佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

2016年03月

青山スクエアと大仏児童公園の桜 2016.3.30

桜の花も咲き初め、我が家の両隣の青山スクエアと大仏公園の桜を撮ってきました。

《青山スクエア》

先ずは植えてから一年数ヶ月の青山スクエアから。

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《大仏児童公園》

続きまして、桜の隠れた名所「大仏児童公園」

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こちらはまだまだですね。3,4日後にもう一回撮ってみたいと思います。

佗(た)をして自に同ぜしめて、後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし

ジャズのライブに行くようになりチョット厭だなと思うことは、手拍子やノリを強制されることです。

講談や落語もそうですが、此方は笑わないといけない様な雰囲気があります。

自分の好きに楽しんでいるだけなのですが、「白けないで!」とか叱られそうでチト居心地が悪い。

その点クラシックは有り難く、静かにしていさえすれば、問題ありません。終わってからも無理に拍手する必要がなく、自分の思った通りで良いようです。

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と言うようなことを考えていて、それが以前から疑問に思っていた修証義の中の一句に結びついてきました。

修証義は曹洞宗の一番詠まれる日常勤行で、浄土真宗ならば正信偈に当たります。違いは漢文でなく文語文で書かれていますので、何度か詠んでいるうちに意味が分かってくるところです。

私が疑問に思っていたところは第四章の「発願利生」(ほつがんりしょう)に書かれています。

この第四章に書かれていることを簡単に説明しますと、私達が一般的に「菩薩道」と言っている仏教者としての実践すべき四つの事柄が記されています。

四つの項目とは、布施・愛語・利行・同事です。

私がよく分からなかったことは四つ目の同事に関する事です。

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「同事」というのは、お経に書かれている説明では『自他の区別なく相手の立場に立って同化し慈悲を実践する』とあります。

要するに相手と気持ちを一つとすることが同事ということで、この説明自体は難しいことはありません。

私がよく分からなかったことは『佗(た:他と同じ)をして自に同ぜしめて、後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし』と書かれている点です。

私が疑問に感じた理由の一つは、「観音経」に書かれていることと反対でないかと思ったからです。

相手の立場に身を変化させて説法を行うのが観音様の説法の一番大きな特徴です。

相手が仏様なら仏様、妖怪なら妖怪、子どもなら子どもの姿に身を変えてお話しすることから、観音様の自由自在で多種多様な姿を見るわけです。

所が「修証義」を読みますと、先ず侘(=他人)を自分に同ぜさせよと書いてあって、これでは反対ではないか!と思っていました。

なんとなく「俺についてこい!」という様な、いわゆる上から目線の言い方に感じていました。

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ここで始めの話に戻りますが、ジャズやクラシックの演奏について思いを巡らしている時、フト「他をして自に同ぜしむる」ということは、音楽の鑑賞の様な事を指すのでないかと思ったのです。

例えば今私はモーツァルトの協奏曲を聴きながら小文を綴っていますが、この音楽はどこで鳴っているのかと言えば、目の前のステレオ装置からです。

しかし目を瞑ればステレオ装置など消えてしまいます。音の大きさから1メートル離れたところからといっても良いのですが、飛躍した言い方をすれば私の頭の中、感情も考慮すれば心の中で鳴っていると言ってもよろしいのでないでしょうか。

つまり「佗をして自に同ぜしむる」というのは、今ピアノを弾いておられる方の演奏が自分の心の中で鳴り響いているかのように、他人を変えたり自分の支配下に置くようなことではなく、その人が自分の心の中に生きる姿として存在することであると言えます。

大音響のロックコンサートのように立ち上がって大声で踊って騒ぐような聴き方では、始めから自分を捨てて相手に同化させてしまっていると言えますので、修証義の述べるところの同時にはなりません。

また、相手を自分の心の中に入れるためには、入れることができる自分を持たねばなりませんので、はなから自分を捨ててしまっては菩薩道にはなっていかれません。

順としては相手を受け入れて、その後に、自分から相手に対する働きかけが生じてくることになります。

これが自由自在にできるのが観音様で、言うは易し、その道はまだまだ遠いところにあります。



「羽島春まつり」と賑わう羽島公園

間違えて読書感想文用の「Bの朋友協奏曲」にアップしてしまいましたので、URLをコピーして下に貼り付けておきますので、クリックされて見て下さい。

http://blog.livedoor.jp/kannon0018-v.midori.18/archives/47190354.html

敬恩寺での「な・な・ほ」の演奏会

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毎月五日にお灸に来て頂いている敬恩寺(きょうおんじ)さんです。


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今日は永代経の日で、最後に門徒へのサーヴィスで「な・な・ほ」の演奏会が開かれます。


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女房と妹と一緒に、駐車場スペースを考慮して、女房の車で羽島から大垣までまいりました。


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厳かで華麗なる「敬恩寺」さんの内陣というのでしょうか、ご本尊様です。


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向かって1番左手に掛かっている掛け軸であります。磨き抜かれている感じですね。


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「な・な・ほ」の演奏会が始まりました。「薩摩琵琶・箏・フルート・ヴァイオリン・鳴り物」という他では見ない編成で、どんな曲が奏でられるか見当がつかないと思います。
始まりはオーソドックスな滝廉太郎「花」でスタートしました。


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次には薩摩琵琶と鼓のお二人で、恐らく「平家物語」からだと思いますが、「吉野山」。義経と静御前の別れの一曲であります。


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薩摩琵琶の細川さんは元「日本音楽集団」団員。邦楽に詳しい方なら知る人ぞ知るグループで、オーケストラで言えばNHK交響楽団に当たるそうです。


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次に3人で演奏されましたのは、マスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」からの間奏曲。オペラ自体はドロドロした恋愛もので、お寺では叱られるかも知れないと説明されていましたが、この曲は大変美しくて心に沁みるメロディーでした。
箏とフルートの方は、母と娘というご関係です。全ての音楽家が夢見るようなシーンで、そもそも和・洋楽器のコラボは、このお二人が一緒に演奏したいという夢が原点にあったのかも知れません。


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曲目は誠に多彩で、「花水木」、朝の連続テレビ小説「朝がきた」、「カルメン・アラバネル?」、さくらメドレー、暴れん坊将軍主題曲。


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最後は全員で唱和した「真宗宗歌」。私は真宗門徒でありませんが目頭が熱くなりました。


最近の出来事3件

〇今日(3月25日)の中日新聞の岐阜地域版に先日大仏寺を会場に行った「羽島市能楽を楽しむ会」の記事が掲載されました。
お手伝いした者としては大変嬉しいものです。
会員の皆さんの励みとなるとともに、羽島市の方にも知られて良かったと思います。

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〇3月23日(水)は旧暦でいいますと釈迦涅槃の日です。我が家では床の間に涅槃図を掛けて供養して、「涅槃教」を詠み上げる習わしです。
ずっと続いていると思いますが、母が元気な内は母が、近年では私が詠んでおります。

涅槃教は釈迦が入寂前に行った最後の説法で、比較的肉声に近いと言われています。
「少欲知足」の教えとか、昨今話題になりました断捨離に近い事も説かれています。

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〇同じく3月23日ですが、飛跳中部経済交流会さんの研修会に講師として呼ばれまして40分ほど佐吉翁のお話しをさせて頂きました。

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場所はホテル高洋と言いまして新幹線岐阜羽島駅の南にあります。


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大変リラックスしているように見えるかも知れませんが、会社の所長さんの様な方ばかりで大変緊張しました。私の左隣は会長さんで、一宮西病院の名誉院長さんです。岐阜大学の名誉教授でもいらして、こういう方を前に話をする訳ですから、無理ないと思います。


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この後にレストランでふぐちりを頂きまして、思い返せば柳ヶ瀬の「ふぐ正」に遙か昔一度行ったきりで、人生2度目のふぐ料理でありました。ご馳走様でした。

私は佐吉翁の顕彰を使命としていますので、御礼など考えて頂く事はありませんし、人数も場所もご要望に応じますので、遠慮なくご連絡して下さい。
1名様でも、場所はどこでも大仏寺でも結構であります。

佐吉大仏での「羽島市能楽を楽しむ会」発表会の様子

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本日3月20日(日)、「佐吉大仏」のお堂で「羽島市能楽を楽しむ会」の発表会がありました。

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来賓の方も大勢来て頂きまして、松井聡羽島市長さん。


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小檜山様と言われて、衆議院議員の武藤容治先生の秘書の方です。
大野泰正参議院議員の秘書の方からもご挨拶頂きました。


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山田優県会議員の秘書の方ですが、後ほど山田県会議員さんも駆けつけてこられました。
まだ他にも教育長さんとか地元の校長先生とか多数おみえになりました。


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プログラムの先頭は、羽島市能楽を楽しむ会の牧野会長の独吟。御年92歳という高齢にもかかわらず、堂内響き渡る声で、参会者一堂感動しました。お能の場面を5枚続けてご紹介します。


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佐吉大仏での発表会は今年で4回目になりますが、お面をつけて舞ったのは初めてです。やっぱり雰囲気が出て格別でした。


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お能の伴奏に協力して頂いている竹鼻祭囃子保存会の祭り囃子の披露。
地域一帯となって伝統文化の維持継承に尽力しています。


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お手前披露。お客様を代表して市長さんに登壇して頂きました。結構緊張します。


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会場の皆様には座席で召し上がって頂きました。和服の女性は一昨年の永田佐吉翁彰徳祭で「佐吉物語」を作・朗読して頂いた鈴木さんで、岐阜市より観に来て下さいました。有り難いことです。


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座席の方ですが、中日新聞とケーブルテレビの取材がありました。


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最後に、羽島市邦楽連盟の野田邦男会長がご挨拶されて、滞りなく終了しました。
横に立っている竹鼻小学校6年の二人の児童によって、全ての進行がなされました。大変な緊張だったと思います。本当に良く頑張りました。


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皆様方も満足されて家路につかれました。大変意義深い会であったと思います。


クラシック音楽の聴き方

昨日に引き続き『こんな名盤はいらない』に書かれていたことの紹介です。

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抽象絵画を見るとき、一体どう見て良いかしばしば途方に暮れます。
パッケージに相応しい様な単に美的なデザインをねらったのか、精神的な何ものかを表そうとしているのか、説明がなければよく分かりません。
その時その時の見た感じで思うことも違ってきます。

音楽の場合、歌詞があったり『田園』のように表題や説明があれば、その方向で聴きますが、器楽演奏だけですと完全に抽象の世界で、どういう風に受け止めて良いか言葉で説明できません。

良く耳の肥えた方は技術批評のようなことが出来ますが、これはグルメの本で作り方を説明しているのに似ていて、作る気のない者には関係ないことで、読んでも分かりませんし意味もありません。

そこに、この本の第4章「大家が語るクラシックの世界」にクラシック批評に大きく道を開く、思わずのけぞってしまう例が書かれていましたので、引用したいと思います。
「大家」というのは作家の大家のことで、司馬遼太郎とか川端康成などを指します。

剣豪小説で名を馳せた五味康祐氏の文です。二箇所あります。

 妻と別れようと考えた時期があった。(略)その年の暮れ、例によって大晦日にS氏邸で〝第九〟を聴いた。トスカニーニ盤だったと思う。第Ⅳ楽章の部に入ったときだ、一斉に歌っている人々の姿が眼前にうかんできた。合唱のメンバーはすべて私の知っている人達だった。(略)その中に妻の顔も混じっていた。ところがどうしたことか、妻だけは声が出ない。うなだれて涙ぐんでいる。どうしたのだ?私は妻の名を呼びかけて励ました。妻だけが涙ぐんでいるのは私と別れるためなのはわかっていた。しかし、貴女はまだ若い、これからいい人が現れるにちがいない、元気を出すのだ、ぼくのような男でなく、貴女にふさわしい人間がこの世にいくらもいる。

 私はある事情で妻と別れようと悩んだことがある。繰り返し繰り返し、心に沁みるおもいで作品111の第二楽章を聴いた。どうしてか分からない。ある日とつぜんピアノの向こうに谷崎潤一郎と佐藤春夫があらわれ、谷崎さんは「別れろ」と言う、佐藤先生は「別れるな」と言う。


私ももっと昔にこの作品111とやらを聴いていたら、人生も変わっていたかも知れない(変わるわけないか)。

エリートとは何か?

写真の本は4人の聴き手による、クラシックの名盤をそれぞれの視点から、聴くに値しないと評価を下すもので、新趣向の批評本と云えます。

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著者による序文にエリートの定義が書かれていて、大変考えさせられる一文でした。

これはエリートのためのクラシック本である。つまり男の中の男、女の中の女のための本である(あ、近頃梶原一騎の読みすぎ)。そう、この本は、現代の数量主義、〝売れれば正義〟的立場にまっこうから反対する本である。
この場合、エリートは、どうせだからまた梶原一騎の言葉を引くが、「認識しようとする業」に憑かれた者である。認識は辛い。しんどい。ウットリ陶酔している方がよほど楽だ。当然ほとんどの人々は陶酔するために音楽を聴く。しかしそれだけではいけないんじゃないか、とはっきりと、あるいは何となく思っている人のための本である。(下線・太字ヒラメ)

私は自分のことをエリートだとは全く思っていません。「佐吉大仏」との関わりしか知らない人には、上層と誤解する方もおみえかも知れませんが、学歴・職業歴・収入・資産、どれを取っても庶民という表現を越えるものは有りません。

しかしながら、『「認識しようとする業」に憑かれた者』という意味では、全く私はそうで、格別「自己認識」という点においては、最も重要な事と捉えています。

上の本では、中味のCDの解説を読んでもチットモ分からないですが、そういう事は分からない私という自己認識には繋がります。
また、世のなかには分かる人がいることも知ることができますので、人間は非常に多様な可能性を秘めていることが分かります。自分も同じ人間として、有り難い立場にいることも知られるわけですから、この本を読むのも自己認識に繋がる事とも云えます。

ただこれを「エリート」という言葉で表現して良いのか?

「認識」などとと、柔らかく言えば「自分を知る」などと口にすると、一般的に「エリート」という感じがするのであれば、私などは大変「エリート的」に見られている虞れがありますネ。

私も「エリート的」な人には反発を感じることもありますので、気をつけなければと思った次第ですが、「業」は「業」ですから、止み難い所です。


京都新聞に佐吉翁のコラム掲載

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これは去る2016年3月7日(月)の京都新聞一面です。右下の方に薄い水色マーカーで囲ってあるのが分かると思います。そこだけ拡大します。


DSC_0547ご覧頂ければ分かると思いますが、佐吉翁に関する紹介が載せられています。

執筆された方は京都大学名誉教授の松田清先生です。
先生は江戸時代の蘭学がご専門ですが、当然江戸時代の儒学や心学にもご関心が有り、ご自身の担当しておられるコラムで佐吉翁が採り上げられました。

月に一度ほどの担当で、前回はシーボルトを採り上げておられました。

詳しいことは分かりませんが、京都という学問的にレヴェルが高いところの新聞に一面で佐吉翁が採り上げられることは何よりも嬉しいことです。今後の励みにしていきたいと思います。

実は松田先生は先日お弟子さんと共に佐吉大仏に参拝に来られました。原稿を書いた以上一度は生地を訪れるべきとのお考えで来られたわけです。

私も張り切ってご説明しましたが、折角の機会ですので、佐吉翁の墓があり龍の絵天井で名高い「本覚寺」、宝暦治水の義歿者の墓がある「竹鼻別院」、並びに儒学藩の御聖堂を本堂に転用して、岐阜県文化財第一号に指定されている「永照寺」にご案内しました。


佐吉翁の書かれた軸の写真を拡大したものを下に載せておきます。

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初心忘るべからず

『初心忘るべからず』は世阿弥の「風姿花伝」の中の一句でないかと記憶する。

意味としては「物事を始めた頃の志をいつまでも忘れてならない」ということと、「どんなに偉くなっても初心者としての謙虚さと物事に挑戦していく気持ちを忘れてはならない」の二通り考えられるのでないかと思う。

今日この言葉を思いついて採り上げる理由は、上の二通りの意味の内の後者の方で、具体的に「その通り!」と思われる事を感じたからである。

さて、私は宗教法人「大仏寺」の代表役員です。これをどこまで真剣に考えるかにもよりますが、最近はよそ事に気を取られることが多く、反省しています。

少し原点に帰って考えてみます。

普通のお寺の場合、お坊さんになると発心します。意志的にその道を選択したとします。

入門したときには、震えるように高揚した気分で、まさに「初心忘るべからず」と一生の記憶に残るものでないかと思います。

入ってからはどうか?と言いますと、推測でしか言えませんが、本山や宗務局からの修行の要請や、一生で覚えきれるかと心配になる宗律や作法の修得に、自分の色々な思いなど吹き飛んでしまうような日常になるのでないかと思います。

すなわち、入る前と入ってからでは完全な気持ちの切り替えが必要です。

別の意味では、宗派という巨大な乗り物に乗り込み、その赴くままに自分も進んでいくことになると思います。自分のオリジナルな意見など、宗務総長や管長にでもならない限り、主張してはならず、むしろ黙って従うことに価値が言い出されると思います。

違っているかも知れませんが、大仏寺との比較対照的に捉えてみました。

大仏寺の場合、単立無宗派ですから、指示してくれる何者もいません。また、伝統法脈に依拠していませんので、他のお寺さんの教えに倣う必要もありません。

つまり明日の大仏寺のあり方は、明日の朝起きたときの気分次第で決まってしまいます。

ここで『初心忘るべからず』という言葉に戻るのですが、大仏寺には安心して乗っかっていけば良いと言うようなものは何も無く、目の前にあるのは初心者の時と同じで、まだ何もできていないゼロの状態としてあるとしか言えません。

確かに出来たことはあるのですが、自分の他に依りかかるものがなければ、これからのことは総て新しく創造していくという気持ちにならざるを得ません。

すでにある道を一歩一歩頂上目指して登って行くわけでなく、道そのものを創っていかねばなりません。
捉え方を変えればいつもスタート地点にいるような気持ちにもなります。

乗る車は自分で、その意味では初心者ではありませんが、道が存在しないのですから、結果的には初心者と同じです。

『初心忘るべからず』なる戒めの言葉、忘れるも忘れないも、初心者としてしかあり得ない毎日を送っていると痛切に感じるわけであります。

お参りに来られる方も、私の様な初心者に運転の仕方を訊いても、こんな危なっかしいことはありませんので、自分で道を見出していって欲しいと思っております。

大仏寺の利用と情報提供に関しては、出来る限り協力させて頂くつもりでいます。

『名鉄Wind5月号』の取材

本日の午前、『名鉄Wind』さんから取材に来て頂きました。2016年5月号の「羽島市役所前」駅周辺記事のために羽島市に来訪されました。(毎月1日発行)

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撮影担当の方を含めて4名様。印象としましては何となく女性上位の感じがしました。ハイ


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取材で頂いた今月3月号「新木曽川駅」特集です。明るくてステキな記事が満載です。無人駅にはありませんが、最寄りの名鉄の各駅で無料で手に入る筈ですから、手に入れて下さい。


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これは以前に「羽島市役所前駅特集」が組まれたときの表紙です。2012年の12月号。「千代菊酒造」にある置物の写真です。伝統的な風情を感じます。


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ドッと大きい写真ですが、中の一ページ。地図を写しました。来る5月号はどんな地図になるのか、大変楽しみです。

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羽島図書館から借りてきた坂倉準三氏の建築に関する書籍です。右下の『大きな声』は禁帯出ですが、今日の取材のために特別貸し出しを申請しました。

羽島市庁舎は今回の取材対象にはなっていないようでしたが、私達が声を挙げないから仕方がないことです。

私としてはやはり「佐吉大仏」第一ですが、機会があれば羽島の他の価値ある文化資産についても話をさせて頂くつもりでいまして、今日はその小さな一歩です。


二つの演奏会

昨日、今日と二日続けて演奏会に行ってきました。

昨日は演奏会と言いましても、ギャラリー「いまじん」でのオープニングパーティの演し物として、数曲の歌が披露されたミニコンサートです。

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最近は音楽と美術のコラボレーションが盛んですが、地域の自分たちで出来る催しで、手作りイベントでした。


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歌っておられるのはお母さんと娘さんのコンビで、お母さんの方は音楽の先生をしておられて、娘さんの方は愛知県芸の声楽科を今年卒業されて4月からは岐阜県の学校の先生になられます。
私の所は一人息子が東京の会社に就職してしまい、誠に羨ましい限りであります。


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いつもですと写真をたくさん撮るのですが、今日はパーティなので作品写真はこれだけです。


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これは作品ではなくて印刷の猫カードですが、ホワイトディのお返しに気が利いている様に感じて、購入しました。


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続きまして本日、関市「さくら」という喫茶店での中井さんという方のピアノの演奏会に行きました。

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さくらは以前にも一度ご紹介しましたが、中々趣のある喫茶店であります。(休日:日、月、火)


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先回12月はポピュラー音楽中心でしたが、本日はクラシック音楽で最後のショパンを除くと知らない曲ばかりでした。チャイコフスキーにも「四季」とか言う曲があって、3,4,5月の演奏でした。
また、バッハ以前のバロック音楽も聴かせて頂き、大変落ち着いた気分で結構でした。


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スペインの音楽の説明で、踊りながらだそうです。扇子とカスタネットを見せてもらいました。


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とても美しいと思いました。


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中井さんも同じく学校の先生。演奏だけで食べていくのは至難で、苦労しながら自分自身の演奏の道を切り開いておられます。次回「さくら」での演奏会は6月5日(日)午後2時からです。


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入場料は500円で上のぼた餅付きコーヒーが頂けます。

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このぼた餅が甘さ控え目で誠に結構でした。これを目当てに再訪したいと思いました。


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この喫茶店では自然食品も販売していまして、ホワイトディにクッキーでも添えてと思っていたのですが、おもむくままに「十六茶」を仕入れました。

心当たりのある方はお待ち下さい


上流意識の醸成箇所

最近三島由紀夫の小説を続けて読み思うことがあります。

我々庶民から見て昔三島由紀夫は大変な上層階級の出で、強い上流意識の持ち主と思っていたのですが、最近疑問に感じてきました。

三島は、と略して記しますが、祖母の強い薫陶を受けて育ちますが、祖母の夏子という人は大変な方です。

夏子の母は高と言い、常陸宍戸藩主と側室の間に出来た子です。宍戸藩主は松平という姓ですから、相当誇り高い藩主であっただろうと思います。
夏子は、12歳から結婚する17歳まで行儀見習いとして有栖川宮家に行儀見習いにでます。

これでよく分かったのですが、三島は幼年期女の子の服装で育てられますが、これはお公家さんの伝統です。変態意識の現れということではありません。武家の育ちの夏子が、宮家の奉公で知ったことでしょう。

三島の祖父に当たる夫は知事にまでなっているエリート官僚ですが、夏子は身分違いという蔑んだ意識を夫に抱いていました。

この夏子の意識を受け継ぎますから、三島の意識も複雑にならざるを得ません。

さて、人間意識の基本的な処は、幼少期に培われると思いますが、身分意識というのは相当程度に相対的なものです。
戦前のことですが、男爵家だと威張ってみても、華族ばかりの集まりにでれば一番下ということもあります。

幼少期にどういう世界に生きてどちらの方向を向いていたかで、自分の家は上とか下とか、現状に満足できるか、悔しさを感じてハングリー精神を持つかが決まると思います。

三島由紀夫は高校まで学習院ですが、大学は東大法学部です。一般学生に混じって競争社会に生きる道を選択しなければならなかった所に三島の家の位置づけが現れていると感じられます。

私達はどうしても自分の立ち位置から人を見て解釈してしまいがちです。
三島の場合で言えば、大変なお高い家柄で庶民意識とは違うだろうと見てしまうわけです。
そういう意識から三島の小説も読み解こうとします。

しかし三島は、安住できる安定した家格の家で育てられたわけでなく、真の上層と看做される処に対する憧憬の気持ちを持ち、一層の努力を重ね上昇していく必要がある家で意識が育まれていったと思われます。

三島が2・2・6や特攻隊の兵士に熱い共感の思いを表明するとき、下級武士としての、主君に対する忠誠の思いと主君からの評価に飢える両面が現れているように感じます。
主君の立場に立って物事を考えることは三島には無理ということも言えるのでないかと思います。

タイトルの「上流意識の醸成箇所」に戻りますと、幼少時代に生活していた集団の中で意識が育まれるということを、結論として言いたいわけであります。

幼少時代は、日本全体とか、まして世界などは物語の世界でしか存在しませんので、全体的見方から幼少時代の意識形成を推測すると、過つ怖れがあります。






グルダのCD買いました

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深夜、CDを聴きながら本を読むのが習性になっておりますが、一人暮らしではありませんので、低い音でしか聴けません。
(読書の合間にマージャンゲームを入れて、しばしばこちらの方が長くなる。私の悪癖ですね)

さて、先日ヘッドフォンを買ってきまして、やや大きめの音で再生してみたのであります。

始めはミケランジェリという伝説的なピアニストらしいのですが、モーツアルトのピアノ協奏曲20番であります。
処がどうにも耳にキンキン突き刺さるような感じがして、読書が出来ません。

それで同じ曲でグルダに変えましたら、到って快く響いてまいりました。

演奏者による違いなど分かるはずがないと思っておりましたが、やはり違いはあるのかなと思いまして、丁度内田光子さんの同曲もありましたので、その続きに再生してみました。

あくまでも私の感触では、柔らかくビロードのようなという喩え方がありますが、それが如何にも頭の中にあるモーツアルトだぞーという音に思われて、読書のBGMにはやはり不向きでした。

読書が主体で、音楽好きな方には申し訳ないような理由で、グルダが一番と相成りまして、TSUTAYAのレンタルでは揃いませんので、アマゾンから4枚購入しました。

①モーツアルト ピアノ協奏曲23,26

②ベートーヴェン ピアノ協奏曲3,4

③ベートーヴェン ピアノソナタ「悲愴」、「月光」、「熱情」、「告別」

④モーツアルト ピアノソナタ  (まだ届いていませんがトルコ行進曲を含んでいました)

今、実は「月光」の第2~3楽章が鳴っておりますが、ベートーヴェンよりモーツアルトの方がよいようですな、あくまでも今の私には。


中日新聞フリー冊子『Clife』の取材

中日新聞『Clife』の取材がありました。申し込みの時は、Clifeと聞いてもピンときませんでした。

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それがネットで送られてきまして、これならどこかで見たことがあると思っていたら、先月の中日新聞の集金の時に頂きました。250万部発行です。凄いものですネ。


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本日10時からの取材で、先ずはじっくり「佐吉大仏」と永田佐吉翁の話をさせて頂きました。


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折角の機会ですので、仏具などの体験もして頂きました。


12時頃から竹鼻の町を案内させて頂きました。次のコースです。

青山スクエア⇒千代菊⇒本覚寺⇒八劔神社⇒竹鼻別院⇒歴史民俗資料館・映画資料館⇒
下城町の格子戸の家並み⇒羽島市庁舎

3時頃に戻って参りました。長い取材時間でしたがお疲れ様でした。

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千代菊酒造です。大変立派な建物だと思います。


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歴史民俗資料館。左の方に新しい観光センターが出来上がっています。オープン4月です。


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古い家並みです。もう少し揃っていると良いですね。今回は説明が主で余り写しませんでした。


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これが今月3月号の「岐阜市紹介」の頁で、ここに「羽島市竹鼻町」が載ります。5月20日頃の発行予定と聞きましたので、まだ先ですが、どんな頁になるのか大変楽しみなことです。


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