佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2015年06月

柳ヶ瀬へ行って「パノニカ」で夕食

私の奥さん、同窓会で下呂温泉、どうしようかということで「パノニカ」へ夕食に行きました。

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岐阜市柳ヶ瀬をのぞむ交差点。道中写真を撮りながら「パノニカ」まで歩いて行きました。


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横断歩道の真ん中、JR岐阜駅方面を見ながら一枚。確か「平和通り」と呼んでいたと記憶。


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50年振りの柳ヶ瀬は大げさですが、このあたりを闊歩していたのは高校生の頃。


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何となく雰囲気のある喫茶店「いしぐれ珈琲」と書いてあります。私が喫茶店に入ったのは大学へ行ってから、当時は高校生が利用する場所ではありませんでした。


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「劇場通り」。高校時代、私が柳ヶ瀬に来る目的は映画を見るため。劇場通りという名前が付いているくらいですから、このあたりズラッと映画館が建ち並んでいたかと言いますと、その頃は映画も斜陽産業で、少なくとも10年くらいは遅れてきたと思います。


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「ウオッチマン」。こんな店は昔はありませんでした。風の如く柳ヶ瀬に進入してきて、廃墟の跡に化しております。


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「パノニカ」は右手地下にあります。少し進んだところに安売りショップの「ドンキホーテ」。またまた昔の話をすれば、ここにあったは名鉄メルサ。岐阜市にはちょっとハイグレイドのデパートでした。
高校の頃は小規模店舗でよく思い出せない。自由書房の分店があった様な気が?


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「パノニカ」は洋風居酒屋。夕食専門ではちょっと場違いであったかも知れません。しかし、そんなことは全然構いません。目的は別の所に。


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元ジャズシンガーで「パノニカ」オーナーの比嘉さんとデレデレと語らっております。


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食事の方はデミグラソースハンバーグがメニュウにありましたので、美味しくいただきました。食べ終わる頃にはパーティ客で店の中も大変賑やかに活気を帯びてきました。


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数枚撮って私の顔のシミが奇跡的に目立たない一枚を選んでご紹介させて頂きます。



名旅館・一流ホテルの夢

岐阜市の「十八楼」がJTB選出の日本の最優秀旅館の一つに選ばれました。「十八楼」の中心をになっているのが若女将さんでフェイスブックではお友達になっています。
そういうことから、昔の本を本棚から引っ張り出しました。

私は分相応が一番と思っておりまして、名旅館に泊まりたいと言う気持ちは全くありません。

しかし若い頃は名旅館や一流ホテルに憧れる気持ちは結構持ちあわせていました。
その証拠に次の2冊が挙げられます。


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スノッブもイイ所ですが、日本交通公社が昭和56年、57年に相次いで出版したムック「日本の名旅館200」、「日本のホテル150」です。

私は新刊で買ってますから、余程憧れて、垂涎の気持ちで本を眺めていたと思います。

右側は唯一家族で利用した北陸片山津温泉「矢田屋」、ホテルの方は唯一ではありませんが、同じく家族旅行で泊まった横浜「ホテルニューグランド」の紹介ページです。


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並べました写真は上は京都「俵屋」、下は豪華ホテルの口絵写真のページで一泊50万とか、いつか泊まりたいではなくて、幼児がピーターパンのネヴァーランドを思い浮かべるように、ウットリしていました。

ブランド志向はグルメも言えまして、吉田健一のグルメ評論に魅惑されて、コーヒーを飲むために神戸の「にしむら珈琲店」まで行って、「フロインドリーブ」のパンと「トアロードデリカデッセン」のハムを使用した「バスケットランチ」を食べて悦に入ったものでした。

これらは若かりし頃の夢のようなものでしょうが、不思議と今は消えてしまいました。

今日も量販店で買った900cc100円前後のコーヒーを倍に水で薄めて飲んでおります。

これで充分であります。

「埴生の宿」ではありませんが、貧しき苫屋も我が家が一番。

まして今宵は女房が外泊。王様の気分になった感じですね


教理問答:神はどこにいるか?

今読んでいる本:G.K.チェスタトン「正統とは何か」は、人間の考え方に深く示唆に富んだ言葉があふれています。

深い洞察に満ちた言葉が3章までぐらい続きますが、章が進むにつれて、キリスト教の立場に立ってその擁護と賛美に変わっていきます。

終章に近い八章にキリスト教と仏教の違いという点で、最も本質的だと思われる言葉を発見しましたので、読むのを一時中断してその言葉を考察してみたいと思います。

先ず、ポイントの一文・・・仏教徒は異常な集中力で内部を見つめている。

キリスト教徒は強烈な集中力で外部をにらみつけている。


この文に先立つ文言・・・ゴチックのカテドラルのキリスト教の聖人と中国の寺院の

仏教の聖者の像ほどかけ距ったものはありえまい。あらゆる点で対照的なのだ。

だがその相違を最も端的に要約するとすれば、仏教の聖者がいつでも目を半眼に

閉じているのに対して、キリスト教の聖人がいつでも目をかっと見開いている点を

挙げねばなるまい。仏教の聖者はなだらかに調和の取れた体つきをしているが、

しかし目は眠りに閉ざされて重たげである。中世の聖人の体は骨もあらわなほどに

異様に痩せこけているが、眼だけは驚くばかりに生気にあふれている。これほど対

照的な表象を創り出した二つの精神の間に、なんらかの共通性が本当に存在して

いるとはとてものことに信じられない。どちらもなるほど誇張はあろう。純粋な信仰

が生み出した超現実のイメージではあろう。しかしそれにしても、これほど両極端

に反対の誇張を創造しうるものには、確かに真の隔絶があるに違いない。


引用したした文で殆ど言い尽くされているが、ここには仏教とキリスト教との違いだけでなく、宗教の一番重要な点が含まれている。

私たちは神にすがって助けを求める。神に励まされて勇気を持つ。神に認めて貰うために超人的な努力や辛苦に耐えようとする。

神はどこかにいる。天なのか宇宙なのか、或いは地の底なのか。

幼い頃は神の代わりに親でも良い。しかし人間の夢は限りなく、親という人間では到底叶えられないことまでを望む。そう言ったこと全てのことに応えられる存在として神がいる。

でこの神はどこにいるかといえば、人生の局面において、時に神と同じパワーを持つ親や恋人、場合によれば祈禱師、占い師、からも分かるように、自分の外にいなければならない。

自ら努力して為し得ることは人間の力であって、それを神の業とは言わない。

以上が宗教の一番重要な点で、おそらく殆どの宗教に共通していることだと推測する。

宗教ごとの違いは、人間の夢はいろんな事にわたるので、その人達が持つ世界の広がりや社会状態の違いに応じて、いろんな神様が創出されることになるのだろう。

もし、キリスト教が一番精緻で高度なものだとするならば、それだけキリスト教を信じている集団(欧米諸国が中心)が精緻で高度なものを求めていることの反映と思われる。

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処で仏教はどこに神様がいるのか?最初の引用文から窺い知ることは、心の内部にいる。

心の内部にいるということは、自分が神という事に他ならない。しかしそういうふうに信じ込める人もいるけれど、普通の人は自分は人間であって神と思えるわけがないので、神とは言わず仏という。

日本の新興宗教を見れば分かるが、自分を神と称する人は自分には人知を越える力があり、人を救い上げる力があると言う。

仏の道を歩んだ人は、自分にはそんな力はなく、自力でもって自分の道を探せという。

外在と内在といっても観念の違いと言うかも知れないが、時に神に変わる力を持つ親や恋人は確かに外在している。その続きで神は、決して言葉として頭の中にあるのではなく、眼に見えないだけで、或いはまだ会っていないだけで、ちゃんと外在していると主張しても、その考えをあながち間違いと決めつけられない。

仏教の場合、自分の心の状態が問題なので、神はあってもなくてもどちらでも良い。自分の心を高めたり清めたりするのに役立つのであれば適宜利用すれば良いだけのことで、神を借りて行わなくても出来る人がいれば、両者同じことである。観音様もお稲荷さんも単に方便としてあるだけなので、その違いや存在の有無など論じても意味がない。

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キリスト教も、仏教の観点から見れば、幸福とか万能とか言う自分の心の状態が問題なので、同じ様に思えるが実は違う。必ず神は外在しなければならない。

なぜかと言えば、たとえ自分がどれほど卑小な存在であるとしても、外在しているのだから自分とは関係無しに全治全能の神を想定することが出来る。
そしてその神を信じることによって、自分を一気に飛躍させられる。

これが自分の内部と言うことになれば、自分の今の状態から、精神的なことだけでなくて富とか身分というような社会的なことも含めて、かけ離れたことを思い浮かべるのは難しい。

仏教の本道は自分の内面を育てていくことにあるが、これが如何に難しいかは、阿弥陀如来、不動明王、大日如来といった、事実上神に等しい仏像を祀って加護を求めていることからも分かる。

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仏教とキリスト教のどちらが正しいかという点に関しては判定基準次第と言えるが、役に立つと言うことではキリスト教に決まっていて、仏教も実際にはキリスト教と同じ様に神の代わりに仏を入れて「仏様お願い」でやってきた。

しかし今日神の実在を素朴に信じることは大変難しくなってきている。従来奇跡とされてきた「病気治し」は医療の進歩で実現され、科学の進歩は従来不可知とされてきた事項まで証明できてきている。

それは同時に科学の法則に矛盾することを受け入れがたくしてしまった。

今や誰も太陽を神様だとは言わない。

ただ現在の処、私たちは神仏という概念まで捨てているのではない。

チェスタトンは20世紀始めの英国人であり、キリスト教の優位性を説いているが、21世紀初頭の私としては、自分の内部に神仏を宿すという仏教実践に可能性を見る。

それは釈迦如来でもいいし、キリストでも良いだろう。

佐吉翁に習うならば、慈悲の心と言うことになる。



悪夢

悪夢を見た。

私の見る悪夢はいつも至って現実的だ。

家で儀式を執り行わねばならないが、お手伝いの人とトラブルを起こしてしまった。
仲直りはできるか、他に頼める人はどこかにいるのだろうか。

案内を配る順番はどうしたら良いか。書類の手落ちはないか。全部の家を廻れるだろうか。

あちらを立てればこちらが立たぬ。

私は誰に相談して良いか。

人は雑踏にあふれているが、誰も見知らぬ振りをして、私の方を向こうとはしない。

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ずいぶん疲れている。ストレスも溜まっているだろう。

愚痴など書くべきでないと思うが、人はみんな身勝手で、自分のことしか考えようとしない。

自分のことしか考えようとしない ・・・・ 最近感じることは、世間で活躍している人ほど、と言っても私が接するレベルの人だから中央で知られているような人はいないが、人のことに関心を持ち手をさしのべることは少ない。

彼等はエゴイストだから人を押しのけて活躍できると思うのは早計で、そうではない。

みんな自分のことで手一杯なのだ。身の程知らずに重い荷物を背負って、もうそれ以上背負いきれない。

余裕綽々に笑う笑顔に不安が隠されている。

と、ここまで書いてきて他ならない自分のことだと気がついた。


君の夢を見たいものだ!



名古屋二期会フレッシュコンサート

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本日は私は名古屋二期会フレッシュコンサートを聴きに名古屋まで行ってきました。
これはそうクラシックファンではないのですが、フェイスブックで知り合った方が出演されると言うことで、応援がてら行ったのであります。

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プログラムを並べてみましたが、知っている曲は一曲もありません。実は歌曲だけのコンサートも始めてであります。
最初はどう聴いてイイか分からず、お能の時のような退屈さを感じていました。

処が出演者の熱意とか会場の盛り上がりが段々私に乗り移ってきて、後半の方はグングン引き釣り込まれるように聴いていました。

出演者・観客協力し合って、高い意識の空間が会場に実現しているような気がして実に素晴らしい経験となりました。

フェイスブックフレンドの冨田さんは最後から一つ手前の出番で、美しいソプラノを会場全体に響かせていました。

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フェイスブックの繫がりを手がかりに、直接足を運ぶことで、今まで知らなかった世界に触れることができて大変良かったと思います。

パノニカライブ

昨夜はオープンして間もない岐阜市の「パノニカ」にジャズライブを聴きに行きました。

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一日東海テレビの撮影に付き合っていてクタクタ、岐阜市まで出かける気にはならなかったのですが、女房が思い出したように今日は友達との会食。
「鬼の居ぬ間」という言葉を思い出し、「パノニカ」に出かけて行きました。

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出演、ドラマーの田中良明さんは結構顔なじみ。それがお目当てであります。


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階段を降りて行きます。場所は岐阜市徹明町交差点の「ドンキホーテ」の横と言えば、分かる人は分かるのであります。



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歌っているのはパノニカオーナーの比嘉さん。以前はジャズヴォーカリストで、ラストアンコールに引っ張り出されて「テネシーワルツ」を披露されました。


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ドラマーの田中さんと私。近くで見ると結構イイおじさん。私もまもなく65になります。


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最後に「パノニカ」のライブスケジュール。当面木曜日の無料ライブが中心のようですが、頑張って頂いて、岐阜市を代表すすようなライブハウスに成長していって欲しいと思います。

東海テレビ「スイッチ」の撮影終了

東海テレビ「スイッチ」の撮影がありました。

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待ちに待ってやっと到着。しかしこの後・・・


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町に繰り出す。更に待つこと2時間。


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終わった後の記念撮影。説明時間は80分くらい。スッカリ疲れました。

この番組は東海テレビ(木)「スイッチ」の中の「ご朱印巡り」のコーナー。10時25分くらいから放送されます。「スイッチ」は生放送ですから、案内の神奈月さんは、午前中は名古屋のスタジオで出演。終わってから羽島来訪。お疲れ様です。

佐吉大仏が何分くらい出るか分かりませんが、地域の皆様は是非見て下さい。


[いまじん]での「河西栄二木彫展」デッサンの部

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「河西栄二木彫展」では上の写真のようにデッサンも展示されていました。彫刻の元になる人体の基本構造の様に思える作品もあり、普通のステキなデッサンに思われるものもありました。


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私は実は彫刻はどこから始めてよいのか分からず、こちらから撮り始めました。大変素晴らしい。


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おなじモデルでしょうか。性格とか内面とかが、凝縮された形で外に現れるのが、絵画と写真の違いかなと思いました。意地悪に言えばと描く側の性格もあると思いますけど。


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キュービズムと言いますかフォービスムとか言うのでしょうか、人体をどう捉えるか、一番下の絵は何となく人形の下絵のような感じを持ちました。
見る視点、それはそのまま描く人の世の中に対する見方の反映になろうかと思いますが、様々の捉え方が一個の展示会の中に表れ出でて、興味尽きない展示会だと思いました。

「いまじん」の河西栄二木彫展を見て考えた


ギャラリー「いまじん」に「河西栄二木彫展」を観に行ってきたのでその模様をまとめたい。

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グループ展で彫刻作品を観たことは幾度もあるが、彫刻専門というのは実は初めて。



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階段をのぼった所の、いつもは大きな絵が掛けてある場所にうずくまった人物像が置いてある。



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一体、どう見るのが正しい見方か?どういう言葉で説明して良いのか?分からない。



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彫刻とはなんだろう?何を求めて彫刻を行うのだろうかと呟きながらの観賞となった。


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私の滞在中、人が入れ替わり訪ねてみえました。彫刻ファンが多いのか、河西栄二氏がよく知られた方なのか、ギャラリイーに活気があふれていました。


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もう少し近づいてみて。何体も、といって良いのか、台の上だけでなく壁にも、彫刻が並んでいる。


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今度は横から眺めて。手前は、ちょっとたじろぐ人物像。これはじっくりと観賞していくべきだろう。



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1995年 筑波大学大学院修士課程芸術研究家彫塑分野卒業
現在 岐阜大学教育学部美術教育講座准教授

大変立派な経歴であります。よく見ると2001年下妻養護学校講師と記されていて、私も養護学校に勤務していましたので俄然親近感を感じます。書かなくてもよい経歴かも知れませんが、書いても構わない。ここに少なくとも一人、有り難い情報と思った人間がいたわけです。



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比較的受け入れやすい、言い換えますと、ちょっと机の片隅において話しかけられるような作品。私は画廊のオーナーと懇意にして頂いていますので、売れる売れないというのは多少気懸かりで、目出度く売却済み。どなたにお嫁に行くのでしょう?




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私は彫刻というと、すぐ円空上人を思い浮かべる。これは、私が円空生誕の地の羽島市在住で、羽島市円空顕彰会と協力し合って町おこしに協力していると言う個人的事情による。



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生涯12万体は些か伝説にしても、自分の存在の全てを、ある時期なたで木を彫ることで確認していった。その情熱は一体どこから来るのであろうか?



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道具とか材質とか私はよく知らないが、木の特性をそのまま活かした色合い、彫った跡がそのまま残る表面、時代は大きく隔たれども、円空仏の特質や魅力を思い出してしまう。


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ドガの描くお尻と彫刻とどちらに魅力を感じるだろうか?そりゃドガに決まっているというのは最初から先入観で決めつけすぎている。
芸術やっている人は、こんな下品なことは思わないだろうが、私の情欲を掻き立てるのは彫刻の方で、実物に近ければ近いほどそれに付随した感情をもたらすのが普通だ。

作家は無心で制作に没頭しているのだろうが、表す対象のそれを観る人に及ぼすパワーは、二次元よりも三次元の方が強烈で、素直に考えるとそうなる。



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これは比較的平板な作品。私は色々と今考えながら、言葉を綴っているが、例えば作品を扱う場合、この作品だと、手で摑んで壁にちょんと掛けそうな気がする。
一方、一つ前の女性像だと、両手で摑み込み、そっと台に置くような、誤って落としでもしたら「あっ!痛かったでしょう!」と、自然と感情移入が起きてしまいそうだ。


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この写真は円空の最高傑作と言われる飛騨千光寺の両面宿儺像。円空仏に魅せられる人は多いが一体円空はどういう気持ちで仏像を彫ったのか考えてみる。

性根を入れるという言葉がある。仏像は作っただけでは仏にならず、坊様にお経を詠んでもらって性根を入れて、始めて仏として拝む対象になる。

円空は自分で彫って自分で性根を入れたはずである。

普通は作仏と性根入れは分業なので、作る人は注文に応じて、仏像の規則に従った洗練された仏像を作ることが求められる。自分の生き方やその時の精神状態など入れる余地はない。

一方、坊様の方は魂の限りを尽くしてお経を詠んだとしても、仏像それ自体は出来上がってしまっているので、造形にいかなる変化を及ぼすことができない。

円空は性根をどのようにして入れたか?

思うに、一鉈一鉈に思いを籠めて入れたのである。勿論円空も僧であるのでお経も詠んだであろうが、すでにその時には円空の前には仏として存在している仏像がある。

正式な僧侶は仏像など彫らない。趣味として彫ることはあったとしても、そんなことには自己の生命を賭けたりしない。経を詠むことを方々から求められる僧であれば、仏像など作らずお経を詠むことに専念したはずだ。
その方が僧としての格は上で、円空はある時期までは聖(ひじり)に近い尊敬されない僧であった。

円空仏の一鉈一鉈には、仏を現前させたいという円空の祈願と、人間としての苦悩や欲望が入り込んでいると思えないだろうか。
さすれば、自分の作業の一つ一つが、後から手にとって分かるように木肌に残したくなる。

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横道に逸れた。円空については素人の戯言。荒削りで見た目はチットモ美しくない像を見ると、仏様なのか魔物か分からない円空仏が頭に浮かんできて、浮かんだ思いを書いた。


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私は傷病兵を思いうかべた。最初からこの造形を目指して彫ったのであろうか?
傷だらけの体。顔はまるでケロイドの後のようだ。



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『根源的な人間の生命や存在感を表したい』と河西氏は記している。同じ人間でも、見る所、女性の方はふくよかで思いやりを感じられる。


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やはり女性の像。私が特に惹き付けられたところを部分拡大してみる。

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胸の前で組んだ両手。何か神様に対する祈りのような気がして、キリスト教的イメージを受けた。


下世話な話だが、赤丸が付いて売れているのは女性像が多かった。「売れる、売れない」をバカにしてはならない。お金持ちならともかく一般庶民がお金を出して作品を買うと言うことは大変な行為で、作家とはまた別の自分を賭けた選択がなされている。

私としては、「生命や存在感」の言葉から感じられる言語イメージとしては、二つ続けた像の内の女性像の方がより多く感じられるのだが、作品から受けるインパクトは男性像の方が強い。

作者は男だから、男性像には自己を見る姿勢が強く反映し、女性像には他者に寄せる思いがより強く表れているのかも知れない。
この文書いたところで、レイモンドチャンドラーの書いた探偵小説の言葉を思い出した。

「タフでなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」


ドガから円空、レイモンドチャンドラーまで、アレコレごちゃ混ぜの、「木彫展観賞初体験」でした。

作家は鑿で木に生命を与え、私は言語で脳を穿ちて認知症を遅らせよう。


※大変素敵なデッサンは後日まとめて紹介します。駄文、美術オール3に免じてお許しを!


「青山スクエア」での「町内老人会」の昼食会

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今日は私の家の隣の青山スクエアを使い、町内老人会の昼食会を行いました。写真は私。

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老人会長さんのご挨拶


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今日はお寿司のパックが配られました。皆さんよく食べておられました。


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左に見える家が我が家です。今回が初めての試みで、年に3回ぐらい行う予定と聞きました。


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人数が少なくなっていますが、解散後時間のある人が残って四方山話に興じていました。
昔なら当たり前にあることでしょうが、今の時代珍しいのではないでしょうか。


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片隅に咲いていた花です。



テレビ放映の予定 東海テレビ7月9日(木) 

今日突然電話がかかってきまして、来週18日撮影に来て頂けることになりました。

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残念なことに私は番組名もタレントさんも知らないのですが、誠に目出度いことであります。

立ち寄り場所は「本覚寺」と「佐吉大仏」、及び「兎月園」でみそぎ団子をいただきます。

撮影はまだで、この18日(木)なんですが、予告して良いと言われましたのでご連絡します。

打ち合わせをしながら番組を作っていくようなもので、私が余りしゃべりすぎたせいか、演出の方から町の案内人に起用すると言われました。

さぁ、どうなりますか

山田彊一「名古屋力アート編 名古屋戦後美術活動史」を読んで

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昨日の本に引き続きご夫妻と言うことでこちらの方で記載します。

この本は名古屋の美術界の様子について後ろの方の章では比較的客観的な批評を書いてみえますが、全体から受ける印象としては自伝に近いものを感じます。

それがただ単に作者一個の人生経路に留まらず、名古屋美術の活動史にも繋がってくるのは、それだけ作者の活動の幅が広いと言えます。

日本的に有名な方、唐十郎とか赤瀬川源平、秋山有徳太子は確かイレブンPMのような番組で視た記憶がありますが、そういう方々から美術をやっていないと知られない人まで、実名が次々と現れ、それが又喧嘩史と思われる向きもあり、読み物として楽しいものでありました。

美術の方がチラシの横に書かれる文章は、哲学用語と詩文を取り混ぜたようなわざと難しくしているのでないかと思うのですが、この本はキリキリッとして読み易く、現場に居るような気持ちになります。
それは生き方の反映であると共に無理に言葉をこしらえなくても書くべき事が次々と生じてくるからだと思います。

「人生がアート」と言われる言葉の真意は本の中に現れていると思います。

処でこの本を読んで感じることは、「著者と私はだいぶキャラクター違う」のであります。
影響力とか知名度ということでは、これは名古屋市と羽島市というより竹鼻町位の差がありますので、これは横においておきましょう。

それは表現することに対する欲望の違いとでも言うものです。美術をやっておられる方は、内面を外に形として表すことに大きな意義を感じてみえるようです。
ですからそれは一般的な作品という形でなくても、パフォーマンスでも、或いは教員としての生徒指導というようなことでも、外に形や行為として現れることを必要とします。

私の場合全てのドラマは頭の中、心と言っても良いのですが、で生じ展開されていきます。外のことは内面化されて初めて存在意義を持つことになります。

与え手と受け手の差ということになるかも知れませんが、文学も芸術もつくる人だけでは成り立ちませんので、姿勢の違いは基本的には等価値と云えるかと思います。

ともあれ、著者の山田先生とは3時間ほど直接お話をうかがい、その上で御著書を拝読させて頂けるという読者冥利に尽きる素晴らしい経験ができました。

厚く感謝申し上げたいと思います。

山田田鶴子「少女マンガにおけるホモセクシュアリティ」を読んで

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山田彊一氏の自宅へ伺い、奥様の著書も頂戴しました。大変面白かったものですから、採り上げてみたいと思います。

内容は戦後の性意識の変遷と、それに伴うマンガ表現の変化が詳述されています。

特に花の24年組と称される竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子等の描く男子同士のセックスを描いた作品に焦点が当てられています。

「セックスの形態にはヘテロ(異性愛)とホモ(同性愛)の2種があり、ホモの方を選ぶ人はすんなりと大人の女性の世界に入れなかった人で、性的なものを忌避したい気持ちが、女性からすれば実態感のない男性ホモセクシュアリティのマンガを好む理由となっている」というのがだいたいの結論でないかと思いますが、それとは別の事も言われていて私が大変惹かれたのはそちらの方です。

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読む人の好みは横においておきまして、私は本を読みながら「なぜホモセクシュアリティのセックスを描くのかな?」と考えたのですが、結論的に思ったことは、本当に描きたいのは同性愛ではなくて同等の愛、男性の役割とか女性の役割とかそういう決まり事はなくして、同じ立場で愛し合う可能性を描きたかったからでないかと言うことです。

よく「君は僕のものだ」・・・「今日から私はあなたのものよ」という私から言わせれば馬鹿げたとしか言いようのない会話がデレデレとして語られますが、そういう事にノーという姿勢の表れでないかと思いました。

これでは主体性を放棄して依存的になることが幸せと言っているようなものです。意識の高い女性には受け入れがたい言葉だと思います。

『少女マンガの少年愛ものにおいては少年同士は同質、同一性をもち、それ故対等であり、支配と被支配、保護と被保護の関係はない』、この1行が最も重要な言葉として読みました。

三浦しをんがBL(ボーイズラブ)マンガの魅力について語った本の中で「リヴァース」を挙げていた事を思い出しました。
「リヴァース」とは、一方的にどちらかが可愛がられている、保護されているのではなくて、立場が入れ替わることです。

男役とか女役とか立場を決めてしまえばできません。その時の状況に従って、両者五分五分、時には上下優劣も決まるわけで、これが可能になるためには、根底に両者ともに自立した精神を持つ必要があります。
引用した説明から、「リヴァース」という役割チェンジが重要な要素である事が分かりました。

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次に、24年組がブレイクした70年代はどういう時代であったかというよりも、性格形成は子どもの頃になされますので、昭和30年代はどういう時代であったかということを思い起こしてみたい。

百科事典が各種発行され、世界文学全集も大流行という、一人一人の人間性の向上に明るい希望を感じる時代であったと思います。文学の中心にはヘッセとかロマンローランのようなビルディングスロマンがありました。

男女同権も当たり前に言われるようになり、ドクトルチエコさんという名前を思い出しますが、セックスもオープンに語られるようになっていました。婦人雑誌に性特集は付き物でした。

作家はみんなおませでしょうから、時代の雰囲気を目一杯浴びながら生長していったと思います。

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同等のセックスという点が良いのであれば、なぜレスビアンでないのかと言う疑問が沸きます。

レスビアンでは女性としては生々しく、現実感の薄いホモセクシュアリティの方を好むと言うのが著者の見方ですが、そうかも知れませんが私はむしろ反対もありうると思いました。

私はハッキリ言ってホモには何の興味も湧きません。男の裸など見るのもイヤ。それには美男子もへったくれもありません。性的に刺激を受けるなど考えられないことです。

そう思うのは、子どもの頃から意識付けがされている事もあるかも知れませんが、動物は全て雌雄でことを行いますので人間の生理もそうなり易くはなっているのだろうと思います。

女性も一緒で、女同士の抱き合ったりしている場面など、描く気にならない。小説ならともかく絵を描くのですから自分もしているような気になって、ちょっと気持ち悪い。

マンガ読まずに言うのも何ですが、作家の意識はヘテロなので、レスビアンでは性的な興奮に誘われない、従って情熱が湧かないので、どうしても男の方を描くことになると思います。

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24年組の人は私と同じ20世紀後半を生きた方なので、私と同様の意識を持つとしますと、人間の基本単位を個に置く人であるはずです。それが精神的自立を意味します。

自己という意識そのものには、男とか女とか、親子、夫婦というような人間関係から生じる自己規定はありません。ただ孤独な自我意識があるだけです。

少し説明しますと、男に対して「私は女」と言うことは「違い」を意味しますが、女の人に対して「私は女」と言うと「同じ」ということを意味します。同じ言葉が相手によって違う意味になり、自己の本質を指す言葉にはなり得ません。
「私は人間である」という表現でしたら、相手問わず一貫性を持てると思います。
一番本質を指す表現は「私は自己であり、私以外は他者である」でしょう。

勿論、孤独な自我意識から解放されたいという思いは強くあって、それがセックスを利用して一時の癒やしを得ることは可能です。

しかし、女はこうだとか、妻だからとか強制されてしまうと、肝心要の自己意識が喪失してしまいますので、その様な関係に立つセックスに対してはノーと言わざるを得ません。

本の中にはユニセックスという言葉が書かれていますが、正しくはフリーセックスでないかと思われる。性にとらわれないと言うことは性にとらわれないことにもとらわれない、セックスにもノンセックスにもとらわれない。

自由な立場に立つ事が大切です。※

※基準が何にもないと心配される方に言っておきますと、これが保守主義の良い所です。分からない時やどっちでも良い時には前例に従えば良いだけのことです。



山田彊一氏宅訪問と長母寺参拝

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いきさつは省かせて頂きまして、昨日名古屋を代表する現代美術作家の山田彊一氏の自宅を訪問し、色々なお話をうかがうことができました。

山田先生は、若い頃より大きな賞を獲得し、美術家として大活躍ですが、中学校の先生もしておられ、私と共通する要素もあり話が弾みました。

私は軟弱、弱腰教師の典型でしたが、山田先生は熱血教師で、不良の生徒や登校拒否の生徒を立ち直らせるなどして、NHK名古屋の名物番組「中学校時代」のモデルにもなられたほどです。

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山田先生は著書8冊で、この10月には新刊が出る予定です。2冊頂戴致しましたが、この横の本は奥様の著書で「少女マンガにおけるホモセクシュアリティ」。

前にいただいた本の帯にこの本が紹介されていました。先生には叱られるかと思いますが、半分はこちらの方に興味があって、訪問すれば本が貰えるかも知れない、著者は一体どんな人だろうという興味津々で、図々しいと思いましたが、名古屋の徳川園のお近くにお住まいの自宅まで押しかけていった次第です。

両著とも読了しましたら、感想を記したいと思います。

2時間ほどお話をうかがったのですが、ここから意外な話に展開していきました。

私のブログを読んでおられる方は、蓑虫山人について紹介したのを覚えておられると思います。
名古屋の長母寺に残された20冊ほどの絵日記を編集して発行したのが「蓑虫山人絵日記」です。

私は名古屋の土地感覚など全く分からないのですが、長母寺はお近く、それどころか人生深い縁があるというお話をうかがうことになりました。頂いたチラシで場所が分かります。

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関係する所を朱色マーカー印をつけました。山田先生の今追求しておられる独特の世界も分かります。「蓑虫山人を採り上げて長母寺に行ってなくては話にならない」と言うことで、お車に乗せて頂いて長母寺まで出かけることになりました。車で数分でした。


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この絵は以前にご紹介した蓑虫山人「長母寺の霊樹」、実は山田先生この絵を子どもの時に描かれ、それが大変誉められて、美術が好きになり絵描きになることを志すようになったのだそうです。


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山田先生が指しておられるまさにこの木を山人は描いたわけです。


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「霊樹」とは一体何の事か?植物苦手ですから名前を聞いても覚えられないのですが、一つの木から別のものが出てくるのだそうです。リンゴと蜜柑が同じ木になるような。
それが霊的な言い伝えと絡まって評判を呼んだと言うことです。


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ここは長母寺に向かう参道です。


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昇った所にお宮さんが祀ってありました。


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山門に続く階段。由緒のあるお寺が醸し出す風格が感じられます。


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山門の横には寺歴が書かれていました。


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山門前に観音様やお不動さんが祀ってありました。もう少し近づきまして。


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門内にも一体観音様が祀られていました。


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実に堂々たる本堂であります。


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ここから山門の方を振り返り一枚。



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木立が生い茂り、町中都会の名古屋の方にとって、一服の清涼をもたらしていると思います。


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この絵は長母寺霊池、明治30年頃の様子です。今は近くまで行けませんでしたが。


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山人の絵と対比しながら説明を聞いておりますと100年余りの時空が一つに重なってきました。


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墓地です。山人のお墓もここにあります、探して頂いたのですが見つかりませんでした。


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説明を読みますとこのさざれ石は、「十州楼庭園」から持ってきたものと書いてあり、またまた蓑虫山人の絵と結びついて、不思議な縁だらけの妙な気になってきました。


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「十州楼の図」再録ですが、ここへ来て見直すと以前より相当身近に感じるようになっとります。「十州楼」は地所を借りて経営していたのだそうですが、この土地の所有は案内して頂いた山田先生のお家!なんだそうです。


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正面こんもりとした森が守山城跡です。守山崩れの出来事で今に残っています。それも初めて聞く知識でした。


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矢田川。昔を思いつつ川の流れを見ると、しみじみとした哀感が湧いてきました。

郡上市美並町「円空研究センター」訪問

郡上市大和町からの帰り道、以前から一度訪ねたいと思っていた美並町「円空研究センター」に立ち寄ってきました。

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「円空研究センター」は、星宮神社の傍ら、美並ふるさと館に併設されています。


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国道156号線から数㎞山奥に入った所に鎮座しています。


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入館前にお参り。古くからの謂われを感じさせられる佇まいでした。


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前の館、観音様が祀ってあったと記憶していますが、お寺なのかお宮なのか、神仏自然に融け込んでいるのが日本の本来の信仰形態です。


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星宮神社の本殿。


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人が立っていると分かりますが、伊勢神宮にも負けないような巨木でした。

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さて、お参りが済み、心も澄んで、すぐ隣りの円空研究センターに向かいました。

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円空研究センター・美並ふるさと館。館内撮影禁止ですので写真はコレでおしまいです。

それではあんまりですので、2種類頂いたリーフレットから三様。だいたい全容が分かります。

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美並町の円空コレクションは充実していて見応えのあるものでした。二枚目で分かりますように展示の仕方も工夫がしてあり、円空仏ファンなら一度は来るべきと思いました。

数は少ないのですが一体一体の重量感と多様さという点では羽島市の中観音堂に軍配が上がるかも知れませんが、羽島は太い木枠で視界を遮っており観賞という感じではありませんね。
お参りに重点を置くのでしたら何と言っても羽島の方だと思います。

美並はアクセスが如何にも大変ですね。日曜日でしたが小30分の間、入館者は私一人でした。


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私は円空生誕の地と伝えられる羽島市在住ですから、拘るべき事には拘っておきます。
円空がどこの生まれか?戸籍が残っている訳ではありませんので事実は分かりません。残された資料や言い伝えから類推する以外ありません。

羽島市根拠は江戸時代の著名人集「近世畸人伝」の中に、「円空は竹ヶ鼻生まれ」と明記されていることが第一です。「近世畸人伝」は1790年頃の発行で、没年から日にちが経っていますが、初出文献。
「近世畸人伝」には固有名詞として飛騨の千光寺が、竹鼻の他に出ていて、有名な両面宿儺像を作ったと記されています。これは現実と符号しますので、最初の記述の竹ヶ鼻も相当正しいと類推されます。

第二はお寺を中心に円空という可哀想な子供が中観音堂あたりで産湯を使ったという伝承が残されていることで、昨年91で亡くなった母は子どもの頃より円空の名前を知っていました。
円空は昭和30年代一気に有名になるまで、評価の対象外でしたから、作り話を作るメリットがなく、この伝承は事実であったと類推できます。

引用した上の説明には「郡上郡南部木地師の子として生まれたと推測される」と記されています。
この推測は一体いつ頃推測された推測でしょうか?円空が非常に有名になってからのことで、沢山美並村に残っていると言うことが分かったことからの状況的判断だけならば、信憑性に欠けるとされても仕方がないと思います。

私自身は、羽島市は円空ばかり力を入れて佐吉さんはおざなりにしていると些か不満な時期もありましたので、決して羽島市民だから円空贔屓で羽島説ということではありません。

羽島は円空生誕の地であって、活躍の地ということでは決してありません。

自然にできた伝説は構いませんが、町おこし・町自慢で作為的に作った伝説なら止めて、「円空羽島、但し完全な証拠が残っているわけではないので、山の中に生まれた可能性が考えられないでもない」と言った所が妥当な所だと思いました。

私が「円空研究センター」を見た印象では、こと活動と言うことに関しては、美並の方がはるかに活発であった様に思いました。
産みの親より育ての親と言う言葉を援用すれば、美並説で構いませんが、誕生地と言うことに関してはどうでしょう。

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全く別次元のことを私は考えていまして、「円空」は名前が良すぎる!

円も空も仏教と強く結びついた言葉ですし、まして密教僧なら空海から一字取りたくなるのも当然。

「円空」と言う名前の僧は、名前だけなら何人でも日本にいたのでないのかしら。

円空という名の作仏僧が複数いたかどうかは知りませんが、円空仏の魅力といった時、相当名前によってプラスアルファされていないのかと感じるのであります。



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