2011年09月15日

作品紹介●2011●『トランスジェンダー・ライブ!』

「23人のクィア・ミュージシャンがそれぞれの生き方とパフォーマンスに込める想いをつむぐ。声や外見、ホームグラウンドの話題にその特異な生の歩みをうかがわせつつ、話は核心に迫る」

と、紹介されているのだけど、
そう、そうなの。まさにその通り。

こうして、さらっと言うのは簡単だけど、ちょっと想像してみてください。


23人いたら、23通りのそれぞれの人生があって、
みんな、いーーーーろいろな経験を経て、
様々な想いがある。

トランスだから、クィアだからって、みんな同じじゃない。
人種も、身体違和の感じも、環境も、年齢や世代など、その他ぜーんぶ、同じな訳じゃない。

でもやっぱり「クィアであること」は、この社会・文化の中で生 きてく上で、
それなりの困難さがともなってくるのも、また事実。

「そうだろうね」といわれれば、それまでなんだけど。

これはそのまま、それぞれの人々の
正直な、リアルな生きざまのドキュメンタリー。

そこで、音楽を通して「自分(どんな自分であろうと)」を表現してきている/しようとしているミュージシャンたちの声や音、姿勢は、グサッと胸に刺さるのですよ。

「自分らしくいること」「自分であること」に忠実に向き合って、困難や苦しみとも真正面から向き合っていく・・・。

これは、「音楽してる」とか「クィアである」とかじゃなくても、
ひとりの人間として「自分」というものに正直に向き合おうとするならば、どんな人にもどこかの場面で、起こり うることなんじゃないのかな?

自分も音楽が好きで、特にUSインディのライオットガール・ムーブメントに関係していた人 たちの音楽や、ホモコア、クィアコアとかのシーンからとても影響を受けた者の1人としていうと、
やっぱり音楽の力ってすごいな、と改めて思う。

ここからもっと個人的な感想になります(長文ごめんなさい!)。

10年以上前になるけど、私は
『Riot Grrrlというムーブメント 自分らしさのポリティクス』
という題で論文を書いて、それをジンにしています。
(*『Riot Grrrlというムーブメント 自分らしさのポリティクス』 http://irregular.sanpal.co.jp/?p=2201 )


やっぱりさ、
この社会で幅をきかせている規範や差別(例えば異性愛主義、性別差別、人種差別、宗教差別、健常者中心主義、痩せていて若い娘に価値を置くような「美」の基準や、権威主義、資本主義、階級差別、学歴差別や年齢差別などなど挙げればきりがない諸々たくさん!!もうウンザリ!)の中で、どうやって自尊心をキープして生きていくのか?って、私たちが自分が自分らしく生きていくために、本当に必要。

だから「自分らしくいること」って、それ だけで超政治的なの。
でしょ、私が言いたいことは伝わっているかしら?

もし実感が湧かなければ、それはもしかしてあなたはこの社会でマジョリティとしと無感覚に無自覚に生きてきたことの証明かもしれないですねFUCK!
もっと想像力を働かせてみてね。声に出せない声は、この世界に充満してるのですから!!!

これは重要なことだと私は今でも思っているし、きっと死ぬまでそう思っていると思う。

生きてくだけで、すでに大変で超政治的なのに、
音楽パフォーマンスを通して、
それを表現しよう、人に伝えようってんだから、
本当に尊敬するし、涙が出てくる。

私も、自分のアイデンティティ・クライシスの頃、当時むちゃくちゃ救われたバンドのひとつTeam Desch(チーム・ドレッシュ)があるのだけれど、このドキュメンタリーでも、「若い頃Team Dreschを孤独に聴いてるクィア=自分」のことを言ってる人がいるのね。
これには、やっぱり改めて感動して涙が出そうになった。

(*私とTeam Dreschの物語:『Finally Finally Finallyーーミシェル・ティーとDIYカルチャー(PART TWO)』 http://team-kathy.blogspot.com/2011/05/blog-post_13.html )

一緒じゃーーーん!って(違うけど)。

太平洋を隔ててるけど、なんかものすごい親近感。

けど、あるある、こういうこと。(好きなバンドのパッチやバッチを見て、見知らぬ誰かがフレンドリーに話しかけてきてくれたりして、友達になっちゃったりとか)

偉大だよな。音楽ってそういう力があると思う。



あと個人的泣き所がもうひとつあって・・・

それは、バンド・メンバー間の気持ちや経験の共有、信頼関係というか何というか・・・。

デカいよね、マジで。
この映画のインタビューの様々な箇所で、
たとえ言葉にはっきり出してはいなくても、アイコンタクトや雰囲気で、
バンドメンバー間の絆がひしひしと伝わってきて、何度も胸が熱くなりました。

一緒に何かを作って表現するって行為をしている時点で、
すでに、かなりの信頼関係と、諸々の共有はすることになると思うんだけど、
トランスの移行過程や、人生の諸々を一緒に経験することって、
とても大きくて重要だと思う。当事者としてもメンバーとしても。人として。

音楽なんて、もろ「見た目(外見)」や「声の音域」とか、明らかに以前と変わってくるところが大きく現れることだからね。特に、ですよ。ホントに。
それをする/しないって選択も、これまた個人の生き方だよね。


ちなみに、この映画にもちょっと出てくる「シスター・スピット」というクィア詩人パフォーマンス集団があるのだけれど、その言いだしっぺの一人、ミシェル・ ティ(このドキュメンタリー出演者の元恋人。当時からオープンにしてる衆知の事実だからいいよね?!)の小説『ヴァレンシア・ストリート』が今春 、なななんと翻訳書が出版されましたーーーー!!!(すげー!パチパチ!)
この本『ヴァレンシア・ストリート』や、
http://www.ohtabooks.com/publish/2011/04/14000000.html

それにまつわる色んなコトを書いたジン(翻訳者とその友人チームによる)
http://team-kathy.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html

などなども映画祭会場で物販するので、興味を持った方はぜひチェックしてみてくださいね(宣伝ですけど。ホントおもしろいので)。

おまけに、もうひとつ。
ここ数年の関西クィア映画祭で上映されている作品に、偶然にも(?)必ず何かしらの形で関わっている人たちが出演しているという「Sylvia Rivera Law Project(SRLP:シルヴィア・リヴェラ・ロウ・プロジェクト)」。今回、この作品に出演しているNYブルックリンのバンドthe Shondesも、これまた同プロジェクトにも関わっております。カッコイイね。
SRLP:
http://en.wikipedia.org/wiki/Sylvia_Rivera_Law_Project
the Shondes:
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Shondes

日本でこんな作品が観れるなんて、嬉しい限りです。

オオガキユカ

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