hiroken's blog

劇団主宰 劇作家 演出家 俳優 演技講師 セミナー講師の観点からいろいろと綴っております。このブログが今のあなたの何かになれたら幸いです。

カテゴリ: ぶらっと俳優道!

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どうも、広瀬謙です。
ぶらっと俳優道! のお時間です。


以前ずっとメルマガにて「ぶらっと俳優道!」を配信しておりました。
ですが、ある日全てブログに移行するという暴挙に出ました(暴挙なのか?)。

 

理由と致しましては、メルマガは基本、次のステップにつなげるツールですので、セミナーの宣伝や出版物の販売などがある方はかなり活用できますが、ほぼなかったので(公演の宣伝ぐらい)、それなら単純にブログでもよいのではないかと思ったわけです。

 

振り返ると、今までパイロット版を入れて90号と書き綴ってきたわけですが、自分の中でもかなり整理されましたし、良かったなと感じております。さらに数年前に配信したものを改訂し直すのはまたいろんな発見もできたし、より自分の中の伝えたいものが強固になりました。


やる前にいろんなやらない言い訳つくって、やってなかったら何も得られてないので、メルマガもやってよかったなと思ってます。意外と読者登録もしてもらえるのだなぁって嬉しかったし(やめたときは申し訳なかったけど)。

 

で、核の部分として伝えたかったことは、

やはり何事も自分の意志がないと何も生まれない。

ということ。

 

だからと言って、そこで意志を持とうとするのは違いますよ。

意志を持とうとして意志を持っても、「意志を持とうとした意思」なだけで、結果、それ意志じゃないしね。

 

「しなければならない」という思いは、実は「したい」というシンプルな気持ちの派生ではないので、結果、楽しいものじゃないんです。

 

本当にしたいと思うこと、楽しめることをやっていってください。

 

ただし、楽しいことをやっていくのと、楽しいことしかやらないのは違います。

本当に楽しいことをやっていたら苦しくても楽しめます。ここが重要!

 

大体、本当にやりたくてやりたくてしょうがないことがあって、居ても立ってもいられないぐらいなのに、何もするな!と言われたら泣きますよ普通。

 

僕は、よくトイレに例えるのですが、漏れそうなぐらいトイレに行きたいのに、「行くな!」って言われても困るでしょう。「行ってもいいが廊下は走るな!」と言われても漏れそうなら走りますよね?生涯、走らないと決めた人間でも走ると思います。

 

そこで、走りもせず「行くなと言うなら我慢しますけど」なんて言ってくる人はそこまでトイレを求めてないんですよ。

 

そんなもんです。

 

だから役者になりたい、歌手になりたい、声優になりたい、でも、だるいし何もしたくない。遊んでたい。寝てたい。待ってたらスカウトしてくれるさ。ぐらいの思考なら所詮その程度の思いなだけです。

 


現に、今、旅行行きたい人、カラオケ行きたい人、会食したい人などいっぱいいますよね。でも自粛を求められてるわけじゃないですか。したいことができないんです。だから、自粛しつつも何かできることを模索して生活してるわけでしょ。

そう考えたら、ウイルスが世の中に蔓延していなかったときは、やれることに満ち溢れていたと言えます。

だから、後悔しろということではなくて、それを知れたというのは経験したから、できたから。
まだその最中ですが、今を生かすも殺すもあなた次第。

意味のないことなんてない。


みんな、頑張ろう!


【ぶらっと俳優道!】過去ログ

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どうも、広瀬謙です。
かなりご無沙汰しておりました。久々、更新します。

はい!第90号となります、
ぶらっと俳優道!

こんなご時世だけど、いや、こんなご時世だからこそ何か伝えられたら幸いです。



さて、人は目的を持つことで、次に行動に移すことができます。

 

それはすごく当たり前のことなんですが、あまり意識されることはありません。

なぜなら、脳が処理をして勝手に体に命令を下してくれるからです。

なので、目的を持つと無意識に前に進ませてくれるというとても素晴らしい機能のお話です。 

で、この目的というのを掘り下げて紐解いて行くと、大体、感情で出来上がっているらしいです。

 


例えば、俳優になりたい。
独立して自分の店を持ちたい。
あの人と付き合いたい。

これらは、実はそれ自体が目的ではないんですね。
これらは目的を達成するための目標なんです。

 



では、目的とは?

 

それは、感情を得ることなんです。

例えば、ポルシェに乗ることが目的なのではなくて、ポルシェに乗ってるという優越感を得たいというのが目的なわけです。だからその目的を得るために働くという目標を掲げるわけです。

 

目的があって、その目的を得るために人は目標をかかげるんです。

 

ポルシェに乗るのが目的なら、持ってる人と友達になって乗せてもらえばいいだけだし、運転が目的なら試乗させてもらえばいいんです。

 

つまり、目的の質に沿った目標が構築されていくわけです。

 


この間、生徒から相談されて以下のようなやりとりがありました。


A「俳優になりたいんです!とにかく有名になりたいんです。」
 

俺「じゃあ歌手でもダンサーでもいいんじゃないの?」

 

A「いや、あまり、歌は上手くないので。ダンスも下手だし」

 

俺「で、俳優?」

 

A「はい。演技が好きなので。」

 

俺「演じるのが好きってこと?」

 

A「はい」

 

俺「舞台とかはどうなの?」

 

A「舞台は興味ないですね、映画で勝負したくて。」

 

俺「はぁ…。」

 


目的がイマイチ伝わってきませんでした。

 

自分の演技でいろんな人を感動させて、その時に感じる喜びを得たいんだ!というのが目的ならば、おそらく目標は「演技が上達すること」になってくるだろうし、映画に出ることが目的ならエキストラでも目的達成なわけです。

 

俳優になってチヤホヤされて金持ちになってラクして優雅に暮らしたいっていうのが目的でもいいんですよ。ただその目的を達成するためならどんな過酷なトレーニングでも頑張れるならね。それが重要。おそらくこういうことを言ってくる人は、ラクして暮らしたいだけなんです。俳優が大変だってなったら方向転換するでしょう。まぁ転換先の例は見当たりませんが。

 

何故か、俳優ってすごく簡単かつラクに見られがちなんですよ。
台詞言えて演技すればいいんでしょ…みたいな。そんなに甘いもんじゃないですよ本当に。

例えばミュージシャンなら楽器の練習とか、野球選手ならバットの素振りとか、何かしら上達のためにすることが見えやすいでしょ。それが俳優って広すぎて何をやったらいいかわからないですよね。繰り返し繰り返し滑舌の稽古をするとかできることはあっても、もう一つしっくりこない。

違うんだよ、逆に楽器の練習しようが、バットの素振りしようが、何ならバイトを一生懸命しようが、全部糧になるんだよ、俳優って。


ただそこに、自分の目的がしっかり存在してなきゃ意味がない。
全て意識なんだよ。姿勢なんだよ。



いいですか。

あなたは俳優になって何を得たいですか?

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どうも、広瀬謙です。

お待たせしました第89号となります、ぶらっと俳優道!のお時間です。

 

役者を目指して上京したとき、友人から「死ぬ気で頑張れ!」と言われました。

でも、死ぬ気で頑張れと言われても、正直どうしていいかわかりませんでした。


それより生活に追われ、どちらかというと死ぬ気でバイトしてました。
夢はかなうより、かなえるために走ってる時の方が楽しいもんでね。今思うとしんどかったけど充実してたように思います。


ただ役者って免許がないので、自分は役者してます!と言えば、

すぐに役者になることができ、あっという間に夢がかなうという不思議な職業だったりします。

現在、編集技術も著しく進歩し、演技ができなくても役者してますと言えばもう役者になれる、、、というか、このままいけばロボットが演じても成り立つのではないかとすら思うほどです。


しかも個人でいくらでも発信できるツールも増えてきて、役者の線引きがつけにくくなってきてます。


ただね、何事もそんな甘いものではない。

ラクなものなどない。


 

冒頭で言いました「死ぬ気で頑張る」とは何か?


それは、

一生懸命やるということです。

何だそんなことかと思うなかれ。
簡単なようでかなり難しいからね。

一生懸命で居れば人間の魅力が出てきます。

芝居の中でも、役を一生懸命生きていれば魅力は出ます。
魅力的とは格好いいばかりではありません。
印象に残るということです。

嫌な役を演じたとして、それを観たお客さんが、ムカつくわこいつ!って思ってもらえたならそれは役者冥利だし、そうなるためには与えられた役を一生懸命生きてないと伝わるものも伝わりません。

 

皆さんは自分のこと好きですか?嫌いですか?

 

たまに、生徒の中に、今欲しいものは何?って聞くと「別にないです」って言う子がいます。

じゃあ、好きなものは?って聞くと「特にないです」と言います。

「じゃあ役者なんてやめてしまえ!」と言いたくなるのを堪え、帰り路、講師をやめようかと真剣に悩んだりします。


役者になりたいというなら一生懸命でいろよ!魅力的でいろよ!

 

有名人はチヤホヤされるし、お金も沢山もらえるし、ラクして稼げてモテまくり…なわけないだろう!華やかな裏には涙ぐましい努力があるんだよ。何なら、努力すれば報われるといった保証もないから。確かに運もある。でもそれだけで継続させるなんて無理だから。

 

例えばね、筋肉隆々な体に憧れ、トレーニングをするとしよう。

でもできることならトレーニングをせず、筋肉隆々になりたい。

しんどいことはしたくない。ラクをして手に入れたい。誰もがそう思うでしょう。

 

そういう思考があるから、通販番組が儲かり、また、世の詐欺師たちもあの手この手で犯罪をおかすわけだよ。

 

でもね、すぐにゴールに辿り着くより必死でゴールに辿り着く方がね、全てにおいて2倍っていうか、その後もずっと生きてくるんだって!

 

そのためには、常に自分と向き合ってないと。甘えてちゃ駄目!


自分はどうしたいのか?
自分は何が好きなのか?何が嫌いなのか?
何故好きなのか?何故嫌いなのか?

考えてみようよ。で、動いてみようよ。

 

そしたらね命の根も深くなりますよ。

 

死ぬ気で頑張れ!

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どうも、広瀬謙です。

ちょっとご無沙汰でしたね…はい、お待たせしました第88号となります、

ぶらっと俳優道!のお時間です。

 

 


今回のタイトルは『学芸会レベル』というわけで…今まで芝居をやってきてこの言葉を放たれたことが幾度かありました。

それは、演出家の時もあれば先輩からの時もありました。

 

この言葉は、肯定的な言葉ではありません。
むしろ否定的な、そして半ば攻撃的な言葉として使われることが多いキーワードの一つです。


学芸会を一生懸命やってる人からしたら、なめるな!と言わんばかりですが。

 

この言葉、どういう時に使われるかというと、主に芝居を観た後(稽古を含む)の感想ですね。

プロ野球選手にあなたは草野球レベルですねって言ったらおそらくキレられますよね。

だからまぁ、嫌味の一種ですよね。

 

また、チープってことも言えます。
学芸会は基本、お金はとらないでしょ。だから逆に作品にそんなにお金がかかりません。
ということは、お金をかけさえすれば内容がしょぼくても学芸会レベルにはなりにくいとも言えます。

照明をガンガンたいて、踊って戦ってと迫力をつけるだけでもチープさは半減されます。
でも素舞台でもいいものは沢山あるし、逆に、迫力ある作品も迫力だけじゃん!ってのもあります。

 

じゃあ、何が大事か?

それは、観てるお客さんに作品を魅せられてるかどうかだと思います。

素舞台であろうと演技が凄かった!ってのもあるし、迫力ありすぎて椅子から転げ落ちたよ!ってのもある。

つまるところ、登場人物に感情移入して作品を評価してもらえたならオッケーなのではないかと思います。

 


それが、あの子頑張ったね、暑い中稽古大変だったね、台詞間違わずに言えたね、一生懸命さに感動したよ、なんて作品とはあまり関係のないことで褒められたり貶されたりするのは、裏側の感想を言われてるわけで、直接的な作品の感想ではないですよね?それを「学芸会レベル」と呼ぶんじゃないでしょうか。お爺ちゃんが孫の運動会観に行くみたいなね。

 

だから役者はね、自分を見せちゃ駄目なんです。裏の努力を見せるものではなく、作品の一部としてどれだけ作品の中で生きて魅了するか、また貢献できるかが重要となってくるわけです。

 

芸能界というのは、光を浴びて眩いばかりの華やな世界に見えるだろうけど、裏ではその華やかさをどれだけ演出しなければならないかを意識しなければならない世界。

努力を見せる場所ではない。

どんなに権力のある事務所だろうが、バックに大物がいようが、出ていって恥をかくのは自分なので、それはそれはビックリするほどのプレッシャーな世界なんです。生半可ではやっていけない。

 

ただ、皆、最初は素人です。

 

ならば仕事がない時にできることがあるでしょう。
それを準備と呼ぶんです。

 

役者なんて、毎日が全て糧です。

人を演じるんですよ。

 

待ってては駄目なんです。常にアンテナはってないと。

目の前にある出来得ることを一生懸命やってないで夢を語るなど滑稽極まりない。

 

学芸会ではない。

遊びでもない。

 

作品を伝えるためにそこで生きる。

それが役者に与えられた責任なんです。


その責任の所在をしっかり意識できてるか。

その意識が学芸会を超えるんです。

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どうも、広瀬謙です。

ぶらっと俳優道!のお時間です。

 


演出をしていると、たまに駄目出しに対して文句を言ってくる役者がいたりします。

 

どういうことかと言いますと「昨日言われた通りやってますけど、今日は違うことを言ってますよ!滅茶苦茶じゃないですか!」って感じです。

 

その時、僕は「昨日」などという大昔の話をするな!と言います。

 

これだけ聞くとものすごく理不尽だと思われるかもしれませんね。
そりゃね、昨日「明日東京に出張に行け!」と言われたのに、今日になって「違う福岡だよ!」なんて言われたら、それは理不尽ですよ。ブラック企業です。

そうではなくて、ここで言いたいのは、昨日言われたことの方向性を掴むことでどれだけ仕事ができることと密接しているかということです。

 

今まで何度もここで言ってきましたが方向性を見定める力は非常に重要なんです。


いま、言われていることが何を意味しているのか、そこをしっかり理解しないとやはり臨機応変には対応できません。何が今ダメなのかを考えないから言われたまんまそれをやってるだけ。それって言わば無責任な演技です。
 


例えば、法律は守る為にあるのではなくて、自分が守られる為にあるんですよね。

道路におけるスピード違反は事故を防ぐためのルールであり、警察が注意するから守るものではないですよね?(罰金が抑止力になっていることも事実ですが)

 

そこで極端ではありますが、あなたがバイクで走ってたら、後ろからナイフを振り回した奴が追いかけてきました。とりあえず逃げますよね?その時、あなたは、法定速度守りますか?一方通行も守りますか?

 

昨日、おまわりさんに法定速度は守りましょう!と言われたから今日ちゃんと守りました。そしたら、刺されました。おまわりさんが「そんな時は守らなくていいんだよ!」って怒ってきたら「昨日と言ってることが違うじゃないか!理不尽!」ってなりますか?むしろ違反して警察に捕まるなら、ありがたいでしょ。そして大いに情状酌量の余地ありだし。てか、誰も文句言わないよ。臨機応変に生きないと。

 

それと一緒なんです。

昨日、演出家さんに「台詞をもう少しゆっくり言って」と言われたのは周りの役者の演技との調和で言ってるわけで1人だけ浮いてたり面白くないから言ってるんです。それを「ゆっくり言えばいいんだな」って理解されても…そうじゃないんです。

 

そして、次の日「台詞が遅い!」って注意したら、昨日ゆっくりって言ったじゃないか!ってなるんです。

 

そんなことを言ってくる段階で、その役者は、演出の意図というよりも演技のなんたるかを把握できていないということです。周りについていけてないのはあなた自身ですよって話です。

芝居は常に変わるんです。

だからいかに、周りに反応して対応していくかが難しくもあり醍醐味なのです。

 


周りが変われば自分も変わるのが当り前。常に、周りの人とお芝居をしないとさ。

それを理解できてないから、そんな役者は次の日も絶対失敗する。そして演出から怒られる。でも本人は意味がわからない。「言われたとおりにやっているのに!何だよ、あの演出!」ってなる。

 

理解してる役者は言われたことの先を考える。

 

だから役者は、言われたことを平面で聞くのではなく、立体的に聞く。

言わば、平面脳ではなく、立体脳であらねばならんと思うのです。

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