思ったのですが数が多いので別の機会にします。
※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる
昭和2年(1927).2.10〔小学校教師が女子生徒(満13歳)を繰り返しレイプ〕
埼玉県入間郡で、小学校教師(27)が高等2年生の女子生徒(15)をレイプしていて諭旨免職となった。去年の8月から落第させるぞと脅して繰り返し関係を強要していたもの。教師からの手紙を男子生徒が拾って発覚した。満13歳のときからの関係なので和姦でもレイプになるため警察も捜査開始。妻と娘がいる。
昭和2年(1927).4.29〔女学校1年(満12〜13歳)が小6から教師と付き合って自殺未遂〕
神奈川県横須賀市の自宅裏山で、船越実科女学校1年生(14)が包丁で喉を突いて自殺を図ったが父親に発見されて病院に運ばれたため2週間のケガで済んだ。小6の時から小学校教師と恋愛関係になり、ラブレターを見られて父親に叱られたため。雑貨商の長女。
昭和3年(1928).1.9〔小学校教師が6年生女子18人に猥褻〕
東京府豊島郡巣鴨町の小学校の教師(32)が、受け持ちの6年生女子60人のうち女学校進学希望者18人を放課後に受験指導する口実で2ヶ月間に渡って裸にして変態的行為を繰り返し、発覚して免職となった。妻と4人の子供がいる。
昭和5年(1930).7.23〔19歳(満17〜18歳)花嫁が教師にレイプされた過去を悲観して自殺未遂〕
和歌山県西牟妻郡で、花嫁(19)が池に飛び込んで自殺を図って意識不明となったが命を取り留めた。医者の長女で、7.20に医者と結婚したが翌日、「11歳の時に担任教師に処女の誇りを奪われた」という遺書を残して行方不明になっていた。
父親は「世の少女達のため教育界刷新のため娘を犠牲にして血涙を呑んで発表する次第です」と7.29に公表。名指しされた教師(39)は校長になっているので大問題となった。
昭和8年(1933).2.5〔小学校教師が体罰とレイプ〕
岡山県兒島郡の小学校高等科で、教師が級長を殴って3日寝込むケガを負わせたため両親が訴訟すると激怒。教師宅の商店が50銭の勘定をごまかしたと生徒全員が習字の授業で教師の名前と50銭を並べて清書したためカッとしたもの。
岡山県御津郡の小学校高等科の次席訓導(32)が、昨年12月に元の教え子である山陰高女5年生(19)を受験準備のためと旅館に連れ込みレイプ、他の教え子もこの旅館で関係したとの噂があり取り調べ。
昭和8年(1933).3.19〔小学校教師が6年生女子レイプ〕
三重県四日市市の自宅で、小学校教師(34)が教え子の6年生女子(14)を高等女学校口頭試験指導のためと連れ込みレイプ、父兄が学校と市学務に訴えたため教師は免許状剥奪、校長は懲戒処分となったが公表せずひた隠しにしている。
昭和8年(1933).7.10〔高等小学校校長が女生徒数十人をレイプ〕
愛媛県喜多郡の高等小学校で、校長(44)が赴任した8年前から1,2年生(満12〜14歳前後)の女生徒数十人をレイプしていたことが発覚して逮捕、7.10に辞表を出した。
昭和9年(1934).1.10〔小学校校長が女生徒(満12〜13歳)と関係〕
京都府愛宕郡の小学校校長(44)が、教え子と関係した上に捨てたという投書が府学務部に届き、取り調べに2ヶ月間否認していたが、昭和7年12.25〜12.28に京都市の旅館にこの女生徒(当時14歳。満12〜13歳)と泊まっていたところを警察に逮捕され関係を持ったと自供していたことが発覚した。
昭和9年(1934).4.23〔教師が修学旅行で15歳女子(満13〜14歳)をレイプ〕
鹿児島県肝属郡で、女子(18)が1年前に産んだ長男の認知を求めて昭和7年に半年間交際していた男性(27)相手に提訴したが、男性は女子には他に何人も男がいる、当時通っていた高等公民学校の教師とも関係していたと暴露した。修学旅行中に担任教師が15歳(満13〜14歳)だった女子の床に忍び入って処女を奪ったことが法廷で証明され、父親が誰か判らないので4.23に鹿児島地裁は認知請求を棄却した。
昭和9年(1934).7.13〔高等小学校校長が学校で女生徒レイプ〕
岐阜県山形郡の高等小学校の教室で、校長(49)が高等2年生女子(15)をレイプ、近くの建物から目撃した人がいたため問題となったが、県視学はそのような事実はないという調査結果を出して校長の辞表を却下。しかし、7.24になって校長が自白したため懲戒処分となった。
昭和9年(1934).8.30〔女学校校長が学校で女生徒レイプ〕
静岡県磐田郡の県立高等女学校で深夜0時前、校長が教護室に侵入して3年生女子(17)をレイプして逃走したが、女子から話を聞いた両親が警察に通報して9.1に任意同行で取り調べ。女子はバレーボール選手で、前日の運動会で胸をケガしたため教護室で寝ていたもの。
昭和10年(1935).1.2〔高等小学校校長が女生徒(満14〜15歳)と関係し袋叩き〕
大島の隣りの利島の高等小学校(現在の中学に相当)で、校長(51)が2年生女子(16)と畳敷きの教員室で夜中に明かりもつけずに一緒にいるところを、青年団6人が窓ガラスを割って押し入り殴る蹴るの暴行を加えた。校長と女生徒との関係が噂になっていたので、尾行していたもの。校長は告訴するが、青年団も校長解任を要求。
昭和10年(1935).2.15〔17歳女子(満15〜16歳)が小学校教師と関係して出産〕
大阪府豊能郡の小学校で、高等科補習科2年生女子(17)が陣痛を起こし、自宅に帰って男の子を産んだ。この家に下宿していた小学校教師(28)が2年前から肉体関係があり、昨年11月には他の女性と結婚していた。怒った両親は告訴しようとしたが、赤ちゃんを引き取って学校を辞めることで示談となった。女子は元村会議員の4女で、妊娠には両親も本人も気づいていなかった。
昭和10年(1935).3.23〔小学校教師が女子生徒数十人をレイプ〕
岩手県紫波郡の小学校で、教師(31)が、県立女子師範学校進学希望者の女生徒(14)ら数十人を放課後に受験指導する口実でレイプして逮捕された。校長(48)も同校の女性教師(24)と不倫の関係を結んでいた容疑で同時に逮捕された。
昭和22年(1947).9.7〔23歳小学校教師が教え子2人誘拐〕
埼玉県北葛飾郡で、小学校教師(23)がかつての教え子だった中学1年生女子2人を茨城県猿島郡古河町に写生に行こうと手紙で誘い出し、東武鉄道杉戸駅ホームで3人が目撃され、5時間後に教師だけが忘れ物をしたと自宅に一度帰ってから3人とも行方不明となった。教師は旧家の豪農の次男で妻子がいたが翌年離婚、昭和30年には失踪宣告され戸籍が抹消された。
※事件が解決したかどうかご存じの方はご教示をよろしく。
昭和23年(1948).11.21〔小学校教師が教え子7人レイプ〕
青森県三戸郡の小学5年生の担任教師(34)が女生徒多数を宿直室でレイプして逮捕された。北海道亀田郡の小学校で女生徒3人に猥褻な行為をしてクビとなり、津軽で知り合ったPTA会長の紹介で11.1に採用されたばかりだった。判っているだけでも1週間で7人に乱暴して3人が傷害を負っている。9日には生徒が訴え出て、あわてた校長とPTA会長は11日にこの教師を岩手にやって隠蔽しようとしていた。
昭和26年(1951).3.14〔小学校教師が教え子20人以上にいたずら〕
東京都下北多摩郡保谷町の小学6年生の女生徒たちが同盟休校を計画、父親が理由を質すと、「担任の先生に汚された」と泣いて訴えた。教師(32)が「先生のするままにしていると顔も白く美しくなり、難しい学科もわかるようになるよ」と女子20数名に猥褻な行為をしていた。14日に事実を認め辞職。
昭和27年(1952).1.10〔中学校教頭が女生徒レイプして妊娠させる〕
千葉県東葛飾郡で、中学3年生女子(15)が出産した。教頭(46)がレイプしたもので、他の女生徒にも猥褻行為を繰り返していた。教頭は否定したが、辞表を出した。この中学では教師が女生徒と車座になって酒を飲んでいると、以前より村長が訴えていた。
昭和27年(1952).11.29〔小学校教師が教え子をレイプ未遂〕
兵庫県豊岡市での路上で、小学校教師(27)が帰宅中の2年生女子(9)を後ろから襲ってレイプしようとしたが通行人に見られて逃走、翌日に逮捕された。これまでも教え子3人をレイプしようとしたが未遂で終わっている。
昭和30年(1955).4.7〔小学校教師が教室で教え子連続レイプ〕
神奈川県川崎市の小学校で、教師(27)が卒業式を目前に控えた3.21〜23に6年生女子(12)3人を教室で次々強姦して逮捕され、4.7に自白した。去年の7月から数十回犯行を繰り返しており、ほかにも数名の被害者がいる見込み。神奈川師範卒で妻子がいるが、日曜に女子を学校に呼びつけ「お前は先生が好きか?」と迫るなど噂が広まっていた。被害者の母親が校長に告げたが握りつぶそうとしたためやむなく3.24に警察に届けたもの。校長は3.31にこの教師を懲戒免職ではなく依頼退職処分にしたためPTAで大問題となる。4.13に被害者の母親が告訴を取り下げたため、その日に釈放。
昭和30年(1955).6.30〔18歳女子大生が不良教師との失恋で焼身自殺〕
東京都港区青山の洋画家宅で、次女の東洋大学1年生女子(18)が石油をかぶって焼身自殺した。今春まで通っていた都立三田高校の教師(28)と在学中から関係を持っていたが、教師がほかの教え子と婚約したため。この教師は女生徒8人に手を出しており、1人は1月に睡眠薬自殺を遂げ、1人は自殺未遂。学校図書館から160冊を盗んで金にしていたので横領で逮捕されたが、微罪のため不起訴処分となった。
教師の父親が地元の有力者で校長(52)と親しかったためこれまで見過ごされていた。東京教育大卒で成績優秀。7.17に校長はガス自殺を図ったが、命を取り留めた。
昭和33年(1958).1.2〔小学校教師が教え子の4年生レイプ〕
東京都品川区のアパート自室で、小学校教師(48)が担任の4年生女子(10)を連れ込んでレイプした。懲役3年が求刑されたが12.11に東京地裁は懲役1年の判決。刑が重すぎると控訴し、翌年5.7に高裁で控訴棄却。
昭和46年(1971).10.19〔教師、学校で2女児にイタズラ、逮捕〕
大阪府で教師、学校で2女児にイタズラ、逮捕。
昭和46年(1971).12.10〔中学教師、女生徒に1年間にわたりイタズラ〕
大阪府で中学教師、女生徒に1年間にわたりイタズラ。
昭和48年(1973).9.1〔高校教師が実験薬品で女高生レイプ〕
山口県で、高校化学教師(41)が実験薬品を持ち出し、女子高生にエーテルを嗅がせて眠らせてからいたずらする事件を繰り返して逮捕。
昭和52年(1977).3.1〔小学生教師、男子学童10人にイタズラ、懲戒免職〕
兵庫県で小学生教師、男子学童10人にイタズラ、懲戒免職。
昭和55年(1980).10.5〔旅行引率教師、酔って女生徒にイタズラ〕
香川県で旅行引率教師、酔って女生徒にイタズラ。免職処分。
昭和55年(1980).10.14〔国立大教授、ハレンチ事件で辞表〕
富山県で国立大教授、ハレンチ事件で辞表。
昭和55年(1980).10.28〔高校教師、女生徒をラブホテルに連れ込む〕
東京都で高校教師、女生徒をラブホテルに連れ込む。
昭和55年(1980).10.28〔道徳教師、女児裸にして写真をとる〕
大分県で道徳教師、女児裸にして写真をとる。
昭和59年(1984).2.〔小学校教師が一年生の女子児童にいたずら〕
区立の小学校教師は「交通事故で授業が遅れているから」と補習に残した一年生の女子児童にいたずらをし,ハレンチ教師として訴えられる。(太田区) 警視庁「少年非行等の概況」引用。
昭和59年(1984).4.17〔小学校教師、修学旅行などで女児にイタズラ〕
新潟県で小学校教師、修学旅行などで女児にイタズラ。
昭和60年(1985).2.15〔学校寮で教え子女生徒にイタズラ教頭逮捕〕
徳島県で学校寮で教え子女生徒にイタズラ教頭逮捕。
昭和60年(1985).9.15〔体罰教師109人、わいせつ教師26人〕
文部省調査、前年度の体罰で処分受けた教師は109人、ワイセツ行為で処分された教師は26人。
昭和60年(1985).11.25〔小学校教師、担任の女児にワイセツ行為〕
奈良県で小学校教師、担任の女児にワイセツ行為。
昭和61年(1986).3.1〔小学校教師、小5女児を裸にし撮影、逮捕〕
兵庫県で小学校教師、小5女児を裸にし撮影、逮捕。
平成2年(1990).3.26〔小学校教師が教え子にいたずらして殺害〕
広島県豊田郡の小学校の教師(38)が、3年間担任をしていた6年生女子(12)を自宅から車で連れ出し絞殺した。去年の9月からこの生徒に猥褻行為をくりかえしており、他の生徒がえこひいきを非難するため猥褻行為最中の声を録音したテープを持っていたため教育委員会に追及されて3.24に辞表を出していた。「殺したほうが生徒が世間の中傷を受けて悩まなくて済むと思った」と自供。妻と2人の子供がいる。広島地裁で懲役13年確定。県と町は2千3百4万円の損害賠償判決。
※タイトルと本文が同じ短いデータは「〔年表〕子どもの事件 1945-1989」山本健治 柘植書房より引用したもの。
2009年07月31日
愛国と米国
鈴木邦男氏が去年出された『愛国の昭和 戦争と死の七十年』ではちょっとだけ調べごとのお手伝いをしただけだったのに、その本の中で拙著『戦前の少年犯罪』を過分な言葉で取り上げていただいたりして恐縮した。それから一年、文楽を観に行った国立劇場でばったり逢ったりしたくらいでとくに連絡もなかったのだが、最新刊の『愛国と米国 日本人はアメリカを愛せるのか』が送られてきた。律儀な人だ。
そんなことで紹介をしておきます。いただいたのは1ヶ月以上前なんですが。私は律儀じゃない人だ。
戦時中に生まれて反米幼児として育って右翼青年となった鈴木氏の反米と愛米の絡み合いが、日本人すべての米国への愛憎入り交じった複雑な感情と重ね合わせながら、かなり気合いを入れてもろもろ掘り返して突つき廻されている。愛国とはなんぞやというのが最大の命題である鈴木氏にとって、これは核となる問題なんであろう。
なんせ、鬼畜米英撃つべしと云ってた右翼が、敗戦から15年後の60年日米安保闘争では米国と軍事同盟を結ばねば日本は滅びると、反対派の左翼を売国奴呼ばわりしていたんだからなかなかややこしい。
まったくのアメリカ万歳ならそれもいいんだが、相変わらず卑劣なアメリカの罠に嵌められて日本は戦争に引きずり込まれたと怨んで反米に燃えている。さらには戦後の青年としてアメリカの音楽やらテレビドラマ、若くてかっこいいケネディ大統領なんかに憧れを抱いたりもするからますます屈折してくる。
日本人の米国への奇妙なる愛憎を考える上で大きなヒントを与えてくれるのが、この書にも出てくる昭和14年のイギリス外相の訪日に合わせて日本全国で澎湃として巻き起こった反英運動なんではないかと私は思います。排英市民同盟が主宰した東京の反英市民大会だけでも10万人も結集して練り歩いて気勢を上げたりして、まさしく安保反対闘争そのまま様相を呈していたのでした。社会大衆党なんかも参加してたし、まったく戦後の安保闘争と同じと云っていいと思います。
英語は敵性語だから使わないようにしようなんて運動は、反米ではなくこの反英運動の流れから始まったものだったりします。
日本が戦っている蒋介石をイギリスが支援しているというのが反発の原因で、「われらが親兄弟はイギリスの弾丸に殪れた(倒れた)」だとか書いた旗を掲げて農民の団体が反英市民大会に参加してたり、「本当の敵は支那ではなく背後で操ってるイギリスだ」なんて極端なことを主張する政治家もたくさんおりました。
どうにも判らない話で、直接のきっかけは親日の中国人を暗殺した犯人がイギリス租界に逃げ込んだので引き渡しを要求したけど証拠がないからと拒否された天津事件なんですが、これを蒋介石への支援と見なすとしてもずいぶん迂遠な間接的なものに過ぎないはずです。
2年前の上海事変ではドイツの顧問将校団が作戦指導して、あるいはもっと踏み込んでドイツが蒋介石をけしかけたと云う人もおりますが、なんせ日本は大量の戦死者を出す大損害を受け、まさしく「われらが親兄弟はドイツの弾丸に殪れた」なのに、その積極的に蒋介石を支援したドイツには非難の声が上がらないどころか同盟を組もうという流れになって、右翼が日独同盟に反対する者を売国奴呼ばわりしたりします。
4年前にはエチオピアを巡って日本とイタリアが対立、ローマで10万人の反日大会を開催して日の丸を八つ裂きにする絵を掲げたり、ムッソリーニの指令でイタリア各紙が反日記事を掲載したと日本の新聞も大騒ぎだったんですが、これら英国よりも遥かにはっきりと日本に敵対してた相手への反感は盛り上がらず、何故だか反英感情だけが突出してくるのです。
ドイツのメイドさん攻撃に籠絡された連中が裏で扇動したなんて話もありますが、元から反英の気分が蔓延していたからこそそういう策動も効果があるのでしょう。
これは明らかにイギリスが日本の盟友だったという過去が関係しているわけで、日英同盟のために第一次大戦なんかでも日本はずいぶん頑張ったのにイギリスはなんもしてくれなかったじゃないの、こんなにつくしたのに冷たいわという屈折した愛憎があるわけです。
また、同盟していた頃は日本のほうが格下の関係だったけど、いまでは国力も上がって同格なんだぞという、図体ばかり大きくなった子どもの親に対する反抗期のような、妙に甘えた反発心もあったりもします。
アヘン戦争から宿敵だったイギリスと中国のあいだにわざわざ割って入ってこの絶対に相容れるはずのない二国を同盟させるまで暴れ回るほど感情的に国益破壊に勤しんでいます。
戦後の日米安保反対闘争でも、右翼以外の一般大衆にとっては我々を軍国主義から解放してくれて民主主義のお手本になるお兄ちゃんだと思ってたのに裏切られた!というような妙にべたついた感情と、戦後15年経ってあたしも一人前になったのよ!という反発心が根底にはあります。
会社では取引相手がどんないけ好かない奴だって儲けさえ出るなら笑顔で握手するだろう人々が、国のことなら妙に子どもっぽい反応をするというのはどうにも不可思議なることです。このあたりは戦前の反米だってじつはおんなじなんです。
戦前のエリートは軍人も含めてみんな欧州かぶれですが、一般大衆はアメリカ大好きで、米国大衆文化の浸透度は戦後よりも戦前のほうが遥かに大きかったりします。戦後になって急に手のひらを返してアメリカかぶれになったみたいに云う人がいますがまったくの誤解で、欧州から乗り換えたエリートはともかく一般大衆は元に戻っただけです。敵性語排撃なんて叫んでも戦時中も普通に英語は使われてましたし。英語を無くすと日常会話が成り立たないほど浸透してたんです。
戦前のアメリカ大好きだった一般大衆は、こんなに愛してるのになんでいじめるんだという思いがあるからあれだけ一挙に強烈な反米になったわけですな。
上記の反英運動で一応は屈服させ溜飲が下がって積年のイギリスへの愛憎を昇華させたちょうどすぐあとに、アメリカが入れ替わって立ちはだかったという経緯もあります。
何が云いたいかと申しますと、いまどき反英だとか反対にイギリス大好きなんて人は、まあ一握りのちょっと変わったのを除いて消滅していて、そもそもイギリスに対する意識さえ日頃めったに昇ってはきませんが、こんなのはいつでも消えてしまうもので、米国への愛憎なんてものもそのうち無くなってしまうのだろうか、はたまた無くなったら日本はどうなってしまうのだろうかというようなことです。
諸外国のように日本は人工的に造られた国家ではないので、国という存在があたりまえ過ぎて意識するのが難しく、愛国というのもなかなか難しい命題だったりします。
コミンテルンのためにやった戦争が正しい戦争だと主張てる人がコミュニストではなくて愛国者を自称してたり、よその国の独立のために日本を犠牲にしたのが誇らしいなんてどう考えても売国奴の地球市民意識の持ち主が愛国者を自称してたり、訳が判りません。まあ、戦前の右翼は明らかに地球市民なんでそのあたりはいいのですが、それにしたってあれだけ反日のドイツやイタリアとなんで仲良くしたかったのか。戦後の右翼が反日の鬼畜と仲良くしたかったのと同じなのか。
これらもろもろの不純物を排除しても日本には最後に天皇が残るじゃないかなんて云ってみても、『愛国と米国』にも記されてるように、「<ゾルレンとしての天皇>を護るためなら<ザインとしての天皇>は殺してもいいんだ」「楠公の心を持って、尊氏を行う」「大善のためなら小善は踏みにじってもかまわない」と公言する右翼も出てくるわけで、なんでもありになってしまう。実際、戦時中ほど天皇が踏みつけにされコケにされた時代もありません。いまでも愛国者とか自称してる人が皇室批判を繰り返してますし。
鈴木邦男氏は右翼から左翼に転向したみたいなことを云う人もいますが、元々日本の右翼だとか愛国なんてのはそれほどはっきりしたもんではないんですな。
結局はイギリスだとかアメリカだとかよその国との関係によってなにかしらでっちあげなくてはならなくなる。そんなの自明だと仰る方もおられるやも知れませんが、『愛国と米国』ほど多角的に掘り下げられてる本は存外に無いんではないかと思います。他にはない論点も網羅して緻密なようでいて捉えどころのない本書の論旨が問題の本質を突いています。
鈴木氏は『戦前の少年犯罪』を出したばかりでまったく無名な私のところに逢いたいと気軽に訪ねてきて、何者かも判らん私の話を素直に感心しながら聞き入って、気軽に調べごとを頼んで帰って行って、なるほど戦前の融通無碍なる媒介者的な右翼とはこんな感じだったのかともろもろ腑に落ちる思いでしたが、『愛国と米国』はそんな鈴木邦男という人物を体現してる代表作と云っていいと思いますし、また愛国を考える上での基本書と云っていいと思います。
高校生のときに鈴木氏よりも過激な右翼思想だった友人が、自分ちの親子関係がアメリカホームドラマの家庭みたいじゃないことを悩んでることを知って衝撃を受けたり、右翼も左翼もコカコーラを飲んだことを仲間に咎められて自己批判させられたりしたなんて小ネタの数々が、日本がいかにやっかいな時代を経巡ってきたのかをあらためて思い起こさせます。
なんで自分の家がジャック・バウアーの家庭みたいじゃないんだと悩んだりする人はいないでしょうから、いまは反米になるにせよ愛米になるにせよ気が楽です。それは米国がかつてのイギリスのように我々の前から消えてしまう前兆なのかも知れません。
そのときに愛国なんてのは何を指す概念となっているのか。いまとまったく逆転してる可能性も大きいように思います。
鈴木氏の『愛国者は信用できるか』によると、重信房子の父親が「娘は愛国者で右翼です」と云い切ったそうですが、重信父が戦前に入ってた右翼の血盟団も日本赤軍もやってたことは大して違わないと云うかもうまったく同じですから右も左もいつでも交換可能です。
すでに右翼はほとんど元左翼からの転向者や、昔なら全共闘にかぶれてたような若いもんに乗っ取られてしまっていて、それに批判的な鈴木邦男みたいな人が左翼に見えてしまうという有様ではあります。
つーか、米国に代わる父親の如き複雑な愛憎を向ける相手を中国に求めている人をいまどきは右翼と云うんですかね。一方でことさら嫌いながら、一方で三国志とか読んだりして。いいかげん一人前なんだから、べつにもうそんな相手を探すこともないと思うのですが。反対に日本に対してそんな複雑な愛憎を向けてくる可愛い相手に父親として優しく接するくらいの大人の風格を身に着けていてもいい頃合いです。
外国なんか相手にせずとも、普通に日本の伝統を遡るほうへ行けばそれでいいはずなんですけどねえ。『戦前の少年犯罪』でもちょっとだけ触れましたけど、右翼とか愛国とか云ってる連中は所詮は外国かぶれの日本伝統破壊主義者、あるいは伝統捏造主義者だったりしますから始末が悪いです。


