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こんにちは、やはりだんだんと蒸し暑さが上がってきている日曜の午前中、如何お過ごしですか?



もう10年近くになりますが、ここ2年ほどよく感じる、というか、体験することなのですが。

音楽をやる上でよく言われる「降りてくる」という体験...


考えてみると10代の頃は「そんな感覚」が頻繁にあった記憶があります。

ところが、いつの頃からか「自分で自分をコントロール」、というより「自分の中でしか」音が「まわらなく」なってしまい...

すなわち「お仕事」という状況にかかわらず「自分は一体何をやっているんだろうか?」と疑問に思う...あくまでも漠然と、ということが多かったのですが...ことが多くなってくる...


もしかするとそういう状況にあるプレーヤーは世間の人が見ると「プロ」ということになるのかもしれませんが。

自分の場合、自分の中の自分が何故か「NO」とはっきり言ってくるのが聞こえてきて仕方がなかったので...

そこで、いわゆる「セッション」というものをするようになりました。


繰り返してゆくとわかってくるのですが。

...あ、
僕の場合、セッションというのは「あらかじめ決めた曲をコピーしてきて合わせる」というものではないです。

お互いの出す音に誘発されながらどんどんプレイをしてゆく、というものが僕にとっては「セッション」というものです。


繰り返しているうちに、いわゆる「ポップス」のフィールドの方とセッションをしても「曲」、なにかどこかに既にあるような「有りもの」に向かってしまう傾向が多い気がしました。

それでは僕の場合「セッション」をする意味が全くないのです。

そんなこんなで色々な方と、ジャンルを問わず...
時には楽器以外の方とも「セッション」を繰り返してきたのですが。


ある日突然、自分一人で作業をしている時に「自分」という存在のようなものが変質?して音楽と同化するような「ある感覚」を得る、という体験を久々にしまして。


「あ、この感覚!」


そう、それが面白くて楽器を弾いていた、ということを痛感したりしていました。



前にも書きましたが、子供の頃は絵を描くのが好きだった僕ですが...
あの頃に「より強く感じた」あの感覚。


生きてきた様々、感じてきたいろいろ...

そういったものが自然に、というか、なにか導かれるような感覚を持ちつつ、自分の中から「音」として出てくる....


ギターを初めてまる40年経ちましたが...

これまた前にも書きました、とある大先生の「10年一節」というお言葉からすると、やっと4節を終え、5節目に向かう自分にとっては、なにか嬉しいような、でも怖いような...

もしかするとそれを「楽しい」というのかもしれない...

そして前記しました大先生のお言葉である「ギターは弾かないと音が出ない」...


そんなことが何となく、ですが、わかってきた、という体感?のようなものを感じている今日このごろです(^ ^)






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