2013年11月03日 18:11

○○ちゃんへ
あなたからのお手紙「友だちいますか」にお答えします。
これは、私には大変難しい質問でした。「友とは・・・・・・」は簡単には答えられません。
古今東西、文学、哲学、芸術の分野で表現され、優れた作品が沢山あります。
私は、中、高生の頃、ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳)の詩集をカバンに入れて持ち歩いていました。「困難な時期にある友へ」が好きでした。」

あなたも、「友だち」を意識する年齢になられたということですね。あなたは、素直に気軽に問われたと思います。私もありのままの心境を吐露いたしますね。
お茶とか或いは会食しながら、お喋りして楽しいひと時を共有できる人を、「友だち」というなら、「友だち」は今現在3人です。
以前は仲の良い友だちでしたけど、嫌なことがあってそれっきり疎遠になった(いつか仲直りできるといいなあと思っていますが・・・)とか、気にはしているけどご無沙汰しているとか、はなから挨拶程度の仲間など、広い意味の友だちは数えきれません。生きている人間は、変わることがあるので解りませんが、一生を終わられた方なら、確信を持って言えます。私の「親友」は2人です。AさんとBさんです。

Aさんは14年前、病床で私にこう言いました。「わたし、子供や夫に恵まれ幸せだったわ。それに、あなたとゆういい友だちにも恵まれてホント幸せだったわ」。それから、3カ月後、彼女は天国に召されました。「幸せ・・・」と言っていた彼女の言葉を想い出す度、私は自分に勇気が湧くのを感じます。(わたしいいやつだって)って、ひとりごとを言います。すると元気が出るのです。

Bさんは、3年前、入院2日目に昏睡状態になってしまい、それっきり目覚めませんでした。彼女の末娘さんから、「母が荒川さんを呼んでいます。」とのメールを頂き、直ぐ駆けつけたのですが、彼女はもうねむっていました。(冷たい手をして)
その時、娘さんから聞いたのですが、母は誰にも会いたくない。親戚の人たちにも、父にすら会うのを拒んでいます・・・と。彼女が私に言おうとしたことって「なに?」なにかしら、とうとう解らず仕舞いで残念というか、悔しくて、悲しくて、しばらくヘコンデいました。あれこれ思いめぐらした結果、彼女の最期の言葉は「ありがとう・・・」ではないかと思えるようになりました。時にはお節介なくらいの気配りの人で、思いやりのあるやさしい人でしたから、その言葉がいちばん彼女らしいと・・・。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」座右の銘にしています。
あなたは、まだまだ若い。これからの人です。どんな困難に出遭っても、いつもプラス志向で、生きていってください。あなたに、いい友だちできますように祈りつつ… お体をお大事に・・・・・。

2013年10月28日
漢方薬局のおばちゃんより(荒川記)


2012年06月18日 10:30

先日、商店街の通りで、2人の人が暴走車に跳ねられた、という事件がありました。
運転者は、違法ハーブを吸って精神錯乱した22才の若者でした。明日はわが身かもしれない・・・と思うと空恐ろしくなります。こんな事件が後を絶ちません。
 違法ドラッグは、それまで規制薬物ではないからと、「合法ドラッグ」と呼ばれ、その後、法律の網をすり抜けていることから、「脱法ドラッグ」と呼ばれ、その違法性や問題性を明確にするために、平成17年厚生労働省は、「違法ドラッグ」と呼び方を改めました。
平成19年4月から32種の「違法ドラッグ」が指定されています。また違法薬物と成分構造の似た物質を一括して規制する「包括指定」の導入も検討しているとのことです。

 それでは違法ドラッグとは、どのようなものなのでしょうか?
麻薬や覚せい剤と、構造式の基本骨格が同じで、先っぽ(側鎖)をちょっと変えただけの類似物質です。作用も麻薬・覚せい剤と同じようです。つまりC、F、CH3とかをくっつけたり、取り替えたりして、規制をのがれた新型をつくっているのです。

化学式
化学式


違法ドラッグは、いろいろな名目で流通しています。
研究用(ケミカルドラッグ)、床用ワックス、 芳香剤、アロマリキッド、バスソルト、植物標本・種、ハーブ(といっても植物乾燥片に合成化学物質を、浸み込ませたもの)、お香、ポプリ。

 乱用すると、どうなるのでしょうか?
喫煙すると、肺から血液中に入り、すぐ脳に達し、脳の働きをかく乱して、精神に異常をきたします。脳の神経伝達物質の中には、神経の興奮や抑制などに、重要な役割を担っている物質(ドーパミン・セロトニン・ノルエピネフリン)がありますが、違法ドラッグは、それらのやりとりを妨害し混乱させるのです。常用して、本人はもとより家族をも悲惨のどん底に落としてしまった例は、枚挙にいとまがありません。それ故に私は、麻薬=魔厄と言いたい訳です。
 
 はたして薬物依存から抜け出せるでしょうか?
実は、私ははじめ「君子危うきに近寄らず」的な思いで資料を集めこの文章を書き出しましたが、本屋さんで、松本俊彦(著)「薬物依存とアディクション精神医学」(金剛出版)に出会い買いました。読み終えた後、しばらくボゥーッとなりました。目からウロコとでも言いましょうか、自分の視点が変わったように思います。この本の著者は、書の中で薬物依存者の多くは心の底に“さみしさ”を抱えていると看破されています。再発のリスクをはらみながらも「寛解」はするとおしゃっています。なるべくクスリを使わず、虚心坦懐に患者から学ぶという姿勢に心打たれました。

 他にも医原性の薬物依存があります。向精神薬です。鎮静薬・睡眠薬・抗不安薬などの副作用で苦しむ子供たち・・問題山済みですが、なるべく薬に頼らない努力をしたいものです。アルコール依存も同様に増えています。

 東京都でも、小学生では「クスリとはどういうものか」。中・高生では「薬物乱用することに依って、どのような症状がでるか・たとえ誘われてもその断り方」等々の啓発活動を行っています。
我々も、薬物乱用を許さない、それを作る奴も、売る奴も許さない、という社会風土を作らねばならないと思います。まず大人が襟を正して、子供達を守るために協力しましよう。 
 荒川記      


2012年05月28日 09:30

今から50年程前、山間(やまあい)にある土合駅はホームが短くてはみ出た人は、列車から線路に飛び降りるのです。建物は駅舎以外に何もなく売店もありません。
窓口で入山、下山の手続きがあり、記帳を済ませると、そこから数m先に川幅3mほどの橋があり、橋を渡るとすぐ登りです。下山途中、橋の近くで気付きました。(登る時は足元ばかり見ていて気付かなかったのですが・・・)
「○○ここに眠る」の墓標があっちにも こっちにも立っていたのです。橋迄あと10数mかほんの数mなのに、なのにここで力尽きて無念の最期を遂げられたのでしょうか。
信じ難い光景を目の当たりにしたのでした。何故?冬山?ロッククライミング中?山の濃霧にやられた? まるで「三途の川」ではないか 私の身に戦慄が走りました。

谷川岳は美しい。  夏の時期に尾根伝いに歩く分には、なだらかでらくらく。 眺めは最高。
河合酔茗の詩(山の歓喜※)そのままです。・・・が、帰りに恐ろしいものを見てしまいました。
牙を剥いた別の顔の山が、そこにいたのです。
墓標の数は沢山あり(数えるなんて不遜なこと出来ません) またその何倍もの沢山の人々が、悲嘆にくれたことでしょう。悲しみの霊気が渦巻いているかのように見えました。 私はその谷川岳を最後に 後数十年登山といえるような山らしい山には 行っていません去年までは。 去年9月の燕岳は、ツアーでガイドつきでしたから、チャンスとばかり参加しました。そこで自分の体力と相談して、北アルプスにお礼と別れを告げてきたところです。
青春に一区切りがついたように思え、良き想い出が出来て満足しています。

河合酔茗     ※山の歓喜  「弥生集」(大正10)所収

あらゆる山が歓(よろこ)んでゐる
あらゆる山が語つてゐる
あらゆる山が足ぶみして舞ふ、躍る
あちらむく山と
こちら向く山と
合つたり
離れたり
出て来る山と
かくれる山と
低くなり
高くなり
家族のやうに親しい山と
他人のやうに疎(うと)い山と
遠くなり
近くなり
あらゆる山が
山の日に歓喜し
山の愛に点頭(うなづ)き
今や
山のかがやきは
空一ぱいひろがつてゐる
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荒川記


2012年05月20日 22:16

特効薬はウイスキーです。
食卓を片付けていて、ウイスキーボトルの蓋を閉めようとした時、いい香りがしました。ちょっと味見したら「あっ!これ!」って解った次第です。
「子供にお酒なんて!・・・。」なんて目くじら立てないで下さいね。「酒は百薬の長」の意味を身を持って教えて下さった小松先生に感謝しているのですから・・・・。

言葉の持つ意味が、推量とか、想像ではなく、体験して初めて解ったってこと、ありますよね。
例えば「断腸の思い」  はらわたがちぎれるほどって、どんな程度かわかりますか?
私は50代半ば頃体験する羽目になりました。腸閉塞で入院手術をしたからです。
術後、若い担当医が「荒川さんあと2時間遅れていたら、腸が腐って落ちるところでしたよ。」とおっしゃいました。(助かって良かったですねぇ・・・の意を含んでニコニコ顔です。)
「えっ!手遅れになったかもってことですか?わたし5日前から入院しているんですけど・・・。」言葉は喉までで、声は飲み込みました。只ア然!
入院から手術迄の5日もの間、痛みは昼夜別なく激しくなる一方でした。したがって一睡も出来ません。問いかけられてもハイ、イイエとしか応じられないほどつらかったのです。
体験してはじめて「断腸の思い」という思いの深さ、重さを思い知った訳です。

絶対に体験してはいけないものもあります。
脱法(だっぽう)ハーブもその一つです。
「麻薬」を麻に草冠+楽=薬と書くのは間違いであると思います。
麻薬=魔厄と書いたらぴったり意味も合うのにと思っています。
後日、脱法ハーブについて書きたいと思います。

次回は谷川岳での体験をお話ししますのでご一読下さい。
P.S.現在は気付け薬、救急薬として、携帯にも便利な高貴薬があります。

荒川記


2012年04月30日 10:19

初めまして、かせだ漢方薬局の新任薬剤師の荒川です。
私は昨秋 齢 72で 北アルプス燕岳(2763M)に登りました。
頂上に立った時、思わず涙ぐんでしまいました。
その訳は今から61年前 疎開先の安曇野の小学校で燕岳登山という課外授業がありました。その当時のことを思い出しぐっと胸にきたのでした。
燕山荘(えんざんそう)から頂上迄は真っ白で美しい花崗岩の道が続きます。
それを雪渓と勘違いしてしまった私はえっ!雪の上を歩くの?! すべちゃう コワイと思った途端(せんせ-い もう歩けません)と叫んでいました。
担任の小松優一先生はご自分のコートを脱いで私を包み(ここで待っていなさい)と岩陰に私を座らせました。頂上までの一本道、みんなの頭の行列がだんだん小さく、短く なって、ついに消えてしまいました。
冷たい風がプュープュー頬を打ちます。
実際は40~50分位だったのに、その時は、先生のコートの端を握りしめ、涙をこらえて何時間も、待っていたように思いました。その恩師とは、(私は何も恩返ししないうちに)賀状が途絶えてはや、ふた昔になります。 またこんなエピソードもありました 登山中に気分が悪くなった私に小松先生は高山病の特効薬を水筒から取り出して飲ませてくださいました。
一口飲んで(うっつ・・・・)霊験あらたか・・・治りました。
その特効薬が何だったかは それから7年たったある日ある時(あっ!これ!)とわかりました。
あなたはもうおわかりでしょう?
続きは後日にいたしましょう。

では お体をお大事になさいませ。
かせだ漢方薬局 薬剤師荒川拝

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2011年06月08日 10:00


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午後は古城にもどってショッピング。古城、つまり市街地も観光地なので昔の町並みが残っています。

そして、昨日の夜に観た演劇、民俗芸能です。どんなだったかというと・・・。
実はこの日、下痢のためまともに観られなかった。昨日の夜この演劇を観る前、夕飯のころからなんか調子がおかしくて・・・。ということで、どうぞ、是非、観てください。

20110412131910そして、やっと、最後の写真。地元の小学校です。
なんかやっていた。
そして、麗江を後にして飛行機にて昆明へ。

飛行機を乗り継いで広州へ

広州で一泊なんだけどこのとき泊まったホテルがすごかった。かつて中国で1,2を争う白鳥大酒店。もちろん五ツ星。しかし、このホテル滞在したのはわずか5時間。五ツ星ホテルに5時間って・・・。

朝一で広州の空港へ、関空に、そして羽田へ。
やっと2006年の11月の旅行記が終わりです。スンゴク簡単にするつもりが長かった。
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2011年05月25日 10:00

夕方から麗江の古城を観光です。
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中国でもめずらしくきれいな水が豊富な町です。
街のいたるところに水路がめぐっていてこの上の写真一番右端の男の人の下に水路があるのがわかるかな?
そしてわかりにくいけど道に栓がしてあるのがわかるかな。(男の人の頭のあたり)
この向こうの広場はその昔(今もかな)市場になっていてその市場が終わるとこの栓を抜いて水を流したのだそうです。そうすることで市場のあとの掃除をしていたのだそうです。今はゴミが多すぎてやっていないとのことです。残念、みてみたかった。そのくらい水が豊富な土地柄なのだそうだ。今でも使われている水汲み場があったりした。
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夕飯たべてこの日は終わり。ちなみに中華料理は火力が命。コークスでしたからガンガンたいていた。
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麗江の旧市街地へ


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お馬さんに乗って♪
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作りかけのお家です。気づいたかな?木造と石造りの両方よ。土台は石で上は木造。こういったところもめずらしいのです。いろいろいなものが混ざっているけどここが原点だったりする。不思議なところ。
町並みはこんな感じ。午前中は旧市街地、午後は再び古城でショッピング。ちなみに古城とは市街地の意味です。


2011年05月11日 10:00

みんなと別れて一路、麗江へ。
その前に飛行機の時間があったので昆明でお茶屋さんへ。
”隊長”がお茶のことにとっても詳しいのです。
”隊長”から教えていただいたお茶の知識は忘れないように薀蓄を書きたいが長くなるからまた今度。

陳年の(20年以上)普洱茶を探しにお茶屋さんへ。
そこで試飲と称してお茶をご馳走になる。はっきりいって陳年のお茶は手が出ません。
こんなときでしか飲めないお茶をゆっくりと飲ませていただきました。

そして飛行機で麗江へ続きを読む

2011年04月27日 10:00

夜は治安がいまいちらしいが上海に留学している”しんちゃん”と通訳&ガイドでちょっと夜の街を探検。
屋台で夜食をいただきました。

とくに何事もなくたのしくお散歩して、マッサージしにちょっとお出かけ。
ホテルのマッサージは怪しいとの情報がはいったから健全なマッサージへ。
怪しいマッサージにも行ってみたかったけど怖いからきちんと健全なマッサージに。

時間の都合もあっておいらは足裏マッサージを。やってくれたのは現地の女の子。はっきり言ってそこのマッサージのところで見かけた中で一番かわいかった。マッサージ中はずーとみとれてしまった。
なので写真は無し。(あー、オヤジだ)


たった1日の滞在で文山は終わり。翌日はもう帰路へ。
あわただしい旅ですね。
1日かけて昆明に戻って広州へ、
そして日本へ。

でも、おいらとほか4名のあわせて5名は昆明でみんなとお別れして麗江へ向かいます。
ここまでは「ベネセーレ」さんが薬局の先生方を連れてきているため約50名の団体旅行。


みんなと別れてもう少し残って麗江へ旅行です。
そしてここから少数のわがまま旅行のはじまりです。ノープランでその時の気分で進みます。
たった5名のわがまま旅行です。

2011年04月14日 10:00

畑の後は工場に移動です。
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畑からの帰り道に三七を天日干ししているところが見えました。この後は工場へ
取れた三七を洗って乾かしてより分けるのだそうです。

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三七は500gにいくつ、何個になるかでその品質を比べるのだそうです。
10個で500gになるものを10頭根
50個で500gになるものを50頭根というそうです。
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お土産屋さんや薬局では200頭根、100頭根、30頭根などで売られていました。
「ベネセーレ」の「仙三七」は20頭根位の良質の三七を使っているそうです。かなり歓迎され、このあと午後は病院で親善の勉強会、そして夕食はパーティーが開催されました。
 
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民族衣装をきたおネイサンたちが歌とダンス、もちろん現地の民族衣装が華やかで、お料理もいろいろ、三七の料理もでてきました。
インパクトあるのはカエルの炒めもの、アヒルのから揚げ、スズメバチのから揚げ。どれもおいしくいただきました。


2011年04月09日 01:09


東北地方太平洋沖大地震におきまして、被害にあわれた皆様
に心よりお見舞い申しあげるとともに、犠牲になられた方々と
ご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申しあげます。

といっても、春は来ています。

大国魂神社の桜もそろそろ満開です。
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2011年02月19日 10:51

日本をたって3日目にしてやっと目的地に到着です。朝から三七の市場を視察市場はこんな感じ(左)。市場でおばちゃんが三七のひげ根をとっているところ(中)。畑で取れた三七をもちよって市場で取引するそうです。
三七の花、蕾です(右)。三七花茶としてお茶にしてのんだり、文山料理で炒めもので出てきたりスープにはいったりしました。
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2011年02月10日 12:43

2006年の11月の旅行を簡単に。

2006年の9月の勉強会に行った際、懇親会で隣に座った知り合いの先生に「中国に行かないか」とのお誘いを受けて何にも考えずに「行きたい」といったのがきっかけ。
11月のはじめ、行き先は「三七」の産地に行く。そこは中国、雲南省、文山。
「三七」とは「田七人参」とも呼ばれ・・・説明はまた後で。

羽田→関空→中国・広州→昆明。昆明で1泊。
昆明からバスで石林を観光して文山へ
石林(セキリン)は読んで字のごとく石の林
そして、山道をバスで文山へ。何時間かかったかな?
昼に石林を出て、到着は夜でした。
メインストリートにこんなネオンがありました。
10年位前、うちの親父が文山に来たころはネオンどころか信号は1個、道中もまともに舗装されたところはあまり無かったそうです。
翌日は「三七」の市場と畑を見学する。
名称未設定 1名称未設定 2続きを読む

2010年05月15日 16:27

営業時間
10:00 〜 18:00

休業日
日曜日、祝日



漢方相談をなさる方は日時を予約の上、ご来店ください。

TEL 042-368-0057

2009年06月30日 11:40

 約6ヶ月間休んでしまいました「けんこう小話」、又少しづつ書き続けます。
 10月に転移が発見され、12月より2週間ごとに、抗がん剤の点滴が始まりました。ガン細胞をやっつけるため、身体の中に毒素を入れるのですから、正常細胞もたまったもんではありません。それより入院と聞いただけで、気は滅入ってしまいます。

抗がん剤の点滴が始まるとき、副作用の一覧表が渡されました。
副作用を期待して点滴を受ける人はいません、誰だって副作用が起きないことを願っています。私は尽かさず枠順を作り、看護師や医師に「どの副作用が出るか賭けてください。副作用が出ても楽しめるほうがいいので」といって投票してもらうことにしました。
 看護師も医師もびっくりしていました。誰も投票はしませんでしたが、私の発想に驚いたようです。でも考えてみてください、副作用が出て滅入っているよりも、副作用が出て当たった、外れたと騒いでいるほうが健康的(?)でしょう。私の病室をのぞいて「どんな副作用が出ました」と声をかけてくれた看護師さんもいました。

 抗がん剤の点滴は、吐き気止めの点滴を入れてから行います。まる2日間継続して注入します。精神的なものだけでなく、点滴が始まって数時間後から、からだはだるくなり、全てが面倒くさくなります。テレビもラジオもみたり聞いたりするのもうっとうしくなります。思考力が全くなくなります。2日目になるとただ横になって寝ているだけです。

 点滴が終わって、5~7日経つと普通の生活ができるようになるのですが、次第に味覚に異常が出てきて、食べ物の味がわからなくなり、食べる楽しみが奪われてしまいました。
 ある程度調子がよくなって一週間すると、再び抗がん剤の点滴が始まります。これを10回続けてきました。しかしがん細胞には変化が見られません、悪くはなっていないようなのでまだましです。しかしからだは弱っていくのが自分なりに判ります。

 5月から抗がん剤を変えてみることになり、13日に入院しました。からだは入院を拒否したのか、微熱が続き抗がん剤の使用が延期してしまいました。
 22日になってやっと点滴が始まりました。前と同じように吐き気止めに始まり、46時間継続的に点滴します。前の抗がん剤よりからだのだるさは感じません。副作用が出ないことを願っています。点滴が終わって退院することになりました。


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