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名鉄「新羽島駅」は新幹線「岐阜羽島駅」と接続していて、その周辺という事になると、先ず新幹線駅の紹介と言う事になります。

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新幹線駅構内で特に珍しくないのですが、羽島という地域内で捉えると、まるでここだけ別の世界と言っても過言ではないと思います。

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南口にあるこのモニュメントは今井田一巳氏の作で、現在羽島市美術協会の会長さんです。大仏寺に来て頂いたこともあります。
縁のある人が多く登場する所が多くある普通のブログと違う点かも知れませんですね。

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駅正面。何と言っても目立つのは円空巨大モニュメントですが、全く白紙状態でこの像を駅頭で眼にされた方はどんな印象を受けられるのでしょうか。訊いてみたい気もします。

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羽島に新幹線を誘致した当時の自民党の実力者大野判睦氏夫婦の銅像です。今では流石に歴史の中の政治家だと思います。よくよく考えれば大野氏も力があったと思いますが、大野氏を動かした当時の羽島もエネルギーの溢れた市であったと思います。

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この急な階段を上って「新羽島駅」プラットフォームに出ます。まだバリアフリーという考え方が一般化していなかった時代に設計されたと思います。

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名鉄駅側から新幹線「岐阜羽島駅」を写しました。結構高い所にある駅です。

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                   高架を通り電車がやってきました。

名鉄竹鼻線は元は羽島市南端の桑原町大須駅まで行っていました。江吉良駅から向こうが廃線になり、「岐阜羽島駅」の方に路線が変更になりました。旧竹鼻線は言わば羽島の背骨の様な感じで単に交通の便だけでなく、市としての一体感と歴史の継続性に寄与していたと思います。
時代の流れで仕方がありませんが、「岐阜羽島駅」を新しい羽島のダイナミズムには結びつけることが出来なかったと思います。新幹線の土産物売り場では、近隣の岐阜市、大垣市だけでなく名古屋のういろうまで売っているのに羽島地産の物が一つとしてない現状は寂しいと言わざるを得ません。
繊維産業の衰退が何と言っても大きかった訳です。
小さな市に新幹線の駅(岐阜県では唯一)の存在は大きく、ここから意識を自由にしての新しい羽島の未来像はまだ築けていないと言えます。

羽島市の面積はニューヨークの摩天楼が並ぶマンハッタン島位です。半世紀前、それだけの地に大風呂敷も過ぎるのですが、「100万都市羽島」を目指してと言う途轍もない夢を語った時もありました。

現に今稼働している駅を見て「兵どもが夢の跡」の句を思い浮かべるのは、批判されると思います。

この名鉄竹鼻線の駅シリーズの一番頂点であるはずの「新羽島駅」で、感興はむしろ冷え、周辺の田畑で花や小動物の写真を撮るのに夢中になっていた私でした。