佐吉大仏 ヒラメ記(代表:永田章のブログ)

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アルバムから

「アルバムから」9 児童生徒その3

「アルバムから」の児童生徒シリーズは今回が最後で、教員11年目(1983年)聾学校の3年生を担任した時のものをご紹介します。

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いわゆる文化祭の劇発表です。「10年後」と言うタイトルで私がシナリオを書いたのですが、卒業して10年、生徒がどうなっているのかという有り触れたストーリーです。


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「乞食」と「こそ泥」という、こういう分かり易いのでないと受けません。何しろ小学部の児童も観ています。全体が分からなくても、ここだけでも笑わせようというねらいです。

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これを演じた二人の写真です。右側が「こそ泥」役、左側が「乞食」。助手にしかみえませんが、生徒です。先生ー生徒と言うよりは兄弟に近いくらいの雰囲気ですね。


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これは我が家に招いて行った忘年会です。二クラス合同でしたから10名か11名だったと思います。それに先生が3名加わりまして、料理は女房一人で、フライドチキンが評判でした。


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我がクラスの三人娘。早ければ、お孫さんができても不思議でないですから、月日の経つのは!

後ろにクリスマスツリーが飾ってありますね。息子のため以外には考えられないのですが、この写真の私を超えてしまいました。

高校の写真も若干あります。肖像権もありますが、一クラス五名とか一対一の授業とかというのは、普通学校では考えられない親密度、寄宿舎の子は夜まで一緒ですから、懐かしさも違います。

私はいろんな学校を経巡ったと思います。進学校もあれば実業高校も。又、一口に特別支援学校と言いますが、障害種別によって対応の仕方は全然違います。
年齢的にも3,4歳の幼児教室から、専攻科20歳まで一緒に学びました。

遅くなりましたが、感謝です。「仰げば尊し 生徒の恩♫」と、いつも肝に銘じております。

「アルバムから」8 児童と生徒その2

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新築なったばかりの養護学校でのショット。学校の中では一番軽い程度の障害で、車いすに乗った可愛らしい女の子と二人のクラスで英語を教えていました。英会話中心のクラスで、使った教材にはビートルズの歌もあり、そんな時にはレンタルでライブ映像を借りてきて、一緒に楽しみました。
「B'z」のファンで、教えてもらったのですが、聴かず仕舞いで、先日アマゾンで買って聴きました。この方からの影響です。転勤した時に、もう一人の子と一緒に花束をくれました。

そのもう一人は高等部へ進学してから急激に体調を崩し、一昨年亡くなりました。私の教員人生、高校時代も含めて、一番安らぎのクラスであったのですが、何とも言葉もありませんでした、


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やや不気味なこの写真は中三の生徒と東京へ修学旅行に行った時のものです。ここは東京駅の地下通路で、車いすを安全に移動するため、荷物用のエレベーターを使用しました。一般の人では立ち入りできない通路です。
この女生徒は重度重複障害の大変重い障害を有しています。言語は有しません。日常生活、食事・排泄等々、は全介助で、郊外に出る場合には最低でも一人に一人の付添がいります。
移動は男でも行えますが、女子の身辺的な世話は女性職員が行います。腰を痛める方もみえます。


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同じく東京でのホテルの一場面ですね。彼は知的な遅れは一切なく、そういう人は数少ないので、一対一の英語の授業です。至って向学心に乏しい生徒で、私と大変気が合いました。半分くらいは、アメリカ文化理解のためと称してレンタルビデオを見ていました。「チャップリン」とか「ザッツエンターテインメント」等。私が観たいものを選んでみておりました。
進行性の難病で、小学校の低学年までは一般学校で、野球もしていたと聞きました。この時は電動車いすを使用しています。転勤後のことについては何も聞いておりません。


関養護学校は十年勤務した学校で、学校全体が優しさに包まれて、一番懐かしい学校です。

十年の内七年は教務主任という立場で、私の上には管理職の方がいますが、障害に詳しい方が少ないので、私が学校の中心になろうと思えばなれましたが、朝からパソコンでトランプゲームに耽っているようでは示しがつきません。好き勝手にのんびりやる校風にしてしまったようで反省しております。

「アルバムから」7 児童と生徒その1 

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今から振り返ると、どえらい可愛らしいですね。目が非常に澄んでいます。


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一体何をしているのやら


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6年修学旅行 これで全学年で二クラスです。


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今40歳前後におなりでないでしょうか。聾の方は外からは障害がわかりません。


アルバムから6「東南アジア青年の船」その3 赤道祭り

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「船旅」というのはそういうしきたりなのでしょうが、赤道を通過する時は「赤道祭」を行います。
甲板で行う素人芝居がメインで、船長が「海の神様」に賄賂を渡して、航行の無事を願います。

「魚心あれば水心」・・・If you have fish heart,you can get water heart.という凄い英語。

私は日本人を代表して主役の船長役、「キャプテン イズ ハンサム アキラ」て紹介されました。
「ハンサムアキラとは、俺のことかなあ、それほどでもないけど」と大変にいい気のものでした。


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頭のはげたおじさんが、団長さんです。今の私より相当若いと思いますが。


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一枚別の写真でティーセレモニーの様子です。私はお手伝いです。こちらを見ている女性の方はアチラの服を着ていますが、実態は日本人で名前だけ、お許し願ってコトさん。一番親しくしていただいた人で、私はどうも面食いという欠点があり、全然発展しませんでしたが、この写真は非常に魅力的ですね。
実はコトさんからは、毎年、家族写真付きの年賀状を頂いておりまして、37年前の事。

アルバムから5 「東南アジア青年の船」その2

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「東南アジア青年の船」(その1)がご好評につき、と言いましても1名の方で後の方には嫌味でないかとも思われますが、私も仏典を進めるより楽ですから取り敢えず(その2)まで記事にさせて頂きます。

今回の集結地はジャカルタで、それまでは1万トンの日本丸、お客様は団員30名だけです。

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これは出港式と言いまして、船の前でズラッと並んで目的等を伺います。全員制服です。


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       これは私たちの班。二人の奥さんが一緒に写っています。私もあと暫らくの我慢。
       制服は伊勢丹で、ダサいとか東京の方が言ってました。変なことを覚えております。


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  戦地に赴くわけではありませんので、高松行の本四連絡船に乗る程度のアッ軽い気分


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朝の体操風景。とにかく何にもすることがありません。海も凪ぎで、心行くまで無為を楽しみました


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仕事と言えば食べることだけ。三食とも我が家なら盆正月のごちそうと言って良い食事が出ます。


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食事の間の10時にティータイム。3時にはおやつの時間。夕食後は8時にホールに集まり宴会騒ぎ。

夜の部はお金が要るのですが、免税ですので、この機会しかできないということで、ナポレオンやヘネシーVSOPがバンバンと売れました。私の班長は農場経営で格別金持ちで、その上、村の青年団で壮行会が開かれ、結構な額を餞別でもらっておりました。私はアルコールはダメで、缶ジュース専門でした。


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船長さんの話を聞いている所です。右端の方はチェースマンハッタン銀行勤務で「なんか住んでいる世界が違うんだよなぁー」という気分でした。ルイヴィトンのバッグで、それが大したものであるということもまだ分からない田舎者の私でした。


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東南アジアの青年が乗り込んでからが本番で、集結地のジャカルタまでの船の旅は、喩えてみれば、生徒のいない学校の様なもので、まことに結構、極楽三昧の毎日でした。


アルバムから4 「東南アジア青年の旅」その1

DSC05969 「アルバムから」というカテゴリーは殆ど記事が
 思い浮かびませんので、穴埋めみたいなもの
 です。

 その他も全部そう言えないこともありませんが、
 閑話休題(←「それはさておき」と読むのだそう)

 元々は「東南アジア青年の船」の写真をご紹介
 したら、コメントで続きをと書いていただけて、
 その言葉を信じて記事として始めたものです。

 海外旅行は多くの人にとって珍しくもないもので
 しょうが、私は人生一遍しか経験していません。

 それが総理府の企画した「東南アジア青年の船」
 の団員として五か国、日本を入れて6国を若い
 東南アジアの方々と廻ったものです。

 家を出るというのは旅立ちの日で、日付もはっきり
 書いてあります。二ヵ月間の日程です。


実は私は応募した訳でも行きたくて行くわけでもなく、私の所属している岐阜県教育委員会は英語教員の研修として総理府「青年の船」を利用していました。多分そんなのは岐阜県だけだったと思います。


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先が長いのでぼちぼち紹介させていただこうと思いますが、まるで映画のワンシーンみたいですね。


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船を主宿とした二月間の共同生活。恋あり歌ありと言いたいのですが、結婚しているのでドーしようもありません。右隣の女性とは愛は芽生えませんでしたが友情が育まれ、結婚式でスピーチしました。

向かって左の方(窓際白シャツ)は往年の歌手と同姓同名だったので名前を憶えています。ライターをしている方ですが、職業と言い、醸し出す雰囲気と言い、羨望でしか窺われない人でした。お元気でおられましょうか。


アルバムから3 佐吉大仏の受難 


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        これは昭和37年(1962年)佐吉堂再建の時の工事をしている時の様子です。


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  大仏さんはぐるぐる巻きにされてしまいました。下の床を作るため持ち上げる必要からです。


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  それから、次に檻の中に入れられてしまったようで、こんな時代もあったということであります。


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 工事現場の前で写真を撮った妹と従弟。今、従弟の方は校長も経験し市教委の偉いさんです。

 吹き流しが写っていますので七夕祭りの時でないかと思いますが、後方の車、何とも時代です!

 横断幕の「ツイスト大会」も懐かしい。私にとっては、胸が締め付けられるような光景です。


「アルバムから」2 東京だよおっ母さん

蒸気機関車に乗って行った東京旅行の思い出 ・・・・・ ある訳ありません!

しかるにアルバムをひっくり返していましたら、出てきました。母と二人で行った昭和三十年の旅。

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島倉千代子が「東京だよおっ母さん、あれがあれが二重橋♪」と歌って日本中ヒットしたのが昭和32年のこと、その二年前です。右側は明治30年高村光雲作の楠正成像、その前に豆粒のように映る母子。

それにしても驚くのはこの人気のなさ、これが一体東京何だろうか???


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これまたスゴイ!日本と国交を結ぶ前の中国の天安門広場かモスクワクレムリン広場と見間違う。

一台写ってますから道路のはずですよ。おそらく大正時代からこの頃まで日本の車の保有台数は
ほとんど変わらなかったのではないでしょうか?後ろの建物は何でしょう。


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これもよく分かりません。当時は貴重な写真、いわくのない所では写さない筈。だとしたら
日本橋、数寄屋橋あるいは隅田川に架かる橋だろうか?

私は、イエ僕は日劇ダンシングチームを見てビックリしたという記憶だけうっすら残っています。

実はこの写真は、私のアルバムにあったものではなくて、昨日、押入れをひっくり返していて初めて目にしたものです。正確には、約60年ぶり、父のアルバムにありました。

何のことはない、父は写真を撮っていた。どうりで写っていない筈でした(オチになったか)


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   ここで余分な写真を2,3枚入れさせて頂きます。

   左はブックオフで150円で買った昭和42年発行
   「日本の美」という各地を写した写真集です。

   ここから転写して当時の東京を上の写真と比べて
   また今と比較して見てみたいと思います。










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第1ページ。東京タワーが建って随分経ちますが、依然、東京の象徴。見出しは「首都黎明」。


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         日本中どころかアジア中が圧倒された光景であったのですが・・・


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新宿西口広場の写真を紹介した理由は、設計したのが羽島市出身の坂倉準三氏だからです。


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ビルの屋上のビアガーデン。左上に昭和45年開催日本万国博覧会。これが日本の夢でした。


アルバムから1 始まり 竹鼻まつり

「アルバムから」という新しいカテゴリーを立ち上げたいと思います。

他人の家に行ってアルバムを見せられる位詰らないことはないのはよく知っとります。
又私もそう自己を表わしたいとも価値が有るとも思っていませんが、正直タネ切れです。

他の方のブログを見ますと、旅行に行ったり美味しいものを食べたり、かつまた映画・コンサートとどんなにか楽しいだろうなと羨ましい限りです。

私の場合、大仏さんがあって家に張り付きですし、乏しい年金暮らしですから手元不如意です。

事情ご寛恕頂きまして、ご愛顧賜ります様に!年代はバラバラ思い付きでアップします。


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小学校2,3年生のころの町内で子供みこしをかついだ時の記念撮影です。昭和33年頃?
下から三段目右から5人目の左手を顔に当てがっているのが私でないか?
これをご紹介した理由は、私の町内は上鍋と言いますが、今上鍋子供会はゼロだからです。

羽島市自体は漸増傾向にありますので、いかに中心市街地が空洞化しているか分かります。
懐かしい時代であります。


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   前の四辻で撮ったものですが、まだ道路が舗装されていませんね。バックのセイラー服とお婆さん方が何ともレトロです。


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