佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2015年09月

コスモスを撮りに

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後2,3週間すればこの畑一杯にコスモスの花が咲き、「コスモス祭」が開催される。


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チラホラと花が咲き始め、やわらかいコスモスの紅色が心に滲んでくる。


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「花ならばコスモス」と書いてみて、これを頭にして、適当に言葉を足して歌を作ってみたい。


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             花ならば コスモスの花 風に舞ひ 記憶の中の 君が現る


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帰りに田んぼも撮りました。

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西南の方向で遠くに見えるは養老山脈。



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これは新幹線「岐阜羽島駅」の方向で、電柱の右手が駅。右の方の赤い色のビルがバロー。ほんのちょっと左手のポコッと出た小さな丘のような山が金華山。写っていない、この写真の右側の処にコストコ建造中です。


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岐阜羽島駅からバローまでをトリミングしてみました。写真真ん中の金華山が分かると思います。画素数が多いので、拡大しても結構鮮明に写っております。有り難や!

揖斐峡まで

佐吉大仏に出入りの若い衆に誘われて揖斐峡まで行ってきました。

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揖斐峡と言いましても、地図の現在地の揖斐峡大橋を渡って橋から写真を撮ったものです。


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この橋から上流(左手)、下流(右手)と写真を撮りました。下流(大垣方面)の写真からご紹介。

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次に河面に光が映えて美しい上流を。


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揖斐峡大橋を渡ったところにこんな祠が祀られていました。

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最後にもう一度大きめの地図を掲載しておきます。橋を渡る手前に小さな休憩所があり、そこに車を置いて渡りました。

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今宵中秋の名月

ウチに出入りしている若い衆、と言っても30代後半のオッサンでありますが、どこかドライブに連れて行けとせがみますので、揖斐峡まで行ってきました。

その写真は明日にして帰りがけ月がとても見事でしたので、車から降りて10枚位撮影。

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駐車したのはここと次の二箇所です。正面は岐阜県揖斐郡池田町。月が出ている左手の方は同郡大野町だと思います。
10枚から一枚選んで、フェイスブックに載せましたが、本当はどれが良いか分かりませんので、撮った順にズラッと5枚並べてみます。

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大仏さんと布袋さん

本日は竹鼻町公民館主催の行事「歴史散歩」、今年のテーマは山車巡り。

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ご覧の通り、生憎の雨。祭りの日には山車上に鎮座することになる布袋さんは大仏寺ご披露


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竹鼻町を更に区切って私達は上鍋屋町と言います。愛敬があるので竹鼻祭りの一番人気です。


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私の幼なじみT 君が説明しております。参加の方は興味深くお聞きです。


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折角の機会でしたので、祭りが近付くと大仏寺の塀に掛ける山車の写真を長机の上に並べました。


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文化財・史跡と併せて40枚位A3サイズの写真が展示されることになります。こちらの方は暫く並べておこうと思っていますので、ご関心ある方は是非大仏寺へお越し下さい。
予め連絡して頂ければ、ご説明させて頂きます。(大仏寺:永田☎058-391-5032)




「ぎふ清流文化プラザ」開会式と館内等の様子

①開会式

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「ぎふ清流プラザ」の開会式に行ってきました。22日ある方のブログで知って、思い立って出かけて行きました。これは着いてすぐの写真で二階から撮ったものです。


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十分ほど待って開会式が始まり古田岐阜県知事の挨拶。ここで下に降りて行きました。


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紛れもなく古田知事。「ぎふ阜清流プラザ」は以前は「未来開館」と言いまして、各種イベントが行われました。私も三度ほど来たことがあります。今度は建物を大きくして、県警交通課の施設とドッキングさせて有効活用をねらったものです。


挨拶等省略しまして、長良幼稚園児のミナモダンスが可愛くて、写真続けてご紹介。

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お決まりのテープカットで開会式は終了。この間約30分。


②館内の様子
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館内の様子と言いましても、右の階段を上って撮っただけです。


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ガラス窓越しに見る景色は中々素晴らしく、右側を撮れば金華山も見えてきます。


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インテリアの感じから愛知芸術文化センターを思い出しましたが、大きな違いはエスカレーターがない点で、愛知県と岐阜県の人の量の違いを感じました。


③第1回tomoniプロジェクト展

この日の本当の目的はこの展示会を見ることにあります。開会式は、午前中に済んでいるだろうと思って時間を確かめずに行った結果として遭遇したものです。

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写真が小さく、ピントも合っておりませんが、肖像権を考えると丁度よいボケ方になりました。


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このギャラリーの目的は障害のあるなしに関わらず、ともに新たな創造活動を行うことにあります。今回はそのスタート事業として、障害者のアート作品とデザイナー等がコラボレーションした作品が展示してあります。


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ユニークな展示の仕方で、オブジェとして中々良いなと思って撮りました。


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出ました、左側私。右側がかつての関養護学校の同僚で、今や・・・もらった名刺の肩書きには障害者文化芸術アドバイザーと記されていました。
確か岐阜県芸術文化会議の会長で、このイベント全体の総元締めのような気がしますが、相変わらずの奥ゆかしさで、多少歯がゆい感じもしますが、昔から変わらぬ性格そのままです。

彼は今年郡上で個展を開催していまして、下のURLをクリックして頂くとその様子が分かります。

http://blog.livedoor.jp/kannon0018/archives/44344002.html


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これは白いタイルの壁にシールのようなものを貼ったもの。よく見るとバナナだったりにんじんだったり、楽しい世界です。

最近現代芸術を観る機会が多く、何時も頭の中を回転させながら見ていまして、何となくホッとしたと言いますか、心が和みました。


④屋外とこよみの夜船の展示

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これは「こよみの夜船」と言いまして、今は岐阜県美術館の館長の日比野克彦氏が製作したものです。9月23日とこの日の日付がデザインされています。


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建物の隣りの噴水で遊ぶ子供達。


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最後に歩道橋から写しました。思いがけず充実した見学になりました。

最後になりましたが、我が友にエールを送りたいと思います。「朋あり遠方より来たる、又楽しからず哉」と言います。余裕が出来ましたら、お越し下さい。

羽島映画資料館(その2)

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羽島市映画資料館は歴史民俗資料館も兼ねていて南からは映画館、西からはお城の様に見えるユニークな設計です。


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単なる窓の型どりですが切符売り場に見えるように作ってあります。

南側からと西側からを並べて見ましょう。

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さて前回も紹介した資料室入り口。

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左側に入りますと、暫く歴史民俗の資料が続き最後の部屋に映画資料があります。


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この映画資料館は、昔は朝日館という東映・東宝系列の映画館がありました。右上の似顔はスターの顔で、私もよく覚えております。


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映写機が何台も並んでいます。又、収蔵枚数日本一を誇るポスターが所狭しと貼られています。


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映写室に入りますとまたまたポスターが貼ってあります。でもそれだけではありません。


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「全国新旧俳優見立大番着附」、昭和14年となると流石に知らない人ばかりです。


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「全松竹女優名鑑」昭和15年、お気に入りをお一人チョイス。


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藤原かね子さん(大正8年生まれ)、この時20歳前後。アバンギャルドの感じですね。


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さて、今度は左側の陳列ケースの中を覗いてみましょう。


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今は懐かしい丹波哲郎さん、映画資料館の名誉館長であられたことが分かりました。

続いて3ケースは、此方も段々懐かしく思い出されるようになったあの方。

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すべて高倉健さんですが、映画の種類に合わせて見やすく展示してありました。

羽島映画資料館は資料が満載ですから、展示ポスターや展示資料はしばしば入れ替わります。映画好きな方だけでなく、過ぎ去った日本の風景に巡り会うという意味でも、多くの方にご推奨します。

羽島市映画資料館の資料その1(名古屋の映画館)

ここは羽島市歴史民俗資料館兼羽島市映画資料館。

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西から東に向けて写真を撮っておりますが、歴史民俗資料館らしくお城を模しています。

南から見ると映画館の形をしていますが、それは撮り忘れました。今まで歴史民俗資料館に関するご紹介をしてきましたが、今回は映画資料館の方。

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左に入りますと過去の色々な資料が展示されていいますが、今日は右の映写室に入りまして、これは素晴らしいと思った資料を一つご紹介します。


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これは何かと言いますと名古屋の映画館の場所を書いたものです。行ったことがない人には何の興味も起きない地図でしょうが、私は学生時代よく利用しました。
その頃には映画産業も下火で観客は少なくなっていたのですが、まで廃業せずに多くの映画館が頑張っていました。
私はガールフレンドどころか、友人も殆どいない孤独な青春を送っていましたので、一人で映画を見ることが楽しみでした。昔を偲ぶ地図でした。部分拡大したものを下に4枚載せておきます。

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パノニカジャズナイト9月17日(木)

先週に引き続き「パノニカ」でのフリージャズライブに行ってきました。

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お目当ては右端の青シャツを着たドラマーの田中さん。スッカリ親しくなり今では友達です。


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これはジャズのスタンダード「枯葉」の演奏です。サックスが二人に増えています。


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見つめ合う二人。ご夫婦です。どうして息の合う演奏で、夫婦和合と言いましょうか、我ら夫婦とは違うなぁと大変うらやましく思いました。


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岐阜市周辺の方でないと関係ないでしょうが、パノニカの10月のフリーライブの予定を載せておきます。お金を出して聴くライブと演奏のレヴェルは全く変わらないか、それ以上で、オーナーの心意気に感じて、皆さんで盛り上げていきたいものです。

岐阜チャンラジオご一行様

先ほどまで地元岐阜チャンのラジオ取材がありました。

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今日は大仏さんに限った取材ではなくて、インタビュウの会場として佐吉堂内を使用しました。


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インタビューを受けるのは、岐阜県観光ガイド連絡会の会長で永田佐吉顕彰会の理事の清水國夫さんと羽島観光ボランティアガイドの池田さんで、内容は羽島全体のPR。

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こちらはレポーターの児玉佳奈さん。とてもステキなお嬢さんです。

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本番生放送終わりまして、ホッとくつろぐ清水さん佳奈さん。


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最後は私と女房が図々しくしゃしゃり出まして、記念撮影。佳奈さん、ポーズが決まってます!

養護学校での忘れられない一言

かれこれ20年前。

私は関養護学校の中学部に所属して、教員稼業にいそしんでおりました。

或る日の中学部会のこと、中学部を統括する主事の無神経な一言に、30半ばの熱心な女性教師が怒り出して、「私は子供達を可愛く思っています。そう言う先生はどうなんですか?」という発言に続いて、二人の間で思うの思わないのと顔を赧らめての口論が続きました。

小中交流と言いまして、特殊教育学校は小中学校の先生と3年を単位に、教員のやり取りをしております。この先生はその一人で、障害児教育を学びたいという熱心な志の持ち主でした。

私はかなりのすれっからしで、青臭い議論に皮肉でも言ってやれと思って、会議の終了後廊下で女教師に「私は自分の子どもでも可愛いなどと思っていない。まして他人の子どもなど可愛いはずがない!」と言い放しました。

何か言い返されるかなと思いましたら、おとなしくその場を立ち去りました。

その10ヶ月後に彼女は小学校に戻り、転勤の挨拶状を私にくれました。

その中に書かれていたことです。

『私は関養護学校に三年間お世話になり、ヒラメ(ここは本名が入りますが)先生の一言が聞けただけでも、行った甲斐がありました。忘れられない言葉としてずっと大切に覚えておきます』

エッ!と驚くのは此方で、そんな風に思っていたのかと今でも記憶に鮮やかです。

抽象的な言葉でまとめれば、エゴイズムから脱却するには、自分がエゴイストであることを認識し、ある面それを受容することから始める以外ないということかと思います。

多かれ少なかれみんなエゴイストの側面はあるのに、そう思われまいとして、どれほどの無理をして自分を装わせているのか、教員の全てがそうだと思います。

良心的、誠実、そう言う言葉で心中はがんじがらめになっているのです。

自分に正直であることは、少なくとも自分の心のなかでは、誤魔化してはならないことです。

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以上の内容は、長くなりましたからフェイスブックには無理だったのでしょうが、元はフェイスブックに書き始めた事です。

しかし、フェイスブックでは名前を知り合った人が多く、『他人の子どもが可愛いわけがない』※と言うような物言いに、反発されたり問題視されたり、内心たじろがれる人もいるかなと、思い直してブログの方に書き換えました。

1対1で話すときと、第三者がいるときとでは話す内容が違ってくる方も多くて、何かと苦労しますね。

※くどい説明になりますが「自分の子どもが可愛い」等と言っているわけではなくて、ここで言っていることは「自分が一番大切」ということです。

それから「可愛い」と言う言葉ですが、中学生の年代になれば「可愛い」等という言われ方は侮辱でしかなく、思っても口にするものでありません。


お客様二組

12日、13日と二日続けて団体のお客様に来て頂きました。

◎12日
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こちらは「美濃歴史文化研究会」の皆様で、大垣市や海津市の西濃地方を中心としたグループの方だと思います。羽島市の史跡文化を一日で見て歩かれる予定で、朝からびっしりと計画が組まれていました。

覚えていることを羅列しますと、宝暦治水関係の史跡、羽島市歴史民俗資料館、本覚寺、当大仏寺、円空仏所蔵のお堂、西方寺、更には坂倉準三設計で1959年建築作品賞を獲得した羽島市庁舎と充実した内容です。
仏像や仏教についてお詳しい方もおられて、説明に緊張しました。


◎13日

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こちらは東京からで仏像巡りツアーご一行様20余名の方。連絡があったわけではありませんで、大仏さんが賑やかだなぁと思って降りて行きましたら、沢山の方がみえてビックリしました。
光が入っていますが、これからバスに乗って新幹線「岐阜羽島駅」に行かれるところです。

説明時間が少なかったものですから、早々に切り上げて、胎内に入って頂くことにしました。写真にはないのですが大きい木魚とけいす(大きな鈴)も使用して頂きました。
それが良いか悪いかは分かりませんが、ここでしか出来ないことは経験して貰った方が良いと思っているからです。

鋳造専門の教授の方がみえて、佐吉大仏の鋳造方法についてご質問があり、答えようがありませんでした。

富山大学芸術学部の大仏専門の教授の方のお名前を教えて問い合わせして欲しいというのが精一杯でした。

私としましては、参拝の方が多いことが一番望むことで、嬉しい土・日でした。研究会と言いましても皆様、神仏に対する敬いの心は心得られた方ばかりですので、私も気持ちよくおもてなしできました。

堀江良一木版画コレクション「弧の軌跡」partⅡ

◎以前の記事ですが、この度堀江良一さんが紺綬褒章を受章されましたので、それを記念しまして、最新記事の所に日付を変えました。

堀江良一木版画コレクション「弧の軌跡」partⅡ  2012  7/21 ~ 8/5  於:羽島市文化センター
                                            企画・展示  永田 章

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                                      弧のある風景90-1 クラコウ国際版画トリエンナーレ展’91入選作品

7月~8月に羽島の文化センターで行った版画展の模様をご紹介します。
堀江さんは私の高校教師時代の同僚で、旧知のよしみで何作か貰ったり安く購入したりして結構揃いましたので、3作彼から借りまして、全16作品並べて回顧展に近い展示会を行いました。

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会場入り口です。 展示会を開いた理由は、堀江さんの作品が岐阜県美術館に買い上げ収蔵され美術館主催の郷土の作家展で初お披露目されましたので、友人としてこんな目出度いことはないと思い、何が一番記念になるか考え、多くの人に見て貰うことが一番と思って企画しました。


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小説家などでもそうでしょうが、近くにいる人間程、才能ある人を評価しないきらいがあります。そりゃまぁ人間くさいところを知ってますからそう崇めるわけにもまいりません。しかしこの2作品大したものでして、左が第10回クラコフ国際版画ビエンナーレ展入選、右は秀学社の中学用美術教科書の多色多版のモデル作として採用されたものです。左の作品を大きくしてみます。


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               ポーランドクラコウ第10回入選展示作品


〇次に三方向から見た会場の様子をご覧下さい。

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最後は、正面から見た光景です。きーんと静まった雰囲気が漂います。作品は全部手製ですから凄いとしか言いようがありません。球なども手で描いて手で掘ってですから技術は神業。並んだ中で、正面虹のような作品が一番古く1979年、左側が新しく2011年作です。この間足かけ32年です。


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左が1985年、右が2006年で年齢ですと、版画家42歳と63歳の時の作品です。年齢と共に非常に優しく円みを帯びてきていますね。左は鋼鉄の剣のような厳しい感じですが、この頃は堀江さんも東京芸大の仲間達が次々と出世していく中で心の中で闘っていたのかなぁ?と、すぐ実人生に結びつけて考えてしまいます。


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左側は1996年川上澄生美術館木版画大賞展で入選したものです。岐阜県美術館自慢のルドンを連想しました。彼「そんなこと言われたのは初めて」。私の場合は、ルドンしか知らなかったと言う事もありますね。
右の作品は教師退職直後の作品です。こう言う色はそれ以前には使えなかったそうで、「教員の日常の労苦から解放されて朝日がフワァーンと差し込んできた」感じです。


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頂いた木版年賀状も展示しました。どちらかというとお人柄からは、こちらの雰囲気に近い方です。最下段真ん中が今年の絵柄です。「夫婦相和し 朋友相信じ」と言うメッセージでしょう。


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作品の前でくつろぐ堀江良一さんです。


               

堀江良一さん紺綬褒章受章

時々このブログでも採り上げております美濃加茂市在住の木版画家で、昔の岐阜県立加茂高校教員時代の同僚として知遇を得ました堀江良一さんが紺綬褒章を受章されました。
誠に目出度い限りであります。お目出度うございます。

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堀江良一さんの作品は寄贈して頂いたり、購入したりして何点か持っておりますので、現在掛かっているものを下に並べてご紹介します。

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いずれも1980年前後の若い頃の作品で、新聞から窺われる今の作風とは相当異なっておりますね。特に4枚目の作品は若さのエネルギーがあふれていると思います。

展示の入れ替えをしましたら又ご紹介したいと思います。

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ここからが驚くこの世の偶然ですが、この新聞紙の裏側を見ますと次の記事がありました。

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この記事は、数日前に鑑賞に行きました羽島市在住の松永清石さんの書道展を伝えるもので、このブログでも採り上げました。
私としましてはお二方とも大変お世話になっておられる方で、肩身の広いのか狭いのか、恐縮した次第であります。

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この新聞は地元岐阜新聞で、中濃地区に配布されているものです。

買ったわけではありません。送ってきたのです。

記事のタイトルの主旨から外れてしまいますが、どうしてその様なことが起きるのか、この世の縁の不思議さを記しておきたいと思います。

この新聞記事の送り手は、私が加茂高校で恥ずかしいような英語教師をしていた時に、我慢して聞いて貰っていた生徒のS君です。

S君は代議士の地元秘書をしていました。数年前に堀江さんの展示会を羽島文化センターで行ったとき、その代議士さんの祝辞を直接持ってこられて、以来親しく助け合ってお付き合いしていました。

飛騨地方の後援会に挨拶に行く時には便乗しまして、白川郷や飛騨古川の街並みを交通費無料、昼食付きで楽しむことが出来ました。

その模様はこのブログでもご紹介しました。

代議士のパーティとかも人生初経験で見聞しました。しかるに先の総選挙で落選してしまいました。

そんなもので、S君も失職、身の振り方も考えねばならず、選んだ先が新聞の販売代理店と相成りまして、彼に取りましても堀江さんは恩師でありますので、吉報を伝える新聞を送ってきたわけであります。

巡り巡ってわらしべ長者みたいな話でありました。


「原恵子展」 於 いまじん 9月20日(日)まで 

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「いまじん」のビル改装中で、足場をくぐっての訪問となりました。


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部分拡大いたします


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つぶらな瞳の女性像が浮き上がってきました


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『人の姿、形を描きたいわけなのではありません。・・・表現したいのは、感情、呼吸のような目に見えないもの』という言葉を頼りに作品を観ていきたいと思います。


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今回は写真を撮るのが大変難しかったです。家に帰ってみましたら結構失敗しておりまして、ポケットカメラではいけなかったかなと反省しました。正面をアップします。


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「感情」というと「喜怒哀楽」という言葉を思い浮かべますが、その様なハッキリとした色合いがついている感情ではないようで、例えば夢なら夢で、朝目覚めてみたら内容の全部を忘れてしまって、気持ちよい風がスッと通ったような感触だけが残っているとでも言いましょうか。


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1960年岐阜県生まれ。わたしより丁度10歳お若い。ご挨拶文の中に『いい年をした大人』と記されていまして、わたしの場合はどう言うべきか、腕を組んで考えました。「名残の年」とでも言いましょうか。


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微妙な色の違い。カメラでは再現するのが大変難しくて、是非実際をご覧下さい。原さんの絵を観ていると、バックの色が主役で、人物がその色の中に融け込んでいくような感じになりました。


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フラッシュ焚けば良かったのですが、ちょっとピントがずれておりましてスイマセン。部分写真を撮りましたので、全体もと思いましてご紹介させて頂いた次第です。


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ひっそりと静かに呼吸している感じが伝わってくるようです。


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ここで一息つきましてコーヒーブレイク。これは決して絵に合わせて書いたわけではありませんで、左端の所で坐ってホットコーヒーを頂きました。
大変美味しいコーヒーで300円、お薦めです。今日は中津川のお菓子で、栗配合のクッキーがついてきました。ここ3ヶ月位アイスでしたが、ようやく9月に入り、ホットコーヒーに切り替えました。

別にお金を出さなくても無料でお茶を出して頂けますので、それでいいのですが、多少なりと雅な時間を味わうにはコクのあるコーヒーが相応しく、今回の「原恵子展」では余計にそんな感じがしました。

一々区別立てせずに、作品もコーヒーも電気の照明なんかも合わせて、一つの雰囲気につかるのも良いものであります。


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そのコーヒー茶碗をカメラに切り替えて坐ったまま撮った写真です。


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「前はお姉さんがおんぶしてあげたのに、ずっと大きくなっちゃったね」とか、些かナイーブですが。


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控え目の中にくっきりと存在が浮かび、小さな体の中に大きな世界が拡がる

失恋自殺を防ぎたいPart2

人の行いで分かることもあれば分からない事もあります。

さっぱり分からない人とは何をどう話して良いか見当がつきませんから、お付き合いは御免被りたいものです。

ここで立ち止まって考えるのですが、「分からない」にも程度の差があり、①完全に分からない場合、②行動は分からないが気持ちは分かる場合、③自分とは違うが理屈の上からは納得できる場合が考えられます。

例を挙げると理解されやすいのですが、後の③からですと、凶悪犯罪の多くはそういう境遇で育ってくるとそういう気持ちも湧いてくるのかなという気もしてきます。

最初から犯人は人間でないなどと決めてかかるべきでないと思います。

②ですと、自分をさらけ出して書きますと、破廉恥罪のようなこと、痴漢とか覗きとか、私は他人事だとは思いませんので、つい被疑者に同情したくなります。

①は例が浮かばないのですが、無理に拵えると私の奥さんは朝から晩までテレビを付けています。寂しいのだそうですが、もっと孤独に生きている私の方はテレビの音も画面も煩わしくて仕方がありませんので、完全に理解不能です。
こういう方とは話が通じません。

しかし①の場合は例外的で、多くは分かると分からないの間に位置していると思います。

分かろうと努めることによって、自分自身に対する見方も深まりますし自分の心の領域も広がってくると思いますので、即座に相手を切らないことが肝腎だと思います。


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「失恋による自殺」、私はこれは全く理解出来ないことでした。

失恋の経験がない、或いはそこまで人を好きになったことがないからかも知れません。

が、死んでしまったら人生そのものがなくなってしまうのですから、人生上の出来事の一つに過ぎない失恋がその他のものを全部引っくるめて無に帰せしめてしまうということが、どう考えても納得が出来ない事象に思いました。

その恋が、人生という土台を構築するようなものであるならば、その恋がなくなれば生きていく基盤をなくしますので自殺を誘発する事も考えられます。

ですが、その恋に出会うまでは生きてこられたわけですから、その恋がなくなっても以前の状態に戻るだけのことです。
気分を入れ替えて、また新たな人生を始めるだけのことで、当座はチョット寂しいにしても、いい人が現れれば失恋など忘れてしまうはずです。

失恋によって自殺を考えるような人は、私には宇宙人と同じで、世の中には不思議な人もいるものだと首を傾げるだけでした。

しかし年を重ね人生経験を積み、心理学を中心とした書籍の助けも借りて、最初に書いた①全く分からないから③理屈の上からは納得できるという状態に移行してきたように思います。

今日の記事は、私なりに学習したその理屈を書くのが主たる目的であります。

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思い出しながら書くのですが、邦題を「その恋を捨てる勇気がありますか」というアメリカの女性の方が書いた本があります。

原題を「Obsessive love」(強迫的な愛)と言い、こちらの方が内容を的確に表しています。

その中に次のような記述があります。

失恋や殺人で終わるような恋は、ドラマや映画の題材として採り上げられ、最高の恋の現れのように思われているが、本当は恋ではない。

これは幼少期の親の愛の不足を、恋人によって得ようとする衝動で、彼等が或いは彼女たちが心の奥で求めているのは、恋人ではなく親である。

恋人に親の替わりを求めるとなぜ強迫的な愛になるのか、その心理的作用をトレースしてみないと中々納得できないことです。

幼少期の子供は親の愛、正しくは保護者のケアだと思いますが、がなければ生きられません。生きて来られたと言うことは、なにがしかの施しはあっただろうと思います。

しかしそれが充分でなければ、不安な毎日を過ごさねばなりません。5歳頃までのことは記憶に残っていませんので振り返りにくいのですが、全面的に依存して生きるしかない幼児にすれば生死がかかっているほどの大問題で、その不安感や恐怖感は心の奥底に染みついてしまいます。

又自己の存在感は他者からの認知によって育まれてきます。誉められたり叱られたり、又親の期待に応えることで自己の存在感や充足感を感じることが出来ます。

家庭が問題があったり忙しすぎたりしてほかっておかれた子供の場合は、「自分は自分としてある」という存在感が稀薄になる場合が多く見られます。

「天上天下唯我独尊」で始めから孤独の方が自我が育つように思いますが、始まりは「あなたはある」という働きかけがあって「わたしはある」という意識が芽生えるので、孤独に強くなるのは「わたしはある」という感覚を身につけてからのことです。

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「船出」の喩えを使って説明してみようと思います。

船は最初から海や川で作られるのではなく、大きな船ですと専用のドッグで大変な手間暇を掛けて建造されます。

もしここで手抜き工事とか工期を短縮して行われたりしたらどうでしょうか?

船長の立場に立てば、いざ船出という時には大変不安なものです。いつ壊れるかも知れませんからそう遠くには行けないでしょうし、仮に処女航海は無事でも次の航海が安全であると言う保証はありません。

人間の船出の時期は、思春期とか第2次性徴期とか言われる時期であることは先ず間違いないでしょう。今では、経済的自立はもっと遅くなっていますが、自我意識の芽生えや人間関係についての基本的認識は出来上がっているはずです。

人生という船出にあたって、自分を振り返ってみて、十分な手当、情報、燃料が確保されているのならば最初から世界一周も可能かも知れません。

船出を誰からも期待されていなかったら、前途に何の意欲も湧きません。

争いごとばっかり見させつけられていたのなら、戦場にでも行くつもりになるかもしれません。

一番大切なことは自己信頼感で、それが手抜きだらけで無い物ばっかりでは、一番大切な安心を得て船出することは不可能です。

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恋の話に戻ります。

十分な自己信頼感がなくて大人になった場合でも、今まで生きてこられたわけですから、寂しさや不安感や空虚感を感じながらも生きてはいかれます。

所が有る日突然夢のような男性或いは女性が現れて、わたしの苦しさが分かって貰えるという幻想を抱いてしまうと離れられなくなります。

この強度は孤独感や空虚感の深さに比例すると思います。

20年・30年溜め込んできた苦しさが一気に解決するのは、誤解なんですが、この人に出会うために今までの苦しさはあったのだと独りよがりに決め込んでしまう。

この甘美な気持ちは大変強く、その人に出会うまでは耐えていたことが耐えられなくなる。私達がエアコンを知ってしまうと容易に前に戻れなくなるのと似たようなものと言えるかも知れません。

もっと本質的に重要なこととしては、一見大人の恋をしているようで心の奥底では幼児期に戻り、親子の安定した情緒に浸ることになるので、人間的にも弱い自己が露出される。
弱くても安心しておられると言えます。
逆にその人がいなくなればと思うと、耐えられないほどの恐怖感に襲われます。

親と恋人の違いは、恋人はすげ替えることが出来ますが、親は変えられません。その結果親の代替として恋人を求める場合は、その相手は一世一代で変更不可能になる場合が多いように推測されます。

運良くゴールインすれば良いのですが、親と恋人は違いますから、破局が生じますと谷底に落ちる感覚になり、きっかけがあれば死を選ぶ、男の場合は相手を殺して死を選ぶことがあり始末に負えない、ことにもなります。

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以上の心理メカにズムを知って、失恋自殺は防げるのかと言えば現実には無理でしょう。

わたしは理屈の上でこうならこうなるのかなと辿っただけで、理屈の上で分かったからと云って、自殺念慮が消えるとも思いません。

それでも最初の一歩は最初の一歩で、安定剤や睡眠薬を飲んだりというその場における対症療法とは別に、自分の人生を振り返ってみることは必要でないかと思います。

自分の責任でもないものを全部自分の所為にしてもいけないわけです。

又周りの人も今のことを今のことだけで解決しようとしても無理なことです。
なぜならば、事象はすべて今に関する事でも、その事象に苦しむ心性は乳幼児期に形作られていることが多いからです。

「社会にはもっと不幸な人がいる。」というような病人を鞭打つような励ましになりかねません。

上に下線を引いたことを多少でも頭に入れることで、周囲の人の言葉がけも変わってくると思います。

ビルから飛び降りるのも、行為としては些細なほんの一歩ですから、その一歩を踏みとどまらせるためには、ゆっくり話していくことが大切でないかと思います。

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最後に、失恋自殺というそうはあり得ない事柄について書きましたが、もっと身近な依存症とかいじめとか登校拒否の様な事にも、乳幼児期に培った性格が起因していることは多いにあると思います。

教員の子供が意外なほど登校拒否が多いのは、育て方のプロが育て方を間違えているわけで、過去を振り返る必要はあるかと思います。

もう一つ但し書きを入れておきますと、子育ての成功例ばかりを追わないことが重要です。
イチローの背後には死臭累々たるものがある事も忘れず甲子園の星も目指したいものです。


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