SHOO FUTEBOL CLUBE (勝央FC)公式blog

SHOO FUTEBOL CLUBE (SHOO-FC) 岡山県4種登録 吉野サッカー少年団と古吉野サッカー少年団の選手が減少・・・ 当時両少年団に関わられていたT先生の発案で合併となった。コテコテのドリブルを実践して、こだわりのサッカーを楽しめるよう日々頑張っています! 現在では6年生(4名) 5年生(6名) 4年生以下十数名で活動をしております、最近では町外からも5名加わってくれました(^_^) 町内外のサッカーが巧くなりたい小僧達、常時選手募集中です!

futebol clube WILL 2017クラブ生募集!

2017年度クラブ生募集!

 ジュニア年代最後の大会トヨペットカップも一次予選が終了です、県大会へコマを進めたチームの皆様、
おめでとうございます。
県内百数十チームが参加し本日で県大会出場チームが決定したと思われます。

残念ながら予選敗退となったチームの皆さん、これで終わりではありませんよこれからです…

この先いろんな選択をし新たなカテゴリーへとステップしていくわけですが、futebol clube WILLも2017年度
新メンバーを募集いたします。


今月から第2回無料体験練習

会場:勝央町旧吉野小グランドにて行います。
19:00~21:00

2月6日・8日・13日・15日・20日・23日、と体験練習を開催いたします。

WILL合同練習会は2月18日AM9時30分~を予定しております。
(詳しい詳細は後日お知らせいたします。)

謹賀新年!

2017 明けましておめでとうございます。

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を忘れずゆっくりと皆様と共に歩んでいきたいと思います、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。



SHOO futebol clube

少年たちに…

最近はサッカーの情報が簡単に見えたり、またDVD等で上達参考資料がたくさんあふれています。


その中で私がおすすめする上達のためのDVD+上達本!
SHOOチビドリダー達に…



カンゼンから出ている土屋健二氏の上達本+DVD   オオーw(*゚o゚*)w


リフティングバイブル


フェイントバイブル


個人戦術バイブル



この3商品をお勧めします、よかったら購入してみてください。(強制ではありませんが…)



☆ ご父兄も見ていただけるともっとSHOOfuteの目指すところ、また子供達へ伝えようとしているところ、ご理解いただけるように思います。

SHOOフェスタ

11月12・13日と今年もSHOOフェスタを開催いたしました。


他府県から沢山のチームにご参加いただき、また選手たちはいろんな刺激を受けて有意義なそして、楽しい2日間をすごすことが出来ました。

2日目はグランド確保に手間取ってしまい、皆様には大変ご不便をおかけしたこと、申し訳なく思っております、2会場での開催となりましたがご理解を頂き無事終了できたこと感謝しております。

来年もSHOOフェスタ、この時期2017年11月11・12日に開催いたす予定でおります、再会できること楽しみにしておりますので末永くお付き合い宜しくお願いいたします。


最後になりましたが、選手・ご父兄様2日間疲れ様でした、6年生2人ですが次の目標に向かって進んでいきましょう。

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スポーツは『良い子』を育てるか

参考図書 -スポーツは「良い子」を育てるか- からの引用文


"生まれつき"に大きく左右される「筋力」

筋力とは文字どうり、筋肉が出す力の大きさを示す要素です。スポーツの中で動きの「力強さ」を形作ります。 たいていのスポーツでは、一瞬のうちに大きな筋力を発揮する能力である「瞬発力」が優れているほど、 好ましいとされます。筋力には、この瞬発力の他に、一定のレベルの筋力を長時間出し続けることのできる 「筋持久力」という要素もあります。同じ動作を反復しても疲れにくい筋肉は、筋持久力に優れていると いえます。これらの筋力の強さは、遺伝的な要素に大きく左右されるといわれています。足の速い子、 力の強い子は、もともとそういう能力を持って生まれてくるケースがほとんどであるとされています。 ですから、少年期のスポーツで活躍する子供の多くは、生来の筋力に優れた子供なのです。しかし、 思春期以降になると、トレーニングによって筋力の強さを身につけていくことが可能です。


少年時代にもっとも大事な「調整力」

動きを素早く、上手く、バランスよく行おうとする要素です。プレーの「巧みさ」を形作ります。 調整力はスポーツのテクニックを習得するときに最も重要な役割を果たすもので、10歳前後から12,13歳 くらいまでの時期に最も伸びるとされています。この年代を、スポーツのテクニックを獲得するのに最も 適した年代ということで、「ゴールデンエイジ」と呼ぶことがあります。調整力に含まれる素早い動き 、つまり「敏捷性」は、「瞬発力」とも深い関係にあります。


ゴールデンエイジと動きの「ひな形」づくり

アメリカ・メジャーリーグで大活躍のイチロー選手が「今の自分のバッティングの基礎はすべて、小学 5・6年生のときの練習にある」と語っていました。イチロー選手はその頃、父親と一緒に毎日のように バッティングセンターに通い、速いボールに合わせてバットを振る練習を重ねていたそうです。この エピソードには少年時代の成長とスポーツの関係を理解する上での、重要なメッセージがふくまれています。

人間の体の機能は、生まれて成人になるまで、全ての要素が均一にバランスよく育っていくわけではありません。 あるときにはAという要素が、またあるときにはBという要素というように、成長の時期によってそれぞれの 要素の発達する割合が異なってきます。それを分かりやすく表したものが、スキャモンの発達曲線です。 この発達曲線から、小学生の後半、10歳以降の時期に「神経系」の機能の発達を示す「神経型」の曲線 がピークに近づいていることが見て取れます。脳をはじめとする神経系の機能は、10歳で大人のほぼ90% 近くにまで発達してしまうということです。だからこそ、その神経系の働きに最も深く関係する巧みさ のトレーニングは、ゴールデンエイジと呼ばれる10-12・13歳くらいのときに集中して行う必要があるのです。

例えば野球のバッティング動作では、まず眼で飛んでくるボールを捕らえ、球筋を見積もり ながら、どのタイミングで足を踏み出し、体をひねり、バットを振ればいいかを瞬時に決定し、実行に 移さねばなりません。眼と体の正確な供応動作を、一瞬のうちに行わねばならないのです。イチロー 選手は11-12歳の頃に、バッティングセンターで毎日のように速いボールに合わせてバットを振ることで 、眼と体の供応動作を存分にトレーニングできたのです。どんなボールにでも巧みにバットを合わせて しまうイチロー選手の高度なバッティング技術は、彼の体の発達過程で最も適した時期、つまり ゴールデンエイジに、最も適した環境が用意されたことで身についたといえるでしょう。

少年時代のスポーツでは、「力強さ」や「粘り強さ」よりも、「巧みさ」を特に刺激しておく べきであることが分かって頂けたと思います。ところが、「強さ」「粘り強さ」を前面に押し出して、 いわゆる体力勝負を仕掛けていけば、多くの少年スポーツで勝利が得やすいという現実があります。 しかし、そのように「強さ」「粘り強さ」を「巧みさ」の上位に置くようなスポーツ環境は、子供の 発達のメカニズムからいえば適切ではないのです。

その適切ではない環境づくりの結果、スポーツを行う子ども自身にどのようなデメリットが 生じるかは、すぐには認識できません。認識できるのは、中学生後半、あるいは高校生になってからです。 急激な体の成長が一段落し、体力トレーニングによって自分の劣る部分を強化できる年代になると、 「強さ」「粘り強さ」を前面に押し出してきた選手が自分の技術の未熟さに気づき、改めて技術の 「巧みさ」を磨こうと思っても、もう手遅れなのです。それを身につけるために最も適した時期である ゴールデンエイジは、もうとっくに過ぎてしまっているからです。



「勝敗」に対する大人の姿勢

子供は単純に強いものが好きです。子供は未熟ですから、スポーツから勝敗の結果以外に何かを学ぶと いう価値観はなかなか持てません。勝ち負けにこだわる気持ちは、大人より強くあります。だからこそ 子供に対して「スポーツをするのは勝つためばかりではないのだ」と諭すのが大人の役目のはずです。 ところが、本来、教育的な態度をとるべきはずの親のほうが勝敗やチームの優劣にこだわり、我が子が 「勝てるチームの一員」であるためにエゴを丸出しにしてしまうという現状があります。こういう環境 では、少年たちはスポーツをすることで勝敗を超えた「何か」を学ぶのではなく、目先の勝利のための 「計算高さ」ばかりを身に付けていくことになります。果たしてそれが、親が子供に「スポーツを通じて 学んで欲しい」と望んだことだったのでしょうか。


勝利の代償として失われていくもの
―少年時代の勝利の方程式は「選別と機械化」―


少年スポーツで勝利をえるにはある原則があって、その効力は本人の努力や指導者の工夫では覆せない ほど強力です。

原則の1つとは、運動能力の高い子供の数が多いチームが勝つ、ということです。ここでいう運動能力とは、 一般に「運動神経」などといわれているものです。足の速い子、力の強い子、体育の得意な子、そういう子が いかにチームに多くいるかで、少年スポーツの戦力はほぼ決まってしまいます。前項で紹介したような、 遺伝的に優れた運動能力を持つ子が何人いるかで、勝負の大勢は戦う前にほぼ決まってしまうのです。

小学生では、同じ学区の顔見知りの子供たちでチームを作ることが普通の形です。学区は たいてい、世帯数や人口などによって区切られますから、1つの学区にいる子供の数は基本的には平均化 されています。ですから、その中にいる運動能力の高い子供の割合も、ほぼ平均化されるわけです。しかし、 年度によってはある学区に運動能力の優れた子が多く、別の学区では少ないということもあります。 そうした自然の摂理の中で、年度によって強いチームができたり、できなかったりするわけです。 少年スポーツとは本来、そんな流れの中で、勝敗にあくせくせず、「人間万事塞翁が馬」として顔見知り の仲間たちと気楽に楽しまれるべきものです。

2つ目の原則とは、子供自身があまり考えずに、大人の言う通りに動くよう訓練されたチームが 勝つ、ということです。スポーツの楽しみの1つは、プレーの場面場面で判断し、自分の責任において 次の行動を決定していく部分にあります。自分が思うようにプレーできるからこそ、それがたとえ上手く いかなくても、スポーツは楽しいのです。ところが子供は未熟ですから、プレーのバリエーションは 限られていますし、大人から見れば判断ミスをします。そこで、あまり子供に判断をさせず、機械のように あらかじめ決まった動きを徹底させ、無駄を省いて試合を進めていくほうが、少年スポーツでは勝利 を得るには効率的ということになります。

機械的な動きを運動能力の高い子供たちに実行させると、恐ろしく統制のとれた、合理的な プレーをするチームが出来上がります。大人のスポーツでは、よく考えずに機械的な動きをする選手は むしろ愚かな選手であり、よく考え、工夫する賢い選手に、最終的には負けてしまうものです。しかし これは、技術も体力も十分な力が備わり、それを駆使できるようになってからの話です。全ての部分で 未熟な少年期では、大人の世界ではむしろ「愚か」と判断されることを機械的に徹底したほうが、勝利には 近いのです。

もう1つ、少年スポーツで勝つための原則があります。それは能力の高い子供だけを選別して 訓練し、能力の低い子供はできるだけ排除していくことです。

例えばサッカーのJリーグの下部組織は、能力の高い子供のみを指導するエリート養成の機関 ですから、セレクションを開催し、はじめから一定の能力に達している子供だけが選抜され、入部が 許可されます。こうした方法で才能のある素材をエリート教育していくことも、日本のレベルアップには 必要かもしれません。しかし、そうしたエリート養成を受けられるのは、ごく一部のだけ子供です。 それ以外の、多くの「普通」の子供たちは、地域の少年スポーツクラブで楽しむことになります。 言い換えれば、地域のスポーツクラブの使命はエリート養成にあるのではなく、「普通」の子供たちに 対する地道な指導であるはずです。



子供は調教されたサーカスの熊ではない

能力の劣る子供がやめざるを得ないような環境をつくり、残された能力の高い子供に勝つための手法を 徹底して教え込むチームづくりをすれば、小学生のうちは大抵の試合に勝つことができます。しかし、 自分の判断をほとんど介さず訓練された通りに動くことでいくら勝利を重ねても、それはスポーツにおける 勝利とはいえないと思います。スポーツは、人が頭脳と肉体を駆使して競い合うものです。種目に関わらず 、プレー中には、瞬間瞬間に無数の方法が用意されています。その中から何を選び、それを、いつ、どこで、 どれだけ、どのように使っていくかを、プレーする本人が選択、決断していくのです。瞬間的な試行錯誤が 、誰にも束縛せれず自分自身の中で行われるからこそ、人はスポーツをすることで充実感を得るのです。 芸術に興味がある人が絵筆や楽器で自己表現するように、スポーツは思考と肉体で自己表現する手段 なのです。

しかし、子供のプレーの多くが監督・コーチなど大人に指示されたものであるなら、それを 忠実に実行することは自己表現とは呼べません。子供は大人の身代わりになってフィールドに立ち、 大人の考えたことを再現する操り人形にすぎないのです。私は、このように子供が自らの判断を 持たず、大人の言うなりにプレーすることを、「調教」と呼んでいます。「調教」という言葉で思い出すのは サーカスの熊です。熊は客を楽しませようと自分なりに工夫したり、よりよい演技をしようという向上心 を持つことはありません。熊は毎日、強制的に調教された動きを反復することしかできません。

繰り返し反復して訓練されたことを表現するという意味では、調教された動物の動きとスポーツ のプレーは表面上は似ています。しかし、決定的な違いは、スポーツではプレーする本人が自ら考え、 工夫するということです。それは、人間にしかできないことです。だからこそ、人間だけが、体の動き を「スポーツ」という形にして楽しむことができるのです。言い換えるなら、子供に動物を調教するように スポーツをさせるなら、それはとても非人間的な行為であるということもできます。実際、大人に言われるが ままにプレーすることは、子供にとって楽しいどころか、むしろ苦痛であるはずです。しかし、その 苦痛をまぎらわせる「麻薬」があります。それが「勝利」なのです。

どんなにプレーそのものがつまらなくても、あるいは自分の思いどうりにプレーできなくても、 最終的にチームが勝利し、自分が勝利者の一員になるという瞬間があると、苦痛は忘れてしまいます。 特に少年時代は、まだスポーツプレーの奥深さを知るには経験不足で、自分が工夫できた喜びや、技術 、戦術を駆使できた喜びといった、高度な充実感を得ることはできません。そのため、少年たちの喜びの 比重は、最も身近で簡単な「勝利」に傾くことになります。自分やチームのプレーの内容を省みるよりも、 「勝つか負けるか」という、最も単純な部分に関心が集まるのです。子供の中では、勝つことこそが全て なのです。勝利するのであれば、あえて「つまらない」ことにも耐えていけるようになります。

こうして、ただの勝利という麻薬に溺れて「調教」されることを受け入れていくと、やがて その子供はスポーツで最も重要な「自律」の能力、つまり自ら考え工夫し、自分をコントロールしていく 能力を弱めてしまうことになります。指示に対しては忠実に遂行できるものの、自分の判断を迫られる ような局面になると応用力が発揮できない人間になってしまいます。集団のなかの「駒」として機能 することはできても、「個」としての存在感が示せない人間になってしまいます。それは、長じて成熟した 大人のスポーツを行うようになったときに、最も役に立たない選手として認識される姿なのです。

子供にプレーを判断させながらチームをつくるよりも「調教」した方が、少年スポーツでは 間違いなく勝利には近いでしょう。また、子供自身も勝利することで不満の多くを昇華させてしまいます。 ですから、少年時代という短い期間だけを切り取るなら、たとえ「調教」されるような環境であっても、 チームが勝ってさえいれば楽しく満足したスポーツライフと感じられるかもしれません。しかし、そうやって 「調教」された子供は、人間として、スポーツマンとして、最も大切なものを置き忘れて育ってしまう のです。


-スポーツは「良い子」を育てるか、永井洋一、生活人新書-

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