HatesinakuUtukusiiNihon最近は赤ちゃんが泣くことにやたらと騒ぐ大人がいるみたいで、日本の美しい伝統もここまで廃れてしまったのかと心が痛みます。ドナルド・キーンさんの『果てしなく美しい日本』を朝夕毎日、声に出して読んで、美しい日本の伝統を取り戻しましょう。
以下に引用する部分の日本語版が出たのは昭和48年ですが、原著である『Living Japan』を米国で出版するため執筆したのは1958年ですから(刊行は翌年)、まさしく映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台となった昭和33年の果てしなく美しい日本の姿です。



 幼い子供であるには、日本はすばらしい場所である。(中略)
両親は「子宝」を艱難から守るためには、いかなる犠牲をも惜しまない。彼らは子供の幼年時代を幸せなものにしようと固く決心し、そして、全日本が彼らの努力に荷担する。混み合った電車の中では、見知らぬ他人が子供に席を譲ってくれるし(老人には譲らないが)、劇場では、赤ん坊のけたたましい泣き声で舞台の音がほとんどかき消されてしまっても、観客はまったく気にかけないように見える。
 傑出した詩人や小説家の中には、芸術生活の大部分を子供のための作品を書くことに捧げ、その童謡が子供ばかりではなく、大人たちの間でも広く口ずさまれるほどの成功を収めた人々もいた。日本家屋自体、子供にできるかぎりいたずらの機会を与えるために設計されたように見える。そこには子供がいかなる片隅にはいりこんでもはばむものは何一つなく、紙の障子は彼の小さな拳でびりびりと破かれるのを待ちうけている。悪さをしても、子供は母親の厳しい言葉を恐れる必要はない。母親を容赦なく拳固で打ちつづけても、彼女は寛大な笑い声を立てるだけだろう。祖父母も数かぎりなく菓子を与えて甘やかし、子供を害することに熱心である。実際、彼は小さな悪魔に育つかもしれないが、それを気に病む者はいない。放って置いても、彼がほどなく他人と同調するようになることを経験が示しているからである。
(中略)
日本の母親は息子を独立させることに関心がなく、いつでもどこでも好き勝手が許されるわけではないことを子供に教えようともしない。それどころか、彼女の努力は息子の幸福な幼年時代を長くしてやることに集中される。


 『果てしなく美しい日本』 82-83p引用

拙著『戦前の少年犯罪』でも冒頭に述べましたが、子どもは我が儘いっぱいにのびのび育てるのが日本の伝統というもので、子どもを厳しく躾るなんてのは欧米から入ってきた新しい考え方です。
江戸時代の文献にも、このキーンさんの描写そのままの、いたずら放題でも親は笑って見ているだけの子育て風景がよく出てきます。
日本の子どもの自由さにはルイス・フロイスやオールコックなんて人々が賞賛するくらい西洋人には驚きだったのですが、キーンさんもそんな来日外国人のひとりとして驚いて思わず記録しています。江戸時代以前からの日本の美しい伝統が戦後すぐにはまだ受け継がれていたのです。
昭和三十年代には「欧米では子どもを厳しく躾ける。だのに遅れた日本では…」「欧米では子どもを電車の座席に座らせず立たせている。だのに遅れた日本では…」といった論説が新聞でも目立ってきますが、そんなことを云ってるのは学者や識者といった洋行帰りの西洋かぶれの人々だけで、実際に庶民にそんな考えが浸透してくるのは昭和四十年代以降のことです。
ただ、この頃にはまだ子どもを目一杯甘やかすのが日本の伝統であるという当たり前の常識が、西洋かぶれの人々にもきちんとあったから、こういう子どものあつかいをあまりに日本的過ぎると批判していたのですが。

この伝統は、自然を力によって人工的に造りかえてしまうことが文明的で偉いと考えている西洋や中国とは違う、料理でもなんでも素材を生かして自然そのままを大切にする日本人の美意識から来ているのでしょう。
『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った山住正己『近世における子ども観と子育て』(『岩波講座 子どもの発達と教育 2』収録)の受け売りのようでもありますが、これには中国のことは載ってましたかね。
同じく参考文献に使った江森一郎『体罰の社会史』を読めば、江戸時代の日本の教育者は「体罰を加えたりするのは教え方が下手だからで、日本は子どもを叩いたりする外国(中国)とは違う」という誇りを持っていたことが判ります。
つまり、こういう子どものあつかいは東洋的なんではなく、日本独自の伝統なんです。
虫の鳴き声が騒音にしか聞えない西洋人と違って、自然をこよなく愛する生粋の日本人が、赤ちゃんの自然な泣き声を騒音と感じるわけはありません。虫の鳴き声や赤ちゃんの自然な泣き声を騒音だと感じたとしたら、それはもう日本人ではない何者かになってしまったということなんでしょう。

その伝統を引き継いで、 欧米では教師が生徒を鞭打つのが当たり前だったのに、戦前の日本の学校では体罰が絶対禁止でした。ちょっとでも叩いたりしようもんなら、父兄も子どもも一丸となって闘います。謝罪させるなんてことではなくて、あくまで教師のクビを要求して徹底的にやるのです。まさしく、「両親は「子宝」を艱難から守るためには、いかなる犠牲をも惜しまない」ということです。
体罰は法律で禁止されているのですから、訴訟に持ち込めば教師に勝ち目はありません。新聞も教師を袋叩きにしてました。詳しくは『戦前の少年犯罪』を読んでいただければ。

体罰が大っぴらになったのは戦後からです。軍隊帰りの教師が体罰を学校に持ち込むようになったのです。
しかしそもそも、帝国陸軍は、きちんと日本の伝統を尊重して体罰は絶対禁止だったのです。日中戦争が泥沼となって、いつ故郷に帰れるか判らなくなった兵隊たちの不満が爆発して、上官の禁止令を破って「いじめ」をはじめたのであって、軍隊が学級崩壊したわけです。新兵を殴るだけはなくて、上官を殴ったり刃物で刺したりする事件も続発するようになりましたし。
それで仕方なく東條英機陸軍大臣が、「みなさん上官の云うこときいて、戦友とも仲良くして、もうちょっと軍隊の規律を守りましょうよ」と呼び掛ける『戦陣訓』なんてものを出さざる得なくなったわけです。いじめ対策はいつの時代もあんまり変わりません。
戦後は自由をはき違えたアプレ世代がこういう学級崩壊の「いじめ」である体罰が当たり前だと主張するようになって、戦前のきちんとした規律と伝統を壊してしまったのでした。まともな規律も守れず、日本の伝統に無知蒙昧なる輩がはびこるのはまったく嘆かわしい限りです。
西洋かぶれの反日主義者には、日本精神を叩き込んでやらなければなりません。
なお、重度のイギリスかぶれだった帝国海軍は、創設時に英海軍のシステムを<精神注入棒>ごとそのまま輸入して、正式に英海軍式の体罰が行われていました。
陸軍と比べると海軍は極めて少数のため全員が志願兵で、海軍に志願する者は西洋的なものに憧れてやってくるので、そういう西洋的な体罰も受け入れたのでした。徴兵された一般国民がほとんどだった陸軍とは違い、最初から西洋かぶれなのです。

なお、キーンさんは『果てしなく美しい日本』で、家庭ではこんなに甘やかされてたけど、学校では急に規律を仕込まれて、子どもは戸惑うというようなことを書かれてます。それはあくまでも我が儘放題だった家と比べたら厳しいというだけのことで、昔の学校がゆるゆるだったことは『戦前の少年犯罪』を読んだみなさんにはすでにお判りかと思います。
戦後は体罰が増えたとは云っても、生徒の方も戦前と同じく教師を袋叩きにしたりしてましたし、いまの基準で見たら戦後の学校もゆるゆるです。日本の伝統は昭和四十年代あたりまでは確実に受け継がれていたのでした。
『戦前の少年犯罪』の続編は、こういう戦後まで受け継がれたほんとうの日本の姿を描くことになります。
これらの本が出るまでブログの更新は控えるつもりだったですが、きのう思わぬことから禁を破ってしまったので、なんか続けて書いてしまいました。多大のご迷惑をお掛けしている関係各位には面目次第もございません。鋭意執筆中であります。

こういう赤ちゃんの泣き声にも温かい、果てしなく美しい日本の伝統が失われつつある現状をどう見ておられるか、どなたかドナルド・キーンさんに訊いておいていただけませんかね。
もっとも、キーンさんも最近は記憶を歪めてしまって、「昔の日本人はもっと思いやりがあった」みたいなことも仰ってるようですが。
『果てしなく美しい日本』にはこういう記述もあるんですけどね。


 今日でも、大部分の日本人にとって、他人は存在しないに等しい。他人の足を踏みつけても、「失礼」という必要はなく、何かが起こったことを身振りをする必要さえない。
(中略)
 私的な態度と公的な態度の相違は、ときにいっそう驚くべきかたちをとることがある。知人に対してはこまやかな礼をつくすその同じ人物が、電車では、空席がじゅうぶんありそうな場合でも、躍起になって荒々しく人々をかきわけ、席を確保しようとする。


 『果てしなく美しい日本』 102-103p引用

『三丁目の夕日』時代の日本人はこれだけ他人に思いやりというものがなかったのに、見ず知らずの子どもには喜んで席を譲り、赤ん坊のけたたましい泣き声は気にしないどころか微笑ましく好ましいものとして温かく受け入れていたのです。
この時代の識者は「欧米では子どもをレストランとか公共の場に連れてこない。だのに遅れた日本では…」とか、怪しい話をしたり顔で云ってましたが、いよいよここまで日本全体が西洋かぶれになってしまったということでしょうか。
伝統主義者である私にとっては嘆かわしいことです。しかし、赤ん坊の泣き声くらいのことでぎゃーぎゃー喚く大人がいるということは、その大人が子どもだった時代にまともな躾を受けずに目一杯甘やかされていたという証左でもあって、これもまた果てしなく美しい日本の伝統を映す微笑ましい光景だと云えなくもないかも知れませんが。

『戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった』も参照していただければ。


※お詫び
当初、中国人も虫の鳴き声を騒音と感じると記しておりましたが、はてなブックマークでEoH-GSさんに、中国の鳴く虫文化についてのページを張っていただきました。
ウェブ上で広まってる話を、私の論にぴったりの話だったので裏も取らずに飛びつくという、一番してはならぬことをやってしまいました。無念であります。申し訳ございません。
私はツイッターをやっておりませんので、私の記事を元に誤った情報をツイートされた方にもどなたか伝えていただければ。
よく思い起こしてみると、昔の中国でキリギリスとか飼ってる話はなんかで読んだことがありました。『紅楼夢』かなんかだったか。
ウェブ上で広まってる話を見ていくと、右脳だとか左脳だとか出てくるので、上記リンク先でも言及されている角田忠信『日本人の脳―脳の働きと東西の文化』(1978年)が源流のようです。
こちらのブログで、虫の鳴き声を愛でることは「中国人にさえ通じないようですよ」という、その部分が引用されています。
云うまでもなく、右脳左脳論は科学的に完全に否定されているトンデモ理論です。こんな怪しい話を広める片棒を担ぐとは、わたくしめの不徳の致すところ。今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

ついでにはてブに反応しておきます。
当時も旅客機は普通にあったのですが。昭和27年の「もく星号墜落事故」とかご存じないでしょうか。
劇場と飛行機では事情が違うというお話は、私にはどうもよく理解できません。なお、これはべつにさかもと未明について書いたものではありません。最近は赤ちゃんの泣き声を問題にする声をよく聞くので、心を痛めて書いただけですので。