佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2012年09月

創作能「竹鼻の大仏」(1)練習風景

創作能「竹鼻の大仏」は佐吉翁の逸話に題材をとったもので、来年3月上演予定です。大仏寺で月二回練習しますので、説明的なことは次回に廻して、早速昨日の練習の様子をご紹介します。

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最初に本番を設定した位置取りで流れの確認を行いました。「佐吉大仏御前演能」と掲げていますので、文字通り大仏に向かって能を演じます。当日は賽銭箱や木魚等の仏具はどけます。

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続いて能のグループと囃し方のグループに分かれて練習しました。この写真は始めて公開ですが、お堂の横にあるお茶所です。休憩所と言った所です。

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能の中に竹鼻祭りの囃子を採り入れます。このようにして人から人へと、昔からの文化が伝承されていくと思うと、胸が熱くなります。男性は米寿に近い方ですが、お元気です。表情からは「真剣」と言う言葉が浮かびます。

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大仏に見守られての能グループの練習。ここでは写っていませんが、「羽島能楽を楽しむ会」の会長さんがやはりご高齢の女性です。驚く程に、その声は堂内に朗々と響き渡っています。

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最後に2グループ合体して練習を行い、本日の日程は終了です。
向こうの方に額に入った「佛」と言う字が見えると思います。これは佐吉翁の直筆本物です。
全体としては「佛とは何を岩間の苔むしろただ慈悲心に如くものぞなし」と書かれています。
「仏とは慈悲の心以外の何物でもない」と、その本質を一言で言い表されている佐吉翁の精神に学ぶ事は大きいと思います。
この道歌※は能の台本の中にも採り入れられています。
                     
                                  ※どうか:仏教や道徳の趣旨をよんだ教訓歌




思い出ばなし(1)

ドーデもいい思い出話。

ヒラメと言うのは、二十代後半に勤務した高校で、生徒から付けられたあだ名です。本当の苗字は永田と言うのですが、影ではヒラメとしか呼ばれませんでした。
新婚間もない頃で、息子が出来ました。クラスで相談して名前を考えてくれました。
「みんなで相談して仁円(にえん)に決めた」と生徒。
「そんなお坊さんの様な名前はダメ!」と私。生徒が言うには「苗字から続けて読む」のだそうです。

永田佐吉展 毎日新聞紹介

佐吉大仏の建立者永田佐吉は、かつては美濃聖人と呼ばれ修身の教科書でも教えられ日本中の方から尊敬されていました。戦後ずっと忘れ去られていますが、過日本巣郡の政田町にある西濃信用金庫のギャラりーで展示会を開催しましたら、毎日新聞に画期的な記事を書いて頂きました。

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是非画面を拡大して読んで下さい。誇張はどこにもありません。
銀行の小さな一郭ですが、コンパクトにまとめて永田佐吉の人生が分かるように展示しました。
私の夢は、同様のことを名古屋で行えないか、或いは愛知県で、と言う事です。と申しますのは、参詣の方で特に身を入れて知ろうとなさる方は愛知県の方に多いからです。又、名古屋から来られた方の中にも、名古屋で紹介して欲しいと言われた方がみえました。
場所が分かりませんので出来ないでいるのですが、もしブログをお読みの方で無料もしくはリーズナブルな料金で小展示会を行える場所を知ってみえる方は是非お教え願います。勿論大仏の紹介もその中の一要素として入ることになります。 
          連絡先:〒501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町209 永田章 ℡&Fax 058-391-5032

佐吉大仏(9)  週間プレイボーイに登場!


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私が関わり始めてからテレビや新聞等で佐吉大仏が採り上げられる様になりましたが、その内でi一番大きくて特筆すべきものは、「週間プレイボーイ」で紹介されたことです。誠に光栄至極です。
思えばなつかし「週間プレイボーイ」、もう半世紀も前のことになるか、創刊号をベッドの下に隠して置いたのが母親に発見される。中2の頃です。あえなく私のプレイボーイの道も閉ざされました。
思い出話はどうでも良くて。
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坂原弘康さんです。この方に紹介して頂きました。彼は日本の大仏の一代権威です。お顔も段々大仏化しておられます。ブログも書いてみえますので関心のある方は調べて下さい。私の所も載っていまして「坂原弘康佐吉大仏」で検索して頂きますと出て参ります。又「佐吉大仏ヒラメ記」の紹介もして頂きました。有り難うございます。
さて、どんな内容かと言う事でこのページを拡大します。

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仕事運にありつける神社仏閣の特集でした。なるほど、これは今年の新春1月6日発売されたものです。
真ん中の女性は吉田さらささんと仰られて、岐阜県出身で日本を代表する仏像ライターです。最近もJTBから「近江若狭の仏像」と言う大変ビジュアルで中身の濃い本をだされています。このブログにもご挨拶頂きました。
十冊の著作の中では「自祓い」(主婦の友社)が私としては人生を考える上で参考になると思います。仏像紹介と言うよりご自身の歩みについてより多く書かれています。

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まぎれもなく大仏さんから顔を出している坂原さんです。何が書いてあるのか、拡大して読んで頂ければ。
岐阜県のお千代母稲荷さんと上下に並んで書かれています。
お千代母稲荷のお帰りには、少し寄り道して、竹鼻の佐吉大仏へお越し下さい。

朝の散歩(まとめ)朝に会う羽島

「朝の散歩」と題して5回に分けて紹介してきました。今日は最後にまとめとして季節に変わりなく普通に会う光景をまとめてご紹介します。


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大仏寺西隣の大仏児童公園。4年前から掃除と花壇の世話をしています。秋は大変です。

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西に歩いて2分。名鉄竹鼻線の駅「羽島市役所前」があります。竹鼻見学はここを利用して下さい。

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なんだコレは!神仏習合ではないか。日本的光景と早合点してはいけないョ。大仏町にある神明神社、前の公園の名前も同じことです。

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この立派な建物は羽島市民会館。遠い昔ここで山口百恵ショーを見た思い出。設計は羽島出身の日本の歴史に残る設計士、坂倉準三氏。出来た時は、確かコンクリートの打ちっ放しでなかったか!?

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新幹線岐阜羽島駅。半世紀前、田んぼの中の駅として脚光を浴びたのはつい昨日。余り発展しませんでしたが落ち着いた田園都市で良かったのかな思うこともあります。

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安八・大垣と結ぶ羽島大橋は朝夕大混雑。私はその傍らをカメラ片手にゆったりと歩いています。

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「望みを」のせて新幹線は、一路東から西へと、走り抜けていくのでありました。





朝の散歩(4)路傍に咲く花

私が花に関心を寄せるようになるとはこれ一重に「空さん」と「な~がさん」のおかげ。
どうしてかって言いますとこのお二人のブログに花がしょっちゅう出てくるからです。要するにマネです。

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最初に「ランタナ」初めて聞く名前。「ダレだなあんたは!?」とか、栽培している奥さんに訊かれました。

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そこの奥さんのお宅です。いかにも品のいい人柄が伺われます。ウチとは大部違います。

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私にブログのやり方を教えてくれたなおなおさんを思い浮かべながら撮りました。猫好きさんですから。

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一花だけに焦点を当てて撮ってみました。

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これは花が、風船かシャボン玉の様に空に舞うイメージで撮ってみました。


秋も暮れ方になれば模様も変わると思いますから、二月後位にもう一度同じテーマでご紹介します。 


夕焼け羽島

岐阜県と滋賀県・三重県を分かつ伊吹山と養老山脈は、夕暮れ時になると、背中から光を浴びて壮麗なパノラマ模様を繰り広げます。

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太陽の落下点は、冬の訪れと共に南から北へと移っていきます。今は養老山脈の右肩に沈んでいます。やがては白雪を頂いた伊吹山にその光芒を投げかけることになります。
夕焼け模様は季節の移りにつれ、日々変化します。

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伊吹山。「茜(あかね)色に染まった」と言う言葉を使うために存在しているかの様な光景です。


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羽島の方を振り返れば、今宵の月が天空を目指し、やがて夜空のステージに登場します。


佐合孝順 墨絵の世界

羽島市堀津町の秀悦寺住職佐合孝順尼僧(88)は諸芸に秀で、昔の尼僧はかくあったのだろうと思わさせられる本当に立派な方です。私が退職まで妻任せであった大仏寺に気持ちを向けた時、仏教について学んだのが孝順師です。
師はお茶・生け花・編み物、何でも一流ですが、中でも一番好きなことが墨絵を描くことです。

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             {諸々の山草おのおの花つけて言葉を持たぬその優しさよ}

私はこの歌を目にした時、その数年前まで教えていた重度重複障害のために文字通り言葉を持たぬ子ども達の姿が頭の中にザァッート浮かび上がり深い感動に襲われました。20歳も行かぬのにもう既にその時点でお亡くなりになったお子さんもおりました。
又、皮肉な真実として、優しいはずの言葉がかえって心を傷つける事も有ります。
もしこの歌が、パソコンで印刷されただけのものであったならば、これほど感動しなかったと思います。流麗達筆な書字と、ほんのり紅いシランの花と合わさって、言葉に生命が宿ったと言えます。美術にまるで疎かった私が、少しその入り口に足を踏み入れた瞬間でした

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                    {植えてみよ花の育たぬ里もなし}

秀悦寺に行きましたら無造作に色紙が仕舞い込んでありました。私は次から次へ見せて貰いました。どれもこれも素晴らしいものばかりでした。上の絵はバラです。禅宗のお坊さんはバラは刺があるので画材としては不適切なんだそうですが、孝順師は、心の趣く儘に絵を描かれる自由な精神の持ち主でした。濃淡・ぼかし・影の付け方見事ですね。

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                     {遠きに行くには必ず近きよりす}

この言葉にはすっかり得心して、今や私の座右の銘です。外国旅行に行くにも先ずは隣の町内に行かねばなりません。よく世界人類と言いますが、「向かい三軒両隣」の中に先ずは世界人類が現れる事をしっかり認識する事が大切であると心に刻み付けております。

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                  {すべっても ころんでも のぼれ富士の山}

富士山の絵は幾らでも見てきましたが、こんな静謐な富士を見たのは初めてでした。私はお寺に仕舞い込んでいくのは如何にも惜しいと思い、方々で展示会を開いたり、絵はがきを作って皆さんに紹介しました。孝順師には大変世話になりましたのでお礼の意味も籠められています。

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              {一輪の花と言へども真(まこと)有り心して生け床に据へなむ}

椿の絵と言い、歌の意と言い、素晴らしいの一言!。孝順師は添え書きは、禅語や好きな千利休の言葉を書かれる事も有りますが、自作も多くて今までご紹介したものは全てそうです。
色を使ったのも墨絵と言うのか知りませんが、最後にサラッと風が吹き込んでくるような爽やかな絵を一つご紹介したいと思います。

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                       {江月照らし松風吹く}


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記念に作った絵はがきセット。千部印刷。希望される方に差し上げて、数部手元に残っております。
最後に平成21年6月岐阜県ふれあい会館で行った佐合孝順展を報じる新聞記事を添付します。


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朝の散歩(3)お地蔵さんに会いに

毎朝の散歩。忘れずに行っていることがあります。
それは路傍のお地蔵さんや神社への拝礼と読経です。
目指すは、約3㎞離れた羽島の隣、安八町大森に祀(まつ)られている佐吉翁が建立した道標地蔵菩薩(みちしるべじぞうぼさつ)です。

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佐吉大仏の建立者永田佐吉は、人々の道中の安全や一服を願い、道標を兼ねた地蔵菩薩を生涯700体以上建立しました。竹鼻から遠く滋賀県、三重県にまで及んだと伝えられています。佐吉翁は一切名前を刻むことはされませんので、はっきりしているのはここだけですが、よく似た道標地蔵で旧伊勢街道や美濃路に祀られているものがあれば佐吉翁建立の可能性は高いと思います。

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『東へおりて竹ヶ鼻へ 西におりて大垣みち』と刻まれています。これ以外には何も刻まれていません。私は大体6時半前後に到着しますが、近所の方によってすでに線香が上げられています。
私はここでは「般若心経」一巻唱えます。これは特別な意図はなく、ただ昔の人が普通にやっていたことを普通にやってみるかと思い実践しているのです。

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ここは長良川の堤防の近くの羽島市福寿町にある神社です。神仏習合が本来の日本の伝統ですから、敬うべきは敬うで、神社の場合は二礼二拍の拝礼を行います。
朝の散歩を見ていますと、私だけでなく、結構拝礼して行かれる人もいます。

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ここでも「般若心経」を唱えていくのですが、バックにみえる家の方が中心にお世話されてみえる浅井さんです。
佐吉翁は生涯独身で子孫はいませんでしたので、没後佐吉翁を慕う皆さんで話し合われて、永田家を継ぐことを決定しましたが、実はこの浅井さんの長女を跡継ぎに迎え入れたのです。寛政元年(1789)の事です。
事実が判明しましたので三ヶ月前にご挨拶に伺いました。系図を見せて頂いたら浅井家は何と浅井長政の末裔でした。江戸時代は庄屋階級で、明治頃までは物心共に永田家は浅井家から援助して頂いたのではないかと推測しています。「有り難うございました」の気持ちを込めて毎朝お経を詠んでおります。

拝礼箇所は道中全部で十箇所以上になりますが、長い距離にメリハリがつき張り合いにもなりますので、歩くだけよりは長続きします。地域の方とも仲良くなることが出来ます。皆様も如何でしょうか

宵闇迫る墨俣城(大垣市)

昨日はなぁーんと羽島市から飛び出して、秀吉一夜城として名高い墨俣城へ行って来ました。
家からは車で十分ですが人生で初めてです。横はしょっちゅう通りますけど。

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先ずお城の西側、犀川の川原の駐車場から一枚。宵闇迫れば墨俣城、思わず「君恋し♪」

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すっかりロマンチックになった二人でしたが(私にはいつも心に、大仏様)、少し歴史講釈を ・・・・・
この城は、竹下ふるさと創生資金で建設されたもので大垣城を模したとか。秀吉一夜城は実は小屋に近いもので、場所も別の所だったらしい。しかし「歴史は夜作られる」と言います。マァいいか、宵ヨイ

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西美濃そして南濃地方(羽島の事)の民人にとって、毎朝毎夕仰ぎ見る親しき伊吹山を後背に、墨俣城も夜をむかえます。

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    つわものどもの夢ではなくって 老若男女の平和のために 頑張って下さい 墨俣城。
                    
                        See Again, from Hirame. 

               

朝の散歩(その1ー2)長良川と岐阜城の写真

◎アイマイさんと言う方から長良川と岐阜城の写真を気に入って頂けました。お誉め頂き誠に嬉しゅうございます。調子にのりまして、岐阜城がもう少し分かるものがありまして、コメント欄では写真が出されませんので(?)こちらでお願いします。

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最近のデジタルカメラは凄いですね。まるで岐阜市の金華山麓から撮したようです。撮影箇所から距離的には10数㎞あるのではないでしょうか。羽島は木曽川と長良川に挟まれているせいか、長良川は岐阜県の象徴と言いますが、私の意識では、木曽川の妹分の様に感じられています。
岐阜城は関ヶ原の戦いで落ち戦後の築城ですから大したことないのですが、場所が良いこととお城からの眺望が抜群で一度は。
大垣城は戦前は国宝でしたが空襲で燃えてしまい、平地ですので余り人気が出ないようで残念です。
東から木曾・長良・揖斐と並びこれを木曾三川と言いますが、この揖斐川を境にイントネーションが変わります。時に関西人と話しているような変な感覚になります。
本当に古いものは西濃地方に集中しているのではないでしょうか。養老の滝なんて、この名にあやかり年号が定まり(717~724)、養老律令が発令されている位ですから。

朝の散歩(1) 始まり

半年程前から朝の散歩を始めた。糖尿病の対策である。
酒も飲まず大食でもない私が糖尿病になったのには理由がある。
二年程前からアトピー性皮膚炎の症状が始まった。理由は分からないが、全身にまわる痒みと発疹はひどくてついにはステロイドを服用せざるを得なくなった。症状は緩和されたが、その副作用として血糖値が非常に高くなったのである。
しかし何が幸不幸か、それまで出不精だった私だが朝一時間半程散歩することで、羽島の自然と触れ合い、地域の人々と挨拶も交わせる様になった。
折角ブログを始めたので、時にカメラを持参して、羽島の風景や四季折々姿を変える自然を写したいと思う。同じ時間帯でも日の出時間の変化で現れる姿も異なり、趣がある。
これからは時々「朝の散歩の巻」として紹介したいと思う。散歩がてらに徒然思う事があれば、それも又一興、気楽に綴っていきたい。
それもこれも、退職して閑ならばこそ出来ることである。感謝しております。

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         長良川羽島大橋から行きがけに撮った金華山 頂上に岐阜城がそびえる


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復路はすっかり明るくなり、青い空にカスケイドの様に雲が流れていた




佐吉大仏(8) 大仏寺へようこそ

今日は名古屋市からTご夫婦が大仏寺に来られました。そのご様子をご紹介します。

一 先ずろうそくを点して、合掌です。

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                      合掌する姿は美しいものです

二 ご希望に応じて、仏具を使って頂きました。使い方は私が教えさせて頂きます。

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                          大変お上手!

三 次ぎに、佐吉大仏の胎内に入られたいとのお申し出に応じまして、入胎して頂きました。

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                       脚立に乗って、そろそろと

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                    これからどうしたら、いいのかなぁ?

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                       角度を変えて、もう一枚

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四 大仏様に見守られての寛ぎの一時

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                  「今度はお祖母さんも一緒に来ようよネ」

五 最後に私も含めて記念撮影をしました。

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            ご協力有り難うございました。再訪お待ちしています。(ヒラメ)
 

竹鼻案内(3)羽島市歴史民俗資料館

過日の映画資料館に引き続き、今日は羽島市歴史民俗資料館をご紹介します。
とは言いましても、両館は同じ建物で300円で入館できますから、お値打ちです。
併せて「マイコレクション」と言うコーナーが受付前に設置されていて、ここまでは無料(タダ)!
トイレ使用にももってこいですから、竹鼻を散策される方は知っておかれると便利ですョ。


先ず常設展示の紹介です。

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展示室入って直ぐの所です。言わば歴史民俗資料館の床の間のような所ですが、羽島の生んだ歴史上の二人の傑出した人物、円空上人と佐吉翁が紹介されています。ここの展示を見られてから大仏寺に来られる方も多い様です。歩いて数分です。

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竹鼻は江戸時代中期に綿の木が入って来て、それまでの絹に併せて、全国有数の織物処として発展しました。
写真の機具を使い昔の方は布を織りました。私は民話「鶴の恩返し」のおつうさんを思い浮かべました。

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写真の中の「中世の羽島」と言う地図をご覧下さい。
今の羽島は、木曽川と長良川に囲まれた三角形をしています。木曽川を渡って向こうが愛知県です。
地図の点々の処が今の木曽川です。この地図で見ると、昔の木曽川は大体今の長良川の処に流れています。
中世の羽島地域は、美濃地方でなく尾張だったのです。それが織田信長の時代に大洪水があり、現在に近い地形になりました。次の豊臣秀吉によって美濃になりました。私自身大変勉強になりました。

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竹鼻祭りの豪華な山車の幕の写真と御輿の展示です。竹鼻祭りの山車は全部で十三両有り、各町内毎に設置されている山車蔵に保管されています。御輿は昔は威勢良く町に繰り出されていましたが、今は手作りの子ども御輿だけです。
この通路を境に映画資料館のスペースへ移行します。写真奥に映写機やポスターが見えています。

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最後に企画展の部屋でここは三ヶ月毎に模様替えが行われます。竹鼻の町の歴史について特集されていますが、これは今日までで来月からは「瓢箪」がテーマだそうです。
映画に関する企画も時々混ざりまして、資料満載のユニークな羽島歴史民俗資料館ですので、羽島にお越しの節には是非ご来館下さい。


◎ 羽島歴史民俗資料館・映画資料館 (〒501-6241 羽島市竹鼻町2624ー1 ℡058ー391ー2234)
  入館料 大人(高校生以上) 300円   団体(十名以上) 250円   小・中学生 無料
  休館日 毎週月曜日(変更もありますので事前にお問い合わせを)   時間 午前9時~午後5時

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佐吉大仏(7)絵本「佐吉大仏のひみつ」(付録写真)

付録として、絵本「佐吉大仏のひみつ」の参考に、実物写真を数枚紹介します。
尚、それぞれの場所につきましては、9月19日の竹鼻案内(1)を参照して下さい。


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                  本覚寺の雲龍の絵天井 岐阜県指定文化財

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                      竹鼻別院の藤 岐阜県天然記念物

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              一本藤で枝振りは東西33M南北15M  樹齢250年以上

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                  羽島市は岐阜県一のレンコンの産地で幕末頃入植 
                発生地は佐吉大仏がある上鍋の東裏(現羽島市役所辺り)  


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竹鼻伝六の墓(左)  濃尾震災慰霊碑(右)
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