2008年03月

2008年03月31日

ゼンマイ式柱時計は丈夫で正確だ




現在も柱時計は見かけることもあるけれど

私の青年時代迄は何処の家の柱にも

ゼンマイ式柱時計は掛かっていた。


柱時計からは時報を知らせる音がボーン・ぼーんと

聞こえたのでボンボン時計とも呼ばれていた。


文字板は殆ど白色系だった。

時と分の針の左右にゼンマイを巻く為の穴が二個あり、

一つは時計のゼンマイ、片方は時報の鐘を鳴らす為のゼンマイ、

大体、一度に左右のゼンマイを満タンに巻くと一週間は巻かずに

ゼンマイは保った。


鐘の音がゼンマイが無くなって来たバロメータにもなる。

ゼンマイが無くなって来るにつれ鐘の音がノンビリと鳴りだす。

そうなると私の家では親父が木製の椅子を持ち出し

其の上に乗り、柱時計の前面の蓋を開けて

振り子を止めてから左右のゼンマイをしっかりと巻き、

時計の針をその時の時間に合わせて、振り子を指先で動かして

振り子の動作を確かめ最後に元通りに蓋を閉めて完了と成る。


この決まった作業は毎週決まった日に繰り返される

一つの儀式な様なものだった。


この少し大型な柱時計、何十年も故障も無く

かなり正確に動作していた。


我が家で使わなくなったのも壊れたのではなく、

私が当時は未だ珍しかった蛍光表示管のデジタル時計の

試作品に換えたからゼンマイ式柱時計は物置で

後年、ゴミとなってしまった。


先程ゼンマイ式柱時計の話が出て

家人が勿体無かったと一言呟いた。







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2008年03月30日

禁猟に成る前に焼き鳥パーティーだ




昭和三十六年から三十八年に掛けて

禁漁期間に入る前にそれぞれ友達の

鉄砲撃ちが獲物を持ち合わせて

焼き鳥パーティーを私の家の庭で催した。


鉄砲を撃つ専門家達、自衛隊の隊員である。

何人かの隊員達と知り合いに成ったのは終列車だった。

私も隊員も通学の帰りにどちらともなく挨拶をするように成り

彼達は夜間のテレビ専門学校に通学していた。 



ある日隣合わせた隊員の一人が試験勉強をしていたが

難問にぶつかり仲間と考え込んでいた。

偶然私が其の問題を以前に勉強したことが有ったので

隣から口出しをして難問の糸口を教えたら

頭の良い彼達は素早く理解してしまった。


そんなことが何回か有り、知り合いから友達へと発展した。

友達に成った四人の隊員は皆自衛隊のなかでも

射撃が得意だった様だ。

狩猟も好きで休日に外出が出来た冬期は山で空気銃で

鳥を捕っては我が家に持って来て料理して一杯やっていた。


そして春先になり、其の年の禁漁期間に入る前に

隊員何人かで猟に行き、獲物を沢山ぶら下げて

私の家に遣ってくる。


私の母親も一緒に手伝って獲物の皮を剥き、焼き鳥にする。

焼き鳥の炭火は予め私が石油缶を改造して作った

簡易コンロである。


初めはなかなか火加減の調節が巧くは行かず苦労した。

空気の取り込み口の太さや長さとゴトクの高さを

調整している間に何とか巧く偶然に出来た。


其の甲斐有って、炭火焼きは美味かった。

タレは母親が腕を振るって毎回工夫して作って呉れた。

酒は何故か毎度、丸瓶のウイスキーをロックで飲んだ。


そして夜八時に成ると隊員達は隊に帰って行った。

焼き鳥を食べながら隊員達が話す話は自分の故郷と

親や兄弟の話に花が咲いたが、たまには居酒屋等の

お姉さん方の話も出て瓢箪から駒ではないが其の居酒屋の

お姉さんと後日結婚して幸せな家庭を築いたとの話も聞いた。



この寒風の中での焼き鳥庭パーティーは二年程楽しんだが

三年目の春、友達同士だった隊員さんは除隊したり

転任したりして一人も居なく成った。



桜の花ビラが風に舞ながら一枚一枚何処かに

飛んで行くように二度と一輪には戻って美しくは

咲くことはなく、枝には又春には新しい蕾が生まれる・・・



私は東京、上野公園の満開に咲き誇る桜並木を歩きながら

半世紀近く昔を思い浮かべた春の宵だった。






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2008年03月29日

ジュースと言えばプラッシー




武田のプラッシーだ!!

宣伝をするのでは無い。


特に私が中学生から高校生にかけて

家ではジュースと言えば必ずプラッシーだった。



プラッシーはお米の配給所で販売されていた。


我が家では米、薪、プラッシーは母がお米の配給所に

三品を一度に、毎月注文するのが習わしの如くだった。

おそらく配給所の人達と懇意だったからだと思うが

母から其の本当の理由は聞かずじまいになってしまった。



このプラッシーは果物の薄皮の沈殿物がガラスビンの底で

ボウフラの様にフラフラ動いていて、見た目はゴミが

入って入る様だったから、慣れないと感じが良くは無かった。


だが冷蔵庫で冷たく冷やして暑い日等にグイグイと飲むと

酸味とアッサリした甘味が程良く口の中で調和して

私も家人も好きだった。


旨い味でもジュースだから同じものを何年も

飲み続けると飽きて来て、最後はプラッシーの

空ビンさえ見るのが鬱陶しく成ってしまい、

私が成人してからは他の飲料水を飲んでいる。



近年はプラッシーもガラスビンでは無くなったと耳にしたが

昔の思い出の味を今更壊したくも無いので

現代のプラッシーは飲まないことにした。






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2008年03月28日

今日の色紙1枚




三月二十八日の色紙



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蚊帳を吊る季節は無くなった




転寝をしていたら珍しく蚊に頬っぺたを刺された。



目を覚ましたら部屋の隅を蚊が腹を満足したかの様に

よたよたと飛んでいた。


現在の住まいは昔は藪だったと聞いている。


昔の藪蚊の子孫か何処からか引っ越して居ついた蚊なのか? 


何れにしても未だ今頃の蚊は人を刺すことは

滅多に無いはずだが、中には変わった蚊もいるのだろう。



昭和の中頃迄は元私が住んでいた家は庭に植木や

草花も沢山有り、下水も未だ完備されず

春から晩秋迄は蚊を始め色々な虫達が生息していた。


植木が沢山有った為に余り殺虫剤もまけず

精々、蚊取線香を燻す位だった。


その頃は五月に入ると押し入れから蚊帳を出して

五月晴れに虫干ししたものだが近年は殆ど

見かけなく成ってしまった。



梅雨の蒸し暑い夜等は蚊の天国であるから

夕方早めに蚊帳を吊って蚊から避難したものだが

蚊帳の中は風の通りが悪くなるので蒸暑くて居心地や

寝心地が最悪だったがエアコンが普及されない時代は

黒色の扇風機で何とか我慢した。


蚊帳は出入りに気負付けないと人懐っこい蚊も

一緒に入り込んで大変な騒ぎに成る。



現在は下水も完備され殺虫剤も良いものが出回り、

エアコンもあるので蚊帳等は無用の長物となって

無くなってしまった。


蚊の家族達も日々の生活が厳しいだろうよ。

特に蚊の好物な人間の生血には中々有り付けないだろね。



だが現代は他に人の生血を吸い取る悪い奴が居る。

これは昔の様には蚊帳でも防げないかな。







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2008年03月27日

マカロニウエスタン、「夕陽のガンマン」




最近、理由無き殺人が連続している。


防御が完璧では無い私は夜の一人歩きに

恐さを感じる時もたまにはある。


そんな日々にあのマカロニウエスタンの名作、

夕陽のガンマン」を思い浮かべる。


ウエスタンと言ってもジョン・ウェインが演じるのでは無い。

マカロニウエスタンの方である。


映画の評論は専門家にお任せするが

娯楽だけに作られたマカロニウエスタンは

西部の乱暴者が大した理由も無く

人を銃で撃ち殺す。(日本では刃物が多い)


其処に正義の味方、ガンマンが登場して悪人共をやっつける。

まあ、映画の様には現実は巧くいくはずも無い。


映画では正義の味方ガンマンには悪者が撃つ銃の弾は

当らなく設定してあるが、実際には悪者が強力だから

正義を建前にする人が殺されたりする。



これが世の中の仕組みだと想って

テレビや新聞のニュースを解釈したとすれば

ジョン・ウエインの世界へ脚を一歩踏み入れてしまうのか?




それは面倒だからマカロニウエスタンの「夕陽のガンマン」、

此れがやっぱり面白い、面白かった。






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2008年03月26日

今日の色紙一枚




三月二十六日の色紙



kappa_gallery at 13:02|Permalink かっぱの絵・色紙 

昭和の御用聞きは御人好し




我が家に平成迄、一日置きに

お正月の二日から十二月三十一日まで

殆ど休まず御用聞きに回ってきた酒屋さんが居た。



明るく好感のもてる御用聞きの其のお店は

酒、乾物、燃料と幅広く商いをしていた。


朝十時頃に注文を聞きに遣ってきて

午後三時過ぎには配達してくれる。


昔は醤油はガラスの一升ビンで重かったし

自動車も一般の家庭には無かった時代だから

酒やビールも大ビンで重く配達してくれるのは助かった。


しかし良いことずくめばかりでもないセッカチなこの人は

K社のビールを1ケース注文したらS社のビールが

何本か混ざって配達される事などは何度となく有った。


一度等はジンジャーエールを一ケース注文したら

三ツ矢サイダーが半ケース入っていた。


拘りの味等は果たして配達している本人は

知っているのか知らないのか、数さえ有れば

メーカー等は全く気にしない無頓着この上ない性格である。



慣れは恐いもので注文する方も

また違うのが混ざって入ってる・・ と云って

諦めて酒屋に文句も言わずそんなもんだと我慢した。


私の家だけでは無く、隣近所みな諦めムードだった。


それでもこの酒屋が人気が有ったのは注文を受けた品物は

自分の店に欠品していても必ず他店で都合をつけて持って来た。


我が家をはじめ、隣近所の家もその点は安心して居られた。



この酒屋さんも平成になり、大手スーパーには

便利な御用聞きとて適わず、店を閉じ貸しビル業になった。


御用聞きのオジサンも年老いて自社ビルの片隅の

タバコ売場に座って人通りをボンヤリ眺めていた。



通りの桜はもうすぐ開花するだろうかと・・・。







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2008年03月25日

モールス信号練習用発信機




−−・・−−− 本文始まり。



昭和三十年前半ば、

モールス信号での通信全盛時代だった。



先輩達の話を聞いた処では、外国航路の大型旅客船は別として

マグロ漁船等は大漁すると当時の貨幣価値でも100万円の

ボーナスを貰ったと喜んでいた。


千葉近在なら小さな家が一軒建つ程の金額だ。

税金を引かれて60万円位の手取りだろうが、

しかし同級生は皆自分の出来事の様な顔して喜んで

先輩の一級無線通信士が話す手柄話を聞いていたものだった。


その頃の私はモールス信号を練習する為には

どうしても必要な発信機を自作したのだが、

私の設計ミスなのか? 回路に電流が流れ過ぎて

発振トランスのコイルが何時間も保たずに断線する。


他の方法での回路設計を考えていた。

結局、冒険は止めて教科書通りの標準な回路を

少しだけ発展させて、MT菅一本で作りかえたが

やはりダメで、近所に開店したばかりのラジオ屋のオヤジから

日本陸軍、軍用無線機に付いていた部品だと云う

大型発振トランスを譲ってもらい、出来上がったモールス練習機は

丈夫で私が一級通信士国家試験を受験する迄故障しなかった。


その後、後輩にプレゼントした。

川崎出身の後輩は其の二年後に国家試験にパスした。

丈夫な日本陸軍の無線機部品は頑固に現在も誰かが活用している。




頑固と云えば「検見川送信所」、

其の映え有る歴史の上に残して置きたい建物だ。


静かに桜の花びらを待っているだろう。


早く『カッパ検見川送信所物語・画集』を書き始めなくては・・・ 一匹言。








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2008年03月24日

たばこの「光」はパチンコでとった




パチンコが登場した当時は子供でも

玉さへ買えば、パチンコは出来た。


しかし、直ぐに子供単独のパチンコ店出入りは

禁止に成ってしまった。


私は何回か義兄がパチンコ店に連れていって

呉れたものだった。


玉貸機がカウンターに何台か置いてあり

二十円を店員に渡すと玉貸機の口から玉を出してくれた。

丁度、手の平に納まる量だった様だ。


左手の親指と人指し指で一つずつ玉を

パチンコ台の穴に送り込み、右手でそれを弾く。

なかなか慣れないとリズミカルには出来ない。


義兄は会社での仕事も辣腕だったと後年聞いたが

パチンコも私の記憶の限り上手だった。


パチンコ台の受け皿に玉が貯まると、

まず玉をタバコに取り替えて来る。

先に投資した金額分をタバコに替えてしまう。


タバコは何時も当時人気が有った「光」だった。


大人に成ってから「光」を吸ってみたが

私には辛い感じだった。


玉が沢山出た日などは茶色な紙袋一杯、

菓子やガムに替えて私に呉れた。


その義兄の息子さん、現在五十歳を幾つも過ぎた。


旧い半世紀以前でのパチンコ店、一発ずつ入れては弾く、

アナログ音源の様に何故かやすらぎが其処に有った。






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