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みなさんこんばんは。
そしてお久し振りです。
震災から半月ほどが経ち、徐々に復興も進みつつあるとは言え、実際に被災された方々の心に残された傷が癒えるのはまだまだ先のことになるのでしょう。
この度震災に見舞われた方々には心よりのお悔やみと共に、一日でも早く、一人でも多くの方に笑顔の日々が戻ることをお祈り申し上げます。
不謹慎であると言われてしまうかも知れませんが、わたしは撮影の現場に復帰させていただいております。
今のわたしに出来ることは、少しでも震災以前の生活や経済活動を取り戻してゆくことだと思うのです。
災害による自粛ムードによる経済不安や企業の倒産などがあれば、それは立派な二次被害ですからね。
元気でいられる人は元気に、笑顔でいられる人は笑顔で、最低限の思いやりと助け合いだけは忘れずに、働き、お金を回し、ものを食べ、精一杯生きてゆくことが務めであるとわたしは思います。

さて、もう月も変わり春本番、年度も変わりますので新しい生活を始める方もいらっしゃることでしょう。
月日の流れは情か無情か当たり前の様に流れてゆきます。
外を歩けば辛夷の花が咲いていましたし、紫陽花の新芽も碧々と伸びておりました。
もうしばらくすれば桜の開花も徐々に北上してゆき、日も高くなり、途端に春めいた様子になってゆくことでしょう。
春の訪れは待ち遠しいのですが、実はわたしは毎度のこの季節の変わり目というものがあまり得意ではありません。
体調を崩し易いとか期間限定のお気に入りのお菓子が店の棚から姿を消す、等の理由もありますが、わたしのその不得意な感じにはまた別の原因があるように思えるのです。
何が、と訊かれるとそれはとても漠然としていて曖昧で、言葉で説明するのが難しいのですが。
強いて言うならば名残惜しさの様なものでしょうか。
去ってゆく季節が冬であれば、その冬にあった全てのことが季節と共に過去のものになってしまう。
出逢った人、触れた温もり、感じた想い、この冬にあったことは、冬の間は思い立ったときすぐに手に取れるところに散らばっていて、思い返そうとすればその輪郭も温度も声色もごく鮮明に思い返すことができるのです。
しかし季節が変わり、この冬が過去という大きな箪笥のどこか隅の小さな引き出しに仕舞われてしまうとそうはいきません。
仕舞った場所を思い出して引き出しの中を探るうちに、それら一つ一つの事柄は全くリアリティの欠けた、ニュースペーパーに活字だけで記載された記事の様になってしまうのです。
だから季節の変わり目、特に新しい季節が始まったばかりの辺りは、前の季節にあったことをちょうど箪笥に仕舞い込んで手近に思い返せることが何も無い、まるで夢から覚めてぼんやり天井を眺めているだけの時の様な感覚になってしまうのです。
不思議と、年を重ねれば重ねる程にこの感覚に慣れるどころかどんどん苦手になってゆきますね(苦笑)
季節を重ねる毎に箪笥の引き出しが増えていって、思い出を探すのが大変になってゆくからでしょうか。

さて後ろ向きな話を語りたいだけ語り尽くしたお陰で少し前向きな気持ちになれた管野です。
後ろ向きになりたいときには思う存分後ろ向きになってみようと最近思うのです。
無理して前を見て歩こうとしても、「やっぱり無理だよー。」と前を向いてはいるものの視線はずっと足下で、前を向いた意味が無くなってしまうんです。
でも存分に後ろ向きで歩いてみると、「なんか後ろ向きの景色飽きたな。しかも後ろ向きで歩くのは疲れるな」なんて思って前を向きたくなるものです。
どうせ歩いてゆく方向が同じなら後ろ向きより前向きな方が楽であることに気付けるのです。

最近セックスやSMや愛について色々考えておりますので、次回の更新では考察風な記事にしようかと思っております。
毎度のことながら拙い文章にお付き合いさせてしまい申し訳ございません。
そしていつもいつもかわらず応援して下さり本当にありがとうございます。


思い出になんかしたくない
あなたの声も温もりも
与えてくれる苦痛さえ

思い出として仕舞っちゃったら
妄想だとか夢だとかと混ざってしまう

ねえあの熱さが苦しさが
ねえあの甘さが愛しさが
夢や幻じゃないと証明してよ

だから季節が変わる度
わたしを抱いて
「あいしてる」をきかせて

One season,One sex.