かれこれ20年前。

私は関養護学校の中学部に所属して、教員稼業にいそしんでおりました。

或る日の中学部会のこと、中学部を統括する主事の無神経な一言に、30半ばの熱心な女性教師が怒り出して、「私は子供達を可愛く思っています。そう言う先生はどうなんですか?」という発言に続いて、二人の間で思うの思わないのと顔を赧らめての口論が続きました。

小中交流と言いまして、特殊教育学校は小中学校の先生と3年を単位に、教員のやり取りをしております。この先生はその一人で、障害児教育を学びたいという熱心な志の持ち主でした。

私はかなりのすれっからしで、青臭い議論に皮肉でも言ってやれと思って、会議の終了後廊下で女教師に「私は自分の子どもでも可愛いなどと思っていない。まして他人の子どもなど可愛いはずがない!」と言い放しました。

何か言い返されるかなと思いましたら、おとなしくその場を立ち去りました。

その10ヶ月後に彼女は小学校に戻り、転勤の挨拶状を私にくれました。

その中に書かれていたことです。

『私は関養護学校に三年間お世話になり、ヒラメ(ここは本名が入りますが)先生の一言が聞けただけでも、行った甲斐がありました。忘れられない言葉としてずっと大切に覚えておきます』

エッ!と驚くのは此方で、そんな風に思っていたのかと今でも記憶に鮮やかです。

抽象的な言葉でまとめれば、エゴイズムから脱却するには、自分がエゴイストであることを認識し、ある面それを受容することから始める以外ないということかと思います。

多かれ少なかれみんなエゴイストの側面はあるのに、そう思われまいとして、どれほどの無理をして自分を装わせているのか、教員の全てがそうだと思います。

良心的、誠実、そう言う言葉で心中はがんじがらめになっているのです。

自分に正直であることは、少なくとも自分の心のなかでは、誤魔化してはならないことです。

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以上の内容は、長くなりましたからフェイスブックには無理だったのでしょうが、元はフェイスブックに書き始めた事です。

しかし、フェイスブックでは名前を知り合った人が多く、『他人の子どもが可愛いわけがない』※と言うような物言いに、反発されたり問題視されたり、内心たじろがれる人もいるかなと、思い直してブログの方に書き換えました。

1対1で話すときと、第三者がいるときとでは話す内容が違ってくる方も多くて、何かと苦労しますね。

※くどい説明になりますが「自分の子どもが可愛い」等と言っているわけではなくて、ここで言っていることは「自分が一番大切」ということです。

それから「可愛い」と言う言葉ですが、中学生の年代になれば「可愛い」等という言われ方は侮辱でしかなく、思っても口にするものでありません。