2007年09月03日

ネパール・ジョムソン街道    2007/1

ダウラギリ 「21世紀の幕開けはネパールで!」と2001年に意気込んで出かけて以来、実に6年ぶりのネパール。
 王室暗殺から始まったネパールの政情不安、マオイストの暗躍、台頭。
 そして、アメリカによる同時多発テロへの報復、イラク戦争勃発等々、きな臭いアジアから自然に足が遠のいていた。

     久しぶりのネパールトレッキング紀行

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 雨に祟られた先回と違って今回は全て天気に恵まれ、ダウラギリ(8167m)を前から横から斜め後ろからと舐め回すように眺め、ニルギリ(7061m)、ツクチェピーク(6920m)、アンナプルナ喫(8091m)、アンナプルナ・サウス(7219m)、ヒウンチュリ(6441m)などアンナプルナ・ヒマール山群の絶景と大きさを十分堪能してきた。特に先回全く見ることができなかったダウラギリを、ムクチナート、コバン、プーンヒルといろいろな角度から拝むことができ、迫力ある山容の変化を楽しむことができた。満足、満足。

 30日:深夜、タイ航空で関空を飛び立ち、まずはバンコクまで。ここは、今までのドンムアン空港から新しくスワンナプーム空港へと生まれ変わっていた。日本とタイの時差は2時間。トランジットのため、これから4時間半も時間潰しを強いられる。出発時刻を間違えないよう時計の針を2時間戻す。
 「4時間半も」と言ったが、空港外に出てバンコク市内に行ってくるほどの時間は無い。仕方なく免税店を覗いたり、お茶を飲んだりして空港内をうろつく。(そうだ、手紙を書こう!)とナイスアイディアに浮かれ、絵はがきを買って書いたことまではいいのだが、今度は切手が手に入らない。切手を求め、港内の店をあちこち聞いて回ったが結局入手できず、その上郵便局さえも空港の外にあるというではないか、なんと国際空港でありながら不便なことか。この手紙、仕方なく、ネパールで出そうとバッグの中にしまい込んだ。長い待ちにいい加減うんざりしてきた頃、やっと搭乗手続きが始まった。飛行機に乗り込むと、今度はネパール時間に合わせるため、時計の針をさらに1時間15分戻した。
 13:00カトマンズ着。いつもだと、ここトリブバン空港に小柄な「イエティ・マウンテン・トレック」の副社長ポーデルが迎えに来ているが、今回は大柄な「ヒマラヤン・アクティビティーズ」のスタッフ、ラグーが迎えに来ていた。内田氏がネットで捜し出してきた「ヒマラヤン・アクティビティーズ」。カトマンズ・タメル地区にあって、社長が春日山さんという日本人女性の小規模エージェンシー。旅のアレンジ全てが日本語のメールを介してでき、そのHPからは、日々こまめに更新されるネパール情報をリアルタイムに掴めることが今回この会社を利用する決め手となった。
 同じ「ヒマラヤン・アクティビティーズ」を利用し、ネパールまで自分の自転車を持ってきたという石川の青年と一緒に我々2人は、ポカラまでの飛行機に乗るため、直ちに国内線に移動。待合室で待っていると程なくガイドのナマラジ(23才)がやってきた。トリブバン大学の学生で日本語を勉強しているとか、漢字もかなり読めると言っていた。
 16:35発ゴルカ航空で飛び立ち、17:10ポカラ到着。
 ポカラの宿は、これまた日本人女性経営の「マンズ・ガーデン・リゾートホテル」。こぢんまりとした清潔なホテルだ。夕食は、ペワ湖畔にある我々お気に入りの和食の店「たべもの屋」に出かけ、長旅の疲れをかつ丼で癒した。ホテルに戻ってシャワーを浴びた後、明日からのトレッキングに向け、荷物を整理。ジョムソンフライトが順調にいくことを願いながら早めに床についた。

 31日:ポカラ10:20−ジョムソン10:37−14:35エクレバッティ15:00−カグベニ15:40

 まだ暗い5時起床。1階のレストランで朝食を食べ、フロントに行くと、そこにポーターのダン(40才)とティル(50才)が待っていた。
 7:00発の一番機でジョムソン(2740m)まで飛ぶ予定だ。6:00にホテルを出発し6:20空港到着。ポカラ空港は2階建ての小さな建物だ。早速チェックインし、待合室に入って待つが、霧が深く何時に飛べるか分からない。先回はこの同じ場所で「ジョムソン スノウ、フライト キャンセル」と突然宣告され、部屋の電気をバチバチと切られ、薄暗くなった部屋で呆然としたことを思い出す。霧に覆われぼんやりとした太陽が昇るに連れ、水蒸気が霧となって深く立ちこめていく。待合室の片隅にある小さな売店の品も見尽くした。することもないので、連絡があるまでレストランでお茶でも飲んで待とうと2階に上がった。チャイを飲みながらポーターたちと一通り自己紹介し合った後、質問タイム。男同士が打ち解け合うには万国共通下ネタ話をするのが手っ取り早い。例えば、ダンはジュクジュクが好きで、毎晩女房を可愛がり、現在4人の子持ちだとか。ナマラジは現在ガールフレンドがいなくて寂しいとか、からかい半分話で盛り上がり、メンバーは、かなり打ち解けてきた。空港到着から早くも2時間以上が経過。外に目をやれば、霧はますます濃くなり、飛べる可能性は絶望的に下がっていく。
9:40頃ナマラジから
「10時まで待っても飛べない場合は、車でベニまで行きましょう」
と行程変更の提案があった。今回もムクチナートは無理なのか、とがっかりしながら車で行く計画を煮詰めていると、心なしか外が明るくなり霧も薄れてきたような気がする。そこで、最終判断をするためにどんな状況か掴もうと下に下りてみると、駐機されているツイン・オッター機にパイロット2人が乗り込んで行く姿が見えるではないか。俄に期待が膨らみ、しばらく様子をうかがっていると、CAも機内に入ったりタラップを降りたりと、なにやら忙しそうに動き回っている。
「これは、飛べるよ、きっと。もう少し待ってみようや!」    
      
 結局、予定より3時間20分遅れた10:20無事ポカラを飛び立つことができた。この路線は、アンナプルナ、ダウラギリという8000m峰、そしていくつもの7000m峰の間を飛んでいく超豪華版マウンテンフライト。雲の上に顔を出しているマチャプチャレ、サウス、ダウラギリの大景観を楽しみながら10:37ジョムソンに辿り着いた。霧に沈むポカラと違ってここジョムソンは快晴で、群青色の空に真っ白なニルギリ北峰がまばゆいばかりにきらきらと輝いていた。 先回ぬかるみだったジョムソン飛行場の滑走路はきれいに舗装され、ゲートの外には客待ちバイクタクシーがずらりと並んでいる。こんな光景、6年前は無かった。最近は、聖地ムクチナートまで、バイクタクシーに乗っていく人もいると聞く。この方が地元の人にも巡礼者にも都合がいいのだろうが、やっぱりジョムソン街道は徒歩か馬が似合う。便利になるにつれて、旅の風情は消えていく。こんなセンチメンタリズム、きっといらぬお節介なんだろう。
 まずは飛行場構内で名前やパスポート番号、行き先のチェックを受けたあと、街道沿いにある「ポリス・チェックポスト」と「ツーリスト・インフォメーション・チェックポスト」にも立ち寄り、同じ手続きを踏む。立て続けに同じことを3度も強いられるこの制度。なんとか1度ですませられないものかと、つい愚痴が出る。
 昼食は、空港から1kmほど離れた旧ジョムソン村にある小さなレストランで食べた。ダルバートを注文したが、ポーターたちの食べている「ボークィット」なるものをちょっと味見させてもらった。ツアンパ(麦焦がし)を熱湯で練った味のない食べもので、これに手でドライミートとスープ、ライスを混ぜ合わせて一緒に食べるのだ。興味本位で口にしてみたが、やや塩辛く慣れないスパイス味はあまり多く食べられなかった。
 昼食後は、下流から吹きつける強い南風に背中を押されるようにして、カリガンダキの川原を上流に向かってひたすら歩く。カグベニまで歩く間、お客を乗せた何台ものバイクタクシーに追い越された。砂埃を浴びながら2時間ほど歩くとエクレバッティに到着。ここで、お茶を飲んで休憩。ここから右の山腹に延びている道は、カグベニに寄らず直接ムクチナートへ行ける道だ。
 ところで、カリガンダキ河流域は、アンモナイトの特産地として有名な場所である。中でも、カグベニ付近は特に良質の化石がみつかるというので、期待して足元の石を見ながら歩いたが残念、一つも見つからなかった。カリガンダキ河とトロン・パスから流れてくるジョン・コーラの合流点にあるカグベニへは15:40に到着。宿は、シャングリラ・ホテル。なんと、泊まり客は我々だけだ。そういえば、ジョムソンに降り立ったときも巡礼者やトレッカーの姿はなかった。ムクチナート詣では、この時期オフシーズンなのだろうか。煙草を吸う内田氏とは別々の部屋をとり、荷物を整理してからカグベニ探訪。いつかこの先3日かかるというローマンタンまで歩きたいものだと思いながら、赤い建物のゴンパ(100R)を拝観し、古い城塞キングフォートを散策した。ゴンパでは、壁に掛かっていたマニ・リンドウ(仮面舞踏劇)に使う骸骨の仮面を坊さんに頼んで、被らせてもらった。
 明日のムクチナートまでは、カグベニから1000mほど登る辛い行程。ゴラ(馬)が500R(但し馬方1名を別途300Rでつけなければならない)でチャーターできると聞いて迷わず雇うことにした。内田氏はバイクタクシーがいいというので1600Rとかなり高いがこちらも頼んで、別々の手段で聖地に向かうことになった。

1日:カグベニ7:30−10:30ムクチナート12:20−17:00ジョムソン17:20−マルファ17:45

 宿を出て、標高3748m のムクチナートまでは馬に揺られ約3時間の旅、10:30に到着した。日差しは温かく、高度障害も無く快適、かつ馬の扱いにもかなり慣れた。途中、ポテ・ピーパル(山の菩提樹)という枝振りのおもしろい木がたくさんあった。木の葉が、菩提樹の葉に似ているというところからこの名前がついたらしい。木は貴重な燃料、薪にして暖房兼調理に使う。ところで、ポーター2人は、ムクチナートには寄らず、一足先に我々の荷物を担いで昨日歩いた道をジョムソンまでを戻っていった。バイクの後ろに乗って出かけた内田氏は、とっくにムクチナートに到着し、首を長くして私とナマラジの到着を待っていた。
 ムクチナートは、6000m峰にはさまれたトロン・パスの麓にあるチベット仏教とヒンズー教の聖地で、カグベニから途中、キンガー、ジャルコットという二つの集落を越えていく。聖地だから巡礼者で相当賑わっているだろうと思っていたら、ここでも参拝客は我々だけという閑散ぶり。聖地というからには大きな建物や宿坊があるのかと思っていたら、境内の中には、チョルテン(仏塔)やゴンパ、メンダン、そしてヒンズー教の神を祀った小さな祠堂が点在するだけだ。そんな中でかろうじて目をひくのは、ムクチナラヤン(ヴィシュヌ神)を祀ったムクチナートの本殿で、その周りには108のダラ(蛇口)からの流水が白い糸を引きながら流れ落ちている。長閑なものだ。警備員も暇を持てあまし、ひなたぼっこをしている。仏教寺院のゾラマイ・ゴンパの本堂では本尊観音菩薩の下、石の間から炎が揺らめくのが見えるそうだ。実はわき出す天然ガスが燃えているらしいのだが、古くより崇められてきた聖なる炎だという。しかし、この炎は本殿にあると思っていたので、本殿で捜したが見つけられず、結局見逃してしまった。リサーチ不足で残念。
 ここからの眺めは抜群で、西空にツクチェピークを従え、凛と聳えるダウラギリ喫の姿は特に雄々しく見物だ。参拝後、ムクチナート直下にある集落ラ二ポワのロッジで食べた湯でたジャガイモ、リンゴサラダの素朴な味が忘れられない。
 この後、12:20ジョムソンに向け歩いて出発。古い城塞の村ジャルコット(3610m)やキンガーを通り抜け、途中のバッティ「ホリデイ・イン」で休憩。今日は昨日と違って向かい風を受けながら歩き、17:00にジョムソンへ到着。ここで陽が落ち、薄暗くなってしまったが、少しでも先に進んでおきたかった我々は、バイクタクシーを使ってマルファまで足を伸ばすことにした。ジョムソンからマルファまで自分の荷物を脇に抱えてバイクタクシー(250R)に乗り込んだ。陽が陰るといっぺんに寒くなってくる。マルファまでは25分くらいかかり、体が冷きってしまった。この間をポーターたちは歩いてきたが、荷物が軽くなったせいか僅か1時間足らずの差でマルファに到着した。さすがに山の民は健脚だと感心した。夜はストーブに当たりながらマルファ産ブランデーを飲んだ。
宿は「SNOW LEOPARD GUEST HOUSE」
メニュー例
Tuna Pizza(200R)、Mix Salad (110R) 、Chese Mushroom(150R)、Spagheti Tomato Sauces(130R)、Meat momo(120R)、Apple/ApricotBrandy(per qtr・bottle)(75R)

 トレッキング中、内田氏は、ロッジで注文した食事にほとんど手をつけず、持参した日本食をひとり部屋で作って食べることが多かった。

2日:マルファ(2667m)7:20−9:10ツクチェゲストハウス(2591m)9:40−12:15カロパニ(2530m)(昼食)13:30−レテ(2438m)−ガーサ(2013m)15:40−コプチェパニ17:00     SAINO  HOTEL

 かつて河口慧海は、ムスタンのチャランで身の危険を感じてマルファに避難し、ドルポ地方を経由してチベットへ潜入する起点としたという。宿から白壁の続くマルファの通りを少し歩いた所に先回見逃した河口慧海が逗留した家があり、記念館となっていたので立ち寄った。仏間の正面に慧海の写真が飾ってあった。
 慧海はマルファに着いてから約2ヶ月間、経典を読み、ネパール語を勉強して毎日を規則正しく過ごす。しかし、彼をインド人だとかイギリス人だとかという噂が立ち、これ以上マルファに留まることは得策ではないと判断し、山の雪が無くなる時期を見計らって出立することを決意する。このときに読んだ歌が、
「空の屋根 土をしとねの草枕 雲と水との旅をするなり」
(河口慧海「チベット旅行記」)である。
 しかし、この先チベットまでの旅は、荒涼たる岩山を歩くはず。実際には「土をしとねの草枕」ではなく「雪をしとねの岩枕」という厳しいものではなかっただろうか。
帰国後、ツクチェにも慧海が逗留した部屋がやはり博物館として公開されていることを知った。このジョムソン街道、まだ他にも慧海の足跡を残した建物がありそうだ。日本人トレッカーが多く訪れるこの地だからこそ、記念館としてやっていけるのだろう。
 村はずれからはカリガンダキ河に沿って南下。ツクチェまでの道はダウラギリがよく見える。途中、馬糞拾いの少年に彼の姿をデジカメで撮ってみせてあげる。約2時間歩き、ツクチェゲストハウスで休憩。屋上に上がるとダウラギリの山裾をバックにツクチェ・ゴンパ見える。暖かな日差しの下、景色を楽しみながらお茶を飲み、ここからラルジュンまでゴラを使おう相談したが肝心のゴラが掴まらない。結局歩くことにして出発。
 すると、カリガンダキの川原に出たところの1軒家にトラクターが止めてあるのを発見。折良く家の中から女性が出てきたので、半ばからかい気味にカロパニまでチャーターできないか、と頼むと一旦家に引っ込んだ後再び出てきて2100RならOKだというではないか。今朝、ツクチェに入る手前で10人ほどの村人たち乗せた1台のトラクターに追い越されるのを見て「あんな手もあるのか。いっぺん乗ってみたいもんだ」と思っていたから聞いてみたのだ。間もなく、頭をボリボリ掻きむしりながら眠そうな顔をした若者が出てきてトラクターに被せてあったビニルシートを剥がしはじめた。どうやら、先ほどの女性は母親だったようで「息子よ、金になる仕事が入ったよ。さ、起きて、起きて!」とたたき起こされ、渋々出てきたような感じのシチュエーションだ。
 ところが、このトラクター・タクシーはとんでもない乗りもので、出発してすぐにチャーターしたことを後悔した。ショックアブソーバーもスプリングもない荷車の上は、河床の凹凸をダイレクトに捉え、タイヤが石を乗り越すたびにドスンドスンと落ち、その都度強烈な衝撃が伝わってくるのだ。乗り込む時、母親が座布団のようなマットを5,6枚積み込んでくれたので、それを尻に敷いたり、背もたれに使ったりしていたが、ほとんど効果がない。あまりの激しい振動に噛みしめている奥歯までぐらぐらになってしまうほどだ。こんな苦痛がこの先何時間続くんだろうと不安にかられていると、川原の真ん中にあるバッティで突然停止。我々が乗っている荷車のタイヤの調子がおかしいと牽引していた荷車を切り離している。「おいおい、こんなところでキャンセルかよ」と口では文句を言いながら、ホッと胸をなで下ろす。ところが、今度は荷車なしのトラクター本体に計6人が乗って行くのだという。運転席一人分しかない座席にどうやって乗るのかと思っていたら、一人はドライバーの後ろに立ち、残りの4人は左右2人ずつに分かれて運転席横にあるタイヤハウス部分に座れというのだ。結局、荷物はトラクター前部の括り付けられるところに縛り付け、お互い振り落とされないようしがみつきながら、6人がトラクターに乗って川の中に突っ込んでいった。どんな悪路でもエンジンのうなり声を上げながらものともせず突き進んでいくトラクター。真っ青な青空の下、カリガンダキの水しぶきを浴びながらジャバジャバと進んでいく快感はたまらない。思わぬ冒険の旅に年を忘れて興奮しっぱなしだった。やがてカロパニに上陸し、人間満載のトラクターが道をすすんで行くと、両脇から村人が飛び出してきて好奇の目で見るのが面白かった。まるで、映画などで見る戦争に勝った兵士が戦車の上に乗って凱旋パレードしているような気分だった。カロパニ(2520m)へは昼過ぎに到着。昼食をとったレストランの庭先からはアンナプルナ喫が見えた。このカロパニはダウラギリ、アンナプルナという二つの8000m峰に挟まれた集落なのだ。
 昼食後は、レテ、ガーサを通り抜け、足元の石段が薄暗くて見えにくくなった頃コプチェパニに到着した。この坂道の途中にあるロッジは6年前に泊まったところで、宿泊する部屋まで同じだった。ここのロッジは二人で90R。この宿の娘クマリ(13才)は、今晩下の村ダナでダンスパーティがあって、それに参加するのだと身綺麗な格好をし、うっすらと顔に化粧をしていた。宿の二階から薄暗い中、遠くは三段の滝「ルクセチャラ」、近くにはムスタンからポカラに売られていく毛をピンクに着色された200頭ほどの羊の群れが一カ所に集まってじっとしているのが見えた。

3日:コプチェパニ7:00−ルクセチャラ7:45−ダナ(1446m)8:42−11:00タトパニ(1189m)(入浴・昼食)12:40−分岐13:20−ガーラ(1768m)−シーカ(1920m)16:30着 ロッジ「モナリザ」泊

 ルクセチャラの見物。と、ここまで前後して歩いてきた母子連れが滝の袂にある1軒のバッティの中に入っていき、店の戸を開け始めた。たしか、この親子、昨日コプチェパニより上にある村のロッジで見かけた親子だ。どうやら毎日、ここまで下りてきて店を開いているようす。
 この先ダナまでの間は、あちこちで道路造成工事をしていた。対岸からカラカラと石が落ちてくる音がする。何事かと見上げれば、河床まで100mくらいはありそうな断崖絶壁の上で数人が作業している。よく見れば、命綱も着けず手作業で工事をしている。いくら山岳民族だからといっても危険極まりない仕事である。でも、そのうちパキスタンンのカラコルム・ハイウエーのように秘境ローマンタンまで断崖絶壁を縫って走るジョムソン・ハイウエーができるかもしれないなと思った。
 乾燥したロバの糞と砂埃を吸いながら黙々と下流へ下っていく。やがて川の流れも緩くなり、川の淵に沿って歩くようになると、ほどなくタトパニだ。このあたりまで下ってくるとさすがに空気も暖かく、日だまりはぽかぽかと気持ちよい。川原の一角にある温泉は、プールのような四角い湯船で決して風情があるとは言えないつくり。しかし、4日ぶりに入る風呂だ、贅沢なんて言っていられない。早速20R払い、水着に着替えて入浴する。お湯は温めだが、その温もりが体にじわっと染み込み、溜まった疲れも溶けていくような心地良さ。下着を替え、さっぱりした後はやっぱりビールで乾杯となる。
 
 タトパニからガーラ、シーカを越えてゴラパニに向かう尾根道は、今回初めて通るコース。ベニとゴラパニに分かれる分岐点からガーラまで標高差600mを登る急坂で、昼食時にビールを飲んだことを後悔する辛い登りが2時間ほど続いた。しかし、ガーラを越えるとシーカまではなだらかになり、後方に姿を変えたダウラギリが頭を見せるようになってくる。シーカのロッジは「モナリザ」。ここも泊まり客は我々のパーティ5人だけ。カグベニからここまで行き交うトレッカーはほとんどおらず、いつからこんなに寂れてしまったのだろう。
 夕食を食べているとポーターのダンが
「サーブ、今度ネパールへ来るときも俺たちを雇ってくれないか。エージェントを通さず、俺たちに直接連絡してもらってもいい。俺のメールアドレス、今書いて渡すから。」と話を持ちかけてきた。
「今度は、どこへ行きたい?そう、ドルポのポクスンド湖あたりだったら1000ドルくらいで行けるよ。ローマンタンは、もっと高くなるから、ドルポがいいね。」
「ダン、分かった。次回はドルポかゴーキョがいいな。その時は、また、あんたたちにお願いするよ」
 字が書けなくて、自分のアドレス(danshai12@hotmail.com)をナマラジに書いてもらっていたダン、どうやってメールのやりとりをする気なのだろう。いい奴だが頼むとしたら、やっぱりエージェンシー経由になるだろうな、そう思ったが黙っていた。
 ロッジの屋上から、ダウラギリの夕景と夜明けのモルゲンロートをバッチリ拝むことができた。

4日:シーカ(1920m)7:20−ファラーテ(2256m)9:00−チットレ(2316m)−11:40ゴラパニ(2855m)(昼食)13:00−14:00プーンヒル15:00−ゴラパニ15:40

 今日も一日登りが続く。シーカを出てチットレ付近まで来ると、菜の花畑に浮かぶダウラギリやツクチェピークが目を楽しませてくれるようになる。途中、内田氏の知り合いが経営しているロッジに立ちより、コーラを飲んだ。
 ゴラパニで(2853m)ホテルを決め、昼食後早速プーンヒルへ。約1時間で到着するこのプーンヒルは好展望で有名な所だ。東からマチャプチャレ、ヒウンチュリ、アンナプルナ南峰、アンナプルナ喫と氷雪の主稜線が連り、その左側にはニルギリが、そして正面にダウラギリ喫がどっしりと腰を据えている。これほどの絶景は、俺の人生ではそう何度もお目にかかれないだろう。ところで、アンナプルナ南峰の裾野からずっと煙立ち上がっている。あんな上の方で野焼きをするのかと思ってナマラジに聞くと山火事だと言う。
 ヒルトップ・ロッジは、かなりガタのきている木造3階建て。夜になると、部屋の窓越しに山火事の火の手がはっきり見えた。満月に照らし出された山裾を焼く火勢は、思った以上の勢いだった。
窓から見たサウスの夕焼けが綺麗だった。
 さすがに、ここゴラパニまで来るとトレッカーの数も増え、メインストリートを歩くとヨーロッパ人の姿が目につき、ロッジでは家族連れパーティが目立った。なぜか全ての建物が青いペンキで塗られているブルーな村。プーンヒルでは、10月に日本を出て、インドを周り最近ネパールにやってきたという25才の青年、また、ダッカにあるユニセフに勤め、現在は金山に住んでいるという62才の日本人男性たちと話を交わした。
 夜、内田氏からポカラ〜カトマンズ間の航空券を紛失したと聞き、捜したが結局見つからなかった。

5日:ゴラパニ7:40−デオラリ9:26−バンタンティ10:44−12:05タダパニ13:20−バイシカルカ13:55−ガンドルン(1951m)16:00

 明くる日も尾根伝いに歩き、デオラリを通ってタダパニへ昼に到着。ここから見るアンナプルナ南峰はさらに大きく、真っ青な空の下、がっしりとアンナプルナ喫を守る護衛兵のように立ちはだかっている。チョムロンやアンナプルナ内院へ続く道が見える。
「内院か、そこにも行ってみたいなあ…」
次への思いを馳せ、素晴らしい眺望とトレッキングもあと僅かという気安さからビール瓶がテーブルの上に並んだ。あとは、最終日のナヤプルまで下るだけだ。
バイシカルカはハヌマーン・ラングールという手長ザルがいることで有名なところ。バッティの親父にサルがいるのか聞いてみると
「ツウ マンキー、ゴン、イエスタディ!」
と言った。かつてインドで見たことのあるヒンズー教の神ハヌマーンとされるサルだが、残念ながら見つけられなかった。
 今晩の宿泊地、ガンドルンは大きな村で電気もシャワーも有るという。しかし、到着してロッジに入ってみると、ホットシャワ−は使用できたものの肝心な電気の方は停電中だとか。モディコーラ対岸のランドルンや山の中腹にある集落には電気が点っているのに、ここだけ停電で、やっぱりロウソクとヘッ電頼みだった。渇水期には、こうやって順に停電すると聞いた。
 アンナプルナ地域の自然や文化の保全と開発は、政府のACAP(Annapluna Conservation Area Project)が管理している。けっこう細かいところまで目が行き届いていて、薪に使う樹を伐採する場所の指定から、食堂のメニューの価格まで認可制になっているらしい。

6日:ガンドルン−ナヤプル−ポカラ−カトマンズ Hotel Vaishali

 ガンドルンからナヤプルまでは長い長〜い下り道。最後のナヤプルにはマオイストのチェックポストがあって、ツーリスト一人当たり1000ルピーの通行税を徴収された。ナヤプルからはミニタクシーを利用してポカラへ。ダンとティルは乗り合いバスに乗ってやって来た。昼食は最初にポカラで泊まったマンズ・ガーデン・リゾートでジャパニーズセット(350R)を食べた。
 内田氏の無くした航空券もナマラジの控えで解決し、無事ブッダ航空でカトマンズまで戻った。ホテルで部屋の整理をした後、夕方ニンマ・テンジンがやってきた。ニンマの案内でお土産(マムート中間着27ドル、ティー、帽子、テーブルクロス、地図)を買った後、近くの韓国料理屋に行って豚肉をがつがつ食べた。ニンマは、かつて3回ほど一緒にトレッキングに出かけたサーダーだが、最近は山に出かけることも少ないようで収入も少なく、かなり老けて精彩を欠いていた。
 
7日:カトマンズ14:05−18:30バンコク22:00

 8時にニンマがやって来て、ハヌマンドカ、スワヤンブナート観光。その後タメル地区に戻って買い物(ノースフエィス中間着30ドル)をし、その足で「ヒマラヤン・アクティビティーズ」のオフィスに顔を出し、今回世話になった春日山さんにお礼を言ってきた。ホテルに戻り荷物をまとめて11:00にチエックアウト。ホテルのロビーで待っていると、春日山さんとラグーが迎えに来てくれた。

8日:−関空05:10−名古屋10:30

バンコクからの帰国便で突然腹の調子が悪くなり、冷や汗をかきながら家に戻った。

 



kantaro_ar at 23:39│Comments(0)TrackBack(0)

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