3月29日、この本の著者の三野恵さんに「佐吉大仏」にご参拝して頂きました。写真掲載も快諾して頂きましたので、写真を付け足して、ブログを更新したいと思います。
右隣はご主人で慶応大学准教授で、近世日本文学をご研究です。
ご主人が非常にお詳しいので、当たり前でしょうが、話が弾み弾みまして、4時間以上の言わば鼎談でなかったかと思います。
何か前から旧知の間柄の様な感じがして、ひとえにお二人のお人柄のたまものです。
真ん中の古い墓ですが、市内の本覚寺にある「佐吉大仏」の建立者の永田佐吉のお墓に、お参りして頂いている所です。お線香も用意されておられて、本当に有り難いことで有りました。
◎後は、半年前に書いたままです。
右隣はご主人で慶応大学准教授で、近世日本文学をご研究です。
ご主人が非常にお詳しいので、当たり前でしょうが、話が弾み弾みまして、4時間以上の言わば鼎談でなかったかと思います。
何か前から旧知の間柄の様な感じがして、ひとえにお二人のお人柄のたまものです。
真ん中の古い墓ですが、市内の本覚寺にある「佐吉大仏」の建立者の永田佐吉のお墓に、お参りして頂いている所です。お線香も用意されておられて、本当に有り難いことで有りました。
◎後は、半年前に書いたままです。
「説教節」とか「絵解き」という世界が、お寺には存在しているようですね。仏教というと私はすぐに哲学的アプローチをしてしまいますが、庶民が仏教に親しんできたのは、そんな学者のするようなことではなくて、諸国を遍歴した芸能民によって語られる、説教節を聞いたり、お寺へ行き絵を見ながら、その解説を聞くと言った形で仏教を知っていく事が主流であったようです。
「刈萱道心」(かるかやどうしん)の話は、「さんせう大夫」や「しんとく丸」の話に並んで日本で最も有名な説教節の一つです。
以上の理由から、この本を読んだわけではなくて、読んだ結果として、今まで知らなかった事を知るようになれたという事です。
先ずこの本を読んだ理由から述べねばなりません。
大法輪九月号に佐吉翁の小説を書いて頂いた著者の三野恵さんにお礼とご挨拶をかねて、お手紙をお出ししましたら、ご親切にも著書を送って下さいました。その縁あって、お読みしたわけです。
その結果として、私が今まで知らなかった世界に触れることが出来て、本当に勉強になりました。
この本は大変良く出来た本で、様々に流説する「刈萱道心と石童丸」の説話やその表現形態について、コンパククトにまとめられていて、今日までに伝わる全体像の概略を掴むことが出来ます。
挿絵や資料も豊富で、カラーでないのが残念ですが、仏教説話を通じて知る日本庶民の文化のあとを辿られます。
私は「高野山」に参拝したことがないのですが、「高野山」では「刈萱道心」の話は非常にポピュラーで、その話にちなんだ色々な土産物も売っているそうです。
話については、様々なバリエーションがあるようですが、大筋だけ紹介しますと・・・
話については、様々なバリエーションがあるようですが、大筋だけ紹介しますと・・・
「加藤重氏」という立派な武将が、妻と妾が嫉妬に狂い、醜く争っている姿に世をはかなみ、出家します。高野山で僧をしている時に、成長した倅の石童丸が父を探して尋ねてきます。
いったん出家したら世俗の縁を切るのがしきたり、名乗るべきか名乗ってはいけないのか、この辺りが見せ場、聴かせどころだと思います。
この話は説教節から、人形浄瑠璃、歌舞伎にも採り上げられ、又、絵物語から絵本や漫画にもなり、戦前までは非常に有名な話であったそうです。
本当の「刈萱道心と石童丸のゆくえ」は何か?といいますと、私が思うに、どれが真説でどれは嘘というようなことはなくて、それらのすべてを併せて一つの「加藤重氏と石童丸」の親子の物語を形作っていると思います。
時代のニーズに応じて、色々な表現形態が活用され、同時に話の内容も解釈も変化していきます。
そしてその話を作ったのは作者でしょうが、残したのは民衆です。
歴史を作るのは民衆であるというのは、貴族や武家などの支配者による政治の歴史を見ていると、庶民は関係ないようにも思えてきたりもしますが、物語の歴史には民衆の積極的な関与があると、この本を読んで思いました。
本当に素晴らしい本だと思います。著者の三野恵さんに、この場を借りて御礼申し上げるとともに、意外と読みやすい本ですから、多くの皆様方にも推薦したいと思う次第です。
いったん出家したら世俗の縁を切るのがしきたり、名乗るべきか名乗ってはいけないのか、この辺りが見せ場、聴かせどころだと思います。
この話は説教節から、人形浄瑠璃、歌舞伎にも採り上げられ、又、絵物語から絵本や漫画にもなり、戦前までは非常に有名な話であったそうです。
本当の「刈萱道心と石童丸のゆくえ」は何か?といいますと、私が思うに、どれが真説でどれは嘘というようなことはなくて、それらのすべてを併せて一つの「加藤重氏と石童丸」の親子の物語を形作っていると思います。
時代のニーズに応じて、色々な表現形態が活用され、同時に話の内容も解釈も変化していきます。
そしてその話を作ったのは作者でしょうが、残したのは民衆です。
歴史を作るのは民衆であるというのは、貴族や武家などの支配者による政治の歴史を見ていると、庶民は関係ないようにも思えてきたりもしますが、物語の歴史には民衆の積極的な関与があると、この本を読んで思いました。
本当に素晴らしい本だと思います。著者の三野恵さんに、この場を借りて御礼申し上げるとともに、意外と読みやすい本ですから、多くの皆様方にも推薦したいと思う次第です。
コメント
コメント一覧 (4)
私も「刈萱道心と、石堂丸」の絵本を幼稚園の時、善光寺へ行った時、刈萱堂で買ってもらいました。
幼くても、理解できるほどの絵本で、帰りの汽車の中で、読んでもらったことが
昨日のように思い出されます。(その後高野山でも懐かしく買いました)
我が家のレッスン室に、絵本や絵説話が置いてあるのですが、現代のお子さんも
結構読んでいます。 いつの世でも、純真な心には、響くのかと、目を細めて見ています。「佐吉大仏さん」の絵本も評判いいですよ。
お釈迦様のお話も、絵本で見た絵を未だに覚えているのを考えると、
視覚から入った情報の方が、記憶に残る気がします。私だけか。
私の場合、近代文学から始まって、そこから過去に遡るような探り方をしていますので、ずいぶんこぼれ落ちてしまっているのでしょう。
私はいやしくも文学部卒ですから、楽譜は無理でも古文くらい読めるようにしておくべきでした。努力を厭うと言いますか、なまかわで好きなことしかやらなくて、大成するわけはありません。
フェイスブックも、一昨日アクセズ出来ず、人間関係が煩わしいので止めるとするかと、一瞬思いました。
ブログも半ば義務のようにして続いております。
さて「苅萱道心」の一番の見せ場は、正室と側室の争いですね。掲載写真でお分かりのように、髪の毛が蛇になって戦っております。昔の人には強烈なインパクトだったと思います。「女は嫉妬深い」と言うことでしょうが、で、男はどうか、もっと嫉妬深いに決まっています。
この話、出家の動機が全く理解に苦しむモノで、多分煩わしい人間関係にうんざりしたと言った所でしょうか。
こういう説話話は、一つの統一されたストーリーを形成するのではなくて、部分部分取り出して、教訓的に語られるのであって、近代長編小説のように最初から最後まで首尾一貫して考えるモノでないと思いました。
しかし、妻子を捨て、出家したと書かれておりまする。そこまで決意させた余程の原因が抜け落ちていて腑に落ちなかったのが正直な気持ちでした。
追って高野山にまで探しに行く訳ですが、男女の温度差が感じられて、そこを捉えれば韓国ドラマ風ですね。 このお話は石堂丸が父親と再会したにも関わらず、
父の苅萱道心が名乗らず、別れた辺りが、クライマックスで、その後の修行のことは印象に残っていないのが悲しい。
大体一致している部分は、刈萱道心に石童丸が弟子入りすることで、石童丸の立場に立てば第二の父親に巡り会ったことになりますし、刈萱道心は我が子と分かっていて、弟子ならば親に反抗もありませんので、両者めでたしのハッピーエンディングです。
仏に仕えれば功徳があるという終わり方は当然しているはずです。
くだんの場面でステキな言葉を一つ覚えましたので、ご紹介しておきます。
『外面似菩薩内心如夜叉』(げめんじぼさつないしんにょやしゃ) 説明要らないと思いますが、私の場合ぱっと浮かんでくる人がいます。それはお互い様でしょうから、「外面渋面内心苦笑」です。