8月に文楽『国言詢音頭』(くにことばくどきおんど)を観ました。
これは元文2年(1737)に大坂の北新地の遊女屋で、薩摩藩士が5人を斬り殺した実際の事件を元にしている人形浄瑠璃です。
文楽はいまの米国ドラマなんかよりも遙かに複雑に入り組んだストーリー展開を見せるものが多いんですが、これは珍しくなんのひねりもなく、惚れた遊女に相手にされないうえに「ぶざいく」「いなかもん」「野暮」と、要するにいまで云うと「キモオタ」と陰で莫迦にされてるのを聞いてしまって怨んで殺しまくるというだけの話です。首が飛んだり、胴が真っ二つにちょん切れたり、顔がすっぱり削ぎ落とされたりといった人形ならではの凄惨な殺し場が見処となってます。
「髻掴んで掻切る首、血に染む丹花の唇をねぶり回して念晴らし」と、惚れた遊女の首を切り落として濃厚なキッスをしてから唾を吐きかけ足でぐりぐり踏むという愛憎入り交じった描写をしたうえに、胴体も突き刺してその切り口に「足踏込み、足踏込み」、抜いた足に内臓が絡んではみ出してくるというところまでやりまして、とくにこの内臓が江戸時代の観客には大受けだったそうです。
この足を突っ込む場面があまりに残虐だということで大正時代に上演禁止となり、最近復活してからも、足を抜くと白足袋が真っ赤に染まっているというところまでしか見せないのですが。
上演台本が故・鶴澤八介さんのサイトにありますから物好きは読んでみるとよろしいが、陰惨これに極まれりです。
五人殺すと晴れ晴れとして鼻歌を歌いながら悠々と去っていくところで幕なんですから、なんの救いもありません。モテない男の側から見れば、「正義は勝つ」ということなんでしょうか。ちょうど、秋葉原通り魔事件の直後だったので生々しかったです。
実際の事件については、横山正『近世演劇論叢』に当時の詳細な裁判資料が掲載されています。振った遊女の首を皮一枚残して斬って、遊女屋の主人夫婦、それに下女2人を殺害してまして、とくになんの関係もない下女は数えの17歳と12歳(満16歳と11歳)という幼さで、5回と6回の滅多切りにしたうえ手首を切り落としたと云うんですから酷いもんです。
自供によると酒の席で主人に頭を叩かれて武士のプライドを傷つけられた怨みもあったということで、大阪のツッコミ文化は薩摩武士に通じなかったものの、芝居と違って悪口とかは云われてないみたいです。
11月には歌舞伎座で、鶴屋南北の歌舞伎『盟三五大切』(かみかけてさんごたいせつ)を観ました。
これは先の北新地の五人斬り事件にお家騒動を絡ませて複雑な筋にした並木五瓶の歌舞伎『五大力恋緘』(ごたいりきこいのふうじめ)の二次創作物なんですが、上演の前年・文政7年(1824)に江戸深川の遊女屋で足軽が5人を殺害した実際の事件も取り入れています。
さらには前月に大ヒットした南北自身の『東海道四谷怪談』の続編ともなっていますので、四谷怪談と同じく忠臣蔵の話となっています。五人斬りをしたうえに、振られた芸者とその赤ん坊まで殺しまくった極悪非道の浪人がじつは赤穂浪士のメンバーで、吉良邸に討ち入りに行くところでめでたしめでたしと幕になるのです。
<義士>とか呼ばれてるけど、夜中に人の家に押し入って何人も斬り殺した赤穂浪士は、遊女屋で深夜押し入って5人斬り殺した足軽とおんなじ無差別殺人テロなんではないですかと、南北さんは云っているのでしょう。加藤智大が秋葉原で何人も殺した直後に正義のヒーロー、例えば仮面ライダーに変身するような作品なわけです。
仮面ライダーもショッカーに改造されて、結婚だとか恋愛だとかの人間としての幸せを奪われた怨みを晴らすために、自分が勝手に<悪>だと決めつけた相手を裁判手続きさえなく次々処刑して復讐するわけですから、社会によって人間としての幸せを奪われた怨みを晴らすために、自分が勝手に<悪>だと決めつけた相手を次々殺して社会に復讐しているつもりの加藤智大とおんなじじゃないかと云えなくもありません。
いま加藤智大を主人公にこんな作品を発表する度胸のある人はいませんが、南北さんは江戸時代に思いっ切りぶちかましたわけです。
とくに赤ん坊殺しの場面は陰惨で、この子だけは助けてと泣いて頼む芸者の手に無理やり刀を持たせて我が子の息の根を留めさせたりするのですよ。修学旅行の高校生の団体さんとかもいましたけど、よく学校でこんなもんを観せるもんです。携帯とか禁止してる場合ではありません。
惚れた芸者を殺したあとに斬り落とした首を大事に持って帰って、首と差し向かいで「こうやってふたりで食事をしたかったのに」と云いつつしみじみご飯を食べて、食べ終わったあとに急にカッとして首にお茶をぶっかけるんですが、最近ではこのぶっかけをやらなくなっていて、モテない男の悲哀と怒りを表す一番の見処がないのは残念です。わりと原作に忠実なATG映画『修羅』では中村賀津雄がぶっかけてますけど。
実際の事件については、当時の人だった加藤曳尾庵『我衣』(『日本庶民生活史料集成 第15巻』収録)に詳しいですが、遊女4人と従業員の男1人を斬り殺し、客の1人を重体、1人を軽傷として、これだけやったのに肝心の振られた遊女は逃げて無事だったそうです。
五人斬りのあとに逃してしまった芸者の殺し場を持ってきたのは、惚れたけど相手にされない女を討ち漏らした男の無念を晴らしてやっているようでもあり、振った女だけではなくてその後に結婚した亭主と子供まで破滅させて「リア充赦すまじ」って感じで、南北さんこそモテない男の味方、本物の<義士>と呼んであげたいところです。いや、これは<非モテ忠臣蔵>だと完全に意識して作劇していたのでしょう。しかしよく考えてみるとやっぱり酷い話だ。
なお、足軽は戦国時代なら戦場で手柄を立てて武士にもなれますが、平和な江戸時代ではよほどの傑出した英才でもないかぎり一生武士ではない半端なあつかいで給料も低く、まあ非正規社員みたいなもんです。この足軽は32歳(満31歳)だったそうですから、モテないこと以外にもいろいろ鬱屈もあったのでしょう。
11月には歌舞伎座の隣りの新橋演舞場でも歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)を海老蔵
だとか獅童
だとか愛之助
だとかの若手でやってまして、私はこの世代の歌舞伎をあんまり観る気はしないのですが、『伊勢音頭』の通しを東京でやるのは20年振りとかいうことで私も殺し場以外は観たことがなかったので、スイーツのお姉さん方ばかりの処へ混じって行ってきました。
これは寛政8年(1796)に伊勢で実際に起こった九人斬り事件を元にしています。
通しで観たおかげで初めて名刀・青江下坂の話なんかがよく判りましたが、実際の事件はそんなお家騒動はまったく関係なく、京都留学から帰って医者になったばかりの27歳(満26歳)が惚れた遊女16歳(満15歳)に相手にされなかったので遊郭で刀を振り回して斬りまくったという、秀才エリート型非モテ君です。学歴は高いのになんでモテないのだという勝手なプライドからのブチ切れだったのかもしれません。でも、落ちこぼれ足軽と同じく関係ない人ばかりを斬って、肝心の惚れた相手には逃げられてしまいました。非モテに階級差はありません。
斬られた9人のうち殺されたのは2人だとか3人だとか文献によって違い、ウィキペディアでも2人となってますが、重体だった客のひとりがしばらくして死んでしまって3人死亡したということが郷土史家の方の最近の実証的調査で確定しています。(真貝宣光「芝居になった藍商人「伊勢音頭恋寝刃」の虚実」。『江戸時代 人づくり風土記 36 徳島 』収録)
ちなみに「寝刃」(ねたば)というのは使わずに鞘に納めっぱなしだったために斬れなくなった刀のことらしいですが、「恋寝刃」(こいのねたば)とは要するに、<非モテ童貞>ということですかね。現代の非モテ君もこういう言葉を使ってみればなかなかお洒落なんじゃないでしょうか。
なお、伊勢の遊郭では元禄期にも4人殺しがあって、近松門左衛門が『卯月九日其暁の明星が茶屋』という歌舞伎にしています。
12月には歌舞伎座で、『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)を観ました。
これは元禄9年(1696)に田舎の大金持ちが遊郭で妖刀・籠釣瓶を手に暴れた吉原百人斬り事件を元にしています。すごい事件名で、歌舞伎では何人も殺してますけど、実際には数人斬って、殺したのは振った遊女だけみたいです。屋根の上に逃げて、下から迫る捕り手を日本刀振り回して次々斬っては追い返し、長時間粘る大捕物となったので、見物人が五百人ほどおりまして、その見物のひとりだった庄司勝富の『洞房語園後集』(『日本随筆大成 第3期第2巻』収録)に詳しいです。
ウェブ上や文献では「元禄か享保の事件」としているところが多く、勝富さんの手記に後の時代の人が書き加えた『洞房語園異本考異』に享保だとあるからなんですが、宝暦7年(1757)の『近世江都著聞集』(『燕石十種 第5巻』収録)には、「享保のはじめにも遊女が殺されたけど、籠釣瓶の事件とは別ですよ」と書かれていて、吉原では似たような事件があって半世紀後にはすでにごっちゃになっていたことが判ります。
芝居ではものすごいブサメンだったことになってますけど、実際にはどうだったのかよく判りません。
ということで、わざわざこんなのばかり選んだわけでもないのですが、何故か今年後半は持てない男の無差別殺人の歌舞伎や文楽ばかりを観てしまいました。松竹が秋葉原事件を当て込んでこういう番組を組んだのかどうかはよく知りません。
まあ、強いて集めなくてもこれらのほかにも、文政3年(1820)に呉服屋の息子が振った深川芸者と芸者の世話係女の2人を船の上で殺した実際の事件を元にした、河竹黙阿弥の『八幡祭小望月賑』(はちまんまつりよみやのにぎわい)だとか、この手の歌舞伎はいっぱいあって定番となっています。
江戸後期の秋葉原の路上で古本屋を営みながら集めた情報を書き留めて売っていた須藤由蔵の、日記と云いつつ自分の日常などはまったくなく日々の情報を綴ったまさしく<ブログ>『藤岡屋日記』全15巻にも殺人事件が数多く出てきますけど、モテない男が振られて殺すのが結構あります。
加藤智大がモテないから無差別に殺したなんて云ってるのを聞いて驚いてる人がいましたが、昭和40年頃までは振られたり、一方的に想っているだけで相手にされないので刺したり殺したりする事件は連日新聞に出てまして、そういう理由で何故か関係ない人を刺したり殺したりする事件も毎月起きていました。
秋葉原事件というのは日本の伝統を久々に取り戻した由緒正しいものだったんだなと、改めて思ったりした次第です。また、こういう事件をすぐに芝居にして血みどろ劇を喜んでいた江戸時代の人々を見ると、いまの日本のニュースが海外とは違って血なまぐさい事件ばかりを好んで取り上げるのも判るような気がします。こういうのに血が騒ぐ国民性なんでしょう。
通り魔殺人事件 発生件数
『昭和61年警察白書』と、警察庁『犯罪情勢』による。
これは元文2年(1737)に大坂の北新地の遊女屋で、薩摩藩士が5人を斬り殺した実際の事件を元にしている人形浄瑠璃です。
文楽はいまの米国ドラマなんかよりも遙かに複雑に入り組んだストーリー展開を見せるものが多いんですが、これは珍しくなんのひねりもなく、惚れた遊女に相手にされないうえに「ぶざいく」「いなかもん」「野暮」と、要するにいまで云うと「キモオタ」と陰で莫迦にされてるのを聞いてしまって怨んで殺しまくるというだけの話です。首が飛んだり、胴が真っ二つにちょん切れたり、顔がすっぱり削ぎ落とされたりといった人形ならではの凄惨な殺し場が見処となってます。
「髻掴んで掻切る首、血に染む丹花の唇をねぶり回して念晴らし」と、惚れた遊女の首を切り落として濃厚なキッスをしてから唾を吐きかけ足でぐりぐり踏むという愛憎入り交じった描写をしたうえに、胴体も突き刺してその切り口に「足踏込み、足踏込み」、抜いた足に内臓が絡んではみ出してくるというところまでやりまして、とくにこの内臓が江戸時代の観客には大受けだったそうです。
この足を突っ込む場面があまりに残虐だということで大正時代に上演禁止となり、最近復活してからも、足を抜くと白足袋が真っ赤に染まっているというところまでしか見せないのですが。
上演台本が故・鶴澤八介さんのサイトにありますから物好きは読んでみるとよろしいが、陰惨これに極まれりです。
五人殺すと晴れ晴れとして鼻歌を歌いながら悠々と去っていくところで幕なんですから、なんの救いもありません。モテない男の側から見れば、「正義は勝つ」ということなんでしょうか。ちょうど、秋葉原通り魔事件の直後だったので生々しかったです。
実際の事件については、横山正『近世演劇論叢』に当時の詳細な裁判資料が掲載されています。振った遊女の首を皮一枚残して斬って、遊女屋の主人夫婦、それに下女2人を殺害してまして、とくになんの関係もない下女は数えの17歳と12歳(満16歳と11歳)という幼さで、5回と6回の滅多切りにしたうえ手首を切り落としたと云うんですから酷いもんです。
自供によると酒の席で主人に頭を叩かれて武士のプライドを傷つけられた怨みもあったということで、大阪のツッコミ文化は薩摩武士に通じなかったものの、芝居と違って悪口とかは云われてないみたいです。
11月には歌舞伎座で、鶴屋南北の歌舞伎『盟三五大切』(かみかけてさんごたいせつ)を観ました。
これは先の北新地の五人斬り事件にお家騒動を絡ませて複雑な筋にした並木五瓶の歌舞伎『五大力恋緘』(ごたいりきこいのふうじめ)の二次創作物なんですが、上演の前年・文政7年(1824)に江戸深川の遊女屋で足軽が5人を殺害した実際の事件も取り入れています。
さらには前月に大ヒットした南北自身の『東海道四谷怪談』の続編ともなっていますので、四谷怪談と同じく忠臣蔵の話となっています。五人斬りをしたうえに、振られた芸者とその赤ん坊まで殺しまくった極悪非道の浪人がじつは赤穂浪士のメンバーで、吉良邸に討ち入りに行くところでめでたしめでたしと幕になるのです。
<義士>とか呼ばれてるけど、夜中に人の家に押し入って何人も斬り殺した赤穂浪士は、遊女屋で深夜押し入って5人斬り殺した足軽とおんなじ無差別殺人テロなんではないですかと、南北さんは云っているのでしょう。加藤智大が秋葉原で何人も殺した直後に正義のヒーロー、例えば仮面ライダーに変身するような作品なわけです。
仮面ライダーもショッカーに改造されて、結婚だとか恋愛だとかの人間としての幸せを奪われた怨みを晴らすために、自分が勝手に<悪>だと決めつけた相手を裁判手続きさえなく次々処刑して復讐するわけですから、社会によって人間としての幸せを奪われた怨みを晴らすために、自分が勝手に<悪>だと決めつけた相手を次々殺して社会に復讐しているつもりの加藤智大とおんなじじゃないかと云えなくもありません。
いま加藤智大を主人公にこんな作品を発表する度胸のある人はいませんが、南北さんは江戸時代に思いっ切りぶちかましたわけです。
とくに赤ん坊殺しの場面は陰惨で、この子だけは助けてと泣いて頼む芸者の手に無理やり刀を持たせて我が子の息の根を留めさせたりするのですよ。修学旅行の高校生の団体さんとかもいましたけど、よく学校でこんなもんを観せるもんです。携帯とか禁止してる場合ではありません。
惚れた芸者を殺したあとに斬り落とした首を大事に持って帰って、首と差し向かいで「こうやってふたりで食事をしたかったのに」と云いつつしみじみご飯を食べて、食べ終わったあとに急にカッとして首にお茶をぶっかけるんですが、最近ではこのぶっかけをやらなくなっていて、モテない男の悲哀と怒りを表す一番の見処がないのは残念です。わりと原作に忠実なATG映画『修羅』では中村賀津雄がぶっかけてますけど。
実際の事件については、当時の人だった加藤曳尾庵『我衣』(『日本庶民生活史料集成 第15巻』収録)に詳しいですが、遊女4人と従業員の男1人を斬り殺し、客の1人を重体、1人を軽傷として、これだけやったのに肝心の振られた遊女は逃げて無事だったそうです。
五人斬りのあとに逃してしまった芸者の殺し場を持ってきたのは、惚れたけど相手にされない女を討ち漏らした男の無念を晴らしてやっているようでもあり、振った女だけではなくてその後に結婚した亭主と子供まで破滅させて「リア充赦すまじ」って感じで、南北さんこそモテない男の味方、本物の<義士>と呼んであげたいところです。いや、これは<非モテ忠臣蔵>だと完全に意識して作劇していたのでしょう。しかしよく考えてみるとやっぱり酷い話だ。
なお、足軽は戦国時代なら戦場で手柄を立てて武士にもなれますが、平和な江戸時代ではよほどの傑出した英才でもないかぎり一生武士ではない半端なあつかいで給料も低く、まあ非正規社員みたいなもんです。この足軽は32歳(満31歳)だったそうですから、モテないこと以外にもいろいろ鬱屈もあったのでしょう。
11月には歌舞伎座の隣りの新橋演舞場でも歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)を海老蔵
これは寛政8年(1796)に伊勢で実際に起こった九人斬り事件を元にしています。
通しで観たおかげで初めて名刀・青江下坂の話なんかがよく判りましたが、実際の事件はそんなお家騒動はまったく関係なく、京都留学から帰って医者になったばかりの27歳(満26歳)が惚れた遊女16歳(満15歳)に相手にされなかったので遊郭で刀を振り回して斬りまくったという、秀才エリート型非モテ君です。学歴は高いのになんでモテないのだという勝手なプライドからのブチ切れだったのかもしれません。でも、落ちこぼれ足軽と同じく関係ない人ばかりを斬って、肝心の惚れた相手には逃げられてしまいました。非モテに階級差はありません。
斬られた9人のうち殺されたのは2人だとか3人だとか文献によって違い、ウィキペディアでも2人となってますが、重体だった客のひとりがしばらくして死んでしまって3人死亡したということが郷土史家の方の最近の実証的調査で確定しています。(真貝宣光「芝居になった藍商人「伊勢音頭恋寝刃」の虚実」。『江戸時代 人づくり風土記 36 徳島 』収録)
ちなみに「寝刃」(ねたば)というのは使わずに鞘に納めっぱなしだったために斬れなくなった刀のことらしいですが、「恋寝刃」(こいのねたば)とは要するに、<非モテ童貞>ということですかね。現代の非モテ君もこういう言葉を使ってみればなかなかお洒落なんじゃないでしょうか。
なお、伊勢の遊郭では元禄期にも4人殺しがあって、近松門左衛門が『卯月九日其暁の明星が茶屋』という歌舞伎にしています。
12月には歌舞伎座で、『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)を観ました。
これは元禄9年(1696)に田舎の大金持ちが遊郭で妖刀・籠釣瓶を手に暴れた吉原百人斬り事件を元にしています。すごい事件名で、歌舞伎では何人も殺してますけど、実際には数人斬って、殺したのは振った遊女だけみたいです。屋根の上に逃げて、下から迫る捕り手を日本刀振り回して次々斬っては追い返し、長時間粘る大捕物となったので、見物人が五百人ほどおりまして、その見物のひとりだった庄司勝富の『洞房語園後集』(『日本随筆大成 第3期第2巻』収録)に詳しいです。
ウェブ上や文献では「元禄か享保の事件」としているところが多く、勝富さんの手記に後の時代の人が書き加えた『洞房語園異本考異』に享保だとあるからなんですが、宝暦7年(1757)の『近世江都著聞集』(『燕石十種 第5巻』収録)には、「享保のはじめにも遊女が殺されたけど、籠釣瓶の事件とは別ですよ」と書かれていて、吉原では似たような事件があって半世紀後にはすでにごっちゃになっていたことが判ります。
芝居ではものすごいブサメンだったことになってますけど、実際にはどうだったのかよく判りません。
ということで、わざわざこんなのばかり選んだわけでもないのですが、何故か今年後半は持てない男の無差別殺人の歌舞伎や文楽ばかりを観てしまいました。松竹が秋葉原事件を当て込んでこういう番組を組んだのかどうかはよく知りません。
まあ、強いて集めなくてもこれらのほかにも、文政3年(1820)に呉服屋の息子が振った深川芸者と芸者の世話係女の2人を船の上で殺した実際の事件を元にした、河竹黙阿弥の『八幡祭小望月賑』(はちまんまつりよみやのにぎわい)だとか、この手の歌舞伎はいっぱいあって定番となっています。
江戸後期の秋葉原の路上で古本屋を営みながら集めた情報を書き留めて売っていた須藤由蔵の、日記と云いつつ自分の日常などはまったくなく日々の情報を綴ったまさしく<ブログ>『藤岡屋日記』全15巻にも殺人事件が数多く出てきますけど、モテない男が振られて殺すのが結構あります。
加藤智大がモテないから無差別に殺したなんて云ってるのを聞いて驚いてる人がいましたが、昭和40年頃までは振られたり、一方的に想っているだけで相手にされないので刺したり殺したりする事件は連日新聞に出てまして、そういう理由で何故か関係ない人を刺したり殺したりする事件も毎月起きていました。
秋葉原事件というのは日本の伝統を久々に取り戻した由緒正しいものだったんだなと、改めて思ったりした次第です。また、こういう事件をすぐに芝居にして血みどろ劇を喜んでいた江戸時代の人々を見ると、いまの日本のニュースが海外とは違って血なまぐさい事件ばかりを好んで取り上げるのも判るような気がします。こういうのに血が騒ぐ国民性なんでしょう。
通り魔殺人事件 発生件数
年次 | 昭和55年 | 昭和56年 | 昭和57年 | 昭和58年 | 昭和59年 | 昭和60年 | 昭和61年 | 昭和62年 | 昭和63年 | |
認知件数 | 8 | 7 | 13 | 3 | 9 | 16 | 7 | 5 | 10 | |
平成1年 | 平成2年 | 平成3年 | 平成4年 | 平成5年 | 平成6年 | 平成7年 | 平成8年 | 平成9年 | 平成10年 | |
2 | 2 | 5 | 1 | 5 | 2 | 5 | 11 | 4 | 10 | |
平成11年 | 平成12年 | 平成13年 | 平成14年 | 平成15年 | 平成16年 | 平成17年 | 平成18年 | 平成19年 | 平成20年 | 平成21年 |
6 | 7 | 6 | 8 | 9 | 3 | 6 | 4 | 8 | 14 | 4 |
『昭和61年警察白書』と、警察庁『犯罪情勢』による。
野外にころがる死体を食うと言う地獄図を見せた「天保の大飢饉」。
「英人の記たる兵庫新聞にいはく、日本は兎角に人命を軽んずる国風と見えて、非命に死するもの少なからず・・・。」(明治2年7月29日・中外新聞)
隠し売女(新吉原地獄女細見記)
金18両65匁 いよ 12歳
金15両 よね 15歳
・
・
その他、アーネスト・サトウ氏による斬首刑の様子(一外交官の見た明治維新)、その他。
今の時代に生まれてよかったとつくずく思います。