【断 呉智英】その時代にこれはないぜという産経新聞の記事を先日知りました。
佐々木譲さんの小説『警官の血』に時代背景に合わないおかしな言葉が出てくると編集者や校閲者まで非難し、佐々木さんとやり合いになったみたいです。
この呉さんの指摘は仮に正しい内容だったとしてもずいぶんくだらないツッコミのような気がしますが、さらに輪をかけてそのことごとくが変なんです。

「なんたらかんたら」については佐々木さんのブログで校閲さんが反証を出しているのですが、これは全13巻の小学館『日本国語大辞典』の内容です。大阪では昔から普通に使われていた「なんたらかんたら」を呉さんがご存じなかったということはあり得るとしても、言葉の移り変わりを知るには一番基本的な資料となるこの辞典を調べてないというのは驚きです。とくに人をあげつらうようなことをする場合は、最低限この程度のことはすると思うのですが。

昭和二十年代に普通に使われていた「市民」や「女性」がおかしいというのも、どうも意図がよく判りません。ひょっとするとこういう言葉は上流社会のインテリだけのもので庶民は使わないという意味なのかもしれませんが、とりあえず「市民」については昭和23年に公開された映画『シミキンのオオ!市民諸君』を掲げれば充分でしょう。
当時大人気だったシミキンこと清水金一・主演、川島雄三・監督のドタバタコメディーで、当然のことに一般大衆が笑いながら観たものです。それ以前から新聞では、民主主義推進のためには「市民」の確立が大切だといったようなおそらくはGHQ主導の記事がちょくちょく載ってまして、パロディーにするぐらいこの言葉が浸透していたのです。むしろ、うんざりするくらい流布していたからこういうおちょくり映画ができたと思います。
ちなみに、原作は昭和21年から連載された横井福次郎の人気マンガ『オオ!市民諸君』で、去年出た『戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡』でくわしく紹介されてますので、マンガの研究などされている方はすでに読んでご存知だと思います。私は読んでおらず、この頃の映画に「市民」をタイトルにしたものがたぶんあるだろうと調べてみて、いま知りました。

「女性」に関しましては青空文庫で検索するとこれだけ出てきます。戦前に太宰治や岡本かの子なんかがこれだけよく使っていた言葉なら、戦後の人も使っていただろうなとお判りいただけると思います。
もうちょっと大衆的な人気作家のほうがいいかと、手元にあった石坂洋次郎『何処へ』をペラペラめくっているとこんな場面がありました。
「……そりゃあいいけれど、私もまだ女性ですべがや?」
 おかみさんが漬物を噛みながら、真面目な顔で尋ねた。
「あらいやだ、ねえさん、女はみんな女性じゃありませんか、ホホホ……」
「そうげや、そんならいいどもな。私はまたこのごろ女性々々というのは、若い綺麗な女の子のことばかりかしらんと思っていたんすや……」
「それは……」
 伊能はグッとつまった。

この部分は昭和14年に雑誌に掲載され、昭和22年に本にするときに推敲したということです。舞台は昭和14年みたいですが、この時代にこんな云い方はありませんと注意しなかったとは、昔の編集者や校閲者はけしからんことですね。
石坂さんは結構最近までご健在だったので青空文庫にないのがおしいところです。この続きがいいのですが。ぶった切って申し訳ない。

「空気が読めない」につきましては、産経が愛している朝日新聞昭和53年6月22日の産経がもっとも好きそうな『「右旋回」の空気読む』という記事なんかどうでしょうか。記事本文では「この際できるものはやっておこうという防衛庁内部の空気を反映している」という文章が出ています。一面の見出しでなんの注釈も括弧もなく「空気読む」が出ているのですから、それ以前から普通に使われていた言葉だと云っていいと思います。少なくとも「最近の流行語である」から昔は使われていなかったとは云えないでしょう。
※追記  国会議事録検索を使えばいいことに気づきました。
昭和37年03月14日科学技術振興対策特別委 島村武久政府委員発言
「官房長といたしましてはそういうような空気を読み取ることができませんでしたし」

このようにいつから使われてたかは例を挙げれば簡単に証明できますが、いつ以前は無かったというのは非常に難しいことです。とくにそれが言葉なんてやっかいなものであればなおさらです。
それをこの時代はこんな言葉は使わなかったなんて、調べもせずに不用意に断定される呉智英という方は、言葉に対するもっとも根本的なセンスと畏敬の念が欠けているような気がしないでもありません。

昭和32年2月3日の朝日新聞には「都心の”バラック集落”立ち退き」という大きい記事が出てまして、「「部落」の代用語として「集落」が使われるのは近時」と仰るその近時とはいつのことなのかはなかなか難しいことで、相当に調べ上げてからでないと大まかなことも云えないだろうと思います。


何ヶ月も前のこんな記事をいまごろ見つけたのは、【断 呉智英】「大阪の食い倒れ」ってホント?をたまたま読んだからなんですが、ここでも「大阪の食い倒れなんて、戦後のことだ。」なんておかしなことを書かれております。
大坂の食い倒れについて言及した江戸時代の文献なんかいくらでもあるのにこの人は調べてもいないのだろうか、まとめてアップしてやろうかと思ったのですが、こちらの方が、その続きと合わせてすでに網羅されておりまして、おまけに『読書家の新技術』という呉さんのご著書で江戸時代のことについて記されていることも知りました。するといったい今回の食い倒れ記事はどういう意味なんでしょうか。さっぱり訳が判りませんです。

まあ、食い倒れについてはいいのですが、問題は
「ホームレスが公園などに「テント村」を作っている光景が十数年続いただけで、終戦期の焼け跡に戦災被災者のテント村ができた(バラック村だよ)と平気で書く小説家まで出てくるほどだ。」
のほうです。
これは佐々木譲さんに反論されて、再反論で「『警官の血』には他にもおかしなところがあるが、それは別の機会に。」と記されたその具体例なんだそうですが、かなり驚きました。
呉さんはいったいどのようなところから終戦直後には「テント村」などないとお考えになられたのでしょうか。まさかこの時代にテントそのものが存在しなったなんて思ってはおられないでしょうし、普通はあってもおかしくないなと思うところで、無いと思っても一応は調べてみるのが当然だと思うのですが。とくに人をあげつらうようなことをする場合は。

昭和22年1月21日の読売新聞には「テント村増設 あふれる収容者に都もあわてる」なんて記事が出ています。4月5日には一泊5円のテントホテルが都内各所に開店したという記事があります。
この頃はテントの新聞広告が大量に出てまして、需要の大きさが判ります。時代背景を考えれば当然でしょう。たぶん、山登りのためだけの需要ではないと思います。

呉さんは「作者も体験し多くの読者の記憶にもある終戦期の話だ」と仰っておられますが、『戦前の少年犯罪』に記しましたように、その時代を生きているだけでその時代のことがわかるのなら教育などまったく必要ありません。今現在のことも、我々はきちんと調べて学ばないと理解はできないのです。何十年も前のことならなおさらです。考えれば誰でも判ることです。

呉さんのこの記事は小説ではありませんし、名指しで人をあげつらうようなことをしているので、産経の担当者は『警官の血』の編集者よりも慎重になったでしょうけど、なにも調べていないのでしょうか。
もっとも、別に産経だけではなく、どこの新聞社も出版社もまともなチェック体制なんかありません。この私の文章は、呉さんや産経に限って云っているのではありません。全体的に能力が低く、職業への矜持(きょうじ)や責任感もない例として出しただけです。
呉さんは昔はきちんとしたチェック体制があったように仰っていますが、昔の新聞や本しか読まない私は怪しいと思っています。ごく一部にはちゃんとしている人もたまたま偶然いたから伝説として残っているだけで、それも現在のウェブ上でオープンな形で多くの人にチェックされるような体制と比べたら大したことではありません。

戦前や戦後すぐのことに言及する方は、私のように当時の地方紙や週刊誌まで読み込めとは云いませんが、せめて読売や朝日の検索くらいはやっておいてほしいものです。ここでずらずら並べたようなことは調べるのにそれぞれ5分もかかっていません。バカでもできることです。
なんだかんだで世の中進んできてるのですから、いいかげんもう、調べもせずに適当なことを書いてひとさまからお金を取るなどというデタラメな商売は終わりにすべきではないでしょうか。
念のため付け加えておきますが、知識がないことや間違えることが悪いと云ってるわけではありません。最低限のことはやるべきだと云ってるだけで、知的怠惰なその姿勢を問題にしているのです。
知らないことなど無限にあって、どこまでやっても当然間違いはあるでしょう。この私の文章にもたぶんあるでしょうから、お判りの方はご指摘いただければ。


ところで、私はなぜか最近このように言葉の使われ方の歴史を調べることが多いのですが、ウェブ上で簡単に用例が年代順に取り出せる検索エンジンがあれば便利でいいなと思っています。たとえば、
昭和15年の『女人訓戒』で太宰治はこんな凡庸な考察をしてる。「女性には、このような肉体倒錯が非常にしばしば見受けられるようである。動物との肉体交流を平気で肯定しているのである。」

という記述をしているサイトがあれば、「女性」で検索すると昭和15年の用例として出てくるようなものです。このサイトに年代が無くても、よそのサイトに昭和15年の『女人訓戒』というのがあれば結びつけて検索して年代ごとに並ぶようにしていただければありがたい。
その本の広告を出すようにすればそこそこ儲かるかと思いますので、どなたかお願いいたします。
青空文庫のみなさまも、初出情報を充実していただけるとまことに幸いであります。テキスト化作業、ご苦労様であります。

産経新聞も過去の記事をすべてデジタルデータにして公開していただければと思います。読売や朝日のシステムは、1984年以前は見出し検索とシステム側が恣意的に付けたキーワードで検索できるだけで全文検索はできませんから、こういうことを調べるには限界があるのです。大阪はおもしろい事件が多いので需要は大きいでしょう。
一番最初にウェブ上で無料で過去記事すべてを全文検索できるようにした新聞だけが、次の時代まで唯一生き残ることができると私は考えております。すでにマイクロフィルム化している画像をアップして、ウェブ上の人々が競ってテキスト化する仕組みを作り上げれば、そのコミュニティーそのものが大きな資産になるはずです。
これからの時代は純粋な読者というのはなくなり、例えばテキスト化を手伝ってくれる共同作業者であり、その文章やデータを活用して別の情報を生み出す真の意味での編集者、間違いをチェックしてくれる校閲者、この三つのいずれか、あるいはすべてを兼ね備えた読者しかいなくなります。いち早くウェブ上で無料で過去記事すべてを全文検索できるようにすれば、このすべての次代の読者を独占できるのです。