2018年11月10日

いつもかんかん森の住人から面白い話、思いがけない話、胸を打つ話を聞き出してくれる細井さん。でも、私たちは細井さんのことはあまり知らない。そこで今回は逆にこちらから細井さんにインタビューさせていただくことにしました!インタビュアーは柳沢です。スーパーポジティブと自称なさる細井さんの、子ども時代からかんかん森に住まわれるまでのお話です。



柳沢:今回は細井さんがまな板の上の鯉ですよ。いろいろなことをお聞きしたいけど、まずかんかん森にいらっしゃる前の時代、どんなことをしていらしたのか、どういう人生を歩んでいらしたのか、聞きたいです。その前にちょっと聞いていいですか? 近頃だいぶスマートになられた?

細井: ええ、かなり体重を落としました。でもあともう少し痩せたい。最近、スライディングシェイプという器具を買って少し心拍数の上がる運動もしてます。でも、一番痩せたいところがなかなか痩せないんです。わたし、子どもの頃からぽっちゃり型でした。生まれたときから大きかったし。名字が細井だというのに全然細くなかったので、子どもの頃は腕白坊主たちからたびたび「太井!」と言ってからかわれたものです。10年ほど前に「間食はしない、朝の通勤時に電車に乗る前に20~30分歩く、夕食は軽く済ませる」という3つのルールを守ったところ、1年後には7~8キロ痩せたんです。それから5年ほど経ってさらに痩せました。その際は、断捨離して相当な量の物を捨てたんですが、エレベーターなしの4階に住んでいたので、下のゴミ捨て場に運ぶだけですっごく大変。ひどい筋肉痛が起きて、次の日階段を上がるのがやっとなほど。断捨離は執着を捨てること。物置場と化した一室を見ては、これに家賃を払っているのかと自分に腹立たしい思いをしていたので、断捨離で一部屋空いて物理的にも、気分的にもすっきりしました。

柳沢:ずいぶんお人形がありますね。お部屋のあちこちに飾られている。何十体あるのでしょう?これらはどういうお人形たちですか?

細井:今部屋に飾ってあるのは趣味で集めた人形の一部で、ビンテージものです。アメリカにはそれこそ人形用の部屋どころか「家」を持っている人たちがいますから、それと比べれば、私のはちょっとしたコレクション。ここに飾ってあるのは主にマダム・アレグザンダー・ドールというアメリカの会社の人形です。この趣味は、アメリカでの仲間づくりのきっかけにもなりました。アメリカに赴任して知り合いのいないところに住むことになり、そこで何かアメリカの社会に入り込めるようなきっかけがあるといいなと思ったんです。

柳沢:そう、確かに趣味は仲間作りに役立ちますね。

細井:そうなんです。留学と現地企業勤務での、初回のアメリカ生活を終わらせて日本に帰り、勤めた会社がアメリカに仕事を広げるということで再びアメリカ生活を始めたときのことです。別の州に住む留学時代の友人と遊びに行ったラスベガスでショップを見て歩いていたとき、偶然、マダム・アレグザンダー・ドールを見つけたんです。「なんて可愛い!」とびっくり。愛らしくて、ほんと、すっかり魅せられてしまいました。一体50ドル以上はするものばかりで、決して安いものじゃないんです。人形に50ドル払うなんて理解してもらえないかもと思って、友人が先のフライトで帰ってから一人でまたショップに戻って、迷ったあげく二体買いました。お店の人から、コレクターズアイテムだから、箱は保管しておくようにとか、ドールクラブがあるから入るとおもしろいよとかアドバイスもらって。それで、「あ、これは仲間作りに役立つかも」とピンと来て、すぐにクラブに入会したんです。偶然、当時住んでいたところの近くでそのクラブのイベントがあったので参加。それ以来、共通の趣味の人たちと友達になったし、人形を通してアメリカ社会の中に入り込んだという感じでした。

柳沢:こういった可愛いものは子どもの頃からお好きだったんですか?

細井:そうですね。一人っ子ですから人形やぬいぐるみが遊び相手でもあったんです。それで、大人になっても、なんと言ったらいいか、人形への愛着が抜けません。アメリカのおもちゃって可愛くないものが多いんです。子ども向けなのに下手にリアリティを追求しているというか。一時流行ったキャベツ人形にしても、アイドルに似せたつもりの人形だって、まったく可愛くない。でもマダム・アレグザンダー・ドールは、アメリカの企業が作ったとは信じられないほど可愛いんですよ。創業者のベアトリス・アレグザンダーはアメリカ最初の女性実業家だそうで、伝記も読みましたし、アメリカ在住当時はマンハッタンに工場を持っていましたから制作現場の見学にも行きました。非常に興味深い体験でした。

柳沢:そうなんですね。おもしろそう!実は、私も人形は好きで、今でも数体持っています。とにかく可愛いと思う気持ちは大切ですし、わかりますよ。

細井:よかった!理解者がこんな近くにいるのは嬉しいです。「人形の目が怖くない?」と聞かれることもあるけど、全然怖くなんかないですよね。とにかく可愛い。この子達を見ることは私にとってリラックスになります。アメリカ在住の頃は、買ったり、もらったりして集まったマダムアレクザンダー以外のプレイライン(子どもの遊び用)の人形を毎年クリスマス前に赤十字に運んで寄付していました。日本に戻ってそれほど人形集め自体をしなくなった後も、可愛い小物を見つけて気に入るとついつい買ってしまっていましたから、5年前の断捨離の時も、ワールドギフト(発展途上国におもちゃや衣類などを送る団体)に寄付しました。ここに引っ越す前にも再び整理して寄付したので、ここにあるのは選ばれて残された子達です。

柳沢:それでもこんなにたくさんのお人形があるんですね。ドールコレクション以外にも没頭した趣味はありますか?

細井:ビーズのアクセサリー作りもかなりのめり込みました。以前住んでいた街にはビーズ屋が10軒以上あったので週末はビーズ屋巡りを楽しんでました。熱中していたころは、仕事から帰るとすぐにビーズ作りに取り組んで、両手が塞がっていて余計なものを口にできなかったのでちょっと痩せたんですよ(笑)。友達の誕生日などにプレゼントしたり、母にあげたり。子供の頃から手芸が好きだったわけではないんですけど、チェコのビーズ屋さんで見事な作品を見て感動して、自分でも作れるようになりたいと思って始めたんです。実際は制作作業より、色合わせやデザインの作業のほうが好きでした。遊び心あって、カラフルなものをデザインするのが楽しかったです。

柳沢:そう言えば、いつか、絵のレッスンに行く前とかで、ルノワールだかダビンチだかの絵の模写を見せてもらったことがあるけど、とても上手で驚きました。絵はいつから習っているんですか?

細井:絵はビーズ作りの前と後です。ビーズはある日パッとやめちゃったんです。もう十分にやったという気分だったのかもしれない。絵は、これも一人っ子の一人遊びの範疇で、子どもの頃から好きでした。油絵を始めたのは、留学時のホストマザーがローカルペインター(地元の絵描きさん)で、大人向けや子ども向けの教室を開いていて、それで自分もと始めたのがきっかけでした。その後帰国してからも、近所の油絵教室に通っていましたが、アメリカに赴任してからは、絵はすっかりやめてしまいました。お話したとおり趣味はドールコレクションになって。

柳沢:なるほど。結構、ひとつの趣味にのめり込んで、突然やめちゃうタイプ?

細井:そうですね。自分でもなぜかわかりませんけど。そういえば、ビーズの前にちょっとピアノを習っていました。でも、これもある日ピッタリやめました。ピアノは子どもの頃に習っていたんです。大人になって再び習おうと思ったのは、またトルコ行進曲が弾けるようになりたいとか、みんなで演奏するのはエキサイティング、聴くより自分で弾く方が絶対に面白いに違いないと思ったから。電子ピアノを買って、ピアノ教室に通い、結構ちゃんと練習していたんです。でもその教室は合わなくて一年半後にやめました。その後、ビーズを経て絵に戻ったんです。

柳沢:では、今の絵の趣味は続きそうですか?(笑)

細井:そう思います(笑)。今は週一で個人の先生にレッスンを受けています。模写をしたいと思っているわけではないですが、写真をベースに描いていると、どうしても写真そっくりに描くことに注力してしまって自分のスタイルが出せない。それが悩みでした。だから、現在の先生には、自分のスタイルを見いだすための指導を受けています。ヨーロッパの芸術、文化に造形が深い先生で、お話も楽しい。これは続くと思いますし、続けたいですね。

柳沢:そろそろ大ファンだというマイケル・ジャクソンの話を聞きましょうか?まず、洋楽を聴くようになったのはいつ頃からですか?

細井:そうですね。そもそも私が洋楽にのめり込んだのは、中1の時に父が買ってきてくれたベイシティローラーズのレコードがきっかけでした。当時、毎週土曜の夕刊だったか、その週のレコード売上ベストテンが載っていて、ずっと1位を取っていて、日本の少女達に大人気になっていたのがベイシティーローラーズ(70年代にビートルズの再来と言われ、世界中で人気を博したイギリスのロックバンド)。私も気になって、「聴いてみたい」と言ったのを父親が覚えていて、ある日レコードを買ってきてくれたわけです。英語の曲をちゃんと聴きたいと思って聴いたのはそれが初めてで、すごくエキサイティングでした。それですっかり洋楽ファンになって、洋楽ばかり聞くようになったんです。ベイシティローラーズ後は、チープトリック、デュランデュラン、デビットボウイなど次々に洋楽のバンドや歌手のファンになりました。マイケル・ジャクソンはその過程で『スリラー』で知り、当時大ファンにはならなかったものの、曲はかっこいいと思っていました。でも、90年度も後半になると、アメリカではタブロイド紙にとてもひどくかき立てられていました。亡くなった第一報を聞いた時はすごく残念に思い、プロモーションビデオを集めたDVDを持っていることを思い出して久しぶりに見てみたんです。そしたら「無茶苦茶かっこいいじゃん!」と大感動。熱烈なファンになってしまったんです。で、ネバーランドまで行ったんですよ!現地の日系旅行会社が企画したマイケルゆかりの土地巡りのツアーに参加して。マイケルがここにいたと思うと目頭が熱くなり感慨にふけりました。同行してくれたアメリカ人の友人からは”All we saw were GATES!”(見れたのは門ばっかり!)と文句言われましたが(笑)。確かに、いろんなゆかりの場所に行きましたけど、どこも門から中に入れなくて。とにかく、なぜ彼があのような末路をたどることになったか、真相を知りたくて世の中で売られているマイケルについて書かれているものはかなり読みました。それで、なぜかは私なりに理解しています。また、その時期はずいぶん英語の本を読んだので英語の読解力が向上した気がしました。まさに副産物ですね。

柳沢:英語はいつから勉強を始めたんですか?

細井:普通に中1からです。中1になって初めての英語のテストでなぜか高得点を取って、「あら、英語はわたしを好きなのかしらん?」と勘違いしたのが始まり(笑)。それまで特に秀でている教科など無い内向的な子でしたからびっくりしたんだと思います。それと、ベイシティローラーズから始まった洋楽への関心の高まりで、英語好きになりました。高校生になって夢中になって読んでいたのが、洋楽雑誌ミュージック・ライフ。そこには自分より数歳しか違わない20前後の若いミュージシャンたちのインタビュー記事が載っていたんですが、若いのに自分の考え方を持っていて、意見をちゃんと言うのがすごいと思った。その姿勢にかなり影響を受けました。こういう若者達を育む国を見てみたい、行ってみたいという願望が沸いてきて、それで高校生の時から留学したいと思うようになったんです。私にとって洋楽はまさに世界への扉で、英語は夢をかなえる手段のひとつだと思いました。

柳沢:一人っ子の内向的な少女が外への扉を開いたわけですね。

細井:美しく言うとそんな感じですかね(笑)。子どもの頃は競争心もなく、本当におっと〜りしていました。成績は極フツー、運動神経は切れていて、目立つと言えば身体の大きさくらい(笑)。中学校に入って、英語に出会って、初めてこれはちゃんと勉強して出来るようになろうと少し欲が出てきた感じでした。

柳沢:では、日本で大学を卒業してからアメリカへ留学を?

細井:いえ、私、アメリカへ行く前にじつは就職して、高校の先生を数年やっていたんです。英語科の教諭です。でも、日本の学校の先生は教科を教えるだけではなく、ホームルーム指導、部活指導などたくさんの役目がありますから、いろんなことをやりましたよ。担任クラスを持ち、文化祭や体育祭もやって、生徒たちと一緒になって頑張った。今振り返るとあの頃が一番輝いていたかもと思います。でも、その間ずっと「人生は一度、世界は広い」と思い続け、留学したいという気持ちは強くなるばかりでした。英語の教師なのにしゃべれないし、しゃべっている国も見たことがなくていいのかとか、のほほんと育った自分に比べてはるかにハードな人生を送ってきた生徒たちもいて、様々なケースに対応する引き出しの無さについても、こんなんでいいのかとか、そういう思いもありました。なので、地方公務員職の安定した道を捨てるのかと周囲から驚かれましたけど、あっさり退職してアメリカの大学院に留学しました。

柳沢:大学院では何を専攻したんですか?

細井:言語学など候補はいくつかあって迷ったんですが、結局、コミュニケーションを選びました。コミュニケーションって対象がとにかくワイドで、社会学、教育学、文化人類学、比較文化論、心理学などいろいろ詰まっていて、おもしろいんですよ。当時日本ではコミュニケーションという学問はまだ確立されていなかったと思います。私は教師時代にいろいろな問題を抱える生徒たちやその親御さん方に接した経験があったので、留学中はそういった実体験を基に論文などの課題がこなせて助かりました。大学院に留学する場合は、まず数年間実社会で経験してから行ったほうが実になることが多いと思いますね。それにアメリカの高等教育は素晴らしいです。

柳沢:そして現在のお仕事は?

細井:人材育成分野の仕事です。人口縮小とともに国内マーケットも縮小しますから、持続的な成長を狙う企業は海外に出ることを余儀なくされます。その際、もっとも重要かつ難しいのが将来現場のリーダーや中間管理職になりうる現地の人材の雇用です。現場のワーカーと、日本から来た管理職をつなぐ役割ですから専門知識以外にコミュニケーション力や柔軟性が要求される非常に重要な立場。そんな人材はアメリカ、ドイツ、中国など世界中の企業が狙っていて取り合いです。私の役割は日系企業による現地の優れた人材の採用促進を図るためのプログラムをコーディネートすることです。日本の将来を考えればとても重要なことだと思って取り組んでいます。

柳沢:本当に。さて最後に、細井さんが、ここ、かんかん森を選んだ理由は?

細井:私、一人っ子で独身、親がいなくなったら天涯孤独です。何年か前に老人の孤独死の番組を見たときに「ああ、自分だ」とズシンと心に来たんです。それまで一人暮らしは自由でいいと楽しんできましたけど、陸の孤島に住んでいるのと同じで、これはもう十分だな、新しい暮らし方を考えてもいい頃だなと考えが変わってきました。そんな折、元同僚を通してここを知ったんです。ゆるやかに繋がるコミュニティーがあって、かつ、プライベートの生活もある半々の暮らしができるのがとても気に入っていますね。それに、これまでの「かんかん森The Interivew」を読んで頂くとわかりますけど、いろんなバックグラウンドや考え方、趣味をお持ちの方々がいてとてもおもしろいでしょ(interesting、fun両方の意味で)。インタビューを重ねていくうちに、このコミュニティーへの愛着が深まってきました。みんなで力を合わせてよりハッピーなコミュニティーを作り上げていきましょう!と強く思いますね。

柳沢:いつも前向きな細井さんらしいですね。

細井:私は何か叶えたいことがあったときに、「できるかな」ではなく「できる」と思うことにしています。「できる」と信じれば自ずとそういう方向に行動し、事が動くと。

柳沢:そういう考え方はどこから?

細井:そうですね。5年ほど前、公私ともにつらいことが続いて、人生失敗した感に苛まれて―。とにかく、相当に落ち込んでいた時期がありました。そこからどうやって立ち直っていったか―。自分に寄り添ってくれた友人や尊敬する人々との対話、国際NGOでの活動などからいろんな気づきをもらいました。物事や自分をネガティブにとらえ不満を言い続けることは、同じ点にとどまり続けること。常に言い訳を考え、自分を甘やかしてしまう。一見、自分を守っているように見えて、実は自分を大切にしていないことに気づいたんです。この「守る」ってどういうことか。個人だけじゃなくて組織も同じだと思いますが、一見、守っているように見えて、実はそうではないことが多々ある。変化できないと個人は一点にとどまったまま。組織はポシャる。ちっとも本当の守りになっていないんです。とにかく、一歩踏み出すのは大変だけど、ポジティブでありたい、あろうと考えて、思考の転換を図って、自分が置かれた状況を別の視点から見ると学べるところが一杯あることに気づきました。生きていれば、困難なことや人に出くわしますが、そういう状況に自分が置かれるっていうことは、何を学べ、何に気づけと言われているんだろうと客観的に考える。それに言霊を信じているからネガティブなことは思っても口に出さない、ようにしている!(笑)また、自分に自信を取り戻すためにも、1年にひとつかふたつ、頑張れば達成できるような目標を立てて、やると決めたら絶対ブレずに、愚直に、続ける。そういうことにして、これまで毎年目標クリアしてきました。ポジティブな思考を持つと、自ずと物事を好転させる判断をし行動を取るからか、事が上手く運びだしていくことに気づきました。これは「かんかん森The Interview」を通しても気づきましたが、ポジティブ思考の人たちの話を聞いているとまさにそういう感じなんです。柳沢さんも、まさにそのお一人ですよ!

柳沢:そうかしら(笑)。確かに私もポジティブであることは大切だと思っていますし、私も言霊はあると信じていますよ。今日はいろんな話を聞かせていただいて有難うございました。まだまだお聞きしたいこともありますし、また、お話されたいこともあると思いますが(笑)、とりあえず今回のインタビューはこれでひとくぎりということで。続きを楽しみにしましょう。

細井:落語のネタになりそうな体験も一杯していますので、またの機会に。

柳沢:あら、どんな?

細井:またの機会に!(笑)

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(13:12)

2018年11月04日


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Yさんの作るミートボールはとってもおいしいです。
これまでにも何度かコモンミールに登場しているのですが、ブラウンソースに加えリンゴンベリーという果物のジャムもつけていただくもので、コクのあるソースと甘酸っぱいジャムの組み合わせがなんともいえないおいしさなのです。

約9年かんかん森に住んでいたYさんが、なんと今月末にお引越しされるということで、私も息子も大好きなこのレシピをお引越し前に教えていただきたいと思い「ミートボールを一緒に作らせてください」とお願いして、今回のコモンミールはYさんと私で担当しました。(Yさん=先生、M=生徒)

ミートボールは一人につき6個、注文が29人分だったので、全部で約180個!
家庭で作るのとは量が格段に違うのが、コモンミールの大変さでもあり面白さでもあります。

「食事できました」の連絡をすると、注文した住人たちがすぐにやってきて、パクパク、パクパク!
付け合せのポテトたっぷり、さらにデザートのブルーベリーゼリーもあって、みんなお腹いっぱいになりました。
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柿はFさんからのいただきものです。

記録係M

(22:00)

2018年10月21日

かんかん森The Interview第13回目は、4つの保育園を経営する女性アントレプレナーの瀬川さん。かんかん森が入っているビルの1階にある0歳から2歳児向けのキッズガーデンも瀬川さんが運営する保育園のひとつ。かんかん森で子育て中のファミリーにとって、子どもを預ける先が近いだけではなく、保育の専門家の瀬川さんからさまざまな角度からアドバイスをもらえることは、ここの暮らしの大きな魅力だ。超が3つくらい付くほど多忙を極めながらも、いつもはつらつとしていて笑顔の人。その生き方は若い人たちにとっても刺激にあふれている。



聞き手:瀬川さんはどちらご出身ですか?

瀬川さん:福岡県大牟田市三池という、炭坑節が生まれたところです。家族は両親と弟が一人で、両親からはすごく溺愛されて育ちました。でも、どうもそれに甘んじていられる性格ではなかったんですね。この両親の元にいたら自分がつぶされてしまうと思い、保育士の資格を取って自分の人生を歩もうと思ったんです。

聞き手:へえ、それで、短大を卒業してすぐに東京に?

瀬川先生:そうです。短大での実習では幼稚園実習、保育園実習があって、両方経験して―。

聞き手:その、幼稚園と保育園の違いってなんとなくわかりますけど。。

瀬川さん:戦後の日本は妻は家庭にいて家事と子育てをするのが普通の時代。でも、それがかなわず共働きせざるを得ず、お母さん、お父さんが仕事で時間がない、ならば税金を使って預かって面倒みましょうということで出来たのが保育園です。歴史としては東北の農家の繁忙期に子どもを預かるため、青空保育園とか託児室が出来たところから始まったんですね。慈善事業で教会などが運営しでいたのを、公がやろうということで引き継いだわけ。

聞き手:では幼稚園は比較的裕福な家庭の子が行くというイメージですね?

瀬川さん:幼稚園は文部省管轄でつまり「学ぶところ」ですが、保育園は厚生労働省管轄で「福祉」なんです。保育園の子どもには「朝ご飯を食べてきたかな」とか、「着ている服も洗濯されているのかな」と思うような子がいて、私はこの子たちと一緒に過ごしたいと思ったんです。それで、保育士になることを選択しました。

聞き手:なるほど、そういう選択があったんですね。

瀬川さん:私が保育士になった50年弱前は、ちょうど税金を使って都区が保育園を作っていきましょうという時代だったんです。都区は保育士のための寮をいっぱい作って、地方の短大や専門学校から無試験で毎年100人くらい採用していました。それで私は足立区に来たんです。

聞き手:なぜ足立区を選んだのですか?

瀬川さん:都会なんて知らないから、まず地図を見て、広くて緑がいっぱいある感じでいいかなと思って。そしたら、(出身の福岡県)大牟田よりもっと田舎でびっくり!子どもたちとザリガニ釣りをしたり、つくしを取って佃煮を作ってあげたり、牛や馬を見に行ったり。その頃は今のように「こうあらねばならない」という決め事がまだ少なくて、本当に自由でゆったりしていましたね。主任がキャリア3年目の人、同僚はみんな1年目で、20代前半の若い人たちばかりで、仲が良かったんですよ。

聞き手:みなさん、地方各地から単身上京してきたという状況が同じですものね。立場としては区の職員なんですか?

瀬川さん:都の職員でもあり、区の職員でもあるという状態でしたね。都区移管といって、福祉事務所も保育園も都から区に移管されていく時代を生きてきました。

聞き手:保育園間の異動ってあるんですか?

瀬川さん:当初は10年くらい同じ保育園にいるケースもありましたけど、私が辞める頃は最長6年、今は4年で異動しますよ。足立区だけでも60〜70の保育園がありますから。

聞き手:へえ。それで、いつ独立されたんですか?

瀬川さん:15年前です。

聞き手:なぜ、独立しようと?

瀬川さん:その頃、共働き家庭がどんどん増えているのに、公立保育園の開所時間が短く現状に合わないので、都は駅前などに13時間開所する保育園を増やそうとしていました。それに公立保育園の運営を民間に委託するケースも増えてきた。そんな時代の機運もありましたね。また、公立保育園は縛りが多くて。でも公務員は仕事をサボっても給与は変わらないから、改革しようとする人に対しては波風立てるなと言わんばかりに厳しい目が向けられたりします。そういうところが嫌になったというのもありました。

聞き手:不安はなかったんですか?

瀬川さん:確かに、当時の公務員は結構な高収入で普通は辞めないわけです。貯蓄と、高額の退職金を合わせれば、定年後は悠々自適に暮らせますから。でも、私は、自分の人生1回きりなのに公務員に縛られて生きていく必要はないと考えました。新しい人生を歩もうと思ったら捨てざるを得ないものもあるでしょう。お金だけが魅力ではないんです。別の職種で起業する選択肢もあったかもしれませんけど、31年もやってきたからその経験を活かして身を立てるしかないと思いました。

聞き手:それはそうですよね。その経験と知識を活かさない手はない。

瀬川さん:30年以上もやってきたら、子どものことは、ひとつの場面だけではなく、「次の次まで」見通せるようになったんですね。たとえば、公園でお母さんがいたずらっ子を「待って」と言って追いかけている。でも、子どもは追いかけられると喜んでさらに逃げるんです。その時にお母さんに「子どもの前に出て留めなさい」と言うと「なるほど」と喜んでもらえる。そういった小さいことでも教えてあげると喜んでもらえるんだなと思って、それが私の喜びになるんです。人に気づきを与えるのは喜び。ずっと「今日一日をベストに子どもたちと過ごそう」と日々新たな気持ちでずっとやってきたから、疲れるけど喜び。

聞き手:いや〜、素晴らしい。感動しますね。それで最初に開業したのがこの下(かんかん森が入っているビルの1階)のキッズガーデンですか?どういう経緯でここに?

瀬川さん:開業にあたっていろんな区に話にいったんですけど、荒川区が一番親切だったんです。ここを紹介してくれたのも荒川区なんですよ。15年前、ここはまだ更地でこれからビルを建設するところでした。それでどんな間取りがいいか自由に決めさせてもらえたんです。

聞き手:へえ、区ってそんなことまでしてくれるんですね。

瀬川さん:でも、荒川区からは「瀬川さん、最初の3年は赤字が続くと思うけど我慢して頑張って」と言われたんですよ。その頃は、今のように待機児童なんていなくて、定員に満たない保育園も多かったんです。それで私は「いや、1年目で定員いっぱいにしてみせる」と頑張って、本当に1年目から定員を超える入園希望者を得ることができたんです。

聞き手:すごい!どうやったんですか?

瀬川さん:自分で保育園を開くからには、園の理念や目標を決めなければと思って一生懸命考えました。それで保育園の目標として「小さな命が輝く保育」を掲げ、「歩育、食育、脳育、コミュニケーション保育」を理念として重視・実践することにしたんです。都会の子どもたちって体力がないと言われるので「歩育」。また食べることは身体だけではなく脳も育てていくので、「食育」と「脳育」を連携させました。それと、生まれたばかりの赤ちゃんでもちゃんとお母さんの声を聞き分けるし意味を理解するから「コミュニケーション保育」こういうことでこの保育園をやっていると保護者に説明を続けたら、実際に3カ月で一杯になりました。理念の話をするとお母さんたちは感動してくれるんです。

聞き手:素晴らしいですね〜。私にも子どもがいたらきっと入園を希望したと思います!

瀬川さん:そうお?当時はお友たち3人とゼロ歳児教育の研究をして、小冊子を自費出版したんです。それに基づいて保育をしていこうと伝えていったら、定員いっぱいを通り越して50人くらいの待機児童が出てしまって。

聞き手:経営理念をしっかり打ち立てて、きちんと伝えていく。ビジネスパーソンとしてもやり手ですね。それから園を増やすことに?

瀬川さん:区は条例がないからダメと言ったんだけど、この近くの家の部屋がたまたま空いたので保育制度を利用して保育士を雇って、まず4人の子どもたちの面倒を見始めました。そうしたら、その実績が認められて区議会で条例が可決され、荒川区にグループ型保育室を最初に作る運びとなったんです。「グループ型保育の予算を作るから、もっと大きくやっていいよ」と。

聞き手:あ、区まで動かしちゃった。ニーズを先取りしているわけですね。

瀬川さん:そしたら、さらに区が物件を探してきて「瀬川さん、ここでもやらない?」と言われて。
物件は区役所の近くのサイゼリヤ(レストラン)の2階なんですが、開業には1億くらいかかるから、どうかと思ったんですけど、それまで0〜2歳児の保育をやってきて、親御さんたちからは上の年齢の子どもの保育もやってほしいと言われていましたし。それで平成28年に53名定数で0〜5歳対象の園を始めました。そしたら、またまた今度はその園の前のテナントが空いたので、規模を拡大することになって、今年4月から75人定数となったんです。だから忙しい、本当に。長年、保育に関わる仕事をしてきて今が一番忙しいですね。土日なく仕事、仕事!

聞き手:いや、それで前にも増して忙しそうだったんですね。もう口あんぐりです(笑)。

瀬川さん:でもね、生きがいでもあるんです。私がこうしてやっていることで、昔の仲間だったり、尊敬している人たちが定年になった後、うちに来て指導員をやってもらったりして輪が再びつながったり、広がったりしますからね。もう全部で70名くらい雇用してます。

聞き手:すごいですね。一大事業だわ。

瀬川さん:すごくないですよ、皆さんが助けてくださるから。私ってどこか頼りなげなのか、瀬川さん、これやりましょうか、こうしたらいいですよ、と言ってきてくださるんです。

聞き手:それ、天然的に人使いが上手いってことですよ!(笑)

瀬川さん:それに、ここまで拡大してきたのも、娘が本気でこの事業を継いでくれる気になって、やろうと言ったからです。それがなかったら、キッズガーデンを誰かに譲ってもいいと思っていたくらいでしたから。あと数年は娘が順調に保育園経営ができるように見届けていきたいと思っています。

聞き手:娘さん、存じ上げていますけど「仕事はめちゃくちゃ大変だけど楽しくてしょうがない」と言ってましたよ。まだ若いけどやり手ですよね。

瀬川さん:バリバリだから困っちゃう(笑)。お母さん、あれやこれやと言われて、大変。以前は、「お母さんのような仕事はしない」と言っていたんですよ。本当は医学療法士だから。だけど、今、肢体不自由児や発達遅延児を保育するところにつながって資格を活かせるようになってきたから、自分の理想もあってメチャクチャ楽しいんだと思います。すでに障害児を受け入れて健常児との統合保育を実施していますし、知的障害手帳を持っている人も雇用しています。

聞き手:なんて尊いお仕事かしら。そもそも、子どものどういうところが好きなんですか?ご両親から溺愛されて育ってきた聞くと、人から面倒見られるのは好きだけど、面倒見るのは嫌いな自己中な人になりそうですけど(笑)。

瀬川さん:面倒見るというよりは、一緒に保育するなかで子どもが変わるんですよね〜。

聞き手:どこで保育が面白いと気づいたんですか?兄弟が多いわけではないし。

瀬川さん:そうですよね。おそらく生まれ持ったものかなあ。友たちからはよく「天性よね」と言われます。保育の現場の仕事だけでなく、大量の事務仕事もあって「もういやだ」思うこともありますけど、でも辞めなかったのは生活のためもあるし、「額に汗して働いている人が心豊かに生活できる社会にしたい、お金持ちだけが報われる社会はダメ」という信念もあって続けてこれたのかなと思います。私は三池という労働者の街で育って、60年安保*時は小学4年生だったからかな。
*安保:安保闘争 1959年から1960年に日本で行われた日米安全保障条約に反対する市民や学生、労働者、国会議員等が参加した運動。

聞き手:本当に忙しそうですけど、いつもハツラツとされていますね。

瀬川さん:もう、忙しいということに免疫がついてるかも(笑)。これまでどんなことがあっても倒れなかった。いや、倒れても死ななかった。それで、人間はいつでも立ち直れるなと思ったんです。そういうことを何度も繰り返してきて、明日倒れてもいいと思ってやっているうちに免疫がついた感じです。

聞き手:すごいな〜。

瀬川さん:いえ、すごくないです。頭のいい人うらやましい、英語をしゃべれる人うらやましいと思いますよ。じゃあ、子どもたちの先の先を読み取る能力が誰でもあるかというと、やはり40年やってきた人にしか分からないものってあるわけだから、これが自分に与えられた人生であれば、これを「生ききる」。人に与えられた能力はそれぞれ違うけど、その能力の中で「生ききる」。これが大切だと思っています。

聞き手:「生きる」ではなく「生ききる」ですか。いい言葉ですね。単に「やる」ではなく「やりきる」、この積み重ねですね。

瀬川さん:今、親鸞を読んでいるんです。

聞き手:親鸞?なぜですか?

瀬川さん:自分の家は昔から浄土真宗なんですが、ひとつの宗教が何千年も続いている、絶やさず伝えてきた、ということは何かがあるのかな、ならばどういう宗教なのか勉強するのもいいなと思って。その宗教家はすべて人のために捧げて生きてきたんですよね。そう思うと、そういう人たちの生きてきた軌跡を勉強したいし、ひとつでも近づければ「生ききる」ところに近づけるかなと。他人がどうこうではなく、自分がどうするかを考えたい。祖父母、両親と弟が田舎のお墓にいますが、それぞれの命日にはお布施とお供え物を送ろうと決心しました。これまでは社会のためと考えていろいろやってきたけど、それだけではなくて、自分の原点を見て慈しんでいきたい。自分も年齢を重ねたからそういうふうに考えられるようになったんだなと思います。おもしろいですよね、人は年代によって随分考えが変わっていくでしょう。

聞き手:確かに、私も30代、40代の頃と今とでは随分違ってきたなと実感しています。

瀬川さん:私は気が短いから、よくカッと来ていたんですけど、この人にはこういう風になる何かがあったんだなと思えるようになってきましたし。

聞き手:相手の言動の背後にあるものですね。子どもの先の先だけじゃなくて、大人の裏の裏まで見通せるパワーがついてきたわけですね!(思わず拝む)

瀬川さん:やめてよ(笑)

聞き手:ところで、瀬川さんの趣味は何ですか?趣味の時間があるとも思えないですけど。

瀬川さん:そうですね、働くのが趣味。好きなことを仕事にしているから。皆はそんなことできるわけないと言ってますけど、とりあえず70歳でリタイアしようと決めていて、五島に家を持っているので、月の半分くらいは五島に行ってガーデニングをして、ハーブも沢山植えて、いつでもみなさんいらっしゃいと言えるようにしたいですね。ピザ釜もつくったりして。

聞き手:いいですね!ぜひ、お邪魔したいです!

瀬川さん:いらっしゃい。

聞き手:今日は素晴らしいお話を沢山お聞きすることができました。私もパワーをいただいた気がします。どう「生ききる」か考えていきたいと思います。ありがとうございました。

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(08:38)

2018年10月06日

先週収穫した青じその実を、ガーデニング係の有志で「しその実味噌」にしました。
せっかく作ったしその実味噌をコモンミールに使おう!ということで、今夜のコモンミールは「焼きおにぎり」でした。

★今回のメニュー★
 焼きおにぎり(しその実味噌味・醤油味)
 豚汁
 浅漬け
 豚肉と玉ねぎの塩麹炒め
 カステラ( I さんの差し入れ)

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(22:00)

2018年09月30日

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今日の当番さんはHさんRさんご夫妻と、今月下旬にアメリカ旅行から戻ってきたばかりSさん。
台風が近づいていて日中も涼しいこの日、Rさんはニットのカーデ着用。
一方のHさんは半袖短パン、夏のいでたち。
お料理とは関係ないのですが、このギャップがなんだか面白かったです。
ちなみにSさんは厚手のパーカー着用。
やっぱりこの涼しさで半袖短パンがすごすぎる?

(22:00)
かんかん森The Interview第12回目は小柄なボディーにパワーみなぎるYUさんのご登場。スラリと背がとっても高くてやさしそうなドイツ人のパートナーと、7歳と5歳の超かわいい娘さん達と4人家族でかんかん森に暮らして8年。10年後の自分を想像しながら今の自分と対峙し行動を決めていくYUさん。でも、以前は全く長期的展望のない人だったと語る。さて、どうやって自分を変えていったのでしょう。まず、インタビューはYUさんが得意とし仕事で多用している英語の話から始まりました。



聞き手:まず、お聞きしたかったんですけど、その英語力はどうやって身につけたのですか?

YUさん:小さい頃から国語は好きだったんですが、英語の成績はちょっといいくらいでした。でも、ずっと海外に出たいと思っていたので、高校3年で進路を考える際、留学したいと思ったんです。当時は留学生に対しアメリカが一番門戸を開けていました。だから、高校を卒業したら留学専門の学校に通って、アメリカに留学しようと決意して。親も「やりたいのだったら、しっかりやりなさい」と言ってくれて、反対もありませんでした。それで、アメリカの大学に入るにはTOEFLという英語の試験を受けてスコアを提出する必要があったので、TOEFL専門学校に2年弱、通いました。文法以外はネイティブ講師が教えてくれましたし、自分なりにある程度準備ができたと思って、いざ、アメリカの大学に受かって行ってみると、もう話すスピードが全然違って愕然としましたね。ああ、(日本の専門学校の)ネイティブの先生は私たちが理解できるように話してくれていたんだなと初めてわかりました。ただ、もうそこからは英語での授業についていかなければならないですし、絶対卒業すると決めていましたので、まず語学力だなと痛切に感じて必死に努力しました。気の合う日本人の友人とは一緒に遊びに行ったり食事をしたりしましたけど、一方では、積極的にアメリカ人の友達とも過ごすようにしました。

聞き手:その時期があっての今のYUさんなんですね。アメリカの大学では何を専攻されてたんですか?

YUさん:ファインアートです。すごく基礎的な美術で、デッサンやペインティング、写真など、いろんなことをやります。授業では、自分が作った作品をプレゼンする機会が多くてそこで英語で話す機会を多くもらいましたね。

聞き手:プレゼンの場合、質疑応答もあるでしょうから、かなり話す力が鍛錬されますよね。

YUさん:そうですね。私はもともと国語が好きで、本が好きでした。帰国後翻訳の学校に行っていた時など、日本語力がしっかりしていると周囲からもよく言われました。外国語が母国語以上に上手くなることはないので、言葉に割と敏感であるところが英語力を高めるのに役立だったんだろうなと思います。たとえば、日本語でとても失礼ことを言いがちな人の英語を聞いていると、英語でも失礼な表現をしているのに気づきますから、やはり基本は母国語ですね。

聞き手:おっしゃる通りだと思います。そもそも海外に行きたいと思ったきっかけはなんだったんですか?

YUさん:小学校から普通の地方の公立学校に通っていて、学校のルール、たとえば靴下の色とか、わたしには理解できないことがいろいろあって。しかも、中学卒業までに出会った先生で、尊敬できるとか、もっと話したいと思った先生がひとりもいませんでした。「なんでこれがだめなんですか?」と質問して、先生にうざったがられるタイプの子だったんです(笑)。それで、小学生のときにシュタイナー教育の本を読んで、「わ〜、これはなんだ!」と―。

聞き手:え?中学生の時に?

YUさん:いえ、小学生の時。小3か小4ですかね。

聞き手:えっ、小3か小4でシュタイナーの教育法の本ですか?!

YUさん:子安美知子さんというその道の第一人者がいて、仕事でドイツの大学に行くことになって、その時に同伴した娘さんをシュタイナーの学校に入れて、娘の体験を通じて書かれた本です。読みやすい本だったと思いますよ。

聞き手:それにしても、基本、大人向けに書かれている本でしょう?

YUさん:たぶん。でも、とても本が好きだったので、家に置いてあるありとあらゆる本を読んでいたんです。姉もそんな感じでした。学校から帰ると、まずはおやつを食べながら本を読む子でした。とにかく、そのシュタイナーの本を読んで、そういった学校に行きたいとすごく思ったんですけど、まだ日本にはありませんでした。インターネットもないその頃の情報源は本しかないので、巻末についていたシュタイナーの学校のリストを見て、親に手伝ってもらって問い合わせてみたんです。英語圏ということで、オーストラリアの学校にコンタクトしたら、特殊な教育なので一年生から入るんだったらいいけど、途中から入るのはお互いの混乱につながるので受け入れられませんとの返事をもらって。仕方ないので、そのまま引き続き地元の学校に通いました。その頃から、自分は日本の学校教育には合わないと思っていたんだと思います。だからこそ、いろんな本を読んで、「違う世界があるんだ」と現実逃避して、自分の心を支えていたんだと思います。

聞き手:親御さんの教育方針で小さい頃から英語教育を受けていたり、海外に関心を持つようにされたりとかしてました?

YUさん:英語の塾に通わされるというのは一切なかったです。父親は仕事でたびたび海外に行ってましたが、父も英語の教育を特別に受けていたわけでもなかったので、すごく苦労してブロークンでも自分の言いたいことを伝えられるようになる努力はしてました。それで、私が留学を終えて日本に戻ってきた後にも、父から「やはり語学は出来た方がいいと思っていた」と聞きましたし。自分の選択を理解して応援してくれてありがたかったですね。

聞き手:それで、英語力を身に付けて社会人になって、次は仕事のお話ですね。

YUさん:そうなんですが、その頃は何も長期的展望がなくて。。

聞き手:でも、留学して英語を身に付けたからには何かしたいことがあったんでは?

YUさん:いや、本当になかったんです。卒業する頃には、どうしようと思って。ビジネスを学んだ子はインターンを企業でするなど決めてましたけど、私は大学時代にしたいことだけをしましたけど、それもがっつりとした美術ではなくて、半分、美術の基礎、半分、一般教養のような州立大学の美術で、それではどうしようもないんですよね。一回だけ留学生対象のジョブフェアに行ったんですが、何一つ興味の沸くものがなくて、本当に私どうしようという状況に陥りました。それで、とりあえず日本に帰国したら、地元ではなく、まだ一度も住んだことのない東京に住んでみようと思って。帰国後、実際に東京に住んで、1年半か2年、派遣社員をやりました。そうしながら、自分が出来ること、なおかつ、したいことを探したんです。それで、まずは1年くらい、週一で仕事の後に翻訳の学校に通いました。そこでは字幕、放送、吹き替えなど、ざっくりといろんな翻訳を教えてもらって、それはそれでおもしろかったんですが、「狭い道だろうな、いずれ出来たらいいな」と思ったくらいでした。1年コースが終わった後、特に変わりなく派遣の仕事を続けていたら、テレビ番組の翻訳をフリーでやっていた人が会社を立ち上げて、仕事が忙しくなってきたので他にフリーで翻訳を出来る人を探していると、たまたま知り合いから聞いて。日本のテレビ局のスタッフがアメリカに行って1週間ロケをしてきて、その際に撮影した内容を全部翻訳してほしいという依頼内容で、「急ぎで出来ますか?」と問われたんです。その時は、5月の連休中で特に他に予定もなかったから、「はい、やります」と引き受けて、やってみたら結構おもしろかったんです。

聞き手:撮影中の音声を聞きながら訳すんですか?

YUさん:そうそう、ディレクターが相手に質問をして返してもらっているときとか、インタビュー音声とか、英語の音が入っていれば訳すわけです。その仕事をやりながら、おもしろいけど、今回限りの仕事だろうなと思っていたんです。でも、それから頻繁に仕事をもらうようになりました。また、翻訳学校に通っていた時、日本語の作文の講座をエキストラで取っていたんですが、その先生が私を覚えていてくれて、あるラジオ局の番組で、海外のネタを入れるのに翻訳が出来て、日本語を原稿でちゃんと書ける人はいないかとなった際に、話を私にくれたんです。それからは、テレビとラジオ両方で10年以上仕事を続けて、なおかつ、途中から海外の番組から、一番初めはBBCだったんですけど、日本で撮影するのにまずインタビュ−相手のリサーチや交渉は日本語でないとスムーズに進みませんので、コーディネートをできないかという話がきました。ラジオは少人数なんで企画会議にも翻訳者も含めて全員出るんです。それで制作の流れをすごく学びました。テレビのほうでも、1年に1回くらいのペースで同じ番組での通訳を頼まれると、プロデューサーが変わっていたりして、人が変わるとこんな風に制作面で滞りが出来てくるんだとか、この人はこういう事をしているからスムーズに運ぶんだといったことも学びました。それで、海外からの話が来た時に、制作全体の流れがわかっていたので、これなら出来そうだなと思って引き受けたんです。その頃は、圧倒的に日本のテレビ番組からの依頼のほうが多かった。でも、日本のテレビ番組って基本的にニュース番組の翻訳の需要が高くて、ニュースだからいつ何があるかわからないでしょう。911があったときも夜にテレビで映像を見て「あっ」と思っているうちに、30分くらいである番組から翻訳会社経由で電話がかかってきて「今すぐ来られますか?」と言われて駆けつけて。CNNやAPロイターからのいろんな報道内容、現地のレポーターやインタビューもがーっと訳すわけです。何が次ぎに起こるかわからないから、その局は3交代制で1,2カ月常に翻訳者を待機させていました。アメリカの大統領選などはいつ頃忙しくなるなと読めるんですが、突発的な事件や出来事の場合は突然呼び出されるわけです。拘束時間もさまざま。一人目の子どもを産んで、もうこれを続けるのは無理だなと思って、自宅できる作業のみ引き受けることにしました。それでも仕事はもらえてたんですけど、やはり現場に行ってなんぼの業界ではあるので、仕事量は減りましたね。それに、たとえば、夕方5時とかに仕事の打診が来て、「今から原稿を送るのでなるべく早く仕上げてください」と言われても、「私はこれから子どもが寝るまで何もできません」といったことがあり、こういった納期の早さにも対応できないなと思いました。

聞き手:仕事と子育ての両立の葛藤ですね。

YUさん:自分の中ではいろいろ模索して、たとえば、同じ翻訳業界でも医療翻訳はどうだろうと思って通信で2年くらいは勉強したんですけど、どうにもこうにも興味がわかない。やっぱりこれは無理だなと思っていたところに、前からたまにもらっていた海外制作の仕事がどんどん忙しくなってきたんです。下の子が3歳くらいかな、だからつい2年前くらいからですけど、子育ても少し楽になってきて、ロケに付き合うために私が1週間くらい家を空けても夫とかんかん森のご近所さんに助けてもらって乗り切れるようになってきて積極的に受けるようになりました。今の仕事は基本的に海外のクライアントオンリーです。

聞き手:海外のクライアントだと日本側の取材相手に交渉をしたりとかですか?

YUさん:そうですね。国内でニュース番組の翻訳をしているのと比べるとタイムスパンが全然違って、取材したい日までにだいたい3,4週間あって、その間、がっつりプロデュースを任される場合もあれば、コンタクトをとる相手をすでに決められている場合もあります。どちらにしてもこの仕込みの期間はたまに現場に話に行ったりとか警察署に道路での撮影許可をもらいに行ったりとかすることもあるけど、だいたい自宅でできるのですごくやり易いです。子どもの学校の送り迎えや食事の支度などを挟んで、細切れでも自分のペースで時間が取れるようになってきました。いったん撮影に入ってしまったら、私は家のことは何もできないことは家族は理解してあります。それでも、仕込みの間は自分での采配がしやすくなって、この働き易さから今の仕事をやっている感じですね。

聞き手:それは重要ですね、仕事と子育てを両立していくためには。

YUさん:子どもがいると予想以上に出来ないことが多くて、そこはちょっと私も子どもを持つまでわからなかったですね。別にそれは不満ではないですけど、何年間こうなるんだろうと思ったり。とにかく、わかっていなかったですね。

聞き手:わたしは子どもがいないからお母さん達の話を聞いて想像するしかないですけど、やっぱり自由でいた時間が長いほど、そのギャップをより強く感じるみたいですね。

YUさん:そうですね。ひとり目の子を産む前に、さんざん自分のやりたいことをやってきたので、自分のためには十分やったなと思ってますから、いいんですけどね。

聞き手:子どもを持って人生に深みを増すというか、広がるというか、また別の意義が出来ますでしょう。

YUさん:そうですね。でも、やっぱり自分の子どもも含めていろんな人に「子どもを持ったら物理的に時間が少ない期間があるんだよ」と伝えていきたいとすごく思いますね。自分は子どもを持つまでそのことがぜんぜんわからなかっただけに。

聞き手:なるほど。ところで、YUさんはパンの作り方にしても、ダイエット法にしても、いろいろ新しいことをかんかん森の住人にも伝え続けてくださっているでしょう。そういういろんなことに興味を持ちやすいタイプですか?何かに興味を持つと人に教えられるくらいまでやっちゃうような。

YUさん:そうですね〜、ずっと自分の性格は飽きっぽくて続かないタイプと思っていたんですけど、年齢とかですかね。いろんなものを見てきて、世の中、自分にハマるものってそんなにないんだなと思って(笑)。ノリはいいですけど、何かにすっごく熱くなるタイプではないし、いつも一歩引いている感じ。だけど、2年前に出会ったダイエット法とその先生を通して、ある意味、自分は変わりましたね。冒頭でもお話しましたけど、わたしは長期的展望が持てない性格だったんです。でも、このダイエット法と先生にはすごく影響を受けて、自分の中でそういうことは滅多に起こることではないとわかっていたので、もうどうしても自分で人に教えられるくらいまでやりたい、やろう、と出会ってから3カ月くらいで心に決めました。

聞き手:それはすごい!出会いってすごいですね。このダイエット法に出会ってまずは先生の体験などに惹かれたんですか?

YUさん:そうですね。結構、メンタルを鍛えていく方法なんですが、そのような訓練はそれまでしたことがなかったんです。また、実際に身を以って影響を受けて、自分が変れた、という説得力の部分ですね。

聞き手:やっぱり、信じることは強いですね。これだと思って一度決めたらブレずに続けていく。この、ブレないってことは、何かを達成するときに非常に重要だと私も経験的に思ってます。

YUさん:そうですよね。周囲からもなんやかんや言われたりするし。そこでブレてどうしようとか思ったりしがち。わたしには合わないんじゃないかしらとかね。それで、今の興味の話に移るわけですけど、初めは単に体重を落としたいということだったのが、途中から目標が「健康寿命を延ばす」ということになったんです。実際、自分が何歳まで生きるかわからないわけだけど、80歳になっても自分の孫と走り回れるような脚力を持ちたい。心身共に健やかでいるということ。途中からこれが目標になりました。それまで、わたしは長期的展望で物事を考えられなかったわけですが、それができるようになった。じゃあ、そのためには今何をすべきかと考えて、結果、自分の体を鍛え始めました。今、体を鍛えておくと、たぶん、10年後の身体に現れ始めると思うんですね。別に科学的根拠はないんですけど、私の中ではそういうふうに思っているわけです。何にもしなかったらこうだったのが、鍛えたら10年後にはこれくらいになっているだろうと想像しながら続けています。トレーニングはジョギングから始めたんですけど、それだけでは筋肉はつかないので、生まれて一度もやったことがなかった筋トレマシーンを恐る恐る使うようになって。そうすると1,2カ月で腕の筋肉とかって変わってくるんですよね。今まで何もしてこなかっただけに、「こんなところに生まれて初めて筋肉がついた!」と、40過ぎて生まれて初めてのことって嬉しいじゃないですか。ということで、「自分の体を自分の求める方向に変えていく」というのが今の趣味です。

聞き手:素晴らしい!私もその姿勢、見習いたいです。

YUさん:最近は、街で見かけるいろんな人の歩き方がすごく気になります。この人はこれくらいの年に見えるけど、すごくきっちり歩けているとか。逆に、ものすごく腰が曲がっていて、これでは買い物に行くのがせいぜいだなとか。数十年先の自分に投影して、こうなりたいとか、これは避けたいとか、実際に見て、感じて、それをどう自分でできるか、ということです。

聞き手:やっぱり、かなりお年でもピンとしていらっしゃる方はその秘訣は何だったんだろう、20年前は何をしていたんだろうと思いますよね。

YUさん:でしょう。わたしが通っているスポーツジムでよく挨拶を交わす男性がいて、70代くらいかなと思っていたら、この前「もう80代ですよ」と言われて驚きました。歩き方、筋肉のつき方もしっかりされている。トレッドミルで1時間くらい走って、それから1時間ちょっと筋トレをやっていらっしゃるんですよ。そんなに鍛えていらっしゃる理由を聞いたら、「おいしくお酒を飲みたいから」だそうで、いいじゃないですか、それって。

聞き手:確かに!惰性で大量に飲むような不健康な飲み方ではなく、自分で体を鍛えてコントロールしながらおいしく飲むっていうのは、お酒を飲まないわたしでもいい事だなと思います。

YUさん:そうなんです。わたしは運動ができるほうでも、好きでもなかったんですが、初めて黙々とトレーニングやっていると、周りの人も黙々と自分との戦いをやっているのを目にするわけです。「そうか、みんな自分と向き合っているんだ」と、今まで考えたこともなかったことに気づきました。みなさん、自分の目標はあるかもしれないけど、特に誰に「えらいね」と言われることでもないことを日常化していく。その、ある種のストイックさに感銘を受けました。それから、活躍しているアスリートのすごさ。これも、本当にものすごく努力しているはず、というのが生まれて初めてわかってきました。今までは「すごいな」と思うのはピアニストやアーティストなどの文化系の人達でしたけど、それをアスリートまで想像をめぐらすことができるようになったんです。自分の中で広がりを持ててありがたく思っています。

聞き手:自分で鍛えてみないと、アスリートがどんなに大変な思いをしているかというのはわからないということですね。技術もそうですけど、メンタルの強さも重要ですしね。

YUさん:そうですね。子育てが一段落したら、ネットでスポーツ心理学とか栄養学とか勉強したいなと思っています。

聞き手:ますます広がりますねえ(笑)

YUさん:たぶん、死ぬまで暇を持て余すことはないだろうなと思っています(笑)。

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(09:26)

2018年09月29日

9月最後の土曜日は、ランチ、夜ともにコモンミールがありました。

ランチのメニューはピザ、サラダ、スープ、ぶどうです。
ツナコーンマヨは、子どもたちの反応上々。
マルゲリータには、菜園のバジル&菜園のバジルで作ったバジルソースを使用しました。

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菜園で取れた紫蘇でジュースを作ってもらいました。綺麗な色です。

夜のメインは揚げないコロッケです。
調理当番さん3人が、流れ作業で準備しました。
左側から、粉担当、卵担当、パン粉担当です。
なんだか楽しそう。
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コロッケ&付け合わせ、味噌汁、梨、というメニューでした。
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食事の最後には、余ったふたつのコロッケをめぐって大人も子どもも一緒のジャンケン大会。
最初に勝ち抜けた私、大人げなくいただきました。(笑)
もうひとつは、両親に「食べきれないでしょ」と止められても気持ちが止まらなかったYちゃんが見事!獲得しました。
よかったね、Yちゃん。

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(22:00)

2018年09月18日

3連休の最終日は、夜コモンがありました。
ジャワのお土産・辛めのカレーです。
子どもや辛いものが苦手な人向けに辛くないカレーも作ってくれました。

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食後は、先日放送されたEテレ「明日も晴れ!人生レシピ」の上映会もありました。
かんかん森が取り上げられたテレビ番組です。
子どもたちも一緒に見ながら、住人が画面に映るたびに「あ、○○さんだ」などと反応していました。

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(20:10)

2018年09月16日

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今年も秋の良き日に秋祭りがありました。
前日までの天気の悪さでどうなるかと思いましたが、無事開催されました。

綿あめ、焼きそば、豚汁、ソーセージの屋台が並び、消防署からは消防車が来ていて放水体験が出来たり。同じ建物の1階のコミュニティハウスでは絵手紙か描けたり、マッサージがあったり、演奏会など行われていました。
かんかん森も、コモンリビングを解放したカフェとフリーマーケットで参加しました。

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当日フリーマーケットの売り子をやった記録係m、近所に住む元住人の子が駆けつけてくれて、力強い助っ人になってくれました。

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疲れたら、かんかん森カフェで一休み。

去年はまだ入居前で、秋祭りにはお客として来ていましたが、今年はかんかん森側からの参加でした。
1年間色々とありましたが、楽しんでいます。

記録係m

(13:00)

2018年09月15日

久しぶりに書きます。
いまだ夏休みボケから抜け出せていません。笑

3連休初日の朝、コモンに向かう通路はパンの香りが漂っていました。
パンは、丸パンとフランスパン。
他のメニューは、
 サラダ
 ウィンナー
 スクランブルエッグ
 スムージー2種類
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焼きたてパンは、やっぱりとってもおいしい!

ファミリー世帯も多く参加し、連休のウキウキ感もあってにぎやかな朝食になりました。

(10:30)

2018年09月09日

かんかん森The Interview第11回は昨年9月、都内の別のコレクティブハウスからかんかん森に移ってきたシングルウーマンAさん。自分のことを「いつもぼんやりしている」と言いますが、いやいや、とても深い考え方の持ち主です。そのことが徐々にわかるインタビュー、まずは趣味の話から始めようとしましたが・・・



聞き手:たとえば私の場合は何かにはまるとそれにがーっと熱中してしまうんですが、ある日突然関心を無くしてしまう質なんですが、Aさんはどうですか?

Aさん:わたしはそういうの、ないですね〜。子どものころから、何かに熱中するとか、アイドルに熱を上げるということはなかったですし。だから何かひとつのことに夢中になって、とても詳しい人達を端から見ていて、楽しそうだな〜とは思います。でも、自分はそういうタイプではないですね。

聞き手:では趣味と呼べるものってないんですか?

Aさん:う〜ん。何か挙げるとすれば読書かな。でも、これも体系だって読むわけではなくて、特にすごく好きなジャンルがあるわけでもないんです。まあ、どちらかというと純文学ではなくエンタティメント系で、日本人作家のものではなく、外国人作家の作品の訳本を読むことが多いです。

聞き手:エンタティメント系ってどんなもの?

Aさん:ミステリー、SF、犯罪小説などですね。

聞き手:ふ〜ん。じゃあ、これまで読んできたものの中で面白かったなあと思い出す本は何かありますか?

Aさん:う〜ん、そうですね。北欧のミステリーは人気があって、私もコンスタントに読んでます。たとえば、スウェーデンの作家ヘニング・マンケルのヴァランター警部シリーズ。ワーカホリックの警部が出てくるんです。

聞き手:スウェーデンでワーカホリック?それって面白いですね。高福祉国家で、幸せ大国(幸福度ランキングで常に上位)で働き蜂とは、これ、いかにって(笑)。

Aさん:(笑)ミステリーという設定上だからかもしれないですね。

聞き手:そういえば、そのヴァランター警部シリーズって、柳沢さん(「かんかん森The Interview第1回」に登場されているかんかん森に住む翻訳家)が翻訳されているんじゃない?

Aさん:あ、そうそう、そうなんです。

聞き手:自分が面白いと思った本の訳者が同じところに住んでいるなんて、すごい偶然というか、とても嬉しい驚きですよね。

Aさん:そうなんです!柳沢さんには新刊をサイン入りでいただいてしまいました。

聞き手:よかったですね〜。Aさんは普段、どうやって読む本を選んでますか?

Aさん:以前は本屋さんに行ってよくチェックしていたんですけど、かんかん森に引っ越してきてからは、通勤途中に本屋さんがないので、行く機会がなくなってしまいました。だから今は書評を集めたサイトをよく利用してます。書評を読んで面白そうと思ったものを読む感じですね。

聞き手:どんなのを面白そう、読んでみようと思うんですか?体系的に読まない、パターンがないということでしたけど、何かが決め手になって読む本を選んでいるわけですよね。

Aさん:う〜ん、確かにそうですね〜。現代社会もの、たとえば今だとAIとか、最近のバズワード、ニュースなどでよく耳にする言葉など、どんな意味があるのかもう少し知りたいなと思っていたことなどが書評に書かれていたりすると読もうかなと。それに、歴史物、といっても戦国時代とかではなくて、第一次世界大戦より後の時代のノンフィクションとかが気になりますね、あまり読めているわけではないけど。

聞き手:へえ〜。なぜ第一次世界大戦後なんですか?戦国時代などが好きな歴女とも違いますよね。

Aさん:現代へのつながり感が強いからですかね。戦争とその後、まだ終わっていないし。フィクションで舞台設定を近代にとった作品だと本当はどうだったのかなと思ったりして。学校で学んでいるはずだけどそれほど深く学んでいるわけではないですしね。

聞き手:なるほど。映画はよく観るんですか?

Aさん:よくってほどでもないですけど、たまに映画館で観ます。

聞き手:自分の映画ベスト3ってあります?

Aさん:ないんです。そういうのは(笑)。これも本と同じで、特別にこのジャンルが好きというのもないんですよね。たとえ実話がもとになっていても、映画になった時点でそれは作られたもの、フィクションになると思っているから、フィクションかノンフィクションかも気にしないですね。でも、やっぱり本と同じで映画も邦画より洋画を見ることが多いです。邦画はテレビドラマの映画化版がよく宣伝されていたりして、それだとドラマを見ていないとわからなそうだし、あまり邦画は自分の視界に入ってこないですね。

聞き手:そうなんですね。最近見た中で印象に残っている映画は何かありますか?

Aさん:そうですね〜。「ウインド・リバー」というアメリカ映画ですかね。ワイオミング州にある先住民族の保留地で実際に起こった事件を題材にした作品です。果てしなく広がる雪の大地で、ある日、国立公園のハンターの仕事をしている男性が女性の遺体を発見して。保留地は州警察の管轄外だから、FBIが来るのだけど、その女性捜査官がハンターの男性の助けを得ながら、慣れない雪深い土地ですごく苦労して捜査を続けていくんですね。その、途方もなく広い、白い大地が頭に焼き付いてます。亡くなった女性の死因が、レイプされたうえに殺されそうになったので、逃れるために極寒の大地を走っているうちに、肺が零下30度の冷気で凍り付いて口から血が飛び出して、自分の血で窒息死んでしまったというもので。これは他殺と言えるのか―。これ以上は言わないほうがいいですね(笑)。

聞き手:なんか知性を感じさせるプロットの映画みたいですね。ぜひ観てみたい!特にスター俳優は出ていないんでしょう?

Aさん:いや、割と有名な人が出ていたと思うけど。

聞き手:好きな映画スターとかはいないんですか?やっぱり―(笑)。

Aさん:いないですね(笑)。あまり固有名詞が頭に入ってこなくて。最近は監督の名前くらいは覚えようとしているけど。

聞き手:映画は昔からよく観るんですか?

Aさん:いえ、映画館で観るのって安くはないので、もっと若いころはあまり見られませんでした。今はそれが出せる年齢になったかな。一時期、疲れて集中力を失って本を読めなくなってしまったときに、「フィクションが欲しい!」と思って、映画だったら観れるかなと思って見始めた感じです。

聞き手:へえ〜、リラックスするため?

Aさん:そうですね、とにかく作られたものが見たいという感じ。映画を観たら、今度は映画の原作とか関連本を読んで、広がりがでてきてよかったなと思ってます。

聞き手:映画はDVDをレンタルするのではなくて、映画館で観るんですか?

Aさん:自宅にはテレビを置いていないし、PC用のDVDプレーヤーも持っていないのでDVDは観られないんですが、映画は映画館で観るほうが画面も大きいし落ち着いて観れるのでいいと思っています。

聞き手:昔からそうやってひとりで本を読んだりして自分のワールドにいるのが好きなんですね。

Aさん:そうですね〜。あんまり新しい場所に行って、人に会いたくないので。。

聞き手:そう?ひとりが好きっていいながらも、こういったコミュニティのあるかんかん森に住もうと思ったわけですよね。普通のアパートの方がもっとひとりになれるでしょう。

Aさん:自分のひきこもり予防策ですね、かんかん森は(笑)。かんかん森内は「半外(はんそと)」という感じで、ありがたいんです。普通のアパートでひとり暮らしだと、だれかと知り合おうとすると本当に外に出て、習い事をするとか何かのサークルに入るとかする必要があって、完璧に「外」で大変。でも、かんかん森なら自室から一歩でれば半外でコミュニティの人達とすぐ会えるからいいなと思ってます。

聞き手:ふ〜ん、端から見ていると、定例会でも発言していたり、書記をやっていたりとか、あまり引きこもりには見えないんですけど。

Aさん:(笑)それはなんかジャンルが違うというか、社交ではないから。労働とは言わないけど役割だから。共有していることを分担したり、どうやっていくか話し合ったりすることは嫌ではないし。

聞き手:つまり、役割としてあればそれほど嫌ではないし、言うべきときには言っておこうと思っているわけですね。

Aさん:う〜ん、定例会については慣れもあると思います。前のコレクティブハウスには5年半いて、毎月定例会やってましたから。

聞き手:そうそう、そもそもコレクティブハウスに住むことになった経緯はなんだったんですか?

Aさん:まずは、家賃もリーズナブルで、バスもトイレも分かれていて部屋の作りがよかったから。それに、住人が自主管理で暮らすのもいいなと思いました。

聞き手:実際住んでみて思っていたような感じでした?

Aさん:今振り返ると、お世話になったなという感謝の気持ちしかないですね。そこに住み始めて1年半くらいのとき一時期体調を崩して、定例ミーティングに出られなかったり、月1回のコモンミールを作る役割もこなせなかったりしたことがあったんですが、皆さん、見守ってくれていたのでありがたかったなと思います。

聞き手:それは具体的に何かヘルプしてくれたりとか?

Aさん:特に何かしてくれるということではないんですが、でも暖かい雰囲気を作って気兼ねなく暮らせるようにしてくれていたなと。

聞き手:ほどよい距離感で見守ってくれていたわけですね。では、そこから引っ越そうと思ったのは?

Aさん:通勤にとても時間がかかっていたので、勤め先からもう少し近いところに住み替えたかったのと、金銭的にも少し余裕ができてもう少し家賃が高いところでも住めるようになったというのがあります。

聞き手:通勤にはどれくらいかかっていたんですか?

Aさん:1時間20分くらいかな。ある日もうこれは遠い、と思って変わろうと決意したんです。ひとり暮らしで1時間以上通勤にかかるってなんだろうと思って。

聞き手:郊外の環境の良いところで子育てをしたいってわけでもないのにということですね。

Aさん:そうそう。

聞き手:大学では政治理論を専攻されていたと聞きましたが。なぜ政治を選らんだのですか?

Aさん:実は、私は一度大学を中退していて、もう一度入り直した大学でまず言語学を専攻したんですが、ちょっと違うなと思って。言語学は、最初に音韻とか、基礎をやった上で、どの言語の、どの分野か、歴史とか社会学系とか、を選んで進んでに行くわけですけど、「ああ、これはだめだ」と思って転科しました。そういう学生も結構多かったんですよ。私はそれまでに受講した課目の中で一番興味を持った政治理論に移りました。

聞き手:政治に興味を持ったのはどの辺が面白いと?

Aさん:倫理的なことが議論できるから。基本的に学問は「こうなっているね」という話をやるなって思っていて―。

聞き手:「こうなってるね」っていうのをやるってどういうこと?

Aさん:社会学系だったら現代社会はこういう仕組みになっていると考えたり、経済学だったら一番現実に近い経済モデルは何かを考えたりとか、現実がどうなっているかを記述するというか、研究するイメージがあります。でも、政治理論は何をするのが正しいのかという倫理的な議論ができると思って、そこがいいなと決め手になって専攻することにしました。それだけではないですけどね。

聞き手:へえ〜、すごい大学生ですね。

Aさん:そんなことないですよ。ぼんやりぼんやりだけど。

聞き手:政治理論に移って実際に面白かったですか?

Aさん:基本的にはそうですね。

聞き手:では、政治理論ではどんな議論をするんですか?

Aさん:そうですね〜。たとえば、平等論。平等主義という分野があって、どんなことが平等かという文献を延々と読んでいくんですけど。

聞き手:確かに平等はどこに視点を置くかによって変わってきますね。Aさん的にはどういう平等がよいと思いました?

Aさん:わたしは基本的に再配分を支持する派です。国が税金を徴収してそれを再配分する。たとえば、高等教育を無償にして、経済状況が良くない人にも教育を受けられるようにすることは良いと考えてます。

聞き手:経済状況とは関係なく、その子のやる気や能力に応じて機会がきちんと与えられるべきであると。わたしも同感です。

Aさん:子どもやお年寄りにケアが必要でそこに税金が沢山使われることにはやぶさかではないですね。政治理論はもっと哲学的、理論的なことだからあまり具体的政策とつながっているわけではないけど、ではなぜ他人に自分が稼いだお金を使わなければならないのかという議論もありますし、また、自分も逆の立場だったらどうかというのを正当化する議論もあります。

聞き手:自分だって補助を受ける立場になる可能性もあるから、今、必要な人達に使ってもらっていいですよと。

Aさん:えっと、ただ、困っている人達への思いやりという話ではなく、もともとルールは正しいものであるべきという考え方があります。ルールを作る時に、現状お金持ちと貧乏な人達がいて、お金持ちは自分達に有利なルールにしたいと思うだろうし、その逆もしかりで、そのルールは正しいとはいえないよね、という考え方があります。では、ルールを作るときはみんな自分のことは何も知らないことにしよう、自分の出身とか年齢、性別、バックグラウンドなど全く知らない「無知のベール」をまとって考えるという方法もあります。そんな状態でルールをつくるとしたらどんなルールになるか、自分がどんな立場であっても納得できるルールを作るはずだよね、という立場もあれば、いやそんなことはないだろうという反論もあるんですね。

聞き手:へえ〜。本当にそんな立場でモノを考えることが人間、いるのかしら?

Aさん:そう、「無知のベール」をかぶった状態でもその議論自体に偏見があるんじゃないかといった議論もあります。

聞き手:そういえば、しばらく前に話題になったマイケル・サンデルの白熱教室って見たことがあります?

Aさん:ああ、公開授業ですね。ちょっとあります。

聞き手:なにか似てるところないですか?

Aさん:あの人の立場はコミュニタリアンの人で、リベラリズムとよく対比される、共同体主義と訳される立場の人なんですけど、ただ、あの公開授業自体はもっと基礎的な、一般的なことをやっていますね。確かにあのような授業も大学でありましたよ。でも、それは本流ではない、1年生向けの授業でありました。

聞き手:面白いですね。あの人気は日本だけのものだったのかどうか知りませんけど、日本のテレビ局がサンデルを招待して公開授業もやっていた覚えがあります。

Aさん:あれが新鮮だなと思って興味を持った人がいたなら、私が大学で政治理論を専攻に選んだときの気持ちと似ているなと思います。あのような話は大学というかアカデミアではしないのかと思っていたんです。でも、実際は他の学問でもガンガンにされていて、「こういう話もするんだ!」という感覚。その時、自分にとっては新鮮でした。

聞き手:彼の場合はナビゲーターとしてうまいんですかね。

Aさん:上手ですね。ただ、かなり支配的な感じ(笑)

聞き手:自分がスターだと言わんばかり?

Aさん:というか、結局、議論はコントロールされているんですね。でも、別にそれはそれでいいと思います。たぶん、学生は課題を読み込んでいて、事前ディスカッションもして、たぶんエッセーも簡単なのを出しているんじゃないかなと思います。

聞き手:事前準備しているわけですね。そうじゃないと、あんなに意見言えないですよね。どんなに頭がいい人たちが集まっているんだろうと思っちゃいますよ。当てられると、バッシッと言いますもんね。

Aさん:あれも、自分で課題を読んで出たらちゃんと身になるわけです。ティーチングアシスタントも投入されていると思います。

聞き手:なるほどね〜。

Aさん:確かに、どうして日本で人気が出たんですかね?

聞き手:日本では、やっぱりああいう議論の機会が少ないから新鮮だったということなんでしょうね。英語の勉強している人たちにも学習のいい題材になったりとか。サンデルが書いた「ジャスティス」っていう本を読んだときに、トロッコ列車の話題など、どちらを選択するのがジャスティスと言えるのか一杯事例が出てきて確かに面白かったし。そういえば「24」(日本でも大ヒットしたアメリカのテレビドラマ)でも、ジャック(主人公)が国を救うのか自分の家族を救うのか、どっちだ〜と迫られてたなと思い出したり(どうしてそっちへ飛ぶかって?!)(笑)。

Aさん:(笑)サンデルが出してくる問題設定はたぶん基本的に思考訓練用だから、そこでいろいろ考えてみましょう、というものですね。二者択一の話でいつも思うのは、その二者択一の状況というのは本当にそうなのか、ということは考えなければいけないということです。

聞き手:「本当にそう」というのはどういうこと?

Aさん:「24」だと本当にそうかもしれないけど(笑)。もし現実に、たとえば、「小学校の教員を増やしてほしい」といったお金がかかる要求があったときに、「じゃあ税金が高くなりますよ」(A)とか「生活保護給付金を減らすことになりますよ」(B)という条件が出されて「どっちがいいの?」と問われたたときに、そのA、Bが本当にそうなのか疑ってみるということです。別に税金増やさなくても教員を増やすことができるかもしれないし、何かを減らす必要があるときに、どうしてその対象が生活保護費なのか、確認が必要です。そんな風に現実に何か起こるときには、大体、すでに条件などがセッティングされていて二者択一を聞かれるわけだから、そもそもそのセッティングが正しいのかをまず問うべきだと思うわけです。

聞き手:なるほどね〜。一歩深いですね、ものの見方が。一般的な人はじゃあどっちかなと考えるわけじゃないですか。でもそのセッティングされた状況が正しいのかというところから見る必要があるわけですね。

Aさん:そう。とりあえず、セッティングは常に疑うべきですね。誰がセットしたのか、というのもありますし。新聞も両論併記とかするときがあるけど、2つの論説を掲載するときに、捨てている他の説もあるわけだから、他のはなんだったんだろうという視点も大切だと思ってます。これはあまり政治理論とは関係ないけど。

聞き手:でも物事の裏側を見る、そういう視点を学んでいるというのはいいことだと思いますね。わたしのほうがず〜っと、いつもぼんやりしてる感じがしてきました(笑)。今日は、新たにAさんのいろんな側面を知ることができてとても楽しかったです。ありがとうございました。

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(14:04)

2018年08月19日

かんかん森The Interview 第10回目は、やんちゃで疲れをしらない5歳児と、圧倒的な愛らしさでみんなのアイドルの1歳児の2人の息子さんと、若々しく快活なパートナーとの4人家族で暮らす、元新聞記者・現(読んでお楽しみ)の中戸川誠さんの登場。夫婦共に仕事を持ち2人のお子さんを育てる忙しい毎日。その中でも自身の価値観を柔軟に変え、実践していく中戸川さんの言葉にはライブ感とパワーがあります。ロングインタビュ−ですが今回は一挙公開!インタビューは、わたしがぜひお聞きしたいと思っていたことから始まりました。



聞き手:新聞記者のお仕事で、いっぱいされていたと思いますが、インタビューのコツはなんでしょう?

中戸川さん:そうですね、先輩からはよく「最後の最後まで諦めるな、最後の最後でぽろっと出てくることもあるから」って言われてましたね。なかなか核心を話してくれない場合は話を脱線させてまた戻ってくるとか。でも難しい人ほど世間話にも応じてくれないですね。ど直球の質問の方がいい場合もありますし。

聞き手:難しいなと思ってて、でも上手く展開する場合って何が功を奏した場合?同じこと聞くにしても聞き方がありますよね。

中戸川さん:う〜ん。そうですね。ひとつ言っておくと、僕がやっていた仕事はテレビのインタビュアーとは違います。居酒屋でこっそり聞き出すとか、そういうケースの方が多かったですね。正式に場を設定してのインタビューとは頭の筋肉の使い方が違うんです。取材なのか友達付き合いなのかわからない雰囲気で居酒屋に行って、こっそり聞き出す。どちらかというとそのほうが僕は得意でしたね。

聞き手:難しい人は誰にとっても大変でしょうね、おだてても乗ってこないとか。そういう人は何回も会って関係を作っていくしかないですかね。

中戸川さん:そうですね。口数は多いけど質問に答えない人は企業経営者や政治家に多いんです。気難しくてあまりしゃべらない人は芸術家などに人が多い印象でした。政治家や企業経営者はしゃべるのも仕事のうちだからあれこれしゃべるけど、聞きたいことを言わない。同じ話を何度も繰り返すとか。そういう人はとても多かったですね。そういうのは軌道修正をさせていく力がないと1時間が無駄に終わってしまうんです。

聞き手:そういうことに長けていくには場数が必要ですか。

中戸川さん:そうですね。大学出たての頃からやっていたので、場数が大事だと実感しています。

聞き手:では、核心をちゃんと話してくれる人はどんな人ですか?

中戸川さん:苦労せず話してくれるのは誠実で嘘をつけない人ですね。質問に答えられない場合はわからないとか知らないときちんと言う人。でも、とても少ないですよ。

聞き手:大学を出て新聞社に就職してずっと記者をやってこられたということですけど、最初はどんなジャンルを担当されていたんですか?

中戸川さん:始めはひたすら尾行。

聞き手:尾行?!

中戸川さん:そう。始めは社会部で、東京地検特捜部の動向をひたすら水面下で追いかけるという仕事です。

聞き手:なんだかテレビの刑事物ドラマみたい。

中戸川さん:はは、そうかもしれませんね。特捜部というのは検察庁の中にあって、昔ならリクルートやロッキードなどの世の中を揺るがすような大きい事件を扱う組織です。

聞き手:警察じゃなくて検察ですよね(ちょっと混乱)。

中戸川さん:そう。特捜部は検察。警察とは違いますよ。警察は地べたをはって捜索して、起訴する時は検察に上げるわけです。実際に起訴するかしないか決めるのは検察官。それで、社会の名だたる人達の犯罪を追う検察庁内の部署が特捜部です。で、こちらは検事を毎日追うわけですけど、何も言ってくれないんですよね、これが。

聞き手:へえ〜。大学出たての若い社員に検事のところに行ってこいというほうが無謀じゃないですか?

中戸川さん:でしょう?水面下で捜査していて、検事だけじゃなくて被疑者も取材するわけです。被疑者といっても企業のお偉方だったりする。そういう人を夜中に自宅近くに張り込んで追うんです。もともと会社でやっていたことが突然犯罪として表沙汰になって追求される立場になってしまう人。昔から引き継いでやっていたことで、濡れ衣みたいなことが多い。特に人を殺めたような事件でもなく、犯罪構成要件というのがよくわかんない。若造がそういう人を追うんですよ。

聞き手:へえ〜。なんだかますます刑事ドラマみたいになってきた感じ。

中戸川さん:いや、ほんとの話。それで、夜、人に会って聞いた話を翌日検事に会って「今こんな感じらしいですよ」とちらっと話すわけ。基本的に相手はインタビューする側が知っているレベルでしか答えてくれないですからね。「こいつ、何も知らんな」と思われたら答えてくれないけど、いろいろネタを探してきて核心に触れるようなことをちらっと出すと、「おっ」と思って答えてくれたりするんです。俺らの日常の会話でも一緒だと思いますけど。そういうのを日夜繰り返す。「こうですよね」と言って、相手が「おお」と言っただけでもヒントになって、先輩に電話して「認めてくれました」と伝える。そういうやりとりを繰り返していましたね。深夜に相手の自宅近くに蚊に刺されながら立っていて、何度、警察に尋問されたことか。誰を待っているかなどは言いませんけどね。

聞き手:すごいですね〜。定時なんて全くない世界。そりゃ、若くないと勤まらないですよね。

中戸川さん:でも、反省なんですけど、新聞は捜査機関に寄った記事を書くんです。例えば、ゼネコンの汚職があったら、ゼネコンの連中は悪いことをしていることを前提で記事を書くわけです。振り返ると、僕らが書いた記事に関する事件で逮捕された人達が20人くらいいたとしても、その後ほとんど無罪になってるんですよ。あれだけ悪いことしているという記事を書いたのに、結果、無罪じゃないかと。最初からバイアスがかかった形で記事を書かざるを得なかった。ライバル社も一杯いて、同じような記事が出ている中のひとつだし、競争もありましたしね。そういうのがメディアが一番よくないところだと思っています。人を奈落のそこに陥れようとする。。

聞き手:自分の意に反してでも会社のスタンスに従わないといけないわけですよね。

中戸川さん:そう。あれはどこだったかな、結構都心から遠いところだったけど、各テレビ、新聞10数社が毎日行きまくっている人がいて、ある日、その人家から出てきたら顔がものすごく腫れている。ストレスでそこまで腫れるかというくらい腫れているわけ。「悪いなあ」と思いながらもこちらも仕事だから止められない。テレビでよくやっているでしょう、質問しているけど相手は答えない、でも映像だけでも撮れば流せるからいいんですよ、テレビは。新聞は書くネタがとれないと話にならないですからね。

聞き手:確かに。それにしても、メディアは世論を左右する力がありますから、ターゲットとなった人はどこに行っても犯罪者扱いされてしまって、自殺しちゃったりとか。。

中戸川さん:そう。実際に自殺は特捜部の取材ではつきものなんですよ。やはり地位のある人達だから、特捜部から「聞き取りに来てください」と言われただけでも自殺する人がいるんです。特に秘書。親分を守らなければならないということで自殺する人が多いですよ。

聞き手:え〜、そんなに多いんですね。

中戸川さん:特捜部は世の中の目立つことをやるための組織ですからね。たとえば、最近、文科省の局長が息子を大学に不正入学させた問題が取り上げていますけど、ポジションが高い、スーパー高級官僚だから取りざたされたんだと思います。裏口入学の話なんて昔からあるわけですから。

聞き手:あそこまで連日クローズアップされてしまうと、その後どうなっちゃうんでしょうね。それまで輝かしいエリートの道を歩いて来た人が。

中戸川さん:もう静かに生きていくしかないんじゃないかな。そんな風に、普通に今まであったようなことが、誰が起こしたかによって突然事件になる。政治的なバランスで「あいつを消せ」というようなこともある。政治と検察はそういう関係ですよ。

聞き手:あの、森友学園の夫婦もあんなに長期牢屋に入れる権限はないはずでしょう?

中戸川さん:あれは牢屋じゃなくて拘置所ですね。牢屋に行く前の段階です。

聞き手:あ、そうか。

中戸川さん:推定無罪だから、まだ。受刑者ではなく被疑者というわけで、罪の疑いはあるけど確定していないケースです。

聞き手:それにしてもあんなに長期間入れておけるものなんですか?

中戸川さん:できますよ。検察が裁判所に許可を申し出てOKが出たら、ずっと拘置所に入れておけるんです。僕も1年目は東京拘置所に行って、被疑者に接見に来る弁護士を捕まえて話を聞くのが仕事でした。証拠隠滅を防ぐというのが拘置所に入れておく建前。森友も異常な長さで入れられていたでしょう。

聞き手:それって、今の政権になってからですか?

中戸川さん:いえ、ずっと前からそういう風です。捜査機関がそう思ったらそうなる。犯罪を認めたら出してやると言って、認めないとずっと入れておかれるわけです。よくその後の裁判で、「認めるように言わされていんだ」という人が出てくるでしょう。あんなところにずっと入れられていたら、認めてしまおうという気持ちになってしまいますよ。

聞き手:それ、本当に国家権力の怖いところですね。日本は法治国家でよかったと思うこともありますけど、法治国家って何だろうと思ってしまいます。一般市民として普通に暮らしている分にはいいんだけど、何かの拍子に事件に巻き込まれてしまって、犯罪者と間違って思われてしまったときが怖いですね。痴漢のえん罪のケースとか。

中戸川さん:おっしゃり通りですね。

聞き手:社会部でのお仕事は長かったんですか?

中戸川さん:いえ、記事も書かずに人を追っかけ回しているだけだったので、記事を書ける部署に異動させてもらいました。外食企業の動向を追う部署で、それはおもしろかったですね。マクドナルドやモスバーガー、ケンタッキー、和民がどうとか。外食企業は創業者が一人でたたき上げで始めたとか、バイトから社長になったとかという人がいて、そういう人たちの話は面白いし勉強になりました。ライバル社同士が競争合戦をやっているところを取材したり。リーマンショックの影響は特に外食にはなかったですけど、デフレでなんでもかんでも安いほうがいいという時期ではありましたね。

聞き手:その頃、280円の弁当を「いくら作っても儲からない」と半分泣きながら作っているおじいちゃんをニュースで見て、悲しくなったのを覚えてます。なんでも安い方がいいという消費者が多いけど、回り回ってそれが自分の首を絞めることになるってどうして気づけないかなと。

中戸川さん:モノが安いばかりだと賃金も安くて働く人も集まらないから、最近はちょっと変わってきているでしょう。消費者も二極化していると思いますね。とにかく安い方がいいという人達と、高くても良い方がいいとか。

聞き手:確かにそうですね。食品関係の担当はどれくらい?

中戸川さん:2年程度で、ちょうど東北の震災があった年に大阪に転勤になりました。もともと関西(兵庫県)の人間だから、関西のノリは分かっていたので楽でしたね。自動車部品とか機械系企業の取材を担当して、日本のものづくりや自動車産業のサプライチェーンのつながりが学べて勉強になりました。その次はエネルギー担当に。震災後でエネルギー問題はトピックとして重くなった頃ですね。関西電力(関電)は原発の比重が高い会社だから、原発事故後はとても影響を受けて、いろんなトラブルが起きたんです。そういうことをひたすら追いかけました。関西は震源地から遠いけど、関電は石油火力の利用を止めて、原発に経営資源をほとんど投入するような経営をしていて、事故後は、当時の政権の民主党が「原発は止めろ」という政権だったものだから、その影響を一番受けてしまったわけです。一日ごとに赤字が膨らんでいく状態でした。関電は「原発が使えないので停電しなければならない」と言う。それで、関電が言うことは原発を動かしたいだけの理屈じゃないかという論争も起きたりしました。

聞き手:へえ。現場におられただけあって生々しいですね。そういう取材を通してどうしたらよいと思われましたか?

中戸川さん:僕がいた新聞社は経済新聞だったこともあって電気料金が上がる事に対してネガティブなスタンス。「原発があったから電気料金が安かった。電気料金が上がるのはよくない」という論調の記事を書かなければならなかったんです。社論を書かなければならないのもストレスでしたね。電気料金が上がることに対して、原発再稼働も必要ではないかというトーンの記事を書いていてました。電気は貯められないから太陽光があってもダメだと言うけど、実際には停電を起こさず、原発なしでも何とかしのげたわけです。原発を動かしたいがために理屈を並べる人達がいるんですよ。

聞き手:福島でのようなことを考えても、日本のような災害大国で原発を使うのもどうかと思いますよね。

中戸川さん:そう、日本では福島でのようなことが起こりうることが見せつけられたわけですね。一度起きてしまうと事実上、半永久的に土地が汚染されて使えなくなる。でも原発を無くすこと、廃棄も難しい。無くすために最大限お金と知恵を投じるのもありだと思います。わけわからんものを扱っているのが原発なんです。今の識者が集まってもどうしたらよいかわかっていない。

聞き手:いやはや、次世代にすごいモノを残すことになってしまっていますよね。それで、大阪勤務はどれくらいでした?

中戸川さん:4年くらいでした。東京に戻ってからは経産省担当になったんですが、経産省はエネルギーを管轄している役所なのでまたエネルギーを担当しました。エネルギーをじゃんじゃん使う時代が終わりつつあることを感じる日々でしたね。自動化などのイノベーションのもと、化石燃料を使わなくなっていく方向にあるでしょう。それはそれで中東の国々で困る人達も多いだろうと思いますけど。経済を石油に頼っている国々―ああ、サウジアラビアなんて、やっと女性も車の運転を許されるようになったんですよね。

聞き手:そうですね。男女平等問題は大きいと思いますけど、日本もそれはかなりの問題ですよ。男女平等ランキングというのがありますが、2017年度ですと、対象国144カ国中、日本は114位ですから。経済(的参加度)、教育(達成度)、健康(と生存)、政治(的権限や地位)の4つの指標個別のランキングでは、経済が114位、政治になんて123位です。健康は当然1位ですけど(笑)。つまり日本では女性の社会的地位や参加度は、発展途上の多くの国々より遅れているというわけです。

中戸川さん:戦後は国会には女性がもっといたと思いますよ。新しい民主主義だということで。社会が安定するとともに減っていったんですね。専業主婦率が高いのはなにも日本の伝統ではなくて、昔は女性も普通に仕事をしていたけど、郊外に住宅ができて核家族が増えていったころから、専業主婦も増えていったんじゃないですかね。

聞き手:都市化、核家族化で子どもを面倒見てくれる人がいなくなって、ということですね。

中戸川さん:この専業主婦問題は根が深い。男の心理の裏にはそうのがすごくあると思います。

聞き手:妻に働かせないのが男の甲斐性だと思っている?

中戸川さん:というか、これまで企業による男の働かせ方がそうだったでしょう、今でもまだまだそういうところがありますけど。転勤や勤務時間の長さ。男は家のことは何もできないようになってしまっている。働く側はそれでいいとは思っていなくても、人生、企業とともにあり、という感じ。

聞き手:終身雇用、年功序列。でも、今はまったくそういうのに頼れなくなってますよね。「それでどうしますか?」と突き付けられています。

中戸川さん:僕は、親世代の話は参考にならんと思ってます。価値観が違わないとこれからやっていけないですから。

聞き手:AIでいろんな仕事が淘汰されていくと言われていますしね。私はまだしも、これからの世代の人達、どう社会を生きていけばいいんだろう、と思ってしまいますね。この辺、中戸川さんはどう思われますか?

中戸川さん:俺はまともに教育を受けた気がしていないんでよくわからないけど(笑)、好きなことをとことんやるしかないと思います。虫が好きならとことん虫のこと追いかけ回していくと、どこかで価値が生まれるんではと思います。

聞き手:ひとり一人の個性をとことん伸ばしていくわけですね。でも、日本はそういうの得意ですかね。幼稚園のかけっこで順位をつけないとか、みんな同じであることを重視しますでしょ。

中戸川さん:そういうの、僕は雷同性といっているけど、この前、私立小学校に見学に行ったら、先生達みんな同じような格好をしていて。あんなのを見るとおかしいと思う。一人だけ違う格好をしているのは目立つし控えようとする日本人のメンタリティー。

聞き手:自由な発想でイノベイティブなものを生み出せる国々と日本とでは教育が相当違いますからね。今になって、政府はイノベーションを起こせる人材を育てていかなければと言ってますけど。まず教える方の育成をどうするのかと思うと、時間かかりそうだな〜と思います。ところで、昨年、転職されたとお聞きしてますが、それはこれからの社会を見据えて、ということですか?

中戸川さん:そうですね。ずっと大きい企業にへばりついているイメージがあったんです。退職前は農業政策担当で、そこで土地の風土や歴史を考えるのが好きになりました。転職先は、創業7年の農業ベンチャー。都市と農業をつなぐというコンセプトで、都市住民に農的サービスを提供しています。農地を借り受けて農園をやるだけではなく、どれだけ財を生み出すかということも考えますよ。農業を儲かる仕事にしたい。その難しさは肌身に感じていますけどね。大企業も悩んでいて、相談を持ちかけられることも多いんです。これから従業員を食わしていくために何をするか、人口も減っていくし、ということで。AIが入ってきて、人口も少なくなる、となるとパイも小さくなるし、あまり成長の道が考えられないわけです。大企業など体力のある企業なら海外に出ていって勝負というのも考えられるだろうけど、日本の企業の大半が中小ですからね。20年、30年後を考えたときに、道路を作る仕事が果たしてあるかというと、ね。

聞き手:そう、変化が急速で、5年、10年先だってどうなっているんだろうと思いますもんね。でも、農業は沢山の可能性を秘めているんじゃないですか?日本の農作物は質が高くておいしいから、海外でも果物なんて人気でしょう。

中戸川さん:そうなんですよ。おいしい!いちご、ぶどう、もも。農作物の輸出は伸びていくと思うけど、ポイントはマーケティング。農家の方々は作ることの専門家で、マーケティングしてどう上手く市場につなげていくか、なんて知らない。そこに援助の必要性がある。ただ、輸出となると、生鮮品だから時間的制約があるのがネックですね。近場の国しか対象にできない。果物なんて、アメリカに空輸したらすごく高額になってしまう。

聞き手:そうですね。逆に輸入について考えると、目下のところ、日本は食物の6割を輸入に頼ってますよね。

中戸川さん:貿易自由化の流れもありますね。日本は自動車をはじめとする工業製品を輸出したい、だから関税を下げてもらう。その代わりに日本は相手国から農作物を輸入して関税を下げてね、というバーターになっているわけです。その犠牲が農家にいっているわけで、かわいそうな部分もあります。

聞き手:確かに、その視点も大切ですね。これからの変化の激しい時代、中戸川さんは今後どんなふうに生きていこうと?

中戸川さん:う〜ん。大切にしたいのは価値観の多様性ですね。凝り固まらず、フレシキブルでありたい。そして、10年、20年後どう変わっていくか見届けたいなと思う。

聞き手:見届けたい?客観的ですね(笑)。

中戸川さん:元記者としての野次馬的な見方かもしれないです(笑)。農業の価値を上げていきたいけど、明るい未来が待っているとも思っていないし、人口が減っていくのは大きな話で、農業は変わらざるをえない。その変化は見届けたい、という気持ちです。どうしても客観的に見てしまう。自分で「こうします」という言い方はあまりなじまないんです。フリーの記者業務もやっていきたいと思ってますが、転職は価値観を変えたいというのが一番でしたね。若い人も一杯農業ベンチャーに入ってきているし、おもしろいですよ。若い人が増えていくのはいいことだと思います。みんな、これからの日本どうにかしなければという思いが強い。そういった新しい血が入ってきて、変わっていくんです。企業はなくなることがあるし、市場が消滅することもあるけど、農業は産業的にはなくなることはないですからね。

聞き手:ある市場が消滅したからといって、自分も消滅しては意味がない。そこでフレキシブルに価値観を変えて生きていけるか。そういった力がこれからますます必要になっていくわけですね。

中戸川さん:そう。子ども達にとっても、いろんな意味でおもしろい大人が必要なんだと思いますよ。

聞き手:同感です!今日はすごく勉強になりました。ありがとうございました。


(10:15)

2018年08月15日

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夏休みさなかのコモンミールは、するする食べられて夏バテ防止になりそうなネバネバ食材をどっさり使って。

・ネバネバ丼(長いも、オクラ、なめこ、納豆)
・モロヘイヤのスープ
・つるむらさき入りのナムル
・相馬ミルキーエッグの卵焼き
・ようかん(おみやげ)
・ぶどう(おみやげ)

お盆前で留守にする居住者も多いなか、当番Zさんのお姉さんファミリーが来てくれて大盛り上がり。
おいしいフルーツのおみやげもいただきました!

相馬ミルキーエッグはこんなかわいいパックに入ってます。
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(13:20)

2018年08月07日

かんかん森は、毎年8月が夏休みで、定例会とコモンミール当番がお休みになります。
ですので原則的には今月コモンミールはないのですが、先日のバーベキューがあったり、他の月の分を8月にやる住人がいたりで、ちょこっとだけコモンミールの予定が入ります。

そんなわけで、今日もコモンミール。
スイカは当番Wさんの差し入れです。
大きなスイカだったそうでコモンでは食べきれず、希望者への持ち帰り用もありました。
(もちろん我が家はありがたく持ち帰りました 笑)
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(22:00)

2018年08月05日

毎年夏になると、肉の伝道師Fさんとパパたち主催のバーベキューが行われます。
元居住者などゲストも沢山参加してくださり、今年もにぎやかでした。
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Fさんのこだわり(?)で、お肉はすごい量!
最後にはSさんが仕込んだタンドリーチキンも出てきて、食べる私たちは大満足でした。

子どもたちは、食後にすぐそばの公園で、これも毎年恒例の花火です。
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エアコンの効かないコモンテラスでずっと火のお世話をしてくれたFさんとパパさんたち、おかげさまで楽しい時間を過ごせました。ありがとう!



(22:00)
かんかん森The Interview第9回 豊さんのインタビュー続編をお届けします。肺結核のゼータク病人時代を経て細田商会に転職し、債権取り立て係から、天職とも言える営業担当となった豊青年のその後は?



豊さん:当時、細田商会はデビアス(ダイヤモンドの採鉱・流通・加工・卸売会社)の代理店をやっていて、デビアスから工業ダイヤを輸入して日本の工場に販売していてね。わたしは営業担当として工場長や仕入担当の人達を接待して親しくなって、年間契約を取れるように頑張ってたなぁ。細田商会がデビアスの傘下に入って、わたしはデビアスの社員になったんだけど、当時の私の売上記録は今も破られていないんですよ。

聞き手:すご〜い!大いに遊ぶ人は仕事も大いに出来るって聞くけど、豊さんもそうだったんですね!

豊さん:そうですよぉ(笑)。年に2回サファリツアーもやってね。私はその世話役として、南アフリカに10数回行きましたよ。あの頃はデビアスが南アフリカの経済を牛耳っていたから、大統領よりデビアスのほうが力があって。治安が悪いというけど、私たちが行くところにはお付きがついてきてくれたから安心して観光できたんだね。

聞き手:南アにサファリツアー!なんてバブルな!いろんな動物を見られたんでしょう?

豊さん:見たねえ。ライオンがインパラを襲って食べるところなんかね。夜は動物の目だけが光っていて怖いの。砂漠で泊まる時は、ホテルなどないから、竹を周囲に張り巡らして、入り口には火を燃やして、その内側で寝ましたよ。

聞き手:ワイルド〜!よくライオンに食べられませんでしたね。

豊さん:全然、大丈夫。ああ、食べると言えばいろんな肉を食べましたよ。インパラが一番おいしかったな。ワニも鶏肉みたいでおいしいけど、カバは臭くて食べられなかった。基本的に肉食動物の肉は臭くて食べられないんだよね。

聞き手:へえ〜。肉はいいから、私もサファリツアー、一生に一度はしてみたいです。ところで、豊さん、今の趣味って何ですか?

豊さん:もう今はあんまり体も動かなくなっちゃったからね〜。今の一番の趣味は競馬。競馬サークルの人達と福島とか札幌とか、自分の持ち馬がレースに出るときには見に行くので、その際に温泉に行くというの続けているけどね。わたしが競馬に興味を持ち始めたのは結構遅いんですよ。今から20数年前、そう、定年のちょっと前くらいだね。

聞き手:何がきっかけですか?

豊さん:えーっと。あ、そうそう、競馬の前にハマっていたのがスキューバダイビングでね。

聞き手:また、飛びますねえ!(笑)

豊さん:まだ、30代で営業でバリバリやっていた頃なんだけど、会社が銀座6丁目にあってね、接待は銀座だけど会社の連中と飲みに行くのは新橋だったわけ。飲んだ後にコーヒーとか欲しくなるでしょう。それでいつも立ち寄っていたコーヒーショップがあって、そこのちいママと仲良くなってね。彼女がダイビング好きで、誘われてするようになったのね。仲間とボルネオやフィリピンなどあちこちのダイビングスポットに行ったなぁ。

聞き手:へえ、海外にまで行かれていたんですね。

豊さん:そう、ほとんど海外。でも、沖縄も素晴らしかったですよ。で、ある日、佐渡のコブダイを見に行こうということになって、皆と行ったんだけどその中に初心者がいてね。100本潜らないと一人前じゃないというところ、その人はまだ10本程度しか潜った経験がなかった。潜るときは安全のために2人組で潜るんだけど、そのとき、私はその初心者と組むことになってしまってね。前の晩は両津港でおいしい牡蠣を食べたり酒を飲んだりしたもので、翌朝調子悪くてなかなか耳抜きができなかったわけ。でもペアの相手がさっさと潜っていってしまうものだから、初心者だし世話をしなければと、耳抜きができないまま潜ってしまったんだね。それで水面に上がってきたら、耳や鼻から血が出てきてびっくり。鼓膜を破ってしまったわけ。それできっぱりダイビングを止めました。300本以上は潜ったからもういいかなと思ってね。

聞き手:そうなんですね。車の事故の時といい、アクシデントが起きるときっぱり止める性質みたいですね。

豊さん:そう、その辺はさっぱりしてるね。

聞き手:それで、どう競馬につながっていくんですか?

豊さん:ダイビングを止めた後も例のコーヒーショップによく行っていたんだけど、そこには競馬サークルの連中も来ていて、いろいろ研究していたわけ。それで、彼らと顔を合わせているうちに引っ張り込まれてしまってね。それからは、サークルの会長と毎年馬を2頭ずつ買うことになって、多いときは10頭くらい持っていたなあ。

聞き手:馬を買うって、数十万とかで買えないでしょう?

豊さん:馬は安くても1頭2000万円はしますよ。

聞き手:え〜、じゃあ、毎年何千万円も馬にはたいていたんですか?

豊さん:いやいや、複数の人たちとの共同購入でね。一口いくら、というもの。馬を所有する会社が買い手を募集して、それがいい馬だと思うと購入するわけ。一時は持ち馬が年に10勝くらいしたこともあってね。翌年はその賞金で馬を買ったりして。でも最近は負けてばっかり!

聞き手:へえ〜、もともと馬はお好きだったんですか?

豊さん:そうね。大学時代には乗馬クラブに入ってましたね。

聞き手:あれ?大学の時はスキー部に入っていたんですよね?

豊さん:あれは同好会、乗馬は部活。1年のときから馬の世話を続けて、ちゃんと乗せてもらえたのは3年のときから。馬は人を見るんだね、最初の頃は乗ろうと思っても乗せてくれないの。馬が嫌がる。だから世話をして関係を作っていく必要があるんだね。馬ってかわいいから、世話が好きというわけではないけど、ちゃんとやっていたな。

聞き手:乗馬は大学卒業後も続けられたんですか?

豊さん:いや、馬を飼って乗ると言ったって場所がないから、乗馬は大学時代だけだったね。でも、その経験があるから競馬が好きなのかもしれないね。

聞き手:ごひいきの騎手とかいらっしゃるんですか?

豊さん:いますよ。福永祐一。親父さんが落馬して脊髄損傷で寝たきりになってしまったんだけどね。祐一は性格もいいし、乗馬も上手い。そこをいくとYTは嫌い、親父が調教師で力があったから、よい馬を選んで自分の息子に乗せるんだね、いい馬に乗っているんだから成績がいいのは当たり前だろ、という話。何かにつけて話題になる馬に乗っているでしょう。それに比べて福永祐一はそれほど恵まれていないね。でも馬の個性を活かす乗り方をするところがいい。自分の見せ場を優先してパフォーマンス重視で乗る騎手は馬をダメにしてしまうことがあるからね。最近は外国人騎手が出てきて、本当に才能があるから、どの馬に乗っても速いわけ。日本人騎手には手強い存在になってきているね。

聞き手:よく競馬の勉強をするって聞きますが、どんなことされているんですか?

豊さん:そうね、まずそれぞれの馬の血統を見る。親父やお袋はどの馬だったか、特にお母さんの血統をずっと見ていく。その血統からどういう馬が出ているかね。それに、過去7,8レースはどういうレースをしてきたか。当該レースのタイムも調べる。血統として、雨降りでコンディションの悪い馬場が得意か、天気が良くて乾いている馬場が得意かも調べるのね。普通の馬は馬場が悪いと本来の走りができなくなるけど、蹄の面積の広い馬は馬場が悪くても安定感を持って走れて強いわけ。天気がいいときはビリのほうを走っている馬でも、雨の日には勝ってしまうことがあるんだよね。

聞き手:へえ〜深いですね。面白い。

豊さん:そうよ。それに、直線の長い競馬場と、カーブが多い小回りの競馬場があって、どちらに強い馬か調べたりね。速い馬はトップスピードで走るから直線が長い方が強い。カーブが多い小回りのコースの場合は、最初から1番で走っている馬にメリットがあるとも言えるの。なぜなら、インコースのいい場所を取れるからね。また、騎手との相性も考えないといけない。

聞き手:勉強しなきゃいけないことが盛りだくさんですね。

豊さん:そうよ、それで徹夜したことだったあるんだから。ボケ防止に役立ってます(笑)。

聞き手:いいですね〜(笑)ところで、騎手からこの馬に乗りたいって言うことは出来ないんですか?

豊さん:出来ないね。馬主が騎手を指名するか、もしくは馬主が調教師と相談して指名するか、だね。だから、騎手はいい馬の指名が来るように、出来るだけいい成績を残して馬主や調教師の信頼を得るしかないね。

聞き手:へえ、そうなんですね。今日はバラエティーに富んだお話を沢山お聞きできてすごく楽しかったです。こんな映画みたいな人生送ってきた人が身近にいるとは!!最後に、ご自身の人生を今振り返ってどうですか?

豊さん:わたしはいつも仲間に恵まれてきたと思うね〜。裏切られたこともないし、仕事でもプライベートでもいつもいい人たちに恵まれてきたなぁ。本当に良かったと思っています。

聞き手:それは豊さんのお人柄がそういう人達を呼んだとも言えるんじゃないかと思います。これからもかんかん森のBig Daddyとしてずっとお元気でいてください!ありがとうございました。

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(09:34)

2018年07月28日

周年パーティのことを書き終えたら気が抜けてしまい(?)しばらく更新していませんでした。。。

かんかん森では7月も、相変わらずコモンミールが開催されています。
今日のメニューは冷やしうどん。
休暇をとる住人が提供してくれたというお野菜も使って、300モリ。ありがたいです。

丸く切られたお豆腐は「筒豆腐」と言うそうです。
広島出身の調理担当さんが用意したもので、西日本ではポピュラーなものなんですね。
関東地方出身の私ははじめて食べました。

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(22:00)

2018年07月22日

かんかん森The Interview第9回は、かんかん森在住歴14年にして最年長の我らがBig Daddy豊さんの登場。2時間半、たっぷり語られたエピソードの数々は、破天荒だったり、潔かったり。加山雄三の若大将時代の映画(観たことないが!)に出てくる友達のような趣味の連発。そこには小さい頃から一環して明るくて面倒見がいい豊さんがいる。さて、そのワンダフルな人生とはいかに!(長編のため2回に分けてお届けします。)



聞き手:どんな少年時代だったんですか?

豊さん:結構な腕白坊主でね、幼稚園から「明日からもう来なくていいです」と言われ退学になってしまって。いったい、何をやったのか覚えていないけど、お袋は、「もう行かなくていいから」と言うのでこれ幸いとばかりに、2才上の兄は毎日園に通っているのに、自分は近所の子どもと遊び回っていました。

聞き手:園児にして追放ですか!お母様がそれに動じないのもいいですね。その頃、時代としては戦争の影響などあったのでは?

豊さん:そうね、終戦までの1年半ほど、親元を離れて栃木県のほうに児童疎開してましたね。。まだ小学1年生だったので親が恋しかったけど、しっかり者の兄がいたからよかった。東京出身で、帰る田舎というものがなかったので仕方がなかったんだね。食事はまずいし、人魂が出るし(!)、地元の子ども達にはいじめられてばかりいたし、つらい思い出しかないなあ。終戦になって東京に戻ってきて、幸運にも家も両親も無事で、また家族揃っての生活が始まって。戦後の復興が軌道に乗るまで、そうだなあ、中学生になるまでの日本は貧しかったなぁ。

聞き手:小1で親元を長期離れるなんて辛い体験をされたんですね。その後、小学校ではまた腕白ぶり発揮でしょうか?

豊さん:わたし、これでもその頃は水泳も得意だったし、走るのも速かったんですよ。小学6年のときには身長155センチくらいあって結構大き方だったから、相撲も強くてね。相手を投げ飛ばして粋がっていたなぁ。水泳では5年生のとき港区の記録を持っていたこともあるの。兄貴は頭が良い優等生だったけど、スポーツはわたしのほうが出来ましたね。

聞き手:へえ、意外にもかなりのスポーツ少年だったんですね。

豊さん:そうですよ。一方ね、高校時代だけど、ハワイアンバンドのマネージャーをやっていたこともありますよ。ハワイアン歌手の弟がそのバンドのマスターをやっていてね。わたしは練習場所を探して予約したり、演奏スケジュールを設定したり。でもお客が集まらないこともあってね、困ったこともあったなぁ。

聞き手:えー!これも意外。そんな事務方の役回りをされていたとは。

豊さん:そういう事も結構好きなんですよ。浅草通いを始めたのも高校生の時からだね。あの頃の浅草には面白いところが一杯あってね、OSK(歌劇団)のレビューを見たり、映画館に行ったり、飲み屋に行って、じいさん達とワイワイやったりね。今でもある神谷バーにもよく出入りしたな。

聞き手:高校生で飲み屋通い?それこそよく追放になりませんでしたね(笑)。

豊さん:そうだね(笑)。親父が通産省(現 経産省)の役人で、お袋は料理上手ときているから、親父はしょっちゅう家に部下を呼んで宴会をやっていたんで、子どもの頃からこっそりお酒を飲むことを覚えてしまったんだね。

聞き手:お酒とのお付き合はその頃からですか!じゃあ、高校時代はスポーツはされなかったんですか?

豊さん:いや、水上スキーに熱中してましたよ。兄が始めたので自分も、ということだったんだけど、その頃はまだ日本にモーターボートというものがなくてね。アメリカから輸入してたから高くて買えない。そこで、競艇場でボートに引っ張ってもらったりして。

聞き手:えっ?競艇場ってそんなサービスするんですか?

豊さん:いや、皆にしてたわけじゃないけど、兄貴が話をつけてきたんだね。山中湖などの湖にある観光用の2人乗りモーターボートにも特別に頼んで引っ張ってもらったりしてましたよ。楽しかったなあ。

聞き手:なんとう高校時代でしょう!?映画みたい。めちゃくちゃ楽しんでましたね。

豊さん:そうね〜。大学生になってからは、スキー同好会に入って、今度はスキーにハマっちゃって。大学の寮が蔵王にもあって、毎年冬の3カ月間合宿してスキー三昧だったなぁ。

聞き手:え、3カ月も?授業はどうしてたんですか?

豊さん:まあ、ちょっとサボってね。同好会の他の連中は入れ替わり立ち替わり来ていたけど、わたしは結構ずっといて(笑)。その甲斐あって、スキーの腕前は指導員になれるくらいまで上がったけど、指導員になるには1年間の指導経験が必須でしょう。学生の自分にはそんな経験ないから、免許は取れなかったね。

聞き手:結構なスキーヤーだったんですね。想像出来ないけど、すごいなあ(笑)。

豊さん:そうそう、趣味と言えば、高校生時分から温泉巡りを始めてね、これも兄貴の影響なんだけど、社会人になっても続いて、北は北海道、南は沖縄までずいぶんいろんなところに行きましたね。兄は文学青年だったんだけど、あるとき、白骨温泉の宿に1週間泊まって読書を楽しんでいたら、温泉の女中さん達が入れ替わり立ち替わり兄の部屋に様子をうかがいに来たというんだね。どうも、自殺するんじゃないかって心配されてたらしい。若い男一人、部屋もあまり出ずに1週間も泊まっているなんて珍しいことだったんだね。

聞き手:へえ、面白い。お兄様からはいろんな影響を受けていらっしゃるみたいですね。

豊さん:そうだね、兄には車の運転も教えてもらったなあ。でも、事故を起こしてしまってから運転はすぐに止めましたよ。あれは、大学を出て就職してまだ間もない頃でね、当時、仕事で長野にいたんだけど、冬で道路も凍てつくある晩、酔っ払って運転していて、橋のところでスリップしてしまって。ガソリンスタンドの建物に突っ込んでしまったの。幸い夜で無人だったので、自分がちょっと怪我をしただけで済んだけど、それ以来、きっぱり運転は止めました。

聞き手:その辺、潔いですね。ある意味、車よりお酒を選んだといいますか?!当時どんなお仕事されていたんですか?

豊さん:大学を出てから、鉱山会社に就職して、当初は3カ月毎に違う山に行って研修を受けてました。その後、島根県の鰐淵鉱山に配属されて労務管理の仕事をすることになってね。毎日必ず現場を見に行くことになっていて、発破を掛けるところにいたから、毎日灰燼を吸い込んでいたんだろうね、肺結核を患ってしまって。鰐淵というところは「弁当忘れても傘を忘れるな」というくらい、よく雨が降って冬は相当寒くてね。たびたび風邪も引いていて体が弱ってもいたんだろうねえ。それで病院に入院したんだけど、ちょうど、当時は、三者併用療法といって、パス、イソニアジド、ストレプトマイシンという3つの薬を併用する効果的な治療法が日本に導入された頃でね。わたしは両方の肺が結核に冒されていたんで手術は出来ないから薬で治すということになって、1年療養すれば治るという話だった。でも、入院中に仲間ができてしまってね〜。警察とか、料理屋の親父さんとか、税理士とか、いろんな人たち6人の仲間でね。一番上でも50才くらいで、私が一番下っ端。それでみんなで温泉に出掛けて、その後で飲んじゃうわけ。

聞き手:えっ、脱走ですか?

豊さん:そう、脱走。帰ってくると婦長にこんこんと小言をもらってね、1週間おとなしくしているんだけど、うずうずしてきて、また出掛けてしまって。それを繰り返していたから、結局、1年で治るというところ3年かかってしまった。

聞き手:え〜、3倍ですか!ゼータク病人!(笑)

豊さん:いやあ、充実した療養生活だったね(笑)。というのは、会社から給料が出続けていたし、結核なんとか法というのがあって給料と同じくらいの補助金がもらえたし、お袋からは同じくらいのお小遣いを送ってくるしで、懐具合が良くてね。そうなると、まだ若かったから遊びに行きたくなっちゃって。だから鳥取や島根の温泉は軒並み行ったなあ。

聞き手:その頃って病院は患者の出入りに結構ルーズだったんですね。今は全く出来ないでしょう、そんなこと。体がつらいことはなかったんですか?

豊さん:初期段階の結核だったから、あまりつらくはなかったんだよね。結核が治ってから、今までのような労働条件の所は向いていないということで、高校時代の先生から、細田商会はいい会社だからと紹介してもらってね、入社したの。大学は法学部だったから、その知識を活かしてということだろうね、債権取り立てを担当することになって。でも、ある日、債権を抱える会社の社長の実家行ってどれくらいの資産があるか調べたんだけど、何にもなくて馬鹿らしくなって温泉に行ってしまった。それで、もう取り立て係は向いていないということで、営業に移してもらったのね。

〜〜〜〜〜〜〜カット!〜〜〜〜〜〜〜〜

お楽しみのところすみません!豊さんのインタビュー、あまりに長編なので2回に分けて掲載させていただきます。豊青年の営業マン時代から現在の趣味の深いい話までますます豊節が炸裂します。続編のアップは2週間後です。乞うご期待!

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(08:09)

2018年07月01日

かんかん森The Interview第8回目は、アジアンテイストのファッションが似合いそうな、やさしい雰囲気の女性、Nさん。自分では「淡々と生きてます」と言うけれど、いや、内側に熱い情熱を秘めたチャレンジャーそして国際派とお見受けする。それは今回のお話の展開からわかります。さて、始めましょう。



聞き手:以前からお聞きしたいと思っていたんですが、お仕事でよく海外に行かれていますよね。どんなお仕事をされているんですか?

Nさん:NGOで働いてます。私はマレーシアとスリランカのプロジェクトを担当していて、会議や進捗確認、事業計画のために昨年は2か月に1度いずれかの国に行ってました。

聞き手:へえ、そうだったんですね。マレーシアではどんなプロジェクトをやっているんですか?

Nさん:高校生や大学生を対象とする現地社会や英語を学ぶプログラムです。学校側から団体(NGO)にアプローチが来ることもあれば、こちらからすることもありますが、基本的に個々の学校の要望に応じたオーダーメイドのプログラムを作っています。マレーシアはマレー人、中国人、インド人の他民族国家ですし、英語を話せる人も多いから、多民族共生社会を学ぶにも英語を学ぶにもうってつけの国なんです。

聞き手:確かにそうですね。マレーシアは英語をある程度話せる人が多いけど、ネイティブではないから、日本人が片言の英語を話しても優しく対応してくれるから話そうという気になるって聞いたことがあります。

Nさん:そうなんです。学校の担当者からも、欧米に留学した学生は「話せなかった・・・」と戸惑った気持ちで戻ってくることがあるけど、マレーシアに留学した場合は、「間違ってもまず話せばいいんだ!」と勇気をもらって戻ってくるって聞きます。

聞き手:いいですね〜。使える英語を学ぶファーストステップとしては理想的ですね。

Nさん:そうですね。それに、留学先として学校側は安全を第一に考えますが、その点でもマレーシアは安定していますね。アセアン諸国の中ではシンガポールも安定した先進国ですが、都市化されすぎている感じ。マレーシアなら都市と農村の生活両方を体験できますし、環境、開発、多民族などいろんなことが学べます。

聞き手:授業は現地の大学や高校で受けるんですか?

Nさん:前はそうしてましたが、現在は独自の英語学習プログラムを実施してます。英語だけではなくて、現地の歴史や社会、文化など要望に応じて、現地の講師を手配して講義をしてもらいます。多民族共生をテーマにする学校もありますよ。「みんな分かれて暮らしているので共生などしていないじゃないか。」という学生もいれば、「お互いに相手を配慮して生活しているのを感じる。」というシニアの方もいます。いろいろ感じ取ってもらえればよいと思っています。

聞き手:なるほど、そうしたプログラムのアレンジや引率、大変そうだけど面白そうですねえ。スリランカのプロジェクトはどんなものですか?

Nさん:スリランカは2009年まで約30年間内戦をしていました。その復興事業で、現地事務所から車で一時間ほどの漁村でプロジェクトを実施してきました。現地では、漁業は男性の仕事と考えられていますが、内戦で夫や父親を亡くした女性が少なくないんです。でも、女性には仕事の口が少ないし、仕事に就くトレーニングを受けていない場合が多いんですね。そこで、女性たちが収入を得られる仕事を作ろうと目を付けたのが、サリーです。

聞き手:あの、民族衣装の?

Nさん:そうです。結婚式など特別なイベントの際に身に着けたりしますが、公務員など以外は普段は着ることがなくて、日本の着物のようにタンスの肥やしになってしまっていることが多いんですね。この点に着目して、現地の女性たちに手解きをして、サリーを洋服やバック、アクセサリーなどに作り替えて販売しています。私たちが主に行うのはマーケテイングや販売の支援ですね。

聞き手:作ったものはどこで販売してるんですか?

Nさん:スリランカは現在経済発展が目覚ましくて、観光業も伸びているんですね。欧米諸国からの観光客がとても多いんです。そういった観光客対象のお土産屋さんに商品を置いてもらっています。売れ筋はバッグ類です。

聞き手:日本でも買えるんですか?

Nさん:ええ、日本でもイオンのFairy’s Favorite にバッグ類だけですけど、置いていただいています。それから、元スタッフが立ち上げたオンラインのセレクトショップでも取り扱ってくれています。

聞き手:へえ、ぜひサイトチェックしてみます!

Nさん:この事業は、助成金事業としては2018年3月で終了したんですけど、元スタッフたちが現地の会社引き継いで継続しています。販路の維持拡大や搬送手配など女性たちにはできないので、そこを仲介しているんですよ。団体としても今後も見守っていきます。

聞き手:そうですか。やはりプロアクティブな方々が多いですね〜。では、他にお仕事で行ったことのある国で印象に残っている国はありますか?

Nさん:う〜ん、東ティモールですね。

聞き手:東ティモール?すみません、東ティモールって国でしたか―?

Nさん:そうですよ。インドネシアのすぐ近くにあります。

聞き手:そうですか。私、結構、世界地図見るの好きなんですけどノーマークでした。。

Nさん:東ティモールはポルトガルの植民地支配に続いて、1970年代にインドネシア軍に占領された歴史があって、2002年に独立したんです。石油収入に依存した経済です。

聞き手:そうですか。人口はどれくらい?

Nさん:120万人くらい。それに、平均年齢が19歳なんですよ。

聞き手:きゃー、19歳?!すごく若いですね〜、びっくり!

Nさん:そうなんです。そこが希望ですね。支配されてきた歴史が長くて、近代化されずにずっとやってきたから、自ら産業を興して国造りをしていく方向になかなかならないのですけど。

聞き手:そうですか。独立国としてまだ道半ばなんですね。

Nさん:スリランカは内戦から10年でNGOとしての活動を終えて、現地化しましたけど、東ティモールは国となった歴史が浅くて、スリランカとは国としての基盤が違いますね。東ティモールではNGOとして15年以上活動していますが、今後も続けていきます。

聞き手:国の情勢に応じて対応していくわけですね。ところで、Nさん、ご出身はどちらですか?

Nさん:大阪です。大学まで大阪で、就職して東京に出てきました。

聞き手:こういった国際協力事業に従事することになった経緯は?

Nさん:大学時代から国際協力に関心があったんです。大学を出て、東京で就職して、仕事のかたわら平日の夜や週末に国際協力関係のセミナーやボランティアに参加し、続けていくうちにいろいろな人と知り合い、その人達から「現場が一番おもしろいよ。」と聞いて、思い切って転職、ケニアに行ったんです。でもそこで英語力が必要であることを痛感して、イギリスの大学に留学しました。

聞き手:そうですか〜。それで、日本に戻ってきて今のNGOに?

Nさん:そうです。スリランカのプロジェクトがあるよと言われて、即行くことにしました。3年弱、ジャフナという北部の町に駐在しました。

聞き手:いきなりで躊躇しませんでした?

Nさん:いえ、海外の仕事をしたくて留学したわけだし。また、よく知らなかったから飛び込めた部分もありますね。

聞き手:それで、実際に行ってみてどうでしたか?

Nさん:スリランカはケニアに比べてアジアだなと思いましたね。

聞き手:どういうこと?

Nさん:ケニアの人達は、言いたいことを英語でストレートに言ってくるんですけど、スリランカの場合は、相手をいたわって遠回しに言ったり、気を遣ってやんわり言う人が多いんですね。どちらがいい、いやもないですけど。

聞き手:それで、スリランカのほうが馴染みやすかったと?

Nさん:う〜ん、個人的にはストレートなほうが好きなんですけどね(笑)

聞き手:えっ、そうなんですね!(笑)スリランカでは危険な目に遭うことはなかったですか?

Nさん:私が赴任したのは2010年の12月で、内戦の傷跡が残る時期だったんですね。場所によっては、通過するのに軍のパスがないと入れないところもあって、外国人の私が入るときは、特別な措置を出してもらうんです。外国人は全く標的にはならないので怖いと感じることはなかったですね。でも、内戦中は国の中で行き来が止まってしまうでしょう。外国人の私だったら簡単に行ける観光地でも、同世代のスリランカ人スタッフは30年以上生きてきても行ったことがなかったりして、話を聞いていると胸が痛むことがいっぱいありました。とにかく、そこでは自分が出来ることをしようと思ってやっていました。

聞き手:いや〜、ユニークな体験を一杯されていますね。

Nさん:そうですか?淡々と生きてますが〜。(笑)
聞き手:また海外に駐在したいですか?

Nさん:うん〜、長期はともかく、事業の立ち上げには参加したいと思います。また、日本も変わってきているので今は日本のことに向き合いたいと思ってます。

聞き手:そうですか。将来へのビジョンなどは?

Nさん:ビジョン―?特に野心や野望はないんです。世界平和や平等は願ってますけど。。私は出会ったもので進んでいくという感じですね。今までもそうですけど、「現場がおもしろいよ」と言われてケニアに行って、次に勉強でイギリスに行って、次に仕事でスリランカに駐在して、東京に戻ってきてスリランカとマレーシアのプロジェクトを担当して、逆に日本社会の問題に直面して―。そこから、海外に学生さんを送ってもっと学べるようにとやってます。やることはいっぱいありますね。

聞き手:常に全力で生きていると、そういう風に道が開けてくるんでしょうね。自分がこうしたいと思っていると、そういうものが来る感じがしませんか?

Nさん:え〜、全力というわけでもないんですけど。あ、ちょっと違う話をするようですが、最近、東ティモールに長く駐在していたスタッフが日本に戻ってきて、日本の子どもたちが気になる、日本は大丈夫か心配、ということで彼女はこの度、子どもや高齢者の方々含め誰でも立ち寄ることができる居場所づくりを担当することになったんです。日本にはコンビニ弁当を孤独に一人で食べている子どもがいるけれど、東ティモールでは子どもがいっぱいいて、ひとりでご飯を食べることなんてありえない。みんな鼻を垂らして、走り回って、歌って踊って、楽しんでいると。

聞き手:あちらでは引きこもる個室もないですもんね。貧しいかもしれないけれど、みんな連帯していて、お友達が一杯。

Nさん:そうなんです。

聞き手:その東ティモールから帰任された職員の方のアイデアがあって事業化するということですか?

Nさん:はい。日本の子どもの貧困が言われるようになって、何かしたいと考えていて、うちの代表もぜひ一緒にやりたいということで。

聞き手:それ、いいですね。職員がぜひこれをやりたいと挙げると、それにトップが共鳴してくれれば事業化してやっていけるということですね。

Nさん:そうですね、それが小さな団体のよいところかもしれません。

聞き手:ところで、Nさん、何か趣味はお持ちですか?

Nさん:仕事関係で、人とのつながりが国内でもいろいろあって、職場のつながりで知り合った人が市民農園をやっていて、週末にそこに行って野菜を育ててます。先日、かんかん森に入居されたKさんも一緒に畑に通っていたんですよ。

聞き手:へえ、その活動で知りあったんですか?

Nさん:いえ、まず、私の所属団体で彼女がインターンをやっていて知り合って、それから畑にも一緒に行くようになったんです。

聞き手:そうだったんですね。Nさんが、かんかん森に住むきっかけは何だったんですか?

Nさん:2013年にスリランカから日本に戻って来るまで、海外ではいつも誰かとシェアあるいは間借りして暮らしていたから、日本でまた一人暮らしを始める気にはなれなかったんですね。それで、ちょうど巣鴨のコレクティブハウスに住んでいる友人がいて、コレクティブハウスの生活もおもしろいよ、大泉のコレクティブハウスに空きがあるよ、と紹介され、住むことになったんです。

聞き手:へえ、で、どうしてかんかん森へ?

Nさん:通勤に便利だからです。職場は神田にあるんですが、大泉から遠くて通勤が本当に大変でした。でも、かんかん森からは近いので楽になりましたよ。成田空港に行くにも便利ですし。
聞き手:かんかん森での生活はどうですか?

Nさん:係の分担とか忙しい面もあるけど、ゆるやかに、やれる範囲でやっています。コモンミールでは、料理を学べていいな、と思っています。

聞き手:同感です!今日は、いろいろ興味深いお話をありがとうございました。

マレーシアの村の行事
マレーシアの村の行事

旧正月のペナン
 旧正月のペナン



















(09:57)

2018年06月25日

記録係mです。

かんかん森では、周年パーティー毎に「森の風だより」という冊子を記録係がつくります。携わった今回は8号になります。
今まで一色刷りだったのですが、なんと今回はオールカラー☆!!
折り方も今までと違います。
畳んであるとA4サイズですが、広げるとA2のポスターの様に〜!!!
「かんかん森のどこが好き?」の質問に住人達が答えいます。
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今回初めて携わらせていただきました、m。
どのようなデザインにするか話し合い、デザイナーに依頼したり、イラストを描いたり、写真を選んだり、文章を住人に書いてもらったり、普段経験出来ない事ばかりでいっぱいいっぱいになりましたが、もう一人の記録係MとアドバイザーSに先導してもらい、楽しみながら進めることが出来ました。

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(18:00)