hiroken's blog

劇団主宰 劇作家 演出家 俳優 演技講師 セミナー講師の観点からいろいろと綴っております。このブログが今のあなたの何かになれたら幸いです。

カテゴリ: ぶらっと俳優道!

どうも、広瀬謙です。

ぶらっと俳優道!のお時間です。

 

先月の舞台公演も盛況の中、幕を閉じることができました。

 

自分の演出力も少しずつレベルがあがってきてるんだとは思うのですが、演出というものがどういうものなのかと訊かれると自分でもよくわからない。

観に来ていただいたお客様の感想は演出より脚本を褒めてくださる方のほうが圧倒的に多くて。。。
褒めてもらえてるんだからいいではないか!という声も聴こえてきそうですが・・・。

そもそも演出とはなんなんだろうか?

昔、大先輩から役者に演技を出させるのが演出だよ、みたいなことを言われて、そういうものを演出というんだって思ってやってきてたんですけど、なんか、ステージの構成とかすべて含めて演出と呼んでますよね、みんな。

 

だから、最近は「作品の世界観みたいなのを作り出して、そこで役者陣をどう生かしていくかを考える人」みたいな気持ちでやっております。

 

ただ、自分が描いてるものを全て忠実に再現させる演出家もいれば、何も言わずひたすら役者陣から何か出てくるのを待つ演出家もいます。また、役者の演技より、照明と音楽などが最重要だと考える演出家もいます。

 

どれが間違いとかではなくて、いろいろあっていいと思います。

ただ、役者側が、どんな世界観であろうとその中で生き抜くことが大事ですし、できてなんぼの世界が役者業だと思います。

自分は出演もしますが、演出の時間が長く、残念なことに役者としての時間が短い。
ただ、幸いなことに自分で書いた世界観なのでそうズレることもない。

でも自分が役者だけでやってた頃は、大嫌いな演出家もいたし、いろんな思いもしてきましたが、現在、役者を志している人は、あまり経験のないうちから、好き嫌いをはっきりさせると自分の幹が太くなっていかないと思うのである程度はいろいろ挑んでみるべきかとは思います。 


演出家って、言わば船長みたいなもんです。ゴールに向かう指針なんです。でもゴールなんてないから正解もない。だから、いろんな意見も出てくる。それらが交錯するのは構わないのですが、最終的な判断は演出家がするわけです。


そこは踏まえたうえで、作品づくりとは、演出家と役者の一騎打ちなんじゃないでしょうかね。


役者も、演技がなかなか上手くいかなくて悩んだりもするでしょう。
演出家を殺したくなることもあるかもしれません。

でも演出家だって演出家なりに苦悩してる。
役者を殺したくなる演出家もいるでしょう。

一緒です。そこでお互いが、どう折り合いをつけて、作品を向上させていくかが最重要なんです。

悩んで悩んで、誰かに愚痴って泣いて、傷を癒してもらってるような役者いますよね?
そういう役者はそれまでだなって思いますが、もしも、そんな演出家がいたらどうします?船を任せられますか?任せられないですよね。俺は嫌だ。だから、道は一つ!

 

何とかするしかないんです。これのみ。

グダグダ言ってても時間の無駄。何とかするしかない。

役者も、何とかしてよくしようと必死で足掻いてれば、絶対、何か得られますよ。
それは役者に留まらず、全ての人に言える。

自分で足掻き、自分で出した答えのことを世間では、成 長 って呼ぶんです!

 

大いに悩め、そして足掻け!

ご無沙汰してます、ぶらっと俳優道!のお時間です。

どうも、広瀬謙です。

 

舞台公演も終了し、現在は事後処理と次の仕事にてんてこまいです。

さてさて、自分は劇団主宰に加え、脚本、演出、出演とありまして、一番時間がかかるのは脚本ですが、一番大変なのは演出です。まぁ順位をつけるのも変な話ですが。

 

今までこのぶらっと俳優道!でも書いて来たことを先日、三谷幸喜さんのインタビュー記事ですごくわかりやすく書かれていましたので紹介しますと、三谷さんは「共通言語」を持っているということは、キャスティングするうえですごく大きいとおっしゃってまして、特に自分が演出する時、意図する演出がわかってもらえるのに1時間かかる役者と一瞬で理解してくれる役者だったら、絶対に後者の方が時間を有効に使えるからいいと。

 

例えば、ジュースをストローで飲むシーンがあったとして、自分は手を使わずに口を近づけてズーッと吸い込む方が面白いと思っていても、普通は手を使って飲む。するとこちらが「手を使わないで飲んでください」と言わなければならない。それってすごく大きい。

だって手を使わないで飲むことが面白いと思ってないのにそういう演技をさせなければいけないから。

でも深津絵里さんは脚本、状況から察してくれて、何も言わずとも手を使わずに演じてくれたそうです。

何故、手を使わないのが面白いのかって訊かれても説明できない面白さがあるわけで。

それを三谷さんは「深津さんは、自分と同じ共通言語を持った人」と表現されてたんです。

 

そこまでレベルの高い話かどうかはわかりませんが「どんな仕事にしてもプライベートにしても、話の早い人は好かれると思う」とここでも述べてきました。

デザイナーとかだってそうでしょ?痒い所に手が届く人は依頼者からしたら有難いですからね。

 


演技の上だと、それは脚本の読解力であり、方向性を瞬時に捉えられる能力なんだと思います。

先程の話だと、普通は手で飲むということですが、飲むことすらしないという選択をしてくる役者がいたりします。

例えば『走ってきて水を飲む』というシーンなのに飲まないわけです。

「何故、飲まないの?」ってきくと、「喉が渇いてないから・・・」みたいな答えをされます。

実際そういう脚本ならOKですが、ト書きに書いてあるだろ!って言うと「でもこのキャラだったら飲まないと思うんです」とかって言ってくる。だから、「あのさ、ずっと走ってきたんじゃないの?喉渇かない?」って訊くと、「あ、そっか、すいません」みたいなね。

 

もう共通言語どころではなく、異国言語もしくは異星言語です。

ちゃんと読んでこいよ!ちゃんとやってくれよ!ってなります。そして情けなくなります。

あ、これ、あくまで例え話ですよ。
この間の舞台公演にはそんな役者はいませんからね。(一応言っておく。)

 


ただ、みんなで物語を作るということは、みんなでその作品の中でどっぷりつかって生きることなんじゃないのかって思うんです。なのにこの人は何しにここにいるんだろう?てか、何のために芝居をやってるんだろう?って気になります。

 

だから、演出をしていて、何も言わなくても、こっちの意図とすることをやってくれると、「もう惚れてまう!」って思うし、お門違いな事をされると、殺意すら芽生えだします。

 

だからまずは深く深く脚本を読み込まないと。

 

脚本の面白さに気付かない役者が多い。

その為にはもっともっと脚本のあらゆる点に関心を持ってもらわないと。

じゃないと方向性は見えて来ない。

 

技術で面白くもなりますが、その作品内で生きるキャラクターの思考や行動を考え、こんな事するんじゃないかなって言う観点で進めていくのが役作りだと思うんです。

そこでいろんなアイデアをぶつけあって、さらにいいものにしていくのが演劇なんじゃないんですかね。

 

どうも、広瀬謙です。

ぶらっと俳優道!のお時間です!と言っても久しぶりですね。お待たせいたしました。
 

先月より舞台稽古が始まりました。
自分は脚本、演出、出演、そして主宰ですので全般的に責任が課せられます。
 

今回は脚本がなかなか出来上がらなかったため、ものすごいプレッシャーでした。
だからと言って逃げない。逃げられない。言ってしまえば、最悪は既成の台本でやればいいという逃げ道があったりするんですよ。でもタイトルもチラシもどんどん出来上がってくるわけです。逃げられない。そもそも、舞台公演は随分前から劇場をおさえますので(大体1年前ぐらい)仮契約をした段階で外堀が埋められていくわけです。

知り合いの劇団主宰の方があまりにも追いつめらて、劇場を燃やそうと考えたことがあるという話を聞きました。

それぐらい・・・なんです。

 

世の中には、あまり抱え込まず「まぁいいや」でいいじゃないかということを推奨されている方もいらっしゃいますし、そういう本もあります。でもね、その奥にはきっちりとした責任がなければ「まぁいいや」では駄目なんです。

それをはき違えてる人が多い!

 

昔、ある作品で、大道芸人役の共演者が「タップ踏めるんで後ろでタップダンスしてます」って言ってたんです。監督もまだクランクインまで期間があったからそんなに気にしてなかったのかもしれません。でも蓋を開けてみたら、びっくりするぐらいできないんですよ。監督も怒っちゃって・・・。そしたらその役者は「頑張って練習したんです・・・本番、何とか編集でうまく繋いでください!」だって。それをよく言ったなと・・・。その監督は今も大活躍中の監督ですよ!

監督、呆れちゃって、その役者のシーンを全部カットしました。
余談ですが、僕はその役者と一緒のシーンが多かったため、超被害者です。

 

要は、その役者さんはその役に責任がないんです。
「頑張ります!」これは誰でも言えますし、言います。言わば頑張るのは当り前です。
で、自分の限度を自分で決めて、ここまでやったから俺、頑張ったんだ!と気持ちよく居られても、ただの独りよがりです。

 

作品は、自分に与えられた役への責任を果たしていくことで、いいものになっていくんです。

 

僕が脚本を書かなかったとします。「ごめん、でも頑張ったんだよ!」って言ったところで、おそらく公演中止ですよ。

 

また、以前、こんなこともありました。ある役者が稽古に全然来ないんです。かなりの打撃を食らわされました。「遅れは必ず取り戻すんで!」と言って休むわけです。遅れを取り戻すのは自分の問題なのでそれは当り前。でも、自分が休んだことでその日に稽古ができなかった共演者はどうなるんだ?って話なんです。そこの責任が欠如してるんです。その役者はあまりに芝居に対する意識が低い方だったため降板していただきましたが。まぁ、その役者の話は置いといて。

ただ、それぞれの都合もあって休むこともあるでしょう。それはしょうがない。ただ、共演者への配慮は?ってところなんです。


大事なのは、姿勢!姿勢なんですよ


「迷惑かけてすいません」という言葉がほしいわけではないんです。
それなら「稽古が進まないのは迷惑なので代理で○○を行かせます!」ぐらいの姿勢。
(実際、代理が来ても困るんですけどね)


「すいません」なんてね、すいませんだけで済んでないんです、しょうがないなで済まされてるんです。その現実に向き合わないといかんのです。

授業でも「すいませんが、今日具合悪いので見学してていいですか?」って言う生徒がいるんですけど、あたかも具合が悪いことが正当な理由であるかのような口ぶりでね。

本来は、体が資本の俳優を目指しときながら体調管理ができてないという事実を公表しているようなものなのに。普通なら恥じて隠すべきぐらいの理由なんですけどね。
こっちはしょうがないから了承するんですけど、同時にしょうがない奴という見解が生まれてることに気付かないと。授業なんて大体ペアを組ませたりしてるので、確実に相手役にダメージも与えますからね。そこに対する意識は皆無。

 

コミュニケーションにおいても、責任のない人って大概、代替案を述べないじゃないですか。

A「社員旅行どこ行こうか?」
B「ハワイどう?」
C「いやハワイは高いからやめようよ」
B「オーストラリアは?」
C「遠いよ」
B「・・・」

みたいなね。そしたらCは、どこ行きたいのか言えよ!ってなります。

 

共同で何かをするなら、その奥底にある責任は果たしていかないといけないと僕は思います。
 

自分への責任を果たせていれば、きっと未来の自分が応えてくれる。
更に、周りへの責任も果たせていれば、きっと人生が応えてくれる。


どうも、広瀬謙です。

ぶらっと俳優道!のお時間です。

 

舞台稽古開始まで1ヶ月をきりました。

東京時代は役者だけしかやってこなかったので、脚本も演出も制作も自分で作り出すということをやったことがなかった。だから現在、全てやる場所に身を置いてみて、今まで見えなかった景色がこの上なく押し寄せてくる。今までこの場所で頑張ってくれていた人に、今更ながらに頭が下がる思いです。

 

これは、役者は全てやれよって言いたいわけではありません。役者なんだから、役者だけ頑張ってたらいいんですよ。全然間違ってない。きっちり自分の役職を全うすればいいんです。


でもそれは「自分は役者なので関係ないことは知りません!」では駄目なんです。

全うしなければならないんです。

 

昔ね、現場で照明さんが荷物を重たそうに持って歩いてたので「手伝います」って言ったら、「お前はお前の仕事をやれよ!」って怒られたんです。その時は、人がせっかく手伝ってやるって言ってるのに何だよ!って思いましたが、そこで僕が荷物を持って怪我でもしたら現場は止まるんです。そうなれば僕は役者の仕事を全う出来てないってことになるわけです。

 

だから関係ないので知りません!ではなく、知ってはいるけれど、やらないということをやっているんだ、というスタンスなんですね。

その照明さんは全うしていたわけです。

 

ただ、その全うの仕方として、何もないところに投げ込まれて、世界を構築していくのが役者なわけですよね。言わば、空き地に連れてこられて、どんな家具を置きますか?って訊かれてるようなものでね。いや、もう既に部屋があって、どう家具を置こうかと考えるのも役者ではありますが、それは、さほど難しくはない。例えそれが、歪な部屋であってもです。
やっぱり、空き地で家具の配置を頼まれる方が大変。家を建てるところから考えなきゃいけないわけですからね。それが役者に留まらず、アーティストという職業なんじゃないかと思うんです。


 

自分自身が、地に足をつけるということは、自分を制作していかないといけない。

 

一番言いたいことは、家を誰かが建ててくれたらものすごい格好いい部屋にするのに!では一生建ててもらえない。建ててもらえたとしても格好いい部屋にはならない。

 

空き地から自分で建てた家の家具の配置はセンスが悪くとも輝くと思います。

 

そうやって自分という家を建てていってください。

どうも、広瀬謙です。

ぶらっと俳優道!のお時間です。 


数年前から気になっていることがありまして、それは、こちらから連絡した際のレスポンス事情です。


レスポンスとは、「返信」とか「対応」という意味です。

LINE
なら『既読』と付くので「読んだんだな」ということがわかります。でもそれって、言わば、そっちで悟ってくださいねっていうことなんですよね?本来なら「わかりました」とか「確認しました」とか何かしら返信があって然るべきなんですけど、そこを排除されていますよね。でも、そういう文化なんですよね、最近は。

 

だから抗わず、文化を受け入れ、こちらとしても「返信くださいね」とわざわざ入力するわけです。なのに、それが既読になっているにもかかわらず、返信が来なかったりすることが結構あります。

するとこっちは「先日のお返事いただけますか?」と再度メールを送信、または電話をしなくてはならなくなるわけです。


目的は相手を正すことではなく、返事をもらうことですから、相手の性格や出方に応じて努力しております。これはコミュニケーションを円滑にするという目的において、極めて正しい対応術です。


でも、人間なのでね、イライラもします。だって僕にとっては理解できないからです。
「普通はこうだろ!」とか「考えたらわかるだろ!」って思いますよ。

だから、連絡が返ってこない奴はもう知らん!と言いたいこともしばしばあります。

でもそれは、こちらに負担や被害が生じてくることを考えると健全ではないので、二度手間、三度手間を繰り返し、なんとか目的遂行に従事します。 

はい、何度も言いますが、


そういう時代なんです。


ただ、そこでちょっといいですか?

例えば、痴漢がいますよね、やったらあかんやろ!って言っても痴漢は未だにいなくならない。で、結果、女性専用車両が生まれたりしました。これも対応術ですよね。痴漢をなくすことができないから、そういうものを生んだわけですよね。

ただこれが、もしもですよ、電車に乗ってる男性全てが痴漢というような、わけのわからない時代になったとします。それが当たり前の世の中。おそらく女性はもう電車に乗らないと思いますが、そこに、一人だけ「絶対俺は痴漢なんてしない!」という人がいたとしたら、どう思います?


現在、そんなこと言っても「当たり前だ馬鹿!」って言われるのがオチですが、全員が痴漢になった世の中ならマイノリティとなった痴漢をしない人は偉い!ってなりませんか?

全然、誇ることでもないのにです。

極端な例ではありますが。。。

 


 つまり言いたいことは、
 

当り前のことなのに、当り前のことができない人が多くなってきた世の中だからこそ、当り前でいるだけで高評価を得られる世の中なんだよってことです。


なんて素敵なんだろうか。 


連絡やレスポンスをマメにやるだけで高評価なんですよ。だって周りがしてないから。昔はちゃんとする人ばかりだったからそれは高評価なのではなく、ただ当たり前って話で、むしろ、そうしない人が低評価になる時代だったんです。


特に年上の人に対してはきっちりやってた方がいいですよ。
もし、レベルは高いけどレスポンスが全くないAさんと、少しレベルは落ちるけど、マメさは誰よりも長けてるBさんなら、Bさんを選択するキャスティングディレクターって、まぁまぁいると思いますよ。

 

マメというのも幅広いですが、言わば気遣いができるかどうかであると思います。

それが下心からのパフォーマンスであっても構わないです。

 

ある方に言われた言葉なんですが、

「仕事を長続きさせたければマメでいること」だそうです。
その方は仕事が終わると必ず共演者にお礼のメールを送られてたそうです。

 


連絡しなくても、若いうちは「しょうがねぇな・・・」で済みますがね。だんだん残念な人になっていきますよ。

 

実際、所ジョージさんや有吉弘行さんがものすごくマメだというのは有名な話です。

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