佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2012年12月

大晦日の素晴らしいお客様


大晦日の夕暮れ時、遠き秋田県からお父さんと息子さんの二人連れのお客様をお迎えしました。

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お二人の旅行の目的は岐阜県の名所を巡る事。
「岐阜県には岐阜大仏と佐吉大仏の二体も大仏があって素晴らしいですね。他にも良い所が多くあってうらやましいと思います」とお父さんのお話。
本当に嬉しい言葉で、お気持ちを裏切らないように「精進努めねば!」と思いも新たにしました。

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この一年の締めくくりとして感謝の祈りを捧げたいと思います。



平成24年ブログから 記憶に残る写真10点

9月15日より立ち上げたブログは殆ど写真を中心にしたものです。その数は実に1,250点に及びます。
多少余裕が出来ましたので、私自身振り返り中から10点選んでみたいと思います。始めから順です。



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写真が誉められた事で大変記憶に残ります。こそばゆい様な落ち着かない気分になりました。



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参拝の方にお願いして合掌のポーズをとって貰いました。これは理屈とか宗教とかは関係なく、日本人が培ってきた基本的なマナーの一つだと思い、ブログの最初の時点で入れさせて頂きました。
早速ブログにもコメント頂け、サヨナキドリさんと名乗られました。ご縁不思議な写真です。



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どこかで跳ぶだろうと推測して目を瞑ってシャッターを押しました。偶然の産物です。
                           



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「ダンスダンス」と題した花の写真。「ダンスダンスダンス」と3回続けると村上春樹の小説。




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マイベストワン!猛雨の中、ノリに乗っている表情。誠に美しさが漲っていると感じた次第であります。



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伊吹山の今シーズンの初冠雪。11月16日に掲載しました。真冬と比べると空気が霞んでいます。




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名古屋栄は、大学へ行くバスを乗り換えたりして、青春を象徴する場所でもあります。
私はノンビリ名古屋へ行く様な事が無く様々な思い出が浮かんできて感無量でした。



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大雪の翌日。思わず北海の荒海を連想してしまった羽島市足近町の田んぼの様子です。




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年賀状に使用した写真です。羽島市の松井新市長さんは最新広報で「羽島市良くする」と語って
みえますが、私としては「羽島市良くする」と言う気概を持つ事が大切と思い、使ってみた訳です。


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実は昨日と今日、これからですが、続いて葬儀に参列します。
中村勘三郎丈の葬儀の様子をテレビで見て思うのです。
有名な人や学識者がどんどん、どんどん簡素な葬儀に変える風潮はどうかと思っておりました。
故人の思い出は決して家族に留まるものではなく、多くの人に繋がっています。
勘三郎丈の葬儀は実に見事で天晴れ、最後に日本人の心をよく引き出されたと感動しました。
私もファンであったホイットニーヒューストンに、その死を悼み、ささやかながら献花します。

 


二宮尊徳と永田佐吉 そのイメージと役割



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        二宮尊徳                    永田佐吉
   「尋常小学校修身巻三」の挿絵      「大阪朝日新聞明治44年連載小説」の挿絵

戦前の修身教育の大黒柱は言うまでもなく二宮尊徳翁です。永田佐吉翁は尊徳翁を支える何本かの副大黒の一つでした。
本人達に学ばず修身=軍国主義の単純な図式で否定し去ったのが戦後教育の歩みと言えます。

今回は佐吉翁が、どの様な形で尊徳翁を補う働きをしたのかを考察するものです。

尊徳翁の挿絵は、灯りのための油を使うことを叱られ、漏れない様に隠れて勉強する姿です。
「刻苦精励」、「逆境にめげず頑張る」これが尊徳翁に課せられたイメージです。
ご子孫のお話では生家は村一番の家で決して貧しくなかった様ですが「頑張る」と言う要素が第一で、又「二宮金次郎さんは勉強は好きでなかった」そうです。「好き嫌いを言わない」事も大切なことです。

次ぎに佐吉翁ですが、これは奉公先で暇を見つけて勉強する姿です。いかにも満ち足りて幸せに読書している感じがします。着ている着物にも果実の柄が施され、貧しさの影は全くみえません。
「学びて時に之を習う 亦楽しからず哉」と言う文言が自然に思い浮かんできます。
これもイメージ絵です。両者相補って、勉強の持つ両側面が見事に表されていると思います。


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中をみますと、教育勅語と御名御璽で始まってますから明治教育の根幹をなすものと思います。
23項目に分かれていますが目次の一頁目をご覧下さい。


画像 603   最初に教えられるべき人物はやはり
   尊徳翁です。「報徳の教」と言う題です。

   今の時代私も不勉強で知らない人が
   並びますが、6人目の伊能忠敬が地
   図の勉強で教えられると思います。

   佐吉翁は13項目目に「徳行の感化」と
   言う標題で教えられます。

   「教え」と「感化」は教育者が最も意識
   すべき二つの要素でないかと思います
   が、その点でも明治教育は意外とよく
   バランス取れていると感心します。
   
   この本には五枚挿絵が載っています。
   絵の持つインパクトは強いと思います。
   佐吉翁と尊徳翁の挿絵を紹介します。



画像 606   自然と言えば自然ですが、修身と同じ内容
   の絵が使われています。  
   
   二宮金次郎さんと言いますとすぐ背中に柴
   を背負って勉強する像が思い浮かびます。
   片時も勉強を怠っていけないと言う事を教
   えるわけです。
   
   学校ですから勉学と言う事になりますが、
   内容の方は決してそれだけでなく、孝行
   仕事に励むと言った日本人が普遍的に
   大切に思う事の基礎が尊徳翁を手本に
   教えられます。








画像 607   集金帰りに追い剥ぎの一団に襲われた
   時、お金と衣服を差し出し「まだ足らな
   ければ竹ヶ鼻まで取りに来てくれ」と言っ
   た有名な逸話を挿絵に使っています。

   怖れず堂々と衣服と金子を呼び指して、
   「遠慮せずに持って行きなさい」と言う姿
   に追い剥ぎは心打たれ、後日は真人間
   に改心したと伝えられています。

   「智と徳」で使われている挿絵は五枚に
   過ぎず、生きた人物像として鮮明に印象
   付けられるのは尊徳翁と佐吉翁の二枚だ
   けです。
   「智と徳」がどの程度の期間使われたか
   定かでありませんが、相当期間日本の子
   と親がこの絵を見て学んだことは間違い
   ありません。


私は佐吉翁の様な勇気は到底持ち得ませんが、ここに日本人の本来の理想と誇りが描き出されている様に思われて、頭が下がる思いを禁じ得ません。
おこがましい言い方になりますが、佐吉翁について、県市の教育関係の方には知って頂きたい事だと、熱く願っております。



 ご挨拶  9月から始めたブログをお読み頂き有り難う御座います。記事の方は今年の分はこれで終わりまして来年1月1日に新春と大晦日の羽島竹鼻の様子や取り巻く自然等をアップさせて頂きますので、宜しくお願いします。
尚、ネットの方は毎日見ますので、ご意見ご質問等遠慮無くお寄せ頂きます様にご案内申し上げます。

岐阜県恵那市出身の偉人「佐藤一斎」を尋ねて

岐阜県恵那市出身の偉人「佐藤一斎」を紹介するにあたり、まず最初に私がどう言う経緯を辿って佐藤一斎を知るに到ったかをご説明したいと思います。

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上の写真は岐阜県の明治時代の尋常小学校の「歴史」と「地理」の教科書のコピーです。本物は羽島市歴史民俗資料館に展示して有ります。
明治時代の岐阜県の歴史教科書にどんな人物が登場するか表紙をめくってみたいと思います。

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  最初に土岐氏と記されていますが、戦国時代まで守護とし
  てこの美濃地方全域を統治していたのが土岐氏です。岐
  阜市周辺をその下で任されていたのが次に書いてある斎
  藤氏です。この斎藤氏は司馬遼太郎の「国盗り物語」で有
  名な斎藤道三ではありませんのでお間違いなく。
  
  この本によれば、道三の父長井新九郎が斎藤氏を逐い出
  して国を奪い、次の道三が土岐を断絶に到らせたとありま
  す。記載通りに書けば『逆臣道三ノ為メニ追ハレ、土岐氏
  遂ニ断絶セリ』と記述されています。 

  初めて知った事ですが戦前はそのように教えられました。 
                                      地理の方に移りますと、人の数は、この中からわずか5名だけが教えられます。その一人が永田佐吉で、それでこの教科書を読むことになったのです。他は現大垣市の梁川星巖(漢詩人)、と小原鉄心(幕末に活躍した大垣藩家老)と現恵那市の二人です。
現恵那市の記載部分を写真で紹介します。

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  両人とも儒学者です。林述齋は岩村藩主の息子として
  生まれましたが藩学の創始者林羅山の家に、ずっと後
  年のことですが養子に入り、徳川幕府の藩校である昌
  平坂学問所を築きました。
  
  昌平坂学問所というのは、後の東京大学の前身です。

  ここでやっと佐藤一斎が登場しますが、佐藤一斎はその
  学問上の弟子で、若くして非常に優秀で、学問所の言わ
  ば校長の立場に起用されます。

  歴史教科書の方の記述を引用しますと:
  『天下ノ人尊敬セザル無ク、上諸侯ヨリ下士民ノ、その門
  ニ入ルモノ三千人、書を著スコト数十百巻』
  盛名並ぶ人がいない大変な儒学者であった事が分かり
  ます。  






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岐阜県恵那市岩村町にある岩村歴史民俗資料館の前庭に設置してある佐藤一斎の像です。
佐藤一斎の門下からは横井小南とか渡辺崋山と言った幕末の著名な人が出てきます。
又随想録である「言誌四録」を西郷隆盛が非常に愛読し、若い頃島流しにあった時には島に携え何度も書写をして学んだことがエピソードに遺されています。
私が知らないだけで大変な人物であったのです。

DSC00631     これが岩村歴史民俗資料館です。
   少し閑散としている感じでした。 

       展示は岩村藩の藩主と岩村出身の偉人達に
   ちなんだ様々のものが展示されています。
   展示品は立派でしたが、堅い感じがしました。
      
   こんな方も岩村出身かと思ってびっくりした
   のは日本女子教育の先駆者の下田歌子です。 



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私が岩村に行った目的は、佐藤一斎顕彰会長に会い顕彰会活動について伺う事ですが、その前に私は岩村をすっかり見直してしまいました。江戸時代はここが東濃地方の中心であったと言う事を初めて知りました。ところが開発に乗り遅れ、結果として写真で見る様な江戸時代の建物が其の儘残り、今では伝統的建造物保存区域に指定され観光客も訪れます。

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岩村の旧通りですが、ご覧のように郵便局も全体の雰囲気を壊さないように配慮されています。


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町の到る所に佐藤一斎の書「言志四録」の言葉が掲げられ、佐藤一斎を町全体として誇りにしている事が良く分りました。
岩村に行ったのはこの8月のことで、その時には9月からブログを立ち上げるとは思っていませんでしたので、余り写真を撮らなくて後悔しています。

これから先は佐藤一斎顕彰会長さんから聞いた話が中心です。


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余り良い写真でなくて申し訳ありません。会長さんのお店屋さんに行くと、こんなポスターが壁一杯に貼ってあることに気づきます。非常に立派なポスターで市を挙げて佐藤一斎の顕彰に取り組んでいる事が窺がわれます。又右端のポスターで分るように、全国的な偉人先賢と共に啓蒙していこうと言う活動もしてみえます。
既にこのブログでご紹介した細江平州、中江藤樹、二宮尊徳らの名前も見つかりました。


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次にご紹介するのは二冊の冊子です。これは教育委員会が中心となり恵那市が作成したものです。
勿論学校教育でも使用されますがねらいは生涯教育にあり、市民全家庭に配られたものです。
「市民三学運動」とありますのは佐藤一斎の言葉から来ています。


DSC02451_exposure      この言葉は佐藤一斎の言葉の中でも最も有名な
  もので、小泉元首相が在任期間中の文教委員会
  の席上で、この言葉を引用し世間の注目を浴び
  ました。

  少壮老と、こういう風に区分けしてきちんきちんと
  並べるように表現しますと、標語的に覚えやすく
  人々の指針にもなると思います。

  佐藤一斎は今で言う教育者ですが、教育者とし
  ての表現能力が大変大変優れた方であったと
  言えると思います。

  「春風を以て人に接し、秋霜を持って自ら慎む」
  人に優しく自分に厳しくと言う事ですが、イメージ
  の湧く比喩を用いる事で、言葉に力が宿ります。



 

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冊子『地域の誇り 恵那の先人 三十人』の巻頭を飾る佐藤一斎のページです。
恵那市は人口約5万2千人ですが2004年に周辺の地域を合併して大きくなりました。岩村町もその一つです。
顕彰会長さんが言われるには、「合併はしたものの、それぞれの地域に歴史があり、全然まとまらなかった。市長が率先して佐藤一斎を中心にすえた『市民三学運動』を始める事で、初めて市として統一した事が行われた」のだそうです。
岐阜県教育長もその取り組みを讃えると共に学びに、岩村に来訪されたばかりでした。

頂いてきたこの冊子、高校同級で友人の市会議員の堀氏に渡して「羽島市も作ったらどうかですか!30人位みつかる筈」と水を向けてみました。彼も大いに乗り気でしたが、何事もお金が要るのでそこが辛いところです。

世知辛い話ですが、スーパー「バロー」の創業者は恵那市出身で創業記念行事として、恵那市に十億寄付したのだそうです。佐藤一斎顕彰会にも初期活動資金を提供しました。それもあり、顕彰会の年会費はわずか600円です。

ただ、お金の事を最初に考えてしまうと何も出来ませんので、それよりも出来る一歩を前に進めることが大切な事だと思ってます。

色々と考えさせられる、そして頂いた宿題も多い、岩村行でした。

大垣市「奥の細道むすびの地記念館」にドロップイン

病院帰りの松尾芭蕉を紹介している「奥の細道むすびの地記念館」の横を通りました。前から噂には聞いていたのですが、こんな道路沿いにあることは初めて気がついたことです。

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これは裏側ですので気付かず通り過ぎていたのでした。「百聞は一見に如かず」と言いますので、立ち寄ることにしました。感想等は後日にさせて頂き、3,4枚写真だけですがご紹介します。


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こちらが正面です。幅一杯記念館の建物ですから、結構大きな施設です。建物と3D映像を含めた資料の作成に約13億円かかっているそうです。我が市との財政規模の違いに唖然!


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記念館前の芭蕉像、後ろに控えるのは大垣市の芭蕉の俳諧仲間の谷木因です。


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芭蕉翁の後ろの川、川下りがあったり桜や紅葉見物で大垣市一番の観光スポットです。


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玄関入り口には先日行幸された両陛下の写真が早速掲げられていました。



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左手の女性をアップしますと楚々たる美女の写真。「名誉館長黛まどか先生」と記されておりました。
どうも何処かで聞いたことがある名前。しかしどうもイメージが合わない!


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 売店です。私は寒かったものですから、左下端に写っているテーブルでぜんざいを食べました。350円。おうどんが300円で到って良心的な値段でした。入館料も300円です。その価値は文句なくあります。

                    続く(続きは「奥の細道」を読んでから。いつのことになりますか)            

メリークリスマス! 素適なクリスマスの歌を三曲選びました

今日はクリスマスイブ。それもあってか、この所クリスマスソングばかり聴いています。
19世紀懐疑主義が盛んになり、素朴実在的に神が信じられなくなってからも、クリスマスソングは作り続けられ、これだけはキリスト教が世界全体に共通してもたらした喜びと言って良いと思います。


ジョンレノンと小野洋子の「ハッピークリスマス」の歌詞の一部を引用します。

And so this is Xmas/For weak and strong / For rich and  the poor ones
でも今日はクリスマスです 強い人 弱い人 金持ち 貧乏な人 全ての人に

The world is so wrong   /  And so happy Xmas  /  For black and white        
世界はトテモ間違ってるヨ でも今日は 目出度いクリスマスの日 です
                                                                                                
For yellow and red ones  /  Let's stop all the fight
ブラックとか ホワイト イエロー レッドとか 区分けされるいる 全ての人に
争うことは 全員 止めましょう


訳としてはこんな所でしょうか?思いやりある易しい英語で良かったです。歌詞を読んで思うことは、「メデタメデタの若松様」みたいで、今日は目出度い日なので、違いに目くじら立てて言挙げする様な事は止めて、楽しく過ごしましょうと言う何とも日本的な対立解消の歌の様に思えてなりません。
牽強付会かも知れませんが小野洋子のジョンレノンに与えた影響を思わざるを得ません。


さて、音楽素人で誠に僭越ではありますが、ヒラメが選んだクリスマスソング三曲をご紹介します。

◎ オー ホーリー ナイト  歌 マライアキャリー 「ポピュラーミュージックから」 

◎ ジングル ベル      歌 ダイアナクラール 「ジャズから」

◎ イン ザ ブリーク ミッドウインター 歌 キリテカナウ ロベルトアラーニャ 「クラシックから」※

         
何かお薦めがあれば教えて下さい☆

※TOSHIBA-EMIの「classical ever CHRISTMAS」収録の一曲で私はレンタルで借りて聴きました。

幸種市(しあわせたねいち)で幸福の種子をゲット!


我が家の菩提寺の本覚寺から「幸種市」に来て欲しいと言われましたので、チョッと冷かしに

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行ってビックリ!朝の十時でしたが本覚寺は沢山の人で一杯でした。美人のヤングママ親子にお願いして、入り口でポーズを取ってもらいました。隣の安八町からお越しとおうかがいしました。


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門のチラシを見ますと第八回と書かれています。「幸種市」とはハンドメイドの品物を持ち寄って境内で販売する企画です。町の活性化と皆様方の暮らしの生きがいに寄与する事がねらいかと思います。


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が、私は大きくタイムスリップしまして、中世の鎌倉・室町時代のアジールと言いますが、神社仏閣の周りに物売り、諸芸、見世物、占い等々がずらっと並んだ日常から離れた祝祭の現場に立ち会ったかのような思いに駆られました。


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全部で何軒お店が出たのか数えられませんでしたが、色とりどりで素敵なグッズが所狭しと並んでいました。
専門の業者さんのお店と、どこと無く違うのは、「楽しみ心」が大いにブレンドされているからでしょう。


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12月19日のブログでご紹介した十一面観音が祀ってある万霊塔の下では豚汁の無料サーヴィスがありました。皆さん並んで舌鼓を打っておられました。


  そうこうする内に本堂をステージに見立てた一回目の出し物が始まりました


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最初に登場したのは、ユリダンスセンターの皆さんのキッズダンスです。最後は全員で行いますが、順序を追って小さいお子さんのグループからダンスを披露しました。少しカメラで追ってみます。


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これは本堂内で撮ったもので、小さい子供が必死に踊っている様子が良く分ります。


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ポーズが決まったと言う感じですね


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  最後は全員でフィナーレ 多くの方がカメラで写してみえました


ところでこのチームは過日行われた「美濃竹鼻なまず祭りコンクール」で優勝しました。
私は凍るような土砂降の中で、見事に踊った姿を良く覚えています。
なまず祭り優勝に敬意を表しまして、ここになまず祭りでのパフォーマンスを挿入させて頂きます。


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10月28日(日)で結構寒かったのですが、このチームの時が一番激しい降りでした。

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ユリダンスセンターでした

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好みで一点だけ 別に買ったわけではありませんが


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羽島高校ブラスバンド部 私も教師してましたが音楽の先生は個性的でしたヨ


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やっぱり私から見ると 存在感が仏像と人間では違うと感じる


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羅漢さんに見つめられての演奏 きっと賢くなると思います


最後にタケちゃんハナちゃんの登場 

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羽島ゆるキャラ なまずのタケちゃん(青・木曽川生まれ)ハナちゃん(モモ・長良川生まれ)
それで出会いの川が逆川、逆川は二匹泳いだら水が溢れるような川でお気の毒!
それから逆川で会ったのなら、垢だらけに染まっている筈。リアリズムに反してますヨ

ドーモ聞く所によると、1月26日の「まちかどライブ」での
「佐吉大仏 な・な・ほ演奏会」にも出没するうわさも有り。




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幸種市はまだまだ続いていましたが、タケちゃんハナちゃんに再会を期し本覚寺を後にしました。

                            お疲れ様でした



竹下節子「奇跡の泉ルルドへ」 読んで我が身を振り返る 


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  本書はカソリックキリスト教の聖地で、「奇跡の泉」
  が湧くとして年間550万人の巡礼者を集める「ルル
  ド」について書かれたものである。
  
  著者は1951年生まれ。東大比較文学比較文化修
  士課程を修了後、パリ大学に学び、現在仏在住。
  キリスト教に関する著作を主に、多数著作がある。
  その中でも神秘主義に対する研究が中心であるが
  姿勢としては、批判的でなく、同時に礼賛して迎合
  することもなく、今日的視点に立っての冷静な文章
  でその本質的意義を追求している。

  この書では「奇跡の泉」の起こりから説き起こし、更
  にルルドを遡りその歴史的変遷、「奇跡の泉」が湧く
  と評判になってからの経緯、「奇跡」に関しての教会
  を中心とした色々な意見と著者自身の感想が平易
  な文章(名文!)で書かれている。
                                日本人にも思い当たる現象が多々あり、その考察には考えさせられますので、お薦めです!  
  

ホンでもってヒラメも考えました。水で思い出したことがありました。三年余り前の事です。

「『大仏のお堂に置いてある水は、心から邪悪のものを追い出し、魂を浄め健康と長生きの元になる』と謳ったらどうか!」と近所の家具屋のおじさんから真面目な顔で勧められました。
「冗談じゃない!あんなもん、女房が水道の水に冷蔵庫の氷を入れただけで何にもありません!!」と、慌てて打ち消しました。

私の場合は、ウルトラミニマムですが、言わば巡礼される立場になりますから「この本を読んでこう思う」と悠長なことは言っておられません!そう思ったら、そうしなければいけないからです

又、あんまり「ルルド」はエーエーと誉めましても、何となく沢山の人に来てもらって羨ましがっているとも受け取られ兼ねません。
賽銭は幾らだろうかとか。この点では近隣の海津市の「お千代母稲荷」はスゴイです。年間250万人。ルルドは動画では350万人と言ってましたからそれほど大差有りません。

佐吉大仏は、「奇跡」とか「不思議」とかそう言う事とは関係なく、少しでも充実した人生を送る礎もしくはヒントの様な場所になれたら幸いと思っております。
「慈悲の心」とか「徳を積む」と言う事は忘れ去られてしまっている現代、佐吉大仏の建立者の佐吉翁は掛け値無しにその体得者です。
もっと世の中の多くの人に知って頂きたいなと、これが一番大きいことです。
良い人間の存在を知る事は、それだけ人間に希望が持てます。

「ルルドの泉」の宗教的荘厳さとは違いますが、いろんな場所があって良いのかなと結論です。人は「救い」や「病気直し」だけを求めているとは限らない筈ですから。



佐吉大仏(大仏寺)全景補足 表看板(野口雨情・柳原白蓮)

11月23日の記事は「佐吉大仏全景」と題して大仏寺の全体写真を紹介した記事です。

今回は新しい看板が出来上がりましたので、前回には触れなかった道路に面した看板をご紹介したいと思います。


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こういった様に色々なものがフェンスにぶら下がっております。まだ固定化したものではなくて、段段と取り替えていき中身も見栄えも充実させていきたいと考えています。

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新しく作り直したのはこの野口雨情に関するものです。野口雨情は竹鼻が好きと言うか佐吉翁を相当慕っていたのか、佐吉翁を讃える詩を作っています。「仏佐吉さま 仏で暮らす 誰も仏で 世をおくれ」と書いてあります。

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これなんかは単に「竹鼻へ行きたい、雀の翼が欲しい」と言っているだけの歌で、註を見るとそのわけは、佐吉さんに会うためなのかと推測されます。
この看板は写真をラミネートで包みアクリル板に貼っただけですから大分悪くなってきました。余裕が出来たら取り替えたいと思っています。



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これは柳原白蓮の説明パネルです。この方は大変な方ですね。大正三美人。大正天皇の従妹。悪いことは書かないのですが、筑紫の炭鉱王と結婚し「筑紫の女王」と呼ばれました。それで駆け落ちして新聞一面にでかでかと記事が出ます。大変なスキャンダラスでした。

次はこれは「白洲正子自伝」に、興味本意の内容ですけど、書いてあった事です。美智子様の結婚前に関するエピソード。
白蓮から夜白洲正子に電話があり、「こんな事を許してよいか!阻止したいので協力して欲しい」と言われました。彼女は断る口実をあれこれ言っていたら、ガチャンと電話を切られてしまったそうです。
それで白洲正子は「社会主義者と駆け落ちしたからといって、赤いのは表面だけで、根は華族意識の固まり」と書いています。白蓮没後の一方的な批判ですけどね。
白蓮は与謝野晶子と並ぶ日本を代表する歌人ですから、美智子様も白蓮に相当泣かされたかなと、畏れ多いことながら、お察し申し上げる次第です。

「里人の 心に見えて なつかしや 佐吉が残す 仏心は」この歌は非常にいい歌だと思います。白蓮が童心に帰ったかのようで、佐吉翁の分け隔てのない感化の力を感じさせます。


最後に何故人名辞典の様な看板を作ったのか?その理由を述べたいと思います。

[ 市内の某小学校の百数十名の児童が数名の先生に引率されて見学に来ました ]

私は前に立ち次のように説明しました。
「野口雨情さんの様な立派な人がこんなに佐吉さんを尊敬しているのですよ!皆さん野口雨情さんを知っていますか?」 ・・・シーン・・・ これは仕方がありません。小3では普通です。
「では先生方に聞いてみましょうネ」 ・・・シーン・・・ (40代の方もみえました)
「では皆さん、シャボン玉って歌を知っていますか?」 ・・・ハァーイ 全員(先生も児童も一緒)

その時、これでは佐吉さんのことが忘れ去られるのも無理がないと思いました。
「そんなことで小学校の先生が務まるのか!!」と叱ってみても仕方が無いので、白蓮と雨情の手製の説明看板を作りました。

今回、両名とも揃って綺麗な看板に付け替える事が出来たました。
今度佐吉大仏に来られた時には、是非、表の看板の方もお読みいただけると嬉しい限りです。

寒い冬の夜 煮込みうどんの「加とう」に夫婦でお邪魔


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寒い冬の夜には温かいうどんが一番。ぐつぐつ煮上がった鍋焼きを味わいながら冷え切った夫婦の仲を、間違えました、身体を温めたいものです。
今宵は老妻と、うどんが美味しい「加とう」さんで夕食を共にしました。普段も多くは共ですが。


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主人の加藤さんは隣町で「天山」と言う大きいうどん屋を永年経営してみえたのですが、自分の好きな様にやりたいと欲せられ古里の羽島に戻り「加とう」と屋号も新しく店を開きました。平成12年3月の事。


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店内に一歩踏み入れました。木目模様も落ち着いた雰囲気、かと言って私たち庶民が躊躇する向きは全くなく、丁度エー加減!
最近どうも写真に取り憑かれ気味で、ご主人に無理を言って店内を少し撮らせて頂きました。


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料理と関係ない様な写真ですが、どこからともなく箏の優雅な音色が流れてきて、知らずに天井をじっくり眺めることとなりました。
料理が来るまで少し時間がかかります。それが「加とう」の特色ですが「うどんを茹でるのに12~15分位かかるので待って下さい」とお品書きに明記されてますので、そこは我慢。


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道路に面したカウンター席。左へ新幹線「岐阜羽島駅」、右は「岐阜県庁方面」。
行き来する車を窓ガラス越しに眺めて、もう年末かと思いに耽ったりしている内に ・・・



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左がカミさん・・・カレー味噌煮込み880円(ごはんは100円)  右私・・・串揚げ定食980円也

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   私は牡蠣フライに目がないのですが、「あんたは
   揚げ物があるので注文しなくてよろしい」と言わ
   れてしまいました。

   何しろ私はカメラは忘れず持って来ましたが、財布
   は向こう持ちですから、言われる儘。





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 串揚げ定食は本当に美味しくお値打ちでした。四種類の串の中に「れんこん」が入っている所が何とも羽島で、今や羽島市を代表する農作物だけでなく料理とも言えます。



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本当はカミさんを写したかったのですが「絶対イヤッ!」と逃げられましたので、ヒラメでご寛恕!
何が可笑しいのかゲラゲラと笑いながらの撮影で、私もつられて笑ってしまった所です。
さりながら年末。「笑う門には福来たる」と言います。皺など気にせずに大いに笑いましょう。

「加とう」さん、どうも二人でお騒がせしまして、本当に有り難う御座いました。



初冬を迎えた樹木たち


DSC02225_exposure        初冬を迎えた樹木の様相

    コメントをまじえず写真だけ

    10枚ご紹介します 










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今日の朝(12月20日)撮影 付け足しです


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飛び立つ時には余り何にも考えないのがイイのでしょうね 計算通りに行くとは限らないですし



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帰路の一枚 段段朝が拡がり やがて登校する児童・生徒の声が聞こえてきました







羽島市「本覚寺」観音様のお祭りの様子


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毎月18日は観音様の日です。大仏寺も観音様が祀られていますが、我が家の菩提寺の本覚寺
には万霊塔の守り本尊として石造の非常に清楚で美しい十一面観音が祀られています。
12月18日は本覚寺の一年一回の観音様の大祭です。その模様の一部始終をご報告します。



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時間は午前11時からで、十分前に到着。通路に面したお地蔵さんも寒かろうと思いきや・・・

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皆様、しっかり防寒用の帽子を着せてもらって、色とりどりのあったかい襟巻きを身にまとっておられました。
人間の心理とは不思議なもので、12月18日の写真なので暖かそうでイイなと思うのであって、「八月」の写真に混ぜると、同じ写真でも暑苦しく感じて「どーなってるの!」と叫びたくなります。

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心もホクホク
  暖かくなって


   観音様に ご挨拶に参ります           

                                  
   

     

画像 572  本覚寺の観音様は十一面観音様です。

  私は毎日「観音経」を詠んでいますので、

  どうしても少しばかり講釈したくなります。

  十一面観音は観音様の変幻自在な姿を

  一体に具象化したものです。

  相手の姿に身を変えて説法すると言うのが

  観音様の極意。子供には子供、大人には大人

  仏には仏、鬼には鬼で、色々なお顔を持って

  おられるのが十一面観音様です。






  


画像 555  当日の式進行はこのお二人の若き曹洞宗の
  お坊さん、観音経の中では「比丘(びく)」と記
  されていますが、によって執り行われました。

  向かって右側が本覚寺の大橋住職
  左側が愛知県刈谷市西福寺の佐竹副住職

  頭は完全に剃髪して寒くないのかと思いまし
   たですけれど、寒い永平寺での修行の経験も
     活かされておられるのか、寒そうなご様子は
  全く感じられませんでした。












画像 560   うやうやしく式は始まりました。
   所が本覚寺の横を走っている名鉄電車
   が通り、これはシャッターチャンス!と
   私は式から抜け出してしまいました。
   カメラマンと言うのは葬式も結婚式も
   態度に区別がつかないのが多く苦々しく
   思っていましたが、私も同じでした。
   参列の皆様方、スイマセンでした。





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参列の皆様方のご焼香です。平日ですのでお子さんはお一人でした。


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礼に始まり礼に終わると言いますが、きちんとした礼儀作法を学び取っていきたいと感じさせる御住職の拝礼の姿です。
式は「般若心経」で始まり「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(ふもんぼんげ)」、最後に「延命十句観音経」を唱えて修了しました。
右に見える方は、羽島市掘津の秀悦寺の尼僧様。尼僧は「観音経」の言い方では「比丘尼」です。



儀式の部分は修了しましたが、ここから本堂に移り、お楽しみの昼食が始まります。


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若いという事は実に素晴らしいのは、年老いたお坊さんではこんなフットワーク良く動けません。さっきまで厳かに式を執り行っていたかと思うと、その足で本堂に駆けつけ、袈裟をたすきに付け替えて、イス並びに配膳に動き回られる、一つ一つに仏道があると教えられてきた姿の現れと思いました。


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勿論裏方で仕事をしてみえる方も多く、一つの行事を行うと言う事は、みんなの協力なしでは出来ない事であり、同時に協力する姿勢が其の儘仏の道に繋がると云えます。


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刈谷の西福寺さんも、やっと座る事が出来たようです。ほっと一息つけた瞬間かと察します。


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岐阜県文化財の見事な龍の絵天井の下での舌鼓。周囲を見回せば五百羅漢がずっと取り巻き、どんなゴージャスなホテルのメインテーブルでも味わうことが出来ない至高のグルメと申せましょう。


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私はカメラマンで隅っこで食べましたが、こんなに沢山食べられるのかなとちょっと心配。


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湯気立つホカホカのおでんに、色取りも美しく口サッパリの漬物を並べてご紹介。


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帰りには御菓子のほかに、お供えの野菜も皆さんに持ち帰ってもらいます。ここ
でもご住職大活躍で、全員帰られてからの昼食になるのかなぁとお察ししました。


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私も観世音菩薩に見習って髪の毛を染めて変幻したつもり。融通無碍と行きますかどうか
 
   

2012年の年末に際し ホイットニーヒューストンを偲ぶ


年の暮れも近づきますと、その年に亡くなられた方を追悼することは大切な事だと思います。
タレントさんの場合、夢を育んでもらい、余計に偲ばれる思いがします。
私は近年タレントさんやアイドルに憧れる気持ちを全く無くして仕舞いました。最後の私のアイドルとして、心秘かに胸を焦がしたのがホイットニーヒューストンです。
今日は年末にあたり勝手ながらホイットニーシューストンを偲ぶ記事を掲載させて頂きます。



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彼女は豊かで恵まれた家庭環境、抜群の歌唱力、素晴らしいプロポーションと何もかも揃ったスーパースターとしてデビューしました。
先行するダイアナロスが下町の親しみやすさならば、アメリカ中産階級の若干のスノビズムを感じさせる気品と気位を持しているのがホイットニーの特長でした。
喩えてみれば、ダイアナロスが黒人に対する偏見を次々と打ち破っていったとしたならば、黒人女性こそ世界で一番美しいのでないかと思わせる魅力がありました。
堂々と自信に満ち溢れ、物怖じしない態度は幼少の頃からの経験に根ざしていると思われ、そう言う黒人女性が現れてきたと言う事だと思います。



画像 550_exposure       私は十数年前二冊伝記を読みましたが
          彼女の母親はスイートインスピレーションズと言う
          黒人コーラスグループのメンバーです。
          映画「エルヴィスオンステージ」でバックを
     務めていて、一級のグループです。
     また、だいぶ年上ですがディオンヌワーウィック
     が従姉妹で、幼少よりショービジネスのトッ
     プを見ながら成長しました。



突然の訃報を新聞で見てでどうしてこんな事が起こるのであろうかと、人の生きる事の不確かさを痛感しました。
スターの伝記は絶頂期に書かれますので、結婚して最高に幸せで、映画「ボディガード」も大ヒット、スーパーボウルでは国家を歌い、それがヒットチャートに乗ると言った向かう所敵無しの感じでしたから、薬物中毒で転落していたと言ったことは信じられないことでした。


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     持っているDVDは画質良くないのですが、1991年
  のコンサートの模様で翳りはみじんもありません。
  私も改めて視て、何と言う綺麗な人なんだろうと感
  心しました。計算すると26歳の写真ですか。
  伝記は「ディーヴァ」)と題されています。
  ロバートデニーロの口説きに閉口した話とかレス
  ビアン疑惑、エディマーフィーが最初の男性でな
  いかという推測とか、華のあるスターならではの
  話満載で大変楽しい本です。



DSC02064  私はコンサートを聴きに行く甲斐性はないので、
  専らCD専門で、映画もレンタルビデオです。
  今度「ボディガード」がかかったら、スクリーンで
  見てみたいものと思いますが、そう言う機会は
  あるのでしょうか。
  ホイットニーヒューストンを観るだけのために存在すると
  言って良い映画ですから。
  
  
  




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        こんな女性をガールフレンドにしたいものと言う思いと、こんな素適な娘がい
        たらさぞかし幸せと、私に二つの夢を見させてくれたホイットニーヒューストン。
               2012年の末に際し、深く哀悼の意を捧げます。

  



「近江聖人中江藤樹記念館」訪問記


今年の八月「近江聖人」と称えられている「中江藤樹記念館」を訪問しました。
以下はその抜粋記録です。

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滋賀県高島市に車を進めますと、大きな看板が来る人を迎えてくれます。
中江藤樹は高島市の人にとっては今も生きる郷土の誇りです。

始めてその名を聞かれる人も多いと思いますが、江戸時代初期の方で日本儒教の基礎を築いた人物です。
儒教というと「非常に規律・戒律が厳しく、主君には絶対的な忠誠心を持つ」と言うイメージを持っていましたが、藤樹先生はもう少し違うと言う事が分かってきますが、それは追々。


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これが「近江聖人中江藤樹記念館」の全景です。昭和61年に市民の拠出により建設したもので、工費が約1億円だそうです。それ以外に内装に600万円程かかったそうです。
今の水準で考えると大変合理的に使用されたと思います。


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一歩中へ入りました。大変スッキリした感じです。しかも明るい。こう言う場所は最初の印象がとても大切で、難しすぎるものを並べたり、一杯に資料を揃えたりすると最初に圧迫感を受けます。熱い思いばかりを先行させても駄目なのです。私自身に言い聞かせている様なものですが。


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資料は多くありません。時々展示換えをされるようで、これくらいですと一点一点じっくり見ようかなと言う気持ちになりますから、効果的です。


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まだ幾らもあるそうですが、戦前中江藤樹に捧げられた著名人の書です。
左から東郷平八郎、渋沢栄一、富岡鉄斎、文字通りスーパーな方々ですが、今では富岡鉄斎が日本近代美術の第一巻を飾るくらいで、後の方は忘れ去られているかも知れません。


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こういう人形やカルタを使って小中学生が来ても楽しみながら勉強できる様に工夫されていました。見習うべきでしょうね。私は伊勢松坂の本居宣長記念館にも行きましたが、率直に言いまして高尚過ぎて、大学生以上のある程度知っている人でないと味わえられない気がしました。
その点ここは市の教育委員会ともタイアップしているようで、子供のことをよく考えておられます。


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写真が上手くないのですが、藤樹の書を一点出させていただきました。
自由に写真を撮っているように思われるかもしれませんが、事前にアポイントを取り館長さんに説明を受けながら撮影しています。


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書籍販売コーナーで、大人向きから子供用まで、又市の教育委員会が作成したものまで、ニーズに応じて選ぶ事ができます。

私も二冊買い求めました。ここからは少し理屈っぽい記述になりますので関心あられる方はお読みください。

日本的儒教と言う事ですが、所謂官学、武士道の支えとなった儒教があります。この中心人物が林羅山と言う方です。中江藤樹は林羅山を強く批判して規範を主とするのではなく、人間が心に持つ真心を信じて、そこから起る真情に行いの基盤をおきます。
彼の心情重視の考え方はその後の日本思想の源となって、本居宣長の国学や心学(道徳学と同じ)に引き継がれます。永田佐吉もその一人であると考えられます。

「永田佐吉」もそうですが、「二宮尊徳」、「中江藤樹」と聖人として戦前敬われてきた人は、全て孝行の徳と言う事について完全に一致しています。
三名とも全員先ず「孝行」と言う事が徹底的に称えられます。どんなよい事をしても、凄い業績を上げても「孝」に反する人は戦前は聖人の列には加えてもらえません。
将に「孝は百行の本(もと)」で、これが戦前の修身教育の実は一番重要な幹です。

では、本中(もとちゅう)の本(もと)を作った中江藤樹の「孝」に関する考え方はどうであったかと言いますと、小学生用に高島市教育委員会が作った副読書「藤樹先生」からの要約引用です:
『藤樹先生は「孝の心」を大切にしました。「孝」は人間が人間らしく生きていく上でいつの世でも変らない根本であると考えました。 (中略)
孝行はただ自分の父母に仕えると言う狭い考え方ではなくて、自分の心や体は父母から受けたものであり、父母の心や体は先祖から受けたものである。更にそれは天から受けたものである。だから、祖先を尊び、天を敬うのも孝行であり、自分の心を正しくして、体を健やかにして、行いをよくすることも孝行であると教えています。先祖を敬う事は言うまでも無く、友達と仲良くしたり、勉強に励むのも孝行であると言うのです』(下線ヒラメ)

彼が言う「天」とか「先祖」と言う言葉に現代人はたじろぎますが、昔はごく自然に使っていた言葉で、そういう人口に膾炙した言葉を使いながら、その行いの原点を自己においていると言う事に、現代にも西洋哲学にも通じる普遍があります。

ともかく親孝行と言うのは「孝の中の実践の一つに過ぎない」と言う事を知っただけでも非常に大きな収穫でした。

藤樹は親の面倒を見るために侍の地位を捨てて、浪人に近い身分になるほどの母親孝行に徹した人ですが、必ずしも母親の言うとおりでなかったことを表す逸話が有ります。

藤樹は郷里へ帰り塾の先生をして暮らしを立てるようにするのですが、世話する女性が必要であると周りが気を使い結婚が成立します。所が大変不細工な女性だったので母は藤樹が哀れになり、実家に帰してしまいました。藤樹は母を諌め妻の実家にお詫びに行き、家へ連れかえってきて、こよなくこの妻を大切にして暮らしたそうです。人柄が其の儘分る大変素晴らしいエピソードです。

そんな訳で私はすっかり藤樹ファンになりまして、高島市まで遠くて大変でしたが、行ってよかったなぁと大感激して羽島に帰りました。

今のメディアとか作家が語り継がないだけで、日本には本当に素晴らしい人間的徳を実践した人がいると言う事を最後に言っておきたいと思います。


角田鋼亮指揮 岐阜大学管弦楽団「第46回定期演奏会」を聴いて


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  私がクラシックのCDを聴き始めたのはホンの一月
  余前の事に過ぎません。
  持っている事は沢山持ってはいますが仕舞っておく
  だけでした。
  それがこのブログにしばしばコメントを下さるサヨナキ
  ドリさんから「息子が指揮をするので良ければ聴いて
  欲しい」と言われ左のチラシとチケットを送っていた
  だけました。
  演奏会のほうは前に記事にした愛知県芸術劇場コ
  ンサートホールでの演奏会が先でしたが、元はこの
  岐阜大学管弦楽団のチャイコフスキーの「悲愴」を
  メインとしたコンサートの方です。
  私はちゃっかりと貰える物は頂く主義ですが、それに
  しても「悲愴」。メロディーを知っておかないと退屈する
  と思い戸棚に眠っていたCDを初めて再生したのが事
  の始まり。

所が「悲愴」、50分近い長い曲で途中で眠ってしまいました。その後モーツアルト「レクイエム」を薦められ、こちらは歌詞があって少し興味が湧き、その後世界の名曲集を中心にBGMとしてクラシックを流すことが多くなりました。

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パンフレットのプロフィール欄の一部を写しました。1980年名古屋市生まれ。サヨナキドリさんのハンドルネームの感じと鋼亮さんと言う名前がそぐわない感じで、違和感を持ったのですが、家代々の家業が確か鋼と関係しておられるよう様にもお聞きしました。素晴らしい事ですね。


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ここが会場の瑞穂市総合センターです。瑞穂市といって名古屋ではありませんのでお間違いなく!岐阜市の西、大垣市の北にある新しい市で岐阜県で一番小さい市※です。こじんまりとまとまった品のいい建物でした。

※面積です。約28平方㌔。ちなみに日本一広い市は同じ岐阜県の高山市で約2,177.7平方㌔。地理の勉強ではありませんが、東京都が2,188平方㌔で高山市とほぼ同じ

       

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演奏前に一枚失敬して撮りました。客席は結構な入りで、まだ続々とお客さんが詰め掛けてきていました。開演15分前のサンシャインホールの様子です。


さて、演奏が始まりました。前半はまずまず普通に終了し15分の休憩を挟んで、50分の「悲愴」が始まりました。
私は前回のコンサートの時と同じように眼を閉じ深い瞑想に入りかけていました。
     
     皆さん! 「悲愴」を聴いた事は有りますか!

第一楽章の中頃、雷みたいな音でバシャンと大きな音がしてビックリして飛び起きます。そういう事で今回は最後まで夢の世界に入ることなくしっかりと聴かせて頂きました。
「悲愴」はCDの時と違って生演奏で聴くと、メロディーに気持ちが非常に乗せやすくて、段段楽しくなってきました。
特に第二楽章から第三楽章にかけては、心を音楽の世界に軽快に誘う快いメロディーでした。又オーケストラも指揮者を中心に全体で一つの有機体になったかの様に大きくうねりながら演奏に没入していました。
第三楽章が終わった時には曲の途中でしたが、大きく拍手が起き、私も手を叩きました。
第四楽章は静かな終わりで指揮者が振り向くまで会場は静まり返っていましたが、振り向くと同時に大きな拍車が湧き上がり、感動を伝えていました。
団員の中には眼頭を抑えている学生も見受けられ、誠に「全力を振り絞って」の演奏であった事がよく分り、私ももらい泣きしてしまいました。

これは本当に歴史に残る演奏会であったと思います。天下国家とは別に、一人一人の心にも刻む歴史があり、そんな素晴らしい経験を会場で分かち合う事ができた事は、私にとって大変価値ある時間でした。岐阜大学管弦楽団の皆さん、本当に有り難う御座いました。


                感謝をコンサートミストレスに捧げます。

                 
Thank you very much, Miss Hanako A.

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四年生最後の立派な演奏会。長い人生、安全運転に留意され、いつまでも笑顔絶ゆる事なく!

    

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