佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2015年11月

「布袋大仏」拝観(江南市)

岩倉市から江南市の「布袋大仏」に向かう途中、思わず車の中から撮りました。

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噂では聞いておりましたが、中々の巨大さ。


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同じ場所から電車を入れて撮りました。よく雑誌などで紹介されるアングルだと思います。


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正面から。聞くところによれば建立者の方が自分の顔に似せて建てられたとか。


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説明の看板ですね。正式名は「御嶽薬師尊」。建立昭和29年。高さ18mで奈良の大仏より2m高いと書かれています。周りの様子を続けて紹介します。

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隣は鍼灸院で、大仏さんと続いています。よく効きますようにと言うことからでしょうか。

「えほんのもり」(岩倉市)訪問記

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正面にAPITAの建物が見えますが、ここは名鉄犬山線「岩倉駅」です。私は電車で来たわけでありませんが、この駅のすぐ近くに目指している「えほんのもり」があります。


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左端に見えている車は私の車です。この建物はフェイスブックのお友達の所有されているもので、一階部分を全部改造して、「えほんのもり」という皆さんが利用できる本を中心としたスペースを作られています。フェイスブックでご案内がありましたので訪問しました。


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《入り口》今日はマルチェロ・プッチさんと仰るイタリアからお越しの方の陶芸作品展も開催されていて二重の楽しみです。


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玄関から左右二方向にカメラを向けて写真を撮りました。可愛いい女の子がお母さんから絵本を読んで貰っていました。


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更に奥を進みますとこちらは教育関係を中心としたかなり難しめの本が沢山並んでおりました。私は落ちこぼれの教員でしたからこの場は早々に退散。


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絵本の選択に趣味の良さが感じられました。


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全集で揃っていますと本棚に品格が出て来ます。


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調度品と言いますか、壁に掛けてある絵を見ましても非常に高品質な感じがしまして、子ども達も知らず知らず感性を高めていく事になると思いました。素晴らしい姿勢に感心しました。


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此方の棚には外国旅行で購入された民芸品やおもちゃが並べてあって大変魅力的でした。


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タンバリンのようですが、ちょっと違いますね。


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これはどうやったら音が出るのか?首を捻りました。。或いは用途が違うのかも知れません。


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大仏さんにあったら、子ども達が遊びに来るのにと、つくづく後ろ髪が引かれる思いでした。


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全て私費を投じてされておられて頭が下がります。今後の更なる発展をお祈りします。



倫理法人会で佐吉翁の話をしました

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岐阜市中央倫理法人会の「経営者モーニングセミナー」に呼んで頂きまして、早朝40分ほど「美濃聖人永田佐吉の足跡を訪ねて」という演題でお話しさせて頂きました。


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話だけでは物足りませんので、直筆軸も持参しました。正直言いますと、自分の先祖を称える話をするのは少し辛いところもあるのですが、知られるまでは頑張らねばと思って行っています。


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このブログをお読みの皆様で、ご関心ある方は来て頂いても、当方が出むいても、どちらでもさせて頂きます。人数はお一人でも百人でも構いません。お礼の方は些かも考えて頂く必要はありません。遠慮なくご連絡下さい。


「さかいがわはし」周辺の風景

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いきなりの地図で恐縮ですが、赤地に黒破線が羽島市と隣の岐阜市柳津町を分けるラインです。
真ん中あたりに橋の真ん中を横切っていると思いますが、この橋が「さかいがわはし」です。


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「境川橋」と書くべきだと思いますが、橋にひらがなで書いてありました。


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西の方、流れが注いでいる長良川方向に向けて橋を撮ったものです。昔はここを木曽川が流れていまして、左尾張、右手が美濃と別れておりました。
1586年に大洪水があり、木曽川の流れが今の状態になり豊臣秀吉によって、笠松や羽島は美濃地方に所属することになりました。

その名残として、羽栗、中島等という地名が、木曽川を挟んで愛知・岐阜の両方にあります。

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境川が2つに分かれていてその右手の方です。川原に降りて行きまして。


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羽島側は「小熊町」と言いますが、羽島の中央部の竹鼻育ちの私にとっては、子どもの頃には本当に熊でも出て来そうな田舎の中というイメージを持っておりました。


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「俺は河原の枯れすすき♪」森繁久弥の唄で有名な、野口雨情作詞の船頭小唄の一節。


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これは「さかいがわはし」の上から、東側を写したものです。こちらの方が広々した感じです。


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境川に併行して流れている川筋ですが、何と呼んでいるのか知りません。左手桜並木だと思いますが非常に綺麗な筈です。覚えていたら、その時期、撮りに行こうと思います。


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この川筋を少し走って行きまして、次の大きな橋「高桑大橋」の処の信号が赤でしたので、車の中から1枚撮りました。左手に見えている煉瓦色の建物が岐阜聖徳学園大学。前身は聖徳短大。岐阜県を代表するような、こんな大きな大学に成長するとは思いませんでした。
浄土真宗本願寺派「お西」のお寺が経営する大学ですね。


分からない事に価値がある

『分からない事に価値がある』という逆説的命題を立ててみる。

最近私はブログやフェイスブックを通じて、音楽や美術に接する機会が増えてきました。

美術は全く関心外で価値が分からず、音楽はポップス系ならともかく、ジャズやクラシックは退屈系の音楽として、CDを聴くこともありませんでした。

写真は最近自分でも撮るようになりましたが、チットモ情熱が湧きませんし、花にも自然風景にも、実は関心がありません。
じゃぁ何故撮っているのか?と言えば、写真がないとブログやフェイスブックが続きませんし、お堂の壁に展示用桟がある以上何か無いとサマにならないからです。

仕方が無しにやっているようなものです。

上に述べたこれらのことは数年前までの私には存在していなかったことで、些かも興味をひくことではありませんでしたし、今もさして変わりません。

その理由を一言でいえば、私には分からないからです。

クラシックの方の言葉に、「分からなくても感じて貰えれば良い」、「楽しむことが第一」とありました。私も時には感動したり心がウキウキ弾むような体験はあります。

ですが改めて「本当に感動したのか?」と問われますと、自信を持って確かに言えることは何もないことが知られます。

ですから『分からない事に価値がある』という命題は、哲学的な追究によるのではなく、現実的必要性から言えることです。そう思わないことには続けられません。

勿論良い事もあって、分からない事に価値があるのならば、意味がないから意味がある、面白くないから面白い等々、と考え方が応用されていき世界がドンドン拡がってきます。

悪いことはないはずです。

ここで少し言語的に考えてみますと、この世は分かることだけで成り立っているのではなくて、分かることと分からない事の両方、中間もありますがこれはさておき、で成り立っています。

分かる世界だけで生きているということは、謂わば、良く整頓された自分の部屋から一歩も外に出ないようなもので、拡がりある空間と交わることは出来ません。

大げさに記せば、この宇宙の森羅万象、分からない事だらけです。
抽象絵画の前に立てば、まるで一体どの国に迷い込んだか、あまつさえ未知なる宇宙に遭遇したような感覚さえ覚える場合もあります。

だから、私達が宇宙と供に生きていると感じるためには、知っている世界だけではだめで、何のことやら全く訳の分からない世界とも交わりを持って、自分は広々とした世界の中にあると実感してみることが、とても、大切だと思うのです。


晩秋の「市民の森 羽島公園」

11月21日(土)、晩秋の「市民の森 羽島公園」の様子を写真に撮ってきました。

撮った順に、説明抜きで12枚の写真でご紹介します。

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一乗寺の見事なイチョウ

イチョウの木が見事な一乗寺に行ってきました。

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先ずは外から参道を写しました。


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少し中に入りまして、三十三観音の前を進みます。


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門に入る前に後ろを振り返り1枚。


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門の中に入りまして木に隠れていますが、左手に観音堂。右手に本堂。


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観音堂と五輪の塔。ここには源平合戦で斃れた侍の遺骨も納められています。


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本堂。一乗寺は臨済宗ですが、開基は古く遡り、弘法大師によると伝えられています。


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本堂で「般若心経」を1巻唱えてまいりました。手洗い場に鯉が泳いでいました。


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本堂から鐘楼を写しました。見事なイチョウの絨毯です。


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鐘楼をアップで。碧空にイチョウが美しく映えます。


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彩りに変化を付けて赤い南天の実。


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三十三観音ですが、全部で三十五体の石仏が並んでいます。少し分割して写します。


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1番観音の前には不動明王。


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三十三番観音の次の石仏には、「大士」と刻まれています。「弘法大師」でしょうか?


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イチョウの葉が全て落ちる頃には、すっかり冬の気候に変わっていることでしょう。


ピアノの聞き分け方??

以前に岐阜県出身のピアニスト上原彩子さんの記事をアップしたことがありました。

上原さんぐらいになりますと、インターネット上で演奏会の感想ブログがいくつも見られます。

私はそれらを読んで、この人たちはどういう耳をしておられるのかなと声が出ませんでした。演奏の特徴もそうですが、楽器の状態、細部にわたる具体的な指摘、どれ程の時間ピアノを聞き続けたらこんな風なことを言えるようになるのかなと、上原さんは子どもの頃からピアノばっかりしてますから常人とは違うのも頷けますが、不思議な世界を見るような気持ちになりました。

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最近クラシックが多いのですが次から次へとレンタルしていまして、イロイロと聴いております。

写真の6枚のCD、ピアノだけを選び出したのですがご紹介しますと・・・

左上  ハービー・ハンコック The essenntial Herbie Hancok

上中  山中千尋       MY FAVOURITE BLUE NOTE

上右  ビル・エヴァンス   没後25年ベストアルバム  以上ジャズピアノ

下左  フリードリッヒ・グルダ  グルダプレイズ ライブ、モーツアルトショパンなど14曲

下中  内田光子       モーツアルト ソナタ 11、10、12、15
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下右  リヒテル   バッハ平均律クラヴィア 
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実は今ここまでグレングールドのトルコ行進曲で有名なモーツアルトの11番ソナタを聴きながら記したのですが、ここで内田光子に変えて聴いてみることにしました。

トルコ行進曲だけ並べて聴いてみますとかなり違う感じがしました。

内田さんは伸びやかかつで弾むようで、、全くトルコ行進曲という表題が目に浮かぶような感じがしましたが、グールドの方はまるでバイエルの教本を一音一音きちんと弾いているという感じでした。

メロディを知っている曲で、何度も聴けば、ある程度は自分なりの感想を言えるようになるのかも知れませんネ。

昔聾学校に転勤したとき、会議で話される言葉が生単とか日生とか未知なる言語が頭の上を飛び交い、外国に来た様な印象を持ちました。
それと一緒で、音楽批評、特にクラシックやジャズは、言っていることは分かるのですが、現実との対応において何がそうなのか思い当たらず、言葉だけを覚えるだけという事が多いです。

楽しく聴けばそれで良いのですが、少しは聴く力も身に着けたいと思いまして、無駄な抵抗かも知れませんが、ベートーヴェンの「悲愴」は、5種類ほど取り揃えました。安くレンタルできて、ダビングも容易なればこそ出来る事であります。


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リヒテルのパッケージの裏側、同じ曲が2種類入っていて不思議です

近所で撮った名鉄電車の写真

記事も滞り、一人空回りする様な気になっております。

少し気を持ち直して、近くの名鉄竹鼻線「羽島市役所前」駅に、電車が来てから去って行くまでという、他愛のない連続写真です。


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次にこのプラットホームから100メートルほど離れたところに移動します。


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目の前を通過していきました。

関特別支援学校訪問と山田真己さんの絵

関特別支援学校50周年式典があり、私は10年勤務で、お呼ばれして行ってきました。

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まるでホテルの様な建物ですが、私はこの校舎建築の時、教務主任という立場で嵐のような数年間を過ごしました。教務主任は、よく学校の要とか言われますが、人によって違いまして、主に要になりたい人がなるので要なので、私の場合は皆に任せて給料泥棒みたいなものでした。


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カメラを左に回すと向こうに学校らしい建物が見えますが、お隣の関商工です。卒業生には熊田曜子さんという偉大な方がおられます。何が偉大か??? バストがとか、バカなことをスイマセン。


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3階廊下ですが関特別支援学校(当時は関養護学校)卒業の山田真己さんの絵が廊下に展示してありましたので少し写真を撮ってきました。


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これは絵と言うよりも右手の吹き抜けを見て頂きたいのですが、見た目は良いのですが暖房効果が悪いですね。


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正面から撮るとこんな感じの絵です。


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真己さんのプロフィールが紹介されていました。


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ステキな詩も書かれています。紙に書くのは頼んでますが文言は全て真己さんの作です。


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                  「ブーケ」と名付けられた作品です。


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廊下におかれているこの作品は前の校長先生で、美術担当の土屋明之先生の製作です。

日本スーパーの創始者・吉田日出男さんのこと

スーパーと言えば今では当たり前で、一体それは何か?と訊くような人は誰もいません。

しかし私の子どもの頃までは、周囲どこにもスーパーやセルフサーヴィスのお店など無く、必ず店員とやり取りして買い物をしたものです。

日本でスーパーを初めて、その基本的なノウハウを考案し、日本中に広めていったのは吉田日出男さんという九州福岡の「丸和フーズ」という食料品店の店主です。

彼は自分の店舗だけでは飽き足らず、主婦の店運動を起こして日本中にそのノウハウを伝授します。

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この本は700ページ近い大著で、ダイエーの創始者中内功の生い立ちから絶頂期を経てその陰りに到るまでを描いた伝記です。

私が吉田日出男さんのことを採り上げるのはこの本の中に吉田さんに触れられている文言を見つけたからであります。

この本によれば、ダイエーは①号店を大阪・千林にオープンしますが店名は「主婦の店・ダイエー」です。

この本には書いてありませんが、先頃創始者が亡くなったバローの1号店は、「主婦の店恵那店」です。

「にちい」という非常に大きなスーパーマーケットがあったと思いますが、ここも主婦の店と非常に関係が深いと聞いています。

少しこの本の中の記述を見てみたいと思います。

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少し前の行から書き写しますと

九六年四月十日、東京・青山で84歳の老人がひっそりと息を引き取った。五日後に行われた葬儀は、ごく近親のものしか参列しなかった。
それが日本で初めてスーパーをつくった吉田日出男氏の最期だった。

吉田氏の死は、新聞も一切取り上げなかった。朝・毎・読・日経・西日本新聞まで目を通したが、吉田氏の死亡記事はどこにも見当たらなかった。さまざまな“日本型スーパー”のノウハウを開発し、「主婦の店」運動を起こして全国の小売業者に強烈な衝撃を与えた吉田は、その華やかな前歴とは裏腹に、晩年は極めて淋しいものだった。

と、あります。

私は個人的によく知る吉田日出男さんの死の有様を、この本を通じて初めて知りました。

羽島市竹鼻町に主婦の店羽島店がオープンしたのはいつのことか詳しくは覚えていません。1960年頃の話でないかと思います。

彼は挨拶も兼ねて商店街のリーダーの一人である内藤氏に話をしに行きました。

内藤氏は「布千」という衣料店を経営していて、私の家とはどういう訳か昔から親戚づきあいをしていました。

内藤氏は吉田さんの話を聞いて次の様な事を言ったのです。

『セルフサーヴィスはアメリカが起源で有るわけなど無い。ここ竹鼻では江戸時代の半ばから佐吉翁がお客を信用してセルフサーヴィスを行っている』と。

吉田さんは内藤氏に連れられて佐吉大仏に参拝に来られ、佐吉翁の事蹟を聞くに付け深く信服されて、以降生涯の師として佐吉翁を仰ぐようになります。

やがて吉田さんは主婦の店全国チェーン店会を正式に発足し、初代の理事長になり、その創業記念日を「主婦の店」運動とは具体的には関係の無い、佐吉翁の祥月命日である10月10日にします。

その式典には私の祖母と父の二人が来賓として招かれています。

吉田さんの考えでは、会社関係で創業記念日を決めると経営者が変わると、日にちが動いたりするので、それよりも佐吉翁の精神がその創始であるとすることで、不動の記念日にしたいとのことでした。

吉田さんが佐吉翁に学んだことは、お客を信用して秤なしで相手の言い値言いなりで商いした取引方法もあったと思いますが、よく言われていたことは「出し合いによる繁栄」、共存共栄の精神がそれより大きかったと思います。

更に大きかったことは、何でもかんでもアメリカに学ぶということではなくて、日本には日本の誇られる精神がある事に気付き、自分のしていることに経済的なことだけで無く社会的な意義も感じられるようになったことだと思います。

吉田さんは何度も佐吉大仏に参拝に来られ、二十代後半に私が東南アジア青年の船の団員として晴海埠頭から旅立つときにはわざわざ見送りに来て頂いただけで無く、私の両親と妻をその夜接待して頂きました。
その上、私には長文の直筆の筆による激励文を頂戴いたしました。

フランチャイズの繁栄を第一に考えられて、今のコンビニでよく耳にする搾取に近い様なことは決してされませんでした。佐吉翁に共感される方ならば当然そうです。

佐吉大仏は最近でこそテレビや新聞等に出で、著名な方にも訪ねて頂く様になりましたが、私の知る限り、数十年にわたり有力な方や著名な方で訪ねてこられた方は吉田日出男さんただ一人でした。
それだけに私は印象深く記憶に残っています。

上の写真で傍線を引いた部分ですが、私にとっては胸詰まる事が書かれています。

生前、吉田と親交のあった公開経営指導協議会理事長の喜多村哲に「よれば、吉田は晩年、次第に宗教めいたことばかり言うようになったため、誰からも敬遠されるようになり、時々、「あそこからもお手当を切られちゃった」と、さびしくいうことがあったと言う。

この『宗教的なこと』というのは、ほかでもない「佐吉翁に関する敬愛の念」であります。

それは利潤の追求やシェアの拡大だけを善とすれば、佐吉翁の精神など訳が分からなくて宗教的に狂っているとしか捉えられなかったでしょう。

お稲荷さんや不動明王に願をかける経営者はいくらでもいます。彼らこそ『宗教めいている』のであって、吉田さんの行ったことは、人間としての良い行いと商行為を一致させたかっただけのことです。

親の心子知らずで、バローの会長など恵那市では名士かも知れませんが、厚化粧で正体を隠していただけで無いかと思います。

先駆者の栄光と悲惨という言葉そのままに、吉田は日本流通業の舞台から次第に溶暗していった。これとは対照的に、舞台中央に突然踊り出し華々しいスポットライトを浴びていったのが中内だった。

そのダイエーは今はどうなったであろうか?「中内功を尊敬します」とか、「人生の見本です」とかいう経営者は今いるのだろうか。

今はイオンとバローの天下だそうだが、危ういもので、お互いが体を食い合ってより貪欲な方が勝利をおさめているだけで、一体バローやイオンとともに有った人生として、年を経てから若い人達が感謝と懐かしさを込めて思い出すような何かを生み出そうとしていると言えるだろうか。

吉田さんの話に戻りますとこんな話が書かれています。

それから二ヶ月後の九月二十三日、大阪・千林のダイエーの1号店がオープンする。この店の正式名称は、「主婦の店・ダイエー薬局である」。これは言うまでもなく、丸和の吉田との深い関わりからだった。

力がいう。(力・・・中内力、中内功の実弟、2012年死去、神戸ポートピアホテル創始者)

「丸和さんの薬品売り場の開設についていろいろとお手伝いした経緯がありましたので、吉田社長から、主婦の店という名前を使ってもらっても結構だ、加盟費もいらない、と言われました。当時、吉田さんは丸和の社長であると同時に“主婦の店”全国チェーンの会長という立場でした」

当時“主婦の店”は「開店する前から地域の物価を下げる」と、どこでも評判を呼んでいた。ダイエーが一号店に“主婦の店”という名前を冠したことは、ブランドイメージアップに大きく寄与したことは確かだった。


丸和の診断を仰ぐことを提案した力によれば、これはダイエーにとって、ドラッグストアからミニスーパーに転換する歴史的な出来事だったという。

「食品、とりわけお菓子という商品の強さに驚かされました。まだ商品分野にはディスカウントがそれほど広がっていませんでしたので、なおさらでした。僕は一ヶ月に一回買いに来る程度ですが、食品は毎日でもお客さんが来る。丸和さんの適切なアドバイスによって、ダイエーの初期店舗展開が成功したといっていいすぎではありません」

少なくともダイエーの初期を語るとき、“主婦の店”運動を提唱した丸和の吉田をぬきにする事は絶対に出来ない。

初期が無ければ中期も後期も無いわけで、吉田さんがダイエー発展の最大の功労者です。

更に吉田さんの指導はダイエーだけで無く全てのスーパーに行き渡っていたのですから、この方の影響はすごいものだといわざるを得ません

又、一番価値あるブランドを無料で提供する吉田さんは、商人というよりも一人の義人といった方が良い感じで、佐吉翁の事蹟を知られて信服されるにはそれだけの積み重ねがあります。

先駆者を忘れている限り、日本スーパーに本当の灯りが見出せず、人の体を食っているつもりが自分の身体を
食べているというような状況がいつまでも続くように思われます。

以上吉田日出男さんの思い出話でした。


DVD観賞「8 1/2」、「王様と私」、「ひまわり」

学生時代の話ですが淀川長治さんが、映画雑誌であまりにも誉めるもので映画館に観に行って、サッパリ訳が分からず30分で出てしまった「8 1/2」。
ストーリーは有って無いようなもので、日本の私小説の映画版みたいなものです。
監督の映画作りの苦労が描かれているのですが、そこに幻想や回想シーンが自在に混じり込んできますので、何が何だかサッパリ訳が分かりませんでした 

ただ1つ強く印象に残っていたのが監督の頭脳内で、理想無垢の女性として登場していたクラウディア・カルディナーレの美しさ 

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私が映画を見る頃には、米・伊・仏を代表する美人女優、エリザベステーラー、ソフィアローレン、ブリジッドバルドーはもうおばさんの領域に入っていて、その後を継いで登場したのがクラウディア。

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男性誌「平凡パンチ」や「週刊プレーボーイ」にもグラマーボディが出されて、大柄大味の迫力あるボディに私はとても魅力を感じ得ませんでしたが、どういう訳かこの「8 1/2」のクラウディアがいつまでも記憶に残り、私が映画で見た一番美しい女優と言えばクラウディア・カルディナーレの名が挙がります。


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映画での登場シーンです。湯治場の看護婦の姿に被せて監督の脳裏に彼女が浮かぶ場面。


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菩薩を見るような、キリスト教なら天使か聖母でしょうが、気持ちでクラウディアを見てました。


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映画の方は学生時代と違って楽しく見ることが出来ました。想い出や夢の持つ意味がだんだん大きくなってきたからかも知れません。フェリーニ監督は祭やサーカスに対するノスタルジーが、映画作りの非常に大きなモチーフになっている監督です。


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「王様と私」は、デボラカーの優美な姿を見るために見たようなものです。主役のユルブリンナーとデボラカーです。


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人種偏見と白人優位観丸出しの映画でしたが、その時代のアメリカはそんなものでしょう。


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有名な歌「シャル・ウイ・ダンス」を踊る場面で、スカートの裾がたなびく姿が実に美しく、この映画の最大の見せ場で無いかと思います。


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「ひまわり」は、役者名でロシア戦役に行ったマルチェロマストロヤンニがロシアの女性と結婚してしまい、戦争が終わってから妻のソフィアローレンがロシアに会いに行き、再会を果たすのですが、なんやらかんやら有って、別れる場面で終わる悲恋物語です。
知っている方も多いと思います。

いい加減に見ていたもので、どうしてこの映画が「ひまわり」という名前が付けられているのか肝心要のことが見当がつきかねました。

マルチェロマストロヤンニが意を決してイタリアに会いに来るのですが、ソフィアローレンは受け入れられない。その場面が一番涙をそそるところですが、この設定の場合、一番激しく感激するのはマルチェロマストロヤンニの母親の筈で、それは色恋を越える。
「岸壁の母」の奇跡が生じる訳ですから、この場面が欲しかったのですが映画としてはまとまりませんね。

チョット浮気すればすぐ嫌いになってみたり、裏切られたと思えば、自分もさっさかイイ男を見つけて子どもを作って幸せになれるというのが男女関係で、そう真面目に見る気になれない。

人間万事塞翁が馬で、生きてりゃ良いのだ人生は。この映画、みんな幸せになって本当はめでたしめでたしのハッピーラブストーリーであります。

ロシアの田舎の貧しい風景がちょっと前の韓国並みで、今となれば一番の見所かも知れません。

羽島キリスト教会前で立ち止まる

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羽島キリスト教会は家から20メートルほどの所にあり小学校の頃、2年ほど通ったことがある。信仰も宗教も何も関係無しに紙芝居とお菓子が楽しみで通っただけのことだ。


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余り批判的なことを書いてもいけないのだけれど、こういう垂れ幕を読むと首を傾げざるを得ない

「本当にそう言ったのか?」

「どうしてそんなことが分かるのか?」

素朴にそう思う。

お百度参りもガンが治るとか思えばこそ熱心にする気になるだろうし、そう信じてする人に対して「そんなことは迷信」と言う必要もない。

それはそれで良いのだけど、いきなりこういう文句を見せつけられても、戸惑う。

この言葉は全くイエスに対する共通理解に支えられて意味を持つ言葉だけれど、日本でイエスと言えば、先ず何よりもイエス・ノーのイエスなので、そういう国だという認識がないと、いつまでも大人からは受け入れられないであろう。


近所で撮った花の写真

今日は歩いたまま、ほんの二百数十メートルの間に撮った写真です

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私の家の玄関です


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普通目にとまらないような植物がかえってステキです


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上と同じ場所 フェイスブックで大変好評でした


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同じ種類ですね 何というのでしょうか


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家の前のプランターで撮ってましたらそこの主人が横を通られ、ばつが悪かったですね


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清楚


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背景で分かりますように駅前に咲く小さな花


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ゴージャス


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オマケ 実はこういうのが案外スキです


お し ま い


『風の香り ~山田真己展~』

各務原市ギャラリー&カフェ204で開催中の山田真己展を観てきました。

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清潔で抜けるように自由の風が心の中に吹き渡る展示コーナーが目に入ってきました。


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振り返りますと「空」と題された作品が展示されていました。闊達なる雲の動き。


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山田真己さんは、私が10年奉職した関養護学校の卒業生で、肢体に大変重い障害を有し、絵を描くときは横に置かれたディスプレイで絵を確かめながら描いていかれます。
私とは丁度入れ違いで生徒としての真己さんを知りませんが、互いによく知っている先生が何人もいて話が盛り上がりました。
と言いましても、真己さんは声帯の方にも障害があり、お母さんとお話しするのを横で笑いながら聴いて頂いたわけであります。


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右側のような大きな作品になりますと足がどうしても届きませんので、キャンバスをひっくり返して書き進められるとのことでした。

私の好みで選んでみて、格別素晴らしいと思った作品を続けてご紹介します。


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北海道の1ページ


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夕暮れの初秋


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あじさいの思い出


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夢が咲いた


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                             プルメリア


真己さんの作品を観ていると、作品とタイトルがピッタリと一致する事に驚嘆します。真己さんは詩や文章を書かれるのも堪能で、書物化された作品集もテーブルに置かれていたのですが、行かれた方は本の中の詩や文章にも目を通して頂きたいと思います。

心洗われる詩の数々が載っていますが、巻末の文章を読みますと、感傷におぼれず確かな目で自分の歩みを記されていることに頭が下がります。


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詩の中から一行だけ書き写してきました。心して聞くべきだと思いました。

『心は いろんな色が重なりあって できてる』


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「ギャラリー&カフェ」は少し分かり難いところにありますので写真に撮ってきました。参考までに。

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会場のガラス窓越しに写したもので、木曽川の堤防が見えています。


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