佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

佐吉大仏代表永田章(ヒラメ)のブログ 佐吉大仏の他にも地域の紹介等

エッセイ 思い出・人生

「東南アジア青年の船の思い出3」:ジャカルタまで

「東南アジア青年の船」というのは、当時のASEAN5カ国(インドネシア・タイ・フィリッピン・マレーシア・シンガポール)と日本の30歳以下の青年男女各30名ずつ、総合計360人の若者が船旅をしながら各国を廻り、国際親善を図ることを目的としています。

最初の集合場所がインドネシアのジャカルタでした。ジャカルタまで船で一週間近く、ほとんど何もすることが無くて、ひたすら食べて、飲める人は飲んでの、時間つぶしの毎日でした。

seas42 (2)


実は国際親善を真剣に考えているような団員は殆どいなくて、贅沢な船旅を無料で楽しむことを目的としていましたので、ジャカルタが近づくと、ずっとこのまま続けば良いなぁと口に出して言う団員もいました。
seas41

私の場合、英会話が全然ダメでしたので、どうなることやらと心配でした。

団員はエリートと言うほどでもないのですが、それなりの大学出身者・在籍者ばかりで、気後れもありました。そういうことを苦にする当たり、私も学歴意識に染まっていたのかも知れません。

seas43 (2)
船長さんのお話。二列目で腕を組んで斜に構えたようにしているのが私。生意気盛りの年頃でありました。



「東南アジア青年の船の思い出」その2

◎ 「私は特に行きたい訳でなかった」


ある夜校長から電話がかかってきまして自宅へ来いと言われました。

そこで「東南アジア青年の船」の団員に推薦したという話を聞きました。

私は何のことやらさっぱり分かりませんでした。

これは、総理府の主催で国際親善の催しがイロイロあってその内の一つですが、県ごとに公募して、県代表が全国で試験をして決まります。

実は全国試験は形式で、県代表になることで事実上決定します。岐阜県はこの制度を英語教員の研修に利用していて、要するに英会話の実施訓練をしてこいと言うのが県の狙いでした。

私は英語が苦手の英語教員でしたが、格別英会話が出来なくて劣等感を持っていました。なのでこの話を聞いた時、嬉しいなんて全然思わず、頭を抱えてしまいました。

試験はトミー植松という当時英会話に関心のある人なら誰でも知っている人が担当していました。

英会話の前に筆記試験があり、私の成績は大変良くて誉めて頂きました。

It's my businessと答えたのを覚えています。会話が出来たのはそこまでで後は口ごもるだけで何にも言えませんでした。

seas3 (2)

上のアルバムは晴海埠頭での見送りに来た父と妻の写真です。

父は随分じじぃだと思っていましたが、思えば今の私より10歳も年若い頃で、壮年と呼んでも差し支えないくらいでした。

女房の方は私が思っていたより美人のように感じましたですが、今更ということですネ。

今日はここまでです。



東南アジア青年の船の思い出1

私は面倒くさがりですから、旅行は嫌いです。国内旅行でも億劫ですから外国旅行などしたくありません。

ということで外国旅行は27歳の時総理府主催の「東南アジア青年の船」の団員として当時のASEAN5カ国を「日本丸」で旅した一回こっきりです。

seas2 (2)



その思い出を今更書くのは、単にブログの穴埋めに過ぎません。読む価値などありません。書く私も気が乗りませんが、それを敢えて書くのは、(つけもの)さんという方から何でもよいのでブログを続けよとコメントされたからです。

書く材料が無いと反論したのですが、今度は(かんのん)さんという方から、加茂高の教員時代に行った東南アジア青年の船を書いたらどうかと言う提案があり、うかつにも「分かりました」と返信してしまったが故に、「東南アジア青年の船の思い出」というタイトルで書くことになりました。

孤独な身の私に取りましては、お二人の方のコメントは乾土の慈雨ですから、到底無視し得ないのであります。

あくまで目的はブログの空白期間の穴埋めですから、早く終わっては意味をなしえませんので、20回ぐらいだらだらと綴っていこうと思います。

seas

我が家からの旅立ちですね。1977年9月23日と記載。

右下の写真で、中央に並んで立っている一組の男女の女性の方は、年賀状のやりとりがあって、家族写真が載せられていますので、今のお姿も分かります。

男の方は私でございますが、こちらは隠しようもありません。

取り敢えず今日は出だしと言うことで。





段々後がなくなり、前ばっかりになる

小説・柴崎友香「きょうのできごと、十年後」を読んで思ったことであります。

本の内容はどうでも良いのですが、このタイトルからの連想ですね。

私が大学時代の友人に会ったのは、一昨年のことで、同じゼミ仲間の葬式の時であった。

その前が数年前で、そのゼミの担当教官の葬式の時。

ゼミの先生というと結構な歳と思われるかも知れないが、十歳も離れておらず、二名しかいなかった同じゼミで学ぶ女子学生のうちの一人と結婚した。彼女とは40年振りの再会ということですね。

その前にゼミの友人と会ったのは、今から25年ほど前のことでゼミの同級会。その時は全員が生きていた、勿論。

話は柴崎友香「きょうのできごと、十年後」に戻って、十年後の今日はどうなっているのでしょうかネ?

あんまり考えたくもありませんが、いずれにせよ、話せることがあるとしたら、前のことばかりで、段々人生も後がなくなって行っております。

2019年の目標

ブログ立ち上げ時からコメント頂いている「つけもの」さんから最近更新が滞っているというご指摘を頂きました。

ブログも反応が乏しく励みがないものですから、どうしても生来のナマカワ癖が首をもたげて、更新を怠っていました。

でもお一人でも、一人が実に重要なのですよ、関心を持って頂く方がいれば、更新する気になってきます。

頑張ろうとしますと続きませんので、暫くは適当でいい加減なブログを綴って参りたいと思います。

2019年の目標は、例年と同じで、二日に一冊の割合で本を読むと言うことです。感想は別ブログ「Dの朋友協奏曲」にアップしていますが、今年からはごく簡単に書名と一・二行の感想で終わりにして、一月単位でまとめています。

従来一冊ずつだった本紹介写真もまとめての掲載ですが、ない場合もあると思います。

今のところの写真だけこちらでもご紹介します。

book1


book2



book3



book4

11冊ですが、全部読んだわけでなく、読み終わったのは10冊。これくらいのペースで行けば目標達成できますが、ストレスに弱い性格で何かあればすぐ読めなくなります。

又、読むことと理解することは別で、全部分かって読んでいるわけでありません。

更には歳と共に読んだものをすぐ忘れてしまうようになりました。

さりながら、堅いことを言わずに流れに任せたいと思っています。



義弟の落語

大垣市にあります中川ふれあいセンターでの「第27回大垣落語の会」主催の「五街道雲助の落語を楽しむ会」を夫婦で聴きに行ってきました。

とんぼ3 (2)
ホールに高座を設けて記念写真が撮れるようにしてありましたので、私も一枚。


とんぼ6
本当は座布団の上に座りたかったのですが、女房に叱られてこれで我慢。


とんぼ2
処で私たちの主たる目的は五街道雲助師匠にあるのでなく、上の写真の前座を務めました三友亭とんぼさんの噺。他ならない妹の旦那様で私の義弟になります。


とんぼ1
普段は口数の少ない控えめな方ですが、高座では打って変わって迫力を感じる語り口から、次々と笑いが飛び出す話の数々。満員の観客に受けに受けていました。


とんぼ4
中入りの時間にホールに出てきたとんぼさんと一緒に写真を撮りました。写しているのは妹でとんぼさんの妻ですね。

長い年月振り返りまして、イロイロあったといえばどこの家庭でも同じなんですが、二組の夫婦がこう言う晴れの日を喜び合えると言うことは、健康的にも夫婦仲においても、そう悪くなかったと思いました。

退職後の自由な時間を更に一層楽しみたいものです。

懐かしい気持ち


DSC_0284

些か気が早いのですが、ただ今はアマゾンから届いたばかりのCD(クリスマス ウイズ パティ・ペィジ)を聴きながら懐かしい気持ちに浸っております。

懐かしいと言いましても、1950年代初めの録音で、これは私の生まれた頃です。

私の父・母世代の洋楽ファンなら、パティ・ペイジの名を見て懐かしい気持ちに駆られるだろうな、と思いますと、私も同様に懐かしい気持ちに誘われてくるのであります。

パティ・ペイジと言いますと、テネシーワルツが大ヒット、日本では江利チエミがカヴァーしてこれまた大ヒット、70歳以上の方なら知らない人はいないと思います。

思いますに懐かしいという気持ちも、決して自分の経験したことだけでなく、過ぎ去った過去の方の想い出も、その方々の気持ちを推し測ることで、同様な気持ちに浸られます。

勿論これは若い方についても当て嵌まることで、ミスターチルドレンとか倉木麻衣とか、中々名前が出てきませんが、宇多田ヒカルとか、30代の男女が彼らの歌を聴いて青春時代が懐かしい、と思う気持ちに共感することができます。

そして現在、ヒットしているメロディーも、やがては今の方の懐かしのメロディになりましょう。

人生を劇場に喩える

よく人生を劇に喩えて言う人がいます。

私が勤めていました学校でもよく言うのですが、「君は人生という名のドラマの主人公だ!」と。

先が見えない若い間はイイのですが、ダンダン年も重ねますと、栄華を感じられるのはほんの一部の人であることが分かってきて、「主人公と言われてもナァ」と、却って人生の悲哀を感じてしまいかねません。

「人生の主人公」というのは、あくまでも自分一個の人生経路に関しての主人公と言うことではありましょうが、どうしても主人公という響きに惑わされてつくづくわが身は脇役人生だったなぁと思われてきます。

そこで私は考えました。

人生を「劇」に喩えるから間違えるので、「劇場」に喩えれば良いと思います。

「劇場」の主人公は誰か?

劇場は観客を喜ばせるためのものですから、スターも劇場主も切符売る人も、全ては観客のために存在しています。この場合、主人公という言葉以上に王様という表現を使いたくなりますね。

「自分は人生の王様である!」と思えるならば、エッ、と途端に気持ちが高まりますよ。

しかもこの王様は他人を蹴落とす必要がありません。それどころか他に優れた王様が沢山いてくれた方が楽しいのであります。自分の王国を大きくて充実したものにしたいのであれば、色々な劇場を観て廻り、鑑賞力を高めれば可能になります。

更に良いことには、人を幸せにもしてくれます。
例えば音楽会なら、ゆったりと腰掛けて至福の一時を過ごした後に、拍手喝采するだけで、演奏者を幸せにしてあげるだけでなく、他の観客のハートに火をつけます。

お金もかかりません。

勿論、リッチな人は惜しみなくお金を使って欲しいのですが、私の様な年金暮らしにはそんなことは無理です。デモ最寄りの公立図書館に行けば好きな本を何冊でも借りて読むことが出来ます。その上館員の方から丁寧にお礼まで頂戴します。

そんなわけで私は〝独りぼっちのクリスマスイブ、愛を打ち明けられる人などいるわけない〟と嘆かずとも、豪奢な世界劇場の王様になることが出来ました。

ちなみ、現在借りている本、市立から10冊、県立から7冊を写真で並べて見ます。

DSC_1067

DSC_1068 (1)-2

DSC_1070

DSC_1072

DSC_1073

一番下はバートランドラッセル「西洋哲学史全4巻」ですが、少し読んでみて、結構難しくて、先ずは概説を知らなければ読みこなせないと思って借りてきたのが、「物語 哲学の歴史」(中公新書)です。

「十夜」は少しは小説もと思って借りてきたもので、10人の現代作家が選んだ短編集です。

水上勉はそれなりに読んでいるのですが、加賀乙彦は読んだことがありません。堅苦しく生き方を問う小説家という先入観を持っていまして、読んでも面白くないだろうと思っているからです。
そういうのは、フィクションよりもノンフィクションで語っていただいた方が興味深いと思って借りました。

これに加えまして、私はTSUTAYAの通信レンタル会員になっていまして、足掛け3ヶ月で20枚以上のクリスマスCDを借りてダビングしました。

明日からは聴く気にならないでしょうから、何か一枚選びまして、心落ちつく深夜のBGMとして流しながら、読書を楽しみたいと思います。


別にどこにも行かなくても、自分の部屋が時空を越えた世界劇場になります



失恋による自殺を防ぎたい Part Ⅱ

以前に同タイトルで拙文を綴りましたので、今回はPartⅡを後ろに付けました。

失恋して自殺するというのが私には長らく不思議な現象でした。その訳の要となる処は、その恋を得るまではその人がいなくても生きてこられたはずで、だったら失恋したところで元に戻るだけなので、チャンと生きていかれるはずであるというのが私の理屈である。

前回述べた自殺に到る推測は、一端灯りを得てしまうとその灯り無しでは生きていかれなくなるというもので、今回も同趣旨であるけれど、もう少し違った言葉で説明してみたいと思う。

舟木一夫という私たちの世代では知らぬ人はいない人気歌手がいた。50年位前の話になるが、彼は『高校三年生』でデビューし絶大な人気を誇ったが、ある時期人気が急落し、鬱状態になり自殺未遂を図った。

これも失恋と同じことで、デビューする前はそもそも人気などなかったはずなので、人気がなくなったところで元に戻っただけ。元の舟木一夫少年か青年は、明るく元気に生きていたはずである。

人気の世界とは無縁の市井人の私には、何とも解しかねる話である。

そこで、具体的な事柄である恋や人気と離れて、問題を一般化して、鬱状態から死に到る根本原因について考えてみる。


自殺で一番多いのは借金から逃れるためかも知れない。これは借金苦という苦しみから逃れるためであるが、「鬱⇒死」は何かの苦しみから逃れるためでなく、生きる意欲が枯渇することから起こる事態であると言う風に捉えられる。分かりやすい言葉では「生きていてもしょうがない」という気持ちになってしまえば、生を選ぶも死を選ぶも大差ない選択になる。

では次に、どういう時に生きる意欲がなくなるのか考えてみなければならぬ。

かなり強引に自説を展開させていて恐縮であるが、このまま続けていくと、「自己喪失の時」私たちは生きる意欲をなくす。

自己は生きるエネルギーを生み出すエンジン主体にあたる部分で、エンジンをなくした車がもはや自力では動くことが出来なくなるのと同じ様に、自己を喪失したら生きる力をなくす。

自己という意識は、死んだり意識不明になれば存在しない。死んだ人間は生きられない。これは理の当然だ。

なら、端から見れば自分と同じ様な健康な身体を有し、心神喪失に陥っている様にも思えない普通の言葉を話している人が、自己を喪失しているということは、あり得るのか?

次々と設問を重ねてきたが、更にここで根本的な問いかけをしてみる必要がある。

「自己とは何か?」或いは「自己は何から成り立っているのか?」

私たちが人と話をしているとき、その人の自己というのは、目の前に存在している一人の人間の身体の中にあると考える。
しかし相手のその人の意識では、自己は決して自己の身体の中に留まっているのではなくて、例えば「家族があって自分がある」とか「仕事は自分の命である」とか「試合に命を懸ける」とか、今その場には存在していないものが自己の重要部分を占めていることもあり得る。

「試合に命を懸ける」を、誇張した表現でなくて文字通りそのままのものとして捉えるとすれば、試合に出られなくなればその人は命の危機に瀕する。笑い事では済まされない。

試合に勝つなどということは私の人生ではどうでもよい話で、勿論私にはその気持ちは分からない。勝利に向かって全力を傾注している人でも、命を張る人はまずいないだろうから、「気持ちは分かる」と言っても、分からない事において私と五十歩百歩と言える。

つまり命は、話の続きからでは自己といった方がよいのだが、交換不可能なので別の目標に気持ちを切り替えるというわけには行かないのである。
浅田真央ちゃんは、そう簡単にリンクを降りられない。

ここでふたたび舟木一夫に戻ると、私の思うところ、人気が「第二の自己」として生きる原動力を持つことになってしまい、それをなくしたとき生きる力を失った。

失恋自殺もそれと同じで、彼(又は彼女)が自分自身の一部となってしまえば、恋人を失えば、自己を失ったことと同じで、生きていても意味が無いというような思いに駆られるだろう。

問題の一つは、その自己が自己の内のどれ程の部分を占めるかで、エゲツのない喩えを使うと、指一本失うのと手足を失う場合とは違う。

失恋の場合、恋に関する事だけでもないのだが、彼のなくなったところをその代替として食物で埋める女性は多いだろう。男の場合は過食と言うよりアルコール依存でしょうね。

しかし事の本質上もっと重要な事は、彼(又は彼女)、舟木一夫の場合は人気、は自分の身体の外に存在するものであって、自分の自由にはならない点である。

浅田真央ちゃんの場合には、気持ちの切り替えがつくまで頑張ってみるという過程があろうけれど、失恋の場合はこれを頑張ると逆効果で昔の思い出も消されて、付きまとえばストーカーとして捕まえられる事も出て来る。
現実はどうにもならないのである。

手頃な代替物が見つからなければ、「いっそ死ぬか」ということにもなろう。

私は自己の考察について大変興味があるのだけれど、どう展開してよいのか定かでないので、表題の「失恋自殺を防ぎたい」に戻って、まとめとしておこうと思う。

大変不思議な事実であるが、どれ程愛着があっても、親の死に絶望して死を選ぶ人はいないのに対して、恋人や子供の場合にはそういう事態が生じるのは何故だろう。

男の場合には仕事を失うと、自殺までするかどうかは知らないが、緩慢たる死に向かう人が多いという話はよく聞く。経済的には殆どプラスもないのに、第二の人生と称して、仕事を続ける人もある。

今まで述べた例、人気、恋人、仕事は全て後から付いてくるもので、持って生まれたものではない。それが自己の核心を占めるようになってしまうのだが、そういう人ばかりでもないし、その人達の方が多いと推測している。
どれ程大切なものであっても、自分の外にあるものは外にあるのであって、喪失のもたらす打撃や虚しさがいかに大きかろうと大抵の人は自分の身体的生命が続く限り行き続けるのである。

先ず知ることだろうか!

私たちは外的事象を自分の自我の掛け替えのない一部として取り込むことによって、途方もないエネルギーを噴出させるので、決して悪いことばかりではなく大成をなす人の多くはそういう人なんだろうと思う。

他方、深刻な依存症や自殺、最悪は殺人に到る事柄を惹起させる場合もある。

良いことばかりなら言うことがないが、世の中そんなに上手くできていないので、バランスの取れた言説に耳を傾ける必要がある。

成功者の話ばかりに耳を傾け、称えてばかりいてはならない。

一方精神の自立性の強い人にあっては、依存的傾向の強い人の気持ちは非常に分かり難いものであることも承知しておくべきだ。自分の困難を乗り越えた経験談などとくとくと語ってみても逆効果である事は知るべきであろう。

佐吉大仏へ来てお経を詠む。三年位続けてみれば、その内彼(又は彼女)のことで死ぬようなことはなくなるかも知れないでしょうネ。








追究する人生

十日ほど前に風邪を引いて寐たり起きたりの冴えない日々を送っている。我が人生に冴えた日があったのかと問われると答えに窮するが、自分を鼓舞する意味で綴ってみる。

ギリシャの賢人ソクラテスは人生の真実を知りたいと思い、方々の学者や識者を尋ねて歩くが、誰も自分ほど世の中のことを深く考えていないことを知る。

彼は何とかして一番の賢人に出会って教えを請いたいと思い、ギリシャ・デルポイの神殿を訪ね、この世で一番賢い人は誰か?神に占ってもらう事にする。

何とソクラテスは、「ソクラテス、あなたが世界で一番の賢人です」という回答を得るわけである。

どう考えても自分は無知なはずなのに、世界で一番賢いわけがないとソクラテスは思うが、信心深い彼のこと故、神の言葉を疑うことはできない。

そこでソクラテスは、自分は他の賢人達と比べて、自分が無知であると言う事を知っている。その点において自分は最も賢いのだという結論を導く。

これが有名な「無知の知」に関する話であるが、このデルポイの神殿の入り口には一つの標語が掛かっていた。

そこに書かれていたことは「汝自身を知れ」である。

以上は、高校時代に読んだ小林秀雄の対談を読んで記憶していることだ。

私は言わばこの「汝自身を知れ」ということに取り憑かれて生きてきたと言って過言でない。

汝自身と言っても、世の中で生きているので、社会についても知らねばならないし、人間関係についても目を向ける必要がある。自分だけに目を向けていては、自分のことも分からないのである。

そうすると世の中分からない事だらけであることに気付く。

人生の真理というような宗教・哲学・・文学上のテーマだけでなく、芸術や娯楽と言った分野に置いても少し歩を進めると、よく分からないという疑問にぶつかり、できれば多少なりと分かりたいという気持ちが湧く。

このように考えると、人生というものは追究するものとしてあると捉える事ができる。

遊んでいられない、いや、遊んでいても遊びを追究している。遊びを通じて人間が分かる。働くことよりも遙かに遊びが好きな自分を知って、自分の根性の度合いも分かるというものだ。

追究して何が得られるか、結果としての業績や名声などは勘定に入れない。それらは持って生まれた才能や運不運、偶然によって変わってくる。

才能などそうある人間はいないし、人に役立つような功績など残せると思わないことが肝腎だ。

本当に大切なことは精神が瑞々しく動いていること、その時生きているという言葉に最も近い状態にあると思う。


歌懐かしや

フェイスブックの方で佐竹さんという若い画家の個展を観に行った記事を載せたのだが、この佐竹さんと言う苗字から昔聴いたはずのバーブ佐竹の名前を思い出した。

絵にはまったく関係のない話で、要は私が絵について何も分からないことを示しているようなものだ。

しかし懐かしくも感じて、ネット動画でバーブ氏歌うところの「女心の歌」を聴き始めて、さぁそこからは止まらず、2,3時間懐かしの歌を聴き続けた。

パソコン打つにも溜息があふれ出るが、藤圭子さん。

「新宿の女」から「圭子の夢は夜ひらく」、「網走番外地」、「ねりかんブルース」、「唐獅子牡丹」

中学から殆どポップスヒットパレード中心で音楽に接してきた自分にも演歌が身に沁みることもアルのかなと思った。

それから歌は更に過去に遡り、「東京の花売り娘」、「青い山脈」、「蘇州夜曲」、「星の流れに」、「港の見える丘」等々

余りに切なくて気が狂ってしまいたくなる様な懐かしさに襲われた。

終戦直後の歌は私の生まれる前で、懐かしいはずはなかろう、と思われるのは違う!

私たちは決して自分の経験だけの時間で生きているのではない。

父や母、近所のオッサン・オバサン達、もう亡くなったあの人この人、それらの人がまだ若くって我武者羅に生き、夢を見たり失望したり、その姿が私の心に残っているとも言えるし、その姿に思いを投げかけると言っても良いけれど、先輩方の懐かしさも私自身の懐かしさとなって、心を掻き乱す。

詰まるところ流行歌に感じる懐かしさは、流行歌の歴史だけの長さを持っていると言えよう。

歳を取ったと言うことか。


DSC_0909



DSC_0914

DSC_0915



DSC_0905



DSC_0908



DSC_0906


DSC_0910


「羽島新報」の記事に関連して思うこと

地元のフリーペーパー「羽島新報」の一面に以下のような記事が載せられた。

DSC_0870 (1)-2

記事の内容としては、羽島市歴史民俗資料館の夏休み行事に「佐吉大仏」と円空仏が祀ってある「中観音堂」と「長間薬師寺」に行ったというもので、特に変わったものではないが、私としては上の見出し『羽島の偉人 円空 永田佐吉の時代を学ぶ』を眺めて、若干の感慨に浸るものがある。

私は永田佐吉の顕彰作業を始めて8年余りになるが、始めてから半年ほど経った或る日、「このまま行くと円空とぶつかることになるかも知れない」と思って、身震いしたことがある。

永田佐吉については地元の羽島でも殆ど語られなくなっており、末裔の私でも大仏さんを作った人程度の認識しかなかった。

一方円空はどうかと言えば、信長とか斎藤道三という武将を除けば、岐阜県としては一枚看板と言って良い巨大な存在であった。
永田佐吉と相撲で比較すれば、横綱と前頭どころか十両と言った方が相応しく取り組みとして成立しない。

それでも私が両者を並べられるのは、円空は子どもの頃には殆ど語られることなどなく、羽島と言えば佐吉大仏と大方の人が思っていたのであり、人間として比べれると、円空上人と佐吉翁では佐吉翁の方が遙かに多くの人に共通して手本になる要素が多いからである。

私がブルッとしたのは、羽島は他ならない円空の生誕地なので、ここで評価が逆転すれば岐阜県としても由々しい事になると思って、私としてはトンデモナイ事を始め出したのかも知れないと思った。

とは言え、その時一瞬そう思っただけで、大仏さんと言ってももう隣の町内になると知らない人が大勢出て来るような状態だったので、現実的にはお参りに来る人に一人一人に語りかけることから始めることしかできなかった。

もう一度「羽島新報」の横見出しに戻ってみたい。

羽島の偉人 円空 永田佐吉の時代を学ぶ

今私は、円空と永田佐吉の名がが並んでいる見出しを何の抵抗感もなく当然のこととして読める。「羽島新報」の編集者にとっても、配布地域の羽島市の人にとっても、それは同じであろう。

どちらかといえばより一層の親近感と敬意を永田佐吉に抱いている可能性もある。

一方羽島市以外では、円空という権威ある名前と並べることによって、ローカルな人物を持ち上げている記事として判断されるだろう。

ともあれ、江戸時代の羽島の中心部の狭いところに、全国的に名をはす偉人が二人も誕生したというのは、希有なことと思われる。

今の私は羽島市円空顕彰会とも協力し合って、羽島の活性化に寄与したいと思っているし、殆ど風前の灯火とも言える仏教信仰の見直しにも努力していきたいと願っている。大それた思いと言うことは分かっておりますが。


『過去は変えることはできないが、未来は変えることができる』か?

ある女性の方、結構県レヴェルで活躍されている方ですが、のフェイスブックに法話のような写真が載せられていて、『過去は変えることができないが、未来は変えることができる』とありました。

果たしてそうなのか?

確かに目標に向かって努力することによって、未来を違ったものにすることは可能なようです。

思い通りに行かないでしょうが、毎日ジョギングに励めば多少なりと血糖値を下げられるほどの変化は遂げられると思います。

では過去はどうなのか?

これは未来よりも、遙かに容易に、大胆に変えることができます。

それはとても簡単なことで、今の認識を変えることで不幸な過去を幸福な過去に変えられます。

すなわち、過去の上に今が築かれていますので、今を不幸だと思えば過去にその原因を探ろうとすると不幸だらけの過去になりますし、その逆に今を幸福だと捉えますとその幸福のタネを過去に遡って探すことにもなります。

今をどう捉えるかで、過去は変わってしまいます。

要は、事実と認識は別だということを知っておく必要があり、事実そのものという絶対的なものがあるわけではないと思います。
本当は、ある事項を事実として認識して心の中に定着させたことが一般的に事実と呼んでいるものです。

生前親に生き別れ、親が死んだと思っていたところ、二十年後に再会すれば、親が死んでいたはずの20年間も親がいたことに変わってしまいます。

人や世間に対する評価についても同様なことが言えますが、話が拡がりますので、此処で止めときます。



最近の出来事3件

〇今日(3月25日)の中日新聞の岐阜地域版に先日大仏寺を会場に行った「羽島市能楽を楽しむ会」の記事が掲載されました。
お手伝いした者としては大変嬉しいものです。
会員の皆さんの励みとなるとともに、羽島市の方にも知られて良かったと思います。

DSC_0611


〇3月23日(水)は旧暦でいいますと釈迦涅槃の日です。我が家では床の間に涅槃図を掛けて供養して、「涅槃教」を詠み上げる習わしです。
ずっと続いていると思いますが、母が元気な内は母が、近年では私が詠んでおります。

涅槃教は釈迦が入寂前に行った最後の説法で、比較的肉声に近いと言われています。
「少欲知足」の教えとか、昨今話題になりました断捨離に近い事も説かれています。

DSC09877



〇同じく3月23日ですが、飛跳中部経済交流会さんの研修会に講師として呼ばれまして40分ほど佐吉翁のお話しをさせて頂きました。

DSC09865
場所はホテル高洋と言いまして新幹線岐阜羽島駅の南にあります。


DSC09867
大変リラックスしているように見えるかも知れませんが、会社の所長さんの様な方ばかりで大変緊張しました。私の左隣は会長さんで、一宮西病院の名誉院長さんです。岐阜大学の名誉教授でもいらして、こういう方を前に話をする訳ですから、無理ないと思います。


DSC09872
この後にレストランでふぐちりを頂きまして、思い返せば柳ヶ瀬の「ふぐ正」に遙か昔一度行ったきりで、人生2度目のふぐ料理でありました。ご馳走様でした。

私は佐吉翁の顕彰を使命としていますので、御礼など考えて頂く事はありませんし、人数も場所もご要望に応じますので、遠慮なくご連絡して下さい。
1名様でも、場所はどこでも大仏寺でも結構であります。

バレンタインチョコレートの想い出

私は50代前半、新しい学校に管理職として赴任しました。
性格が弱く職種も合わなかったのか、落ち込みが激しく、一年半ほど我慢して休職を取ることになり、3年余り家に閉じこもる状態が続き、57歳の12月に退職しました。

長い休職期間、医者や家族も含めて、まとまった話が出来たのは保険の勧誘員の女性ただ一人でした。

彼女は学校を主として廻る保険会社のセールレディで、私の退職金の運用を目当てとして我が家に訪れてきたのです。

話はお金の話はそこそこに、ほとんど身の上話に終始し、私が一方的というわけでもなく彼女も自分の苦労話を適時に差し挟んで、まったくの聞き上手と感嘆しました。
会社も馴染みの処ですし、子どもさんの学校のPTA会長もしておられる方ですから、決して悪質なセールスではありません。

彼女は退職してまもなくのバレンタインの時に、チョコレートを持ってきてくれました。

DSC_0352 (1)-x

「私は二千人顧客がいますが、チョコレートを差し上げるのは先生お一人です」

私は「全員にそう云っているのだろ!」と冷やかしたい気分になりましたが、それは口にはせず、黙って頂きました。

当時は、今もそうかも知れませんが、外国旅行の土産というとチョコレートばっかりで、ウンザリ。有り難くも有りません。

それに私はバレンタインだけでなく、誕生日とか結婚記念日とか、日にちを決めてお祝いする習慣を好みません。
仕方がないのでそのチョコレートは本棚に置いたままで、しばらく忘れてしまいました。

ある夜中、眠れないまま本棚のチョコレートに気づき、「食べていくとするか」と思って、口にしました。

驚くほど美味で、二、三かけらで終わるところが、結局一箱全部食べてしまいました。

一応は嬉しそうな顔をするものの、本当は有り難く思っていない事に後ろめたさを感じていましたが、その時彼女の好意に本当の意味で応えることが出来た思いになれて、大変嬉しい気持ちになりました。

信じ難いことでしょうが、この事が私の心の境目となり、チョット本でも読んでみようかという気になり、その本の中に信仰への導きとなる書が存在していたのであります。

DSC_0353 (1)-2

中島みゆきさんに「時代」という歌があり、そのフレーズに『もう二度と笑顔にはなれそうにないけれど』とあり、正直なところ、当時はその心境にあったのです。

時期が来ていたのかも知れませんが、バレンタインチョコレートが鮮やかにその節目を作ってくれました。

彼女は見た目は若く平社員の立場でしたが、丸8年経た今、岐阜支社の営業部長という職にあります。それだけの人であったわけです。
最新コメント