佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

羽島・竹鼻案内

羽島市下中町市之枝のコスモス農園

今年のコスモス畑の様子を女房が写真に撮ってきましたので、紹介します。

時間は午前7時半です。
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コスモス



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4枚目の写真ですが夏の花のヒマワリが写っていて驚きました。



H30羽島市・市之枝のひまわり農園

羽島市の南部に位置する上中町市之枝のひまわり農園に行って写真を撮ってきました。数年前と比べるとやや元気がなくなったような気がしました。

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ひまわり3



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H30 竹鼻別院の藤

桜と同じで例年より数日早い開花。青空が広がっていましたので写真を撮ってきました。一本藤が特徴です。数枚続けてご紹介します。

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牡丹が雅な本覚寺、参拝の記録

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羽島市竹鼻町福江に位置する本覚寺を参拝しました。


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先ずは本堂に上がりまして、ご本尊様に拝礼して、本堂の中を写させて頂きました。


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本覚寺の本堂では、岐阜県指定文化財の見事な龍の絵天井が見られます。


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五百羅漢様も廻りで見つめていらっしゃいます。


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昔の本覚寺の境内図ですが、立派なものです。本覚寺は曹洞宗のお寺で岐阜県第一教区に所属し、第一教区では唯一の格寺という位の、文字通り格式高いお寺です。


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後でお墓をご紹介しますが、佐吉翁の菩提寺でも有り、本堂には佐吉翁の道歌が掛けてありました。大変嬉しいことであります。


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竹鼻祭の山車巡りの漫画風の経路図が貼ってありました。堅苦しいだけのお寺ではないようですね。


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本堂からお庭の方を見ますと藤棚が目に入ります。有名な竹鼻別院の藤とはひと味違った感じの古典的な匂いがいたします。


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こちらの方は本堂の北側に併設されている竹鼻稲荷です。お稲荷様にも拝礼しました。


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さて、本覚寺では牡丹まつりが始まったところであります。実は牡丹が目当てで本覚寺に詣でたのであります。写真もたくさん撮りましたので、続けてご紹介します。


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誠に雅なものであります。お伺しますと、牡丹が瑞々しく輝くのは朝の内だそうで、出来れば早い時間に訪れまして、風雅の香りに包まれたいものであります。


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小さな池が設置されていまして、よく見るとメダカが泳いでいたりして、小さな幸せ気分に浸れます。


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時折名鉄電車が直ぐ横を走り抜け、慣れない方はビックリします。その昔、丁度電車が走っている辺りに「本覚寺前」という駅が設置されていました。話だけ聞いて知っております。


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私としましては、本覚寺を訪れた以上は、佐吉翁の墓もお参りして頂きたいものであります。庫裏(左)と鐘楼(右)の間の狭い通路を進んでいきますと、墓地があります。


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新しい墓が多くてさっぱりとして清潔な感じが漂っております。


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正面が佐吉翁のお墓。普通のお墓で特別なものではありませんが、岐阜県指定史跡の第五号で、岐阜県生まれの方の中では一番先頭に来ています。

佐吉翁の墓もそうなんですが、本覚寺は見所満載のお寺でありますので、佐吉大仏と本覚寺をセットで竹鼻見物をされるのが私の一番のオススメであります。


H.30 大仏児童公園の桜とビオラ

大仏児童公園の桜とビオラの花が美しき咲きました。今年の記念に写真をまとめてご紹介します。


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背割堤の桜 羽島市桑原町

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羽島の新名所、桑原町も南端の川原堤に咲く桜並木、背割堤桜を見に行ってきました。


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見事な桜が何キロも続きます。



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目の前、しかも目線と平行に桜を愛でることができます。



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私も覗いてみました。



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誠にゴージャスでした。



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川原では親子連れが弁当を食べていました。すぐ傍を長良川、向こうには養老山脈。



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スタート付近には明治時代の一大土木工事を記念した三川分流碑が建立されていました。



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もっとドンドン有名になって欲しい背割堤の桜でした。


大仏児童公園のビオラが真っ盛り

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昨年の暮れ、町内のご婦人方で植えられたビオラの花が美しく咲き誇っています。



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4名の女性陣で、「大仏公園の花壇を作る会」を結成し、公園美化に尽力されてます。



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少し奥へ行きますと鉢植えのビオラが、まことに色鮮やかです。



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見事なものです。



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こちらも愛らしい。



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少し角度を変えて写しました。



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こちらが花壇。以前はこの辺りは草ぼうぼうで、見違えるように綺麗になりました。



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滑り台の上から写しました。奥にある淨栄寺がチョットした借景になっています。



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所で大仏児童公園には何本かの桜の木が植えられています。



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桜の花も満開間近です。



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一週間くらい後でしょうか。



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大仏寺(佐吉大仏)の駐車場に停めて頂ければ結構ですから、是非見に来て下さい。


羽島歴史民俗資料館まで

永田佐吉顕彰会の会報に使用する写真を撮りに羽島市歴史民俗資料館に行ってきました。

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永田佐吉翁の展示コーナーは二階にあります。是非見て頂きたいと思います。


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企画展では「昔のくらしと道具展」を行っていました。


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今年はレンコンに焦点を当てて、特色を出していました。私の子どもの頃は、周囲至る所にレンコン畑だらけで、この辺りでは稲穂というのは見たことがありませんでした。長いレンコンを掘り出すのは大変な作業で、今は後継者難、ドンソン減少しています。


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道具類だけでなく、昔の写真や教科書もたくさん展示してあり、大変楽しく見学することができました。



大仏児童公園 夏の草花

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女房始め町内の数人のご婦人方で「大仏児童公園花壇作り会」を結成して頑張ってみえます。


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以前は私がやっていたのですが、ギブアップしましたら女性陣が出てきまして、かくなりました。


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私の時とは格段の進歩で、女性の力は大したものだと思います。


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久しぶりの草花の写真でした。



「大仏児童公園」の桜が満開間近です

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「大仏児童公園」の桜が満開間近になりました。


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改めまして、正面入り口であります。右手に草花が咲いているようですね。

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趣があって大変よろしい。


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普段は私はこちら側から侵入します。


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左手に「佐吉大仏」のお堂の屋根が見えていますが、日当たりが良いせいか咲くのが一番早い。


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大変美しくビオラの花が咲いています。これは町内の数人のおばさん達がボランティアで手入れしています。おばさんと言いましても、私の女房や従姉もいますから、お婆さんといった方が相応しいのですが、本人らはお姉さん位のつもりですから、間を取っておばさん。


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空が大変美しく、新しく取り替えられた新品の遊具の色も鮮やかです。


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満開はあと2,3日後位でしょうか。


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奥の花壇に行く途中に見かけました。


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昔の看板のための鉄クイが見苦しいですね。可能なら取り去りたいものです。


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3年前まではこの花壇は私が手入れしていたのですが、全然違います。頑張って下さい


〇 3,4日あとにもう一度桜を写したいと思っています。



岐阜県立羽島高校の心字池

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此処は岐阜県立羽島高校の正面玄関。右手にある渡り廊下をくぐると「心字池」があります。


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この池は羽島高校60周年記念行事として整備されたものです。1921年創立ですから1981年。30数年前です。

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この池に佐吉翁が江戸時代にかけた石橋の一片が使われていると以前から聞いていました。


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これですね。このように地元の学校で、廃材にせずに再利用して、佐吉翁の遺徳が偲ばれるようにされているのは、素晴らしいことだと思います。


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池の横には佐吉翁が設置した道しるべも置かれていました。



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左側ですが、『左竹ヶ鼻江』と刻まれているようにも読めます。二百数十年の時空を超えて、佐吉翁の息吹を感じ取れることは実に感動的です。いつまでも大切にして欲しいと思います。


羽島市民カルタのご紹介

この地方(岐阜市周辺)に、『ぷらざ』という情報誌があります。


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この中に、1982年に製作された「羽島市民カルタ」が紹介されました。


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カルタですから50枚位あると思いますが、佐吉大仏も載せて頂き嬉しいことであります。いずれも羽島を代表する名所・行事ですが、少し拡大して以下に載せたいと思います。


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「石田の猿尾」は知る人は知る宝暦治水の跡であります。「佐吉大仏」は見ての通りです。


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「竹鼻祭」と「平方勢獅子」という二つの伝統行事が載っています。両者とも県指定です。


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右上が宝暦治水義歿者の墓です。薩摩義士の墓は近隣の市町村に点在していまして、全て県指定史跡になっています。清江寺の墓が一番最初の指定で、岐阜県指定史跡の第2号です。

竹鼻別院の藤や本覚寺の絵天井はここには載せられていませんので、まだまだ多くの名所等があります。カルタを遊びながら、今の子ども達に、郷土に対する誇りと愛情が育まれると良いですね。


大仏児童公園の仏佐吉彰徳碑と花壇にまつわるお話

「佐吉大仏」の西隣の「大仏児童公園」の奥まったところに「花壇」と「仏佐吉彰徳碑」があります。
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この滑り台の上に乗って、写真を撮ってみました。


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私が佐吉大仏の価値に気付き、その広報に努めだしたのは2008年のことであります。その頃此処がどうだったかと言いますと、鉄棒から向こうは草がぼうぼうに生えていて、雨の降った日にはとても中へ入っていけない有り様でした。

一年ほど経ってからか、当時の本居宣長の日本での第一人者と言ってよい故岩田隆先生から人を介して、「仏佐吉顕彰碑」についての言づてを伺いました。

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この本の著者ですね。

先生が言われるには、『「仏佐吉彰徳碑」の碑文を書いた南条文雄は大した人なので、もっと「仏佐吉彰徳碑」を大切にして欲しい。草ぼうぼうで中に入って行かれないようではイケません』。

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インターネットで調べたら、南条文雄は我が国文学博士第一号で近代仏教学の礎を築いたような大人物であることが分かりました。また後日になりますが、書を書かれた大島徳太郎も書の世界では歴史に残る人物であることを知りました。


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当時は誰も手伝ってくれる人もいませんでしたので、一人発奮しまして、草むしりやらゴミ拾いをしていましたら、羽島市がその事実を知って、業者を入れて白い玉砂利を敷かれて、中に入りやすくなりました。


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この花壇は私の町内の上鍋の子供会の活動用に作られたものです。私の時代は3~40人ほど子どもがいたのですが、一人になってしまい、今では0人ですが、手入れが出来なくなり、ほかってありました。

廻りが綺麗になると欲が出てくるもので、苗を買ってきて、園芸などしたことがありませんでしたが、手入れをし始めました。

しかし元々趣味でありませんので、2年前にドロップアウトしてしまい、止めてしまいました。


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すると捨てる神あれば拾う神ありで、町内の老人会と言っても、私の女房と同世代の老人会若手のご婦人方が、花壇の手入れをされるようになりました。

私が一人でしている時には、誰も手伝ってくれなくて、止めると始め出すというのも癪な話ですが、ともあれ有り難い話であります。


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冬を無事に乗り越えて、来年5月の竹鼻祭の頃まで元気に咲き続けて欲しいと願っています。



1971年「羽島市広報誌」を見る

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大仏のお堂の横にあるお茶所の本棚を見ておりましたら、1971年の羽島市の公報誌が出てきました。地元の人間としては今から40数年前の羽島の様子が分かり面白いので、本から何枚か写真を抜き出して紹介したいと思います。


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先ずは何と言いましても1964年開通した東海道新幹線「岐阜羽島駅」、田圃の中の駅として一躍有名になった「岐阜羽島駅」ですが、余り変わらないようですね。
写真の右の方のビル街の様子を次にご紹介。


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一見すると岐阜市の問屋街のようですが、それもそのはずで、岐阜市の問屋街が大挙して引っ越しをして、一大問屋街を形成する予定で人工的に作られたビル街です。
新幹線開通の1964年の時点で繊維産業は下火で、新たに問屋街を設置する活力はなかったことと、私に言わせれば夜汽車を使って買い出しに来るバイヤーと、新幹線を使える層とは全然違っていて、最初から無理な計画であったと思います。
このビル街が今もそのままゴーストタウンのように残ってしまい、どうしようもない状況にあります。


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白黒写真のせいか、中国のように感じますね(中国に失礼かな)。当時としては、立派な工場があって羽島はスゴいなぁという感じで写したのだと思います。


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これも今から見ると驚きですが、左下の商店街の賑わい!イベントの日かなとも思うのですが、ひょっとしたら普通の日の買い出しの風景かも知れません。
当時は竹鼻の町に3件のスーパーマーケットがあり、日本で(岐阜県でない)一番物価が安い町として新聞に載ったことがあります。
今は一人もいません。車社会が全てを変えました。


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この写真があったので紹介したようなものですが、「佐吉大仏」が羽島市を代表するという感じで堂々と掲載されていることに、驚きもし感激もしました。
新幹線が出来る頃までは、何と言っても大仏さんでしたが、ドンドン忘れ去られて地元の方でも知られなくなってしまいました。最近盛り返してきましたが、色々な物が出てきて、昔のように大仏さん中心というわけにはいかなくなっています。お互いが宣伝しあえばイイのですが。


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次のページに円空仏が載せられています。この頃から羽島市の観光としては円空一色になります。一般の市民から盛り上がったわけではないので、市外の方が思うほど「羽島と言えば円空」と市民が思っているわけではありません。今の私は協力し合って盛り上げていこうという方針でおります。


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こちらには羽島の観光としては1番有名な竹鼻別院の藤が載せられています。今ほど観光客が訪れるという事はなかったと思います。


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共に坂倉準三設計事務所の設計した市民会館と中央公民館。坂倉準三氏は確か1969年歿で完成を見ずになくなっています。ですから遺作になります。
コンクリートの打ちっ放しが晩年の坂倉氏の通例でしたが、この市民会館を見て、コンクリートがいかにもむき出しの感じがして、工事未完了だと思っていました。それが使われ出してみっともないなぁと思いました。坂倉氏が生きていたらもう少し表面を綺麗に仕上げていたのでないかと思っています。

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今では巨大な円空仏の壁画が描かれていて、それもあんまりなと思います。


羽島の大須観音真福寺のイベントで見た昔の地図

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羽島市桑原町の大須にある真福寺でイベントがあり参加してきました。


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薄くて読みにくいのですが寺歴を見ると凄いもので、伊勢、美濃、尾張、三河、遠江、滋賀にある真言宗のお寺は全て真福寺の末寺であったと書いてあります。寺領は1万石以上とあるのも驚嘆します。

所で、イベントは羽島の歴史に関するものでしたが、昔の地図を紹介して頂きました。

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ハンディなカメラでしっかり撮れていないのですが、拡大してみたいと思います。

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1294年前と書かれていますので、奈良時代の始まりの頃(701)でしょう。今長島、津島、枇杷島、中島と島と呼んでいるのは本当に島であったことが分かります。
驚くことは犬山、各務ヶ原まで内海のようであったことです。

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織豊時代でしょうが、こうだったんでしょうかね。今に相当近くなりました。


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真福寺の隣は徳林時と言ってこちらも中々古いお寺です。お堂と寺歴をアップしますので興味ある方は見て下さい。

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