67151eb6.JPG 今日は2月4日「立春」です。旧暦ではこの日から春が始まるということになっています。その前日(2月3日)を「節分」といい、季節の分かれ目ということからこう呼ばれるようになりました。

 節分の行事では「豆まき」があります。私も子供が小さい時はよく豆まきをしたものですが、最近はしていません。季節の変わり目には「邪気」がたまるということから「悪霊払い」の意味で豆まきをし、大声で「鬼はそと」「福はうち」と掛け声をかけていました。そして年の数だけ豆を食べるという習慣です。だいたい鬼の役は父親がすると決まっていて、昔は「お父さん、早く帰ってきてよ、鬼が居ないと豆まきできないから」と出がけに言われたものです。家族との触れ合いやコミュニケーションのためには、よい風習は残していきたいものです。

京都 話は変わりますが、我々は日々仕事に追われ「苦しい」とか「辛い」と思うことが多いのではないでしょうか。数年前、京都の浄土真宗の寺「浄泉寺」の住職、大原光夫師とお会いする機会があり、著書をいただきました。その中で興味深い文章がありましたのでお話します。

 『逆説』
 「苦しみは、それが実体ではない。楽しみが終わった状態。楽しみは、それが実体ではない。苦しみが終わった状態」(一遍上人のことば)

 苦しい中では、それが気の遠くなるほど続きそううに思います。また楽しいことは永遠に続いてほしいと思います。そんな時には、逆の立場に身を置いて物事をみる。「早くから楽しみでわくわくして待っていたものも、過ぎ去ればあっという間でした」という体験から思えば、一遍上人のことばの真意もうかがい知ることができます。

辛いと幸せ もうひとつの話は『無化』
 聞き慣れない言葉かもしれません。「意味のないものにしてしまう」と理解していただくとわかりやすいかもしれません。例えば「幸せを無化する」という場合、生まれてこの年になるまでずっと幸せばかりだったら、人はそれを「幸せ」とは感じません。「辛い」ことや「悲しい」ことを、どれだけくぐり抜けたか、そのことでしみじみと感じることができるわけです。都合の良いことばかり願い、辛い苦しみから逃れようとする人生。それを約束する宗教は、本当の生きる事を「無化」するものです。「辛い」に「一」を加えるだけで「幸せ」という字になるでしょう。辛さに立ち向かってください。

 私は目からウロコが取れた感じがしました。皆さんもこのような「発想の転換」をしてみてはいかがでしょうか。

Water Management Company
  カンパネ株式会社
http://www.kanpane.co.jp