塞翁がジャジャ馬ー60代でも乳房再建ー

アラ還の主婦です。2011年に乳がんの手術を受けました。 右全摘、腋窩リンパ節郭清手術後、半年の化学療法を受けました。 2015年10月、自家組織による乳房再建(副直筋皮弁方)。 2016年7月、修正手術。 抗がん剤の後遺症で手足の末梢神経障害があります。 今は無治療ですが元気です。

この週末も、桜井へ。
土曜日にあった孫3、4の幼稚園の運動会へ。
天気が心配だったけど、皆んなの日頃の行いがよっぽど良かったようで、競技が終わるお昼頃までなんとか持ちこたえてくれた。
娘宅に一泊して、日曜日に帰って来た。
途中スーパーで買い物をして、秋刀魚が安かったので夕飯のおかずに買って帰った。

しっかり塩をして温めたグリルで焼く。

すだちと大根おろしを添えて頂く。
ちょっと小振りだけど美味しい!!

それとカボチャの煮物、小芋さんと大根、人参、小松菜、油揚げの具沢山の味噌汁。

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日本人に生まれて良かった〜!

秋刀魚を食べると思い出すのが、おばあちゃんのサンマ寿司。

二人目の長男が2歳の頃、転勤で実家のある四日市に移り住むことになり、夫の祖父母両親と同居となった。
当時はまだ祖父母も若く、義父の兄弟である叔父さんたちが家族と一緒に里帰りしてくる。
同居になってから生まれた次男を入れて9人家族。そこへ二人の叔父さん家族がきて、総勢19人になる。
仏間も客間もリビングも布団だらけ。

毎年、そんな年末年始を過ごしていた。

掃除やおせち作りで忙しいのに、おばあちゃんは決まってサンマ寿司を作る。
みんなが楽しみにしているのがわかっているだけに、これだけは絶対に欠かせなかったんだろう。

三陸沖で取れる脂の乗ったサンマではなく、紀州沖まで回遊してきて、程よく脂が抜けて痩せたサンマでないとダメなんだと、良くおばあちゃんが言っていた。
馴染みの魚屋さんに頼んでおいて、20匹ずつ二回に分けて作っていた。

道の駅などで売っているサンマ寿司には腹開きにしたものもあるが、おばあちゃんのは背開きにしていた。
塩をしてから暫くして一旦水で洗ってから酢で〆ていたように記憶している。
酢も、普通の酢ではなく、ダイダイを絞った汁につけていた。
茶の間に座り込んで、バットの中で酢に浸かっているサンマを一匹ずつ手に取り、叔父さんや叔母さん達と楽しそうにおしゃべりしながら、丁寧に骨を取っていた。

初めて見た時、酢飯を作るのに、そんなにたくさんお砂糖を入れるのかと驚いた。
田舎風なので、味が濃い。確か、お米一升に酢と砂糖を一合ずつ入れていた。
棒状にした酢飯にサンマを乗せてギュギュッと握って並べていく。

叔父さん達は何よりも先に嬉しそうにサンマ寿司を食べていた。

座る暇もないくらい忙しいし、紅白も見れないし、そんな大晦日が嫌で仕方なかったけど、今思えば幸せなひと時だったんだなあ。

次男が5歳の時に義父が亡くなり、翌年おじいちゃんが亡くなり、おばあちゃんはだんだん台所には立たなくなっていった。
それでも90歳くらいまではサンマ寿司を作っていたと記憶している。
その後、少し認知症が出てきたけど、100歳と半年で亡くなるまで、それほど手のかかることは無かった。

おばあちゃんにしかできないサンマ寿司や茶粥やゴマ入りの白和え。

あゝもっとキチンとレシピを聞いて、書き留めておけば良かった。
茶粥や白和えは作ったことがあるけど、サンマ寿司は作ったことがない。

今度、新鮮な痩せたサンマが手に入ったら、挑戦してみようかな。
きっとおばあちゃんの味には程遠いだろうけど。







9月27日(水曜日)形成外科の診察日だった。

5月30日に二度目の修正手術をしてから四ヶ月がたった。
一度目は二泊三日で入院して、全身麻酔による手術だったが、今回は日帰りで部分麻酔。

優肌絆を貼っていたが、一ヶ月半くらい前にテープにかぶれたのか、赤くなってヒリヒリしてきた。
そういう時はテープを貼らずに軟膏を塗るように言われていたので、その通りにしていた。
テープかぶれは治ったが、まだ少し赤みが残っていたので貼らずにいた。
その事を主治医に言うと、もう傷も柔らかくなっているので、貼らなくてもいいとの事。

いつものように座ったまま診察。
やはりまだ再建胸の方が大きい。
健側は雫型だが、再建胸はお椀型。
そして気になっていた凹みは、少し改善されたようだ。

もともとお臍があったところだから、仕方がないのかもしれない。
もっと思い切って脂肪を取った方がいいかも知れないねと主治医。

🐴もうこのままでもいいかなとも思うんですが。

👨‍⚕️そうですね〜。でも、脂肪の吸引もできるようになったんで、この辺りの脂肪を吸引した方がいいかもね〜。

🐴じゃあ、乳頭を作るついでにできませんか?

👨‍⚕️うーん、それだと、乳頭の位置が変わってしまう事があるから……ああでも、ちょうどいい位置だから、ここを切って、脂肪を吸引して、少し乳頭の部分に足すといいかも。

🐴早く終わらせたいという気持ちがあるので、一度でできるなら、それでお願いします。

ということになって、11月13日に脂肪吸引と乳頭作成手術を一度にしてもらうことになった。

やっとゴールが見えてきたようで、心が軽くなった。素直に嬉しい。

2015年10月の再建手術の時の傷跡は、場所によっては殆ど分からないくらいになっている。
2016年7月の1回目の修正手術の時の傷跡もかなり薄くなっている。
2017年5月30日の今回の傷跡も同じような経過を辿れば、来年の夏には孫たちと温泉に行けるかな?

我が家にやってきた猫の悟空ちゃんは、どんどん大きくなって、元気に家の中を走り回っている。
ウン◯が柔らかくって、次男がすごく心配していたが、市販されているキャットフードをやめて、ニュートロ何とかというフードに変えたら、まるでお菓子のかりんとうかと思うようないいウン◯をするようになった。
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先代猫のトラちゃんは堂々たる体格で、いかにもボス猫という感じだったが、悟空ちゃんはスマートで足が長い。
仔猫はあっという間に大きくなる。もう仔猫とは言えない。
11月になったら、去勢手術を受ける予定。可愛そうな気もするけど、しないわけにはいかない。

無事に悟空ちゃんの手術も私の手術も終わりますように🙏

娘と電話で話していた時、こんな事を言っていた。

いつもお兄ちゃんやお姉ちゃんと張り合って泣きべそをかいている孫3のKちゃんは、
みんなが孫4ばっかり可愛がって、自分は怒られてばっかりいると思っていたらしいが、

ジイジが撮ったKちゃんがヨチヨチ歩きの頃の写真を見て言ったそうな。

「何で僕を抱っこしたり、おんぶしたりしてるの?」
「だって、まだ小さいし、みんな、Kちゃんのこと可愛がってたんやで」
そう言うと、「ふーん。ありがとう」と言って、目に涙を溜めていたらしい。
なんと愛くるしいこと。

言葉で色々言っても通じないけど、こうして写真で自分が可愛がられていた事を目の当たりにすると、実感としてわかったみたいだ。
おかげで弟に対しても前より優しくなったようで、ジイジの写真のおかげだと持ち上げられて、ジイジはより一層頑張るに違いない。

前にも一度記事にしたことがあったけど、
Kちゃんの目はお兄ちゃんやお姉ちゃんとも少し違うし誰に似たんかねぇと良く皆で話していたけど、私の古いアルバムを見ていて気がついた。
私の小さい頃にそっくりだった。
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60年ほど前の写真
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これはKちゃん

こうして並べてもよくわからないけど、娘は私の小さい頃の写真を見てびっくりしていた。

おまけに、泣き虫で、一度泣いたらいつまでも泣いているところも良く似ている。
楽しいアニメを見ても涙を浮かべたりするところもソックリ!

私は小さい時、サイレンの音や夜鳴きそばのチャルメラの音が聞こえると、わんわん泣いて、皆んなを困らせたらしく、
その時間になると銭湯に連れて行ったり、私の耳を塞いで皆んなで大声で話しをしたりと、家族は大変だったらしい。
自分でも泣き虫だった記憶があって、ある時、そう小学校高学年の頃、何かで急に泣き声で母に何かを訴えたら
「アホちゃうか、ええ歳して泣き声で!」と母に叱られて、ハッとした瞬間を覚えている。
それ以来少し大人になったような………

そんなバアバの孫だから、Kちゃんの泣き虫も仕方ない。
どんな大人になるのか 、ずっと見ていたいけど、こればっかりはどうすることもできないけど、まあ、頑張ろう。

お盆に里帰りしていた娘と4人の孫が、19日に帰っていった。
やれやれ。

猫の悟空ちゃんものびのび。

ずっと下痢が続いていて 、次男が「俺の方がノイローゼになるわ」と言っていたけど、猫は小さい子どもが苦手というから、もしかしたらストレス性の下痢だったのかもしれない。
ペットクリニックに連れて行ったり、餌を変えてみたり、いろいろ試してみた。

猫はもともと肉食だから、穀物フリーの餌の方がいいらしいと云うネットの情報を信じて、ちょっとお高いキャットフードに変えたら、随分良くなった。
我が家にもやっと平穏な日常が戻って来た。

こんなにも長く更新が滞ったことはあまりなかった。

らむままさんの訃報に接し、何故?と云う思いが募り、自分の中で一つの考えにまとめる事ができないでいる。

私の周りにも乳がん経験者が数名。

一番身近な方は、同じボランティア仲間のMさん。
もう10年以上前に右乳房全摘手術を受けられた。化学療法は受けずに済んだとのことで、今もお元気でボランティアの仕事に、孫のお守りにがんばっておられる。
私が乳がん治療の為に一年間ボランティアを休むと聞いて、自分も乳がん経験者だった事を打ち明けてくださった。
私より4歳年上の先輩で、他の人は彼女が乳がん経験者であることは知らない。
同じ病を経験したからだろうか、彼女は何かと私に優しくしてくれて、研修旅行や何かの行事の時に役員である私がてんてこ舞いをしていると、それとなく手伝ってくださる。
彼女と一緒なら温泉にも堂々と(二人とも一応タオルで隠すけど)入れるし、何よりも、「乳ガン、恐るに足らず」と云う気持ちにさせてくれた。

義姉の親戚 の伯母さんも乳ガン経験者。私と同じくらいの年齢の時に乳ガンが発覚。
全摘手術と化学療法とホルモン治療もされたとか。
やはりこの方もお元気で、70近いけど仕事と家事を両立されている。

このお二人に共通なのは、今より10年以上前だからか、ご自身の乳ガンのタイプや治療に使った薬剤の名前を全くご存知ない事だ。
田舎だから?若年性では無いから?意識の問題?お二人の性格がおおらかだから?

とにかく医師に任せて言われるままに治療するしか無かったから、と云う事らしい。

本来、こうでなくてはならないと思う。
都会でも田舎でも、医師が有名でも無名でも、誰でも的確な治療を受ける事ができて当たり前だと思う。
それなのに、そこから零れ落ちる人が必ずいる。

そこには自身の考え方もあるだろうけど、医療者の側の問題もあるだろう。
PCの画面ばかりみて患者と目を合わさない医者、技量が足りない医者、自信過剰な医者。

お願いだから、医師には頑張って欲しい。
自分の腕を磨いて欲しい。
自信があっても日々研鑽して、少しでもいい治療を患者と共に探して欲しい。
もしかしたら自分の診断は間違っていたかもと云う謙虚さを持って欲しい。
そして、地域の癌治療拠点病院と言われている病院にかかれば、何も心配ないよとみんなが思える体制を確立して欲しい。

偶然、二人の乳ガン先輩はどちらも元気で活躍されているが、残念な結果になってしまった方も知っている。

一人はご近所の方。
もう一人はママ友さんの妹さん。

その話はまた今度にしよう。

久しぶりにiPadと向き合って少々疲れてしまった。
お昼を食べて、悟空ちゃんとお昼寝しようかなぁ(*´ー`*)

昨日、らむままさんのブログを訪問すると、弟さんが更新されていた。
ショックだった。
あまりにも早すぎる。今は体調が悪そうだけど、もう一度必ず回復して退院されると思っていた。

あまりの事に思考回路が混乱していた。
忙しさに取り紛れ、他の事をしている間は良いがiPadに向き合うと涙が滲んで来る。

らむままさんのブログにコメントを入れ、久美子ママのブログにもコメントをいれ、そうする事でやっと事実を受け入れる事ができた。
久美子ママのブログにコメントしながら泣いていた。

2012年の4月、細胞診もしないうちからいきなり乳がんを告知された事、次の病院の医師の態度、それらがもう少し患者に寄り添うものであったら、結果は違っていたかもしれない。
そう思うと無念で、悔しくて、悲しくて、何故…………

私の乳がんが分かったのは2011年の10月。
ほぼ同じくらいの時期に発病していた事になる。
らむままさんも私も前からシコリがあるのは分かっていた。
私はその2年前の精密検査で大丈夫と言われ、安心してしまって翌年の検査をすっぽかしてしまった。
らむままさんも1年だけ乳がん検診をすっぽかしていた。
同じような経過をたどり、乳がんが発覚したのだけど、私は幸い信頼できる医師に出会い、なんと告知から3週間後には乳房全摘の手術を受けることができた。
らむままさんの乳がんと私の乳がんはタイプも違うし、ステージもグレードも違うから、同じように手術を受けていても、全く違う結果になっていたかも知れない。
癌という病気の厄介なところだけど、乳がんに関しては、標準治療が確立しているにもかかわらず、らむままさんのように治療に背を向けてしまう人が多いような気がする。
女性として耐えられない手術であるには違いないが、命と引き換えにしては元も子もない。

何故、どうして。

誰もが安心して治療ができるような、もっと患者に寄り添う医療であってほしい。

有名な歌舞伎役者の奥様も、幼い子どもたちを残して、何故、34歳という若さで旅立つことになってしまったのか。

考え出すと、悲しさと共に怒りが湧いてくる。

ブロ友のジョルジュさんのブログで見つけた記事。
がん患者を惑わす「甘いことば」とは?インチキ医療で命を落とす前にできること(Buzzfeed NEWS)

らむままさんは、来世で償うと仰っていたけど、現世でも充分に治療に迷う人のために警鐘を鳴らされていたと思う。

普通に治療し、有名な医師ではなくても充分満足できる乳房再建をしてもらい、今を生きている私たちがいるって事を、これからも細々ながら発信し続けていかなくてはと思う。

久美子ママを通じて繋がったらむままさん、どうか安らかに。
私も死は終わりではないと考えます。
魂は風に乗って、会いたい人の所や、行きたい所に行って、愛する人たちを見守ってくれているでしょう。
今頃は久美子ママと、大好きなマチュピチュで語り合っているかも知れない。
そう思う事に決めました。
いつかまた、必ずお会いしましょう。

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