前々話まで見終わり、前話を見終わってない段階で、最終回を見てしまいました…。
なので雨木副校長(風吹ジュン)の息子の辺りはよくわかりませんでしたが…。あとで前話も見てみます。
このドラマ、前半部分はWの勉強不足の部分も感じられ、また社会派を目指しつつやや失敗している感があったものの、訴訟編からは持ち直したというか、社会派ドラマになった気がする。確かに訴訟編でもまだ変な部分は見受けられるものの、いじめ自殺が相次ぐこの世の中で、いわゆる”大人”側が作ったドラマとしては、それなりに評価できる内容だったのではないかと思う。最終回は生ぬるいという批判もありえそうだが、これが訴訟的にも妥当だし、現実的にも妥当なのでは。
いじめている側がいじめられる側に回るというのは、ドラマだと時々見るけれども、世の中的にはあまりありえない気がするが。いじめられる側というのは、概して「コトー2006」のアオイユウの役のようなタイプだと思う。おどおどしているくせに無神経な気配が漂っている人がいじめられやすいように思う。
なので、父親のことがばれたとしても、おどおどしなければ、そしてまた無神経でなければ、1ヶ月もすれば皆も忘れるのでは?
そもそも父親のことを自分で公にしたわけであり、学校のことは予見できたはず。そして新聞に載った後に学校に初めて登校する日は、強めの態度に出るべきだと思った。あんな風におどおど「おはよう」とかいって無視されるのではなく、「何無視してんだよ!」とか言ってその辺の机でもけっとけば、いじめられることはないのでは? そもそもいじめる人間がいじめられる側に回るなんていうことは、あまりない気がそもそもするが、深刻なまでのいじめが浸透している学校だとそういうこともあるのだろうか。
とか、まあそういう変な部分も訴訟編でも見受けられたものの、”死なないで!”という強い主張が、そしていじめられる側の辛さが、教師に出来ることは何かという現実論が唱えられていて、ドラマとしてできることは頑張ってやったのではないか、と思う。
いじめられて現実がつらくて逃げたくて死にたくなる人に対して、”あなたが死んだら悲しむ人がいる”というのは、友達や親や教師に恵まれている人に対してのみしか成り立たない対抗言論であり、明日香ちゃん(志田未来)のように親にも友達にも教師にも恵まれない子で、かついじめられる子もいるわけで、どういう人に対しても成り立つ”死なないで!”の理由として、私が生きているのは今日だけじゃなくて、過去から未来へと連なるもので、そして私が今日生きるのを辞めれば昨日の私、明日の私が悲しむという説明をしていた最終回でした。
ものすごい吸引力でひっぱるような説得力はないし、”大人”側で見ている私も、そんなに説得力は感じなかったものの、でもそれでも関係ない赤の他人でも、いじめなんかで死なないでくれと思っているという、切実な”大人”側の叫びを、少しでもいじめられている側に届けられれば、という思いのドラマだったのではないか、と思う。
昨日の私、明日の私が悲しむというような話だけではなく、そもそも中学校は特殊環境だと思うので、中学校だけを見て自分のこれからの人生を悲観する必要はないと思う。このドラマでは、いじめている側も心に傷を負った存在というようになっていたが、それは私の知る限りはないと思う。苛酷ないじめをする人たちは心に傷を実は負っているのかもしれないけれども、シカト、落書きぐらいのいじめなら、いわゆる大人が考える”普通”の子だって普通にやるのでは? そんなの大人だって、自分が中学生時代を振り返れば、自分のクラスを振り返ればわかることなのに、忘れてしまうものなのだろうか、不思議だ。
その辺りも、このドラマでは、いじめる側にも心の痛みがあるという変な偽善論に仕立て上げていて見ていて変に感じたものの、いじめる側も、親が買春をしているとか、自傷癖があるとか、そんな深刻な問題ではなく、そもそも中学という環境自体が、人生上、稀に見る極度の閉塞空間なことが原因なのではないか、と。
毎日同じ席で回りの席も毎日同じ人で、そして会社のようにある程度のプライバシーもなく、回りも子供なのでずかずか踏み込んできたりするし、明日香ちゃんの友達がひどいことを明日香ちゃんに言っていたが、子供というのは大人よりもひどい存在で、ずけずけとひどいことを時に口にして、まあそういうことだけではそんなに辛くないにしても、そもそも常に同じ世界しかなく、会社だったら会社を出た後に気晴らしとか自分の時間や自分の世界を持てるけど、そうじゃなくて、子供だから気晴らしも限られていて、学校と家の往復で、友達は固定されていて、先生も固定されていて、世界が非常に閉じられていて、そしてまた皆思春期で身体の具合が悪かったり、精神面が不安定だったりして、色々あって、先生たちもつまらない日常のせいか、果ては生徒にいじめられるストレスゆえかよくわからないが生徒をいじめたりして、生徒も生徒をいじめたり教師をいじめたり、いじめぐらいしかストレス発散がない気もする、非常に稀に見る閉塞空間なわけで、
私はいじめられることはなかったが、中学時代は身体の具合が悪かったし、色んなことを悲観する性格だったので、何度も死のうと思ったけれども、その後、あの時死なないでよかったと思えた。思春期は特殊な状況なので、あの状況でその後の人生を全て推し量ってはいけないと思う。中学から身体を壊して一生身体の具合が悪い人も確かにいるし、中学からいじめられ、大人になっても一生いじめられ続ける人も確かにいるが、端から見たら中学から同じ状況に見えても、大人になると中学校時代とは違って別の世界を持てるので、心が違うと思うし、中学時代は身体も心も不安定なので、中学時代は身体が悪かったりいじめられたりしても大人になって治ることもあり、中学生のときに死なないで、とりあえず生きてみることは重要だと思う。大人になってもつらかったら、そのとき死ねばいいのだから。
私は会社に入ってしばらくは楽しかったものの、途中からあまりに辛くて本当に死のうと思って、だったら中学のときに死のうと思ったときに死ねばよかったと思ったこともあったけれども、今はあの時死なないでよかったと思っていて、とりあえず環境を変えてみて、辛い現状から極力逃げる努力をしてみて、それでも現状が変わらなくてにっちもさっちもいかなくなった最後の手段として自殺をすればいいと思う。自殺は本当に最後の手段であって、生きていても辛い状況から回避できることはいっぱいあるのだから。
そして、このドラマでは学校側を訴えていたので、一部棄却になっていたが、一部棄却は一部勝訴と同義だし、そもそもいじめっ子の親をあの後もしくは同時に訴えればそれは勝訴(これもまあ一部棄却だろうが、額の問題だし。そしてこのドラマの一部棄却も慰謝料のみは取れたので、100万とかその程度は取れたのでは?)になるわけで、一部勝訴であっても、額が少なくても、勝つことがいじめられている側にとっては重要だと思われ、証拠さえ揃えば、絶対に裁判になったらいじめられていた側は勝てるので、いじめられているときに弁護士に相談して、着実に証拠をそろえることが重要だと思う。そして死なないで、転校するなりフリースクールに行くなりして現環境からの脱却を図る。いじめっ子に対する制裁は、証拠をそろえたら、傷害なり恐喝なりで刑事事件(少年だが…)にもできるし、民事で訴訟だっていくらでもできるんだから、死ぬ必要はないと思う。
しかしそれにしても、仁科さんは見ていてひどいなあ、と思った。兼良陸よりもひどくないか? 友達なのに、「親がいない子に同情なんてされたくない」とか「かわいそうだから一緒にいてあげただけ」とかそういうことを言って、挙句「じゃあ、変わってよ」と言って、明日香に非はまったなく自分が勝手にいじめられていただけなのに、明日香がいじめられる役を変わってくれたというのに、あんな態度とは…。
で、久しぶりに話したら、明日香はとても優しくて、なのに自分が窓に身を乗り出したから明日香もあんな姿勢をとってしまって、で自分ではなく明日香が転落して窓から落ちて死ぬだなんて、ひどすぎる。
ありゃ、まともの神経の持ち主なら、「死刑にしてください」とか言いたくもなるわな。おかしくもなるわな、と思った。
あの子、ちょっとひどいと思うけど。いじめよりもあの子の裏切りの方がひどくないか?まあどっちがひどいか決めるのは難しい問題だが、ちょっと見ていてひどいなあ、と思った。
そしてそれをひどく傷ついて後悔した様子で語る仁科さんを見て、そして明日香が生きようとしていたことを知って呆然とする珠子(菅野美穂)を見て、涙…。仁科さんの告白もすごすぎて、途中から見ていて涙でしたが…。
菅野美穂も仁科さんもやや演技がかった演技でしたが、あまりの内容に見ていて涙でした。
しかしこのドラマは演じ方がすごく難しいなあ、と思った。これ、うまい俳優をそろえているから見られるけど、下手ないまどきの役者陣をそろえていたら終わりではないかと思うほど、演じ方が難しいと思う。
大倉孝二や佐藤二朗でも、そんなに”うまいなあ”と見ていて思うような演技ではなかった。菅野美穂も電車男も酒井若菜も”うまいなあ”とはそれほど思わなかった。菅野美穂については、元夫と喫茶店で話しているシーンなんかや、あとは明日香の子供時代のことを思い出すシーンなんかはわりと良いと思ったけれども、最終話なんかはとても難しいので、悪くはないが”うまいなあ”とも思わない感じだった。このドラマ、うまい役者が揃っているのに、見ていて役者について”うまいなあ”と思うシーンがあまり多くはないという感じ。役者にとってはとても演じるのが難しいドラマだったのでは。
しかし、坂本裕二のわりには、とてもよく描いていたと思う。前半は変だったけど、訴訟編以降は良く考えていて、”大人”側が作るドラマだけれども、”死なないで!”というメッセージを強く出していて、いじめをとりまく、いじめられる側、いじめる側、親、教師、生徒という色んな立場をきちんと描いていて、それなりの作品だったと思った。
あと、追加の感想としては、ポーちゃんが言っていた、「いじめられるのは恥ずかしいことでしょ?」という台詞で、なんだか急に中学時代を思い出した。大人になるとそういう感情を全く忘れてしまっていた。確かに中学時代は、いじめられる人は中学校の中の序列では下の方という認識があったように思う。その次がいじめられはしないけど友達がいない人だったような気も。しかし大人になればそんな序列もなくなるので、忘れていたが、確かに中学時代とかはいじめられることは恥ずかしいことだったように思って、ニュースとかを最近見ていると、自殺する前にどうして親に相談しないのかな、とか思っていたけれども、恥ずかしくて親にいえないという気持ちもあるのだろうか。
私は小学生の頃から痴漢にあう、ロリコン受けする子供だったのだけれども、痴漢にあったことは親にいえなかった記憶がある。別に痴漢にあう人は序列として下という認識は当時もなかったし今もないが、なんとなくいえなかった。序列云々の問題じゃなくて、親にいえないことも子供にはあるのだろう。そして大人になるとその感覚を忘れてしまうのだろう。
でも痴漢にしろいじめにしろ、親に言って、大人に対処してもらうべきであって、そして大人も学校に言うなり教育委員会に言うなり、相手の親に言うなり、または転校するなり、登校させないなり、訴えるなり、色々対策はあるわけで、絶対に被害者は泣き寝入りをしてはいけないと思う。
ただまあ、訴えると相手方の反論もあるわけで、単純にいじめられているわけではなく、色々な問題がある場合はそれが明るみにでてしまうわけだが、まあ教科書を何冊もダメにされて質屋に行くしかないレベルとか、水を頭からかけられるとか、何十万もカツ上げされるとかいう深刻なレベルに達していれば、躊躇せず訴訟を提起したほうが良いのでは? そういう深刻ないじめの場合、最悪な場合マットいじめ事件とか、先生も参加した葬式ごっことか、そういう事態にまで発展する可能性もあるのだから、さっさと対処した方がいいと思う。
とまあ、色々考えさせられるドラマで、坂本裕二のわりにはとてもよく頑張っていたドラマのように思った。このいじめ自殺が相次ぐ時代に、子供、そして大人に対して訴えかけるドラマとして、とてもよく頑張ったと思う。私の中で拍手です。ドラマとしての整合性とか出来とか、加治のキャラの整合性とか、積木珠子と谷原章介の婚約解消の流れの不可思議さとか、そういうことは確かにあったけれども、そういうドラマの出来云々よりも、この時代に”死なないで”というメッセージを強烈に打ち出し、偽善論に終わらず、いじめと一生懸命向き合ったドラマのように思う。制作側は良く頑張ったと思った。
わたしたちの教科書5/31#8
夢を示せない大人と、勉強のしすぎ
わたしたちの教科書4/19#2
わたしたちの教科書4/12#1
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