大分県で教員採用汚職事件があったということで、教師の汚職事件を集めてみました。
ご覧のように戦前はすごいです。戦前の人は公共心やら公徳心というものが根本的に欠けていますので、役人の汚職事件が文字通り毎日のように新聞に出ていましたが、教師の汚職事件がとんでもなく多いのも特徴でした。とくに校長の椅子を得るために小学校教師が都道府県の教育幹部に金を渡すという事件が無数に起きて、毎年大量の逮捕者が出るという有様だったのです。視学というのは、県や市などの教員人事を統括していた役職です。
詳しい背景などは、拙著『戦前の少年犯罪』の第15章「戦前は教師が犯罪を重ねる時代」を読んでいただければ。

汚職以外の事件は、新設した教師の犯罪を参照してください。女生徒への性犯罪はもちろん、教師の殺人事件が多いのには驚きます。あんまり多いので、めんどくさくなってデータ化していないものがまだ数多くあります。


昭和7年(1932).6.23〔小学校校長ら33人が贈収賄で逮捕起訴 新潟〕
 新潟県で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、教師5百人が取り調べられて小学校校長24人と視学9人が逮捕起訴。

昭和8年(1933).11.29〔小学校校長ら45人が贈収賄で逮捕起訴 東京〕
 東京市で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、翌年2月までに視学と校長ら45人が逮捕起訴。

昭和9年(1934).1.12〔小学校教師や視学39人が汚職で逮捕 岡山県〕
 岡山県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、教師や視学二百人近くが取り調べられて、1.12に39人が起訴。

昭和9年(1934).12.7〔小学校校長が贈収賄で逮捕起訴 茨城〕
 茨城県で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し逮捕起訴され、12.7に二審で、視学2人は懲役6ヶ月、追徴金240円と、懲役3ヶ月、執行猶予2年、追徴金90円。校長は収賄罪の1人が懲役4ヶ月、追徴金110円、贈賄罪の2人は罰金50円づつと、一審どおりの有罪判決となった。

昭和10年(1935).12.17〔小学校校長や視学多数が汚職で逮捕 兵庫県〕
 兵庫県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、県視学のほとんど全員に近い12人と前県視学1人、学務課員1人、小学校校長などが逮捕。

昭和10年(1935).12.20〔小学校校長や視学31人が汚職で逮捕 青森県〕
 青森県で、小学校校長の椅子を得るために教師が県の教育幹部に賄賂を贈っていることが発覚し、校長や視学31人が逮捕、12.20に視学1人だけが起訴され、他の30人は不起訴となった。

昭和11年(1936).3.25〔大阪市教育疑獄事件〕
 大阪府大阪市で、小学校校長の椅子を金で買うための贈収賄事件が発覚し、市教育部長、視学、市議ら9人が逮捕起訴された。船場や島之内などの中心部の有力小学校の校長になるには3千円、郡部の小学校でも2千円が必要だとされていた。この年の銀行員大卒初任給70円。主犯の視学は大分師範学校出身で、斡旋した校長も大分師範派閥が多かった。

昭和12年(1937).11.28〔小学校校長、教員200人が贈収賄〕
 沖縄県那霸市で、県の視学と小学校校長、教員男女2百人を贈収賄で逮捕した。校長10人が依願免職、教員180人が譴責罰棒などの処分。

昭和17年(1942).12.28〔仙台教育疑獄事件〕
 宮城県仙台市で、9月に教育疑獄が発覚し、仙台一中校長、仙台二中校長、仙台第一高等女学校校長、仙台第一高女教諭の4人が逮捕起訴され、12.28に予審で有罪となったので検閲で差し止められていた新聞記事が解禁となった。教諭が生徒の入学や教員の人事を斡旋して校長3人に220円から900円の金品を渡していたもの。また、この教諭は相続税などの口利きもして仙台財務局県税課長に7千800円の金品を渡していたことも発覚したので合わせて逮捕起訴された。この年の銀行員大卒初任給75円。


これらは私が新聞記事で見つけたものだけで、おそらくはもっと何倍も起きていたと思われます。検察は確実に有罪にできると見込んだものだけしか起訴しないのにこの有様ですから、戦前の小学校校長はほとんど全員が金によって買われたものではないかと思えるほどの勢いです。
戦後は、入試に関して受験生から金を取ったり、修学旅行や体操着の選定などで業者から金をもらったりする事件が数多く起きるのですが、このように教師の人事に関しての贈収賄事件というのは平成2年に山口県と徳島県で摘発があるまでは、私には見つけられませんでした。
教育委員会方式になってから発覚しにくいようになったのかもしれません。戦前の司法は政府から完全に独立していて、汚職に厳しかったということはあります。
なんにせよ、これだけ毎年逮捕者が出て大騒ぎになってたのに、結構堂々と<慣習>を続けていたのはどうもよく判らんことです。教師というのは、我々とは違う独自のバーチャル空間に棲んでいるらしいというのはなんとなく判りますが。

なお、戦前は入試に関する汚職も戦後より遥かにひどくて、そのあたりのことも『戦前の少年犯罪』を読んでいただきたいのですが、とりあえず代表的な事件だけ掲げておきます。
実際の戦争が激しくなっていた時代に、中学や女学校の受験戦争がこんな調子でした。

昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕
 全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
 とくに受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、禁止されている家庭教師料名目などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
 東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。