『若者論を疑え!』『「ニート」って言うな!』にも執筆されてる後藤和智氏『若者論を疑え!』(宝島社新書)という初の単独著作本を出されまして、『戦前の少年犯罪』のこともその中で取り上げていただいて、おまけに一冊送ってきていただいたので宣伝しておきます。

後藤氏がこういう本を出すと聞いて、この人のやり方で肝心のそのおかしな若者論を喜んでいる年寄り読者に届くのかいなと正直疑問を持っていたのですが、読んでみるとこれは勘違いした年寄りを説き伏せて改心させる本ではなくて、そういうおかしな若者論に対抗しようとする若者に向けたものなんですな。
少年犯罪が増えてるだとかゲーム脳だとかニート叩きだとかの間違った言説を正す科学的データを提示し、闘う若者へ武器を提供する「武器屋」であると、後藤氏は自分を規定しています。
勘違いした年寄りを成敗して間違った若者論を一掃するにはずいぶんと回りくどいですが、直接年寄り読者を説き伏せるには向いていない後藤氏のやり方としてはまことに正しい方向です。しかし、また退屈な方法論でもある。ところが、後藤氏はその「武器屋」に徹しきれないために、この本をなんともおもしろいものにして、しかもたんに間違った若者論を一掃するなんて次元とは違う、もっと大きな流れを生み出すための一筋の光をそこに見出すことができるようになっているのです。
売りらしい細かいデータではなく、より重要なその流れの可能性をこそ読み取るべき本で、後藤氏の意図とはまったく違ったところで歴史的一冊になるやもしれません。いや、微かには意識してるんですかね。

冒頭に本田由紀氏との対談が出てきます。これは若者論に対抗するための作戦会議というか、むしろいきなり反省会のようになっていて、とても敵である年寄りに見せられるようなもんではありません。私は本田氏のことはなにも知らないのでホンネなのかディベートとしてツッコミ役を買って出てるだけなのかよく判りませんが、あなたのやり方はほんとに有効なの? とか意地悪く問いかけて、また後藤氏のほうも負ける戦いかもしれないとかえらく弱気に答えています。本田氏はさらに踏み込んで、若者論を疑うことによってあなたはほんとは何がしたいの? はたまた、そんな闘いをしているあなたはいったい何者なの? と問うているようにさえ見えます。本田氏のツッコミのせいと云うよりも、後藤氏の「武器屋」としての弱さがそう見せているのかもしれません。
この本では何故か別の人がインタビューしてまとめた腐女子とケータイ小説家についてのルポ2本がいまどきの若者の生態として入ってるのですが、本田氏との対談部分はまるで若者論と闘うことに人生を賭けたひとりの若者のルポルタージュみたいになっています。この3本が並ぶことによって、おかしな若者論と闘うことが、腐女子のようなひとつの若者のカテゴリーとして捉えうることを示しているのです。このことこそが、この本の唯一最大の価値なのです。
惜しむらくはこの闘う若者たちにはまだ名前がない。後藤氏はこの本で、ニートだとか準ひきこもりだとかの名前をつけてカテゴライズすることの恐ろしさを説いていますが、名付けることによって、カテゴライズすることによって生まれる力もあるのです。

腐女子、その黎明期はJuneという名のカテゴリーができたことによって、それまで理由も判らず息苦しい日々を送っていた何十万人かの女子に居場所と生き甲斐ができ、その何割かには職業と収入さえもたらしたわけです。そこに市場ができたという事実は見逃せません。
この本のルポではケータイ小説家もたんなる商品を売って金儲けする商売人ではなく、小説を書くことで人生の目標を見出し、読者やケータイ小説家同士のつながりを通じて相手を瘉すことによって自分も瘉されるひとつの目的で結ばれたコミュニティーの一員としてカテゴライズされて取り上げられています。
精神性と金銭の両輪がなければ人間の誇りは保てないというのが、ぎりぎりまで追い詰められた現代の若者の結論でしょう。

後藤氏は闘うための武器を提供する以前に、不当な若者論によって叩かれて落ち込んでいる若者にあなたは悪くないんだよということを伝えたいと云ってます。それに対して、本田氏はそんなことで弱っている若者なんてほんとにいるのかなあと疑っています。以前の私なら同じように疑うところですが、『戦前の少年犯罪』などという若者論を疑えカテゴリーでは端っこのほうの本を読んでさえ溜飲が下がって元気が出るなんていう方が何人もいるのを知って、いまの若者は思った以上に抑圧されてるんだなということが判りました。
こういう若者たちをいかに結集させることができるか。「武器屋」の第一の仕事は買ってくれる顧客を増やすために市場を作り上げること、それはつまり戦争を起こすことだということを、後藤氏は肝に銘じなければなりません。それは歴史や『サイボーグ009』なんかが教えるところです。
たとえば、チベットだとか、関係のない遠い国の揉め事に入れあげる若者がいるのは何故なのか。そんなことよりも目の前に、自分たちの利害からも、客観的科学的にも、「正しい戦い」があるというのに、こっちの戦線に参加するほうが誇りと充実感が得られるぞと示せるかどうか。
これだけ明確な敵が目の前にいるなんてのは幸運です。全共闘なんかは大学の学費値上げなんてインフレの時代には当たり前のことに反対する名目であれだけの人を集めて市場を作って、いまだにそれで食ってる人がいたりします。なにやら誇りさえも持っていたりするみたいです。
考えてみれば、赤木智弘氏が云うところの、「希望は、戦争」「丸山眞男をひっぱたきたい」の両方とも適えることのできる戦場がいまここにはあるわけです。しかも、戦死なんて覚悟しなくともよいし、充分に勝算もある。職業と収入さえ得られるかもしれない。

この本の「武器」となるデータの部分はいまさら読む必要はないでしょう。ほかの方も指摘しているように、なんだか読みにくい書き方になってますし。
それよりも、ルポ3本を読みこんで、どうしたら若者論と戦う人々を腐女子やケータイ小説家のようにカテゴライズできるか、できるとしたらその市場規模は腐女子レベルなのかケータイ小説家レベルなのか全共闘レベルなのか、それとも戦前の青年将校のように、軍部のなかでさえ少数派で、やったことは線香花火だけれどメディアのなかで伝説として語られるような存在となるのか、戦略を考え抜くべきでしょう。
その決め手は、聖戦士たちに付けられる名前だろうと思われます。名付けが最大の武器となります。
腐女子なんかは特定の趣味を持った女子以外には参加できませんので隔離された世界となりますが、若者論なら年寄りも、あるいは国政も関わってくることになりますから、腐女子レベルの市場創出でも世の中に大きな影響力を持つことになります。出版もテレビも苦しい時代に、若者の読者をこれだけ集められるのならメディアの中心ともなりうる。そもそも、この規模にならないのなら、個人的にもぐら叩きをしていればいいのであって、「武器屋」なんか必要ありません。若者論を疑うことで食えるようになるのが重要です。それは間違った若者論を一掃するなんてことよりも遥かに重要です。
年寄り世代から反攻勢があったりしたら、いっそう戦争が盛り上がって、雑誌というものが息を吹き返したりするかもしれません。ここまで行ったら、新しいカテゴリーを見出したこの本は歴史的一冊だったということになりますな。

私は若者でもないし、若者ともまったく接点がないので救おうとかなんとか大それたことはまったく思わず、ただメディアの、情報の流れ方の実験としてこういうことをやってるので、非常に無責任な立場から勝手なことを云うだけですが、なんでも盛り上がるのは結構なことです。情熱の先走りが重要な革命や戦争にこういう俯瞰的な分析は妨げになるやもしれませんが、私のようなもんに本を送ってきて読めと仰るのはこうこうことですから仕方ありません。

最後に「武器屋」に注文を出しておきます。
この本のデータは白書なんかを元にしているので、古いし5年ごとだったりでいただけません。「武器屋」を名乗るなら、加工済みの白書ではなく、一次資料の政府統計を使っていただきたい。自殺統計なんかも年齡別の各年のデータを誰もウェブにアップしてくれんので、結局、私がやるはめになりそうな気がする。
検察の尊属殺関係統計をまとめようと四苦八苦していたんですが、あまりの複雑怪奇さに中断しています。きっとおもしろい結果が出ると思うのに。
こういうところをできれば後藤氏にはやっていただきたいと思います。少なくとも、私なんかよりは数百倍数字には強いでしょうから。
よろしくお願いいたします。
また、『青少年非行・犯罪史資料』を元にするのもどうかと思います。あれは全国紙の東京版の記事だけを集めたもので、しかも東京版に載ってる重要事件も結構落ちてたりするし。学者は本が好きなので、どうもこういうのだけ読んで発言する人がいて困る。先日、宮崎哲弥氏にお逢いしたときに、どうせあの本を読んでるだけなんでしょみたいなことを訊いたら、いや、もちろんデータマンは雇ったけど他の新聞記事も網羅蒐集して読み込んだと仰ってまして、ああこの人はちゃんとやってんだなと感心しました。