佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2013年08月

永田佐吉顕彰会準備委員会結成のお知らせ

永田佐吉顕彰会準備委員会が皆様のご厚志により結成することができました。
顕彰会は来年4月に予定する総会で正式に発足しますが、準備委員会として既に活動をしています。

皆様方に、永田佐吉顕彰会準備委員会の内容をお知らせして、地域にこだわらず広く、永田佐吉顕彰会(含む準備委員会)への入会を熱く呼びかけるものであります。


DSC06340 左は、今日の岐阜新聞の地域版です。

 昨日、会長以下役員5名で、羽島市長にご挨拶に
 伺ったことが、市長動向欄に載っています。

 羽島市松井市長は、既に市内にある円空顕彰会と同じ
 ように考えて支援していきたい、と仰って頂けました。



役員5名は、市長さんとの面談のあとに、羽島市商工観光課にも赴いて、ご挨拶してきました。


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◎ 入会の呼びかけ

入会についてはいつでも受け付けていますので、ふるってお申し込みください。

お葉書に永田佐吉顕彰会(含準備委員会入会)希望とお書きになられまして、次に郵送願います。

〒501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町209 大仏寺内 永田佐吉顕彰会準備委員会事務局

お問い合わせ先の電話番号は058-391-5032です。

お金は後に記しますが、年会費2,000円で来年総会時に納入して頂きます。3月までの準備委員会の間はお金は頂きません。これは会計年度を4月~翌年3月にするためです。

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◎ 役員名簿 

会  長  野田 光彦 昭和15年羽島市足近町生 同竹鼻町在住
                岐阜大学学芸学部卒業 初任は恵那市市立岩村中学校
                県内の小中学校を歴任、岐南北小学校長として退職
                現在岐阜県退職校長会会員・羽島支部理事等の職務にある

副会長   武藤 隆茂  昭和15年生まれ竹鼻町在住 羽島市民生委員

事務局長 田中真奈美 会社員 「羽島の未来を築く会」会員

副事務局長 堀  竹美  主婦

事務局    永田 敏子 主婦 

理  事  清水 國夫 羽島市自治委員 羽島観光ボランティアガイド会長

       丹羽 茂夫 羽島観光ボランティアガイド会員

       岩田 源五 「羽島」の名勝・史跡ガイド 前羽島市歴史民俗資料館映画資料館館長 

       近藤 尚子 保育士

顧  問  永田  章  永田佐吉子孫 大仏寺代表 元岐阜県立高校・特別支援学校教員

       堀  隆和  羽島市市議会議員 元羽島市立小・中学校教員

名誉会員 神田  智  日本作曲協会会員 平成22年東久邇宮記念賞受賞

       不破  洋  医師 羽島市文化財審議委員長

       松永 清石  書家 中日書道会副理事長         

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永田佐吉彰徳祭へは金銭等は全く不要ですの自由にご参列ください。予め事務局の方にご連絡いただきますと助かります。当日でも構いません。


◎ 平成25年永田佐吉翁彰徳祭  主催:永田佐吉顕彰会準備委員会

1 日 時  平成25年10月14日(月・祝日) 10:30 ~ 11:15

2 場 所  大仏寺釈迦堂

3 式次第  Ⅰ 永田佐吉顕彰会準備委員長挨拶
         
         Ⅱ 祝辞
         
         Ⅲ 講話(15分)  松井聡羽島市長

         Ⅳ 演奏(15分)  柴田直子氏による三味線弾き語り「佐吉物語」

         Ⅴ 閉式の辞  永田佐吉顕彰会理事

 
備考
彰徳祭に先立ち、大仏寺で佐吉翁の命日法要として「般若心経」と「観音経」の読経を行います。
予定は10時~10時20分です。これは彰徳祭とは切り離して行いますが、お時間お有りの方は、少し早めに来て頂いて法要にもご参列頂きます様に、ご案内申し上げます。
    
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◎ 永田佐吉顕彰会会則(案)

第1章 総則
 第1条 この会は「永田佐吉顕彰会」(以下「顕彰会」という)と称する。
 第2条 顕彰会は、永田佐吉の事績を顕彰し、その遺徳を学ぶと共に今日に広く伝え、あわせて会員相互の交流を深めることを目的とする。
 第3条 顕彰会は前条の目的を達成にするために、次の事業を行う。
      (1) 永田佐吉並びにその事績に関する研鑽と広報
             (2) 史跡の整備や管理及び広報誌等の発行
      (3) 永田佐吉彰徳祭の実施と研修会や交流行事の推進
 第4条 顕彰会の事務局は大仏寺お茶所に置く

第2章 会員 
 第5条 顕彰会の趣旨に賛同し、次の会員規定条件を満たす者について、これを会員とする。
  (入会)顕彰会の趣旨に賛同し、入会申し込みと会費を納入した時点のいて、会員とみなす。
  (会費)会費は年会費2,000円とする。
  (会員資格喪失)顕彰会員は以下の事項に該当した場合、その会員たる資格を喪失する。
      ① 正当な理由なく半年以上会費を滞納した場合
      ② 顕彰会の名誉を著しく傷つけ、真は顕彰会並びに顕彰会員に不当な損害を与えた場合
      ③ やむを得ぬ事由にて、脱会の意を会長に申し出、受理された場合
 第6条 顕彰会は、永田佐吉の顕彰に業績のあるものを、名誉会員とすることができる。

第3章 役員
 第7条 会長1名、副会長1名、事務局(若干名)、理事(若干名)、顧問(2名)
 第8条 役員は顕彰会員の中から、総会において選出する。
 第8条 役員の職務は次の通りにする。
     (1) 会長は、顕彰会を代表して、会務を統括する。
     (2) 副会長は、会長を補佐して、必要に応じて会長の職務を代行する。
     (3) 事務局は、庶務・会計を行う。
     (4) 理事は、理事会に出席し、意見や提案を述べることができる。
     (5) 顧問は、理事会に出席し、参考意見を述べると共に、必要な助言を行う。

第4章 会議
 第10条 会議は、総会と理事会で構成される。総会は、年一回会長が招集する。但し会長が必要と認
      める場合は臨時総会を開催する。理事会は、役員が出席し、適宜開催される。    
 第11条 総会は次の事項を決定する。
      (1) 収支決算・予算  (2) 事業報告・計画  (3) 役員の選出  (4) その他

第5章 会計
 第12条 顕彰会の会計年度は、毎年4月1日より翌年の3月31日に終わるものとする。

附則
 この会則に定めなき事項は、総会によって決定する。
 この会則は、平成26年4月1日から施行する。     



仏典13 『サンユッタ・ニカーヤ』 梵天勧請

ブッダは今のブッダガヤーのあたりで初めてさとりを開かれます。その時次の様に思われます。


「私のさとったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え

微妙であり、賢者のみよく知る所である。ところがこの世の人々は執著のこだわりに楽しみ、

執着のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。・・・・・中略

私が教えを説いたとしても、もしも他の人々が私の言うことを理解してくれなければ、わたしには

疲労があるだけだ。わたしには憂慮があるだけだ」と。



つまりブッダは教えを説こうとはされませんでした。
そこで梵天が釈迦の心の中を見通して、説法する様に頼みに来ます。これが仏教説話史上有名な梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と言うお話です。

インドでは仏教以前ウパニシャッドと呼ばれる哲学が唱えられていました。その哲学の中で絶対的なものを名付けてブラフマンと呼んでいました。
それがブッダの時代に入り、人格視されるようになり、世界創造・支配を司る神様になります。
それが中国語訳で「梵天」と呼ぶ神様です。
その一番最高の神様がブッダの前に跪き、説法してくださいと頼みます。その場面。

そのとき<世界の王・梵天>は上衣を一つの肩にかけて、右の膝を地に着け、尊師に向かって

合掌・敬礼(きょうらい)して、世尊にこのように言った、-

「尊い方!尊師は教えをお説きください。幸ある人は教えをお説きください。この世には生ま

れつき汚れの少ない人々がおります。かれらは教えを聞かなければ退歩しますが、聞けば

真理をさとるものになるでしょう」と。


「汚れあるものの考えた不浄な教えがかつてマガタ国に出現しました。

願わくばこの甘露の門を開け。無垢なるもののさとった法を聞け

譬えば、山の頂にある岩の上に立っている人があまねく四方の人々を見下ろすように

あらゆる方向を見る眼ある方は、真理の高閣に登って、自らは憂いを超えていながら

生まれと老いとに襲われ、憂いに悩まされている人々を見そなわせたまえ。

起(た)て健(たけ)き人よ、戦勝者よ、隊商の主よ、負債なき人よ、世間を歩みたまえ。

世尊よ、法を説きたまえ。真理をさとるものもいるでしょう」


梵天様だけあって格調高くブッダに法を説く様に呼びかけます。
ブッダは梵天の呼びかけに応じて、世の中をじっくり観察して、梵天に次のように応えます。


そのとき尊師は梵天の懇請(こんせい)を知り、生きとし生ける者へのあわれみによって、

さとった人の眼によって世の中を観察された。

あたかも、青蓮の池・赤蓮の池・白蓮の池において、あるものは水中に生じ、水中に成長し

水面に出ず、水中に沈んで繁茂するし、あるものは水面に達するし、またあるものは水面

から上によって水によって汚されない。


ブッダの崇高な理想はいきなり言っても、たいていの人から何を言っているか相手にされず理解もされません。しかし梵天の懇請に応じて世の中の人々をもう一度眺めなおしてみると、正しい教えを知れば、真理をさとる人もいると気がつかれたわけです。そして・・・


「耳ある者どもに甘露の門は開かれた。

おのが信仰を捨てよ。

梵天よ。人々を害するであろうかと思って、

わたしはいみじくも微妙な巧みな法を人々には説かなかったのだ」


「おのが信仰を捨てよ」というのは当時バラモン教をはじめいろいろな教えが出回っていたので、
偏った信仰を捨てなさいと言っています。信仰そのものを捨てよといっているのではありません。

<世界の主・梵天>は「世尊が教えを説かれるための機会を作ることができた」と考えて、尊師に敬礼してその姿を消しました。

曹洞宗のお経の一節に『仏祖憐れみの余り宏大な慈門を開けおけり』とあります。

曹洞宗の祖とされている道元は、『サンユッタ・ニカーヤ』を知る由もなかったと思いますが、信仰の見究めによりこの瞬間のブッダの精神を見事に捉えられていると思います。

仏典12 『サンユッタ・ニカーヤ』 三人娘の誘惑

三人の悪魔の娘の誘惑の場面を取り出して、原始仏典の記述の仕方を味わいましょう。

悪魔がブッダを誘惑しようとしましたが、ビクともしないので、今度は娘を差し向けました。
一度誘惑されてみたいものですが、彼女たちには「愛執」「不快」「快楽」という名前がついています。


そこで、「愛執」と「不快」と「快楽」という悪魔の娘たちは、尊師に近づいた。近づいてから、ブッダに

次のように言った、-「修行者さま。われらは、あなたさまの御足(みあし)に仕えましょう」と。

ところが、無上の<生存の素因の破壊>のうちにあって解脱されているとおりに、尊師は気にも

とめられなかった。


「生存の素因」というのが難しい表現ですが、「五蘊」と言いまして、色(物質と肉体)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、識(識別作用)の仏教が考えるわれわれの存在を構成している五つの要素です。

説明を読んでかえって難しくなりましたが、「般若心経」を引用して説明しますと、その最初の方で唱えられる『照見五蘊皆空 度一切苦厄』(観音様は五蘊を空であるとみなされた時、全ての苦厄から免れました)という状態にブッダはあったということです。

さて、話の続きは、悪魔の娘たちは一人づつ誘惑しようとします。


傍らに立った悪魔の娘<愛執>はは尊師に詩を以て話しかけた。-

「あなたは悲しみに沈んで森の中で瞑想しているのですか?それとも、なくした財を取り戻そうとし

ているのですか?

あなたは村の中で、なにか罪を犯したのですか?

なぜに人々と付き合わないのですか?

あなたは、だれとも友にならないのですか?」と

〔尊師いわく、-〕

「愛しく快い姿の軍勢に打ち勝って、

目的の達成と心の安らぎ、楽しいさとりを、私は独りで思っているのです。

それ故にわたしは人々とつき合わないのです。わたしはだれとも友とならない」


美女を向けてくるような誘惑に打ち勝って、さとりの境地に到達することは楽しいので私はそこへ行きたいと、ブッダは言われました。独りで修行するのが当時の通例であったのだそうです。
集団では行わなかったのですね。



そのとき悪魔の娘<不快>は、尊師に詩を以て語りかけた。-

「修行僧はこの世で、どのようにして身を処すること多くして五つの激流を渡り、ここに

第六の激流をも渡ったのですか?

どのように多く瞑想するならば、外界の欲望の想いがその人をとりこにしないのですか?」と

〔尊師いわく、-〕

「身は軽やかで、心がよく解脱し、迷いの生存を作り出すことなく、

しっかりと気を落ち着けていて、執著(しゅうじゃく)することなく、

真理を熟知して、思考することなく瞑想し、

怒りもせず、悪を憶い出すこともなく、ものういこともない。

このように身を処することの多い修行僧は、この世で五つの激流を渡り、ここに第六の

激流までも渡った。

この様に多く瞑想するならば、外界の欲望が想いがその人をとりこにすることがない。」


ブッダの言う六つの激流の具体的なことも「般若心経」に「無眼耳鼻舌身意」という表現で表わせれています。五感と意識ということで、ブッダはそれらに囚われていません。

私には「思考することなく瞑想し」という表現が大変難しく感じます。その前後のブッダの言葉から正しい瞑想の仕方を学びたいなと思います。
先入観、偏見、損得勘定等に捉われる事無く、素直な心になる事は大切だと思います。


次いで悪魔の娘<快楽>は、尊師のもとで、この安らぎの詩をとなえた。-

「妄執を断って、仲間の群れとともに歩む。

実に多くの人々は歩むであろう。

執着なきこの人は、多くの人々を、〔死王の束縛から〕断ち、死王の彼岸に導くであろう。

偉大な英雄で諸々の如来は、正しき理法によって導きたもう。

理法によって導かれている智者たちが、どうして嫉むのであろうか。」


このようにブッダは、しっかりとした覚悟を持っておられるので、誘惑するのは不可能と思って、三人の悪魔の娘は退散することになりました。

次回は「梵天勧請」(ぼんてんかんじょう)として大変有名な仏教説話をご紹介します。梵天と言うのは「梵天様」で仏教に採り入れられたバラモン教の最高神ブラフマンのことです。では。

佐吉大仏 地元ミニコミ2紙で掲載

佐吉大仏に関する記事が地元ミニコミ2紙に掲載されましたので、その部分をご紹介します。

この記事は、8月に羽島市歴史民俗資料館が中心になって行った「夏休み親子歴史教室」についての記事で、円空さんと佐吉大仏が見学のメインとして採り上げられました。


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これは「羽島新報」という新聞で、月一回、羽島市を中心とした各家庭に配布されます。又、指定された場所やコンビニで無料で手にする事ができます。第一面は美濃竹鼻七夕祭りの記事で、写真を撮るのが上手いのか、竹鼻商店街もそんなにさびれた感じは出ていませんね。


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夏休みのスナップ写真集の一つに大仏さんに入っている所と大きな「けいす」(大きな鈴のこと)を試している様子。その右二つは円空さんの中観音堂です。それ以外は、雪まつり、七夕祭り、ひまわりまつり。
見にくいですが下に配布エリアが書かれています。四万五千部ですから結構なものです。


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「羽島新報」は大サーヴィスで、別の場所にも記事を載せて頂けました。写真は右上一つですね。

                         ・・・・更にサラにさらに・・・・

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「ぎふ羽島ホームニュース」は中日新聞の地元サーヴィスとして、月二回新聞折り込みです。

発行部数は二万五千で地域は羽島市・笠松町・岐南町で、昔でいう所の羽島郡エリアです。記事内容とは関係がない話ですが、出来れば一つにまとまって羽島市になるとイイのですが。地域ごとの事情があるようです。


DSC06325  こちらは写真一つで、胎内に入ったこどもの
  写真が載せられています。

  まだ他にも色々あり、その模様は当ブログの
  8月3日に載せましたが、お腹の中が余程イ
  ンパクトがあるのでしょう。

  佐吉さんの行いが一番大切ですが、子どもの
  うちは楽しい思い出を残すことが肝心ですから
  これで良いと思っています。

  「羽島新報」も含めて両紙とも地域外には出ない
  新聞ですが、その分地元の方からは親しまれて
  います。

  まとめとして、両紙に対して感謝の意を表したい
  と思います。

  誠に有難うございました。今後もよろしくお願い
  します。




仏典11 『サンユッタ・ニカーヤ』 さとりは歩みの中に

『サンユッタ・ニカーヤ』は「悪魔の誘惑」と「生きる心がまえ」の二回に分けて説明されています。
この冒頭の部分で中村元は非常に心すべきことを書いておられると私は思いましたので、今回は仏典の引用ではなくて、中村元の解説を採り上げます。


『サンユッタ・ニカーヤ』のなかでは悪魔が色々な形をしてブッダを誘惑したという話がいくつも

伝えられています。従来の仏典によると、ブッダは悪魔の誘惑を退けて、そこでさとりを開かれ

たということになっておりますが、しかし、この聖典についてみますと、ブッダがさとりを開かれた

あとでも、まだ悪魔がいろいろな形をしてブッダを脅かしたり、あるいは誘惑したということになっ

ております。

これは今の我々が考えてみても、意義が非常に深い教えであると思います。つまり、
人は一つの

心境に達して、しっかりとした志を立てたとしても、現実の世界においては、いつも誘惑もあれば脅

かされることもある。そういう誘惑や脅迫に屈しないで進んでいくという所に本当のさとりがある


でして、実践的見地からは「さとりを開いた人が悪魔の誘惑、脅迫を受けながら、しかも退けた」と

いう諸伝説は非常に深い意味を持っていると思います。(下線B)


よく宗教の話で神の啓示とかインスピレーションとかがあり、そこから突然人間が生まれ変わり、まわりも神様のようにその人を取り扱いだす事をよく聞かされます。

それに対してこの仏典では、悪魔の誘惑を退けるが、そのあとも、何度も誘惑があると記されています。これが普通の姿で、物事はそう一気に、黒から白に変わる様なものではないと思います。

仏教の場合「悪魔」と言うのは、自分の「煩悩」すなわち物欲・色欲・愛欲等が形をとって現われたものですから、一つさとれば、また新たな執着の苦しみに苛まれるのが人間だということはよく分かります。

ブッダも人間ならば、繰り返し繰り返し新たな悪魔の出現に直面せざるを得ません。

「さとり」とは突然インスピレーションのように行われる事ではなくて、「誘惑や脅迫に屈しないで進んで行く所に」あると中村元先生は言っておみえです。

この考え方は、私達も生活の中で無理なく取り入れることができるものでないでしょうか!

「さとり」に向かって・・・

アルバムから5 「東南アジア青年の船」その2

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「東南アジア青年の船」(その1)がご好評につき、と言いましても1名の方で後の方には嫌味でないかとも思われますが、私も仏典を進めるより楽ですから取り敢えず(その2)まで記事にさせて頂きます。

今回の集結地はジャカルタで、それまでは1万トンの日本丸、お客様は団員30名だけです。

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これは出港式と言いまして、船の前でズラッと並んで目的等を伺います。全員制服です。


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       これは私たちの班。二人の奥さんが一緒に写っています。私もあと暫らくの我慢。
       制服は伊勢丹で、ダサいとか東京の方が言ってました。変なことを覚えております。


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  戦地に赴くわけではありませんので、高松行の本四連絡船に乗る程度のアッ軽い気分


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朝の体操風景。とにかく何にもすることがありません。海も凪ぎで、心行くまで無為を楽しみました


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仕事と言えば食べることだけ。三食とも我が家なら盆正月のごちそうと言って良い食事が出ます。


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食事の間の10時にティータイム。3時にはおやつの時間。夕食後は8時にホールに集まり宴会騒ぎ。

夜の部はお金が要るのですが、免税ですので、この機会しかできないということで、ナポレオンやヘネシーVSOPがバンバンと売れました。私の班長は農場経営で格別金持ちで、その上、村の青年団で壮行会が開かれ、結構な額を餞別でもらっておりました。私はアルコールはダメで、缶ジュース専門でした。


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船長さんの話を聞いている所です。右端の方はチェースマンハッタン銀行勤務で「なんか住んでいる世界が違うんだよなぁー」という気分でした。ルイヴィトンのバッグで、それが大したものであるということもまだ分からない田舎者の私でした。


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東南アジアの青年が乗り込んでからが本番で、集結地のジャカルタまでの船の旅は、喩えてみれば、生徒のいない学校の様なもので、まことに結構、極楽三昧の毎日でした。


「仏典」シリーズへのコメントに寄せて

サヨナキドりさんから「仏典」シリーズを楽しんで読んでいるという大変うれしいコメントを頂きました。

そのコメントに対してこの場で返信させて頂きます。

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はじめにご紹介しました様に、これは中村元「仏典を読む」1~4岩波新書を数ページくらいのペースでゆっくり読み解いていくものです。

この本は仏教の歴史上代表的な経文を抽出し、内容を紹介すると共に分かり易い解説を付したものです。
仏教の専門書ではありますが、専門家に向かって書かれたものではなくて、NHKラジオで一般視聴者を対象に語られたものを基に編集されています。

中村元先生による取捨選択が多く、研究家が読むにはもっと本格的なものが必要だと思います。
しかし中村先生は現代仏教学の世界では、世界的な視野に立ち、その学識も先生を超える方はそうは見つけられないと思います。
又、先生のその他の本を読んでも感じるのですが、その論調は決して押しつけがましいものではなくてバランスが取れたものです。

又経典も中国語や日本語に翻訳されたものではなくて、原典のパーリ語やサンスクリット語から直接説き起こされますので、仏教の歴史を踏まえた上での理解と言う点でまたとない書だと思います。

いくら素晴らしいと分かっていても、理解できないものや時間がかかり過ぎるものを読んでも効果は得られません。私の実態から考えるとちょうど手頃な本だと判断できます。

これから後で出てきます「法華経」や「理趣経」では、大幅な割愛と大胆なまとめ方がされていますが、先生があらゆる資料を読み込まれたうえで、そのエキを記してみえますので、全体を合わせて読めばインド仏教の大体が掴み取れるのではないかと思っています。

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日本には日本の仏教があり、私は決して日本仏教は間違っていてインドの仏典が本当だと言いたいわけではありません。

但し二つの大きな問題点があることを指摘したいと思います。

1 日本仏教は日本神道や風俗習慣と相互に影響し合い、オリジナルのインド仏教とは相当異なった要素を持っているということを知る必要があります。どちらが良い悪いではなくて、日本仏教を知る上でもその源流を把握しておいた方が良いと考えます。

2 私たちが仏教を知るのは主にお寺さんを通じてです。行事としては葬式・墓参り・法要を通じて知ることが殆どだと思います。熱心なお坊さんの場合、仏事だけでなく仏教についても語られますが、それは宗派仏教と言うもので、僧は本山の方針から逸脱することは許されません。仏教全体を学ぼうとした場合は、自分自身で学ぶ必要があります。


大上段なことを書きましたが、世の中には色々な考え方があり、宗教も仏教だけではありません。そういう広がりの中で仏教を置いて、その基礎を知ろうというのが「仏典」シリーズの意図です。

又、仏典は言葉で書かれたものとして、面白い発想や優れた比喩、時には夢を運ぶ物語が語られます。小説や詩だけに限定するのではなくて、広い意味での文学として捉え、その世界最高のものを読み味わう機会にもしていきたいなと思っている所です。

フランクに感想をお寄せいただければ、私も励みになりますのでよろしくお願い申し上げます。








アルバムから4 「東南アジア青年の旅」その1

DSC05969 「アルバムから」というカテゴリーは殆ど記事が
 思い浮かびませんので、穴埋めみたいなもの
 です。

 その他も全部そう言えないこともありませんが、
 閑話休題(←「それはさておき」と読むのだそう)

 元々は「東南アジア青年の船」の写真をご紹介
 したら、コメントで続きをと書いていただけて、
 その言葉を信じて記事として始めたものです。

 海外旅行は多くの人にとって珍しくもないもので
 しょうが、私は人生一遍しか経験していません。

 それが総理府の企画した「東南アジア青年の船」
 の団員として五か国、日本を入れて6国を若い
 東南アジアの方々と廻ったものです。

 家を出るというのは旅立ちの日で、日付もはっきり
 書いてあります。二ヵ月間の日程です。


実は私は応募した訳でも行きたくて行くわけでもなく、私の所属している岐阜県教育委員会は英語教員の研修として総理府「青年の船」を利用していました。多分そんなのは岐阜県だけだったと思います。


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先が長いのでぼちぼち紹介させていただこうと思いますが、まるで映画のワンシーンみたいですね。


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船を主宿とした二月間の共同生活。恋あり歌ありと言いたいのですが、結婚しているのでドーしようもありません。右隣の女性とは愛は芽生えませんでしたが友情が育まれ、結婚式でスピーチしました。

向かって左の方(窓際白シャツ)は往年の歌手と同姓同名だったので名前を憶えています。ライターをしている方ですが、職業と言い、醸し出す雰囲気と言い、羨望でしか窺われない人でした。お元気でおられましょうか。


地蔵盆 二様

〇 これは23日行われた福江、上町、今町等の6町内合同地蔵盆の様子です。


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            名鉄の電車沿いにあり、着いた時ちょうど電車が通りかかりました。


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さすが6町内と言うことで人数が多い。市長さん議員さんも招待されています。とは言え、よく見ると年配の大人ばっかりですよね。旧中心市街地からは子どもの姿がグンと消えております。


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   お坊さんは町内にある2つのお寺から。前方がすぐ隣の本覚寺の大橋住職。曹洞宗。
   後方が光照寺の森住職。浄土宗。森準玄元永観堂貫主(87世)のお孫さんですね。

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       これは六地蔵と言いまして、地元竹鼻町ではチョット由緒のあるお地蔵さんです。

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〇こちらはすぐお隣の本覚寺で行われた地蔵盆の様子です。


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真ん中に写るのは十一面観音で、お地蔵さまはその後方、一段高い所に祀られています。


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やはり何と言いましても、子どもが主役のお祭りです。


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本堂の前では映写会が催されていました。


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私の子供の頃にもあり、昔の子どもにしてみればさぞかし楽しみであっただろうと思います。


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灯す火に送られて猛暑だった今年の夏も過ぎようとしています。


地蔵祭り 2013  スナップ


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あいている時間に数枚パチパチと撮るのが精一杯でした。このブログもそうです。余力ゼロです。


仏典10『サンユッタ・ニカーヤ』 悪魔と旦那の語源

『サンユッタ・ニカーヤ』は「主題ごとに整理された教えの集成」の意味で、たいへん古く『スッタニパータ』と並ぶ貴重な経典です。

この章を読んでいまして、「悪魔」と「旦那」の語源について初めて知ったことが書かれていましたので、仏教の教えとは関係がないのですが、雑学として知識の受け売りをさせて頂きます。

<悪魔>

悪魔と言いますとキリスト教のデヴィルのイメージがすぐ湧きますので、仏典でも悪魔と出てきますとすぐ人格的な存在を頭に浮かべてしまいます。

悪魔のことをインドでは「マーラ」と言い、「殺すもの」という意味です。

これが中国へ渡りマーラを訳そうとしますが、「悪魔」と言う観念がなかったので、それを表す漢字がありませんでした。

それで、「マ」の音をそのまま「麻」と言う漢字を使って表わし、その中に鬼と言う漢字を入れて新漢字を作り上げたのだそうです。それで「悪い鬼」という意味合いで「悪魔」という言葉ができたのだそうです。

日本に伝わったころには「悪魔」という観念が出来上がっていたのではないでしょうか。


<旦那>

旦那と言えばいかにも日本的な感じで、私のかつての教員時代の同僚にも夫のことを旦那と言う人は結構いました。

これはもともとは「ダーナ」という古代インドの言葉から来たのだそうです。

「ダーナ」とは、「与える」という意味で、仏教では「布施」という言葉で表しています。今では「布施」と言いますとお坊さんに差し上げるお礼を指す言葉になっていますが、本来はあまねく一切に及ぼすものです。

英語の「ドネート」と語源的に同じです。「ドネーションをお願いします」と、聞いた記憶があります。

これが日本に入ってきて「旦那」になります。

『だいたい世間でも「旦那さん!」というときには、何か喜んでものを施してくれるような人に向かって言うことが多いでしょう。』と中村元先生は書いてみえます。

ケチケチしている人を「旦那」とは呼ばないのです。

大仏寺 明日は地蔵祭り

誠に暑い日が続いていますが大仏寺では、明日8月24日は「お地蔵さんの日」です。

子供会ゼロで行うのか些か疑問に感じますが、お地蔵様の供養と思えば止める事は出来ません。


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大仏寺の地蔵菩薩でかつては美濃三大地蔵と呼ばれていたそうです。濃尾震災で破損し、顔面を補修してあります。もう少し上手にと思いますが、街全体が壊滅状態にありましたので致し方ありませんでした。


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   お供えですね。大仏寺が毎年手入れをお願いしている庭師さんが持って来てくれました。


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  これはお参りに来た皆さんに出すお菓子です。安売りの日を見つけて買いだめしてあります。


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                          提灯の用意です。


〔我が家はこういう事が色々あるものですから、盆・正月・祭りを挟んだ連休など外へ出歩かれません。それは子供のころからそうで、就職も通勤可能地域に限定。職種よりも場所が肝心。
息子には私のように負荷を負わせてはいけないと思い、「お好きなように」と言ってましたら、本当に「好きなように」している。結構な話です。先のことは考えません]

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                       昨年の地蔵祭りの様子

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一昨日の記事の続きで、アルバムから一枚挿入します。

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これは地蔵堂の前で並ぶ六代目永田佐吉と妻の照(私の祖母)です。昭和15年頃?

祖父と書けないのは私の生まれるよりも5年前に亡くなっているからです。子供には優しかったらしいのですが、タイヘン威張っている方で、母もこの人が生きていたら絶対に嫁になど来れなかったといっています。
自分の子どもにはきつくて、手が汚れるという理由から、叩くときはものさしで叩いたそうです。

昨年、今も元気な叔母さんから聞いた話ですが、長男の素行が悪くて腹を立てて、鉄格子付きの精神病棟に隔離したという方です。芸者の置屋から学校に行ったとか言う跡取りも跡取りですが。

私の父が親に言われて遊んでいる兄を呼びに行きますが、殴られて泣いて帰ってくるだけという状況では、父としては家から逃げ出したい一心でなかったかと思います。

祖母は大変社交家で、他人から慕われていました。私にとっては祖母が育ての親ということになります。


・これはある意味地域の小史的なこぼれ話としてお読みください。今はごく普通のウチです。

長女が竹鼻町駒塚にある石河家に嫁しています。石河家は男爵家ですが、尾張徳川藩の筆頭三家老の一つです。名古屋市にある徳川園も元はこの三家老の共同所有です。
石河家の直系は明治維新後名古屋に移りますので、竹鼻の石河家は分家になりますが地域随一の家柄です。
結婚式の時には地域のプリンス、プリンセスのウエディングという華やかさであったそうです。

嫁ぎ先に嫁の実家の人間が出入りする時は通用門からというのがしきたりなのだそうですが、六代目佐吉さんは自分以上に偉い人間はいないと思っている人ですから、羽島郡下に当時一台あったベンツをやとって、門の前に横付けして「開けよ」と言ったと今は亡き叔父から聞きました。

話を聞くと佐吉翁の精神からは程遠いのですが、戦前はそういう時代であったということです。
もう一つは六代目は濃尾震災で孤児になりますので、他人に甘えることを知らなかったということも大きかったと思います。

仏典9 『スッタニパーッタ』  解脱とは何か!

解脱又は涅槃(ニルヴァーナ)と呼ばれている境地に到達する事が仏教の目的です。

どのようにしたら解脱することができるのかということに関しては、ブッダははっきりとした答えを出しており「妄執を捨て去る」ことによってと言っています。

欲望を満足させることによって無上の世界に達するという考え方もあると思いますが、仏教の場合は「欲望を捨てる」と言う方向であることは明確です。

仏教が宗教として確立されるに従い、いろいろな人間の思いを仏教が吸収していきますから、快楽的なことや現世利益的なことも仏教は包含していくようになりますが、一番古い『スッタニパータ』で説かれている道は「欲望の滅却」であるということを知識として持つべきだと思います。

具体的な実践方法は別の経典で出てきますので、「解脱」に関して非常に重要であると思われる文言を以下に引用して8回に及んだ『スッタニパータ』の要約を終了したいと思います。

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トーダイヤさんがたずねた。

「諸々の欲望のとどまるところなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を越えた人ーかれは

どのように解脱をもとめたらよろしいですか?」

ブッダは答えた。

「トーダイヤよ。諸々の欲望のとどまるところなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた

人、-かれには別に解脱は存在しない。」

解脱を成し遂げた人にもそれ以降の人生はあるのですから、その人は何を目指して行ったら良いのか?という「次の次」と言う問題追求は当然出てくると思います。次はそのことに関する問答です。

「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?

かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?

シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたしが知り得るように、そのことをわたしに説明

してください。あまねく見るお方よ。」

ブッダいわく、「かれは願いのない人である。かれは何物をも希望していない。彼は智慧のあ

る人であるが、しかし、智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。

聖者はこのような人であると知れ。

かれは何物をも所有せず、欲望の生存に執着していない」


私は最初読んだ時に、トーデイヤの質問に対して「希望や智慧は更にいつまでも高い所を目指して追求し続ける」と言うのが自然な流れの答えであるように思いましたが、何かを追求したり求める気持ち自体が存在しなくなるというのがブッダの答えです。

論理的には求める気持ちがあれば「解脱」とは言えませんので、ブッダの言われる通りです。

当然逆の悪い気持ち、絶望や虚無を求めることもなくなるのですから、心境としては孔子の言う「己の欲する所に従いて法を超えず」にかなり近いと言えるのではないでしょうか。

「般若心経」は大乗仏典ですから釈迦の入滅後、相当経ってからの成立ですが、その中に「是諸法空相」(全て諸々の方は空である)と言う言葉があります。

この「空」の境地は、ブッダの言う解脱のもう一つの表現でないかと思います。

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最後に、『スッタニパータ』の要約を読んで一番感じることは、超常現象とか摩訶不思議なこと、迷信・俗信の類いが一切語られておらず、今日そのまま通じる哲学的追求の言葉で語られていることです。

昔へ行けばいくほど、宗教的な神々による世界支配の考え方が強く作用していたと思われますので、ブッダの自由で自立した精神は驚嘆すべきであると感じます。

『スッタニパータ』だけでブッダ像を決めつけるのは短絡的だと思いますが、現代人の目から見て「それは論理的におかしい」とか「科学の知識に反する」とか「常識外れ」と否定しなくても済む開祖を抱いているという点で、仏教の現代性や将来性をさらに模索していく事が可能になります。

深く敬意をこめてブッダ、お釈迦様に感謝の意を捧げたいと思う次第です。


佐吉大仏 お堂の落慶式


佐吉大仏は明治24年(1861)にお堂が焼失し昭和37年(1862)に再建されるまで露座でした。


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かなりの方が昔の方が雄大で良かったと言われますが、風雨による傷みを考えると、露座の状態は限度でした。

それに本来は大仏として作られたわけではありませんので、本尊としてお堂の中で線香やロウソクを点して、お祀りするのが適切なことでありました。


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  昭和37年11月2日、永平寺熊澤貫主をお迎えして執り行われた落慶式の模様を紹介します。


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熊澤禅師のお迎えです。カラー写真は数少なく色褪せています。東海道新幹線まだの頃ですから、福井県永平寺からは相当な時間をかけてお越しになられたと思います。92歳のご高齢です。


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横断幕が目立ちます。右は我が家の玄関前の受付風景。私は当時小学校6年生で、子どもは遠くの方で眺めていただけで、あまり記憶にありません。


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            式辞を読んでいるのは当時の羽島市長河村忠一氏。


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これは開眼式と呼ばれる式典です。大仏寺は単立無宗派ですが、我が家は曹洞宗の檀家ですので、全て曹洞宗の形式で行われました。当時は私のように理屈を云う人がいなくて良かったですね。

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     「大導師のお導きにより御入佛の瞬間」とアルバムの方には説明が書いてありました。


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             何処からお越しになられたか?お坊さんらしい真剣な表情です。

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座敷前で寛ぐ貫主。我が家はそんな偉い方に来て頂いてはとお断りしたのですが、何もいらないのでと有難いお言葉にお甘えして、お礼どころかお茶一杯お出ししませんでした。全部雲水が行いました。


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これはその時に禅師に書いて頂いた書で、今は座敷の仏壇の上に掛けさせて頂いております。


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アルバムの後ろの方にこんな見開きがありました。左は岐阜大仏ですが、やはり日本三大仏は貫禄が違うと昔は思いました。岐阜大仏は総丈4丈5尺、佐吉大仏は1丈6尺で、大きさは全く違います。


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                      祖母。この方の執念でしょうネ。


アルバムから3 佐吉大仏の受難 


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        これは昭和37年(1962年)佐吉堂再建の時の工事をしている時の様子です。


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  大仏さんはぐるぐる巻きにされてしまいました。下の床を作るため持ち上げる必要からです。


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  それから、次に檻の中に入れられてしまったようで、こんな時代もあったということであります。


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 工事現場の前で写真を撮った妹と従弟。今、従弟の方は校長も経験し市教委の偉いさんです。

 吹き流しが写っていますので七夕祭りの時でないかと思いますが、後方の車、何とも時代です!

 横断幕の「ツイスト大会」も懐かしい。私にとっては、胸が締め付けられるような光景です。


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