「命」をテーマに・・・

みんなが生まれてきた意味、

今、自分がすべき使命、

なんのために・・・


人は、自分のことより、人のために出る力の方が大きい。


生きる意味を、みんな それぞれ深く深く考えた。


そして、このセミナーの最後に、知覧特攻隊の手紙の映像を見て

さらに、いろんな思いを持った・・・

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昭和二十(一九四五)年の三月から六月にかけて
鹿児島県の知覧から陸軍の特別攻撃隊が飛び立ち、
沖縄周辺のアメリカ艦隊に向けて突撃した。

爆弾を抱えて飛行機ごと敵艦に突入するという悲惨な「作戦」に
志願したのは、二十歳前後の未来ある若者たち。

六十年前の若者たちが命を捨てても守りたかったもの、
それは何だったのか・・・

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軍隊へ入ってお母さんにお会いしたのは三度ですよね。
一度は去年の休暇、二度目は去年の暮近く館林まで
来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
わざわざ長い旅をリュックサックを背って会いに来てくださった
お母さんの姿を見、何か云うと涙が出そうで、つい、
わざわざ来なくても良かったのに等と口では反対の事を
云ってしまったりして申し訳ありませんでした。
あの時、お母さんと東京を歩いた思い出は、
極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となることでしょう。
あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ・・・。
手を繋いでお参りしましたよね。
休暇で帰った時も、お母さんは飛んで迎えに出てくださいましたよね。
去年の時もそうでした。
日本一のお母さんを持った新平は常に幸せでした。

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藤井 一 (少佐 昭和20年5月28日出撃戦死 茨城県 29歳)

【藤井中尉は年齢が若くなく妻と二人の子どもがいた。
このような年長で面倒をみなければならない家族が多い将校などの
場合は特攻には採用されず、藤井中尉の志願は叶わなかった。

その思いを知った妻の福子さんは

「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍が
できないでしょうから一足お先に逝って待っています」

と遺書を残し
長女と次女の二児に晴れ着を着せ、飛行学校の近くを
流れる厳寒の荒川に身を投げた】


冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消し命。
母と共に殉国の血に燃ゆる父の意思に添って
一足先に父と殉じた哀れにも悲しい、
しかも笑っている如く喜んで母と共に消え去った
幼い命がいとおしい。
父も近く御前達の後を追って行ける事だろう。
嫌がらずに今度は父の膝に懐(なじん)でだっこして寝んねしようね。
それまでは泣かずに待っていて下さい。
千恵子ちゃんが泣いたらよく御守しなさい。
では暫く左様なら。
父ちゃんは戦地で立派な手柄をたてて御土産にして参ります。
では、一子(かずこ)ちゃんも、千恵子ちゃんもそれまで待ってて頂戴。

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死を目の前にして、ここまで人のことを思いやれるのか。

人のことを思うからこそできたのか


どうしても守りたかった。

愛する人のためだから・・・

まっすぐ前を見て、迷うことなく立ち向かう姿勢、
この背中に、残された者達は、誇りを感じ
この意思を継ぎ、国を守った。

当時の強さと優しい心を持った若者達が
戦後の日本を作り、今の日本がある。

彼らは愛する者達のために、自分の命を投げ出した。
自分の命より大切なもののために。

私達には、こんな勇敢な日本人としての誇り高き血が
受け継がれている。

今日は、昨日どうしても生きたいと願い、
それが叶えられなかった人の明日だから・・・

   私達は、今を大切に生きる。

命ある事に感謝
       ありがとう